えっ、文字数? 当然の様に過去最多ですが何か?(白目
増え続ける文字数にも対応してくれる読者の皆様には感謝しかありません。
後書きにお知らせがあるので、そちらも合わせてご覧ください。
地獄を見た。
何度も繰り返される悪夢だ。
全体の風景はぼやけていて、あの時ほどはっきりとは見えないけれど、それでも彼が苦しみ涙していることは分かった。
大切な人を失うことが一体どういうことなのか。クリスティーナは痛いほどに分かる。
父、母、そして友。
その全てを亡くし、その度に苦しかった。
苦痛だったと記憶している。
だからこそ、今見ている光景は異常だった。
苦しみが終わらない。果てが見えない。
さっきからずっと同じ光景を見せられているような気がする。
何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も…………
その全てに喜びがあり、そしてそれ以上の絶望があった。
“こんなの……間違ってる”
そう思うけれど、クリスティーナに出来ることなど何もない。
さらに、クリスティーナには確信があった。
この光景を――この地獄を記憶に留めておくことなど出来はしないのだという確信が。
だって、これは夢だ。
聖剣の副作用か何かで見ている夢なのだ。
夢はいつか覚める。
その内容も忘れて、現実に戻ることになる。
でも――
“忘れたくない。いや……忘れるわけにはいかない”
クリスティーナは無駄な足掻きであると分かっていながら、その光景を心に焼き付けんとしていた。
凄惨な地獄から目を逸らすことなく、ただ向き合い続けていた。
やがて、意識が浮上し始める。
焼き付けたはずの記憶が削げ落ちていく。
抵抗虚しく現実へ浮上しながらもクリスティーナは誓った。
いつかきっと、この地獄の真実にたどり着いて見せると。
そして、クリスティーナを助けてくれたあの勇者に恩返しをするのだと。
誰に頼まれるでもなく、彼女は自分でそう決断した。
そして、虹の聖騎士が目覚める。
「ルタ?」
目覚めたクリスティーナが最初に目にしたのは自室の天井。そして次に目にしたのは、ベッドの傍の椅子で眠りこけている勇者ルタの姿だった。
酷い顔色だ。まともに睡眠を取っていないのではなかろうか。クリスティーナは勝手に眠って勝手に休んでいた自分が急に申し訳ない気分になった。
だけど、彼が帰って来たという事実が嬉しくもある。ほんの数日会っていなかっただけだが、一か月ぶりに再会したくらいに感じるほどだ。
それほどまでに濃い時間を過ごしていたのだと実感する。
「う……ん……あれ、クリスティーナ?」
クリスティーナが目覚めた気配を察知したのか、ルタが目を覚ました。
顔を顰めながら伸びをしている。あんな体勢で眠っていたのだ。きっと背中が痛いに違いない。
気の毒に思う一方で、クリスティーナはそんな何気ない彼の動作が妙に嬉しかった。何と言うか、ごく普通の人間らしかったのだ。
先程まで見ていた―――とは違う。
(あれ? ……私、さっきまで何の夢を見ていたんだっけ……)
クリスティーナは頭の奥にぽっかりと穴が空いてしまっているような感覚に陥った。
何か、絶対に覚えておかなければならない大事なことを忘れてしまったような……。
「身体の調子はどう?」
明らかに調子が良くなさそうなルタの質問に対し、一旦考え事を放棄したクリスティーナは呆れたような表情で返した。
「……お陰様で絶好調です。そちらはどうですか?」
「絶好調さ」
「嘘つき」
アハハ、なんておどけた笑い顔を見せるルタ。
だが、今回ばかりは色々と限界だったのか。
彼は飄々とした態度を消し去り、直ぐに真顔になった。
「いや、でも……うん。流石にヤバいかも。ご飯食べたら大人しく眠ることにするよ」
「そうしてください。激戦を耐え抜いたというのに、死因が過労死では笑えませんから」
「仰る通りで」
両手を上げ、降参のポーズを見せるルタ。
いつも通りの、どこかおどけた振る舞い。けれど、それが彼の配慮であることはクリスティーナもよく分かっていた。
「ルタ」
「うん?」
「ありがとうございました」
「……それは、何に対しての?」
「全てです。私をゾルディンから救ってくれたこと。共に戦ってくれたこと。その全てに感謝をしています。本当に――ありがとうございました」
真っ直ぐなクリスティーナの瞳。
ルタは照れたように視線を逸らしながらボソボソと言う。
「……君はいつも、謝っているか感謝してばかりだね」
「そういうあなたは、いつも戦ってばかりですね」
「それが性分だからさ」
「なら、私もそう言うことで」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
お互いの性分については既に理解している。今更話し合ったところで平行線をたどるだけだろう。
ルタは微笑んで言った。
「取り敢えず、どういたしましてと言っておくよ。メンタル面も不調がないようでなによりだ」
