1
蟲柱・胡蝶しのぶは、鬼の頸が斬れない剣士である。
何故、身長が伸びなかったのか、何故、こんなにも手足が小さいのかと、柱になった今も自問自答を繰り返す。
自室の鏡を眺めながら、しのぶは溜め息を一つ。隊服へ着替えるために、寝間着の浴衣を肩から落とすと、小作りな体躯と不釣り合いに育った胸元が露になった。慣れた手付きで、胸を抑え付けるようにして包帯を巻いて行く。
姉のカナエは、華奢ではあったが、上背があり鬼の頸を斬ることが出来た。しかし、しのぶにはそれが出来ない。
故に、しのぶが柱に就任した時の声は様々だった。花柱の妹だからだとか、現役の柱と寝て口利きをして貰っただとか、心無い言葉が囁かれた。ただでさえ、女性には風当たりの強い男性社会、人の妬みや嫉妬は恐ろしいものだった。
無論、何一つそんな事実はないし、しのぶを柱へと押し上げたものこそが、唯一無二の武器《毒》である。腕力のないしのぶは、薬剤関係の仕事をしていた亡き両親からの教えと努力により、鬼を殺すことが出来る毒の開発に成功したのだ。
「・・・・・・ふぅ」
深呼吸をして、気持ちを調える。鏡に映った血色の悪い顔を隠すため、肌には粉を叩き、唇には紅を差す。隊服の上には、姉の形見である蝶の羽を模した羽織を、鎖骨に被る長さの髪は後ろで纏め上げ、蝶の髪飾りで留めた。
「う・・・・・・」
しのぶは、胃が逆流するような気持ちの悪さに、口を手で抑えると、部屋を飛び出した。駆け込んだのは、手洗い場。昨晩の食事を全て吐き出した。
肩を上下させ、また失敗だと、瞼を固く閉じる。対鬼ならば単純に毒素が強いものを作れば良いが、
口元を拭い、しのぶは自室へと戻ろうした時だった。
「しのぶ様、大丈夫ですか?」
心配の声を掛けたのは、神崎アオイ。蝶屋敷の家事全般を担い、医療面においては、しのぶの右腕を務める少女だ。最近、しのぶの体調が良くないことをアオイは知っていた。
しのぶは、目尻を下げ、口角を上げると、笑顔で振り向く。
「ええ、大丈夫ですよ。徹夜が続いたせいだと思います」
「そうですか。朝食、ご用意してありますので」
少しホッとした表情をアオイは浮かべると、頭を下げ、足早に去った。アオイの背中が見えなくなった途端、自分への嫌悪の感情が、しのぶの頭の中を塗り潰して行く。
「最低ですね・・・・・・」
己の気持ちに蓋をすると、食堂へと足を向けた。
しのぶは、蟲柱・胡蝶しのぶとして、今日も生きる。
2
「如何でしょうか?」
包丁を持ち主の年配女性へと返す。女性は、ジッと品定めをするように包丁を見つめるが、直ぐに表情を崩し、白い歯を見せた。
「ありがとよ。お兄さん」
女性から小銭を受け取り、ひと仕事が終わった。玲士は、地面から立ち上がると、両手を腰に当て、グッと背筋を伸ばした。座り仕事で縮まっていた筋肉を解して行く。
玲士は、刃物を研ぐことを生活費の足しにしていた。生きて行くには、最低限の生活があるもので、例えば、衣食住。鬼殺隊の時に多少の蓄えをしていても、金は使えば減るものである。そこで、金を稼ぐ方法を考えた時に、
鬼殺隊を離れて以降、上弦の弐の手掛かりを探し、町と言う町を玲士は渡り歩いて来た。聞き込みでは、入信した家族、知人が家に帰って来ないと言う複数の証言を得ることが出来た。これまでの調査を踏まえると、外部と関わりの少ない村を狙っていることは明白だったが、情報と呼ぶには乏しいものだった。
場所を移動し、玲士は、住人が生活水として使う川辺に居た。
「駄目かな・・・・・・」
手に持つ竹竿の先に紐が結ばれ、川に垂らしていた。少し時間は早いが、夕食にすべく魚を待っていた。
遠くから砂利の上を駆ける足音が聞こえたと思えば、段々と近付いて来る。振り向くと、少年が玲士に飛び付いた。
「兄ちゃん!! 釣れた?」
玲士を見上げるのは、町に住む少年で、年は、八つだと言っていた。この町に滞在し、ここ数日、少年から魚の捕り方を教わっている。
「いや、全く」
頭を振り、お手上げ状態だと伝えた。
「良い年して、駄目だなぁ」
無邪気な笑顔で、ニコニコと笑う。
「面目ない・・・・・・」
「あっ、引いてるよ!! 僕が捕る!!」
少年は、濡れることなどお構いなしに、川へと入って行った。一方、玲士は少年の言葉を思い出しながら、魚が逃げないよう慎重に、ゆっくりと竹竿を川辺に引いて行く。
やがて、バシャンっと水を叩くような音の後に、少年が両手で魚を掴み上げて見せた。三十センチ近くありそうなイワナだった。
「流石だな、ありがとう」
