RMM~その先の希望~   作:夜泣マクーラ

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 ウマ娘プリティーダービーの二次創作です。
 ライスシャワー、ミホノブルボン、メジロマックイーンを主軸にしておりますが、ライスとブルボンに関しては話し方など、ゲーム設定を知らないので自分の想像で書いております。ブルボンは騎士らしくしようとしていますので、どうか悪しからず。


勝利の先に手にした物

 ふと、涼やかな風を感じながら澄んだ青空を見上げたあの日を思い出す。

 これから赴くのは勝負の場……ううん、恐怖だけで染め上げられていた場所。

 綺麗な緑に彩られているはずの芝は、私の目には夥しい悪意に染められているかのように映る。

 今か今かと名勝負を期待する観衆の視線は、ギロチンでの斬首を待ちわびる歪な笑みを浮かべる人々のよう。

 私に送られる声は、糾弾と断罪と怒号と怨嗟……ありとあらゆる悪意が込められている。

 そう、私は誰にも望まれず、私は何も望まず、この目には希望も絶望も全て映る事はない。

 だって、私が望むことは皆から笑顔を奪ってしまう。私の一生懸命に皆は落胆し溜息を吐く。それどころか、湧き上がる怒りを声に乗せてぶつけられる。

 いつか、あの人が言った言葉……小さな身体でも皆の希望になれるって、諦めなければ笑顔を届けられるって言ってくれた……その言葉を私は信じられなくなってしまった。

 もう嫌だ、走りたくない、こんな足なんて動かなくなってしまえばいい。

 レースに向かう足は、一歩近づくたびに足枷が増えていくように重くなり、もうどうでもいいと無気力に走る日々。

 いつしか私は笑う事も泣く事もなく、機械のように生きるようになっていた。適度に練習を重ね、適当に先頭にならないように走る。誰の目にも映らないように、群れの中に身を隠す様に走る。

 これで良いのだと、私は自分自身に目隠しをして走り続けていた……あの人の、木瀬三月(きせみつき)の優しさと強さに守られているとも知らずに。

 少し前の自分を思い出し、挫けてしまいそうな心を奮い立たせる。

 誘導員の指示に従いゲートへと向かう。目の前には処刑場のような空気が漂っているコースがあり、怖気づいてしまいそうになる両足。

 蘇るのは人々の憤怒の形相と声。余計な事すんな……そんな声が今も耳の奥にこびり付いて離れてはくれない。

 後退りしそうな足をしかし、関係者席で応援してくれる三月さんの姿が勇気をくれる。

 こんな私を諦めることなく傍で支え続けてくれたあの人に、私は報いる為に再び走る事を決意した。彼女がすぐそこで私を見ていてくれる。なら、それで十分。それだけで私は走ることが出来る。

 私は唯一人、あの人の為だけに走ろう。あの人が笑ってくれるのならそれでだけでいい。それで、いい。

 ファンの罵声も怒声も、美月さんの笑顔の前には掻き消えてくれるはずだもの。

 レースの始まりを告げるファンファーレに前を向く。

 さあ、始めよう。今日、ここから始めるんだ。私が心から望む笑顔の為に……

 

 

 ――私の、ライスシャワーのレースをここからッ……――

 

 

 

 

 なんで私がこんな事をしないといけないのよッ!!

 ボイスレコーダーと手帳とペンを持ち、ダイワスカーレットは不満を心の内で叫ぶ。

 今や最強のチームと名高いチームスピカの一員で、最強のウマ娘の一人に数えられる彼女は、なぜかこの日だけはビシッとスーツを着て眼鏡をしている。いつもならライバルのウオッカと言い合いをしながら競い合って練習をしているはずなのだが、どういった事かジャージ姿ではない。

