カラン。
落ち着いた木製の扉を開けると、ベルが鳴った。
私が足を踏み入れると奥にあるカウンターから一人、青い長髪の少女が迎え出てくれた。
「いらっしゃいませ。ラビットハウスへようこそ」
優しげな、でもどこか無愛想な声。
まるで隠れ家のよう、静かなひと時を楽しめそうな店内にとてもよく馴染んでいる彼女は、私を右側のテーブル席へ案内すると、さっそく注文を聞いてきた。
「じゃあ、ブルーマウンテンを貰える?」
「ブルーマウンテンですね。少々お待ち下さい」
軽く頭を下げた彼女はしずしずとカウンターへ戻ると、中にいた一人の女の子へ声をかけた。
「リゼさん。ブルーマウンテン一つ、お願いします」
「ああ、了解した」
短く、はきはきとした受け答えが聞こえる。
肩にかけていた荷物を降ろしながらそちらを改めて見やると、紫色の髪を長いツインテールに纏めた少女が、厨房で作業を始めたところだった。
リゼ、というらしいスタッフは、注文を取ってくれた彼女よりも幾分か背が高い。何か運動系の習い事でもしているのか、背筋をピンと伸ばして両手を動かす彼女の周囲には、涼やかな風が吹いているようだった。
高校生かな。
可愛い髪型をしている。清楚な仕事着が絶妙な加減で彼女の可愛らしさと凛々しさとを織り交ぜて、質素なカウンターに花を添えているようだった。
一方の、先程注文を取ってくれた彼女は……。小さい。小学生、でも通りそうな。
でも、しっかりしている。背丈に似合わない落ち着き具合と、物事に動じない大人しそうな表情から見るに、恐らくは中学生かもしれない。
リゼさん、に注文を言い渡した彼女は、一緒にカウンターの中で並ぶと、カップを取り出した。多分、私のコーヒーを淹れる為の、小さな白いカップだと思う。
「あの~」
「は、はい!?
後ろから声が。びっくりした……。
「ああ、驚かせてしまってすみません。すごく熱心に彼女達を観察されていたものですから、つい……」
振り返ると、私と背を合わせるように座っている女性がいた。
いつの間にいたのだろう。さっきここまで通された時には、いなかった気がするのだけれど……。
というか、背を向けあっているのに、どうして見ていたことがわかるのだろう。
と、そんなことより、弁解しないと!
「あの、 決して怪しい者では……!」
「あは。大丈夫です~。可愛らしい彼女達の仕事姿に見入るその気持ち、とても良くわかります~」
「は、はぁ……」
なんだかふわふわした女性だ。言動を現す様に、服装も緩めな印象を受けた。
「よろしければ、そちらに、相席しても?」
「あ、ど、どうぞ」
「ありがとうございます~」
言って、鞄とコーヒーカップ、そしてペンや原稿用紙を手に取った彼女は、するすると歩いて私の目の前に着席した。
「私、青山ブルーマウンテンといいます~。失礼ですが、あなたは……?」
「あ、わ、私、布衣(ふい)といいます。来桜 布衣(こおう ふい)」
「あら~! 素敵なお名前ですね~!」
「あの、作家さん……なんですか?」
「ええ! 私、小説家なんです~。ネタ探しによくこうして喫茶店へお邪魔しているんですよ」
語尾をよく伸ばす人だなぁ。
そんなことを考えていると、さっき厨房で作業していたリゼさんがカップを持って歩いてきた。
「お待たせしました。こちらブルーマウンテンです。どうぞ」
「あ、ありがとう。いただきます」
「リゼさん。私にはおかわり、いただけますか?」
「かしこまりました。チノー。青山さんにキリマンジャロ一つ、追加だ」
わかりました、と一言呟いた、チノ……ちゃん、は、不必要に音を立てることなく作業を開始した。よく見ると、さっきまではいなかった白くてもふもふした何かが頭の上に乗っている。
「あ、あれはティッピーって言うんですよ~」
「あの白い、ふわふわしたもの……ですか?」
「はい~。ティッピーさんはとても大人しくて、よくチノさんの頭の上に乗っているんです」
「ちなみに、ウサギなんですよ。アンゴラウサギっていう品種の」
「へぇ……」
青山さんとリゼさんに説明されるままの私は、まじまじと白くてふわふわした、ティッピー、を見つめた。
一体どうやってバランスを取っているのか。小さく動き回るチノちゃんの頭へ器用に乗ったまま、珈琲の出来る行方を静かに見守っている。
その様子を目で追いながら、差し出されたカップを持ち上げて、啜った。
香りが広がる、美味しい珈琲だった。
「ん~。おいしい~……」
「ええ。とっても良い香りがするでしょう? フルール・ド・ラパンや甘兔庵ともまた違う魅力で、私達を楽しませてくれるんです」
そう言って優しく微笑む青山さんは、有名なチェーン店と、まだ訪れたことのないお店の名前をさらりと上げた。そして、呟きを終え目を閉じた彼女は、深く息を吸い始めた。
まるで、珈琲の匂いだけでなく、このお店に漂う落ち着いた雰囲気まで、身体の内側へ引き寄せていくような……。
「お待たせしました」
目の前の女性に見とれていた私は、いつの間にか傍へ来ていた少女の声に引き戻された。
「あら~! ありがとうございます~!」
「青山さん。原稿はどうですか」
「見ての通り。全く進みません」
「いいのかそれで……」
物静かで一見近寄りがたいチノちゃんも、リゼさんの放った呆れ気味の一言に目配せして同意を示していた。
意外。結構、喋るんだ。
無口そうに見えたチノちゃんは、リゼさんとも、そして青山さんとも、口数少ないながら会話に興じている。
雰囲気が暖かい。青山さんは、かなりの常連さんなんだろう。
「やっぱり大変ですか。小説を書くっていうのは」
つい聞いてみたくなって、私は口を開いた。
いささか急な問いかけだったかもしれないけれど、青山さんは優しく答えてくれた。
「ええ。でも、こうして可愛らしい店員さんの入れてくれた珈琲を嗜みながら、マスターが大切にしていたラビットハウスの空気を堪能するだけで、こう、何となく、いいアイディアが浮かんできそうな気がするんです」
「そういうものかな? なあ、チノ」
「どうでしょうか。でも、そう言ってもらえるなら、おじいちゃんもきっと喜んでいると思います」
チノちゃん自身が感じた喜びを本人が全て表すかわりに、頭の上に乗っている兔が得意げに鼻を鳴らした。……ような気がした。