ここは、ラビットハウス。
おじいちゃんが苦労して作り上げた、念願の喫茶店です。
夜はバー。昼間はカフェ。マスターの父と私とで、何とか回しています。
お客様が落ち着く雰囲気を、という理由であつらえた木製の机、椅子、カウンター。観葉植物がさりげなく空間を彩って、天井にはシーリングファンが音も無く空気を回します。
千夜さんの働く甘兔庵よりも西洋風に。シャロさんの働くフルール・ド・ラパンよりはおとなしめに。お客様が憩う隠れ家的な静けさが、このラビットハウスの特徴です。
そんなラビットハウスが、私は好きです。
でも最近は、少し違う雰囲気も好きになってきていて……。
「チノちゃーん! 今度のパン祭り、いつにする? 今日? 明日? それとも来週?」
「ほらココア。ふざけてないでしっかり仕事しろ」
きゅるるるるる……。
リゼさんのお腹が鳴りました。
「わーい! リゼちゃんは今日だって!」
「い、言ってなーい!」
きゅるるるるるるるるる……。また鳴りました。
「お腹は大賛成だもーん!」
「こ、ココアー!」
やれやれです。お手伝いのリゼさんに、居候兼アルバイトのココアさん。
特にココアさんがこの街に来てから、私の周りはとても賑やかになりました。
「もう! リゼ先輩をからかわないの!」
「あらシャロちゃん。それって、やきもち?」
「やいてなーい!」
「え? シャロちゃん、私にじぇらしーなの?」
「感じてなーい!!」
千夜さんにシャロさんも、今日はラビットハウスへ遊びに来ています。
というのも、何やら千夜さんからお話があるそうで……。
カラーン。
「来たよーチノー!」
「おまたせー!」
「マヤさん。メグさん。いらっしゃい。どうぞ」
ちょうど二人も到着しました。さて、一体何が始まるんでしょうか。
「で? 千夜。私達に話したいことって、なんだ?」
リゼさんが聞いてくれました。どきどき。
「ふふふ。それはね……。じゃーん! お手紙よ!」
「手紙? 誰からよ?」
「ただ言うんじゃ面白くないわ。当ててみて!」
千夜さんは今日も茶目っ気たっぷりです。さて、考えてみましょうか。
「んー。誰かなー」
「メグちゃんも知っている人よ?」
「私も? えっとー。うーん」
メグさんも知っている人……。もしかしてモカさん?
「もしかしてモカさん?」
「ぶっぶー。シャロちゃん不正解ー」
違いましたか。では次は……。
「あ。青山さんとか? いつも文章書いてるし、甘兔庵にもよく来るし」
リゼさんさすがです。私も同じことを考えていました。
「残念。ちがいまーす」
ほんとは何となく違う気がしていました。リゼさんはずれです。
でも、青山さんもモカさんも違うとなると、あとは……。
「タカヒロさん!」
「ちがうわ。残念ココアちゃん」
「じゃあ、ティッピー! その毛の中には、実は器用な指先が……!」
「はずれよマヤちゃん。でも本当にあるのかもしれないわね」
ありませんよ。ティッピーにそんなもの。
マヤさんと千夜さんのタッグは恐ろしそうです。組ませたら一大事です。
「さて……。じゃあ最後! チノちゃんは、どう?」
「わ、私は……」
困りました。正解がわかりません。
モカさん、青山さんでもなく、当然ながら父でもなく。ティッピーも違いました。では、あとは……。
「ヒント! この前旅行に来ていた、あの人よ♡」
あの人? ……あぁ!
「はい!」
「はいチノちゃん」
「布衣さんです! 来桜 布衣さん!」
「だいせいかーい!」
どこかから紙吹雪が降ってきました。どこから出したんですか千夜さん。後のお片付けが大変そうです。
「手紙? 布衣さんから!?」
「そうなの! もうずっと言いたくて、学校にいる間ずうっとうずうずしちゃった!」
「そっかー。だから千夜ちゃんうずうずしてたんだ。何か抑えきれないほどすごいメニュー名考えちゃったのかと思ったよ」
「やだ、そんなに? 私の気持ち、ココアちゃんには筒抜けね♡」
「千夜ちゃんのことはなんでもお見通しだよっ!」
「はあ。話が全く進みません。千夜さん、よければお手紙を見せてくれますか?」
「あら、ごめんなさい。ちょっと待ってね。今開けるから……」
がさごそと鞄から一通の封筒を取り出した千夜さんは、その封を開けて、取り出した手紙を読んでくれました。
「拝啓、宇治松 千夜様。お元気ですか? お久しぶりです。その節はどうもありがとうございました」
布衣さんらしい、真面目な文章です。
「甘兔庵で働いた経験をもとに、就職活動を行いました。最初は……」
全然ダメだったようです。履歴書は書けるものの、面接になると緊張でへにょへにょ。布衣さんらしいです。ココアさんとシャロさんから聞いた話からすると、その様子が浮かんで見えてきます。
「でも、回数をこなすうちに、段々と場馴れしてきました。その頃になると、自分が何をしたいのか、どうなりたいのかが洗練されてくるようになって……」
諦めずに回数を重ねたある時、見事内定を勝ち取ったようです。
「よかったねー布衣さん! 念願の内定ゲットだね!」
「そうなの! もう貰った時嬉しくて! はやく皆と共有したかったの!」
ココアさんと千夜さん、嬉しそうに手を重ねて喜んでます。少しオーバーですが、気持ちはわかります。良かったですね、布衣さん。
「甘兔庵での様子を知ってると、それがどれだけのことかわかる気がするわね」
「シャロちゃんはいつも窓から覗いてくれてたものね」
「し、知ってたの千夜!」
「あら。あんなに真剣に見つめてたら、誰でも気づくわ」
「わ、わかってるならさっさと言いなさいよ! は、恥ずかしいじゃない!」
シャロさん顔真っ赤です。
「まあまあ。でも良かったな。私達はまだそういうの経験ないけど、布衣さんの大事なものは何か、見つかったみたいだな」
「うん。わざわざお手紙くれるくらいだから、よっぽど甘兔庵の仕事が役にたったんだねー」
そうですね。メグさんの言うとおりです。
それもこれも、千夜さんの働きかけがあったからこそですね。
「そうね。布衣さんの迷いが、甘兔庵で働くことで吹っ切れたのなら嬉しいわ。働くって楽しいことでもあるっていうのが、一番伝えたいことだったから」
「素晴らしいです。千夜さん。まるで女神様です」
「人を通り越して女神様かよー!」
「なんだか眩しいねー」
「うふふ。女神様は言い過ぎかしら。あ、それでね。皆を呼んだのは他にもあって……」
え?
「えぇ? なになに? 千夜ちゃん何を隠してるの?」
「何だ千夜。早く言ってくれないか」
「焦らさないでよ」
「うん。この手紙の続きなんだけれどね……。『晴れて内定を頂いたお礼も兼ねて、もう一度木組みの街へ遊びに行きます』って!」
「えええ!?」
カラン!
あ。
「いらっしゃいませ。ラビットハウスへ、ようこそ!」