 それもそのはず、なぜなら今の彼女はインタビュアーとして目的の場所に向かっているのだ。

 そもそもなぜこのような事になったのかと言えば、一月後に開催されるレース……『ウィンタードリームステイヤーカップ』に端を発する。

 今年から開催されることが決定されたこのレースは、シンボリルドルフ会長がある二人の熱意に胸を打たれて着々と入念に計画してきたレースで、ファンの注目度も高いレースとなった。出走するメンバーも層々たる面々となっている。

 一枠一番から名前を上げていくと、メジロマックイーン、マヤノトップガン、セイウンスカイ、サクラローレル、ミホノブルボン、シンボリルドルフ、オルフェーブル、スペシャルウィーク、マンハッタンカフェ、ビワハヤヒデ、ディープインパクト、タマモクロス、ナリタブライアン、スーパークリーク、ゴールドシップ……と、最強の称号を誰が冠してもおかしくない面々が揃い踏みのこのレース。

 全十六名で争われるこの名誉あるレースはこの豪華メンバーというだけでも話題に事欠かないというのに、そこにもう一人参戦すると発表した瞬間にファンが歓喜の声を上げたメンバーが加わる。

 そのウマ娘にファンは何を想うのだろうか。単純に喜びだけではないのは確かだろう。なぜなら、そのウマ娘に対して自責の念を胸に抱く者も少なくないはずなのだから。

 当時の事を知るウマ娘ならば、誰もが目を背けたくなるような悪意に彼女は晒されてしまったのだから。

 一生懸命、ファンに笑顔になって欲しい。希望を持って欲しい。その想いを心に抱いて走ったはずの彼女はしかし、後にこう呼ばれてしまう。『黒の刺客』『悪役(ヒール)』と……決して懸命に走る者を貶してはならない。ましてやその姿に罵声を浴びせてはならないというのに、誰もが彼女の想いを慮る事もなく、無遠慮に破き捨てて踏み躙った。

 あってはならない、醜悪なその出来事がファンの脳裏に今もあるはずだ。だからこそ、ファンは複雑な感情を彼女に抱く。素直に喜びたくても喜べない者も多いのだ。

 そんな彼女、ライスシャワーが『ウィンタードリームステイヤーカップ』に参戦する事が発表され、業界に関わる人々だけではなく、ウマ娘達もざわついた。

 一世一代のレースを前に、心の中に後悔を持つファンの為にも、当時の事を記事にするべきではないかと、会長主導の下号外を発行する事となり、では誰がインタビューをするかとなった。ここで察する事が出来るだろう。なぜスカーレットがインタビュアーとして働かなければいけなくなったかを。

 端的に言えば、チームスピカのトレーナーがじゃんけんで負けて仕事を背負い込み、消去法でインタビュアーとして彼女が選ばれたのである。

 スペシャルウィーク、メジロマックイーン、ゴールドシップは出場予定なので論外……というよりもマックイーン以外はそもそもこういった仕事は任せられない。次にウオッカは脳筋で除外。残るはトウカイテイオーとサイレンススズカなのだが、彼女達もまた別な意味で除外されてしまう。つまり最後に残るのは比較的常識を知っているスカーレットだけという、なんともどうしようもない理由でこの仕事を引き受けるしかなかった。と言っても、トレーナーからそこそこの賄賂(人参)をすでに受け取っているので、そこまで理不尽な仕事でもないのだが。

 ライスシャワー先輩、か……とスカーレットは彼女に関して想いを馳せる。

 直接対決したことはないけれど、マックイーンとのレースを一度だけ目にしたことがある。

 絶対王者と謳われたマックイーンが負けるわけがないと、スカーレットは確信していた。

 あの時のマックイーンを相手に勝つのは容易な事じゃなかった。トウカイテイオーでさえも彼女を捉えきれなかったのだから。しかも3200mという距離は才能だけで勝つことが出来ない距離だ。2500mまでならば負けはしないと闘争心が燃えるけれども、長距離はそうはいかない。正直、私じゃ不可能に近い……

