代わりに今週と来週はそこそこ余裕があるので、第一章完結を目指して書き進めていきたいと思います!
と、止まるんじゃねぇぞ......(強烈な自己暗示)
クリスティーナがオドルーたちとチームを組み、宰相ゾルディンの化けの皮を剥がそうと動き出して早くも三日が経過した。
この期間に勇者が姿を見せることはなく、また調査も順調に進んでいるとは言い難いのが現状であった。
上手くいっていない主な理由は、深刻な人員不足である。
オドルーの部下である神官たちを派遣することは可能であるものの、強かなゾルディンのことだ。神官の内部にもスパイを仕込んでいるかもしれない。
よって、オドルーの信頼する限られた部下にしか手伝ってもらうことは出来ず、調査の範囲を広げることが難しくなっていた。
「まずいですね……」
焦燥に駆られたクリスティーナは、山のように書類が積まれた自室でポツリと呟いた。
彼女が行っている作業は、ゾルディンが関わった政策や外交に関する資料の見直しである。謹慎を命じられている以上、派手に城下をうろつくことも出来ないので自室で出来る作業に没頭していたのだ。
だが、目を皿のようにして資料を見直しても彼が魔人であるという決定的な証拠がそこに残っているはずもなく、クリスティーナは寝不足の瞼を擦りながら凝った肩を一人で揉んでいた。
「少し休まれた方がいいんじゃないですか?」
そう言って淹れたてのお茶を差し出したのはアルマである。心配そうな表情を浮かべている彼女だが、目の下には隈があり、彼女も十分な休息が取れているとは言い難いようだった。
「……そうですね。少し休みますか」
「是非そうしてください! こちらにお茶を置いておきますね。クッキーも召し上がられますか?」
「是非」
「分かりました。それじゃあ、直ぐに食堂から拝借してきますね~」
「あぁ、待ちなさいアルマ。ティーカップは二つ用意してください。クッキーも多めでお願いします」
「? どうしてですか?」
首を傾げる働き者の侍女に向かってクリスティーナは言った。
「休まなければならないのは私だけではないでしょう。どうです? 偶には一緒にティータイムを楽しむというのは」
自分が積極的に休まなければこのメイドも休みにくいだろうと考えたクリスティーナの提案に対し、アルマは嬉しそうに微笑んで頷いた。
「はい! ご一緒させていただきます!」
彼女は直ぐに予備のカップをキッチンから持参し、驚くほどの素早さで食堂から大量のクッキーを仕入れて来た。
そしてクリスティーナが腰掛けた向かいのソファーに座って甲斐甲斐しく奉仕を始めた。
そのテキパキとした動作は間違いなく訓練された侍女のものであり、彼女がそれなりに優秀であることを証明している。
注がれた紅茶の香りを鼻で味わったクリスティーナは惜しみのない称賛を送った。
「流石はアルカディア王城の侍女ですね。よく訓練されています。この紅茶も素晴らしい香りですよ」
「いやぁ~、侍女長のミラリス様にはまだまだだと言われていますよ。こんなのじゃあ、王族の方のお世話係にはなれないと。このままじゃあ、一生下っ端ですよ」
「なっているじゃないですか」
「はい?」
何故そこで首を傾げるのか。
クリスティーナは呆れたような表情で補足した。
「王族の世話係にですよ。……忘れているかもしれませんが、一応私は第三王女なんですよ?」
「えっ……あ! そうでした! クリスティーナ様のイメージが強すぎて忘れていました! そうですね! 王女様でした!」
「私のイメージとは一体……」
「凄い! 私、王族の方にお茶を入れている! 後で皆に自慢しよーっと!」
「それは止めなさい」
騒がしいアルマに対し、冷静で落ち着いたクリスティーナ。
性格は殆ど真逆と言っていい二人だが、年が近いこともあって意外にも話の種は尽きず、ティータイムは思いもよらないほど長引くことになった。
話の内容は主にアルマが仕入れて来た様々なゴシップネタに対し、王城の内部をそれなりに知り尽くしているクリスティーナが答えるというもの。
アルマは兼ねてより気になっていた噂の真実を知ることが出来てご満悦であり、クリスティーナもまた面白みがないと思い込んでいた自分の話を喜んでくれる人がいることに嬉しさを感じていた。
しかし、用意されたお茶と話題が減るにつれ、徐々に会話の流れはある一人の男に移り始めた。
「……勇者様、ご無事なんでしょうか?」
不安そうな表情でアルマが呟く。
何杯目かも分からない紅茶を口に運んだクリスティーナは、冷静に自分の心をコントロールしながら返答した。
