あと、明日もできないかもしれません。すいません。
だ か ら
文字数を倍以上にしてお送りいたします(白目
さぁ、読者諸君。
「ついてこられるか――?」(某赤い弓兵)
状況を整理しよう。
殺害現場の検証を終えたクリスティーナは宰相の呼び出しに従い、己の母が住まう塔へと足を動かしながら頭を働かせていた。
まず、容疑者は地獄の底から復活したとかいう盗賊王ジャリバン。にわかには信じがたいが、目撃者は皆口を揃えて彼の名前を口にしている。
一先ずその名前だけは頭の中に入れてあるクリスティーナではあるが、彼女自身は全くその説を信じていなかった。
(死者は蘇らない。それに――)
不可解なことが多すぎる。
まず、国王と同じ寝室にいたあの女性を殺さなかったこと。どうして顔を隠してあるとはいえ、自分の事を目撃した無防備な女性を生かしておいた?
女性に甘さを見せたのかもしれないが、生前の盗賊王の悪行から見てそれはあり得ないことであるとクリスティーナは断じる。
さらに不可解なことは他にもある。
地獄の底から復活し私怨で国王の首を刎ねたという割には、あまりにもあっさりし過ぎているのだ。
実際に死体をこの眼で見たわけではないので何とも言えないが、それでも彼が国王を殺すのにかかった時間はわずか一秒足らずであり、鮮やかな手際で首を刎ねただけだったという。
表の兵士の事と言い、まるで
兵士と言えば、一人は確実に息の根を止めておきながらもう一人は生かしていることも引っ掛かる。手ごたえで片方を仕留めきれなかったことは直ぐに分かったろうに、それでも敢えて放置していた。
となるとやはり――
(ルタの意見が正しそうですね。盗賊王の犯行に見せかけたい何者かの犯行。露骨な目撃者に、私怨があったようには感じられない淡々とした犯行手口。何者かは知りませんが、少々詰めが甘かったようですね。ただ――実力だけは本物か)
死者蘇生など信じていないクリスティーナではあるが、盗賊王を名乗る男の技量だけは認めざるを得なかった。
手練れとは言え、兵士も人間だ。技量さえ勝っていれば無力化することとて不可能ではないだろう。しかし今回の場合、彼らを無力化するのに費やした時間が常軌を逸していた。
クリスティーナは戦士ではないので詳細は分からないが、それでも鍛錬を積み重ねた熟練の兵士二人が僅か数秒で無力化される異常さはヒシヒシと感じられる。
全体的に詰めの甘さが感じられる犯人ではあるが、戦闘能力だけは本物であると結論付けた。
――いや。
ここでクリスティーナは自分の考えを改めた。
(詰めが甘いと決めつけるのも危険ですね。敢えて不可解な事実を残すことにより、捜査の手をかく乱する意図があってもおかしくはありません)
嘗て神童と謳われ、全ての真実を暴くと評されたこともあるクリスティーナである。
その優れた洞察力と推理力は安易な結論を導き出すことを良しとせず、さらには犯人の思考を読み取ろうとしていた。
回転の速度を増すクリスティーナの頭脳。
しかし、彼女はタイミング悪く呼び出された部屋の前に到着してしまった。流石に此処まで来て別の考え事に頭のリソースは割けない。
思考を切り替えたクリスティーナはここまで案内してくれた宰相のゾルディンに頭を下げた。
「案内ありがとうございました」
「いえ、お気になさらず。本当は貴方一人でもたどり着けるとは思ったのですが、苦手な母君を前にして逃げられたらたまったものではないので案内しただけの事です。えぇ」
「……お心遣い、感謝する」
相変わらず嫌味しか言えないのかと思ったクリスティーナではあるが、この程度の嫌味で気分を害すほど彼女は感受性豊かではない。鉄仮面を維持したままさらりと受け流してみせた。
まぁ、宰相に関しては別に良いのだ。昔から理由は不明だがやたらとクリスティーナのことを嫌っていたし、彼女自身もそのことを理解していた。
だからこの場で今問題なのは――
「……ところで、勇者様はいつまでクリスティーナ様の背中を付いて回るおつもりですかな? まさか母君との再会を邪魔するほど無粋な方でもあるまい。ここらで引き返すのが無難であると考えますが。それとも――何か特別な理由でもあるのですかな?」
何故かあの現場から流されるようにしてクリスティーナたちを追いかけてきてしまった勇者である。
怪訝な表情を浮かべる宰相に対し、勇者は恥ずかしそうに頭を掻きながら言った。
