「罠か?」
ネロは思わずそう問いかけた。
ヒスパニアへの道程を順調に消化していき、途中カエサルが攻めてきたものの、彼自身にあまりやる気がなかったのか、あっという間に撃破することに成功していた。
その結果、あっさりと連合ローマ帝国の帝都に辿り着いてしまった。
あまりにも帝都は無防備であり、罠を疑うのは当然ともいえた。
死に物狂いの抵抗をするかと思いきや、そうではない。
「まあ、ぶっちゃけやる気がないんでしょう。今の生活が維持できれば支配者は誰だっていいっていう民衆的心理」
「麻菜、それは余が泣きそうになるからやめてくれ」
ちょっと涙目でそう告げるネロ。
麻菜はそんな彼女に抱きしめる。
「よし、麻菜に包まれて余は元気が出たぞ。とりあえず行ってみよう」
「私が言うのも何ですが……大丈夫なんですかね、この皇帝……」
玉藻はそうツッコミを入れたが、当のネロは麻菜に抱きしめられてご機嫌であり、気づかなかった。
これは見たことがある――
麻菜は内心で呟いた。
連合ローマ帝国の帝都は一見、繁栄していた。
街並みはよく整っており、道にはゴミ一つ落ちていない。
行き交う人々も多い。
とはいえ、全員が真顔なのだ。
老若男女全員、ここの住民達は真顔で各々に課せられた仕事やら何やらを行っている。
笑い声の一つもない。
確か、新しい労働力の実験だったはず。
感情を取り去って人間を生身のまま、ロボット的に扱おうというものだった気がする――
前世において所属していた企業の一部門がやっていた実験であった。
「笑顔がない。おそらくあの御方が統治されているだろうが、それでもこれはローマであってローマではない!」
ネロのそんな声が聞こえ、麻菜としても同意と頷いた。
「真顔で生活するってシュールですね……」
「笑ってはいけないカルデア。1週間全員真顔生活……」
マシュの言葉に麻菜はぼそり、と彼女の耳元で囁いた。
それを想像してしまったのか、マシュが思いっきり吹き出した。
聞こえてしまった玉藻、クー・フーリン、スカサハに哪吒も吹き出した。
唯一、外部からの攻撃を警戒し、ついてきていないナポレオンだけが難を逃れた。
そんなこともあったが、ネロは連合ローマ帝国の統治者であり、かつ偉大なる神祖ロムルスとの話をつけにいく、とのことで麻菜達もそれについていくことにした。
ロムルスの偉大さ、強大さに麻菜は彼の話を個人的に聞きたいと思ったが、そうは問屋が卸さなかった。
彼の背後に控えている人物が問題であったからだ。
「また出たわね、レフ・ライノール」
「……人をゴキブリのように言わないでほしいのだが」
ロムルスとのあれこれはネロと他のカウンターサーヴァント達に任せ、麻菜達カルデア一行はレフ・ライノールと対峙する。
同時に麻菜は
レフは令呪が使用されたことを探知し、何かをやろうとしているとことは分かったが、何をしてくるかまでは予想ができなかった。
どちらにせよ彼は自らが召喚したサーヴァントに自信があった。
「玲条麻菜、お前はいったい何者だ?」
ストレートに彼は質問をぶつけてきた。
仕方がないので、麻菜は正直に答えてやるとする。
ユグドラシルにおける自分の考えた最強にカッコいい設定を。
当時ゲーム内のフレーバーテキストにわざわざ文字色を反転して書いてあったものを。
知る人からすれば――特にギルドの面々――は抱腹絶倒間違いなしのものを。
「対異教の神々、対悪魔、対邪神、対高次元生物などを主眼として創られた汎用人型決戦天使。物質界だけではなく高次元空間などの全ての空間・次元において十分な戦闘行動を行え、敵対者全てに永遠の安息を与える。だが闇に堕ちし時、窮極の門は開かれた。混沌となりし彼女は何者にも縛られず、縛ることもできない。混沌であるからこそ、彼女は矛盾をも内包する。ちなみに欲望に素直である」
レフは目が点になった。
マシュ達もまた目が点になった。
レフが出てきたということで通信を開いていたが為に、聞いてしまったオルガマリーをはじめとしたカルデアの面々も目が点になった。
誰よりも最初に再起動を果たしたのはマシュだった。
「何を言っているんですか! 先輩!」
「え、ダメ?」
「何か最後の方はちょっとおかしくないですか!? 文章的に」
「文字数の関係で……あとビッチだと被ってしまう為、うまいこと考えた」
「誰と被るんですか!」