「……そうですね」
頷くクリスティーナだが、どこか歯切れが悪かった。
彼女の些細な変化に気づいたルタが問いかける。
「どうしたの? 何か心配事でもあるのかい?」
「……」
「もしかして……アルマや、お母さんの事?」
「……そうですね。そのこともあります」
「そのこと、
首を傾げるルタには悪いが、クリスティーナは二人の事に関しては既に乗り越えていた。
それは、彼女が薄情だからでも現実を見てないからでもない。
真正面から向き合い、それでも立ち向かい続けると決意したからだ。
そんな彼女の気高さに惹かれ、聖剣は真なる姿を見せた。
「まぁ、振り切れたのならそれでいいんだけど。僕からは言わせて頂くよ」
クリスティーナの心境にどんな変化があったのかを知らないルタは困惑しながらも誠意を込めて言った。
「お悔やみ申し上げます。お母さんには会ったことないけれど、二人とも君にとって大事な人だったんだろう。彼女たちを救えなかったこと……本当に、申し訳なく思っている」
「謝らないでください。あれは全て、ゾルディンのせいです。あなたに非はない。それに、彼にはもう裁きを与えました。……もう、終わったことなのです」
失った者は取り戻せない。
時間を操るという究極の権能を手に入れながらも――いや、手に入れたからこそクリスティーナはその事実を深く実感する。
彼女たちへの申し訳なさはある。救えたはずの命だったことは理解している。
でも、だからって下ばかり向いていては先に進めない。
彼女たちの死を無駄にするわけにはいかない以上、クリスティーナは前を向かなければならないのだ。
「……意外だったな」
「何がですか?」
ポツリと漏らしたルタの言葉にクリスティーナが反応する。
「もっと、落ち込んでいるとばかり思っていた。君は、とても情が深い女性だから」
「……」
「慰めの言葉も用意していたけれど、全部無駄になっちゃったな。まぁ、それが一番良いんだけどさ」
笑いながら語るルタ。彼はクリスティーナに起きた変化をポジティブに捉えているようだ。
「そう、ですね……以前までの私ならきっと、塞ぎ込んで泣いてばかりだったでしょう」
過去の自分を見つめながらクリスティーナが肯定する。けれど、弱虫を卒業した彼女は胸を張って言った。
「でも、今は下を向いてばかりいられませんから。泣いている暇もありません。そういうのは本当の意味で戦いが終わってからにします。だから――」
「だから?」
「慰めの言葉は取っておいてください。全部が終わって私がどうしようもない泣き虫に戻った時に」
「……了解」
全部が終わったら。
そう、戦いは何も終わっていない。
ゾルディンは魔将騎の六位に過ぎず、未だに世界には魔王の脅威が迫っているのだから。
「そういえば、さ」
「はい?」
「心配事って他にもあるんじゃないの?」
「……どうしてそう思うのですか?」
「君がそう言ったんじゃないか」
言われて自分の発言を思い返し、確かにその通りだと思い当たるクリスティーナ。
「そう、ですね……」
クリスティーナは言うべきかどうか迷っていた。聖剣が覚醒する間際に見た、あの光景の事を。ルタと思わしき人物が体験していたあの地獄について。
けれど、心のどこかで確信もあった。
クリスティーナが尋ねたところで、彼は答えてはくれないだろうという確信が。
彼は恐らくあの光景の事を隠している。若しくは、それ自体を知らないか。
あれが時間を操る聖剣が見せた未来の光景であるという可能性もある以上、クリスティーナはきっちりと考えた上で立ち回る必要があった。
「クリスティーナ?」
「……ルタ。私は今から、おかしなことを尋ねます。いいですか?」
「別に構わないけど……」
「正直に答えて下さいますか?」
「それはもちろんさ。君に対して嘘をついたことはないよ」
彼の瞳は真剣そのものだ。
クリスティーナは、その瞳を信じて口を開く。
「……私とあなたは初対面。これは事実ですか?」
「当たり前じゃないか。何を言っているんだい?」
「……」
少なくとも、嘘をついているようには見えなかった。
ルタはクリスティーナと初対面であると信じている。
だが――このクリスティーナとは初対面かもしれないが、別のクリスティーナであればどうだろうか?
「ならば、私ではない私と出会ったことは?」
「……クリスティーナではないクリスティーナってこと?」
「えぇ」
「ハハハ、全く。僕をからかっているの?」
「真剣に答えて下さい」
「――ないよ。君とは初対面だし、君以外のクリスティーナなんて知らない」
「……」
クリスティーナには分からなかった。
先程と同じく、真剣な瞳。
嘘をついているようには見えない。演技にも見えない。
(じゃあ、本当に彼は何も知らないってこと……?)
クリスティーナは内心で首を傾げた。
青い瞳でルタを見つめるが、彼はあの純真な瞳に疑問を浮かべながら見つめ返してくるだけ。
(……分からない。本当のあなたはどこにいるの?)