「いや、特別な理由はないんですけど、自分はクリスティーナとタッグを組んでいる身ですし、何より自分一人ではあの事件を解決するには至りません。だからのこのこついてきたわけですが……まぁ、取り敢えずはここで彼女の用事が済むまで待たせて頂こうかと思ってます。はい」
「……つまり、何も事情が分からないままに付いて来てしまったと?」
「まぁ、そんな感じ」
「……」
「……です」
宰相ゾルディンの鋭い眼光に射竦められたように背中を丸めるルタ。
そのあまりにも情けない姿は勇者に似つかわしいものではなく、思わずゾルディンは呆れたような視線を向けた。
「なるほど。完全にクリスティーナ様の腰巾着というわけですな。魔王を退治すべく召喚された勇者様にしては些か情けなく思えてしまいます」
「ゾルディン殿。それは勇者様に対する侮辱が過ぎるのではないでしょうか?」
あまりにも行き過ぎた皮肉に思わずクリスティーナが苦言を呈する。
だが宰相は嫌味ったらしく鼻を鳴らすのみであり、特に謝罪をするような気配を見せない。
「ま……まぁ、まぁ、お二人とも。自分はここで待機していますので、そろそろ自分たちの事を為された方がいいのではありませんか?」
「……違いありませんな」
やや険悪な雰囲気を取っ払うように勇者が提案する。彼の言う通り、ここにいる人物にはのんびりとしている時間など許されていないのだ。
勇者に対して懐疑的な視線を向けていたゾルディンなど、三人の中でも特に忙しい身の上である。
反対する理由もなく、彼は二人に軽く会釈してから踵を返した。
「――あっ、そうだ」
と、そこで突然勇者が声を上げる。
何事かと面倒くさそうな表情で振り返った宰相に向かって彼は問いを投げかけた。
「ゾルディンさんは今回の事件、どう思っているんですか?」
「どう思っているとは? 抽象的過ぎて分かりませんな。質問内容は具体的にお願いしたい」
「盗賊王が復活して国王様を暗殺したらしいんですが、これって現実にあり得ることだと思いますか?」
「あり得ないことでしょう」
クリスティーナに匹敵する、或いはそれ以上の知識と頭脳を持ち合わせている男はそう断言した。
彼は続けてその根拠を語る。
「今回の事件は完全に盗賊王の手口から乖離しています。兵士たちを仕留めた技量こそ恐ろしいですが、それでもそこに奴の意思があるようには思えません。もし仮に蘇っていたとしても、意識だけ奪われた
「傀儡、ですか……」
「? 何か?」
「いえ、何でもありません。呼び止めてしまって申し訳ありませんでした」
宰相は首を傾げながらも今度こそ立ち去った。
そのやり取りを黙って見守っていたクリスティーナがルタに近づいて尋ねた。
「何か気に掛かることでもありましたか?」
「いえ……なんというか、こう……変な感じがしたんだ」
「変な感じ、とは」
「うん。説明は難しいんだけど、とにかく変な感じ。……まぁ、完全に僕の直感が反応しただけだから、あんまり気にしなくていいよ」
「そういう訳にはいかないでしょう」
本来は非常に理性的で論理的な思考をするクリスティーナである。直感などという曖昧なものに信頼を置きたくはないのだが、それが勇者の直感となれば話は変わって来る。
勇者――それは不可能を可能にする者の名前。
条理の現実を不合理に捻じ曲げる理外の存在。
滅びゆく王国が最後に頼った、希望の光。
クリスティーナはまだルタと名乗る腰が低い勇者の能力が何かを知らない。というより、そもそも能力を持っているのかどうかさえも知らないのだ。
だけど――
(この勇者は、
そう、クリスティーナは確信していた。
安易な観察の結果だけではない――そもそも知り合ってまだ時間が浅い。
直感などという非合理的な感覚だけではない――クリスティーナは誰よりも自分自身を信じていない。
故に、彼女は理性と直感の両方でもって勇者ルタのことを非凡な男であると見抜いた。
事件の渦中に自ら飛び込み、へこへこと頭を下げながらも冷静に自分の立ち位置を理解する察しの良さ。柔和な見た目と相反する、強者特有の覇気と息遣い。やけに鋭い観察眼。初対面の人間との距離の測り方。感情的に思えてその実、どこまでも合理的な行動選択。
彼は何かを持っている。
