第01話 プロローグ
1
明治末。東京府、某所。
朝から生憎の雨だった。空から仕切りなく降る雨粒は、瓦屋根に当たると弾け飛ぶ。そして、瓦を伝い先まで行き着くと、重さに耐えきれず、水の固まりとなっては落ち、土に染み込んで行った。
「・・・・・・・・・・・・」
門衛の男は、その様子を虚ろな目で眺めていた。先ほどから、寝て起きてを繰り返し、睡魔と戦っている。深夜のこの時間帯は、普段、静寂に支配されるが、今日は雨の音がある分、いくらかマシだった。とは言え、眠いものは眠かった。
門衛が控えるのは、屋敷の薬医門を潜り、直ぐ横に建てられた守衛所。四本の柱に屋根が乗っただけの簡易的な造りで、二畳ほどしかない面積のほとんどを占めるのは、門衛が腰を預ける木の長椅子だった。日中は、門の外で、通行人に睨みを利かせながら仁王立ちをしているが、今は門の内、人目を気にする必要はない。
────門衛は、子供の頃に家族を殺された。
両親と祖父母、歳の離れた姉と兄を《鬼》に殺されたのだ。偶然、離れの便所に居た門衛だけは助かった。それから、知り合いの寺に引き取られ、住職のツテを経て、今の仕事に辿り着いた。
門衛の名の通り、屋敷の門の開閉と人の出入りの管理が主な仕事だが、大事な仕事がもう一つ。町における《鬼》に関する情報の報告である。《鬼》に家族を殺された自分が、少しでも役に立ちたい思いから、《鬼狩り》を生業とする家に住み込みで働いていた。
《鬼》────主食は人間。強靭な肉体と驚異の回復力を兼ね備え、何十年、何百年の時を生きる。そんな鬼にも弱点はある。一つ目は、太陽の光。故に、日のあるうちは活動が出来ず、人喰いをするのは決まって日が落ちてからだ。
それならば、居眠りをする門衛は良い加減なのではないかと思うが、鬼はそう頻繁に出るものでもないし、何より鬼避けのお香がある。お香に使われる藤の花が二つ目の弱点なのだが、どう言うわけか、鬼は、この花を嫌う。
しかし、近年は生活基盤の整備が進み、町の中心部は夜でも明るいため、飲食店や屋台は昼夜を問わず営業をしていた。また、文明開化の後押しは目覚ましく、今や住人の半数近くが他所から移り住んで来た者たちである。
そう、鬼と鬼狩りは空想の存在となりつつある。日が暮れると藤の花のお香を焚き、夜が明けるまで屋内で過ごす慣習は今は失われたと言って良い。
「──夜分遅くに、すいません」
戸を叩く音と声に、門衛は、ハッと目を覚ました。また、眠っていたようだ。反射的に、座っていた長椅子から立ち上がり、腰にある刀に右手を添えた。
声の主を確認するため、横倒しになっている梯子を塀に立て掛けて登ると、外に立つ人物を睨み付けた。
「何者だ?」
「ご無沙汰しております、
頭の笠を指で持ち上げ、少年が門衛を見上げた。一年前に家出をした、屋敷の長男だった。
「せ、誠也さん!?」
門衛の全身に鳥肌が立った。主から極秘にある通達を受けていたからだ。三週間ほど前のことである。夜遅くに屋敷中の者が集められた。
主は命じた──『
「父と話がしたいのですが、通して頂けますか?」
「確認しますので、そこでお待──」
一瞬の出来事だった。
ドスっと重い音が体と耳を通して伝わった。門衛は自身の胸を見下ろすと、刀が突き刺さっていた。不思議と痛みはないが、状況が飲み込めなかった。
「心配は入りません。堅気の人間を殺したりはしませんよ。僕が殺すのは、
誠也は微笑むと、門の前に腰を掛けた。
────門衛は夢を見た。
底のない真っ暗闇の水の中で、一筋の光に手を伸ばして、泳ぐ夢だ。しかし、もがけばもがくほど、体は沈んで行く。まるで、誰かに足を引っ張られているような感覚だった。前方に向けていた顔を、足元に向けた瞬間、何者かに意識を削がれた。
動かなくなった門衛の体がピクリと動き、俯いた顔が持ち上がる。口角が少し上がり笑みを浮かべた。
「少しの間、体を借りますね。藤の花のお香を炊かれては、敵いませんから」
声色と顔付きの変わった門衛は、梯子から地面に飛び降りると、屋敷内へと駆けて行った。
2
《鬼狩り》────鬼を狩る者。鬼を殲滅すべく、《鬼殺隊》と呼ばれる組織を成し、生身の体で立ち向かう。剣士の持つ《日輪刀》には、太陽の光が蓄えられた鋼が用いられており、この刀で、頸を斬り落とすことで、鬼を絶命させることが出来る。
鬼殺隊から退き、二十年足らず。かつては、選ばれし九人の柱の位にも就いた男は、最悪の状況に直面していた。屋敷を束ねる東衛家の主として、真っ当な判断を下さなければならない。
「そうか。誠也が来たか」
報告を受けた主は、神妙な面持ちだった。
「どうされますか?」
門衛は指示を仰ぐ。
《