「……恐らく無事でしょう。私は彼に助けられた時、勇者と呼ぶに相応しい戦闘能力を目にしました。私たちの前に姿を見せないのは気になりますが……それでも私は彼が無事だと信じています」
「クリスティーナ様……」
「だから、今の私たちに出来ることはルタの言葉によって明らかになった王国の癌を取り除くことだけです。今はただ、彼を信じて働くことにしましょう」
力強い輝きを放つクリスティーナの青い瞳。
その輝きに魅入られたアルマは無意識のうちに呟いた。
「強いんですね。クリスティーナ様は」
「はい?」
ティータイムを終わらせようとしていたクリスティーナは面食らったような表情でアルマを見た。急に何を言い出すのだこの娘は、と。
アルマはクリスティーナの様子には気付かず話を続ける。
「私なんて血だらけの勇者様を前にただびっくりすることしか出来なくて……宰相様が魔人だと知らされた今も大した実感がないままにお手伝いをさせてもらっています」
「……」
「でもクリスティーナ様は違います。きちんと現実を見て、それでも心折れることなく前を向いておられる。本当に、お強い方だと思います」
「そんな、ことは……」
「ありますよ! 私、人を見る眼だけは確かなので間違いないです!」
キラキラと、憧れの人物を見るかのような視線。
正直、クリスティーナはその視線が苦手だった。なんだかむずがゆくて、落ち着かない。これならまだゾルディンに向けていた蔑みの視線の方がマシだと思うほどに。
それに、アルマは大きな勘違いをしていた。
クリスティーナは決して強くなどない。そして現実を見てもいなかった。
ただやるべきことを頭の中に並べて考えないようにしているだけなのだ。
(そうだ。私は、一体何をしているんだ……?)
ふと、眠る前に頭が空っぽになると浮かんでくる疑問がある。
最初は父を殺した犯人を見つけるだけの筈だった。
それがいつしか勇者の救出に変わり――かと思えば、国の内側に魔人が潜んでいたことを知り、遂にはこの王国を救うために宰相の正体を暴こうと必死に調査を進めている。
紆余曲折もいいところである。
本来の目的を彼方に追いやってしまい、もはや彼女自身も何のためにこんなことをしているのか分からなくなってきていた。
今の彼女は、自分を救ってくれた勇者への恩返しと、胸を焦がす謎の焦燥感に駆られているだけで――
コンコンッ、コン
そんなことを考えていたその時、不意にクリスティーナの自室をノックする音があった。
決めていた合図によるノック。彼女の同士である印である。クリスティーナは即座に頭を切り替えた。
「どうぞ」
「失礼いたします。至急、お伝えしたいことがございまして」
許可を得て入室してきたのはオドルーの部下である神官であった。生真面目そうな顔立ちが特徴的な彼の名はオリバー。まだ年若いが、確たる意志と揺るがぬ信仰心を持った青年である。
「どうしました?」
「いい知らせと悪い知らせがございます」
「いい知らせからお願いします」
即座に返答を返したクリスティーナに頷き、オリバーは言った。
「数日間の張り込みの結果、遂に宰相ゾルディンの怪しげな足取りを見つけました」
神妙そうな表情で放ったオリバーの言葉は衝撃的だった。これまで何の進展も見せていなかった調査にいきなり光明が差したのだ。
驚きに目を見開くアルマとは対照的に落ち着いた態度を維持したままのクリスティーナが尋ねた。
「やはり、あそこでしたか?」
「はい。クリスティーナ様のご考察どおりでした」
「ど、どこですか⁉ 一体どこの話をされているのですか⁉」
興奮気味に尋ねてくるアルマに怪訝な視線を向けたオリバーだったが、クリスティーナが頷いたことで渋々話し出した。
「……城下第四地区の南通りです。えぇ、その通り。アルカディアの掃き溜めと言われているあの地域です。宰相殿が実は好色であり、娼館に足繫く通っているのは周知の事実でしたが試しに私の部下が調査をしてみたところ、少々怪しげな噂が幾つか舞い込んでまいりまして……」
「好色で知られていれば、それを理由に城下に下ったところで何も疑うところはない。木を隠すなら森の中、というわけですか」
クリスティーナの言葉に頷き、オリバーは続ける。
「はい。何でも、宰相殿が訪れた際に使い物にならなくなってしまった娘が数人いるという噂があり、また場合によっては失踪してしまったケースもあるとのことです」
「……予想以上に深刻ですね。一体何人の女性が餌食になったことやら……」
