「キュケオーンを食べるんだ!」
労使交渉後、麻菜が自室で一休みしているとキルケーがやってきた。
キュケオーンという名の麦粥を持って。
麻菜は流れるような動作で麦粥の入った器を受け取り、それを一気に口の中へとかきこむ。
あっという間に食べ終えた麻菜にキルケーはにこにこ笑顔だ。
「うんうん、麻菜はキュケオーンを美味しそうに食べてくれるから私としても作りがいがあるよ」
はい2杯目、と差し出された器。
それもまた同じように麻菜はあっという間に食べ尽くした。
「普通に美味しいから、いくらでも入るわ」
「嘘じゃないから私も嬉しいよ。どうだい? 次の特異点は私を連れて行きたくなっただろ?」
「次の特異点は私はお休みになったから、その次かもしれないけど……前向きに検討し善処するわ」
「断られている気がするけど……ともかく麻菜は私に飽きたり、本当の意味で置いていったりしないからいいや」
「キルケーがいると楽しいので、そういう意味で置いていくというのはあり得ないわね」
「そうだろう!」
キルケーは麻菜に抱きついて、頬ずりする。
「これで麻菜の成分を補充できた。また来るよ」
嵐のようにやってきて、嵐のようにキルケーは去っていった。
キルケーのように麻菜が部屋にいると誰かしら面会に来る。
次はオケアノスとやらで海らしい、という情報は既にサーヴァント達にも伝えられているが、麻菜が次の特異点はお休みということまでは伝えられていない。
海ということはユグドラシルであんまり披露する機会がなかったフネが使えるなぁ、と麻菜はワクワクしつつも、ぐっちゃんとマリーがどんな感じで解決するかというのも楽しみに思っている。
2人が解決してしまうと麻菜のフネを披露する機会がないので少し残念だ。
「とりあえず、ぐっちゃんと項羽に伝えておこう」
麻菜は
「魔術王ね……信頼性はどうだと思う?」
一方、オルガマリーはロマニ、ダ・ヴィンチとローマにおけるレフの発言について、会議を開いていた。
会議後に彼女はサーヴァント召喚を行うことになっているので、その喜びを隠そうとはしているが隠せていない。
話している内容は重大なものだが、ロマニもダ・ヴィンチもオルガマリーの態度は微笑ましかった。
「あり得ない話ではないけど、もう少し証拠が欲しいかな。レフの発言だけだし」
ダ・ヴィンチの言葉。
ロマニは難しい顔をしており、彼にオルガマリーは話を振る。
「ロマニ、あなたは?」
「僕としても同じ。ただ魔術王本人であるか、というと少し怪しいのではないかな」
ロマニの言葉にオルガマリーとダ・ヴィンチの視線が集まる。
「魔術王は死んでいる。これは間違いないと思う。そもそも生きていたら、もっと早い段階でやっているだろうし」
それは確かに、とオルガマリーもダ・ヴィンチも頷いた。
「魔術王を騙っているというのも怪しい気がする。こんなことができる力があるなら、そもそも騙る必要性がない……誰かが魔術王の死体を使って好き勝手している、というのはどうかな? そこらの魔術師の死体でさえ価値がある。それが魔術王の死体ならば、その価値は計り知れない」
ロマニの言葉はオルガマリーとダ・ヴィンチにとって、一定の納得ができるものではあった。
「魔術王の死体を使う、あるいは乗っ取る。それによって彼が使役していたという72柱の悪魔達に主人だと誤認させ、手足のように使っているというのが今の段階で出せる予想かしらね?」
オルガマリーの言葉にロマニとダ・ヴィンチは頷く。
「となると真の黒幕は死体を操る奴だね。ネクロマンサーか、あるいは精神生命体とかいう、憑依するタイプか……面倒くさい」
ダ・ヴィンチは溜息を吐いた。
彼女としても面倒くさい、という感情止まりであった。
