ある鬼狩りの葛藤   作:clearflag

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蝶屋敷編
第11話 下弦の陸


1

(しくじった)

 

 東衛玲士(とうえいれいし)は、とっさに、自分の体の何倍もの大きさを持つ大木を背に身を隠した。動かし続けた足は鉛のように重く、息を吸って吐く度に肩が上下する。ここで死ぬかもしれない、頭の片隅で、そんなこと考えながら、夜空を見上げた。

 白く煌々と光る月。木々の葉と枝の間をすり抜け、地面を淡く照らし出す。呼吸を整え、周囲に注意を向けると、鳴り止まない雑音が夜間活動中の鳥と虫の大合唱だと初めて気付く。

 

「いい加減に諦めろよ」

 

 そう薄ら笑いを浮かべるのは、左の瞳に下陸と刻まれた鬼。体格は小柄だが、影を操る血鬼術が厄介だった。分身である影の鬼の頸は、いくら落としたところで何の意味もなく、煙のように直ぐに元の姿へと戻ってしまう。しかし、影をどうにかしなければ、本体への攻撃は難しい。

 玲士は、視線を落とした先、左手の刀を強く握り締めた。刀身は、二尺五寸。錆納戸の刃を持つ苦楽を共にして来た相棒だ。腹部を押さえる右手の指の間からは、血が滲み出る。状況は最悪だった。直ぐに攻撃へ移れるよう、止血に充分な比重を取ることが出来ない。

 対する鬼は勝利を急がず、時間を掛け、確実に相手を追い詰めて行く性格らしい。

 

(大丈夫。勝機は、まだある)

 

 しかし、一つ問題があった。玲士の足元には、先程から頭を抱え震える、男が居た。その小さくなった背中には、大きく滅と文字の刺繍が施されている。そう、鬼殺隊の隊服だった。

 この男は、鬼狩りだと言うに、腰が抜け、逃げることさえ出来ないで居るのだ。同じ非協力的でも、鬼を斬る意思のあった上野の隊士の方が何百倍もずっとマシである。誰かを守り戦うのは簡単ではない。

 

「死ぬ、俺は死ぬんだ・・・・・・」

 

 男は、出会ってから、ずっとこの調子だった。二人で戦えたら、状況は違かったろうに──玲士は下唇を噛んだ。

 元を辿れば、近くの村で、山菜採りに行った人が帰って来ないと話を聞き、この山に入ったのだ。そして、この男と遭遇し、現在に至る。鬼殺隊とは、極力接触を避けたいところだが、優先すべきは目の前にある命だ。

 

「勝機は、まだあります」

 

 直後、男は、玲士を強く睨み付けた。目に涙を一杯に溜め、こんな時に、何を言っているんだと言わんばかりに訴える。

 

「アイツの目を見たか!? 十二鬼月だぞ!! 俺もアンタも殺されるんだ」

 

 十二鬼月は、鬼の原種・鬼舞辻無惨、直系の最強の鬼である。しかし、玲士に言わせれば、上弦の弐(・・・・)と比べれば大したことはない。名の通り、十二鬼月は十二体存在し、上弦と下弦の半分に分けられる。そして、対峙している鬼は下弦の陸で、奴らの中で最弱(・・)なのだ。

 

「俺に考えがあります。どうせ死ぬなら、やりきりましょう。力を貸して下さい」

 

 痛みに堪え、体を屈めて男の目を真っ直ぐ見た。連携は、互いの信頼が何よりも大切だ。まずは、この男の気持ちを戦いに向けなければならない。

 

「ど、どうすれば良い?」

「鬼の気を引いて、時間を稼いで下さい」

「でも、またあの影が・・・・・・」

 

 男の言う通り、あの影をどうにしかしなければ、本体の鬼の頸を取ることは出来ないだろう。それも、影は影だけに、暗がりに入られてしまうと、姿、位置関係が分からなくなるのだ。影に気を取られ過ぎると鬼本体からの攻撃が、逆に鬼本体に気を取られると、影に背後を取られ暗闇に飲み込まれる危険性がある。

