樹の脳内では、今まさに彼を攻撃する男を含めた集団を、妄想の力で蹴散らし、自分を馬鹿にした事を後悔させていた。
現実では、彼は蹲り、一人の男が操る従魔の暴威から耐え忍んでいるばかりだ。
想像上では、出来ていた。それは何一つ現実で出来てやしないが。
死にはしない。意識すら削り取らない程度にいたぶられるばかりだ。そう、殺されるというほどでは無かった。樹の心は折れていない。彼のプライドは現状を許しはしなかった。
とはいえ、このまま反撃に打って出ても、返り討ちにあうだけだ。何か一手が欲しかった。
ピクシーのシーちゃんは、今指示を出しても受け付けないだろう。崩れた信頼関係は後々取り戻すなり、樹少年を信じなかった報いとして縁を切るなりするにしても、今出来ることでは無い。それは今をやり過ごした後の事だ。その為に命令を出しても、聞き入れては貰えないだろう。
樹の心は疑心暗鬼に陥っていた。
単純な利己的思考だ。言わずとも伝わる相棒だと過信し、自分の味方と言った言葉を裏切られた傷心が、ピクシーを信用して命令を出すことを躊躇させていた。
かと言って、今まさに手を伸ばしたくなる新たなる力。従魔召喚を行えば、今日までの樹を否定し、更には完全にピクシーとの信頼関係が崩れ去る事を意味するだろう。言語としては思ってなくとも、本能で樹はそれを感じ取っていた。
心の底からピクシーが嫌な訳では無い。それは、相手を好んでいるからこそくる甘えであり、自分だけを信じて欲しいとでも言うような、嫉妬心だった。
逆にピクシーの方から縁を切られたり、間違って縁を切った時に、あっさりと別れたのであれば、樹の心は深く傷付いていただろう。
見ていて欲しいが、自分は見て欲しくないと突っぱねたがる。そんなヤレヤレ系のような妄想。
幼稚な心の欲求だった。根幹にあるのは独占欲か思い通りになって欲しいと思うものか。
誰しもが思いはするであろう心情を組んで、優しくするほど世界は甘くない。他人は自分自身の事を第一に考えるし、その人物に対しそこまで強い興味も抱かない。
しかしそれは、地球での出来事だった。従魔は人間とは異なる価値観を持って動く。
「……うー! うー! マスター、負けないで! 私を信じて! 私もっと強くなるから!」
しょうがない。とでも言うような悩む声に続く応援。
いつも樹の心が卑屈に折れ曲がりそうな時にかけられる声。ありえないような他者への献身。それが、回復の魔法と共に樹へとかけられる。
この時、樹は無意識に石を砕いていた。脳裏に過ぎるのは一つの記憶。
『楽に強くなりたいというなら石を割るといいよ。石の使い道は様々だ。経験値アイテムから進化素材まで石を割れば楽に入手出来る』
自信満々に言い放つ、この世界をゲームだと思い込んでいる頭のおかしい青年。無鉄砲で、浮世離れした雰囲気があり、常識にとらわれない人。
スリープの言葉だった。
同時に、彼の従魔が言っていた。ただ力が強くとも、それでは足りないと。心や、技術が無ければ、それは無意味であると。
剣士、いや武道を学ぶ者なら知っている言葉がある「心、技、体」。それは三つが揃っていなければ、真の強さは得られないというもの。決して足りないなら他で補えば良いという日本の古臭い精神論ではない。
樹には、それが備わっていない。何もかもが足りていないだろう。
では、従魔ならばどうだ? 先程まで一切信じていなかったピクシーでは?
