幾つか変わっている個所がありますが、どこを変更したかは活動報告で語っているのでそちらをご覧ください。
至高の玉座にて
もしもこの世界に地獄があるとすれば、それはこの場所の事を指しているのだろう。
今、人界を蝕んでいる瘴気が辺り一面に充満している死の世界。
暗く、陰鬱な空気が立ち込めるこの世界の名は――魔界。
世界の裏側にあるもう一つの世界である。
人間たちが瘴気や魔人たちによる領土侵犯を防げない理由の一つとして、全ての発生源であるこの魔界の場所を特定できていないことが挙げられるのだが、それはともかく。
人間界にて聖剣の刀身をへし折り、その結果として右手に消えない呪いを負ってしまった魔将騎序列第三位、幻郷のユリウスは特殊な術式を用いて第二の故郷へと帰還していた。
理由は二つある。
まず一つは今も蝕まれ続けているこの右手を治療するため。
もはや、まともな戦闘もままならない程に痛み、術式の構築を阻害してくるこの呪い。「これ作った奴、絶対性格悪いだろ……!」なんて毒づく外道魔術の使い手。
彼は魔将騎にだけ与えられる移動用の竜の背中に乗りながら暗い魔界の空を駆けていた。
目指すのはこの魔界の中心にして、唯一と言っていいほどの立派な建造物。
持ち主の趣味が前面に押し出されたそれは、非常に巨大で豪奢だ。
この世界では不釣り合いに思えるほど華やかなその城の名は、魔王城。
ここでユリウスが帰還したもう一つの理由だが、それは敬愛する魔王に報告をする為である。
刀身をへし折り、一時撤退を強いられていたユリウスではあったが、彼は姿を隠して最後まで観ていたのだ。折れた聖剣が尋常ならざる力を手に入れて復活する場面を。ゾルディンが蹂躙されていた様を。
――あれは、魔界を脅かす力だ。
ユリウスは聖剣の力を直接目にし、そう判断した。
あの出鱈目な能力と張り合えるのは、自分よりも序列が上の魔将騎たちと、そして魔王くらいのものだろう。
それなら別に警戒する必要はないのかもしれないが……しかし、物事にはもしもの場合がある。
ちょうど、ユリウスが侮っていた聖剣の刀身に消えない呪いを掛けられた時のように。
「魔将騎序列第三位、ユリウスが帰還した! 開門を願う!」
竜から降り、ユリウスが巨大な城門に向かって大声を張り上げる。
古びた音と共に、世界最強の王が君臨する城の入り口が開いた。
◆◆◆◆◆
外見にそぐわず中は張りぼて――などというオチがある筈もなく、魔王城の中は相も変わらず豪奢で美しかった。
魔王さまは意外にも人界の調度品を好んでおられるらしく、所々に魔界では見られない家具や装飾品が見られる。
ユリウスは侍女に案内され、玉座の間にたどり着いた。
「魔王さまは、いずれおいでになります」
「分かった。君は下がってて」
「承知致しました」
無表情で礼をした侍女が立ち去る。ユリウスは空席の玉座を仰ぎ見た。
美しく、威厳のあるその玉座に座ることを許されたのはただ一人のみ。
過去、何人もの猛者がその座に挑んでは、無様な死体となっていった。
積み重ねられた死体の山でもう一つ城が出来るのではなかろうか? まことしやかに囁かれているその噂を、ユリウスは割と本気で信じていた。
魔王様であれば可能である、と。
噂をすれば影が差す。
ユリウスは玉座の上で凄まじい魔力が渦巻いたのを感じた。
自然と膝を折り、服従の姿勢を取る。
そして、それはあるべき場所に君臨した。
「――久しいな、ユリウス」
玉座の間に響く、美しい声。
魔将騎の中でも生意気な性格として知られているユリウスだが、彼は流れるような動作で跪き、首を垂れていた。
「お久しぶりです。魔王様」
決して顔を上げない。
その忠実な姿勢は、きっと勇者辺りが見れば白目をむいてしまうほどに、ユリウスの性格を知っている人物からすれば異常な光景だった。
「面を上げよ」
「はっ」
許可を得て、ようやく顔を上げる。