生憎と国王が暗殺されたせいで今日予定されていた勇者の力を測る実験はなくなったが、クリスティーナは無意識のうちに彼が秘めている力を見るのが楽しみになっていた。
「分かりました。あなたが何かを感じたというその事実、頭の中に留めておきましょう。今後は私も宰相の動きに目を配っておきます」
結果、クリスティーナはどこまでも彼女らしい理由でルタの曖昧な意見を頭の中に入れることを許した。
それに驚いて見せたのがルタである。
「ちょ、ちょっと! 本当に適当な勘だよ? あんまり真剣に捉えて大事なことを見落としたりしたら大変じゃないか⁉」
彼からすれば、独り言の様な物だったのだろう。
だが情報が圧倒的に不足している今、クリスティーナにも理解が及ばない勇者の直感は一攫千金ものの情報である。
絶対に、逃がすわけにはいかない。
「……ルタ、此方を向いてください」
「?」
どうやって自分の意見を撤回しようか考え込んでいるらしい彼と視線を合わせ、クリスティーナは言った。
「私の勘違いでなければ、私とあなたは国王陛下を殺した犯人を追うタッグ。それに間違いはありませんか?」
「あ、あぁ……間違いないよ」
「ならば、私たちの間に必要なのは情報共有です。どんなに些細なことでも構いません。砂の粒ほどの小さな違和感であったとしても、見つけたからには拾い上げる必要があるのです。それが後々重要な意味を持つのかもしれないのですから」
「……つまり?」
「これからもあなたが感じたことを私に教えて欲しいと言っているのです。何でもいい。話して下さい。散らばったピースを繋ぎ合わせるのは私の仕事ですから、あなたには遠慮せずに情報をまき散らかしていただきたいのです」
「――――」
随分とまた、思い切った発言であった。
けれど、右も左も分からない今の勇者にとってその発言がどれほど背中押される言葉であったか、彼女は知らないだろう。
「分かった。何か感じたらまた報告させてもらうよ」
「そうしてください。では、私はこれから用事がありますので」
「そうだったね。じゃあ、僕はここで君を待――」
「いえ。あなたにはやっていただきたいことがあります。意識不明の状態にある兵士の様子を病棟まで見に行って欲しいのです」
「そういうことだったら喜んで」
「よろしくお願いします。それでは――また後で」
単純労働を押し付けた勇者の背中が廊下の角を曲がったところを見送ったクリスティーナは、ようやっと己の母と対面するべく踵を返し、長い長い廊下を歩きだした。
努めて、心を無に。
昔はもっと楽にこの作業が出来たのだが、ここ最近は――というより、今日の朝目覚めて凶報を聞いてよりは中々上手くいかない。
制御しづらくなった自分の心に苛立ちさえ覚えながら長い廊下を歩き終えた先に待つのは、豪華絢爛な意匠が施された分厚い扉。
クリスティーナはもう一度自分の内側の状態を確認してからその分厚い扉をノックした。
「……」
制御は上手くいったと思っていたのだが、それでも柄になく緊張している自分を知覚する。
数えて丁度15秒が経過した頃、ゆっくりと部屋の扉が開かれ、中から疲れた顔の侍女が顔を出した。
目の下の隈が痛々しい。きっと、心休まらない一日を過ごしているのだろう。
それはクリスティーナとて同じなのだが。
「クリスティーナ様」
「申し訳ありません。遅れてしまいました」
「……いえ。貴方様を責めることは出来ません」
「それは有難い。――で、母上は如何様で私を呼び出されたのです?」
「……それはご本人に伺って下さい」
ギぃ、と嫌な音を立てて扉が開かれる。外見は立派な扉だというのに、内側の整備が全くされていないらしい。
無言で侍女に会釈してクリスティーナは先に進む。
部屋の中は、陰鬱な空気で満たされていた。今日は憎たらしくも晴天だというのに、カーテンを開けることすらしていない。
無駄に広い部屋の中を無心で進んでいると、強烈に脳髄を刺激する香りが漂ってきた。
隣国で流行っているという香水の香りだ。その香水一つで庶民なら一か月は食い繋げるほどに価値の高いそれを、部屋の主は何の躊躇もなく全部使い潰さんばかりの勢いで部屋中に霧散させていた。
確かにいい香りで有名だが、どれほど素晴らしい品でも無暗に数を重ねるだけでは醜くもなろうというもの。
総合して、この部屋は悪臭と称してもいいほどに甘ったるい匂いに占領されていた。
「……」