悔しそうに呟くクリスティーナ。二人の会話を聞いていたアルマも大よその事情は把握できた。
「悔やんでも悔やみきれませんな。……しかし、ここで悪い知らせがあります」
「なんです?」
「神官はこれ以上の調査に踏み込むことは出来ません。我らの信じる神は意味のない姦通を禁じておられます。性に溺れ、怠惰を極めた人間の集う薄汚れた娼館に近寄るなど、とてもではありませんが我々の許容できるところではありません」
「――それは言い過ぎでは? 全ての仕事には意味があります。あなたは意味もなく人を見下している」
「……」
思わず苛立った声で異議を唱えるクリスティーナだが、オリバーの表情に変化はない。
厳格なる神官をこれ以上説得するのは不可能であると悟ったクリスティーナは、苦い表情で言った。
「……報告ありがとうございました。宰相が通っていたという娼館と噂を入手した情報源だけ教えていただけたら退出して頂いても結構です」
極めて事務的な態度で情報を提供したオリバーは、能面の様な表情で一礼をしてから部屋を退出した。
「……」
「クリスティーナ様……」
悩ましい表情で窓の外を眺めるクリスティーナ。
オリバーへの憤りはあるものの、一定の理解も示していた。それが彼らの信じる道である以上は仕方がないことではある、と。
それに彼らは立場を失いつつあるクリスティーナに善意で手を貸してくれている存在だ。これ以上の善意を求めるのは厚顔無恥にあたるだろう。
しかし、だからといって手に入れた貴重な情報を見逃すようなことがあってはならない。何としてでも宰相ゾルディンの化けの皮を剥ぐ必要があるのだが……やはり人材不足が致命的だった。
(こうなったら、私が行くしか……)
クリスティーナが覚悟を決めようとしていたその時――
「あ、あの!」
クリスティーナの背中にお節介焼きな侍女の言葉が届いた。彼女が振り向くよりも先にアルマは予想通りの提案をした。
「私が行きます。私が行って、確かめてきます」
「アルマ……」
悲痛な表情で振り返るクリスティーナ。そんな彼女の表情を見たアルマは、自分も彼女に心配される程度には親しくなれたのだと悟り、場違いにも嬉しくなってしまった。
一方でクリスティーナはアルマの提案を受け入れるしかないと理解しつつも複雑な心境でいた。
城下第四地区の南通りはオリバーが言っていた通り、「アルカディアの掃き溜め」と評されるほどに治安が悪く、衛生面においても最悪の一言に尽きる地域である。
暗殺された国王、クリスの無意味な政策の数々によって職を失った者や見捨てられた者たちが集う場所であり、とてもではないがアルマの様な世間知らずを派遣していいところではない。
調査の為とは言え彼女を送ってもしものことがあった場合、クリスティーナは自分を許せそうになかった。
「……私も一緒に行きます」
「クリスティーナ様! それはいけません! あなたは私たちの指揮官です。貴方を失った時が私たちの敗北なのですから、あなたはここで魔人を討つための指揮を継続していてください」
「しかし!」
「クリスティーナ様がここで待っていて下さるから、私は行くんです」
「アルマ……」
不安そうな表情を浮かべるクリスティーナに対し、アルマは強い意志の籠った瞳で言った。
「私、まだお役に立てていません。クリスティーナ様に誓ったのに、やっていることと言えば一生懸命働く皆さんにお茶をお出しするくらいで、結果的にはただの侍女と変わりありません」
「私はそれでも十分「私は嫌なんです!」」
クリスティーナの言葉を遮り、アルマは自分の意思を主張する。
役に立ちたいのだと。特別な自分になりたいのだと。
今までの自分には別れを告げた。
だから――
「私がここにいる意味を下さい。大丈夫です。決して無茶はしません。慎重に立ち回って必要な情報を入手してきます」
「……信用しても良いのですか」
「もちろんです。私、こう見えても結構生き汚いんですよ? それに、クリスティーナ様が思っているほど世間知らずじゃありませんから」
「むっ」
考えていたことを読み取られ、思わず言葉に詰まるクリスティーナ。
そんな彼女を見て微笑んだアルマは手早く片付けたティータイムのセットをテーブルに置いてから起ちあがった。
「まぁ、私にドンと任せておいてください! 人の噂話には敏感なんです、私! 絶対役に立つような情報を拾ってきますから!」
「しかし……」
