以前の一話ではクール系と表現していましたが、ガラッと変えてちょっと可愛い系の男子にしました。
本当にすいません。話の都合上、こう変更するしかなかったんです……
これも全て筆者のガバさが為すところ。すいません……
※それに伴い、一話の内容に変更を加えておきました。よろしければご覧になって下さい。
祈りは届かない。
祈りに意味はない。
祈りは通じない。
だから、私は祈ることを止めた。
「――して、召喚された勇者は如何なものだった?」
「身に纏う覇気は大したものですが、おかしなことに中身が凡庸でした。どこかちぐはぐな印象を受けます」
「ふむ……手懐けることは出来そうか?」
「可能だと思います」
その膨れ上がった自己顕示欲を示すように豪華絢爛な玉座に腰を下ろした国王が、長い階段の最下層にいる白衣の少女へと問い掛ける。
面を上げることを許されていないクリスティーナは頭を下げたまま淡々と彼の質問に答えていた。
「そうか。では、勇者の事はそなたに一任する」
「ありがとうござ――」
「だが」
そこで言葉を切った国王は、首を垂れたままの少女を睨みつけながら言った。
「常に経過報告を怠るな。貴様に勇者が肩入れし過ぎないように注意し、一定の距離感を持って接するのだ。断じて、私に牙が向くようなことだけはないようにしろ」
「それはもちろんです」
淀みのない返答をしたクリスティーナだが、国王の反応は好ましくなかった。
「……分かっているとは思うが、お前には常に監視をつけている。もしもだが、勇者を手懐けて儂に牙を向けようというのなら――」
「そのようなことは決して」
「今は儂が話しておるのだ! 痴れ者がッ!」
低く頭を下げていたクリスティーナに後頭部に何かが衝突した。次いで、彼女の美しい金髪を濡らしながら赤い液体が下へと垂れていく。
国王が玉座の上で呷っていたワイン入りの金属製グラスを彼女に向かって投擲したのだ。
「……」
屈辱的な目に合わされているはずのクリスティーナはしかし、何も言わない。
「ッ!、決して面を上げるでないぞ! 儂がここを退出するまで地を見つめておれ!」
「はい」
もちろんクリスティーナは微動だにしていなかったのだが、一方的に命令を押し付けた国王は、逃げるようにしてその場を後にした。
「……」
彼の足音が遠くに行ったことを確認したクリスティーナは、ゆっくりと面を上げた。
その表情は、やはり無。
何の怒りも悲しみも感じさせない鉄仮面のままだった。
近くに待機していた侍女にグラスの片づけを命じたクリスティーナは、機械的な仕草で頭に染み付いたワインを拭いながら廊下を歩いて自室に向かっていた。
「……」
思えば。
王女であるはずのクリスティーナが質素な白衣を纏い、まるで臣下のように何の取り柄もない王に首を垂れるようになったのはいつからだったろうか。
『クリス・エヴァートン』
城塞都市国家、アルカディア。
その王として君臨する王。
愚王。色ボケ王。無責任王。
不名誉な二つ名を多く持つ誰からも嫌われる王であり、そしてクリスティーナの父親でもある。
彼の血を引くということが一体どういった意味を持つのか。
この世に生を受けたその瞬間から血みどろの争いに巻き込まれることになったクリスティーナは身をもって良く知っていた。
恥に思っている――ことにしている。
耐え難い屈辱であると認識している――つもりだ。
だけど。
そんな男ではあるけれども、クリスティーナの脳裏には皆のイメージと異なる男の姿が絶えず存在していた。
『クリスティーナ』
邪気のない笑顔で微笑む、ちょっとだけ情けない風貌の男性。
こんなに覇気のない男が王を名乗ったとして、通りを行く人の何人が本気にするだろうか。それほどまでに平和ボケした男であり、そして女性と子供から好かれる人徳者であった。
そう。不本意ながらクリスティーナは知っている。
世間一般では悪鬼のように扱われているが、彼の王が決して情のない男ではなかったことを。いや、寧ろ愛情深い性格だったように思う。だって、彼はいつだって愛した女やその子供に甘くて、いつだってニコニコと笑っていた。