そのやり取りに次々と我に返る面々。
最後に戻っってきたのはレフだった。
「つまりは、この私を誂ったのか?」
顔を憤怒に染めてレフはそう問いかけた。
「いや、誂ってはないんだけど……誰も信じてくれないパターン?」
「あ、私は信じますよ。ご主人様ですし」
いの一番にそう言ったのは玉藻だった。
麻菜は嬉しく思い、彼女に抱きついた。
すると麻菜の胸が思いっきり玉藻の胸に当たり――
「あんっご主人様……結構胸、大きいんですね……」
「玉藻だって大きいじゃないのよ」
突然始まった桃色展開にレフは堪忍袋の緒が切れた。
もはや我慢ならん、こんなふざけた連中は一秒でも早く叩き潰して、さっさと神殿に戻ろうと彼は決意した。
特異点Fで知性を見せた彼女はどこへ行ってしまったのか、とレフは嘆いた。
一応、彼女達が勝利した際は彼女の使い魔となるということについて、どうするか他の魔神柱達に問いかけてみたのに、と。
「レフ、あなたって感情的になりすぎるのね」
麻菜の言葉にレフは一瞬にしてその煮えたぎった感情が冷却された。
しかし、それは遅すぎた。
同時に身を貫く1本の槍に気がついた。
心臓を見事にぶち抜いていた。
「こ、これは……」
彼が言葉を言う前に、その頭に2本の槍が新たに刺された。
後頭部から放たれたそれらは綺麗に後ろから彼の眼球を突き破る形で出てきた。
すぐさま3本の槍は引き抜かれた。
実行者は2人だ。
クー・フーリン、そしてスカサハ。
2人に対する指示は至ってシンプルで、令呪もまたこれをする為に使用したものだ。
2人から見て、隙があったら全力で槍を叩き込めというものだ。
「隙があったら殺すっていうのは当たり前の話でしょう?
レフは口から血反吐を吐きつつも、笑う。
そして告げる。
「讃えよう……玲条麻菜……お前は既に我らが王に辿り着いたのか」
「ええ、あいにくとね。答え合わせといきましょうか? あなたの経歴については調べさせてもらったわ。多重人格者で腕の良い魔術師であるレフ・ライノール・フラウロス」
麻菜はそこで言葉を切り、大げさに両手を広げてみせる。
「さて、どこかで聞いた悪魔の名前が出てきたわね。自分の経歴を抹消もしくは捏造しないなんて」
前半部分はカマかけであったが、そうと悟られなければ問題はない。
麻菜は前世のリアルでの職業柄、こういうことにはとても慣れていた。
レフは、にたりと笑みを浮かべた。
「ああ、そうだとも。フラウロスだ。私は魔神柱フラウロス。魔術王に仕えし者だ」
「何故、カルデアに協力を?」
「簡単だとも。魔神柱となることができるのは選ばれた時に生ける者。私がそうであったというだけだ」
「時限式での覚醒タイプね。つまり、あなたは途中までは人間の魔術師であったが、魔術王により定められた時が来たために覚醒し、王の為に行動を開始した……それで良いかしら?」
「そうだとも。君が我々の側にいなかったことが、我々にとって最大の誤算だ」
「それは重畳。で、あなたは足掻くのかしら?」
問いにレフは首を振る。
「さすがにゲイボルグを3本も貰ってしまってはな。それに神殿から少々離れすぎた。私は足掻きはしない」
「随分と殊勝ね」
「ああ、そうだ。私は抵抗しない。だが、私が念の為に召喚しておいた輩は抵抗するだろうがな!」
サーヴァント反応、とカルデアからの通信。
現れる女性。
褐色肌に白髪という特徴に加え、手には何やら変わった剣を持っている。
麻菜は笑ってしまう。
「まったくレフ。あなたは良い悪役ね」
「それほどでもないさ。ああ、君が以前言っていた、もし万が一に君達が勝ったなら、我々を使い魔とする件だが」
レフはそのときを思い出して笑う。
そんなことは絶対にあり得ない、という結論が満場一致。
ただ、それでは回答にならない。
使い魔になるか、ならないか、という問いでYESかNO以外で答えたなら沽券に関わる。
散々に議論した結果、そんなことができる輩であるならば仕えてみても良いのではないか、というもの。
「もしそうなったなら、我々は君に仕えよう」
そう言った直後、レフの体は褐色のサーヴァントにより切り刻まれた。
「さて、答えは得た。小間使いを確保するために頑張りましょう」
麻菜の言葉にどうにも気が抜けるマシュ達。
そんな彼女をじっと褐色のサーヴァントは見ていた。
「……お前は不思議な感じがする……」