「麻菜君がいるし……」
ロマニの言葉にオルガマリーとダ・ヴィンチはうんうん、と何度も頷いた。
もしかしなくても魔術王よりもよっぽどに危険な存在ではある。
少なくとも、魔術王は何でも願いを叶える魔法なんてものは使えない筈だ。
「しかし、所長。よくこんな情報を麻菜はレフから引き出せたね」
「ええ、本当に。何かしら報いたいのだけど……カルデアとして」
オルガマリーはカルデアとして、という単語を強調する。
それをつけておかないと、ダ・ヴィンチからまたからかわれる可能性が大いにあった。
「所長が身体で支払うというのはどうだい?」
したり顔で問いかけるダ・ヴィンチにオルガマリーは深く溜息を吐いたのだった。
その頃、虞美人は質の悪い輩に粘着されていた。
その輩は真面目な用事でやってきて、それを虞美人と項羽が承諾したところまでは良かったのだが――そのまま部屋に居座りやがったのである。
挙句の果てに項羽は友人とよく語らいなさい、と微笑みながら部屋から出ていってしまった。
彼なりの気遣いであったのだが、さすがの虞美人もこれには嘆いた。
「この私を説明会のとき邪険にした罰よ。太陽ぶつけてやんよ」
「そういうところが邪険にされる原因よ」
正体を暴露した結果、麻菜がしつこく付きまとうようになってしまったのが虞美人にとって痛恨の極みだ。
「ねぇ、あなたって強い? 私とどっちが強い?」
「はいはい、あなたのほうが強い強い。良かったね」
「やっぱり太陽に焼かれろ」
「そういうところがお子様」
ぐぬぬぬ、と麻菜は自らの不利を悟る。
伊達に千年単位で生きているわけではなく、口での勝利は難しそうだ。
「というか、普通は私の正体に恐れたりするものなんだけど……」
「真祖なんてよくいたので」
麻菜はそう言いつつ、参考までに幾つかの写真を無限倉庫から取り出して、虞美人へと見せた。
ヤツメウナギのようなものがそれには写っていた。
「……なにこれ?」
「私の世界の真祖。ぐっちゃんも当然こうなるんでしょう?」
目をきらきらと輝かせながら、麻菜は問いかけた。
虞美人は色々とツッコミたいが、何よりも先に事実を告げる。
「私はこうならないから」
「えっ? 今の可愛らしい姿は擬態じゃないの?」
「違うから」
しっかりと訂正しておかなければ、真祖――正確には虞美人は真祖ではないのだが――はヤツメウナギという認識が麻菜に定着してしまう。
そして、麻菜はそれを大いに周りに言いふらしまくることが想像できる。
虞美人の本当の正体はヤツメウナギだった、なんて根も葉もない噂が広まったら非常に面倒くさいことになる。
とはいえ、麻菜は異世界からの転生者と本人から聞いていたので、この世界の常識や価値観で考えてはいけないかもしれなかった。
だが虞美人としては、面白そうだという理由で麻菜がそうしているのだと確信している。
「ところでぐっちゃん。真祖の女の子を誰か紹介してくれないかしら? あなたは項羽に夢中だから無理そうなので」
「……朱い月のブリュンスタッドとかいいんじゃないかしら」
「詳しく」
虞美人は溜息を吐き、そこらにあったメモ帳に顔を描いてみせる。
長いこと生きていると大抵のことは暇つぶしでやった結果、並以上の腕前になってしまう為、虞美人の描いたイラストは巧いものだった。
「これこれ、こういうのよ、こういう正統な女王っぽいのがいいのよ」
実は本来の朱い月ではないが、器により顕現するならそうなるだろう、という虞美人の予想だ。
「それで教科書に載っていたんだけど、虞や虞や、汝を如何せんって本当に項羽が言ったの?」
「本当だけど違うわ」
「つまり?」
「それだけじゃなかったってこと」
麻菜はにんまりと笑みを浮かべた。
