星空を翔ける乙女たち アリス・ギア・アイギス another story 作:きさらぎむつみ
第一話 始まりは、なんてことなく
* * *
春風が、開け放たれた窓から教室を緩やかに駆け抜けてゆく。そんな心地好さの影響からか、室内の喧騒はどこか弛緩している印象だ。
けれど、ほんのわずか、ただ一ヵ所、そうした雰囲気からは一歩離れた場所があった。私はそのすぐ隣、自分の座席に腰を下ろす。
真剣な眼差しをタブレット大の端末に向けて、肩を寄せあい、二人だけの会話をしている女子中学生。
しかしてその会話の内容は、甘い恋の囁きを交わす恋愛関係のそれでもなければ、授業内容の理解に悩む真面目な学生のそれでもない。
『武装』やら『出力』などのほか、おおよそ普通の中学生が口にするものではない単語が次々と、微風に乗って私の耳に何とはなしに届いていた。
ーーそして、私はそれを理解できる、してしまえる経験を持っていた。
隣の席で難しい顔を並べている二人、
私は、アクトレス
* * *
『アクトレス』。
それは未だに謎多き機械生命体『ヴァイス』を狩る、
『エミッション能力』を保持し、それに反応する『エミッション・コア』から引き出された高次元エネルギーにより稼動する『アリスギア』を纏える若年層の女性たちーーアクトレスは、その力を駆使して人類をヴァイスの脅威から護り続けていた。
今では、エミッション能力のーーそも発現するか否かにもよるがーー個人差を考慮に入れた職業選択さえ、ごく一般的なこととなっていた。
能力と技量に秀でたトップアクトレスは、出撃のたびにその戦闘の様子が各メディアで報道される。
それはさながら、スポーツアスリートやアーティストのそれに近い。
そこまでいかなくとも、定期的なヴァイス襲来に対する警備任務、またはアクトレスの装備であるアリスギアの設計・開発、アクトレススーツのデザインをする服飾系などと、関連する事業は今や一大産業構造を形成している。
女子は中学校に上がる頃の春先に行われる、通称“エミッション測定会”で自身のエミッション能力適正を確認するのが現在の日系シャードでは一般的だ。
その後、必要に応じてーーアクトレスを目指すのならばーー満13歳の誕生日以降にアクトレス免許を取得する試験を受ける。
前もって教習所で講習を受け卒業検定まで済ませていれば、免許取得の際の技能試験を免除されるので、中学進学前から教習所に通う子も少なくない。
なので、早い子では中学1年のゴールデンウィーク辺りで免許を取って希望の会社に所属するための応募をして、連休明けにはアクトレスデビュー、なんて子もいる。
現に私、
元アクトレスの母による熱心な指導の賜物か、それとも別の何かか、ともかく私は昨年の今頃、アクトレスとしてデビューした。
4月の誕生日に13歳を迎えていた私にはそれが可能で、またそれが出来るエミッション能力も充分以上に持ち合わせていたからだ。
おそらく、その後に何か特別なことがなければ、今でも私はアクトレスをしていただろう。
そう、つまりはそういうことだ。
1年前の私は、その3ヶ月後に巻き込まれる事件のことなどーーその事件で両親を亡くし、母方の祖父母に引き取られ、アクトレスとは無縁の普通の一学生として日々を過ごすことなどーー想像だにしていなかったのだ。
* * *
その日の私はどうかしていた。
何故だか、すごく久々に、でもそれが誰だったかまでは思い出せない……そんなひどく曖昧な“声”が聞こえたような気がしてーー瞬間、我を失っていた。
けれど、そのタイミングが最悪だったのだ。
よりにもよって体育の授業中、しかも
私は突然のパスボールに対応しきれず、それは運悪く私の側頭部を強打して、私の意識を容赦なく刈り取っていった。
要するに、私は体育館で気を失い倒れ、呼ばれて駆け付けた養護教諭の判断により、保健室に運び込まれたのだ。(もちろんこれは、あとから私が聞かされた話だ)
気がつけば、視界にはUの字を描くカーテンレールに切り取られた、蛍光灯の点いていない天井。
自分の今居る場所が何処だか、鈍った思考が判断するまでに多少の時間が必要だった。
窓が開いているのか、緩やかな空気の流れに乗って遠くからーーおそらくは校庭辺りからのーー部活動に勤しむ生徒の声が、耳に届いた。
そして、人影とその気配も。
私は、自分が身を横たえているベッドから半身を起こし、明るい側なのでおそらくは窓がある側だろうと判断した方のカーテンをゆっくり揺らした。
レールに沿って、今まで区切られていた領域が解放される。
