ラストスパート、一気に駆け抜けていきたいと思います!
思えば。
クリスティーナはこれまで、目の前で人が死ぬ姿を見たことが殆どなかった。誰かが自分の目の前で血を流し、命をすり減らしていく姿を見たことはなかったのだ。
父も、母も、呆気なく命を散らしてクリスティーナの前から去った。
「ア、アルマ……」
血が胸元からとめどなく溢れて来る。
こういう時、どうすればいいのか本当に分からない。助けたいのに、助けられない。自分では何もできない。
クリスティーナは、かつて必要がないと断じ、回復の奇跡を学んでこなかった自分をひたすら責めた。
「クリスティーナ様……」
「――ッ」
今にも消えてしまいそうな、細い声。
クリスティーナは腕の中で荒い呼吸をしているアルマへ必死に語りかけた。
「しっかりしてください! 大丈夫です。大丈夫ですから、ゆっくりと深呼吸をしてください。あなたは助かりますから!」
「ゼェ、ゼェ……」
「待っていてください。直ぐにオドルーを呼んで――」
「クリスティーナ、様……」
「アルマ?」
自分に出来ることなどない。そう悟ったクリスティーナが唯一の希望であるオドルーを呼びにこうとしたその時、彼女の手を強く握ってアルマが引き留めた。
呼吸をするだけでも苦しいだろうに、その手には並々ならぬ意志の強さが込められている。
「ど、どうしたのですか?」
「……話を、聞いてくださいますか? 私のつまらない話を」
「それなら後で聞きます。今は治療が最優先――」
「クリスティーナ様! ゴホッ……お願いです」
咳き込んだアルマの口から血の塊が溢れる。キラキラと輝いていた瞳は濁り始めており、呼吸の感覚が徐々に短くなっていく。
終わりが、直ぐそこまで迫っていた。
「……分かりました」
クリスティーナはアルマが楽な姿勢を取れるように膝の上に乗せ、深い悲しみの籠った瞳で頷いた。
せめて、彼女が少しでも安らかに逝けるようにと。
クリスティーナの配慮を感じ取ったアルマはこんな状況にもかかわらず薄く微笑み、そして朗々と語り始めた。
その内容は、以前彼女がクリスティーナに話すことを約束していた自身の出自に関することが主だった。
城下第三区の生まれであること。
ずっと役立たずの馬鹿だったこと。
無能な自分が嫌いだったこと。
最後に残す言葉がこんなに悲しいものでいいのか。
そう思って何度も口を開こうとしたクリスティーナだが、結局彼女は最後までアルマの話を聞いていた。
「――そんなこんなで私が王城で働けることになった時、お父さんは『学がないお前に出来ることなんてない』と言いました。私もその通りだと思っていました。ゴホッ、ゴホッ……私なんかに出来ることはないって、思い込んでいました」
「……」
「でも、クリスティーナ様を見た時、生まれて初めて憧れという感情を抱いたんです。生まれて初めて、その人みたいになりたいと思いました。あなたが、夢になりました」
「……」
「だから私、あなたの下で働けることになった時、本当に嬉しかったんです。ゴホッ、ゴホッ……でもその反面、心配でもありました」
「……」
「わ、たし……お役に、立てましたか……?」
死ぬことよりも、その答えを聞くことを怖がっているように見えた。
クリスティーナはそんな彼女を安心させるように優しい声音で本心を伝える。
「もちろんです。これ以上ないほどに、あなたには救われました」
「それは……良かったです」
心底嬉しそうに微笑んだアルマは、ふと空を見た。
澄み渡った青空。こんないい日に死ねるなんて、自分はついている。ついているけれど……何か言い残したことはないだろうか?
「あっ……そうだ。クリスティーナ様」
「なんですか?」
「絶対……幸せになって下さいね。私の分まで」
「――――」
境遇が似ているってだけで自分を投影するのはおこがましい話ではあるけれど、それでもアルマは自分とクリスティーナを重ねていた。
そして、だからこそ彼女に救われて欲しかった。
自分の、光になって欲しかった。
「クリスティーナ様……私はここで死にますけど、あなたは生きてください。頑張って生きて、それで幸せになって下さい。最後まで生きて……それから私に会いに来てください。また、お茶会でもしましょう」
「――――はい」
瞳に涙を浮かべながら何度も頷くクリスティーナ。
伝えるべきことを全て伝え終えたアルマは、その安堵から力が抜けたのか急激に咳き込みだした。
もう、終わりだ。
旅立つ彼女に向かい、クリスティーナは最後の言葉を送った。
「アルマ。貴女の事を、忘れない。絶対に。貴女は――私の友だ」
「――――」
ただ五月蠅いだけの餓鬼と言われて。
いつも隅っこでへらへら笑うしかなかった自分が。
こんな女神みたいな人に涙ながら微笑まれ、惜しまれながらその腕の中で死んでいく。
こんなに幸福なことがあるだろうか?