 圧倒的なレースセンスと体力、揺るがない強さを誇る気持ち……あの時のマックイーンは全てを満たしていた。だから、夢にも思わなかった……あのマックイーンがあんなにも必死の形相で食い下がっても追いつけない相手が現れるだなんて。

 あのレースの後のマックイーンがトレーナーに向かって言った言葉が今も忘れられない。

 

 

 ――ウマ娘のままでは鬼には勝てませんわね――

 

 

 あの言葉の真意は今でもわからない。でも、マックイーンは敗北を誇らしげに、そして更なる高みを目指すとでも言うように不敵に笑っていた。

「とっ、危ない危ない、通り過ぎるところだったわ」

 チームの部屋が並ぶ通路の一番端。そこにライスシャワーが所属するチームの部屋があった。『デネブ』とボロボロの木の板に所々剥げた黒いマジックで書かれている。まるで弱小と呼ばれていた『スピカ』のようで、思い出して少し笑ってしまう。

 こほんと、一つ咳をして軽くノックすると、とても柔らかで牧歌的とさえ思える声でどうぞと中から聞こえた。

「失礼します。本日『ウィンタードリームステイヤーカップ』の取材で訪れましたダイワスカーレットです。よろしくお願いします」

 扉を開け、中に入るとスカーレットはどこか大人びた雰囲気で挨拶をし、顔を上げる。

「あらあら、ご丁寧にありがとうございます。私はチーム『デネブ』のトレーナーをさせて頂いております、木瀬三月です。よろしくお願いします」

 顔を上げた先には、春の木漏れ日を感じさせるような、柔らかく温かい微笑みを浮かべる木瀬三月……ライスシャワーの育ての親が紅茶を用意しながらそこにいた。

 

 

「あの子との出逢い?」

「はい。木瀬トレーナーはどうしてライスシャワー先輩をチームに迎えたのか、まずはそこからお聞きしたいと思いまして」

 おっとりとした雰囲気で、紅茶を手にしながら頬に左手を添えて首を傾げる。

 ふんわりと香る紅茶は彼女の様だと思いつつ、スカーレットも一口口にしつつ三月に再度尋ねる。

「これはうちのトレーナー等から聞いたのですが、そもそもライスシャワー先輩をチームに迎えようとしたのは木瀬トレーナーだけだったという話がありまして、もしかして木瀬トレーナーだけはライスシャワー先輩の非凡な才能を見抜いていらっしゃったのではないですか?」

 そう、うちのトレーナーを始め、どのトレーナーもライスシャワー先輩に特別な物を見出していなかった。それどころか、身体が小さく、特筆した強みもないと評価していたのだと言う。

 だというのに、彼女は後に鬼と呼ばれるほどの異質な強さを発揮した。あのチーム『リギル』のトレーナーでさえも、後に彼女の強さを称賛している。

 ということは、木瀬トレーナーだけが感じた才能があったとしてもおかしくはないという意図からのスカーレットの質問だったのだが、美月はまじまじと見つめてくるスカーレットにころころとおかしそうに笑ってみせた。