玲士は、少年に向って声を掛ける。少年は、魚を抱え直し、忍び足で一歩ずつ進んで行く。ところが、岸へと上がる手前で、派手な水しぶきを飛ばし、転んでしまった。
「おい、大丈夫か!?」
足元は、大小様々な大きさの石が混じった砂利で、よく見て歩かなければ、大人でも転ぶ可能性は充分あるだろう。
「ごめん。逃げられちゃった」
尻餅を着き、申し訳なさそうな顔をした。
「また、釣れば良いよ。どっちにしろ、俺一人じゃ駄目だし。怪我は?」
「痛っ・・・・・・」
立ち上がろうとした少年の足首が赤く腫れていた。骨折かもしれない。
「病院に行こう」
玲士は、背を向け屈み、背中に乗るよう促す。
「駄目だよ。うち貧乏だから」
「俺がどうにかする」
少年を言いくるめ、背に乗せると、町の中心部へと向かう。
「・・・・・・珠世先生」
それは、小さな声だった。
「ん?」
「珠世先生なら、助けてくれると思う」
話を聞くと、少年は、前にも怪我をしたことがあった。その時、助けてくれたのが、珠世と言う名の女医だと言う。治療費はいらないと言われたが、少年は恩返しがしたくて、取った魚を珠世に届けたことがあったそうだ。
少年の案内に従って、町外れの診療所へと方向転換をする。集落から離れ森に入ると、草木が生い茂り、大きな葉が重なり合うことで、頭上には陽を遮るカーテンが出来ていた。
「ここに、先生が居る」
森に入り数分、少年は突然、森の先を指差した。家屋はおろか、人の姿すらないではないか、玲士はそう思ったが──目の前の霧が晴れて行くような感覚だった。確かにそこには、洋風の診療所があった。
(──何だ、ここは)
空気の流れが変わった。直感で説明をしてしまえば、
恐る恐る扉を叩いた。
「すいません、怪我人を見て頂きたいのですが」
しばらく待つと、扉が半分ほど開く、何処か憂いを秘めた着物の女性が顔を覗かせる。診療所の医師を務める珠世だった。珠世は、玲士の背に乗った少年を一瞥すると、口を開いた。
「どうぞ、中へ」
「あ・・・・・・はい」
珠世に促され、中へと上がる。
(この人──鬼だ)
玲士の体からは、汗が吹き出した。のこのこと敵の陣地に足を踏み入れてしまったのだ。しかし、刀を抜くには、少年を背から降ろさなければならないが、間違いなく、気付かれる。そして何より、少年を守り抜かなければならない。
診察室へと招かれた。少年をベッドに降ろし、玲士は、刀に手を掛ける。珠世は、初めから分かっていたのだろうか、厳しい視線で玲士を見たのだ。子供の前で手荒な真似はしたくない、そう威嚇しているように、何故か玲士には思えた。
「ありがとう!! 珠世先生!!」
少年の明るさを取り戻した声が、玲士を現実に戻した。少年の足には、当て木と包帯が施されており、治療が終わっていた。ふと、珠世と視線が合った。
「怪我は捻挫でした。二週間は安静にして下さい」
玲士は小さな声で、「ありがとうございます」と答え、少年を背中に乗せた。診療所の玄関口で、玲士はズボンのポケットに手を突っ込むと、小さな箱を珠世に差し出した。
「貸し借りは嫌いなんで」
一瞬、珠世は驚いた顔をするも箱を受け取り中を開く。金の指輪だった。治療費の代わりとして、玲士は渡したのだ。
ところが、何処からともなく、猛々しい足音共に玲士の腹部に、強烈な足蹴りが放たれた。
「ぐ──」
「癒史郎なんてことをするんですか!?」
外見だけで判断するならば、年は自分より下だろう──癒史郎と呼ばれた鬼は、凄い形相で玲士を睨んだ。
「珠世様に一体どう言うつもりだ!! 子供を助けた、貴様を見逃してやろうと言う珠世様の寛大なお心を踏みにじるような、真似をして!!」
玲士は腹部を抑えつつ、少年には、大丈夫かと心配される。
「俺は、ただ治療費に当てて貰おうと」
「珠世様の好意に付け込んで、思い上がるなよ、鬼狩り!! 俺は、珠世様の考えに従うが、本当はこの場で──」
「癒史郎!!」
珠世の静止する声が響く。
「はい、珠世様!!」
癒史郎の変り身の早さに溜め息を付きつつ、真面目な顔になると、珠世は、持っていた箱を玲士へと返した。
「こんな高価なものは受け取れません。私を信じて下さった、貴方のそのお心が対価となります」
「・・・・・・分かりました」
箱をズボンのポケットに押し込むと、玲士は軽く頭を下げた。
「ありがとうございました。お元気で」
診療所を後にし、玲士は少年を家まで送り届けたのだった。
3
ゴウゴウと炎を上げる鍛冶場には、滝のように汗を流す