「あぁ……嬉しいなぁ……」
その他大勢の一人に過ぎなかった小さな少女は、自分の人生が真に幸福なものであったと噛み締め――
微笑みながら静かにその瞳を閉じた。
◆◆◆◆◆
「……」
優しくアルマの遺体を地面に横たえたクリスティーナは、そこら辺に投げ落としていた聖剣を拾い上げた。
その瞬間、己の脳内に侵入してくる不快な魔力と熱気。狂信にも似たそれはしかし、自分にはない感情でどこか心地よい。
思考を手放すとは、こういうことなのだろう。
己を支配しようとする聖剣に逆らいながらクリスティーナは目を閉じた。
幸せになって欲しいと友人に言われた。その幸せの正体が何か彼女はよく分かっていないのだけど、それでも少女はそれを探すためにこれから先も生きて戦わなければならない。
それはとても、恐ろしいことのように思えた。心閉ざして一人でいる時間はとても緩やかで、誰に裏切られる心配もない心安らかな日々だった。
だけど、これからは外に出なければならないのだろう。この聖剣を携え、託された思いを背負って戦わなければならない。
「……」
果たして自分にそんなことが出来るのか。クリスティーナは自問する。答えはない。誰も知らないからだ。
嘲笑、畏怖、嫌悪、そして……尊敬。
これまで自分に向けられてきた視線を思い出す。過去が自分を蝕む中、最後に向けられた友人の瞳がクリスティーナを肯定してくれているような、応援してくれているような気がした。
「……そうですね。できるか、ではない。やらなければならない。見守っていてください。アルマ」
聖剣を杖にして起ちあがる。己を支配しようとしている意志に逆らっているせいか、脇腹の傷口がジンジンと痛み始めた。だが、今はそんなことどうでもいい。
胸の内から湧き上がって来る感情が彼女から負荷を消し去る。
クリスティーナはゾルディンとルタを追って魔境と化している森へと足を踏み入れた。
◆◆◆◆◆
「……クリスティーナ。君を信じていたよ」
心底安堵した様子のルタ。それを光栄なことだと受け止めながらもクリスティーナの心中は焦りで満たされていた。
二人を追ってたどり着いた先は、やはり激戦地帯と化していた。辺りの草木は全て刈り取られ、地面には巨大な破壊痕が残されている。
聖剣の意思に逆らいながら戦っている今のクリスティーナが役に立てるかは分からないが、少なくとも盾くらいにはなれるはずだ。
「ルタ。ゾルディンの攻撃は私が全て防ぎます。あなたは私を盾としながら一撃離脱を心掛けてください」
「それは構わないけど……大丈夫かい? 顔色があまり良くない」
「あなたも良くはないでしょう」
「そうかもね。だけど、あまり無茶はしないように。……君まで失うのは、心苦しい」
「……そっくりそのまま、同じ言葉を返しますよ」
そう言ってクリスティーナは聖剣を発動させた。常時開放型の鉄壁防御だ。
ゾルディンの瀕死状態によって魔剣が覚醒しているものの、これを突破するのはかなり難しいだろう。
『チィ、完全に心を折ったと思ったのによォ、厄介な奴が増えやがったな! だがちょうどいい。俺の調子も上がって来たからなァ、ここで二人纏めて灰にしてやるよッ‼』
「やれるものならやってみなさい」
「決着をつけようか」
三者三様に構える。
此処に、アルカディア王国の――いや、世界の行く末を決める最初の戦いの幕が切って落とされた。
『死になァァァァァァァ!』
先手はゾルディン。いつも以上に調子が良い彼は自分の命が削れていく感触を味わいながらもそれを快感とし、これまでで一番力強い斬撃を繰り出した。
それを受け止めるのはもちろんクリスティーナ。意志力と思考の半分を聖剣の制御に回している彼女は、己の役割を防御のみと定め、全力でルタを守るために動く。
赤黒い斬撃は光り輝く聖剣によって阻まれ、消え去った。
直ぐにでもクリスティーナが反撃を打ち出してくると睨んでいたゾルディンは身構えるが――
「後ろ、がら空きだよ」
ゾルディンの斬撃に紛れ背後まで接近していたルタがその首筋に向かって剣を振るう。
凄まじい隠密と鋭い剣筋。
避けようのない一撃に対し、ゾルディンは
「――ッ⁉」
『そんな鈍らじゃあ、俺の首は斬れないぜ』
避ける必要すらない。勇者渾身の一撃は強化されたゾルディンの首を断ち切ることが出来ず、浅い傷を与えるのみにとどまっていた。
驚愕に目を見開いたルタが大きな隙を見せる。その隙を見逃すゾルディンではない。彼は剣を振り上げたが、その切っ先が勇者に届くこともまたなかった。
「ルタ! 下がって!」
凛と響くクリスティーナの声。ハッと嫌な予感に駆られたゾルディンは攻撃を中止して背後に振り向いた。そこには光り輝く刀身を天に掲げたクリスティーナがいて――
『――ッ!』
咄嗟に防御を固めたゾルディンだが、クリスティーナは一向に聖剣の力を解放しない。
どういうことかと首を傾げた彼は、いつの間にか聖騎士の後ろまで撤退していた勇者を見て全てを悟った。
(フェイクかよ、クソッタレ……!)