彼女は武道とは違えど立派な心を持っていると樹は感じていた。そして、手っ取り早い強化に、今までの全てを費やしたのだ。
「【変換】!!」
想像するのはピクシーの強化。初めて見た時の圧倒的な力。
「今まで、ごめん。こんな俺でも、もう一度信じて付いてきて欲しい」
「もう、しょうがないなぁマスターは」
樹の謝罪を、ピクシーは笑って受け止めた。
「シーちゃんを、信じる! 俺は、シーちゃんのマスターであり、俺のシーちゃんは最強なんだっ!!」
注がれる力。八面体の結晶全てを砕いて溢れ出た力がシーちゃんの体に収まる。
それは、変化を引き起こした。今まで小さく可愛らしい、生まれたての子供のようなピクシーが、体に収まりきらなかった力を変換するように姿を変えた。
葉っぱの服は花びらのドレスに変わり、ショートの髪型は長く緩やかなウェーブを描いた。
「【花畑のピクシー】今、マスターに私の真の力を見せてあげる!」
ステージ解放三段階目、最終強化ピクシーが、今、牙を剥く。
「チッ! ピクシーが強化された程度で勝てると思うなよ!」
男がピクシーのステージ解放から距離を取っていた。今も魔法の間合いではあるだろうが、従魔をけしかけて詠唱妨害出来るだけは離れている。
見かけや言動以上に慎重派であり、歴戦でもあるようだ。
周囲は急なピクシーの限界突破に、熱狂している。男を嫌っているのであろう人からは「やれ! ぶちのめせ!」という声援まで送られてくる。
樹は両手をついて立ち上がった。顔は踏まれて蹴られてヨダレや吐瀉物塗れ。服も汚れていない場所の方が少ないほどだ。
しかし、目だけは爛々と輝いていた。殺意も無く、ただ純粋に喧嘩をする、維持の張り合いだけが、彼の目には宿っていた。
「殺しはしない。俺も殺されなかったからな。だが、俺のシーちゃんを虐めた分だけは、絶対に謝ってもらう!」
「初心者が、超えてきた修羅場の数は上なんだよ! いくぞぉぉぉぉぉ!!」
男達の饗宴は続く。夜がふけていく。
「俺の……勝ちだ!」
樹が勝鬨を上げる。周囲は彼を囃し立てるように次々声をかけていく。
「新入りが勝ちやがった!」
「おいおい、あいつ俺より強いじゃねえか! こりゃあ新勢力の波に乗るか?」
「いいねぇ兄ちゃん。俺は勝つって思ってたよ!」
「嘘つけ! さっきまでニャシーを応援してたじゃねえか」
樹の目の前では、力尽きたニャシーを抱える男がいる。ピクシーが樹と同じポーズで勝ち誇り、樹へと戻ってくる。
「マスター! 私勝ったよ!」
「うん……ありがとう。シーちゃん」
「どういたしましてー」
樹が、指の腹でシーちゃんを慈しむように撫でる。くすぐったそうに笑うシーちゃん。とりあえず仲直りは出来た模様。
しかし、根本的な解決には至っていない。樹少年は自衛出来るだけの力を得てシーちゃんを自由に戦わせたいのだ。
「ニャシー、悪かったな……」
「…………」
ポイズンキャットを撫でる男へ、樹が歩み寄る。敗者は周囲から今までの不満やら何やらを吐きかけられるばかりだ。
それでも気にしていないのは、ただ従魔と揺るぎない関係が築かれているというよりは、従魔だけを見つめて目を逸らしているように見える。
「歯ぁ食いしばれ!」
そして、そんな男へと樹は拳を振りかぶった。
「コレは俺の分! コレも俺の分! コレも俺の分! 最後にシーちゃんの分だっ!」
衝撃に倒れ込んだ男へ馬乗りになり、顔面へと執拗に拳を振るった。
四発ほど殴り、それで樹の拳が痛みだしたので、男から退いた。男は樹を呆然と眺めている。蹴り飛ばされた樹のように大きな怪我は受けていないようだ。
「気に入らないんだよ、お前みたいな自分で動かないで斜に構えるクソ野郎が。俺は周囲と違う。他人に関心なんてない。そんな顔して格好つけている癖に。それでいて他の人を笑うんだよ。あいつは馬鹿だ。格好悪いって」
樹はそれなりに善良な日本人に囲まれて育ってきている人間だ。だが、いい人というのは、得てして正反対のような人間が寄ってくるものだ。友達の友達。遠い関係ながら、樹は嫌な人というのを見てきた。
樹はそれなりに顔がいい。それは自分でも理解している事だ。男子校に在学しており、合コンに誘われることもあった。
同調圧力の世界だ。出る杭は打たれる。樹は日本にいる間は、少しおちゃらけたお調子者を演じながらも、相手に嫌われないように立ち回って生きてきた。頼まれ事には用事がない限りは請け負ったり、流行を追いかけてSNSに張り付いたり。そんな普通の男子高校生を演じて過ごしてきた。