主は、黙り込み目を瞑った。数秒後、覚悟が決まったのだろう、重い口を開いた。
「通してくれ」
「御意」
膝ま付く門衛は、そのまま頭を下げ、誠也の元へと向かう。主は、その背中を見送り、一連の騒動を振り返った。
始まりは、かつて自身も属した、鬼殺隊からの一報だった。
────藤の花の家紋の家にて、殺人事件が発生。被害者は、療養中だった鬼殺隊の隊士。現場からは、被害者隊士の刀と隊服が盗まれていたことから、強盗目的と思われる。目撃証言では、犯人は、十代半ばの若い男。被害者の胸には、刀が刺さり、心臓を貫いていた。
ここから先が問題だった。その刀は、日輪刀であり、刃元には、《悪鬼滅殺》と刻まれていた。悪鬼滅殺の文字を持つ刀は、
誠也は、家出をしたあの日、
誠也は、刀の才がなかった。呼吸を使うことが出来ず、最終選別に行く許可を下ろすことは出来なかった。
だから、父である主は、剣士になるのは諦めるよう促した。家は、次男の
3
門衛に通された誠也は、主の待つ客間に通された。襖が開くと、久々に親子が対面した。あることに気付いた主は、悟られないように、出来るだけ平常心を取り繕う。
「元気そうだな、誠也」
「お父様も、お変わりないようで安心しました」
「
「ありがとうございます」
主は、少し照れ臭そうに笑う息子が恐怖でしかなかった。気配が鬼のそれだったからだ。しかし、鬼ならば、藤の花のお香が焚かれた、この屋敷に入ることは出来ないはずだ、屋敷内に裏切り者が居るのだろうか。息を飲み、主は頭を下げた。
「すまなかった。お前に、きつく当たってしまったことを許して欲しい。戦場で、子が死ぬのを見たくなかったからだ」
誠也から笑みが消え、目付きが鋭くなり、青筋が額に走った。
「ふざけるな!! 今さら何なんだよ!! アンタが、あの時に謝ってりゃ──」
突然、誠也は、手の平で口元を抑えると、吐き気に耐えるかのように、肩を大きく上下させた。普通の状態ではない、誰が見ても明白だった。
「お母様は、お元気ですか?」
「・・・・・・母さんは死んだよ」
「死ん、だ?」
「お前が出て行った後に、母さんが病んでしまってな。玲士は、反抗的になるし、私も疲れてしまって、それで悪化して自殺を」
誠也は、これ以上の怒りを抑えることは出来なかった。殺意に満ちた鋭い目が再び主に向けられる。
「アンタのせいだ。全部アンタのせいだ!!」
「本当に申し訳ないと思っている。だから、誠也、これからはもう好きに生きて良いんだ。お前を縛ったりはしない」
「好きなように生きろ? 人の人生を滅茶苦茶にしやがって、綺麗ごと言うんじゃねぇぇ!!!!」
絶叫。周囲の音、空気、時間さえも一瞬止まったのではないだろうかと錯覚するほどの支配力に、主の危機感は急速に高まる。誠也の視線の定まらない瞳と何かに耐え忍ぶ姿を前に、次の一手へ動く。
「の、喉が渇いただろう、何か持って来よう」
主は、廊下に出た。待機をしていた、側近から刀を受け取った。鬼を斬るための刀だ。
「あれは鬼だ。長い夜が始まるぞ。それと、門衛を捕らえろ。裏切りか、あるいは血鬼術を使われた可能性がある。鬼殺隊本部にも連絡を入れてくれ」
その時、背後で声がした。気配を感じなかった。
「やっぱり、気付いて居たんですね」
誠也だった。
「せっかく、隊服を着て来たのに。認めてくれないんですか。ほら、美しい刀でしょう?」
腰の鞘から刀を抜くと、軽く振って見せた。しかし、その刀は折れていた。
「止めてくれ。子に刀は向けたくない」
「元柱とは思えない発言ですね。今さら、父親ぶったところで、何も変わりませんよ。今宵、僕が次期当主だと認めて貰いますから」
4
息苦しさを感じ、玲士は目覚めた。兄の誠也だった。そこに、感動の再会はなく、玲士の腹に馬乗りになり、無言で、首を絞め続ける。
「や、め・・・・・・て・・・・・・」
必死に抵抗を試みるが、首を絞める腕はビクともしなかった。これが、三個の年の違いなのだろうか。いや、それだけではない。それ以上に人間離れした何かを玲士は感じた。
「兄ちゃ、ん・・・・・・」
絞り出した声に、獣の様な眼光に迷いの色が走る。
「お前さえ・・・・・・居なければ・・・・・・」
顔を歪ませ、誠也は腕を震わせるが力は緩まない。もう駄目だ。死を覚悟し、瞼を閉じた瞬間、玲士の頬に水滴が落ちた。
直後、誠也が悲鳴を挙げた。同時に苦しさから解放され、勢いよくむせ込んだ。必死に酸素を肺に取り入れる。
「大丈夫か!?」
二人の間を割るようにして、立つのは主。玲士を自身の背に隠し、血の付いた刀は誠也に向け構える。
「アイツは、鬼だ。生き残ることだけを考えろ!!」
(────鬼?)