自分を囮にし、勇者を撤退させて戦況の仕切り直しを測ったのだろう。
鮮やかな戦術であった。先程までとは別人のように思えるほどに。
いや、別人というよりも本来のクリスティーナが戻って来たと言うべきか。
ゾルディンは油断なく魔剣を構えながら思考する。
(どうやら、小娘なりに聖剣の支配に抗っているらしいな。火力は減ったが……やっぱりあの女に考える時間を与えたら駄目だな。こっちが喉元を食いちぎられる)
ただの火力馬鹿であればどうとでもなる。厄介なのは、的確に戦況を把握したうえで自分の思い通りに場をコントロールできる人間である。
それが出来る人間が目の前に二人。
しかも、攻撃と防御できっちり役割分担してこちらを睨んでいる。
(ったく、手段を問わない勇者に、知能の塊みたいな聖騎士とはな……さて、この状況を切り抜けるためにはどうするべきか)
悩むゾルディンだが、手がないわけではない。
ただ、その手が非常に屈辱的で彼のプライドに罅を入れるというだけの事であって……。
「ルタ! 今です!」
「了解!」
ゾルディンが決断を遅らせている間にも二人の猛攻は続いている。強力になったもののデメリットで命を消費している魔剣の性質上、長期戦になれば不利になるのはゾルディンの方である。
『クソッ! 四の五の言ってる場合じゃねぇか!』
非常に屈辱的だが、ここで敗れて魔王さまの命令を果たせない方がまずい。
ゾルディンは決断した。
『おい! いるんだろう
巨大な斬撃の薙ぎ祓いで勇者たちとの距離を稼いだゾルディンが、自分への怒りで顔を真っ赤にしながら声を張り上げる。
その名前に勇者は背筋を凍らせ、クリスティーナはそんなルタの様子に首を傾げる。
三者三様のリアクションを取る中、それはのんびりとした口調で戦場に現れた。
『やれやれ。ボクの方が順位は上なんだから、もっと敬意を払うべきだろう? 第六位さん』
一体いつからそこに居たのか。
必死に戦っていた三人を見下ろすように、ソレは木の枝に腰掛けていた。
幻郷のユリウス。魔将騎序列第三位の実力者。
ゾルディンは魔剣を構えながら不機嫌そうな表情で口を開く。
『うるせぇ。テメェだって聖剣が破壊できないのは困るだろう? ここで一気に仕留めるぞ』
『嫌だ』
『――なに?』
気まぐれな第三位は眠たそうな瞳でゾルディンを見下ろした。
『その偉そうな言葉遣いが気に入らない。土下座してボクの靴を舐めるなら考えてあげてもいい』
『テメェ……死にてぇのか?』
『吼えないでよ第六位。多少は魔剣で強くなったみたいだけど、ボクはずっと君たちの戦いを見ていたんだ。もう動きは見切ったし、戦って死ぬのは君の方だよ』
『……ッチ』
ゾルディンとて馬鹿ではない。ユリウスの言葉は正しく、反論の余地を残していなかった。
元より気まぐれな性格であることは知っていた。凄まじい屈辱に耐えた甲斐がなかったとゾルディンは諦めのため息をついた。
『だけど』
『あん?』
しかし、理論に基づいて動く勇者ルタやクリスティーナと違い、この少年はどこまでも感情的だった。
『今回は少しだけ手を貸してあげる。折角こんな辺境の地まで来たんだ。レポート纏めるだけじゃあ、勿体ないもんね』
気まぐれここに極まれりと言うべきか。
第三位はどこまでも予測のつかない自分勝手な理由で参戦することを決定した。
『どういう風の吹きまわしかは知らねぇが……それで構わねぇよ。俺はとにかく、あの鬱陶しい聖剣を何とかしてほしいだけだ』
『はいはい。ボクも忙しいんでね、アレを何とかしたら帰らせてもらうよ』
眠たそうな眼がクリスティーナの構える聖剣を見つめる。
この状況に焦りを覚えたのは、もちろん彼と対戦したことのある勇者ルタである。
「まずい、まずい、まずい、まずい! クリスティーナ! 直ぐに後ろに下がるんだ! アイツはヤバい!」