「やっぱりそうよねぇ……」
そう言いながら、うんうんと麻菜は何度も頷いた。
虞美人は無言で手近にあった本の角で麻菜の頭を思いっきりぶっ叩く。
部屋は芥ヒナコと名乗っていたときと同じであり、カモフラージュの為に本が大量にあった。
「いたい」
「痛いで済むところが、あなたも中々人間離れしているわね……人間よね?」
「一応、健康診断では人間らしい。ただ、前世のあれこれを受け継いでいるので……人外かなぁ」
虞美人は溜息を吐いた。
少なくとも人外であることの苦悩とかそういうものに関して、麻菜は無縁そうだった。
「そうだ、ぐっちゃんのそっくりさんをサーヴァントとして召喚しよう。私には何でも願いを叶える魔法があるので」
「殺す」
「あまり強い言葉を使うな、真祖もどき。弱く見えるぞ?」
「ぶっ殺す!」
虞美人は本を手当たり次第に投げつけたが、麻菜はけらけら笑いながらひらりひらりと回避し続ける。
やがて虞美人は疲労により手を止めて、ふと浮かんできた疑問を投げかける。
「……そういえば私が英霊の座にでも行かない限り、魔王みたいな項羽様しか召喚されない筈なのだけど……どうして?」
「知らないけど、キアラとか始皇帝とか色々いるし、今更じゃない?」
答えになっていないが、物凄い説得力で虞美人は思わず納得してしまいそうになる。
麻菜は更に言葉を続ける。
「愛の奇跡とかそういうのでいいんじゃない? 理由はどうあれ結果が良ければ全て良し」
「それもそうね……唯一、お前の評価できる点が項羽様を召喚したところね。ところで、お前は序列的には私の後輩になるのよね?」
その問いに麻菜は頷いて肯定した。
すると虞美人は腕を組んで麻菜に向かって告げる。
「おい後輩。揚げパンと牛乳を買ってこい。5秒以内な」
しかし、麻菜があっさりと引き下がるわけがない。
「知っているかしら? 私、下剋上は大得意なのよ。上がいるなら引きずり下ろす。そう、私が天に立つ」
「お遣いもできないなんて、まるでダメな後輩ね」
「黙れ、真祖。その眼鏡、かち割るぞ」
「は? その髪、毟り取るぞ?」
ぐぬぬぬと、2人して互いに睨みつけ、そして始まる聞くに堪えない小学生並の罵詈雑言。
5分程互いに悪口を言い合った後、虞美人は息を整えて告げる。
「で、後輩」
「何かしら、先輩?」
「本当に世界を救えるの? 小耳に挟んだ程度だけど相手は魔術王らしいじゃない。たぶん、あなたと同じで何でもありよ?」
その問いに麻菜は顎に手を当てる。
タイマンでなら勝つ自信はある。
だが、取り巻きの悪魔達が厄介だ。
72柱いるだろうということが予想されており、また相手が悠長に待ち構えてくれているという保障はない。
時間を稼がれている間に敵の大技が発動してしまい、ゲームオーバーになってしまう可能性もある。
ということはこちらも数で対抗する必要があった。
麻菜の軍勢や天使、課金ガチャで手に入れたペット達まで動員しても足りない、おそらくサーヴァントでも足りない。
世界を救う戦い、レイドボス、ワールドエネミー……
麻菜は閃いた。
そして、笑みを浮かべた。
それを見てしまった虞美人は小さく悲鳴を上げた。
猛禽のような笑みだった。
「ええ、世界を救う戦いならば、そうしましょう。ふふ、面白いことになりそう」
「な、何をするつもりよ?」
恐る恐る問いかけた虞美人に対して、麻菜は告げる。
「一言で言うなら……廃人舐めんな魔術王ってところかしらね」
一時の夢、多くのユグドラシルプレーヤーが夢想しつつも、結局は実現しなかった。
その夢を叶えよう、超位魔法でもって。
「楽しみだわ」
ニヤニヤと笑う麻菜に虞美人は「何なんだこいつ」という視線を向けているが、麻菜は全く気づかなかった。