それは、玲士が小さい頃から、言い聞かせられて来た言葉だった。教えを受けて来たとは言え、十三の年になったばかり、実戦経験もなければ、鬼を見るのもこれが初めてだ。到底、今の状況を受け入れるだけの心身は持ち合わせていない。
頬に感じた、ぬめっとした感触に無意識のまま手の甲を伸ばす。拭った甲に残るのは血の跡。兄、誠也の血だ。玲士は、本物にしか見えない血から目が離せなかった。
「何で・・・・・・」
「玲士!! 前を見ろ!!」
主の言葉で現実に引き戻された。顔を上げると両者は対峙していた。誠也には先ほどの獰猛さはなく、顔を下に向け、何やらブツブツと口を動かしている。
「どうした誠也!! まだやるか!?」
主の挑発に、誠也は、ハッと顔を上げた。そして、何かに怯えるように、襖を破り、部屋を飛び出した。その背中には、鬼殺隊の隊服の象徴とも言える滅の文字が真一文字に破られていた。
心臓の鼓動が自身の内側から、未だに耳へと響く中、少しずつではあるが玲士は冷静さを取り戻して行く。
「と、父さん・・・・・・」
か細い声が主に投げ掛けられた。二人の親子関係は良好と言えるものではなく、玲士は誠也の家出をきっかけに主を避けるようになった。言葉を交わすのはいつ振りだろうか。
「全て、私の責任だ」
主は、玲士の頭に手を乗せた。
「すまない。父親らしいことを何もしてやれなくって。毎日、辛かっただろう。鬼の存在は無くなりはしないが、これから時代は、目まぐるしく様変りするだろう。好きなように生きろ。私の後を追う必要はない」
優しさ、悲しみ、様々な感情が入り交じった表情だった。
「前に話したことがあっただろう。父さんが小さい頃に、父さんの父さんと母さんは戦争で死んじゃったって」
「・・・・・・うん」
「本当は暴力や人の血を見るのは嫌いなんだ。でも、玲士や兄ちゃんと違って、学校にちゃんと通ってなかったし、親戚も居ないし、毎日を生きることに必死でな。父さんは、周りと比べて背もあって、力も強かったから、お金を稼ぐために鬼狩りになったんだ。だから本当は、いつ死ぬか分からない戦場に玲士と誠也を送り出したくない。鬼狩りなんかになって欲しくないんだ」
「何を言っているのか、よく分からないよ・・・・・・」
「厳しくされて辛かっただろう。お前の人生はお前のものだ。これからは、自分で自分の道を決めるんだ。良いな」
玲士は、主の言葉を理解し切れずに放心していると、壊された襖から、主の側近が飛び込んで来た。
彼は、鬼殺隊の元隊士。左目は眼帯で覆われている。現役時代、鬼との戦いで視力を失い引退、以降は主の側近として働いていた。
「旦那様!! 誠也様は、屋敷外。南東方面に逃げたとの情報あり!! 門衛は、庭で気を失っているところを発見しました!!」
「そうか・・・・・・」
ひと息付いた主は、目付きが変り、荒げた声を上げた。
「屋敷内の警備を強化!! 被害者を出す前に我々で仕留めるぞ!!」
その言葉に無意識の内に玲士は、主の羽織を掴んでいた。今、動かなければ、後悔すると思ったからだ。
「ねぇ、父さん」
「お前は、駄目だ。屋敷内で待機。これは、当主命令だ」
「・・・・・・はい」
自然と涙が頬を伝った。
「泣くな。待機も立派な仕事だ。屋敷の皆を頼むぞ」
真っ直ぐ見つめる主の曇りなき瞳に、玲士は肯定せざる得なかった。信じて待て──そう言うことだろう。意を決し、背筋を伸ばし、頭を下げた。
「武運長久を祈っております」
「ああ。では、行って来る」
穏やかな微笑みを残した主。鬼と言えど、実の息子を手に掛けることを決めた覚悟の現れなのか、あるいは、隠し通して来た思いの丈を玲士に告げることが出来た充足感なのか。実のところ、本人にも分からなかった。
そして、玲士は子供ながらに、あの人はもう帰って来ない。もう会えないことを悟った。
東衛玲士
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の次男。刀を取り鬼殺の剣士となる弟の方。兄の家出は父のせいであると決め付け、鬼狩りになる鍛錬を放棄していたが、母の自殺を境に、人目を忍び我流で鍛錬を再開した。だが、父にはバレていた。
東衛誠也
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の長男。刀の才がないことに絶望し、鬼となった兄の方。長男故に、家の再興と鬼狩りにならなければならない使命感、罪なき命を守りたいと言う正義感が、鬼の手に落ちる引き金となった。