残念ながら14歳から殆ど一人で過ごしてきた彼女には、百戦錬磨の怪物を見抜く力など備わっていない。
勇者の真意を知ることは出来ない。
だから、未だ発展途上の聖騎士はこの問題を保留とすることを決めた。今の自分には荷が重すぎるとして。
けれど――いつの日か、必ず背負って見せると誓って。
「……分かりました。変なことを聞いて申し訳ありませんでした。もうこの話は終わりにしましょう」
「いいけど……本当に大丈夫?」
「大丈夫です。メンタル面も問題はありませんから」
「君がそう言うならいいけど……」
腑に落ちない表情をしながらもルタは渋々頷いた。その様子も演技には見えない。これも演技だったら、彼は常時日頃から人格を偽っていることになるが……そんな気が狂いそうなことが可能だとは思えなかった。
思いたくなかった。
「では、この話はここで終わりということで。それよりも――」
次の話題に移ろうとした瞬間の事である。
ぐう~~~~~
「……」
「……」
「……クリスティーナさん?」
「何も言わないでください」
「お腹空いたの?」
「――ッ!」
デリカシーなんてあったもんじゃない。
キッと鋭い眼差しを向けて来るクリスティーナだが、頬が赤いのであまり怖くない。小さな子供を見るような目で彼女を見るルタは優しい声で言った。
「ご飯取ってきてあげるよ」
「……お願い、します」
屈辱に身を震わせながらクリスティーナが言う。そんなに恥ずかしがることかなぁ? なんて惚けたことを言いながらルタが部屋を出て行った。
普段は配慮のある男なのに、何故か妙なところでデリカシーがない。
だが、話を逸らすことが出来た上に朝食まで持って来てくれることになった。思わぬタイミングで鳴った自分のお腹を恨んだり感謝したりしながら着替えようとしていたその時。
コンコンッ
自室の扉がノックされた。もう帰って来たのかと驚きながら「どうぞ」と返答したクリスティーナだったが、入室してきた人物を見て目を丸くした。
「失礼します」
「オリバー殿?」
堅物の若き神官、オリバーである。何の用事があるのか。
入って来た彼は何故か寝間着のままだったクリスティーナを見て動揺したようだったが、直ぐに気を取り直して切り出した。
「お加減は如何ですか?」
「良好です。オリバー殿は如何ですか?」
「悪くはありません」
「それは何よりです」
そして生まれる、謎の沈黙。
昔のクリスティーナであれば、効率を重視して直ぐにでも尋ねて来た用件を尋ねていただろうが、今の彼女は少し違う。
「取り敢えず、そこにある椅子に座られたらどうです? 立ちっぱなしは辛いでしょう?」
「……よろしいのですか? その……大分、距離が近くなると思うのですが……」
「? 別に構いませんが」
「では、失礼して」
おずおずと先程までルタが座っていた席に腰を掛けるオリバー。
やたらと緊張気味の彼だったが、クリスティーナが眠っていた間に起きていた事態を簡潔に説明し、そして今後の展開も語ってくれた。
勇者に掛けられたままの殺人容疑を晴らそうとオドルーが奮闘していること。クリスティーナの母であるアウラの死亡が確認され、葬儀を行うことが決まったこと。
城下第三区の治安が安定化し、その理由としてゾルディンが従えていた魔人たちが一気に退去した可能性が高いということ。
「……なるほど。そんなに大変な事態になっていたとは知りませんでした。これはスヤスヤと眠っている場合ではありませんでしたね」
「それは仕方がないことでしょう。それよりも――」
オドルーは堅物な表情の中に悲しさを滲ませ、言った。
「お母上の事、お悔やみ申し上げます。アウラ様は、ご立派な方でした」
「オリバー殿……そうでした。あなたは昔の母を知っていましたね」
「覚えていますか? 昔の事を」
「……やや記憶は薄れてきましたが、覚えています。オリバー殿はどうですか?」
「私は――」
昔話を始めようとしたオリバーそこで言葉を止め、まじまじとクリスティーナを見つめてから少し拗ねたような顏で言った。
「……なぁ、それは止めてくれないか?」
「何の事です?」
「その『殿』ってやつだよ。……もう、昔みたいにオリバーとは呼んでくれないのか? クリスティーナ」
「……オリバー」
クリスティーナが名を呼ぶと、彼は嬉しそうに笑った。
彼のフルネームはオリバー・リンダース。
アルカディア王国にて代々公爵を務めている名家リンダース家の三男であり、クリスティーナの幼馴染であり、そして悲劇の夜まで彼女の婚約者であった男性である。
とはいっても、その時期から王国は危機的な状況にあり、クリスティーナは恋愛など二の次で国と父の事ばかり考えていたため、その関係を意識したことは特になかった。
神殿に左遷された後、何故か彼も公爵家を抜け出して神官になったと聞いた時は驚いたが、その時は意外にも信仰深い人だったんだな、と思った程度だった。
「……ずっと、君の事が心配だった。お父上の事があったあの夜から、ずっと」
「……昔の話です。急にどうしたのですか?」
「急になんかじゃない!」
「オ、オリバー?」
突然大声を上げた幼馴染に驚きを隠せないクリスティーナ。
何も分かっていない彼女に向かい、長年の思いを募らせてきたオリバーは語る。
「俺は今でも君の父上が許せない。何もかもを台無しにし、君を神殿に追いやった彼が許せない」
「オ、オリバー?」
「そして、君の母上も許せない。君が苦しんでいる時期、あの女は薬に逃げた。神官共も許せない。彼らは、君を腫れ物のように扱った。そして――あの勇者も許せない。突然現れて、君を横から掻っ攫おうなんて――」