「しかし、じゃありません! これしかないんですから、クリスティーナ様はここで優雅に紅茶でも飲みながらお待ちください。……あっ、お代わりを作っておいた方がいいですか?」
「馬鹿にしないでください。それくらいは自分で出来ます」
憮然とした表情で答えるクリスティーナ。
それもそうですよね、と快活に笑ったアルマは畳み掛けるように言った。
「それじゃあ、紅茶を自分で入れられるクリスティーナ様にはお願いがあります」
「なんです?」
「私に知恵を授けてください。私が貴女の役に立てるように、貴女のお考えを教えてください。クリスティーナ様が考えられた作戦であれば、間違いなんてありませんから」
「……行かない、という選択肢はないのですね?」
「ありません。それは、クリスティーナ様自身が一番分かっておられるのではありませんか?」
「……」
どこまでも、彼女の言う通りだった。
クリスティーナは予想以上に有能な部下を手に入れてしまったことに複雑な気持ちを抱きつつ、敬意を表して言った。
「……アルマ。貴女はとても賢い女性だ。本来であれば私のアドバイスなど必要ないほどに」
「えっ、本当ですか⁉」
「本当ですよ」
大袈裟に喜ぶアルマを微笑ましく見守りつつ、クリスティーナは続ける。
「ですが、私の身勝手で貴女を危険な場所に送り出すことになる以上、ある程度の備えが必要なこともまた事実。――分かりました。今から貴女にアドバイスを致します。これを胸に刻み、慎重な行動を心掛けてください。アルマ、貴女を頼らせていただきます」
「はい! 分かりました!」
「……本当に大丈夫なんですかね?」
元気が良すぎるアルマの返事に場違いな感覚を抱きつつ、クリスティーナは危険な場所へ赴くことになる自身の部下へと幾つかアドバイスを送った。といっても、そこまで難しいことは言っていない。押さえておくべき重要なポイントを念押ししておいただけであり、後はアルマの応用次第である。
彼女が機転の利く賢女であることは既に実感している。
クリスティーナに出来ることは、彼女に無理をしないことをきつく言い含めてから送り出すことだけであった。
「――いいですか? 何度も言っていますが、くれぐれも無茶だけはしないように。危険だと判断したらすぐに引いてください。ゾルディンの手掛かりがそこにしかないとは限らないのですから。それに、罠の可能性も十分に考えられます」
作戦を伝え終えた後の事である。
城下第四地区の南通りへ行くため、準備を進めるアルマにクリスティーナが声を掛ける。既に聞き飽きた感もあるが、アルマは笑顔で頷いて見せた。
「もちろんです。私、臆病者ですから。怖くなったら直ぐに逃げちゃいますよ。何の成果が得られなくても怒らないでくださいね?」
「当たり前です。誰が貴女の事を責められましょうか。恐ろしいのであれば、今から行くのを取り止めてもいいのですよ?」
「それは無しですよ。クリスティーナ様」
「そう、ですか……」
クリスティーナは未だにアルマを派遣することに対して反対しているようだった。だが、現時点において彼女たちに出来る動きがこれだけなのも事実。
これ以上先延ばしにしていれば、ゾルディンの方が先に手を打って証拠を揉み消してしまうかもしれない。
その前になんとしてでも証拠を掴み取らなければならないのだ。
不安そうなクリスティーナを安心させるように微笑み、アルマは言った。
「大丈夫ですってば。私みたいなチビに眼をつけるような輩は殆どいませんし、あそこの地区の人たちは絶えず餓えているので力が強くないんですよ。王城の美味しいごはんで武装した私に死角はありません!」
「……」
むん、と握りこぶしを作って力説したアルマだが、いまいちクリスティーナの反応がよろしくない。
どうかしたのかと思ったところでアルマの敬愛する上司は口を開いた。
「……アルマ。私の気のせいであれば申し訳ないのですが、あなたは今、実際に
「あっ……」
思わず口が滑ってしまった。そんな表情であった。
クリスティーナが追及しようとするよりも先にアルマは動き出し、
「――そ、その話は帰ってからしますから! ともかく、行ってきますね。クリスティーナ様はここで吉報を待っていてください!」
「アルマ!」
クリスティーナの静止を振り切り、アルマは部屋を飛び出して行った。
急いで追いかけようとするクリスティーナだが、今追いかけたところで問いには答えてくれないだろうという確信があり、仕方なく部屋に留まることしか出来なかった。
「……アルマ……」
この三日間で親しくなった少女の名を心配そうに呟く。