「ふふ、あははは。それは、ないかなぁ~」

 肩透かしを食らい、肩から崩れ落ちそうになる。

「そ、それじゃあどおしてチームに誘ったの……です、か?」

 ついつい敬語を忘れそうになり、取り繕った言葉になってしまった。

「ふふふ、無理に敬語じゃなくてもいいのよ。私なんて大層なものじゃないんだから。むしろ、そのままの貴方とお話してみたいのだけど、駄目かしら?」

 年上とは思えない可愛らしいおねだりに、ふっと笑みが零れてしまう。

 三月の穏やかさに充てられ、スカーレットの肩の力が抜けたようだった。

「そお?じゃあ、素のままで取材させてもらうけどいいの?」

「ええ、その方がとっても話しやすいもの。えっと、ライスとの出逢いだけど……ねえ、私のチームを正直にどう思うかしら?」

 逆に問われ、スカーレットはどう答えたものかと頭を悩ませる。正直な事を言えば失礼になるかもしれないという不安があったからだ。

「とても強そうには見えない……じゃないかしら?ううん、もっと言えば弱いと断言してもいいかもしれないわね」

 穏やかな表情のまま、正に自分が抱いた感想を口にされ驚くスカーレットに、ふんわりと三月は笑みを向ける。

「そう、私はトレーナーとして肝心の才能がなかったの」

「才能?」

「ええ。貴方達の秘めた才能を見抜く眼がね、私には致命的にないのよ」

 確かに、それは致命的だと胸の内で頷く。トレーナーならば誰もが持ち合わせるべきものを彼女は持っていない。それは確かに致命的ねと、スカーレットは苦笑してしまう。

「それでもね、才能がなくてもトレーニングで才能を超えられるって、私はみんなにも、そして何より自分自身に強く言い聞かせてきたの。そんな意地をね、何年も張ってきたのだけれど……ある日、理事の方々についに言われたのよ。結果をいつまでも出せないチームに割く余分な費用はないってね」

「でしょうね。私達の世界って綺麗事だけじゃない、慈善事業じゃないもの」

「そうね。だけど、このままチームがなくなれば、みんなが行き場を失ってしまう。何としても守らないといけないって、なんとかしようとトレーニングを厳しくしたりしてみたのだけれど……それでも結果は出なかったわ。おはなちゃんったら、全然手を抜いてくれないんだもの」

 冗談めかして言う言葉。しかし、スカーレットは別な事に噴き出してしまいそうになる。あの鋼鉄のトレーナーをおはなちゃん!お・は・な・ちゃ・ん!

 あまりの衝撃に緩む頬を抓って堪えたのだった。

「諦めなければ夢に手が届く……その信念がね、音を立てて崩れそうな時だったかな、あの子と出逢ったのは」

 窓の外に視線を向ける三月の目に映るのは、遠い日の二人の運命が交わった情景なのだろうか?

「あの子って、ほら。とっても小さいじゃない?一緒に走ってる子たちよりもずっと小さくてね……才能もあるわけじゃなかった。それは間違いないって言えるわ。あの子に非凡な才能なんて一つもない。だけど、それでも誰よりも強いの。誰よりも小さな身体で、それなのに誰よりも強かったわ」

「強い?」

「ええ、どのウマ娘よりも、おはなちゃんのところの子達よりもずっと強い眼をしていたの」

 懐かしさと愛おしさと誇らしさと、ありとあらゆる感情がその声に込められていた。その声だけで、ああ彼女にとってもライスシャワーは格別で特別な存在だったのだと実感する。

「決して目を伏せずに、顔を背けず、前を行く背中を体全部で掴まえようとするかのように走っていたの。その姿がね、私には眩んでしまいそうなほどに眩しくて、羨ましくて……あの子の走る姿に諦めてしまいそうな心を殴られた気がしたわ」

「だからチームに迎えたのね」

「ええ。そうして、私は彼女と歩み始めたの……私の小さな小さな英雄とね」

 

 

 

「ライバル……と私は認識などしてはいませんでした」

 タオルで汗を拭いながら、一通り筋トレのメニューをこなしたミホノブルボンは応えた。

 無駄のないしなやかな筋肉はまさに肉体美の集大成。かのブロワイエでさえも彼女に及ばないであろう。血の滲むトレーニングの賜物だなんて、それだけでは言い表せない努力を彼女はしてきたに違いない。

 スカーレットとは別に、スズカはライスシャワーのライバルと名高い彼女にインタビューをしていた。

「そうなの?」

「はい。皐月賞ではライスの姿は遠く後方でしたし、ダービーではライスは二着とはいえ、それでも取るに足らないと視野にも入れていませんでした」

「そうなの。じゃあ、ブルボンちゃんはいつからライスちゃんを意識し始めたのかしら?」

「いつから、ですか……そうですね、正直私自身ライバルと認識したことなんて一度もありませんでした」

 その答えにスズカは首を捻る。

「でも、京都新聞杯ではあと少しの差だったように思うのだけれど……」

 スズカのもっともな疑問に、後悔を噛み締めたかのような表情を浮かべた。

「ええ、その通りです。ですが、私はこう考えてしまったのです。この程度ならば、更にトレーニングを重ねてスタミナを付ければ問題はないと……そして、その間違いがあの悲劇を産みました」