今よりずっと幼かったあの頃は彼の事を父として慕っており、そして彼もまたクリスティーナのことを娘として可愛がっていたのだ。
だが
『貴様も私を愚弄するのかッ⁉』
全ての歯車が狂ったその日の事を、クリスティーナは断片的に覚えている。
悪鬼のように歪んだ醜い顔でクリスティーナのことを罵倒する父の顔。
彼をそうさせたきっかけは一体何だったか。
クリスティーナが悪かったのかもしれないし、彼が悪かったのかもしれない。
ただ、その時の彼女はわけがわからないままに父へ謝ろうとしていた。
彼女は昔の父に戻ってほしかっただけなのだ。
しかし、既に狂い始めていた王に娘の言葉は届かなかった。
実の娘に向けるとは思えない眼光で彼女に迫ったクリスは、怒りのままに手を振り上げ――
「父上!」
父は彼女の悲鳴を無視して頬をはたいた。当時14歳のクリスティーナは、踏ん張ることも出来ずに床へと倒れ込む。
そこで頭を冷やしていれば、二人はまだギリギリ親子であれたかもしれない。
しかし、稀代の愚王にして色魔である彼の眼前には、この世のものとは思えない
『―――』
窓から差し込む月光が一人の可憐な少女に焦点を当てている。
真っ赤に晴れた頬に張り付く金糸。潤む青の瞳。倒れ込んだ拍子にドレスは少し乱れ、恐ろしく白い生足が露になる。
その後に起きたことを、クリスティーナはあまり思い出したくない。
どうにか最悪の事態だけは逃れることが出来たが、それでもあと一歩彼女の母が寝室に来るのが遅れていたら、今頃彼女は中身が完全に壊れた廃人となっていただろう。
未遂にこそ終わったものの、彼女の心には永遠に消えない傷跡が残ることとなってしまった。
その後、父は泣いて地に頭を擦りつけながらクリスティーナに謝罪を繰り返した。
『すまない。許してくれ……』
『わざとじゃなかったんだ! ただ、少しかッとなってしまっただけで……』
『お前の事は今でも娘だと思っている』
『仲直りしないか?』
『また、父上と一緒に遊ぼう』
「……」
あまりにも情けないその姿を冷めた目で見つめていたクリスティーナは、何の感情も抱かないままに目の前の人物が自分の父親でなくなってしまったことを悟った。
何も言わず、ただ人形のように無機質な瞳で自分を見つめる娘の姿に何を思ったのか、クリス国王は有無も言わさず彼女を神官たちの下へと送った。
仲の良い幼馴染の許嫁が決まっていたにもかかわらず、あまりにも惨い処置だった。
当然の様に多くの臣下が彼の決定に異を唱えたが、彼の王はただ青白い顔で断固とした意志を貫くだけであり、結果的にクリスティーナは齢14にして華やかな社交界から姿を消すこととなった。
そんなことをすれば当然、あらぬ疑いがクリスティーナに掛けられることになる。
曰く、「国王と禁断の関係に踏み切ってしまったのではないか」
曰く、「賢すぎるが故に追いやられた」
曰く、「恋に狂う母の嫉妬を買った」「見捨てられた」「嫌われた」「堕ちた」「肉欲に溺れた罰」「天誅」「いい気味」「自業自得」「終わった」「一生を無為に終える」「王家の恥さらし」「性悪女」「浄化されるべき」
心無い言葉が何もしなくても耳に入って来た。
しかし
「……」
肝心のクリスティーナはというと、その全てに注意を払わなかった。
どうでも良かった。
全てが。
彼女の心はあの夜を境に半壊しており、痛みに対して鈍感になっていた。
何も感じない。
何も痛くない。
何もしたくない。
その胸の内にあるのは、ただの諦観と絶望と失望。
派遣された先で、オドルーと名乗る神官長は悲しそうな瞳で抜け殻の様な彼女に言った。
『辛いことがあったのでしょう。……いえ、何があったのかを尋ねるつもりはありません。私にその権利はないでしょう。ただ、人を導く神のしもべとして、今のあなたは見過ごせません。まだうら若き乙女がそのような目をされるのは……非常に悲しいことです』
いい人だ、と空っぽのクリスティーナは思った。
思っただけだったが。
反応を示さない彼女に対し、オドルーは神官らしいアドバイスを送った。