「生まれる前から愛していましたって?」
「先輩、そんなこと一言も言っていません。欲望に素直って設定はもういいですから」
マシュの的確なツッコミ。
しかし、麻菜はへこたれない。
「その三色ボールペンみたいな剣で、私の剣とやり合おうっていうのかしら?」
麻菜はレーヴァテインを取り出した。
ガラスのような透き通った刀身だ。
どちらが剣らしいか、と問われれば麻菜のほうに軍配は上がるだろう。
「いや……おそらくお前には勝てない。本体であっても」
「本体? あなたは端末か、あるいはアバターってところかしら?」
「分からない……だが、何故かそのような気がする」
また何だかよく分からないわね、と麻菜は溜息を吐く。
「で、あなたはどうしたいのよ?」
「文明を破壊する。だが、命は壊さない」
「なるほど。あなたの名前は? 私は玲条麻菜よ」
「アルテラだ」
「あなたは私達と戦うということでいいのね?」
麻菜の問いに頷く彼女。
故に麻菜はサーヴァント達に告げる。
「さぁ、仕事の時間よ」
それはひどい戦いだった。
アルテラは強かった、だがそれだけだ。
スカサハとクー・フーリン、そして九尾状態の玉藻を相手取ってマトモに戦えというのは無理な話だ。
さらには哪吒が絶えず空中からアルテラの死角を攻め立て、マシュは麻菜の傍でガードに徹する。
麻菜は前衛で戦う彼らに支援として数多の補助魔法――いわゆるバフを重ねがけし、傷がついたら即座に治癒魔法を飛ばした。
アルテラの本体を持ってくれば話は別かもしれなかったが、そんなことは無理な話だ。
周辺の被害――地形が抉れたり、吹き飛んだり――を除けば被害は出ず、アルテラは倒された。
彼女が持っていた聖杯を回収し、今にも消えていかんとする彼女に麻菜は言葉を掛ける。
「もし良かったらカルデアっていうところに来なさいよ。あなたのお話、聞きたいわ」
「分かった。行く」
そう答え、アルテラは消えていった。
「なんか、とてもあっさりと勝てちゃいましたけど、ここにいる面子がおかしいだけですからね」
玉藻の言葉にマシュはうんうんと頷く。
「知ってるわよ。ともあれ、ネロと合流しましょうか」
麻菜がそう言ったときだった。
ネロの方から走ってきた。
麻菜の名前を叫びながら。
そして、彼女は麻菜に飛びついた。
「麻菜! 良かったぞ! どこも怪我はしていないな?」
「ええ、大丈夫よ。ネロのほうも大丈夫そうね」
ネロもところどころ衣服が汚れたり切れたりはしているものの、傷を負っているわけではなさそうだ。
「神祖は偉大であった。まるで、父のように、余を子として試したのだ」
うむ、と頷くネロ。
その表情から悪い結果ではなさそうだ、と麻菜は思いつつ、ネロへと告げる。
「ネロ、時間がないわ。祝勝会とかそういうのをすっとばして、すぐにローマへ帰りましょう」
その言葉にネロは察する。
「未来へと帰るのだな? うむ、当然だ。既に帰還の為に指示は下してある」
「それなら問題ないわね? じゃ、一足先に私達は帰りましょう」
ネロが目をぱちくりとさせると同時に麻菜は転移門を開いた。
「麻菜よ、それは何だ?」
「
麻菜はそう言いながら、ネロの手を引っ張った。
「う、うむ、ちょっと強引だが、それもまたよし。別れの挨拶の時間も必要だ。お前たち、ちょっと半分はついて来い」
ネロはここまで来ていた家臣たちの半数に対して、ついてくるように告げて麻菜と共に
麻菜だけ行かせるわけにもいかないので、マシュ達もそれに続き、ネロの指示通りに家臣達もまた入った。
転移門の先はローマの王宮前だった。
急に現れたネロ達に行き交う人々や王宮前の警備をしている兵士達はぎょっとするが、麻菜はネロを引き連れて王宮へ。
2人の後から続いて出てきたマシュ達やネロの家臣達が出てくると、さらに驚きが大きくなる。
そんな彼らに尋ねてくる留守を任された兵士達。
細かい説明は丸投げしようという、麻菜の予想通りだった。
麻菜はネロに約束の財宝をもらうべく、宝物庫へとやってきていた。
「そなたの働きに褒美を与える……本来なら色々と手続きもあるが、特別だぞ!」
「強引なのはごめんなさいね」
麻菜はそう言って、ネロの額にキスをする。
すると、にんまりと笑みを浮かべ機嫌が良くなるネロ。
「うむ。本来なら口づけが良かったが、そなたの様子から時間はない。好きなものを持っていけ!」