つい先程まで空席だった玉座には、いつの間にか一人の女性が尊大な態度で腰を掛けていた。
人間たちが見ればきっと驚くに違いない。
あの魔王が女性だったという事実に。
そして、そのあまりの美しさに。
ゾッとするほど整った美しい顔立ちは大人の色気に満ちており、豊満な肢体をドレスと鎧が混合したような――いわゆるバトルドレスで包んでいる。
見た目だけであれば、勇ましい人間の女性のように見えるだろう。
だが、全身から溢れる凄まじい覇気と瘴気が彼女の正体を示している。
「せっかく気持ちよく眠っていたというのに……儂を叩き起こすとは、よっぽどの要件であろうな、ユリウス」
「私はそのように判断いたしました」
「それを最終的に判断するのは儂なのだが……まぁ、よい。口を開くのさえ億劫じゃ。要点だけ纏めて簡潔に述べよ」
「はっ」
ユリウスは退屈そうな眼差しを向けて来る魔王に向けて語った。
聖剣が謎の覚醒を遂げたこと。その恐るべき能力。そして、序列第六位のゾルディンが敗れ去ったこと。
自身の右手に消えない呪いを掛けられたこと。
「ふむ、なるほど……」
全てを聞き終えた魔王は、気だるげに頬杖をついた。
腰まで伸ばされた濡れ羽色の美しい黒髪が一房、頬に掛かる。
「それはまた、難儀であったな。ユリウス」
「は、はい――」
魔王は報告を終えた部下を労いながら優雅に組んでいた長い脚を組み替えた。思わず目で追ってしまうユリウス。
動作一つで人を魅了してしまうそのカリスマ性は、性別や種族を問わない魔性のものである。
己の行動が無礼であると悟ったユリウスが恥ずかしそうに顔を伏せるが、魔王は特に気にしかなかった。
それは彼女が寛大であるというよりも、単純にユリウスに対しての興味が薄いことが理由である。
「それにしても、聖剣が覚醒とは。ゾルディンにはちと荷が重かったかのう」
「……何故、アイツに任せられたのですか?」
「単純に向き不向きの話じゃ。アイツは政治が上手かったからのう」
「なるほど」
実はあまり納得のいっていないユリウスだが、その思いを押し殺して頷いた。
「さて、ここから先、どう動いたものかのう……」
「魔王様。僭越ながら、私より進言したいことがございます」
「ほう? 構わぬ。申してみよ」
全てのパーツとバランスが完璧なその身体。
だが、その中で唯一と言っていいほど異端な黄金の瞳がユリウスを捉える。
魔将騎たちは皆、本気を出した時に瞳の色を黄金に変えることがあるが、彼女のそれは生まれつきのものである。
生まれついての強者。
魔将騎など全員まとめて一人で相手出来るほどの実力者である魔王の瞳はどこか異質な黄金で、ユリウスは物理的な圧力さえ感じる視線を受けながら口を開いた。
「即刻、聖剣を破壊するために第二位か第一位の派遣を提案いたします」
「理由は?」
「単純に、脅威だからです。……私の眼が間違いでなければ、あの聖剣は時間を操っていました。無機物に限らず、有機物の時間までも巻き戻し、自身の速度を加速させ、さらには魔力を循環させて刀身から強力な魔光線まで放つ始末――」
ユリウスは目にした光景を思い出しながら語る。
「あの能力を放置しておけば、彼らは際限なく強くなっていきます。今が好機なのです。勇者が弱く、聖剣の使い手も未熟な今が! ……さもなくば、彼らは人界にて必要な鍵を手に入れ、この魔界に到達するでしょう。そうなる前に、何としても手を打たねば――」
「あぁ、少し黙れ」
「……」
魔王は徐々に熱が籠っていくユリウスの言葉を唐突に遮った。
一番肝心なところで遮られたユリウスは消化不良だが、魔王の命令に逆らえるはずもない。ただ黙って王の言葉を待つのみである。
「ふむ、そうじゃのう……」
王は迷っておられるようだった。
当然のことだろう。最悪、彼女にも届き得る最悪の能力が人界で覚醒したのだ。判断は慎重に下さなければならない。