クリスティーナとて嗅覚はある。というより、心が傷ついているだけで五感は人並みなのだ。思わず吐き気に襲われるが、鉄の理性でそれを制し、彼女は部屋の主が居座る天蓋付きのベッドにたどり着いた。
「……母上」
小さく呼びかける。
彼女の視線の先には、この世の者とは思えないほど淫乱な生き物が寝転がっていた。
腰まで雑に伸ばされたぼさぼさの金髪。情欲に潤む青い瞳。そして、性を司る女神ですら引いてしまうほどに性的な、その肉体。
まず目につくのはその巨大な胸部だろう。クリスティーナ自身が彼女の遺伝子を引いているとは思えないほどに巨大なそれは、色魔で優柔不断だった国王をして天下一品と言わせた至高の品。さらに彼女は半端に肌を晒す衣装を身に纏っているので、その抗いがたい魅力はあらゆる男性を一目で陥落させてしまうだろう。
全身から発せられる性を刺激するフェロモン。そして肌荒れが気になるものの非常に整った顔立ちと退廃的な雰囲気。
ありとあらゆる意味でクリスティーナと正反対の彼女こそが、暗殺された国王の元正妃、アウラ・エヴァートンである。
「母上、クリスティーナが参りました。用件は何でしょうか?」
並の人間であれば男女問わずそれだけで理性を吹き飛ばされそうな光景を前にしながらもクリスティーナの鉄仮面は崩れない。
淡々と用件を尋ねた彼女の声に反応し、ベッドに寝転がってあらぬ方向を見ていたアウラはようやっと上体を起こしてから彼女を視界にとらえて――
「――あれぇ……? 陛下? 陛下じゃありませんか? あぁ! ようやっと私の部屋においで下さったのですね! あぁ、あぁ! お待ち申しておりました! お待ち申しておりましたとも! うふふ、今日は何をしましょうか? 私、待ち焦がれすぎて全身がチリチリと燃えておりますの。陛下は如何様にして私の疼きを鎮めてくださるのかしら?」
けれど、彼女の瞳はクリスティーナのことなど欠片も見てはいなかった。いつか見たあの日を、そしてあの人を見ている。
アウラは幸せそうだ。彼が来てくれたと無邪気に喜び、そして笑う。
所々欠け、さらには黄ばんでいるガタガタの歯を見せながら。
「……」
己の母がこうなってしまったのは一体いつの事だったか。
産まれるはずだったクリスティーナの弟が死んでしまった時か。父に愛想をつかされて捨てられた時か。それとも――
「母上、私ですよ。貴方の娘のクリスティーナです。私に用事があるから呼び出したのでしょう?」
要らぬ思考を切り捨て、クリスティーナは手早く用件を聞き出そうと動く。ただでさえ忙しいのだ。これ以上、余計な手間を増やすのはごめんだった。
「えぇ……? 誰ぇ……? 誰誰だーれ? アハハ!」
「私ですよ。クリスティーナです。あなたの娘の、クリスティーナ・エヴァートンです」
しかし、母の視点はぐるぐるとあちらこちらを彷徨っている。
異国から勝手に仕入れたという妙な薬のせいだろう。そんなものさっさと捨てさせてやりたいが、以前彼女から薬を奪おうとした侍女が半殺しの目に遭った事件がある。
彼女から薬を取り上げることは、ほぼ不可能に近かった。
肉体的にも、精神的にも。
――ここにいても無駄だ。
もうこのまま帰ってしまえばいいじゃないか、とクリスティーナの合理的な側面が助言をしてくる。
「……」
だが、ここで勝手に帰り後日母が癇癪を起して暴れられても皆が困ってしまう。
それに――クリスティーナはどうにもこんな母の事を見捨てきれないのだった。
仕方がない。
心のうちで呟き、クリスティーナは母の理性を取り戻させる魔法の言葉を繰り出した。
「あなたの夫、
言葉は最後まで続かなかった。頭に鈍い衝撃が走り、痛みの余り思考が停止したからだ。彼女の持ち味である頭脳が回復するまでの僅かな間、ガシャン! と何かの器が壊れる音が耳に響き、それと同時に頭から甘ったるい匂いを被せられたことを知覚した。
「――ッ、母上……」
痛みと全身を覆う甘ったるさによる不快感に耐えながら彼女は頭を上げる。視線の先には、彼女の母がいた。今度こそきちんと己の娘を見据えた彼女の母親がいた。
「……お前か。お前かクリスティーナ。汚らわしい私の娘のクリスティーナ。何をしに来たの? 私はもうお前の顔なんて見たくないのよ。早く死んでほしいの。なんで生きてるのお前? 淫乱の癖にッ この世で最も醜い生き物のくせに! どうしてお前生きているんだ!