クリスティーナから合理的な思考を奪う心配事の種がまた一つ増えた。
(あちゃ~、つい気が抜けて喋りすぎちゃった)
王城を飛び出したアルマは、トレードマークであったメイド服から質素な私服に着替え、城下第四地区の南通りへと向かっていた。
その足取りはしっかりしており、どこか慣れているようにも見える。
それもそのはず。アルマの出身地は
つまり、彼女は自分の出身地区に向かっているも同然であり、そしてそれが第四区へ行くことに抵抗がなかった理由でもある。
「……懐かしいな」
アルカディア王国は巨大な2つの城壁によって辺りを囲まれており、一つ目は外部から侵入者を防ぐための第一城壁。そしてもう一つは、聳え立つ王城と城下を区切る城壁――即ち、富裕層と貧困層を分け隔てるための壁によって構成されていた。
アルマは許可状が必要な城壁を慣れ親しんだ抜け穴からあっさりと抜け出し、見知った道を歩いていく。
道を南に進むにつれ、建物や人の景色が徐々に変わり始めるが――これも慣れたものだ。
ここは掃き溜めの一歩手前。行き場を失った者たちがたどり着く場所。
アルマの家族もそうだった。
アルマは十人兄弟の末っ子として生まれた。
父は元々稼ぎの良い役人だったらしいが、クリス国王陛下の予算削減案によって職を失い、結局は酒に溺れた。
母は元娼婦だった。少し頭が足りない人だったが、いつもニコニコしている優しい人だった。でも、自分が母であるという実感はあまりないようだった。
父は碌に働きもしない癖に性欲だけは一人前で、とにかくたくさん子供をこしらえた。
生まれた当初、アルマは捨てられる予定だったという。
しかし、久しぶりに生まれた女の子だからと見逃された。
その後も娼館に売り飛ばされそうになったりと色々あったが、ひもじさに耐えるだけでなんとか生きていることは出来た。
自分はまだ
第三区の生まれだからまだ自分で探せば仕事があったし、うまく立ち回ればご飯にありつくことも出来た。
汚れた仕事をさせられることもなく、ただ何も考えず頭を空っぽにしていれば生存は許されていた。
今に至っては、運よく王城に潜りこむことによって侍女という立派な職も与えられることになり、毎日美味しいご飯にありつくことが出来ている。
どうやって今日を乗り切ろうか考えていたあの日々とはえらい違いだ。アルマは王城に常々感謝していた。
けれど第四区は違う。
あそこは本当の意味で掃き溜めだ。
人権のない人たちが集まる場所。
この世の地獄。
アルマの事をきちんと認知していたか怪しい両親も、口を揃えてあそこには近づくなと言っていた。
その忠告を無視し、一度だけ運び屋の仕事で中に立ち入ったことがあったが……本当に危ないところだったと、思い出せば今でも背筋が凍る。
だけど、そんなところに自分から飛び込もうとしている自分自身がアルマはおかしくて仕方なかった。
思い浮かべるのは綺麗な青い瞳と金色の髪を持った同年代の彼女。
美しく、聡明で、強いあの人。
初めて彼女を目にした時の感動を今でも覚えている。
凛とした立ち姿。思わず目を背けたくなるほど不遇な境遇であるにも関わらず、その瞳の輝きは失われていない。
自分とは真逆だ。
アルマは常々、自分に学がないことを恥じていた。
学校に行ったことがなく、教養がないので大事な仕事が任されることはない。
正直、今でも文字の読み書きは怪しいし、言葉にも変なアクセントがないだろうかと心配している。
取り柄はデカい声くらいのもので、仕事ぶりも飛びぬけて優秀なわけではない。
自分の代わりが幾らでもいることをアルマは知っていた。
でも、あの人は違う。
彼女は賢くて、自分で考えて行動していて、どん底から自力で這い上がって来た。
“あぁ、なんて凄い人なんだろう……”
アルマは彼女に――クリスティーナに憧れていた。
学がないからこそ、その聡明さに。
愚図で空っぽだからこそ、その意志の強さに。
そして、その美しさに。
全部憧れているだけで終わる筈だった。
遠くから眺めているだけの筈だった。
だけど――
(今、私はあの人の部下として働けている。こんなに光栄なことなんてない)
彼女は今、身動きが取れない状況だという。本当は自分から足を運びたい場所に自分が行けないのだという。
だったら、自分が彼女の代わりになりたい。
役に立ちたい。
認められたい。
特別な自分に――彼女にとって特別な自分になりたい。
その一心でアルマは脚を動かしている。向かう場所は危険極まりない場所だが、それでも彼女の心はどこか弾んでいた。
