1
物心が付いた頃には、兄の後ろを付いて回っては、よく真似をした。──鬼狩りは、その内の一つだった。
秋、深まる──日中は涼しく過しやすい気候であるが、朝晩は肌寒く、季節は冬へと刻々と移り行く。
学校から帰宅した玲士が向かったのは、
町の東向きに位置する屋敷は、広大な敷地と厳重な警備体制を持ち、周囲からは、
「肩が上がり過ぎた」
父の言葉に従い、玲士は手に持つ竹刀を構えた状態で肩の力を抜く。チラりと厳しい目付きの父の様子を確認する。
父の
「よし、腕を少し引け」
「はい!!」
玲士は稽古を初めて、まだ日は浅い。叩き込むように、構え、竹刀を振り上げ、振り下ろす、一連の動作の繰り返しだった。いつになったら、真剣を持たせてくれるのだろうか──面と向かって言えば、『良い加減にしろ』と叱られるだろう。下手をしたら、竹刀が飛んで来るかもしれない。
「いーち」
父の掛け声と共に竹刀を振り上げ、正面に振り下ろす。体の軸がズレないよう、竹刀の軌道がブレないよう、神経を集中させた。何回も何回も繰り返す。息が上がり始めた頃、父が右手を上げた。
「そこまで。今の感覚を忘れないように」
「ありがとうございました」
一礼し、今日の稽古が終わった。
「誠也を呼んで来なさい」
玲士は、兄を呼ぶため、竹刀を片手に道場を飛び出した。玄関へ向かう途中、竹刀を軽く握ってみる。右手が上、左手が下、普段とは逆の握りだ。直後、後頭部を硬い何かで叩かれた。ジーンと、鈍い痛みが広がる。
「いっ、たぁ」
振り返ると、竹刀を持った父が立っていた。
「良い加減にしろ。体に覚えさせるものは、とにかく最初が肝心だ。勝手な真似をするな」
「ごめんなさい・・・・・・」
────玲士は、左利きである。
剣術に限らず、礼儀作法など、右利きを基準に考えられた仕来りは多い。しかし、鬼狩りは違う。鬼を斬ることが第一優先であり、常識や伝統の型にはまらない、流動的な対応と考えが常に求められる。そのため、父は玲士の刀の持ち方を直すことはしなかった。使いやすい方で使え、それが教えだった。もっとも、普段の生活は矯正の右利きとして過ごしていた。
「分かったら、早く行け」
「・・・・・・はい」
小走りで、兄の部屋へ向かった。部屋の前で声を掛ける。
「兄ちゃん。父さんが呼んでるよ」
戸が開き、兄が姿を現す。
「ありがとう。ゆっくり休め」
大きな手が玲士の頭に乗る──が、痛みで反射的に頭を避けた。
「悪い、嫌だったか?」
「さっき父さんに竹刀で叩かれたから」
「また、何かしたのか?」
「別に」
口を尖らせる玲士に、兄は微笑みかける。
「兄ちゃんの真似をするのも良いけど、自分の好きなこと、やりたいこと、得意なこと、それを見つけるのも大事だぞ。いくら兄弟でも、兄ちゃんと玲士は違う人間なんだから」
「うん」
兄みたいになりたい──そう言うことは出来なかった。最近の兄は、疲れている。目の下にはうっすらと隈の跡があり、顔は笑っているが元気がない。きっと、自分がわがままを言えば、また余計な心配を掛けることになる。
「じゃあ、父さんの所へ行くから。ちゃんと、勉強もしろよ」
玲士は、兄の背を見送る。十五歳になった兄は、今年、鬼殺隊へ入るための最終選別に行く。重圧が、どれほどのものなのか、この時は想像もつかなかった。
2
────数カ月後。
深夜。廊下から聞こえる、ギシッと床の沈んだ音で玲士は、目覚めた。これで何度目だろうか。しばらく前に初めて聞いてから、自然と起きるようになった。
足音の主は、隣の部屋の兄だ。必ず足音は、行って数時間後には帰って来る。兄は来月、最終選別へ行く。刀を手に、鬼を斬り、生き残らなれけばならない。
少し前、鬼気迫る勢いで刀を振る兄に声を掛けたことがあった。鍛錬の量が度を超えている、そう思ったからだ。でも、兄は笑った。心配ないと、そう優しく微笑むと、いつものように、玲士の頭を撫でた。