 悔恨の日を思い出し、彼女は拳を握り締める。

 そして、ミホノブルボンの口から懺悔と後悔と失望に塗りたくられたあの日の、無敗の三冠をその手から零してしまったレースが語られる。

 

 

 

『スピード文句なし、パワー充分、問題はスタミナだが鍛えに鍛えぬいて敵はなし!まさに今!無敗の三冠馬誕生と言う歴史的瞬間がすぐそこに迫っています!私の、ファンの夢を背に今菊花賞がスタートッ!!』

 脈拍は正常、気力体力問題なし。スタート直前に自己分析を済ませ、いつものレースだと自分に言い聞かせる。

 今なら例えルドルフ会長が相手でも捻じ伏せられる。その強い確信と共にスタートを切る。

 好スタートを切り、このまま自分のペースに持ち込むために先頭に立とうとしたが……

「へへへ、今日はそうはいかないよ~だ!」

 キョウエイボーガンがペースも考えずに鼻に立つ。

 舌打ちしてしまいそうになるが、ブルボンはこの位置はデビュー以来だなと余裕を見せる。

 この位置でもペース的には先頭にいるようなもの。ボーガンはあの走りではそのうち脚が保てないまま失速するだろう。なら、この位置でも何一つ問題はない。走り終えれば私は最強を手にしている。

 800mを通過するとファンの歓声が耳に心地よく、つい笑みを浮かべてしまう。

 ああ、私の走りに熱狂してくれているのか。その熱狂をゴールと共に歓喜の声へと変えて見せよう。それが今まで応援してくれた貴方達への私の恩返しだ。無敗の三冠を貴方達に捧げよう。

 3000mという長距離に彼女は微塵も不安など抱かなかった。3000mどころか3800mでも戦える身体を作ってきた。虚構ではない自信をその身体に宿してきた。万に一つも敗北などあり得ないという自負……そう、この時のブルボンには一流の才能と実力を持つどんなウマ娘が相手でも敗北などあり得なかっただろう。ウマ娘の中に別の何かが潜んでいるだなどと、誰も想像など出来なかったのだから。

 彼女がソレに気付いたのは第四コーナー手前でのことだった。満を持してボーガンを抜こうと足に力を込め、芝を駆けた瞬間、ブルボンは得体の知れない何かに首筋を撫でられたかのような悪寒を感じた。

(……今のは一体……いや、余計な事を考えるな。私が先頭に立てば目の前には何者もいない景色だけだ。走りを乱すな)

 自分を強く叱咤するも、ブルボンは冷たい汗が流れるのを止められずにいた。

 正体不明の寒気はまやかしで、自分の弱さだと打ち捨てる。

(あと300m……なら、この悪寒ごと振り切って見せようッ!)

 もう一段階、残る力を振り絞りブルボンは直線を目一杯スパートをかける。何者も自分の前を走る事は許さないと、その背が強者のプライドを語り、誇っている。

 その強者の耳に、不気味な音が届いた。

「――捉まえた」

 漆黒の身体から青い炎が揺らめいている。小さな身体が更に小さく低く、弾丸のように疾走する。

(なッ!?ライスシャワーッ!?)