それは、自分が成りたい自分に近づけているからかもしれない。
憧れの人の役に立てるからかもしれない。
なんて。
そんな純粋でひたむきな思いが彼女に牙を向くことを知る由もなく――
アルマは気が付けば目的地にたどり着いていた。
「……ここ、だよね」
王城を出る直前、オリバーが言っていた住所をメモした紙に視線を落としながら呟く。
城下第四地区の南通り。入り口をくぐってから二つ目の曲がり角にある小さな娼館。外観はかなりボロイが、中身は第四地区にしては小奇麗に整備されているらしい。
なんでも、王城の有力者たちが表沙汰にできない
「……」
アルマは変装を施した自分の身なりを汚い水たまりで再度確認した後、その家へと向かった。少々緊張気味な自分を自覚しつつ、外見はボロボロな家の扉をたたく。
少し待った後、扉が開いて気怠そうな表情を浮かべた女性が現れた。
「なんだいアンタ。ここはお子様が来る様なところじゃないよ」
いきなり友好的ではない態度だが、この程度は予想していた。
アルマはクリスティーナから貰ったアドバイスを反復しながら慎重に言葉を絞り出した。
「すいません。実は、その……ここなら今までの経歴を聞かずに働かせて頂けると聞いたのですが……あなたは?」
「あたしはイリーナだ。ここの主をやってるものだが……お嬢ちゃん、誰に騙されたのかは知らないが、いくらうちでもそんな無茶苦茶な雇い方はしないよ。だいたい、アンタそこそこ身なりが良いじゃないか。わざわざこんな掃き溜めで仕事を探さなくたって、他所に行けばなんかあんだろう?」
「でも……」
アルマはいつものニコニコ笑顔を封印し、出来るだけ卑屈に見える表情を作りながら言った。
「ゾルディン様が、ここで雇ってもらえと仰ったので……」
「なにっ⁉」
イリーナと名乗る女性の変化は非常に分かりやすかった。見るからに驚き、大して興味がなさそうだったアルマのことを頭からつま先まで舐めるようにして観察している。
これは当たりだな、とアルマは悟った。
どうやらここが情報通り、ゾルディンが贔屓にしている店らしい。
「ふーん、アンタがねぇ。見るからにちんまいが、肌の張りは良さそうだし、確かにあの方が好みそうな感じだ」
「あ、ありがとうございます……?」
喜んでいいところなのか疑問に思ったアルマは素で首を傾げた。
しかしそのリアクションが逆に現実味があったのか、イリーナはあっという間にアルマの言葉を信用したようだった。
「なるほど、アンタが新しい女ってわけだ。まったく……よくやるねぇ、あの方も。この間新しい子を仕入れたばかりだろうに……」
「新しい子?」
何故かアルマの反応が気に入らなかったらしいイリーナは、どこから苛立ちを含んだ低い声で言った。
「……アンタねぇ、自分だけが特別だと思わない方がいいよ。あの方は気に入った女の子には片っ端から声をかけるような人なんだから。妙な期待を抱いていると、直ぐに飽きられて捨てられちまうよ」
「捨てられちゃうんですか、私……?」
不安そうな表情でアルマが見上げると、相変わらず寝起きみたいに気怠そうなイリーナはため息をつきながら言った。
「そうそう。あんま調子乗ってると、あっという間に消えちまうよ。もう何人の子があの方に泣かされていなくなったことか……。全く、仕入れてくるのもあの方だから別にうちとしちゃ構わないんだが、こうも節操がないとねぇ……」
どうやら彼女は完全に愚痴をこぼすモードに切り替わったらしい。
これをチャンスと見たアルマはさらに踏み込む。
「あの……居なくなるって、この地区からも居なくなったっていうことですか? ここ以外に行き場のない人たちが、別の地区に行ったってことですか?」
「あー、そういえばこの地区で見掛けることはなくなったねぇ。一体どこに行っちまったんだか……」
心底不思議そうに首を傾げるイリーナ。どうやら、彼女が少女たちの失踪に関わっているということはなさそうだ。
アルマは少し声を潜めて尋ねた。
「現実的にそんなことはないとは思うのですが……ゾルディン様が連れ去ったという可能性はないのですか? 自分のお屋敷に閉じ込めているとか……」
「アハハ! そいつは都合のいい妄想が過ぎるってもんだぜ、お嬢ちゃん。あの方はたかだか娼婦に情を移すほど物好きじゃないし、優しくもないよ。期待するだけ無駄ってもんだ」
そう言い切ったイリーナだが、その人差し指は無意識のうちにくすんだ金髪を弄んでおり、表情もどこか曇っている。
(……この人、もしかしてゾルディンのことが……)