「……」
クリスティーナが父に襲われたあの日。幸いにも未遂に終わったあの夜。彼女は己の母のお陰で助かった。彼女が死に物狂いで父を自分から引き離してくれたから自分は助かった。
だから――その後、一時期視力を失うくらいに殴られたのも仕方がないことだと思っているし、彼女から淫乱と罵られたことも黙って受け入れた。もちろん反論はしたけれど、彼女は何も聞いてくれなかった。
彼女はクリスティーナのことを、自分の夫を狙う女狐であると認識したのだ。
あの夜、クリスティーナは己の母も失っていた。
「……私を呼び出したのは貴方です。母上。だからはやく用件を――」
けれど、彼女はアウラのことを母と呼び続ける。それが如何なる理由なのか。それは彼女自身にもよく分かっていない。
あぁ、もしかしたら彼女は心の奥底でこう思っているのかもしれない。「父上は駄目だったけど、彼女ならもう一度自分の母になってくれるかもしれない」と。
そんなこと、ありはしないのだが。
「あぁ! あなた! ここに汚い娘がいます! 早く剣を持って来てくださいな! あなたが斬れないなら私が斬ります! 私が止めを刺しますわ! だから早く剣を――」
「父上は死にましたよ。母上」
埒が明かない。そう判断したクリスティーナはさっさとこの茶番を終わらせることにした。これは推測だが、母が此処に自分を呼び出したのは父の死を知ったからだろう。それは自分に縋りたかったのか、八つ当たりをしたかったのか。多分そのどちらかだろうが、いずれにせよ彼女は父の事だけは覚えていて、父の名前でだけ己を一瞬取り戻すのだ。
だから、彼女の目を覚まさせるために父の死を利用した。
彼は怒らないだろう。元を辿れば全て彼のせいなのだから。
それに――己の母の醜態は見ていてあまり楽しいものでは、ない。
「……………………………………………………はっ?」
案の定、狂人のような振る舞いをしていたアウラの動きはその一言でピタリと止まった。感情が全て顔から抜け落ちる。蝋人形の様な母に対し、クリスティーナは一気に畳み掛けることにした。彼女が厄介な理性を取り戻すその前に。
「母上。父上を殺した犯人は必ず私が捕まえます。そして罰を受けさせます。だから、犯人に心当たりがあれば教えてください。今すぐに」
「えっ、あ、犯人……?」
「以前から父上を殺そうと企んでいた人物はいませんか? 直感でも構いません」
「そ、そんな人いないわ……だって、あの人はいつだって皆に優しくて……皆に慕われていて」
「宰相ゾルディンは? 彼に怪しいところは?」
「ゾルディン? な、ないわよ。あの人は冷たい人だけどいつだって国の事を一番に考えていて――」
「そうですか……。では、盗賊王ジャリバンを捕らえた人物の事を覚えていますか?」
「ジャリバン? 知らないわよ。私が知るわけがないでしょう。――ていうか、あなたさっきから何を聞いているの? 娘の分際で私に……娘、娘、娘? ……ッ、貴様ァァァァァアアアアアアアア‼」
「――母上、失礼します」
クリスティーナは再び錯乱モードに入ろうとした母の首筋に見事な手刀を当て、その意識を強引に奪った。
神殿で下っ端から成りあがって来た彼女だ。今の立場に上がるその前に神官騎士としての訓練も一通りこなしていた。厳しいあの鍛錬も無駄ではなかったということだろう。
もっとも、その技を己の母に向かって使うことになるとは想像もしていなかったが。
「……」
クリスティーナは己に似ているようで細部が異なっている母の頬をそっと撫でた後、優しくその身体をベッドに戻してから部屋を後にした。
「宰相ゾルディン、か……」
母の反応は黒とも白とも言えない微妙なラインだった。嘗て国で一番賢いと言われ、宮廷の陰謀策略のことごとくを食い破って来た彼女であれば何か知っているかと期待したのだが、結果は無惨に終わった。
自分は頭から香水をぶっかけられ、さらには以前よりもなお母の怒りを買っただけ。瓶底が衝突した頭部がジンジンと痛む。
痛い。とても痛い。
頭が、ではない。
軋むような痛みが彼女の胸を襲っていた。
成長期か、などという下らないジョークで流せればよかったのだが、彼女とて鈍感ではない。自分の事は自分が一番わかっていた。
あれだけ訓練した筈なのに。もう慣れたと思っていたのに。自分は完全に壊れたと感じていたのに。
「……あぁ、痛いな」
心が。
「大丈夫?」
「――ッ⁉」
突如掛けられた優しい声音に彼女はびくりと肩を震わせた。地面に向けていた視線を上にあげると、そこには心配そうな表情を浮かべる勇者らしからぬ勇者の姿があるではないか。
「……いつからそこに?」