(兄ちゃんは、誰よりも強いんだ)
玲士は、布団を頭から被ると固く瞼を閉じた。
翌日。玲士は、道場の窓を少し開け、こっそりと中を覗いていた。視線の先には、父と兄の姿。父は、個別指導しか行わないため、兄がどのような稽古を受けているのかは知らなかった。
「全く・・・・・・経てば・・・・・・ように」
父は腕組みをして、何か言っているが上手く聞き取れない。
「もう一度、お・・・・・・し・・・・・・」
兄は父に頭を何度も下げている。状況がよく分からなかった。
「──玲士様」
肩に人の手が乗り、全身の鳥肌が立ち、心拍数が上昇する。二人に集中し過ぎて、人の接近に気付かなった。恐る恐る、振り返れば、立っていたのは父の側近だった。
「びっくり、した」
「お二人の邪魔をしては行けませんよ。戻りましょう」
側近は、咎めることはなく、柔らかな口調で諭す。玲士は、大人しく諦めると、母屋へと戻ることにした。
「やっぱり、長男って大変なのかな?」
「さぁ、私にはさっぱり検討が付きません」
側近は肩をすくめると、「次男なので」と付け加えた。その言葉に、玲士の歩みが止まった。思い付いたように口を開く。
「俺、
「私みたい、ですか?」
「うん。だって、影次は父さんの側近でしょ? 当主の一番近くに居て、相談をしたり、力になってあげたり。だから、俺も兄ちゃんのことを支えられるようになりたいなって──」
兄の名を叫ぶ、父の怒号が響いた。何ごとかと思えば、道場の戸が乱暴に開けられ、姿を現したのは兄。後方では、顔を真っ赤にさせた父が再び叫ぶ。
「誠也!! 勝手にな真似は許さんぞ!!」
兄は父の言葉を無視すると、側に居た玲士と側近に見向きもせず、母屋へと消えて行った。玲士は考える前に足が動いた。兄の背を追う。
「兄ちゃん」
「付いて来るな」
「兄ちゃん!!」
自室の前で兄は足を止めると、声を震わせた。
「もう止めてくれよ・・・・・・もう、そんな目で見ないでくれ」
非の打ち所のない完璧な兄、弱音を聞いたのは初めてだった。何か言わなければ、そう思い開けた口からは声が出ず、玲士はどんどん突き放されて行く。
「前に言っただろ、俺とお前は違う人間だって。お前には、俺の気持ちは分からないよ」
冷たい瞳は、これ以上は近寄るなと警告をする。玲士は、黙って立ち尽くすことしか出来なかった。
そして翌朝、兄は父の刀と共に姿を消した。
3
誠也の家出から、八ヶ月の月日が経った。玲士は、父の稽古を放棄した。兄のようになりたくて始めた稽古、兄が居ないのなら目指すものなど無かったし、兄を追い込んだ父に従いたくなかった。初めのうちは、両親や周りの人間から様々な言葉をぶつけられたが、諦めたのか今はもう放任されている。
玲士は、自室で読んでいた本を閉じると、深い溜め息と共に天井を仰ぐ。
(自分は、この先どうなるのだろう)
このまま中学を卒業し、高等学校にでも進むのだろうか。本来であれば、卒業を待たず、最終選別を受け鬼殺隊に入隊するのが定めである。
椅子から立ち上がると、玲士は廊下へ出た。両親の寝室と面する縁側へと足を運ぶ。この夜の時間帯になると、両親の会話が漏れ聞こえる。苛立つ父と泣く母の声だ。このままではいけない、頭では分かってはいるが、見てみぬ振りの傍観者で居ることしか出来なかった。
しかし、今夜は違った。縁側には、腰を掛けた母が居た。玲士に気付くと優しく微笑む。
「少しお話ししない?」
「あ、うん」
玲士は呆気に取られた。母は最近、情緒不安定だった。久々に見た笑みに、あろうことに戸惑ってしまった。自身への嫌悪感を胸の奥に抑え込み、母の隣に腰を降ろした。
「お父さんはね、玲士とお兄ちゃんが嫌いで厳しくしていたわけじゃないのよ」
黙って母の言葉に頷く。玲士を諭すように話は続けられた。
「貴方には人を守る力がある」
母は、玲士の頬をそっと撫でると、続けた。