本来は短気な性格のユリウスではあるが、彼は辛抱強く魔王の言葉を待った。
そんな臣下の姿勢には欠片も目をくれず、暫く悩む素振りを見せていた王は決断を下した。
ユリウスにとっては最悪の決断を。
「
「――えっ?」
ユリウスは思わず顔を上げた。
彼の敬愛する魔王は玉座にて退屈そうな視線を向けるのみであり、忠臣からの警告を真に受けている様子がない。
「し、しかし! あの聖剣の力は――」
滅多に口答えなどしないユリウスだが、流石に今回ばかりはそういう訳にもいかなかった。どうにか自分の意見を聞いて欲しいと言葉を重ねるが――
「構うな、と言った儂の声が聞こえなかったのか? 二度も同じことを言わせるな」
魔王は冷たく切り捨てた。
玉座の間が軋む。
ただ存在するだけで生態系に被害をもたらす彼女は、怒りの感情を抱くだけで空間を歪ませ、命を、物を壊してしまう。
魔将騎でなければ耐えられない程の圧力を無意識のうちに発している王は、つまらなそうに言った。
「勇者の動向は気にせずとも良い。奴の好きなように行動させておけ。どうせここにたどり着いたとて、儂には勝てんからのう」
「……」
妙だ、とユリウスは思った。
彼の仕えている魔王は極めて合理的な性格であり、その知性と圧倒的な力で魔界を蹂躙し、全てを手に入れた魔人の頂点だ。
当然、慢心など見せたことがなかったのだが……一体、どうしたというのだろうか?
はっきりと言ってしまえば、らしくない。
不確定な要素は断固として潰してきた彼女が、最も不確定なイレギュラーの存在を放っておく? あり得ない。
確かにここ数百年の魔界は平和だったから、それで平和ボケしてしまった可能性もある。
だが、よりにもよって魔王様がそんなものに惑わされるはずがない。
では、一体何が要因だ? 自分の説明が足りなかった? 聖剣の脅威が伝えきれていない?
それとも、王はあの勇者との間に関わりが――
「――なぁ、ユリウスよ」
「ッ⁉」
ゾッと背筋の凍る声。
顔を上げた先には、険しさを含んだ黄金の魔眼があった。
「好奇心は猫をも殺すという。貴様の子供らしさは好ましく思っているが、それも度が過ぎれば不快となる。弁えよ」
「は、はっ――!」
ユリウスは警鐘を鳴らす本能に従って頭を下げた。
彼の判断は正しく、ユリウスがこれ以上余計な詮索を入れようものなら、王は第三位の首をあっさりと斬り飛ばしていた。
代わりは幾らでもいるのだから。
「だが、貴様の報告は非常に役に立った。褒美を取らせよう。呪われたという右手を見せよ」
「は、はい」
ユリウスはおずおずと呪われたままの右手を差し出した。
魔王は玉座の上から動くことなくその手を観察する。
「ふむ……相変わらず、悪質な連中だ。こんなものを作っている暇があれば、別のところに労力を割けばいいものを。学習せんな」
「は、はぁ……あの、私の右手は治るのでしょうか?」
「そうじゃのう……少し荒治療になる。歯を食いしばれ」
「へっ――?」
ユリウスが首を傾げる。
魔王はその黄金の瞳でギロリと少年の小さな手を見つめた。ただ見つめただけである。指先を動かすことすらしていない。
では視線の先の空間が、
「――ッ! アアアアアアアアアアアアアアアア!」
「やかましいぞ。もうその手は治せん。諦めて斬り捨てる他なかったのじゃ」
ユリウスは激痛に思わず声を上げた。
予告通りの荒治療。
魔王はユリウスの右手に憑りついた悪質な呪いをその魔眼で浄化したのだ。
右手ごと。
部下の手を躊躇なく切り取った魔王は、退屈そうな瞳で蹲るユリウスを見ながら口を開いた。
「新しい手が欲しいのならキリギスのところまで行け。貴様に合う義手を作ってくれるだろうさ」
子供の様な見た目をしているユリウスだが、これでも魔将騎序列第三位の猛者である。ただ敬愛する魔王に攻撃をされると思っていなかったから身構えていなかっただけであり、事態さえ把握してしまえば直ぐにでも痛みを克服できる。