 横に並んだライスシャワーに動揺を隠せない。

 その姿は正に獲物に喰らい付く獣であり、瞳に宿していたのは殺気にも似た気迫。立ち昇る青い炎がより大きく燃え盛る。漆黒に蒼き炎を身に纏い、弾丸が標的を打ち抜いてもなお衰えずに疾走していく。

(そうか、悪寒の正体は……)

「ふざけるなああああぁぁぁぁッ――!!!!」

 身体の中に残る全ての力をあらん限り使って、その背を捉えようと手を伸ばすも、すでに放たれた弾丸は捉まる事はない。

 目の前の背中が一歩駆ける度に遠のいていく。まるで幽鬼のように……そこでブルボンは気付く。

(鬼……この者はウマ娘ではない。ウマ娘が、あのような鋭利で全てを畏怖させるかのような気配を纏うはずがないッ。あの者は、正に鬼のようなウマ娘、か)

 

 

「なるほど……そうね、ライスちゃんは確かに普通ではないもの」

「スズカ殿にもわかるのですか?」

「ええ、少しだけ、ね?」

 きっとその尋常じゃない気配を身を持って知っているウマ娘は少ない。端で見ていては気付けないオーラをライスは持っているのだ。それこそ、鬼と形容される所以なのだから。

「えっと、つまりライスちゃんを歯牙にも掛けていなかったことが悲劇ってことかしら?」

 スズカの質問に、目を伏せながらブルボンはそれももちろんありますと応え……

「私がライスを敵と認識し、もっと鍛錬をしていればと悔やまぬ日はありません。ですが、それだけではないのです」

「それだけじゃないと言うと?」

 ブルボンは今の表情を見せるわけにはいかないとでも言うように、スズカに背を向けて口を開く。その声は震えていて、自虐と自責と失望に彩られていた。

「あの日から、私は走ることが出来なくなりました……多分、マックイーン殿も同じではなかったかと思います」

 その言葉にスズカは驚きを隠せなかった。あの日、春の天皇賞を走り終えた日からマックイーンは長い間走ることを止めてしまった。はじめはライスに負けてしまった事がショックで気力が湧かないだけかと、スピカの全員が思っていたのだが、しばらく経っても彼女は精力的にトレーニングをすることがなかった。

 それを見かねたテイオーがマックイーンに詰め寄った時、彼女はポツリと呟いた言葉……

 

 

『夢の先の絶望を知ってしまったのですわ』

 

 

 その言葉の意味をその場にいた全員が知る事も出来ず、唯一スピカのトレーナーだけがその意味を知り、苦虫を噛み締めた表情で声を掛ける事も出来ずにいた。

「ブルボンちゃん、もし言い辛いのなら無理には聞かないけれど、その理由を話してもらえるかしら?」

 スズカの労わるような問い掛けに沈黙が降り、少しの間を置いてブルボンの重く閉ざされた唇が絶望を紡ぎ出す。

 ブルボンの、ライスの心を引き裂き、蹂躙し、拷問し尽くすあの日の出来事を……

 

 

 

 ゴールを駆け抜ける背中を唇を噛み締めながら、この屈辱を忘れることがないよう、その目に焼き付けながら、死力を尽くしたその背中へと一歩ずつ駆け寄る。

 足を止め、命を燃やし尽くすかのような走りを見せたライスシャワーは、全身で息をして今にも倒れてしまいそうだった。

(……これは、気迫の差だったのかもしれないな)

 自分自身も死力を尽くしたとはいえ、なんとかまだ歩けるだけの力はある。対してライスシャワーは歩く事も出来ずに、息を吸う事が精一杯の相様。

(どおりで鬼と呼ぶに相応しい気配を纏うわけだ。ならば、次は鬼退治してみせましょう)

「……見事な走りだった、ライスシャワー。今回は私の完敗だ」

 小さな鬼へと手を差しだすと、その小さな身体と同じように、小さく儚い笑みを浮かべてライスは手を握り返す。

「ありがとう、凄く楽しかったです。あなたの背中を追いかけるのが楽しくて楽しくて、だから今日まで頑張れました……だから、もっと楽しいレースをこの先も私としてくれますか?」