 

「鬼は慎重な奴です。話でもしてみて下さい」

「は──何、馬鹿なこと!!」

「意外と多いんですよ、お喋り好き」

 

 玲士の言葉に、男は完全に諦めた顔をする。

 

「貴方の背は取らせません、木を切って行くので避けて下さい」

「わ、分かったよ・・・・・・。やれば良いんだろ!!」

「信じています」

 

 二人は、二手に別れた。玲士は、居場所を悟られないよう、鬼と一定の距離を保ちながら体を低くし、木の選別に入る。

 

「く、ぅあああ!!!!」

 

 男は、叫びながら大木から飛び出した。

 

「手間取らせやがって」

 

 鬼の足元から、人を型どった影が現れる。

 

(────集中)

 

 静かに素早く、気配を消すように、男と影の位置を目視で確認しながら、次々、木に刀を振り下して行く。

 影は不滅ではない──影自身の攻撃時は、実体を持って繰り出されるのだから。

 影が男の背後に回るのを予測し、木を倒して行く。予想通り、影は、木が倒れたのに反応し、煙と化しては回避をした。男も避けながら、必死に剣を振るう。周囲には、木が倒れる度に土ぼこりが舞い、足場も視野も悪くなる。

 

(反応が遅れた、やっぱ視覚か)

 

 恐らく、鬼自身の視覚情報が影に反映されるのだろう。相手の居場所を把握するのが遅れれば、影の動きは遅くなる。

 影を動かすのに必死で、鬼は注意散漫になって居た。そして、ほこりが晴れ、木が倒されて見晴らしの良くなった場は、鬼、影、男の位置を容易に把握が出来た。玲士は、鬼に目掛けて、突撃をする。一気に間合いを詰め、残り数歩で手を伸ばせば届く程の距離となった。玲士に気付いた、鬼の目が大きく見開かれた。

 左手の刀を右斜め後ろに振り上げた。直後、背後に気配を感じ、咄嗟に地面を蹴り上け体を捻る。飛びかかって来た影の頸を斬り落としたが、鬼に対しては背を見せる格好だ。

 

(青の呼吸、弐の型)

 

 玲士の頸に手刀が襲う。

 

雷光(らいこう)!!」

 

 賭けだった。己の直感を信じ、振り向きざまに刀を真一文字に抜く。

 

「──なっ」

 

 先に届いたのは、玲士の刃だった。刃が振り抜かれた鬼の体は、頭と胴体に切断される。次第に灰へと姿を変え、風に流され散り散りとなる。玲士の首の切り傷から、一筋の血が涙のように伝った。相討ち寸前だった、鬼の指を掠めて出来たものだ。鬼の腕があと少し長ければ、あるいは、玲士の腕が少し短ければ、勝者は入れ替わっていたのかもしれない。  

 

「勝った・・・・・・」

 

 緊張の糸が切れて、玲士は足元から崩れ倒れた。一度力の抜けた体は自分の体じゃないみたいに重く、起き上がることが出来なかった。次第に意識が遠のく。目は霞み、耳鳴りが酷くなる。僅かに残る意識は長くは続かなった。

 

 

2

 叫びに近い男の声と振動で、玲士の目は覚めた。

 

「もうすぐで助かるからな!!」

 

 瞼を開くと、あの隊士におぶられていた。

 

(そうか、無事だったか)

 

 夜は明け、低い位置から陽が差す。太陽の眩しさに目を細め、再び今日と言う日を迎えられたことに、玲士は、言葉に出来ない安堵を感じた。

 

「良かった」

 

 掠れた喉から絞り出された言葉。玲士は瞼を閉じた。

 

「お、起きたのか!? ちょ、待て、寝るな、起きろ!! 起きろって!!」

 

 直ぐ近くにあった声は、だんだん遠くになり、再び意識を手放した。

 