それが、ある日突然変わってしまった。気付けば洞窟の中にいて、合コンでは見かけもしないような可愛らしい女の子と、どこか浮世離れした雰囲気の男と出会ったのだ。
見たこともないようなファンタジー。学生なら知っている人もいるネット小説の中のような展開に心を踊らせた。
しかし、夢心地だったのもつかの間だ。二週間もしない内に、樹は拉致されてボコボコにされたし、今もガラの悪い男に絡まれて喧嘩をしている。
ネット小説でいう噛ませ役のような人間だとは自己分析していた。だが、それなら主人公にあたるであろう怪しい男の方は、ヒロイン役になりそうな少女に毛嫌いされている。自分はこの世界で最強ではないがそれなりのチートを持てるはずなのだが、現実は道行く不良にボコボコにされるほど弱い。
力に覚醒して実は最強という展開は無い。誰もが最強になりたがって生きている。
どいつもこいつも鬱屈した雰囲気ながらも本音でぶつかり合い、蔑みあっている。
同調圧力で本心を仮面に隠して生きる日本人の姿は真っ先に殴り飛ばされた。これは紛れもない樹の本性であり、樹の本音であった。
「俺が弱くて噛ませ役だってのは、俺が一番分かってんだよ! だけどなぁ! 弱くたって格好つけて主人公になりたいって思いながら生きてんだよ! 人生諦めたヤツが俺の足引っ張って生きようとすんな! 死ね!」
樹は可愛い女の子が好きだ。中二病みたいな展開が好きだ。ハーレムだって築きたいし、無双してちやほやされたいと夜寝る前に夢見ている。
同時に、それを格好悪いと言って馬鹿にするようなヤツが嫌いだ。
そして何より、それを聞いて恥ずかしいと思った自分が大嫌いだ。
「俺は最初にピクシー召喚したんだよ! 悪魔召喚する奴だったら主人公は最初にピクシーを仲魔にすんだ! だったら俺がこの世界の主人公なんだよ!」
ただの強がりだ。この世界は元はゲームだとスリープが言っていたが、樹はゲームに似た現実でしかないと思っている。そして、従魔もまた、鍛えればどれでも最強に至ることが出来るとは思っていない。
それでも、樹はこの世界で完全な味方がいる。ピクシーという小さな女の子だが、それでも彼女が期待に答えてくれるなら、二人で主人公になってやると決めたのだ。
「負けた奴に追い討ちするつもりはねぇよ。俺はお前と違って、弱いものいじめなんかしないからな」
本当は気の済むまで後悔させて殴りたいが、それをすれば樹は目の前にいる男と同じ所まで落ちてしまう。
「代わりに、負けたんだから俺に召喚士として色々教えてくれよ。俺は田舎者で弱っちいからな」
樹が好きな主人公は、悪人だろうが敵だろうが仲良くなろうとする甘い人間だ。これをいつか本心から言えるように、嫌いな男でも樹は手を差し伸べた。
「……ああ、悪かった。敗者だからな。勝者の言葉には従うよ」
「俺は原田樹。お前は?」
「俺は──」
喧嘩した後に仲直りをする。それは歳を重ねるほどに難しく、時代が進む事にしなくなっていく。
周囲は小っ恥ずかしくなるような展開を見て、酔いのテンションで感化したような顔で頷いていたり、気に入らないのか「ぶちのめせよ!」やら「ここでやっちまえ」という言葉が投げかけられる。
「ちょ……通してください! 通ります! あっ樹君! 大丈夫?」
そこに、慌てた様子の柊菜が出てきた。彼女の従魔であるエンドロッカスとチェリーミートもいる。
「酷い格好……また怪我したの?」
「今回は喧嘩したんだよ。大丈夫、俺が勝って仲直りしたからな!」
先程までの様子は微塵も見せずに、彼女達の前でいつもしているおちゃらけたお調子者を演じる。
「もう……。でも、酷い目にあってなくて良かった」
「なになに、俺のこと心配してくれたの? 嬉しいねぇ!」
騒ぎは終わりだという空気になり、人々は徐々に散っていく。
「この人、この前にいた……!」
「あああ、大丈夫だって。この人と喧嘩して仲直りしたんだよ。ほら、男といえば河原で殴り合いの喧嘩で友情を育んだりとかね?」
「……彼には悪い事をした。すまない」
「謝る時はごめんなさいです!」
「あ、ああ。……ごめんなさい」
柊菜の勢いに押されて、引き気味の男は樹へ頭を下げた。
「うん……俺も殴り返したし、悪かったよ」
少しだけ溜飲を下げた樹は、ふいと顔を背けた。
ああは言ったものの、男同士友情なんか生まれないと思っていた。だが、それでも、今この時は、こいつと仲良くできるかもしれないと思ったのだ。
「弱虫どうし、よろしくな」
「ああ、よろしく頼む」
これにて一章部分完結です。書き溜めが尽きましたので、この後はしばらくストックを貯める期間にします。
来週とりあえず閑話載せますので、それまでは未更新となります。すみません。