「今。兵士さんはまだ意識が朦朧としているらしくて、もう少し休ませた方がいいみたい」
「……そうですか。ご苦労様でした」
出来る限り素っ気なく告げ、クリスティーナはその場を後にしようとした。
今、彼と一緒にいるのはまずい。
直感で動き出した彼女だったが、残念ながらその腕は勇者によって掴まれ、その場に制止せざるを得なかった。
予想以上に、力強い。
そして、ふと思った。
最後に人と触れ合ったのはいつだっただろうか、と。神官は神にその身を捧げるという信条の下、あまり人同士で接触をしようとしない。そして何より、クリスティーナはあの夜の事がトラウマになっていて無意識のうちに男性を避けていた。
そんな自分が今、強引に二の腕を鷲掴みにされている。
でも、不思議と嫌悪感はない。
それは、彼の触れ方が力強くも繊細だからだろう。
(……まったく、何を考えているんだ私は。早く捜査に戻らなければならないというのに)
クリスティーナはその腕から逃れることのできない我が身の貧弱さを呪いつつ、身勝手な真似をする勇者を睨みつけてその真意を問うた。
「何のつもりです?」
「いや、痛がっていたみたいだからさ、どこが痛いのかと思って」
「心配ご無用です。もう治りましたから」
「嘘つき」
「じゃあ、今掴まれている腕が痛いです」
「それも嘘だ」
真っ直ぐな瞳と言葉に虚を突かれるクリスティーナ。多分、だが。今の彼にはどんな嘘も通用しないように思えた。
「……何を根拠に……」
苦し紛れの反論をするクリスティーナ。ルタは掴んだ腕を離さないままにズイっと顔を寄せ、つぶさに彼女を観察してから言った。
「顔だよ。明らかにヤバそうな顔色をしている。それに髪が不自然に濡れている。見た感じ……頭に何か液体入りの物体を投げつけられたのかな? たんこぶが出来ているかもしれない。それに、この香り。僕はそこまで嫌いじゃないんだけど、明らかにクリスティーナの匂いじゃないよね。……まだ根拠はいるかい?」
「……結構です」
明らかにセクハラ紛いの発言もあったが、クリスティーナはスルーして不貞腐れたようにそっぽを向いた。
そんな彼女を見てフッと笑ったルタはようやっと彼女の腕を離した。
「取り敢えず、医務室に向かおうか。君の頭脳が生命線なんだ。頭を休ませる意味でもあそこのベッドをお借りしよう」
「休む? 何を言っているのですか。身体的に不備を感じる箇所はありません。頭部も冷やしていればすぐに治ります」
「でも、
「――ッ」
見抜かれていた。戦慄に慄くクリスティーナに対し、ルタは柔らかな笑みを浮かべて言った。
「だから言ったじゃないか。顔を見れば分かるって。まだ知り合って間もないけど、そんな顔をする君は初めて見た。付き合いの浅い僕でこれなんだ。きっと、現場に行ったら皆が驚くと思うよ。そして皆口を揃えてこういうに決まっている。『はやく休んでください!』ってね」
「……」
「じゃあさ、そういうこと言われる前に先に休んじゃおうよ。それで頭をスッキリさせてから捜査に戻ればいい。それにこう言っちゃなんだけど、今捜査は手詰まりの状態だろう? 今僕たちが戻ったところで出来ることなんてほとんどないと思うんだけど……どうかな?」
「……」
合理的だった。いっそ腹立たしいほどに。
クリスティーナは根拠のない感情論を嫌い、理論を好む。
彼の説得は、これ以上ないほど彼女の琴線に触れていて――
「……分かりました」
悔しいが、異論はなかった。
「んっ――」
ふと、目が覚めた。
窓の外を見ると、既に空の模様が真っ赤だ。
随分と眠ってしまっていたらしい。
「あぁ、起きた?」
横からもう聞き慣れた声がする。視線を向けると、そこには王城の図書館で借りたであろう本を読み漁っているルタの姿があった。
「……本が読めるのですか?」
「うーん、まぁ、読めなくはないって感じかな。何となく翻訳機能を通しているような違和感はあるけど、暇を潰すにはもってこいだったよ」
柔和な笑みを浮かべるルタ。この人はきっと、世界が滅ぶと知らされた最後の日でさえこうしているのだと思わせるほどの落ち着きがそこにはあった。
「……」
不意にクリスティーナは何故か無性に自分の体臭が気になってしまった。あの不快な香水の香りが残ってやしないだろうか。
彼が少し視線を外したその隙に、スンスンと自分の腕の匂いを嗅いでみる。
幸いにも、消毒液の匂いしかしなかった。
「病室の消毒液って最強だよね。どんな匂いでも打ち消せるんだから」
「……」
しかし残念ながら、そんな彼女の仕草は全て視られていたらしい。完全に横を向いていたというのに、どういう視野の広さをしているのだろうか?