「オリバー! 突然何を言っているのです⁉ これ以上彼らへの侮辱は許しませんよ!」
「……あぁ、そうだな。君が庇うのはそっちだよな。勢いに任せて追いかけて来たものの、怖がって何もできなかった俺には目もくれないか」
自虐的な笑みを浮かべ、オリバーは己を罵倒する。クリスティーナはというと、突然感情を剥き出しにして語る彼にただただ困惑していた。
確かに嘗ては幼馴染だった。王城で同じ授業を受けていたし、親が決めたこととは言え婚約までしていたのだ。
だが、再会してからの彼と言えば、変わり果てたクリスティーナに対してただ義務的に接するだけで、私的な会話など殆ど交わしたことがなかった。
だから、思ったのだ。
この人も皆と同じなのだと。
「オリバー……」
「……急に取り乱してすまなかった。でも、俺はただ君に危険な目に合ってほしくなかっただけなんだ。ゾルディンは明らかにヤバい奴だった。だから、むやみに懐を探って眼をつけられるようなことをして欲しくなかったんだ」
「それで、城下第三区の調査に乗り出すことを反対していたのですが……」
「あぁ。……まぁ、結果的には全部君が正しかったけどな。アイツは魔人だったし、君は聖剣なんてものに目覚めるしで、もうわけがわからないよ……でも、君が無事でよかった。本当に」
笑みを浮かべながらオリバーは言う。
いつもは冷たく微動だにしない緑色の瞳が、今日は昔のように温かい色を帯びている。きっちりと固めているはずの金髪も乱れており、彼が如何にクリスティーナを心配していたのかがよく分かった。
(どうやら、私はまたも人の好意を無為に踏みにじっていたようですね……)
オドルーの時と同じだ。彼はあんなにも彼女の為に動いてくれたのに、当時のクリスティーナといえば我が儘に心を閉ざして何もしなかった。
深く自省する。
そして、成長したクリスティーナは言った。
「オリバー」
「……なに?」
「ありがとうございました。あなたは、私の事を心配してくれていたのですね。嬉しいです。そして、ごめんなさい。私はあなたの誠意に気づくことが出来なかった」
「――――」
オリバーは目を丸くして驚いた後、頬を赤く染めながらガリガリと頭を掻いて、笑った。
「なんていうか、変わったな。クリスティーナ」
「そうですか?」
「あぁ。間違いなく変わったよ。前よりもずっと、素敵な女性になった」
「は、はぁ……」
それはどうも、なんてあんまり分かってなさそうな顔をする鈍感女。
そういうところはまだまだか、なんて思っていた矢先だった。
「それにしても、元婚約者という縁
「……マジかコイツ」
「?」
クリスティーナの口から衝撃の言葉が放たれた。
年若きオリバーは色んなものを恨んだ。そして思った。どうして誰もコイツに情緒教育をしてこなかった⁉
「……あのなぁ、普通に考えてそんなわけがないだろう?」
「じゃあ、どういう訳なのですか?」
「……」
コイツ、全部分かった上で言っているんじゃないだろうな? オリバーは本気でそんな気がしてきた。だが、事実としてクリスティーナは何もわかっていない。自分がどういう方向性で好かれているのか本気で分かっていない。
色々と終わっている女だった。
「……はぁ、一旦この話は止めにしよう。それよりも本題に移ろうか。今日はその為に来たんだ」
「本題、ですか」
「あぁ。これ以上話を長引かせてもあれだしな。手っ取り早く言わせてもらおう。――クリスティーナ・エヴァートン。俺はあなたに女王にならないか、という提案をしに来た」
「……なるほど」
そういえば、以前ルタにも同じことを言われたな、と思い出すクリスティーナ。
だが、今回は以前と違ってより現実的な提案であることは彼女にも分かっていた。国王が亡くなり、彼の世継ぎは三人の娘だけ。
本当は唯一の男が生まれるはずだったが、亡くなってしまい、今アルカディア王家の正当な血を引くのはクリスティーナと彼女の二人の姉だけなのだ。
そうなった場合、消去法でクリスティーナが選ばれることは本人にも何となく分かっていたことではある。
上二人の姉はなんというか、女王に向いている感じではないので。
オリバーが話してくれた内容も大方そのような感じだった。
彼は神殿や父である公爵の意向によってここに来たようだが、彼自身もクリスティーナが女王になることを望んでいるらしい。
オリバーは熱を込めて語る。
「これ以上ないチャンスじゃないか! 君を見下して来た連中を見返すいい機会だ! あのクリスティーナ・エヴァートンが女王になるって言うんだ。反対する奴もいない。もしいたとしても俺が何とかするよ。この国を支えることが出来る人間は、君以外に居ないんだから!」
「しかし……」
「どうして悩む必要がある? ずっと彼らは君に酷い言葉を浴びせて来たじゃないか! 君を抑圧して、無視し続けた。……求められたからと君が素晴らしい政策案を出した時、彼らは何をした? 君の目の前で破り捨てたんだぞ! これまで受けて来た屈辱を晴らす機会だ。君が女王として、君臨する。これ以上に痛快な逆転劇があるか⁉」
オリバーは笑う。どうやら、いつになく興奮しているようだ。
クリスティーナはそんな彼をたしなめるように言った。
「……残念ですが、オリバー。そんな考えの者が女王になったとて、私の父の時と同じことが起こるだけでは?」
「――ッ!」
「あなたが私の事を思って発言してくれていることは分かります。ですが、少し冷静になって下さい。あなたの語る女王像は今、暴君そのものです」
「……あぁ、すまなかった。少し、頭に血が上っていたよ」
椅子から立ちあがり、ベッドの上で上体を起こしているクリスティーナに詰め寄るほど興奮していたオリバー。だが、彼女の冷静沈着な空気と言葉で一気に頭を冷やされた。