(なんということだ。この者は私の背を追い掛け続けたからこそ、こんなにも強くなったのだと言うのか……だというのに、私はライスシャワーの想いに今の今まで気が付かなかったとは……こんなにも近くに宿敵がいたというのに)

 ブルボンよりもずっと小さな手を、ぎゅっと握り返してブルボンは宣言する。

「ああ、ああ!今度は私がライス、お前の背中を撃ち抜いて見せよう!」

 同世代に追いかける背中がある事のなんと嬉しい事か……感動に震える胸の内の感情を原動力に、もう一度鬼に挑む決意を秘めてブルボンはライスの背中を押す……そこに絶望がある事を予期することも出来ずに。

「さあ、ファンに胸を張って応えてこい」

「うん!」

 満面の笑みでライスはファンの前に掛けていく。

 自分に勝ったんだ、沢山の称賛と祝福をその身に浴びてくるがいい。その名前のように。

 それが彼女、ミホノブルボンを、生涯のライバルを絶望に叩き落す始まりになるだなんて夢にも思わずに。

 敗者は去るのみ、と背を向けた瞬間だった……

「空気読めよ馬鹿ッ!!!!」「本物の馬鹿だろテメェッ!!!!」「こっちはブルボン観に来てんだよ!テメェが勝ってどうすんだよッ!!!!」「ふざけんなッ!!!!帰れよッ!!!!」「マジねぇわ~!金返せよ!」「死ねよもう!」「ありえねぇ~!誰も期待してねぇからさぁ!こんなのよぉ!」

 な、んだ?何が起こっているんだ?

 罵詈雑言が嵐のように場内に響き渡る。その声は死力を尽くして懸命に走り、ファンの笑顔と夢の為に得た勝利者に送られて良い言葉じゃない。

 現実じゃない、これは悪夢ではないかと目と耳を疑うが、紛れもない真実なのだと次の瞬間に現実に立ち戻った。

 ファンが罵声と共に投げた缶がライスに当たる。まだ中身が入っていたのか、ライスの髪から雫が滴っていた。

「な、何をしている貴様等ァッ――――!!!!」

 呆けている場合ではないと、ブルボンは全力でライスの下まで走り寄ると……

「ライ、ス?」

 ライスは掲げた手をそのままに、表情は歪な笑みのまま凍り付いて、何者よりも強い瞳は色を失いつつあった。

 何度かブルボンが声を掛けるも、ライスは不格好な笑みを浮かべ、消え入りそうな声で大丈夫、大丈夫と繰り返す。

(何が大丈夫なものかッ!?)

 これ以上ライスが傷つかないように、ブルボンは彼女を抱き寄せる。

 こんな事が許されるのか!?夢を追い、希望を抱いて、自分を誇りたくて、皆に笑顔になって欲しくて、誰の記憶にも残っていたくてッ!!自分の生きた証を、足跡をその胸に残して欲しくてッ!!そうして走った者に、このような仕打ちが許されるのか!?

 何が三冠を阻止するなだ、何が夢だ、何がファンの為だ、何が自分の為だッ!!ふざけるなふざけるなふざけるなッ!!

「そこどけよブルボンッ!!俺達はお前のた「戯言を抜かすな貴様等ァッ!!!!」

 皐月賞、ダービーを制した時、皆が私を褒め称えてくれた。笑顔で祝福してくれた。私の走る姿に勇気をもらったと言葉にしてくれた人々がいた。それが嬉しくて、私が走る事で誰かをほんの少しでも支えられることが誇らしくて……だから、どんなに厳しい鍛錬でも耐えることが出来た。自分の為、皆の為、夢の為……私達は走る事に意味を見つけ、その為に走ることが出来る。

 だから、私は今日までどんな鍛錬でも耐え抜けた……だというのに、なんだこれはッ!!!!