宝物庫の扉を開くと、そこにあったのは数多の財宝であった。
「ネロ! これ、代金!」
麻菜はそう言うや否や、宝物庫の空いているところ全てに金のインゴットをどこからか取り出した。
それは山と積まれており、更にはその山は一つや二つではなかった。
それだけでネロが密かに構想している黄金宮殿を建築できそうな程に。
ネロはそれにビックリするが、麻菜はとにもかくにも急いだ。
片っ端から財宝を無限倉庫へと突っ込んでいく。
勿論、袋詰されたり、壺いっぱいに入っていたりする貨幣も忘れない。
とにもかくにも加工されたモノを放り込んでいく。
そして、空いたスペースには代金代わりに金塊を置いていく。
それを見てネロはピンときた。
元々あった財宝よりも価値が増加するのでは、と。
ならばとネロは麻菜へと駆け寄り、宝物庫内を積極的に案内する。
麻菜は加工されたモノや宝石だけ、あるいはネロが価値があると言ったものだけを放り込み、代わりに金塊を置いていく。
元々置いてあった未加工の金塊や銀塊には目もくれなかったが、何かしらのローマのモノであることを示す印が刻まれていれば麻菜は自分の金塊と置き換えていた。
『あー、麻菜君。そろそろ戻って欲しいんだけど……それと、あんまり影響のある物品は残して欲しくないんだけど……』
ロマニが通信を入れてきた。
基本的に特異点でのことは無かったことになる。
とはいえ、それはあくまで歴史に大きすぎる影響を与えるものだけだ。
たとえば今回で言うならば、連合ローマ帝国の出現やそれに関連するものだ。
カルデアの介入の事実も消えるが、それでも歴史に影響のない細かいことは消えないのだ。
「あと5分待って! ネロ! あとは!?」
「あそこの一角で終わりだ!」
ネロの指し示した区画に突入し、麻菜は次々と無限倉庫に放り込み、代わりに金塊を置いていく。
そして、宝物庫は眩いばかりの黄金の輝き一色となった。
「これで全部?」
「ああ、そうだ……」
麻菜は特に疲れた様子はなく、対するネロは肩で息をしながら汗だくであった。
しかし、どちらもやり遂げた顔だった。
ネロは呼吸を整えた後、麻菜へと向き直り、その両手でもって頬を撫で、彼女の唇に自らの唇を重ね合わせた。
そして、そのまま両手を動かし、麻菜の背中へと回して抱きしめる。
「余は、そなたが愛しい。この気持ちは1000年、2000年経とうとも変わることはない」
「ネロ、私もよ。こんなに情熱的に求められた経験はないもの」
「そなたは余と同じく口説く側であろうな。故に口説かれた経験はないとみた」
「ええ、その通り。だから流されてしまうわ」
「それで構わぬ。余もそなたに口説かれたら、そうだろうからな」
そのときだった。
麻菜の体が薄れ始めていく。
「時間のようね」
「ああ、そのようだ」
しかし、ネロは麻菜から離れない。
もちろん麻菜もネロから離れなかった。
「ネロ、全てを終えたらカルデアに来て」
「勿論だ。死後が分かっているというのは気楽で良いものだ。余は務めを真っ当し、カルデアでそなたを愛で、そして遊ぶのだ」
ネロはそう告げてから、あることを思いつく。
「そなたの絵を描きたい。だが、麻菜というのは、少々ローマに不自然だ。良い名はないか?」
「じゃあ、メリエルで」
「メリエル、うむ。天使のように美しい名だ。そなたに相応しい」
「ありがとう」
麻菜の体はいよいよ透き通り、向こう側が見えている。
「ネロ、また会いましょう。私もハレムを築いてしまうかもしれないけど」
「ああ、また会おう。むしろ、そなたほどの美しい者がハレムを築かないほうがおかしいぞ」
「それは良かったわ」
にこりと麻菜はネロに微笑み、消えていった。
「……麻菜」
残されたネロは名を呼ぶが、返ってくる答えはない。
未来へと帰った、という事実がネロに襲いかかるが、その程度では彼女はもう寂しくも悲しくもない。
「歴史を歪めた元凶が消えたら、記憶が消えるかも、と以前、麻菜は言っていた。だが、余の中にはしっかりとある」
今の今までしていたやり取りも、匂いも顔も感触も声も。
全てネロは覚えている。
胸元にある蛍石の首飾りもしっかりとあるし、宝物庫を見れば遥かに増えた黄金がある。
「さて仕事だ。復興と発展、繁栄に拡大。そして麻菜の絵を描かねば」
やることはいっぱいだ、とネロは気合を入れたのだった。