段々と刀の姿に近付いて行き、あるタイミングで、水の入った桶に突っ込んだ。
「よし」
火傷防止のためにしていた、ひょっとこの面を外し、出来立ての刀を余すことなく見つめる。この刀鍛冶の里の刀鍛冶は、四六時中近く、ただの仕事道具であるばすの面を顔に付けているが、周は、基本的には刀を叩く時にしか付けない。何故かと聞かれれば、人と同じは嫌だからだ。
鍛冶場の戸が叩かれた。続いて、外からの声だ。
「西越様。定例報告です。対象は、未だ見つからず。捜索範囲を広げ、継続します」
「そうか、ご苦労さん!!」
対面することなく、声を張り上げ返事をする。すると、間を置かず、ガラッと戸が開かれた。
「まだ、何か──」
現れたのは、炎柱・煉獄杏寿郎だった。
「どうも俺には、周が真剣に探しているとは思えんのだがな」
杏寿郎の言葉に、周は眉間に皺を寄せた。
「勝手に入って来んなよ。てか、盗み聞きすんな。あと、何で居んだよ」
「ここは、甘露路の担当地区だからな」
「元継子の様子を見に来たってか?」
各柱に振り当てられた担当地区。恋柱・甘露路蜜璃は、刀鍛冶の里を含むその地域一体を受け持っており、また、杏寿郎の元継子だった。
「悪いか?」
「好きにしろ」
作った刀を鞘へ収めると、周は片付けを始める。
「玲士のことだ、そのうち帰って来るだろう」
「知らねえよ」
興味なさそうに答え、逃げるように鍛冶場を出た。杏寿郎は後を追う。
「今夜、飲みに行こう。甘露路にも声を掛ける」
周は足を止めると、呆れ顔で振り向いた。
「大食い大会の間違いじゃないのか?」
「つまり、行くと言うことだな」
「お前の奢りならな」
ぶっきらぼうに言い放つと、周は再び背を向けた。
4
縁側で茶を啜るのは、次期柱と名高い
流れる雲を眺めながら、宇髄が思い出したように口を開いた。
「最近、朝地の舎弟見ねぇな。生きてんのか?」
「舎弟って、誰のことだよ」
宇髄の妻から差し出された、団子を頬張りながら、首を傾げる。
「東衛、だっけ? よく任務で一緒だったろ」
「ああ、玲士なら元気にやってるよ」
「あ、そう」
鬼殺隊は、明日の保証がない仕事だ。ついこの前、当たり前に言葉を交わしていたはずの相手が、ある日、亡骸となって帰って来る。いや、体が戻って来るだけマシなのかもしれない。常時、何百人の隊士を抱える鬼殺隊であるが、実態は、多くの隊士の死と新人の入隊との入れ替わりによって、その数が維持されている。
「でも、珍しいな。後輩の心配なんて」
「派手に抜き出た才能みたいものは感じなかったが、妙な落ち着きがあったな。経験の積み方しだいでは、派手に化けるかもしれねぇぜ」
その言葉に、朝地は眉を垂れ下げた。
「そうか。宇髄がそこまで言うなら、俺は心置きなく鬼殺隊を辞められる」
「は──予定より早いじゃねぇか!?」
宇髄は声を荒げる。腹を割った仲だ。借金返済の目処が立ち、年内に辞めるかもしれないとは朝地から確かに聞いてはいた。
「うん。嫁さんに子供が出来た。近いうちに、辞めるよ」
「馬鹿っ!! 先にそれを言えって、派手にめでたいこと隠してんじゃねぇよ!!」
「無理言うなよ。俺もついこの前、知ったんだ」
朝地の言葉に、宇髄は大人しくなる。
「悪い、興奮した」
二人が知り合って、しばらく経った頃の話だ。宇髄は、朝地から妻の家の借金返済のために鬼殺隊を志願したことを告げられた。そのことで前々から一部の隊士から疎まれていたのは知っていたが、宇髄に言わせれば、結果を残す実力があれば、志願理由など関係なかった。
「いや。喜んでくれて嬉しいよ」
「派手に祝ってやるから、覚悟しとけ」
宇髄が拳を作り朝地に向けた。
「楽しみにしてる」
朝地も同じように拳を作ると、宇髄の拳に軽くぶつけた。
東衛玲士
鬼に対し、怒りや憎しみの感情は、ほぼない。かと言って、鬼と和平を結ぼうと考えているわけでもない。人であれ鬼であれ彼が見るのは、あくまで個。鬼が悪いのではなく、人を喰う鬼が悪い。人を傷付ける人が悪いとの考え。
西越周
玲士の担当刀鍛冶であり、目付け役。実際は、鎹鴉からの報告内容を纏め、東衛と西越に定期報告しているだけ。己と玲士を守るため、玲士の除隊は報告せず、知り得る者の口止めをし、隠しているが、限界を感じ始めている。
朝地光明
親友は、音柱の宇髄天元。立場的には宇髄が上官だが、鬼殺隊の隊歴は朝地の方が長い。初対面で『全く忍んでいないが、本当に忍だったのか』と質問をぶつけた猛者であり、二人が打ち解けるきっかけになったとかならないとか。