 

3

 ツンと鼻孔をくすぐる消毒の香り。玲士の視界へ初めに入ったのは木の天井だった。横たわる体に伝わるのは、少し固めの布の感触。ベッドの上だった。

 

(ここは、何処だ)

 

 首を振り視線を彷徨わせると、左右と足元向かい側には、白いシーツを纏ったベッドが並べられているのが確認出来た。真っ先に思い付くのは、病院。だが、まずは自分の状況確認が最優先だ。傷んだ体を無理やり起こし、左腕に繋がれた、一本の細い点滴の管を引き抜く。

 

 (──刀は?)

 

 いつ何時も手の届く範囲に置いていた、愛刀が見当たらなかった。一瞬で、不安と焦りに頭が支配される。

 左手でズキズキ痛む腹部を押え、壁に持たれ掛かる様にし、広い屋敷の中を探す。手当たり次第に、木の引戸を開けるが、見つからなかった。

 

「そこの貴方!! 何しているんですか!?」

 

 玲士は、下ばかり見ていた顔を上げると、一人の少女が立っていた。手を腰に当て、眉間にシワを寄せている。彼女は、怒っていた。

 

「病室に戻りますよ」

 

 歩み寄る少女に、反射的に後退った。白い看護服の下に、鬼殺隊の隊服(・・・・・・)を着ていたのが目に入ったのだ。

 

「もう、大丈夫です」

「その体で無茶なことを言わないで下さい」

 

 伸びた少女の手を反射的に叩く。

 

「刀、刀を返して下さい」

「その体では、お返し出来ません。二度と刀を持てなくなっても良いんですか? 怪我が治れば、お返ししますので、大人しくして下さい」

 

 険しい表情は緩むどころか、険しさを増している。手の掛かる患者に慣れているのだろう、少女は決して引くことはなく、厳しい視線を玲士に浴びせ続ける。

 

「──何か問題でもありましたか?」

 

 背後から、新しい女の声。逃げ場を封じられたと思うと、玲士の汗は止まらなかった。

 

「し、しのぶ様。この者が病室を抜け出して、勝手に動き回るもので」

 

 少女の態度が急に大人しくなる。つまり、相手が上の立場の人間と言うことだ。まだ交渉の余地は残されている、玲士は思った。

 

「なるほど、なるほど。それは、困りましたね。アオイが手を焼くとは」

 

 頭を捻じり、しのぶと呼ばれた女の顔を盗み見る。息を飲むほどの綺麗な顔立ちだった──そして、想像よりずっと若い。

 しのぶは、口では困ったと言うものの慌てた様子はなく、むしろ落ち着きのあるものだった。

 

(ずいぶんと余裕じゃないか)

 

 玲士は、しのぶに体を向き直し、口を開く。

 

「助けて頂いたことには感謝します。ですが、刀は返して下さい」

「それは、ちょっと難しいですね。自覚がないようですが、貴方は重症です。刀を返して、今度は病室ではなく、蝶屋敷から出て行かれては、もっと困りますし」

 

 微笑みを崩すことなく、しのぶは淡々と話す。

 

「・・・・・・蝶屋敷?」

「はい。ここは、私、蟲柱の胡蝶しのぶが管理する蝶屋敷です。怪我をした隊士の治療のために開放していたりもするんです。御存知ありませんでしたか?」

 

 声も表情も怒っていた少女──アオイの影響か、しのぶの絶えることのない笑みに、少し気味の悪さを覚えた。このままでは、相手の思い通りである。

 刀はない。怪我で、まともに動けない。相手は柱とその部下。どうすれば、この状況から抜け出せるだろうか。思考が雁字搦めになって行く。玲士の口から出た言葉は、その場しのぎにもならない言い訳じみたものだった。

 

「俺は・・・・・・鬼殺隊じゃない」

「どう言う意味でしょうか? 隊服を着ていなかったのは気になるところですが、日輪刀を持ち隊士ではないと? この場を去るための言い訳にしては、嘘が下手過ぎですよ」

 

