不死身の体でヒーローになる 作:塩谷あれる
S県某市、奈茂鳴町は至って平凡な町である。特産と呼べるものが特にあるわけでも、有名なヒーローが生まれ育った町であるわけでもない、極めて普通な町。
そんな奈茂鳴町には似合わない、異質とも言える奇妙な音が、住宅街から聞こえていた。肉の塊を無理矢理引き裂くような、生理的嫌悪を引き起こす音。音の出所を探ってみれば、そこにはやけに背の高い、奇妙というか、不気味な男が蹲っていた。
「あぁ、綺麗だなぁ…綺麗、キレイ、きれ、い、綺麗。本当に綺麗だよ…肉面…」
涎を垂らしながら、ズタズタの肉の塊を愛おしそうに眺めるその男は、明らかに異常だった。加えて言うなら、その住宅街には、人の姿がなかった。こんな日も落ちないような昼間に、人の気配の一つも無い。人っ子一人も、見当たらない。今ここは正に、彼が存分に肉面を愛でることができる最高の場所──
「『おじさん、どうかしたの?』」
の筈だった。
「よう、クソッタレ」
男──もとい、脱走犯『ムーンフィッシュ』が視線を向けた先には少年がいた。まだ幼く、真新しいランドセルと黄色い帽子からも凡そ小学生程度であろうと思える少年。ムーンフィッシュはその少年に、明らかな見覚えがあった。
「あぁあぁ、君、きみ、君、はぁあ、また、また、会えた……綺麗、綺麗な…とっても綺麗な、肉面の……」
ムーンフィッシュにとって、この街に来て最初の殺しの相手、それがこの少年だった。切り裂いた瞬間の感覚、肉面の色鮮やかさ、芳しい血の匂い、今思い出しても、涎の量が増しそうな程に完成された肉面、あの後もう一度会うことができたが、その時の肉面も彼にとって素晴らしいとしか言えないものだった。
「また、また、またァ…僕に、肉面、見せてくれるのかい……?また、殺されて、くれるのかなァ……!?見せて、魅せて、くれる……よねぇッッ!!」
ムーンフィッシュは、先程まで愛でていた肉面などそっちのけで少年に歯の刃を伸ばす。そこらの包丁やナイフにすら引けを取らぬ程に研ぎ澄まされた鋭利な刃は少年の体を胴から八つに引き裂き、その美しい肉面を曝け出させる……そう、少年が、ただの、一介の小学生であったならば。
「っ痛ぅ…、しかしま、腕の皮一枚なら良いお釣りだァ…なァ!」
少年は、自分に向けられた刃をするりと掻い潜り、あっという間にムーンフィッシュの目前に迫る。とは言え流石に避けきることは難しかったようで、両腕にいくつも切り傷ができていた。
少年は傷のできた腕を引き絞り、ムーンフィッシュの鳩尾目掛けて思いっきり正拳突きをぶつける。たかが小学生のパワーでこそあったが、鳩尾を的確に捉えたその一撃は、彼を怯ませるには充分すぎる一撃だった。
「ッグお……」
「逃がしゃしねぇよクソッタレェ!!」
そして、彼にとっては、品内流死克戦術半人前、品内富士見にとっては、その怯みは十二分に攻め入る隙になる。
「ハッ、ゼイッ!だらァ!も一発貰ってけやァ!!」
右上段蹴り、右肘鉄二発、加えて左回し蹴り。例え小学生とは言え、仮にも武芸者である富士見からの攻撃をまともに食らったムーンフィッシュは、その痩躯を跳ねさせるように退いた。
「肉、肉、肉うううううううううううううううう!!!!!!」
「……とんだクレイジー野郎だな、オイッ!!」
ムーンフィッシュが血走った眼を富士見へと向け、その歯の刃を今までとは段違いと言わんばかりの縦横無尽な伸ばし方で伸ばす。二つに、三つに、枝分かれし続けながらスピードを増して攻め立てる刃に、富士見は流石に避けきれず全身に傷を負う。もう既に服はズタボロ、内臓にもいくつか損傷が見られる。
「ガッ!?テメっ、本気じゃなかったのかよッ!!」
「肉っ肉っ!肉見せてェッ!!」
「嫌だわボケェ!!」
富士見は歯の刃を避けながら距離を詰めようとするも、ムーンフィッシュの怒濤にして巧妙な攻撃に翻弄され、次第に距離を離されていく。そして遂に──
「ッッッづゥッ!?」
「アァ!!アァ!!肉!!肉面んんんん!!!!」
ムーンフィッシュの攻撃を捌いていた右腕が、歯の刃によってずっぱりと切り落とされた。その痛みに思わず呻き声を上げる富士見に、ムーンフィッシュはここぞとばかりに歯の刃を一斉に浴びせる。肉体が見る見るうちに削り取られ、その肉面が曝け出されていく。
「づぁっ、がっ、あっ、ぎぁ、ぐ、ぐぅ、げぁ」
「あぁ、綺麗だ、綺麗、綺麗だなぁ、肉面、本当に、綺麗だよ。本当に、本当に」
全身がそぎ落とされていく度に微かな声を上げ、ボロボロと崩れていく富士見を見て、ムーンフィッシュはうっとりと感嘆の声を上げる。血の通った鮮やかな赤い肉が美しい、筋繊維のきめ細やかさや赤と白のコントラストが美しい、肉に包まれる白い骨が美しい、曝け出される神経が美しい。ちらりと垣間見える臓器の輝きが美しい。
「綺麗だ」
彼は、品内富士見はムーンフィッシュにとって、完成された究極の芸術作品だった。
(くそ、このままじゃまた、また殺される……!!いや、死ぬのは構やしねぇが、こいつに、この
富士見は霞む視界で、眼前のムーンフィッシュを睨み付けた。もう全身に赤がついていない箇所はなく、服は愚かランドセルもズタボロだ。
(あぁ、親父に新しいランドセル、買って貰えるように頼まなきゃあなァ……母さん怒るぞ、絶対。なんでこんなズタズタになってんだー、って。あ、そうだ…ランドセルの中身も買い直さなきゃじゃあねェか…怠ぃなぁ。教科書は置き勉してっからいーけどよぉ…!鉛筆、オキニのかっけー奴入れてたの忘れてたぜ……クソ、やっちまったなぁ…!)