『日が日がな、何もせずボーっと過ごしているのは少し勿体ないでしょう。どれ? 折角歴史あるこの神殿に派遣されたのですから、
祈り。
それは、クリスティーナが一番嫌っていたものだった。
だって、祈りは届かない。
どれだけ願ったって彼女の父は苦しみから救われず、挙句の果てに自分が罰を受けることになってしまった。
『……祈るのも嫌ですか。しかし、意外ですな。今あなたの瞳に宿った感情が何であるかは読み取れませんが、祈りという言葉を口にした瞬間、屍だったあなたに命が舞い戻りました』
意外だったのは、クリスティーナ自身も同じだ。
このまま何も感じずに朽ちていくだけだと思っていた自分に、何か分からない感情が芽生えるなど――
困惑する彼女に対し、国によって潰されかけている宗教を支える偉大な神官長は微笑んでいった。
『やはり、祈るべきでしょう。あなたは。その祈りが何であれ、人には熱が必要です。叶う、叶わないに関わらず、それは必要な物なのです』
それに、と彼はウインクをして続けた。
『やっぱり祈り続けていればいずれ、その願いが叶うかもしれませんよ?』
「国王陛下が……殺された?」
その知らせを受け取った時、クリスティーナの胸の内で名前を付けられない感情たちが暴れ狂った。
歓喜? 悲哀? 憎悪?
そのうちのどれかであるような気もするし、でも全然違うような気もする。
狂いそうだった。
そうならないために心を閉ざしたはずだったのに、今のクリスティーナは崩壊寸前だった。
こんなことになるんだったら、やっぱり祈りなどするべきではなかった。どうせ届きはしないのだからと祈るのではなかった。
ぐるぐるグルぐるぐる
思考が回る。いつものあれだ。あの夜の事を思い出すと始まるいつものあれ。
治さないと。きちんと治さないと。
クリスティーナは胸の前で両手を組み、心安らぐ呪文を唱え始めた。
「……祈りは届かない。祈りに意味はない。祈りは通じない。祈りは届かない。祈りに意味はない。祈りは通じない。祈りは届かない。祈りに意味はない。祈りは通じない。祈りは届かない。祈りに意味はない。祈りは通じない。祈りは届かない。祈りに意味はない。祈りは通じない」
「クリスティーナ、様……?」
突然何かをブツブツと呟き始めたクリスティーナに困惑する侍女。しかし、彼女の祈りは止まらない。
光を失った瞳で永遠と呪文を唱え続ける彼女に侍女が匙を投げかけたその時、控えめなノック音が響いた。
これぞ正しく救いの手。侍女は弾けるようにクリスティーナの傍を離れて扉に駆け寄り、誰が来たのかも確認せずにドアノブを捻った。
「あっ、えーと……ここがクリスティーナ殿……じゃなくて、クリスティーナさんのお部屋だと聞いて伺ったのですが……」
そこにいたのは、昨夜召喚されたばかりだという勇者だった。
えらく腰の低い態度だが、その身に纏う覇気は尋常ではない。控えめに言って、どこか異質で気持ちの悪い存在だった。
「ゆ、勇者様⁉ 一体どうされたのですか?」
「どうされたのですかって……こちらが聞きたいと言いますか。朝起きたら王城がバタバタしていて、何をしたらいいかと聞いたらクリスティーナさんに指示を仰げと言われたので、すれ違う人に道を尋ねながらここに来た次第です。はい」
懇切丁寧に自分の事を説明する勇者。昨夜目覚めたばかりで右も左も分からない割にはそこそこいいムーブをしているといえるが、今は少々邪魔だった。
「……申し訳ございません。現在のクリスティーナ様は少し、その、普通ではないといいますか……」
「えっと……落ち込んでおられる的な?」
「多分、そんな感じだと思います。ですので、今日のところは別の方に指示を仰がれるか――いえ、駄目ですね。皆さん忙しいと思うので、自室で待機して頂けないでしょうか?」
誰か他の人に押し付けようとした侍女だったが、これ以上好き勝手に王城を歩かれるのはまずいと判断して直ぐに彼を閉じ込める方へ誘導し始めた。
そんな意図など知らない善良な勇者は、困ったように首を傾げながら言った。
「待機、ですか……自分って一応勇者らしいんですけど、そんなんで良いんですかね?
