拙い作品ですが、どうぞ宜しくお願いします。
豆を挽いて淹れたコーヒーの芳醇さが、男の鼻腔をくすぐる。インスタントでは味わえない魅力だ。ひとしきり香りを堪能したら、マグカップに口をつけ舌を楽しませる。男の名は佐倉惣治郎、彼は数年前に持病の腰痛が悪化し引退するまで『純喫茶ルブラン』という店でマスターをしていた。
『純喫茶ルブラン』は四軒茶屋の路地中でひっそりと佇むレトロな喫茶店だ。現在は彼の娘夫婦が店を引き継いで経営をしている。店と惣治郎の自宅とは徒歩数分しか離れていないため、たびたび店を訪れ、現マスター(惣治郎にとっては義息であり弟子でもある)の淹れたコーヒーに刺激を受けてはバリスタとしての技術を錆びつかせないよいうにと腕をふるうのが彼の日課であった。
マグカップが空になると、「そろそろだな」と惣治郎は時計を一瞥する。時刻は既に午後3時45分。幼稚園は既に迎えの時間になっているであろう。時計が秒針を刻む音が、せっかく落ち着けた惣治郎の心を逸らせる。どれ程待ったであろうか、じれた惣治郎がコーヒーをもう一杯つぎに行こうとした時であった。
「ただいまー! 」
「帰ったぞ~」
2つの声が玄関から聞こえてきた。1つは元気があふれんばかりの少女の声、もう1つは少しけだるげな女性の声。その内、どちらかの声の持ち主が惣治郎がいる居間に向けて廊下を踏みならしながら一直線に駆けて来るのがわかると、彼の表情は自然と緩んでしまう。
「そーじろー、ただいま! 」
勢いよく扉をあけたのは、少しクセのある黒髪をした利発そうな少女であった。
「ああ、お帰り青葉」
彼女を前にした惣治郎の声色は自覚できてしまうくらい優しいものなっている。だが、それも無理からぬ事。なぜなら、少女・青葉は惣治郎にとって可愛いさかりの孫娘であるからだ。
「青葉、『そーじろー』じゃなくて『おじいちゃん』だろ『おじいちゃん』」
可愛い可愛い孫娘が自分を名前呼びばかりで『おじいちゃん』と読んではくれない、それが惣治郎は少し寂しく思っているのだが……
「えっ、なんで~? 」
それとなく嗜めてみても、彼女のクリッとした瞳で不思議そうに見つめられると何も言えなくなってしまうのが、彼の悲しい性であった。
「そうだぞ青葉、『惣治郎』は『惣治郎』だ」
”ニシシ“と人好きのする笑みを浮かべて顔をみせた女性は佐倉双葉(もっとも現在は結婚して苗字が変わっている)、惣治郎の娘である。惣治郎は彼女を軽く睨みつける。
「おい、双葉! お前が『惣治郎』・『惣治郎』言うから、青葉が真似しちまうんじゃねぇか」
ところが、二人は惣治郎の抗議など、どこ吹く風。「『そーじろー』だもんねー」「ねー」といっそ微笑ましく思えるようなやり取りをしている。そんな彼女達の様子に惣治郎はため息を1つ吐くと、この話はまた今度だなと頭を切りかえる。そして、棚にしまってある青葉の好きなお菓子を沢山入れた木製のボウルを取りだすだった。