「そ、そこまで言うほどなのですか?」
「あぁ! 戦ったことがあるから分かる! 今すぐにここから離れるんだ!」
顔面蒼白で訴える勇者ルタ。彼の尋常ではない様子から白髪の少年の恐ろしさを悟ったクリスティーナは直ぐに下がろうとするが――
『いいや。もう手遅れだよ』
彼の能力を知っているルタは、ユリウスがこの場に姿を見せた時点で察するべきだった。
辺りが白い霧に包まれる。
それが第三位の能力であることを知っているルタは急いでクリスティーナを庇うために動くが、いつの間にか距離を詰めていたゾルディンが立ちふさがった。
「どけッ!」
『いーや、どかねぇよ。聖剣はここで破壊する』
「この……!」
必死にゾルディンと切り結ぶルタだが、彼の瞳にはクリスティーナに近寄るユリウスの姿が映されていて――
「クリスティーナ!」
撤退は間に合わないと悟ったクリスティーナは地面に聖剣を突き立て、絶対防御を発動させようとした。
させようとした――つまりは過去形。
『悪いね。それは厄介だから封じさせてもらうよ』
「えっ――」
クリスティーナは愕然とした。
聖剣を突き立てようとしていた地面が消失していたのだ。今の彼女は、不安定に揺れ動く
本来であれば、聖剣の守りを発動させるのに地面という媒介は必要ない。ただ剣を構えるだけでも発動はする。だが、つい先ほど聖剣の担い手になったばかりのクリスティーナにそんなことを理解しろというのも無理な話だろう。
聖剣の扱いに慣れてないことを見抜いた幻郷のユリウスは、その弱点を突くために自身の能力で彼女の認識を狂わせたのだ。
『じゃあ、ここでさようならだね。聖剣さん』
防御が発動しないと悟ったクリスティーナの行動は早かった。咄嗟に目の前のユリウスへと斬りかかったのだ。右も左も分からないこの状況下ではよくやったといえるが、如何せん相手が悪かった。
「そ、んな……」
聖剣のサポートを受けながら全力で振るったはずの一撃は、ユリウスに
『この霧の世界では、ボクが主なんだ。君の心がもう少し強ければ別だったろうけど……残念だったね』
終わりは呆気なかった。
パリンッとガラス細工が砕けるような音と共にへし折れる聖剣の刀身。
クリスティーナは自分に託された聖剣が無惨に破壊される様をただ茫然と見つめていることしか出来なかった。
“聖剣は宿主の心が折れぬ限り不滅”
クリスティーナは強引に心を奮い立たせて起ちあがろうとするが――
『それはさせないよ』
幻郷のユリウスは容赦のない強敵だった。彼はその細い指を彼女の額に当て、そして攻撃を浴びせた。
彼女の心に。
『
「――――」
瞳から生気を失い、膝から崩れ落ちるクリスティーナ。
物理攻撃を受けたわけではない。命を落としたわけでもない。
彼女は今、過去の一番辛い記憶を順番に脳内で再生され、乗り越えたはずの地獄を
これこそが幻郷のユリウスの真骨頂。勇者ルタをして恐れる確実に人の心を折る外道の魔術である。
失われたはずの秘術をいとも簡単に行使したユリウスは達成感など微塵も感じさせない緩やかな表情で歩みを進める。
それを止める術はない。勇者ルタはゾルディンに足止めされており、クリスティーナは抗いようのない魔術の術中にいる。
『やれやれ。思っていたよりもやりがいのない仕事だったな。後は――首を刎ねてお仕舞いか』
これでは退屈しのぎにもならない。
無造作に左手でクリスティーナの髪を掴んで持ち上げたユリウスは止めを刺そうとした。
刺そうとした――つまりは過去形。
『…………ふん、なるほど。流石は聖剣と言うべきかな。腐っても神の武器ということか』
醜く爛れた自身の右手を見ながら呟く。
それは聖剣の刀身を握りつぶした方の手であった。何の抵抗もなく壊せたことに多少の違和感はあったが、どうやら悪質な