オリバーが落ち着いたのを見たクリスティーナは静かに口を開いた。
「オリバー。あなたの望むような女王にはなれませんが、しかしこの国が今リーダーを必要としていることは私も理解しています。どうかにしたい、という思いも持っています。ですが、今すぐに決断を出すというのは難しいことだ」
「……そうだな。幸い、オドルー様が動いてくださっている。暫くの間はゆっくりと養生していてくれ」
「ありがとうございます。……フフ、こうして話していると少し昔を思い出しますね」
「あぁ。とても懐かしいよ。あの頃は、とても平和だった。出来れば戻りたいくらいさ」
「えぇ。仰る通りです」
過去を思い返しながらオリバーが言う。
穏やかに微笑むクリスティーナを見たオリバーは不意に、心の中に芽生えた言葉をそのまま口に出した。
「――なぁ、クリスティーナ」
「なんでしょう?」
「俺は、今からでも婚約者としての立場に戻ってもいいと思っているんだ。君は、どうだ?」
ドクン、ドクン。
心臓の鼓動が五月蠅い。
オリバーは祈るような気持ちでクリスティーナの言葉を待って――
「? あれは私たちの両親が決めたものでは」
「いい加減にしろよお前」
「????」
突然の罵倒に目をぐるぐると回すポンコツ聖騎士。
こりゃあ、駄目だ、と若き神官は頭を抱えた。
「まぁ、ゆっくりと考えてみてくれ。俺は何度でも言うが、君が女王になるべきだと思っている。君の翼は、こんなところで潰されていいものじゃない」
「そんなに大袈裟なものでは――」
「いや、それくらいに価値のあるものさ。君は賢く、カリスマがある。これ以上ないほど女王に相応しい女性だ」
「……私は、何も知らなかったのですね」
「どうした急に?」
オリバーの問いかけに対し、クリスティーナは昔の自分を思い出しながら語った。
「あの頃の私は、自分の味方などこの世のどこにもいないのだと思い込んでいました。だから勝手に一人で塞ぎ込んで、極力周りの事を見ないようにしていた。でも――こんなに近くに私を助けようとしてくれる人がいたのですね。あなたも、オドルーも、素晴らしい人格者だというのに、その好意を踏みにじってしまった。本当に、過去の私は愚かだったと思うばかりです」
「……」
悔やんでいるような口調だが、表情は穏やかだった。
既に過去の事として割り切っているのだろう。彼女はオリバーが救うことの出来なかった悲惨な過去から解放されたのだ。
「……変わったな、クリスティーナ。昔の俺がもっと勇気を持てていれば、君を――」
「?」
「……いや、なんでもない。これこそ後悔だな。今は前を見ないと」
オリバーは椅子から立ちあがり、外へ出る準備をしながら言った。
「それじゃあ、俺はこれで失礼するよ。女王の件、答えが決まったら俺のところへ来てくれ。良い返事がもらえることを期待している」
「分かりました。ご足労、痛み入ります」
「だから、そういう堅苦しい口調を止めて欲しいんだけどなぁ……」
ぼやくように言いながらオリバーは神官としての一礼をした。
見送りに立ちあがろうとするクリスティーナを制し、オリバーはベッドを離れて扉へと向かう。
「あぁ、そうだ。言い忘れていた」
扉を開くその直前。
振り返った彼は燃えるような瞳でクリスティーナを見つめ、言った。
「俺は親が決めたこととはいえ、好きでもない女と婚約を結ぶほど酔狂な男じゃない。ましてや、そいつを追いかけて神官になったりもしない。それだけは、覚えていてくれ」
「――――」
クリスティーナは鈍感な女だ。
頭はいいが、堅く。
いつだって自己評価が低くて他人との接点を極力減らして生きて来た。
だけど。
そんな彼女でも分かるほどにはっきりと、オリバーは自分の心を伝えた。
啞然と彼が出て行って閉められた扉を見つめる。
それは、今まで欠片もそういったことを意識したことがなかったクリスティーナの胸にも響いて――
「クリスティーナ?」
軽いノックの音が響くと同時、朝食を取りに戻っていたルタが帰って来た。クリスティーナの返事も聞かずに入ってくるあたり、今日の彼はデリカシー度が低めらしい。
直ぐに返事を返そうとしたクリスティーナだが、今の彼女は少々心が乱れており、どうにも上手い具合に言葉が出てこなかった。
目ざとくクリスティーナが悩んでいることを悟ったルタが口を開く。
「どうしたんだい? お腹が空きすぎて考えることを止めたの?」
「……」
この男は。
先程までここにいたオリバーとのギャップに脳がショートしそうなクリスティーナだったが、ルタの醸し出す気の抜けた空気はどうにも気が安らいで――
「で、何て言われたんだい?」
オリバーが来たことを話せば当然、会話の内容が気になるに決まっている。クリスティーナは素直に話そうと思ったのだが……心のどこかでブレーキが掛かった。
「――女王に、ならないかと」
結局、クリスティーナは無難な(そういうわけでもないが)方の話題をルタに相談し、そして自分でも意外なほどあっさりと答えを得ることになった。
だって――
「ゾルディンのことで思い知らされたよ。僕は、一人じゃ何もできない。一人じゃあ、魔将騎たちを相手取ることは出来ないってね」
「そんなことは――」
「あるんだよ。……この世界を救うために呼ばれた身としては口惜しい限りだけどさ、僕一人の力なんて高が知れているんだ。だけど――」
「――君と一緒なら、戦える。何も聖剣だけが理由じゃない。クリスティーナが一緒に居てくれれば、僕は勇者として戦えると思うんだ」
「……」
こんなことを言われたら――