「玲士なら、お兄ちゃんの分もきっと頑張れるから」
真っ直ぐ見つめる瞳に、玲士は視線を反らすことが出来なかった。でも、素直に肯定することは出来ない。
「もし、お兄ちゃんが帰って来たら、玲士は『お帰り』って言ってあげてね。お父さんも、お兄ちゃんも意地っ張りだから。また、あの二人喧嘩しちゃうかもしれないでしょう? 玲士が、二人を助けてあげてね」
優しく、儚げな笑顔だった。──これ以上は、悲しませてはいけない。玲士の中で素直に込み上げた感情だった。母から視線を外し、闇夜の空を見上げる。
「うん。俺、頑張るから」
自信があるとは言えない震えのある声だったが、母は「ありがとう」と、また優しく笑った。
母が自ら命を絶ったのは数日後のことだった。
4
それは、偶然ではなく予感だった。
玲士は、屋敷の大人たちの纏うピリッとした空気が気になっていた。定期的に開かれる、親族会議の前によく見る光景だが、それとは少し違う様子に見えたことが引っ掛かっていた。もっとも、兄の家出、母の自殺、度重なるできごとに屋敷内では重い空気が流れているのもまた事実だった。
そして、予感は的中することとなる。夜遅く、同じ敷地内の別の建屋に住む親族、使用人ら屋敷中の者が招集されたのだ。
大広間に集まった大人たちにバレないよう、玲士は、廊下で聞き耳を立てていた。声が掛かっていないのは、玲士と従兄弟だけのようで、未成年は除外されたようだった。
「突然の招集に集まってくれて感謝する」
父の挨拶で、話が切り出された。
「先日、鬼殺隊本部からある連絡が入った。──東衛誠也に殺人の容疑あり」
その言葉に玲士は、耳を疑った。意味が理解出来なかった。
「調査段階のため、詳細は公表出来ないが、この屋敷付近に現れる可能性は充分にあるだろう。奴は帯刀の可能性があると聞いている。遭遇時は、速やかに報告の上、屋敷内に誘導せよ。質問は一切受け付けない。以上、持ち場に戻ること」
話が終わると、ゾロゾロと人が出て来る。動けなくなった玲士は、誰かに腕を引かれると暗がりに連れて行かれた。
「旦那様に見つかったらどうするんてすか!?」
側近は慌てた様子で口を尖らせた。
「今の話、本当なの?」
「聞いていましたか・・・・・・私は昨日聞かされました。にわかには信じがたいですが、旦那様が家全体への周知を行うと言うことは、ある程度の確証を持った上でのことだとは思います」
「そっか」
「玲士様もくれぐれお気付け下さい」
側近は会釈をし場を離れた。
俯く玲士の脳裏に雪崩込んだのは、兄と母との記憶だった。
──『兄ちゃんと玲士は違う人間なんだから』『もう、そんな目で見ないでくれ』『お前には、俺の気持ちは分からないよ』
兄を追い込んだのは自分のせいなのだろうか。
──『貴方には人を守る力がある』『玲士なら、お兄ちゃんの分もきっと頑張れるから』『ありがとう』
母が自ら命を絶ったのは、自分が言葉を間違えたからだろうか。
「いや・・・・・それだけじゃない」
この時、初めて鬼狩りの家に生まれた意味を理解した。
東衛玲士
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の次男。鬼狩りを志したのは兄の誠也への憧れに起因するもので、家業を継ぐ意識は低かった。故に、兄の家出後は鍛錬を放棄、その後、自殺した母との約束を果たすべく独学による鍛錬を再開する。
東衛誠也
衰退の一途を辿る鬼狩りの家の長男。呼吸の会得が出来ず、剣士は諦めるよう父に諭される。周囲の期待と玲士の羨望の眼差しから、逃げるように家を出たが、実は父の刀を無断で拝借し、最終選別への参加を試みたが・・・・・・。
東衛行平
室町時代から続く鬼狩りの一族、東衛家の当主。婿入りをしている。鬼狩りと関わりのない家の生まれだが、幼い頃に戦争で家族を失い、流れ着いた先が鬼殺隊だった。恵まれた体格と努力により、水柱に登りつめた経歴がある。