平然とした表情を保っているユリウスだが、こうしている今も絶えず右手を焼かれ続けているような激痛に苛まれている。直ぐに古の魔術で治癒しようとするが、どうにも治らない。それどころか、普段の魔術行使にも支障をきたし始めているようだ。
『……』
業腹ではあるが、これ以上の戦闘は不可能であると悟ったユリウスは直ぐに白い霧を解除した。
明瞭になった視界の中、ゾルディンと切り結んでいた勇者ルタは倒れたクリスティーナと聖剣の姿を見て顔面蒼白となり、ゾルディンはユリウスが想像以上の戦果を挙げてくれたことに喜んだ。
『仕事はした。ボクは帰らせてもらうよ、ゾルディン。……予想以上に手痛い反撃を喰らったしね』
『おう! ご苦労だったな! また今度飯でも奢ってやるよ!』
『……調子のいい奴』
呆れながらもクスリと笑ったユリウスの身体が霧として消える。
こうして、後に残されたのは未だに激戦を続けるゾルディンと勇者ルタ、そしてユリウスの魔術によって精神攻撃を受けているクリスティーナだけだった。
◆◆◆◆◆
『ハハハ! テメェも大変だな! あんな役立たずを抱えながら戦わなくちゃならないとはなァ!』
「クリスティーナのことを役立たずと思ったことなど一度もないよ。君の方こそ、気まぐれな同僚を持って気の毒だなッ!」
ルタに揺さぶりをかけるため、心理作戦に打って出たゾルディン。それに対し、ルタは欠片も動揺を見せることなく見事な剣筋で魔剣を打ち払って見せた。
力はゾルディンの方が圧倒的に上だが、勇者ルタの超越した技術が安易に決着をつけることを防いでいる。
余裕の表情を見せているゾルディンだが、実際のところ不利なのは彼の方であった。
早めに決着をつけたい彼とは違い、勇者ルタはただ耐えるだけでいいのだから。
ゾルディンが魔剣によって自滅するまで、ただひたすらに。
(チィ、やっぱりコイツの相手をするのは面倒だな。中々決め手を見つけられねぇ。どこでこんな戦闘技術を身に着けたのかは知らねぇが……掠るだけで死ぬ攻撃をここまで冷静に避けるとは、相当な修羅場をくぐり抜けてきたに違いねぇ。クソ、こいつもユリウスに始末させるべきだったか)
だが、ないものねだりをしたところで仕方がない。
それに、ユリウスに対しては大きな借りが出来てしまったばかりである。これ以上重ねては後々に響きそうだ。
だから。
ゾルディンは勇者ルタの明確なる弱点を突くことにした。
『……悪いな。こっちも切羽詰まってんだ。そろそろ決着をつけさせてもらうぜ』
一度勇者から距離を取ったゾルディンは肥大化した刀身を掲げ、そして躊躇なく振り下ろした。――光を失った瞳で倒れ伏している無抵抗なクリスティーナに向けて。
「クリスティーナッ‼」
全力で叫びながら勇者が馳せる。聖剣は持ち主の心が折れぬ限り、不滅。その言葉を信じるのであれば、彼女が無事な限り聖剣もまた復活するはずなのだ。
こんなところで彼女を失う訳にはいかない。
「うおおおおおおおお!
ギリギリで彼女を庇える位置に到着した勇者ルタは、乱れた呼吸もそのままに奥義を繰り出した。身体と武器に多大な負担を強いる代わりに尋常ならざる攻撃力を発揮する人外の剣技を。
『野郎ッ――!』
「ぐう―――――!」
拮抗する赤黒い巨大な斬撃と、僅かな煌めきを放つ銀の線。
魔力に物を言わせたゾルディンの猛攻が力を増し、勇者ルタは神憑った技術でクリスティーナと自分に害が及ぶ部分を削り続ける。
一歩間違えれば背後のクリスティーナごと真っ二つにされかねない程の魔力。ルタは必死に耐えていた。
だが、神は残酷で、どこまでも平等だった。
力と技の均衡は、桁違いに威力が跳ね上がった魔剣に軍配が上がったのである。
「ガッ――――」
懸命に耐えていた勇者ルタの胴体を魔剣の刀身が切り裂く。
左肩から右腰に掛けての鋭い一太刀。
(う、そだろ……?)