それを突き止めるのは酷く無駄な作業のように思われたので、クリスティーナは一つ嘆息してから彼の方へと向き直った。
「頭はスッキリした?」
「えぇ。お陰様で。今ならあなたの足を引っ張ることはないと思います」
「元々足を引っ張ってなんていなかったけどね。どちらかと言うと僕の方が――」
「そんなことはない!」
突然大声を上げたクリスティーナに驚いた様子のルタ。何事かと様子を見に来た看護師たちを視線で追い払い、彼女は一度咳払いを挟んでから言った。
「すいません。突然大声を出してしまって。ですが、あなたはご自身が考えている以上に有能な方だと私は思います」
「あ、あぁ……それはどうも」
賛辞を受け取りつつも困惑した様子のルタ。
ええい! どうしてもっとこう、上手く褒められないんだ! と自分を罵倒するクリスティーナだが、一度吐いた唾は吞めぬ。彼女はこのまま押し切ることにした。
「その、あなたには本当に感謝しています。あそこで一呼吸置かずに捜査を進めていても、きっと大した進展は得られなかったでしょう。その状況判断能力は素晴らしいと思います」
「そりゃどーも。ていうか、えらく褒めてくれるね?」
「……あなたには感謝していますから」
全てが終わったあの夜以降、クリスティーナのことを気遣ってくれる人間など、年上の神官たちとオドルーくらいのものだった。
でも彼らだってクリスティーナの鉄仮面を見破ることは出来ず、結局彼女は誰かに頼る術を完全に忘れたままここまで突っ走って来た。
そのことに後悔はない。
これからもそうだと思っていたのだから。
でも――
こうしてお節介を焼かれることを悪くないと思う自分もまた、どこかにいるのだった。
「あっ、そういえば」
不意にルタが声を上げる。何事かと顔を上げたクリスティーナに対し、彼はちょっと困ったような表情で言った。
「晩御飯ってどうしたらいいんだろう? 僕朝から何も食べてないからさ、流石にお腹が空いて来たんだよね」
「……そういえば、私もお昼を食べていませんでした」
その発言を機に急激な空腹に襲われるクリスティーナ。現金すぎる自分の体に呆れつつ、彼女は言った。
「では一緒に食堂へ行きましょう。そこで食事の頼み方もお教えします。……本来なら専属の給仕がつく予定だったのですが、この騒ぎでは暫く人員を割くことは出来ないでしょうしね」
「それは有難い」
ルタは朗らかに笑い、読んでいた本を置いて椅子から立ち上がった。
「いやー、なかなか美味しいね」
「それは良かったです」
「あれ? クリスティーナは美味しくないの?」
「……まぁ、何度もここで食事をしていますから、美味しい美味しくない以前に慣れてしまいました」
「ふーん。味音痴ではないんだね」
「恐らくは」
「なんで自信なさげなのさ」
「自分の事に自信など持てません。……それは、あなたとて同じではないのですか?」
ところ変わって食堂。やはりまだ城中バタバタと忙しくしているらしく、だだっ広い食堂に人の姿は疎らだった。
そんな中でマイペースに食事を進めるルタの胆力はやはり大したものと言うべきか。早々に食べ終わってしまったクリスティーナはそんな彼を見ながら不意に結構重たい問いを投げかけた。
しかし――
「うーん、別に?」
……やはり、この勇者は常にクリスティーナの予想を超えていく。
どうして、視線で問うた彼女にルタは答えた。
「まぁ、今はそんなこと考えているほど余裕がないのもあるけど、でもみんなが僕の事を勇者で呼んでくれるんだ。なら僕は勇者。はい、論破」
「何も論破できていませんよ。他者によって決めつけられた称号で構わないのですか?」
「構わないよ。今はね。勇者としての役割を終えたらゆっくりと自分探しするのもいいかもだけど、今は勇者として振る舞うことに決めたんだ」
胸を張って見せるルタだが、普段の腰の低い態度を見ている身としてはいまいち信用ならない。
「……はぁ。お手上げです。もう私にはあなたのことが分かりません」
「いやいや、そこで諦めちゃだめだよ。僕の感じたことを全部教えると約束したばかりじゃないか」
「それはそうですが……」
やや投げやり気味に肯定したクリスティーナにルタは続けて言った。
「僕の方も諦めないからさ。クリスティーナも諦めずにどんどん距離を詰めてきてよ」
「……はいっ?」
凄まじい速度で常時回転しているはずの彼女の頭脳が一時停止した。強引に再回転させつつ、彼女は今の言葉を振り返る。
僕も諦めない? どんどん距離を詰めてきて?