ユリウスは軽率な真似をした自分を恥じながら魔王に頭を下げた。
「わ、分かりました。ご配慮、感謝致します……」
あの悪質な悪魔に頭を下げるなど虫唾が走る行為ではあるが、それが魔王の命令である以上は仕方がない。
自身の進言が受け入れられなかったことは残念だが、それが魔王の意思であれば仕方がない。
「報告、ご苦労だった。もう下がれ」
「失礼します」
もしもの時は独断で動くことも視野に入れながら――その思いを表に出すことはせず、痛む右手を抱えたままユリウスは玉座の間を後にした。
「……」
こうして、玉座の間に残ったのは魔王一人。
「――――クッ」
ユリウスが去り、静寂に包まれていた玉座の間にくぐもった異音が生じる。
「クククククク」
それは、玉座にて退屈そうに頬杖をついていたはずの魔王から生じていた。彼女は右手で顔を覆い、小刻みに肩を震わせている。
何かに耐えるように。
だが、忍耐も限界を超えたのか。
彼女は遂に溜めていたものを爆発させた。
「クハハハハハハハハハハハハハハ! ハーッハハハハハ!」
それは、腹の底から吐き出された笑い声だった。
痛快で、面白くてたまらないと表情が物語っている。
彼女は腹が捩じ切れそうなほどに笑いながら黄金の魔眼で遥か彼方を覗き見た。
呑気に王城で聖騎士と話している勇者の姿を。
「愉快! 愉快! これは愉快じゃ!」
直ぐに視線を切る。気づかれたら厄介だし、そもそも面白くないからだ。
彼女は予測の出来ない事態を好む。
イレギュラーを愛する。
この世界を、楽しんでいる。
「クククククク、此度は随分と
魔王は恍惚とした表情を浮かべた。
これはたまらない。
退屈で仕方がなかった日常をぶち壊す朗報に、彼女は心の底から興奮していたのだ。
胸の動悸が収まらない。
込み上げて来る笑いが止まらない。
たまらず玉座から起ちあがり、天を見上げた。
あぁ――!
「楽しみじゃのう! 楽しみじゃのう! 楽しみじゃのう!!」
子供のように瞳を輝かせながら魔王が笑う。
くるくると踊る。
その覇気で城が揺れ、放出された魔力の余波で使用人の何人かが死んだが、彼女は気にも留めない。
黄金の瞳を爛々と滾らせ、愛しき宿敵に向けて言葉を送る。
「
ゲラゲラと笑う。嗤う。哂う。
「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
悪意、熱意、憎悪、愛情、狂気、狂喜。
善も負も、全ての感情がミックスされ、ドロドロに溶かされたような笑い声と笑顔。彼女は既に狂っていてもおかしくなかった。
だが、心の底から狂うには彼女は強すぎて――
「アハハ! ……はぁ、久々に大笑いしたのう」
一通り感情を爆発させて満足した彼女は再び玉座に腰掛けた。
ただ喜びを表現しただけでかなり甚大な被害が魔王城に及んだりしているが、それは彼女の知るところではない。
クールダウンで徐々に冷静さを取り戻していた魔王はふと、快楽に染まっていた顔に自虐的な表情を浮かべ、ポツリと呟いた。
「……ククク、まぁ儂も所詮は首輪に繋がれた敗北者。哀れな奴隷同士、仲良く慰め合おうではないか」
黄金の瞳が遥か先を見通す。
超越者にして演者である魔の王は、狂い始めた世界の歯車を見ながら呟いた。
「――急げよ、勇者。此度は間に合うといいのう」
一体いつから、周回を重ねているのが勇者だけだと錯覚していた?(震え声
ただこの魔王は見ての通り、勇者とは真逆のタイプと言いますか。RTAなんて欠片も考えていないですし、直接手を出すことを嫌うタイプなのでたまーに顔を出してニヤニヤして偉そうに何か言って立ち去るだけだと思います。……多分。
間違っても勇者を手助けするようなことだけはないのでご安心ください。
次回は人物紹介を出します。能力値とか書いてある奴ですね。
二章? ……もうちょっとお待ちください(土下座