明らかに致命傷だった。
視界が赤く点滅する。何とか意識を保とうとするルタだが、彼の肉体は人の域を出ていない。重傷を受けながら立っていられる理由はどこにもなかった。
「く、そ……」
ここまでの努力が水の泡となったことを悟った彼は最後に恨み言を残し、遂に倒れた。
『か、勝った……!』
血を吹き出しながら地面に倒れ込む勇者ルタ。
その姿を見届けたゾルディンは己が勝ち取った戦果に震えた。
『か、勝ったぞ! ハハハハハ! 俺が! 勇者に勝った! 魔王様! ご覧になっていましたか⁉ このゾルディンが憎き勇者を打ち取りましたぞ! ハハハハハ!』
高らかな笑い声が響き渡る。
ゾルディンは明確なる勝利に酔っていた。
あれほど手こずっていた聖剣の破壊も同時にこなすことが出来たのだ。その喜びはすさまじいものに違いない。
……もっとも、クリスティーナを無傷で守り抜いた勇者ルタの勝利と捉えることも出来るが。
「ク、クリスティーナ……」
死に体の勇者が必死に手を伸ばす。
その手は心失いつつある彼女の手と触れて――
「ル、ルタ……?」
僅かながら彼女の瞳に光を取り戻した。
◆◆◆◆◆
「う、嘘……」
クリスティーナは、幻郷のユリウスによって与えられた地獄を何とか耐えていた。追体験させられる過去の記憶に抗い、失ってしまった嘗ての元気だったアルマの姿に涙しつつ、それでもまだ耐えていた。
しかし、彼女の視界に現実が戻ってきた時、そこには想像しうる限り最悪の結末が広がっていた。
地に倒れ伏す勇者ルタの姿。
酷い傷だ。ともすれば、アルマの時よりも酷い傷。胴体が真っ二つになりかけている今も荒い呼吸をしていられるのは、彼が勇者たる所以か。
だが、そんな事今はどうでもいい。
問題は彼が死にかけているということ。
さっきと同じように、命を救う術を知らないクリスティーナの目の前で、死にかけていること。
「ああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
血に濡れた手で顔を覆う。もうこんな辛い現実は見たくないと。
どうして私だけ? どうしていつも私にばかり試練が降りかかるの? ただ普通に生きたいだけなのに。
お父さんとお母さんと、それから友達と一緒に平和に暮らしたいだけなのに……!
「ク、クリスティーナ……」
その時、今にも消え入りそうな声が聞こえた。
顔を覆っていた手を開く。そこには、死にかけの勇者ルタが最後に残った力を振り絞って口を動かしていた。
「ご、めん……クリスティーナ、本当にごめん……」
「ルタ……?」
「救えなくて……ごめん。僕のせいだ。でも
「な、なにを……」
一体何を謝っているのか。何をちゃんとするのか。
瀕死の彼は虚空を見つめながら必死にクリスティーナへと謝っていた。――いや、
そっと彼の手を握り返す。
微かに伝わって来るぬくもり。
けれど、それだけでは彼が何に苦しんでいるのかはよく分からない。
分からないけれど、分かることが一つだけあった。
(彼もまた、苦しんでいる)
何かに苦しんでいるのだ。
クリスティーナを庇い、重傷を負ったことだけではない。彼は何かに苦しみ、絶えず焦っている。
早くしなければ間に合わないと思っている。
救いたい、と思った。
アルマの時にも思った。
そして、思っただけに終わった。
彼女には力がなかったから。
「……ごめんなさいは、こちらの方です。少しでもあなたの苦しみを取り除くことが出来れば良かったのに」
クリスティーナは諦観と共に優しく語りかけた。
自分にはルタを救う力なんてない。
でも――ゾルディンを殺すことは出来るはず。
幻郷のユリウスは去った。
彼女の心は折れていない。
あいつを道連れにすることくらいは……出来るはずだ。
『あぁ?』
勝利に酔っていたゾルディンが何かに気が付いたように振り向く。その意識が完全に此方へと向くその前にクリスティーナはルタの手を握ったまま聖剣を胸の前に掲げ、目を閉じた。
折れてしまった刀身を復活させるためである。
せめて、あいつだけは殺す。
その思いで刃を思い描いた彼女だったが――
……………………
……………
……
「……すまない。本当に、すまない。俺のせいだ」
崩れ落ち、壊れた世界。
間に合わなかった全て。
朽ちていく仲間たち。
「あぁ……俺なんて、生まれてこなければ……」
一人ずつ、念入りに。
最後の最後まで苦しむような、無惨な殺され方をされていた。
四肢が無事だった者など一人もいない。
皆が何かに絶望したような表情で息絶えていた。
“……”
正真正銘の地獄。
そこにはクリスティーナの遺体もあった。そして、そこに縋りつく彼の姿。
これは未来の姿なのだろうか? それとも過去の姿?