思わず口に出しそうになったアルマだが、気合いで押し殺した。
今回の彼女はいつもとは違う。目に見える地雷に突撃するアルマちゃんではなく、なるべく慎重に立ち回るアルマさんなのである。
本当は好奇心の赴くままに質問攻めにしたいのだが、彼女はどこぞの勇者よりも遥かに自制の効く人物であった。
「じゃあ、本当にここで働いていた方々はどこかへ消えてしまったのですね……」
「そうそう。……あぁ、そういえば、巷の方では
けらけらと笑うイリーナ。
ふと、アルマは目の前の女性から
昔からアルマは鼻が良く、その効果は鎧越しでもクリスティーナの香りを嗅ぎ付け、彼女が兜を脱ぐ前に中身を当てて見せるほどである。……いや、この場合は単にクリスティーナのいい香りを執拗に覚えていただけなのだが……それはともかく。
娼館の主を自称するイリーナからは第四地区と第三区の境目で嗅いだことのある危険な臭いがしていた。
理性を失った人のなれの果てが放っていた、あの香り。
「……」
長居は禁物だ、とアルマは直感で悟った。
これ以上は危険である。即座に撤退して王城に引き返すべきだろう。
「あの、すいません。最後に一つだけいいですか?」
だが、もう少しだけ。
あと一つだけ知りたいことがある。
「なんだい? もうすぐあたしの客が来るから早く終わらせてほしいんだがね」
「大丈夫です。直ぐに済みます」
アルマは尋ねた。
「この娼館でゾルディン様を担当されている女の子って、どこに居ますか?」
彼女は自分の先輩になるのだから、色々と聞きたい。
ゾルディン様のことについて、もっと深く知りたい。
そんな感じの拙い誤魔化しで何とかその女の子の住所を聞きだしたアルマは、王城に戻れと囁く直感を無視してその子の家を訪れていた。
今にも崩れ落ちてしまいそうな、家とも呼べない家。
この場所に少女は住んでいるという。
「……ごめんくださーい」
胸に沸き上がった様々な感情を一先ず置いておき、アルマは重要な情報を握っていそうな少女の家の扉を叩いた。
軽くノックする程度の力加減だったのだが、それだけで壊れてしまいそうなほどに脆い。
「……誰?」
暫くの後、扉の向こうから顔を出したのはアルマと同じ年くらいの少女だった。それもまたアルマをやるせない気持ちにさせるが、今は関係ない。
「こんにちは。ここがエリナさんのお家であっていますか?」
「……そうだけど」
「あなたがエリナさん?」
「……うん」
怪訝な表情で頷くエリナ。
アルマは出来るだけ友好的な笑みを浮かべた。
「私、アルマって言います。あなたと同じところで働くことになったんです。つまりは……後輩ってところですね。今日は先輩であるあなたに色々とアドバイスを頂けたらいいな、と思いまして……」
「……」
「あ、あの……聞いてます?」
「……取り敢えず、中に入って」
そう言ってエリナは家の中に消えていった。すぐに後を追いかけたアルマは「お邪魔します……」と小さな声で挨拶をしながら汚い扉をくぐった。
外観と同じく、決して綺麗とは言えない内観。
アルマは本当にここで人が生活していけるのか疑問に思いつつ、目の前でボーっと他者からのアクションを待っているらしいエリナに声を掛けた。
「えぇと、急に押しかけてしまってごめんなさい。でも、貴女に聞きたいことがあって来たんです」
「……」
エリナは答えない。相手の言葉に答えるだけの、生きる屍の様な状態。
まるで昔の自分を見ているようだ、と思ったアルマだが、今は関係のない思考だ。直ぐに切り替えて本来の質問を投げかけた。
「ゾルディンっていう人の事を知っていますか?」
「私のお客さん」
「……うん。そう聞いています。その人について何か知っていることがあれば教えてくれませんか? 例えば、これまで彼の相手をしていたあなたの同僚がどこに行ってしまったのか、とか」
流石に酷な質問だったか、と反省しつつエリナの反応を伺う。
答えは――
「……分からない。他の人の事は知らない」
「そう、ですか。本当に、他の女の子とは話したこともないんですか?」
「ない。偶に見かけても、直ぐに居なくなっちゃうから。今のところ、無事なのは私だけ」
「……それは何故ですか?」
「私が美味しくないから」
様々な解釈の出来る言葉だ。少し下世話な意味にも取れるが……ゾルディンの正体を加味すると、そういうわけでもないのだろう。
「美味しくないから……それは、ゾルディンっていう人が言っていたの?」
「うん。お前は愚図で、美味しくなくて、役立たずだって言ってた。痩せすぎで、