「僕と一緒に来てくれないか、クリスティーナ。一緒に魔王を倒そう。そして全てが終わった後、君は女王になるんだ」
断れないじゃないか。
「――アルカディア王国第三王女、クリスティーナ・エヴァートン。虹の聖剣を携え、あなたの剣にして盾になることを此処に誓います。勇者ルタ。どうか共に」
こうして、クリスティーナ・エヴァートンは彼と共に戦うことを誓ったのだった。
その胸の内に様々な思いを秘めながら。
◆◆◆◆◆
「……」
その日の夜。
クリスティーナは休むべきと分かっていながら、どうしても眠ることが出来ずベランダで夜風に当たっていた。
ルタ曰く、二日後には出発するらしい。
それまでに準備をしておいて欲しいと言われた。
素早く行動を開始することへの文句はない。準備だって極論聖剣があればいいのだから、一日もあれば終わる話だ。
暫くは帰って来れなくなる。
そう思うと、いつも自室から眺めていたこの景色も恋しくなってきた。
『君は、情が深い女性だから――』
ルタの言葉もあながち間違いではないのかもしれない。
そんなことを思いながらクリスティーナはここ数日の事を思い出していた。いや、正確にはルタと出会ってからの日々を。
嫌なことがあった。
たくさんの、嫌なことが。
大切な人たちが死に、自分の闇を知り、そして物理的な痛みも知った。
けれど――その一方で、数えるほどだけど良いこともあった。
友達が出来た。
一人は勇者を名乗る気弱でお調子者だが、やる時はやる男。
もう一人は、クリスティーナに憧れてくれると言ってくれた輝く瞳の少女。
仲間がいた。
ずっと自分を助けようとしてくれていた偉大な神官長。
そして、同じく何もなかったクリスティーナに手を差し伸べようとしてくれていた幼馴染。
きっと、クリスティーナが気付いていないだけで、他にもいるはずなのだ。
彼女の味方をしてくれる人が。
一人じゃないと、教えてくれる人が。
「……」
クリスティーナはベランダから室内に戻り、そして布団に潜った。
明日から忙しくなる。
本人が予期していた通り、次の日はとにかく忙しかった。
女王にはならない旨をオリバーに伝えると同時、旅に出ることを宣言。
大いに反対をされたが、聖剣の力を披露すればさしものオリバーも沈黙していた。というか、あまりの反則ぶりに若干引いていた。
演出の為とは言え、五倍速で暴れ回ってからの時間巻き戻しは少しやり過ぎただろうか? と一応の反省をするクリスティーナ。
……ちなみに、例の件についてはお互いに何も触れなかった。まだその時ではないと敏感に悟ったのだ。
そうして彼女が物理的な方法でオリバーを説得している間にオドルーはあっさりと勇者ルタの無罪を証明し、さらに神殿側の権威を高めていた。
これから先、王城側の力が低下する以上、彼やオリバーの所属する神殿が力を持って悪いことはない。
彼らであれば、この国に良いバランスを齎してくれるだろう。
加えてオリバーを説得したことにより、彼の父である現リンダース公爵に取り入ることにも成功。
純粋に国を思う家臣だった彼を強引に宰相にし、クリスティーナは自分が帰るまでの国の舵取りを彼に任せることにした。
クリスティーナが引き継ぎ作業に従事している間、ルタは彼女の代わりに旅の準備を進めてくれていた。
疲れ果てた身体で自室に戻ると、そこには完璧に用意された旅の準備セットがあって目を丸くしたのは記憶に新しい。
「……旅は初めての筈では?」
「まだ疑ってるの? 普通に街の人たちに聞いて準備しただけだよ」
「そう、ですか……」
疑わしいところだが、疲れていたクリスティーナはそれどころではなく、直ぐにベッドに横になって眠ってしまった。
次の日も自分が居なくなった後の引継ぎで大忙しだった。
国王の座に関しては、クリスティーナの叔父にあたる人物がやってくれることになった。
血筋的にはそこまで問題ないし、頭も良く回る。
それに、メンタル面も割と強力だった。
本人はちょっと嫌がっていたが、宰相の指示に従えばいいと説得し、ついでにボーナスもつけると約束すると渋々引き受けてくれた。
オリバーはアイツに任せて大丈夫か、などといっていたが、下手に野心がある人物に任せると後が不安だ。
全面的に嫌がっている人は父と同じになる可能性があるので論外で。
後半はルタも合流し、二人で後に響きそうなイベントは全て一日で強引に終わらせ、その日の夜もクリスティーナは心底疲れた身体で死んだように眠った。
そうして迎えた、次の日の朝。
空模様は曇り。アルカディア山脈の反対側では雨が降っており、決して出発日和とは言えない天候だった。
早めに寝たことで疲れの取れたクリスティーナは、ルタがどこからともなく持ってきた甲冑に身を包んだ。
ルタ曰く、殺されてしまったアルカディア王国一の鍛冶屋が持っていた品らしい。彼の息子と親しくなって譲ってもらったのだとか。
竜の素材で出来ているというその鎧は、驚くほど軽くて動きやすく、おまけに圧倒的な防御力を誇っているらしい。
背中の青いマントにアルカディア王国の紋章を背負い、腰に聖剣を差したクリスティーナは、黒色のマントにアルカディア王国の紋章を背負い、そして軽鎧を纏ったルタと共に城門まで来ていた。
二人の前には、これから先の旅で大いに活躍してくれるであろう二頭の馬がいる。
立派な毛並みの彼らにはまだ名前を付けていないが、もうクリスティーナに懐いてくれている。
旅の途中にでも名前を付けてやろうと決心した。
「クリスティーナ」
「……オリバー」
馬に鞍をつけ、さらに旅のために持っていく品々をぶら下げ終わった頃。
背後から声があった。
振り返ったクリスティーナの瞳に驚きはない。事前に伝えてあったからだ。