いずれにせよ、これはクリスティーナの記憶ではない。
偶然にも繋がってしまった―――の記憶だ。
間違った場所に来てしまったのだと分かってはいるものの、クリスティーナはその光景から目を離すことが出来ない。
あまりの悲惨さに。そして、絶望に心を砕かれた彼の姿に。
そうだ。彼だって人間なのだ。
いつかは死ぬし、絶望もする。
“彼が謝っていたのは、この光景のこと?”
自問するクリスティーナだが、答えはない。
勝手に立ち入るべきではないと理性が告げていた。
人の心に土足で踏み入っていると自分の良心が訴えている。
でも、その光景から目を離すことが出来ない。
いろんな思いがある。
理解できないことだらけだ。
あまりにも悲惨な過去――そもそも過去があること自体知らなかった。
見知らぬ自分――どこからどう見ても自分だが、明らかに自分ではないという矛盾。
思考はこんがらがり、心は定まらない。
だけど、簡潔に今の心境を述べるとすれば、これだろう。
“とても、腹が立ちますね”
涙を流す彼に。
そして、無様に死んでいる自分自身に。
何を勝手に死んでいるのだ? 彼の役に立つと約束したじゃないか。
それに、あの酷い死に顔。あれが本当に幸せになると誓った女の顔か?
『クリスティーナ様……幸せになって下さいね』
友の言葉が脳裏に蘇る。
そうだ。自分は幸せにならなければならない。
この光景は断じて幸せなどではない。
“――認められない”
認めていい筈がない。
友に誓った身として、許容できない。
“――こんな光景、認められない!”
なら、どうすればいい? 吼えるだけなら誰にでもできる。
貴女は一体どうする?
“――そんなの、決まっている”
幸せになると約束した。
彼女の思いも背負っているのだから、多分人の二倍くらい。
でも二倍は重いから、人におすそ分けをしよう。そうだ。ちょうどいいからそこで絶望しているルタに分け与えてあげよう。
もしかしたら幸せが余るかもしれないから、もっとたくさんの人に配ろう。オドルーとか、お世話になった神官たちに。
より多くの人が――いや、全ての人に幸せを。
これ以上ないほどのハッピーエンドを。
“……そうか。これが私のやるべきことか”
答えがそこに在った。
思考が明瞭になる。
自分の為に、他人を救う。
何も知らない人が聞いたら偽善だと笑うに違いない。
でも――彼女のことを知っている人たちは穏やかに微笑んで応援してくれるに違いない。
『クリスティーナ様、頑張って!』
“――はい!”
クリスティーナは敵を殺すためだけに存在している刃に背を向け、上に向かって上昇を始めた。
先が見えない水面へと。
その先に本当が待っていると信じて。
ふと、必死にもがく彼女を邪魔するような声が聞こえた。
戦え! 催促する声。
世界を救え! 傲慢に吠えたてる。
我らの宿主よ! クリスティーナのことを何も知らない高慢な声。
“――うるさい! 言われなくとも私は戦っている!”
宣言は声高らかに。
生まれたての聖騎士は、脳裏に響く声を無視して先の見えない闇の中で手を伸ばす。
“――ずっと、ずっと、戦ってきた”
もがく。手を動かす。
“――私なりに、戦っていたんだ”
弱虫だった自分が発した自虐を否定する。
そして、過去の自分を肯定する。
何も間違っていなかったのだと。
“――だから、これから先も戦い続ける”
話が違う、と剣に宿る邪悪な意思は訴えた。
厚かましく大昔の約束を持ち出してくる。
彼女は、
“――知るか”
どうでもいいと一蹴した。
“――あなたたちの思惑など知ったことか。私は私の為に戦う。私の事を信じてくれた人の為に。私自身が幸せになるために。だから――”
水面に到達する。
暗闇に差す一筋の光。彼女はそれに向かって必死に手を伸ばして――
本来であれば決してたどり着くことの出来ないそこへと至った。
◆◆◆◆◆
『……なんだ。何があった、テメェ』
油断なく魔剣を構えるゾルディンの目の前には、自力で起ちあがったクリスティーナの姿があった。
「……」
彼女は答えない。ただ無言で刀身のない聖剣を胸の前に掲げ、祈る様に瞳を閉じた。
そして、奇跡が始まる。
「――私は祈らない」
それは、彼女が世界に向けた宣言であった。
もう傀儡にはならないという宣言。
そして、彼女自身を示す呪文。
「――
聖剣に課せられた枷が軋む。
「――時が世界を刻む」
ひび割れる。
「――剣が先を示す」