その瞬間である。
ただ同じ言葉繰り返すだけの不気味なオブジェと化していたクリスティーナに変化が現れた。
「犯、人……」
そうだ。殺されたからには、国王を殺した犯人がいる。
クリスティーナの〇〇を殺した犯人がどこかにいる。
まだ、息をしている。
ぐるぐるが治まった。思考が明瞭になる。いつもの彼女が帰って来た。
陰で冷血と恐れられ、多大な皮肉を込めて「聖女」と呼ばれている鉄仮面の少女が見事に帰還を果たした。
「――勇者様」
先程までの錯乱模様が嘘のようにスッとベッドから起ちあがったクリスティーナは、凛とした足取りで彼の前まで歩みを進め、身長差のある彼を見上げて言った。
「国王陛下の部屋は、万全の警備体制が敷かれていました。部屋の前には手練れの兵士が二人。さらに王城の中は絶えず警備兵が巡回をしています。そんな中で容易にトラップを掻い潜り、国王を殺せるような存在がいるとは、思えません」
「……つまり?」
「内部に手引きをした者がいる可能性があります。よって、あなたに手を貸していただきたい。召喚されて早々に国王の暗殺犯を探させることへの罪悪感はありますが、それでも私はあなたに協力していただきたい」
「別にそれは構わないですけど……俺、いや僕? が犯人である可能性はないんですか?」
「もちろん、それも考慮しています。私は今、私以外の全員を疑っていますから。しかし、冷静に考えて昨夜召喚されたばかりのあなたに
彼女は澄み切った青の瞳で不安げに揺れている勇者の焦げ茶色の瞳を見つめて言った。
「あなたにそんなことをする度胸があるとは思えませんから」
「……もしかして、馬鹿にしてます? お、俺のこと」
むっとした表情で未だに定まっていない一人称を噛みながら言い返す勇者。
「いいえ。ですが、事実だと思います」
きっぱりと言い切ったクリスティーナは、不満げな表情を浮かべた勇者に自分の手を差し出した。
「協力して頂けますか? 勇者様」
「……」
差し出された美しい掌。その手をじっと見つめて暫く考え込んだ勇者は自分の掌をチラッと眺めてからこんなことを言った。
「いいですけど、条件があります」
「条件? なんでしょう」
「僕の事はルタと呼んでください」
「――――」
そういえば、昨夜そんな約束をしたばかりだった。
変なところに拘るものだと思ったクリスティーナだったが、その後すぐにこれが彼にとって大事な儀式であることに気が付いた。
(自分の存在を確認するための名前。そして一人称。なるほど……彼はまだ自分探しの真っ最中なのですね)
であれば、断る理由などどこにもない。
クリスティーナは改めて手を差し出してから言った。
「よろしくお願いします。ルタ」
「こちらこそよろしく。クリスティーナ」
こうして、国王を殺した犯人を追うためのタッグが形成された。
クリスティーナの心を乱した感情の正体はまだ分からない。
だが、今の彼女は自分の事を考えずに済むための大義名分を手に入れた。
それが終わるまでは、絶対に祈らない。
祈りは届かない。
祈りに意味はない。
祈りは通じない。
「……だから、私は祈ることを止めた」
「クリスティーナさん?」
「……何でもありません。それから、さんはつけなくても結構です」
「おっとそうでした」
即席のタッグが王城を歩く。
国王を殺した犯人を見つける。
その為だけに、彼女は再び立ち上がった。
目の前にいますよ(小声)