この城門で最後に挨拶をしようと。
「あぁ、君がオリバー君か。クリスティーナから話は――」
「すまないが。あなたは下がっていてくれ。これ以上近づかれると、何をするか分からない」
「……どうやら、色々と事情がありそうだね。じゃあ、僕はオドルーさんと話してくるよ」
空気を呼んだルタは険悪な雰囲気を放つオリバーの視線をいなし、彼の後ろに控えていたオドルーへと近づいていった。
二人きりになったところで、オリバーが口を開いた。
「……答えを、聞かせてもらってもいいか?」
「はい」
静かに頷いて、クリスティーナは言った。
変に誤魔化すことなく、はっきりと。
「申し訳ありません。あなたの気持ちに応えることは出来ません」
「……やっぱりか」
ここ数日の彼女を見ていれば分かることだった。
明るく、気高く、そして楽しそうに笑う彼女。
その傍らには勇者を名乗る男がいて――
(まったく、勝算がないって分かってたはずなのに……どうして言っちゃったかな、俺)
オリバーは愚かな自分を罵ったが……その反面、長年心のうちに秘めていた思いを打ち明けたことへの解放感があった。
そして、望んでいたものではなかったが、答えが得られたことへの安堵感も。
「……悪かったな。何年も事務的な態度を取っていた男から言い寄られて迷惑だっただろう。でも、はっきりと答えてくれてありがとう。これで俺も切り替えて――」
「迷惑だなんて、とんでもない。あなたには感謝しています」
オリバーの自虐的な言葉を遮り、クリスティーナが言った。
「私は鈍い女です」
「あっ、自覚あるんだ」
「――オリバー」
「悪かったって。それで、何が言いたいんだ?」
茶々を入れたオリバーを睨みつけたクリスティーナだが、直ぐに表情を切り替えた。その瞳は真摯で、彼女の誠実な姿勢を示している。
「……今までずっと、自分に自信がありませんでした。いつだって周りの人を疑っていて、その言葉を真に受けようとしていませんでした。誰かが私を褒めてくれても、別の誰かが私を貶す。その繰り返しの中で、期待することを諦めていたのでしょう。でも――」
「……でも?」
「この数日の中で、友人が出来たんです。私の事を人として尊敬してくれる友人が。私の事を支えてくれる仲間も出来て、それから私が変わるきっかけを与えてくれた友人も出来ました。そして、つい先日――私の事を女性として好いてくれる男性を知りました」
「……」
「とても嬉しかったです。そして、とても自信になりました。……残念ながら、その人の事を男性として意識したことがなかったのでお断りさせていただきましたが、本当に、一人の女として光栄でした。これから先、あなたが与えてくれた自信は、きっと私にとってかけがえのないものとなるでしょう」
「……それは、なによりだよ。君が喜んでくれて、良かった」
オリバーは無理することなく、心の底からの笑みを浮かべることが出来た。
彼の心はまだ、ますます素敵になった彼女を欲しがっているけれど――その思いを打ち消して余りあるほどに、嬉しかった。
ようやく、役に立つことが出来たのだと。
「私、夢も出来たんです」
「へぇ。一体どんな夢?」
穏やかな気持ちでオリバーは尋ねる。
クリスティーナはキラキラと輝く虹の様な瞳で答えた。
「助けたい人がいるんです。その人は私を助けてくれた人で、強くて優しいのにどこか変なんです。いつも笑っているのに、どこか苦しそうに見える時があるんです」
「……」
「だから、いつか彼の事を助けたい。そして、願わくば――目の前にいる人達皆に幸せになって欲しい。それが、私の夢です」
「……それは、とても素敵な夢だな」
「ありがとうございます」
クリスティーナは嬉しそうに微笑んだ。
(あぁ、そうか。君はもう自由だったんだな)
オリバー・リンダースは、あれほど空に飛び立てと祈っていた誇り高き竜が、既に鎖から解き放たれていたことを悟った。
竜は空へと飛び上がっていたのだ。
彼が思っていたよりも、ずっと早く。
彼ではない男の手を借りて。
「……ままならないよなぁ、人生って奴は」
「オリバー?」
「いや、なんでもないよ。――いい旅を、クリスティーナ。道中くれぐれも気を付けてな」
「はい。ありがとうございます。そちらも気を付けてください。ゾルディンが居なくなったとはいえ、王城内には何人もの敵が潜んでいます。あなたであれば上手くやると思いますが――」
「はいはい。そういう堅苦しい話はもういいって。俺の事は大丈夫だから、旅を楽しんできな」
「別に、楽しむために行くわけでは――」
「あぁ、もう! 堅苦しい奴だな! 良いから行ってこい!」
うだうだと理屈っぽい幼馴染の背を押し、オリバーは微笑んだ。
押されてよろけたクリスティーナだが、オリバーの方に振り返ると彼女らしい綺麗な微笑みを浮かべて言った。
「行って来ます」
「――あぁ、行ってらっしゃい」
彼女の背が遠ざかる。
アルカディア王国の紋章が刻まれた青いマントが、風に揺れる。
オリバーはその背を見送ってから静かに微笑んで王城へと足を向けた。
「いつでも帰って来いよ」
◆◆◆◆◆
『幸せになって下さいね』
友の言葉が脳裏によみがえる。
クリスティーナはその言葉に頷きながらも、内容については深く考えてこなかった。
なにせ、出した答えの一つが「より多くの人々に幸せを」だ。
しかし、世の中には自分を幸せに出来ない人が他人を幸せに出来るわけがない、という格言があると聞く。
ルタが昨日の夕食時に言っていたことだ。
では、自分を幸せにするとはどういうことなのか。
というよりも、「自分」とは一体何なのか。
クリスティーナ・エヴァートンとは何者だ?