一度刀身が破壊されたことによって緩んだ封印の枷。
クリスティーナは容赦なくその枷を破壊しようと試みる。
彼女自身が全ての事情を把握できたわけではない。
ただ、「気に食わない」なんて個人的な理由で聖剣に宿るなにかを追い出そうとしているだけだ。
「――全ては繋がり」
それが正しいことなのか、それとも間違ったことなのか。
クリスティーナは考えることを放棄し、ただ己の心に従う。
「――ここに秩序の虹が架かる」
そして、世界は砕け散った。
クリスティーナ
呪文の終わり、聞いたことのない優しい女の人の声を聞いた。まるで、女神さまみたいに綺麗で柔らかな声。
不思議とその声に親近感を覚えたクリスティーナは微かな笑みを浮かべながら光に包まれた。
『な、なんだそれは……!』
ただ眩しいだけだった先程までの光を否定するかの如く、多様な美しさを持つ虹色の光が聖剣の根元から溢れ出す。
ゾルディンの魔剣など比べ物にならない圧倒的な魔力。
クリスティーナは溢れ出る虹色の光を無造作に振るった。
瀕死だったルタに向かって。
「う……ん……?」
恐らく、それはこの世で最も尊い奇跡なのだろう。
胸に刻まれていた重傷が
「あ、あれ? クリスティーナ?」
「――ルタ」
「こ、これは……?」
「気にすることはありませんよ。ただ……時間を巻き戻しただけですから」
「へっ―――?」
虹の光を纏い、茶目っ気を見せながらもクリスティーナの心中には複雑な思いが浮かび上がっていた。
“この力にもっと早く目覚めていれば、アルマやお母さまを救えたかもしれない……”
けれど、それは仮定の話だ。
今は今。
過去は過去。
胸の中で渦巻く全ての感情を呑み込み、クリスティーナは気丈に微笑んだ。
「――――」
それは、ルタをして見惚れざるを得ないほどに美しい、まるで女神が如き力強さと慈悲深さに満ちた笑みだった。
「そ、その剣は……?」
「あぁ、これですか。これは――」
照れ隠しのように尋ねたルタに対し、クリスティーナは自分がまだ虹の光を無造作に放出させたままだったことに気が付いた。
これはいけない、とクリスティーナは虹の光を収束させ、真なる刃として完成させた。
不思議な紋様が刀身に刻まれ、見る角度によって色合いを変える美しすぎる剣。
聖剣の真なる姿。
その銘は――
【
「全てを終わらせるための剣です」
封印されていた時の女神の権能が今、ここに蘇る。
祝福か、或いは呪いか。
鈴の鳴るような音が世界中に響き渡った。
『―――――ほう?』
至高の玉座にて退屈そうに頬杖をついていた魔の王はその音を聞き、楽し気な笑みを浮かべ。
(なるほど……そう来ますか)
半端に世界を知る
世界を狂わせる異物。
目覚めるはずがなかったもの。
だが、己の為した偉業を知る由もなく――いや、たとえ知ったとしても「どうでもいい」と一蹴するであろう誇り高き少女は完全に支配下へと置かれた聖剣を構え、友人の仇を睨みつけた。
「さぁ――決着をつけましょうか、ゾルディン。今の私は少々手強いですよ?」
『……』
無言で剣を構えるゾルディン。
絶望的な戦いが此処に始まった。
【
入手条件:
聖剣の刀身をへし折ることによって封印を緩め、そこですかさずクリスティーナに心理的負荷を与えることによって覚醒する。
なお、覚醒させられるかどうかは彼女の好感度調整と仲間や友人の死などある程度悲惨な経験が必要となる。
効果:
時の女神の剣であり、文字通り時間を操ることが出来る。
指定した有機物、無機物の時間巻き戻し(死者は魂の関係上、直ぐにでも蘇生しないと流石に蘇らない)。
敵の攻撃の無力化(時間を巻き戻してなかったことにする)。
使用者の動きの倍加(ちなみに5倍速まで可)。
そして、止めに刀身内で魔力を無限に循環、加速させ、収束させてから放つ斬撃。威力はマジで頭おかしい。王城を縦に割れるくらい。宝石剣ゼル〇ッチかな?
デメリット:
使用後、消費した魔力量に応じて眠ることになる。最大三日。以上。
勇者「これ欲じいィィィィィィィィィィよォォォォォォッ!」(発狂)
ちなみに、勇者がずっと欲しがっていたのはもちろんこちら。
まじもんの超ウルトラスーパー・ハイパーデラックス・チート武器。
勇者が使えばマジで年単位で攻略が縮まる
ゾルディンとの最終決戦は端折ってもいいですよね? だって、どう考えても勝ち目ないんだもん。ゾルディンちゃん可哀想……(涙目