 しのぶの声が遠くから聞こえる。心なしか、息も上がる。玲士の視界は、ぐにゃりと歪んだ。目眩に耐え切れず、床に膝を落とした。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 駆け寄った、しのぶの少し焦った表情に、玲士は何故かホッとした。

 

 

4

 この日、しのぶは鬼殺隊当主・産屋敷耀哉の屋敷の元を訪れていた。理由は言うまでもなく、『自分は、鬼殺隊ではないと言う少年』についてだ。初めは、蝶屋敷から逃げるための咄嗟に出た嘘である、そう考えていたが、不可解な点があることから、しのぶは耀哉へ報告をしていた。

 

「報告によると、日輪刀を持ち、呼吸を使い、だが、自身は鬼殺隊ではないと言う少年だったね」

「はい。屋敷を抜けるための世迷言だとは思いますが、隊服を着ておらず、鎹鴉を連れていなかったのが気になる点です。現場に居合わせた隊士は、後から来た応援だと証言していますが、下弦の陸を倒す実力を持つ者となれば、限られます」

 

 柱になる条件の一つでもある《十二鬼月》を倒すこと。それだけの実力を持つ者となれば、それ相応の階級と隊歴であろうことは想像が出来た。しかし、しのぶは少年の顔に心当たりはなかった。蝶屋敷のカルテも確認したが、特定までには至っていない。

 

「少年の特徴は?」

「年齢は、恐らく十代半ばから後半の間。身長は、百七十センチ前後で、黒目黒髪。持っていた刀は、深い緑がかった青で、納戸色に近いです。後ですが──その刀を叩いたのは恐らく西越周(にしごえしゅう)さんかと」

 

 その名に、耀哉は僅かに口角を上げた。しのぶは、それを見逃さなかった。この人は、何かを知っている、そう感じ取った。

 姉・胡蝶カナエの担当だった刀鍛冶(西越周)は、自分の叩いた刀の刃元に特徴のある印を残す癖があった。その印が、あの少年の持つ刀にもあったのだ。 

 

「そうか。彼のことは私の方で調べよう」

「彼は、元隊士と言うことはありますか?」

 

 しのぶは間髪入れずに問う。過酷な鬼殺隊の環境に耐えられず、肉体的理由、心身の理由などで、辞める者は多い。中には、家の借金返済のため、半ば強制的に入隊させられた者が失踪し、刀と隊服を持ち逃げする場合がある。たいていは、質屋に売り払われてしまうが、元の生活に馴染めず、反社会的勢力の用心棒まがいをすることで、生計を立てている者もいると聞く。そう言った輩には、引退した隊士を派遣し、隊服と刀の回収に当たっているそうだが、詳しいことは、しのぶは知らない。

 

「その可能性も考えて、調べるよ。しのぶは、治療を頼むね」

「御意」

 

 頭を深々と下げる。柱と言っても、鬼殺隊の全容を知っているわけではない。特に資金繰り、運営に関しては、産屋敷家と名のある鬼狩りの家々で、決めているそうだ。

 鬼殺隊の創世記から続く刀鍛冶の家、西越が叩いた刀と身元不明の隊士──しのぶは、ただ何事も起きないことを願った。




東衛玲士
武器は、ずば抜けた洞察力。格上の鬼だろうと、戦術で対等な戦いに持ち込む、実戦で実力を発揮するタイプ。単独行動を好む一方、連携を取ることを得意とし、裏で作戦を立案する参謀向き。今までの戦いを記録しているとか。

胡蝶しのぶ
玲士の治療に当たる。蝶屋敷に担ぎ込まれ数日は、危険な状況で付きっきりで看病をした。にも関わらず、目覚めた玲士は勝手に病室を抜け出してしまう。問題児の扱いには慣れているしのぶだが、この行動には強い憤りを感じた。

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