虹の聖騎士。
いずれ女王になる女。
ただの小娘。
その全てが正しく、否定することが出来ない彼女の要素だ。
では、彼女は一体何者として幸せになるのか。
聖騎士として?
女王として?
クリスティーナとして?
それとも――女として?
「……恋、ですか」
オリバーの告白は断ってしまったが、彼のお陰で彼女の心にはその言葉が浮かび上がるようになった。
幸せの定義の一部に、組み込まれた。
恋人。
結婚。
子供。
ありふれた、普通の幸せ。
旅が終わり、やるべきことを終えた後にそういった幸せを追い求めるのも、決して悪くはないとクリスティーナは思うのだった。
「……ルタ?」
これまで支えてくれたオドルーとも別れの挨拶を交わしたクリスティーナは、馬と旅の仲間が待つ城門まで戻って来た。
真っ先に目についたのは、どこか遠くの空を見上げているルタの横顔。
ボーっと何かを見つめている彼の視線が気になったクリスティーナは声を掛けた。
「何を見ているのですか?」
「あぁ、クリスティーナ。話はもう済んだのかい?」
「えぇ。双方の納得がいく形で話を終えることが出来ました」
「……なんか、別れ話みたいな言い方だね」
苦笑いを浮かべるルタ。
あながち間違いではないような……だが、それ以前の話だからやはり間違っているだろう。
これ以上話の内容を聞きだされたくなかったクリスティーナは尋ねた。
「何を見ていたのですか?」
「あぁ、
ルタの指が遠くを指し示す。
クリスティーナはそこに視線を向け――
「――えぇ。いずれ止むのであれば、雨も悪くない」
晴れ渡る空に掛かった虹を眺めた。
赤、青、緑、黄、橙、藍、紫。
鮮やかな色たちに飾られた橋。
それは、彼女たちの旅立ちを祝福しているように見えて――
「綺麗だな……」
ポツリと呟かれた声に横を見る。
彼の横顔は、いつもと違う雰囲気を帯びていた。
遠い何かを思い出すような瞳。
それとは反対に、どこか冷たく感じる空気。
「……そうですね」
クリスティーナは余計なことを言わず、ただ彼に同調した。
そっと、寄り添うように。
「さて――名残惜しいけど、そろそろ出発しないとね」
暫くボーっと言葉を交わすことなく虹を眺めていた二人だが、このままでは手早く用事を片付けた意味がなくなってしまう。
ルタは自分の馬を呼び寄せ、その背中に跨りながら虹を見た。
「それにしても、本当に綺麗な虹だな。タイミングもばっちりだし、もしかして――」
チラリ、とクリスティーナの方を見て。
「君が架けたのかい?」
悪戯っぽい口調と顔で尋ねて来る。
それを無性に愛おしく思いながら、クリスティーナは言った。
「いいえ。この国が――私の愛するアルカディアが架けたのです」
些かファンタジーが過ぎるだろうか。
だが、クリスティーナはそう信じたかった。
見送り人はオリバーとオドルーの二人だけ。
でも、あの虹だって二人を見送ってくれている。
愛する祖国が、二人を祝福してくれている。
「……なるほど。悪くないね」
ルタは慣れた手つきで馬を操り、そして虹の果てを指差した。
「これまた奇遇なことに、あの虹の左端の方角が、これから僕たちが向かうべき場所なんだ。運命を感じるなぁ。これは幸先がいいぞ!」
「フフ、そうですね」
クリスティーナは微笑む。
ルタは快活に笑い、言った。
「それじゃあ、行こうか。世界を救いに」
「はい!」
二人の若者が、アルカディア王国を旅立つ。
草原を馬で駆け、美しい髪とマントを風に靡かせながら虹の果てを目指す。
幼馴染に楽しむわけではないと言った少女だが、その言葉はこの場で訂正しなければならないだろう。
彼女の心は今、最高に踊っていた。
胸が高鳴っていた。
この先に待ち受ける新たな冒険にワクワクしていたのだ。
未知なる世界。
きっと、そこにはこれまで以上の悲しみや残酷な結末が待ち受けているのかもしれない。
でも、それ以上の喜びもまた、あるはずなのだ。
「行って来ます」
“行ってらっしゃい”
彼女の知る幾つもの声が背中を押す。
そして、翼を広げた少女の新しい旅が始まった。
第一章「アルカディアの聖騎士」完
これにて第一章は完結となります。
ここまで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました!
さて、今回の第一章に関してですが、(作者の)ガバにより、結構な矛盾点が生まれていたりしています。
これもね、勝手に動き回る勇者が悪いんや……(責任転換)。
そんなわけでして、近いうちにさり気なく一話や二話あたりに修正を加えたいと思います。もちろん、物語の根本を揺るがすようなことはしませんが、あれ……あの設定消えてるやん……ってなった時は作者のせいです。
いやほんと、すいません……。
詳しい変更点や一章を書き終えた感想につきましては、活動報告でまとめてお知らせしますので、気になる方はそちらを見てください。
では、謝罪ばかりで終わるのも後味が悪いので、最後はいい感じで締めたいと思います。
えーと……第二章もお楽しみに!(雑)