戦闘中だというのに、そんな暢気なことを考えながら、富士見はギリ、と歯を食いしばり今にも落ちそうな左腕を引き絞る。
(そうだよ、こんな所でこんなクソッタレに三度も殺されてる暇ねぇじゃあねぇか、俺ァ!?新しいランドセルも、かっけー鉛筆も買わなきゃなんねぇ、服もだ服も!それに何より……)
「………ッッッぉお゙お゙お゙お゙お゙おおおおおおおおお!!!!!!」
引き絞った左腕を振り上げながら、ヤケクソ紛れに叫び声を上げ、富士見は何とも無様にムーンフィッシュに向けて突貫をかます。歯の刃に体の肉を削り取られようが構わず、眼球を割られようが厭わず、ただ、目の前にその気色の悪い変態殺人鬼がいることを確信して。
「食らい……ィやがれェエエエエ!!!!!!!」
(こんな人格破綻のクソッタレヴィラン
富士見の渾身の一撃が、ムーンフィッシュの鳩尾に当たる。しかしそれも一瞬。ただ彼の皮膚を少し掠めた、只その程度の一撃だった。しかしそれでいい。富士見は、こんな死に体の体でまともな一撃が入ることなど、端から期待してはいなかった。ただ、一撃、皮膚を掠めるだけ──富士見にとっては、それで充分だったのだ。
「ッッッッッッぁあ゙あ゙あ゙ッ!?!?!?!?ぎゃぁ、ぎぃ、ぎあああああああああああ!!!!!!!!!!?」
ムーンフィッシュの鳩尾に、富士見の拳が掠めて1秒ほど、突然、ムーンフィッシュが巨大な叫び声を上げて悶えだした。まるで鳩尾に、
「ぁあ!!ぐぁ、ぎぃ、ぎゃああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!!!!!僕の、僕の、体がああああああああ!!!!!」
(………上手く、発動したみたいだな、『撲殺』の“修得耐性”…!)
そう、これこそが、品内富士見が父との修行の最中手に入れた力、『撲殺』の“修得耐性”、その名も『
無論、“痛み”だけなので傷を負うことはないが、それでも今ムーンフィッシュは、自分の刃で鳩尾を抉られ続ける感覚を味わっていることだろう。それはただ一度殺されるよりも、よっぽど辛いかもしれない。
「がッ、がぁッ、がぁあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ!!!!!」
(良~い気味だぜ……どうせ家の中で知らねぇフリしてる民間人か、騒ぎ聞きつけたどっかの誰かが通報の一つや二つはしてるだろうし、そのまま警察とヒーローが来るまでテメェで傷つけた痛みに悶えてやがれクソッタレェ…)
よろよろと体を起こしながら、富士見はボロボロのランドセルを回収し、自分の家へと帰ろうとする。しかし、血が足りないのか、ヨロリ、と前へ倒れ込んでしまう。
「おっ…とと(あーくそ、結局体にガタぁ来てやがったか…このまま、だと俺ァ、あのクソッタレに殺されたことになるなァ…チッ、しょうがねぇ。とっておきのアレ、使うか……)」
そう考え富士見は、動かない体を半分起こしてランドセルからあるものを取り出した。そしてそれを──
「はん、持ってて良かったカッターナイフ、てかぁ゙ッ?」
何の躊躇いもなく頸動脈へと突き刺した。ピシュウ、と血が花火のように吹き出し、富士見はそのまま事切れた。そして三分後、何事もなかったかのように富士見は完全復活を果たし、ムーンフィッシュの叫び声をバックにしめやかに帰宅。ランドセルの一件で母親にこっぴどく叱られた。
同時刻、ヒーロー達によって気絶状態のムーンフィッシュが逮捕された所で、品内富士見とムーンフィッシュの、たった数日間に渡る肉面と歯刃に彩られた儚い因縁は、あっけなく幕を下ろしたのであった。
というわけでムーンフィッシュ編もとい序章、終了にございます。あ間違えました。後日談に次話、『4ページ目』がありました。明日の投稿になるかと思います。
その次からは恐らく第一章、“二年生編~品内富士見、中国でも死ぬ~”が始まるかと思われます。変わらず日記形式でお届けしたいと思っておりますので、今しばらくお待ち下さい。
読んでいただきありがとうございました。感想、批評、お待ちしております。