「――――」
アルマはようやく探し求めていた存在を見つけたことを悟った。十分すぎるほどの収穫だ。今すぐに王城に帰還してクリスティーナに知らせるべきだろう。
だが――
「……エリナさん。あなたは自分でもゾルディンの言葉が正しいと思っている?」
「さぁ。どうでもいい」
「どうでもよくないよ」
エリナという少女の言葉はどうしようもなく昔のアルマと似ていて、どうしようもなく気に食わない感情を抱かせた。
放っておけない。
アルマはエリナの細い肩に手を置き、優しく語りかけた。
「……あのね、エリナさん。私は今、王城で働いているの。その前は働くなんて言えないようなことをして生きていたけど、でも今は凄い人たちの下で働くことが出来ているの」
「……」
「私の上司はね、私よりもずっと価値のある人で、賢くて強くて、何でもできるの。だけど……その人でさえ、一人ぼっちじゃ何もできないって言っていた。やっぱり、巨大な存在に立ち向かう時には誰かの手が必要なんだって、言っていた」
「……」
「あなたは自分の人生に価値がないと決めつけているみたいだけど……たった今、私たちの為になることを教えてくれた。それは本当に価値があることなんだよ」
「……」
「このお礼は絶対にするから、それまで頑張って生きていて欲しいな。私が、迎えに行くから」
「……」
エリナの能面のような表情に変化はない。
だが、アルマは必ずこの地獄の様な場所で生きることを強いられた少女を救って見せると誓った。
今の自分になら、それが可能だと信じていた。
心の底から。
「……ごめんね」
だから、唐突にエリナが謝罪の言葉を口にした時、アルマは一体何について謝っているのか本当に分からなかった。
「一体、何の事?」
聞き返したアルマに対し、エリナは相変わらず死んだ顔で淡々と語った。
「……ここで待っていたらお金をくれるってあの人が言っていたから。お前でも、釣り餌くらいの価値はあるって言ってくれたから」
「何を……」
言っているのか。
『その疑問には俺が答えよう』
返答は、背後から。
ゾッと寒気がする声を聞いたアルマは咄嗟に立ちあがって振り返り――
「ゾルディンっ⁉」
『正解。なんだ、使い捨ての雑用係にしては頭の巡りは悪くなさそうじゃねぇか』
背後に居たのは宰相ゾルディン――ではなく、灰色の不気味な肌をした人ならざる何かだった。
「ッ!」
『おっと。逃がさねぇよ』
直ぐにこの場から逃走を図るアルマだが、魔人相手に人間が出来る抵抗などない。あっという間に捕まったアルマは彼の腕に囚われ、そして――
『悪いな。殺しはしないからよ、今度はこっちの雑用係になってくれや』
意識が落ちる寸前、アルマはそんな言葉を聞いた。
本来の姿に戻った魔将騎ゾルディンは、自身の魔術によって意識を失った少女を見ながら三日前の事を思い出していた。
底が見えない勇者の実力。結果的に武器の性能差でゴリ押したから圧倒できたものの、それでも仕留めきれなかった自分の不甲斐なさ。
そして――
「お前、第三位から六位まで転落したのか?」
本来であれば人類側に流れているはずがない自分の個人情報を手に入れていたことの疑問点。
一体どこから情報を仕入れたのか。答えは決まっている。
(ったくよぉ。死ぬ前に全部ゲロっちまうとは……最後まで使えねぇ暗殺者だったな)
牢獄で勇者に敗れた暗殺者、闇の使者ルインである。
ゾルディンに対して挑発的な態度を取り続けていた奴の事だ。きっと勇者に殺される直前、せめてもの意趣返しにとゾルディンの情報を流したのだろう。
思えば、勇者は何故かやたらとゾルディンの攻撃を知っていた。初見の筈の魔剣ゾラムも知っている様子だったし、戦っている最中ずっと疑問だったのだが……情報を吹き込まれていたと考えれば辻褄が合う。
ルインが身に纏っていたフードや曲剣は、魔王軍に繋がってもいけないので宰相特権で焼却処分を命じておいたが、まさか彼自身がゾルディンの仇となる情報を流しているとは想定もしていなかった。
だが、お陰様でゾルディンの心から慢心は取り払われた。
人類が相手だからと侮ることはしない。
勇者のひ弱な見た目や言動に騙され、格下と侮ることもない。
これより先は、己の全力を掛けて潰しに行く。
『精々役に立ってもらうぜ。お城の元気なメイドさんよ』
完全に覚醒した魔将騎ゾルディンは、牙を向いて邪悪に笑った。
次回はやや変則的ですが、勇者視点ではなくクリスティーナ視点でお送りします。
近日中に公開できると思います。(多分)