 私は、こんな醜悪な者達の笑顔の為に走っていたというのか?だとしたら、これまでの日々のなんと滑稽な事か。

 私の日々は決して誇れるものではなかった。決して、この者達の醜悪な笑顔の為に走ってきたわけではない。

 走る意味がどこにあるというのか……

 失望と喪失感に心が覆い尽くされようとした時、ふと腕の中で震えるライスへと視線を落とす。

(いや、今はそれどころではない。とにかくライスをここから連れ出さなければ)

 ライスを両腕で抱えて場内を出ようと歩き出す。

 腕の中でライスはぽつぽつと、震える声で呟き続けていた。

「が、んばら、ないと。もっと、もっと、沢山、沢山がんば、れば……だい、じょうぶ……み、みんな、きっと……わらって……」

 そうだ、今辛いのは私ではない。あの悪意の嵐を一身にこの小さな身体で浴びていたのはライスだ。

 か細い声で、あの絶望を目の前にしてもまだライスは、頑張る、頑張ると呟き続ける。その姿にブルボンは心臓を手で鷲摑みされたかのような息苦しさを覚え、ぎゅっと彼女の身体を強く抱く。

「す、まない……私がもっと、もっと鍛錬していれば、こんなことには……私が勝っていれば、こんなにも傷つける事などなかったのになぁッ……すま、ない……ライス……」

 退場する二人に、まだ足りぬとファンの荒んだ野次が降り注ぐ。その言葉をなるべく聞かせないように、ブルボンはライスの耳を自分の身体に押し付けるようにする。

 騎士のように気高くなりたいと夢見ていた……それなのに私は、こんなにもライバルを傷つけてしまった。何が騎士のようになりたいだ、何が皆の為だ……純粋を汚す刃を持つ者達の為に、私は走ってきたわけではないッ!!

「あ、あの、勝利者インタビューを……」

 勝利インタビューをするために近付いてきたアナウンサーからマイクを奪い、ブルボンはライスを関係者に預けて場内へと戻った。

 その瞳に紅蓮の炎を思わせる覚悟を秘め、決別の意思を轟かせる為に――

 

 

 ――二度と……私は二度と、貴様等の為に走る愚行を起こさないッ!!!!――

 

 

 その一言を言い放ち、マイクを芝に叩きつけ、彼女はターフを去った。

 悔恨と懺悔と失望と絶望と……ライスへの憐憫を深く、海よりも深く、心の深奥に刻んで……

 




 まず、僕はライスシャワーがすごく好きで、彼の長年のファンなのですが、言いたい事が沢山あります。
 まず一つ、ライスがマックを降した天皇賞以降走らなくなったのは、トラウマがあったからだと思います。的場さん曰く、調教では走るのにレースになるとどこか気力を失ったようになると、いうようなことをおっしゃっていました。そりゃそうでしょう。馬ってとても賢くて臆病なんです。考えてもみて下さい。一生懸命頑張って結果を出した時、もし口汚い言葉で沢山の罵倒を受けたらどうでしょうか?人間だったらどうですか?僕は今でも忘れません。余計なことすんなッ!とライスに向かって言った声を。今でもレースを見る度に、勝利の後の声と光景に僕は涙します。一生懸命走ったのに、無敗の三冠を、天皇賞三連覇を阻止した……それがそんなに悪い事でしょうか?金をかけて命を弄んで出来たギャンブル、それが競馬です。それなのに、金を返せ?ふざけるな。そんなもの馬には関係ないでしょう。じゃあ止めろよ。自分の命に金でも賭けてろ。あの日、あの時のライスシャワーの傷ついた姿を僕は忘れない。
 レースになる度、馬場に入る度に耳を伏せてしまう……当り前じゃないですか。
 僕は小さな身体全身で懸命に走る君がとても好きです。諦めないその姿が勇気をくれました。ありがとう。
 心を込めて、あと少し書かせて頂きます。
 最後に、大変申し訳ありませんが、これは言い訳のしようがない僕の自己満足小説ですので、不快に感じられる方はこれ以上読まないでいて下さい。
 では、また次回お会いしましょう。

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