……頭が痛くなる。頭痛が痛いとはこのことか。
どうやら、目の前の善人は人を勘違いさせるような言動が得意なようだ。
文句を言い募ろうとしたクリスティーナだが、それより先に彼の方が口を開いた。
「だってさ、それが平等でしょ?」
「平等?」
「うん。僕が感じたことを君に教えることはもちろんいいんだけどさ、それだと流石に一方通行過ぎるよね」
「……何が言いたいのです?」
「簡単さ。君が感じたこと、それを僕に教えて欲しい。タッグなんだろう? じゃあ、相互理解に努めなきゃね」
「――――」
極めて予想外な、言葉だった。
クリスティーナに気を遣ってか、その物言い自体は合理性を維持していたが、その根底にあるのは彼女と仲良くしたいというルタの純粋な思いだ。
「……」
こういう時、どうすればいいのか。彼女には全く見当がつかなかった。
そんな彼女の様子を見て何を思ったのか、ルタは慌てて釈明する。
「あー、別に今日起きたこととか過去を話して欲しいってわけじゃないよ。もちろん話したくなったら話してくれればいいけど、今は話したくないんだろう?」
やや的外れではあるが、それでも彼の言葉は的確にクリスティーナの本心を言い当てていた。
「……あなたの直感は全てを見通すのですね」
「それは買い被り過ぎ。僕にだって、分からないことはあるよ。それに、今のは直感でも何でもないよ」
彼はニコっと笑って言った。
「クリスティーナを見ていれば分かることだ」
「……あなた、どこかで女たらしと言われたことは?」
「いや、ないけど?」
全力で嘘をつきつつ、ルタはクリスティーナを見つめる。
「……」
その瞳を前にして嘘をつくことは出来ない。
いや、合理的に考えてつく必要すらないだろう。ならば、自分は合理的に動くだけだ。この男と一緒に行動することのメリットは極めて大きい。このまま彼の直感を頼らせてもらいつつ、本来の目的を遂行する。
あくまでも合理的に考えようと自分を戒めつつ――それでも今までにはない感覚を味わいながらクリスティーナは言った。
「分かりました。私の事も話します。だから、あなたもあなたのことを話して下さい」
「合点承知の助」
「今のは真面目な雰囲気だったでしょうに……」
「雰囲気作りはね、先に発言した者によって左右されるのさ」
「先に発言したのは私ですが?」
「じゃあ、発言権が強い方」
「……まったく」
しょうがない人だ、とクリスティーナは呆れる。だが、その顔に不快感など微塵もない。寧ろ、どこかさっぱりとした明るい顔色があった。
「改めてよろしくね、クリスティーナ」
「えぇ。こちらこそ、よろしくお願いします」
……まぁ、こういうのも悪くないのかも、しれませんね。
そっとクリスティーナは微笑んだ。
それは、人の心を亡くして久しい外道の勇者をして見惚れざるを得ないほどに可憐な笑みだった。
うーん。主人公が主人公し過ぎていて逆に辛い。
これは次回ではっちゃけさせなきゃ(使命感
前書きでも言ったように次の投稿はちょっと遅れるかもしれませんが、気長にお待ちいただけると作者非常に嬉しいです。
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