予想通り、椅子二つ分ほど向こう側に窓ガラスがあった。
そして、窓枠に背を預け座っている人影の主。
彼女は小さなテーブルに頬杖を付きながら、もう一方の手に持った文庫本を読み耽っていた様子だったけれど、カーテンの揺れと私の視線を受けて気付き、多少の沈黙のあと、
「良かった、目を覚ましたのね」
と、語りかけてきた。
「はい……あの、えっ……とーー」
「とりあえずお名前、伺ってよろしいかしら? あと、直近で覚えている限りのことも」
「あ、はい。私の名前は館林乃亜、2年2組です。私は、5時限目の体育を体育館で、バスケをしていて……それでーー」
「…不自然な体勢のタイミングでパスされたボールを頭に受けて、そのまま倒れたのだそうよ」
窓際の彼女は
その隣にティーポットがあるので、中身は紅茶のようだ。
「貴女も飲む? 養護の志筑先生は今職員会議中だから、もうしばらくは帰ってこないわ」
そう告げてきた彼女は、制服のタイの色から一学年上の3年生のようだった。
保健委員会役職の上級生だろうか。
さしあたり、私は彼女の問いかけに「はい、いただきます」と応えておくことにした。
「少し前まで、貴女のクラスメートさんも居たわ。授業で一緒のチームだった人だそうよ。用事を済ませてまた戻ると言っていたわ」
彼女ーーいや、先輩はそう背中を向けて語りながら、手際よく紅茶を入れる準備に取りかかっていた。
「まあ、その様子なら病院で精密検査を受けるほどではなさそうではあるけれどーーと、そういう素人判断は止めた方がいいか……今のは失言、忘れてね」
言いながら、二つの湯気をあげるマグカップの片方を私に向けて差し出してくる先輩。
私は一旦、ベッドの中で布団の下にしていた腰から下部分を抜き出してベッドに腰掛ける体勢に変えてから、そのマグカップを両手で恭しく受け取った。
「砂糖やミルクが必要なら言って。レモンは残念ながら切らしていて。ごめんなさいね」
「では砂糖を……スティック1本だけ」
先輩の座る横のテーブルにスティック型シュガーの詰められていた瓶をみてそう言うと、先輩がそこから2本抜き取って片方を私に差し出してきた。私は特に遠慮せずにそれを受けとる。
続けて先輩はプラ製のマドラーも私に渡してくれた。
しばし、二つのマグカップとマドラーが立てる音が響き、続いてその中身に喉を潤す静かな時間が流れた。
「変に痛む箇所なんかは無いかしら?」
「えーと……無い、みたいです」
「そう、それは良かった。それを飲んだらもうしばらく、横になって待っているといいわ」
「あの、ありがとうございます。保健委員の先輩の方に、お茶まで入れていただいて」
私の言葉に先輩が振り返る。
その表情はわずかに疑問符を浮かべていたが、すぐに破顔して
「私は別に保健委員でも何でもないわ。むしろ、貴女以上にこの部屋に御厄介になっている、ただの一生徒よ」
そう言うと、先輩は両の手で包んだマグカップを口元まで運び、とても上品そうに傾けた。先輩の喉が微かに脈動する。
その様子を、こうしたものは見続けていて良いものではないと思い至り、私も手渡されたマグカップに意識を向けて口を付け、注がれている琥珀色の液体を再度飲み始める。
「さて、それでは私はお先に失礼するわ。貴女はもう少し、志筑先生かクラスメートのどなたかが来るまでは休んでいらっしゃいな」
先輩はそう言って、文庫本を鞄にしまい、マグカップをステンレスの流し台で手早く洗い戸棚に戻すと、優しい笑みをこちらに向けて、
「では、ごきげんよう」
とだけ言葉を残して保健室を立ち去ろうとする。
「あ、ありがとうございます」
その私の言葉への返しだろうか、先輩は振り向きこそしないものの、保健室の扉がゆっくりと閉まりきるまで私に見えるように、鞄を持っていない方の手を肩の高さまで上げてひらひらと振ってくれていた。
そうして一人、保健室に残された私だったが、マグカップの中身が空になり流し台まで片付けに行こうかと思案し始めた頃合いで、続けて迎えた来訪者により囲まれることとなる。
職員会議より戻ってきた志筑教諭。
彼女は室内に私だけだと確認すると、安堵と苦笑のない混ぜになったような小さな嘆息を漏らしていた。
それは考えるまでもなく、あの先輩に向けてのものだろう。
続いて、側までやってきた志筑教諭が私の具合についていくつかの問いかけをしているうちに、今度は私と同学年のタイをした女子が二人、わずかに荒げた息を整えながら入室してきた。
今日の体育の授業、3X3のチーム分けで一緒になったクラスメート、加賀野美弥子さんと御劔真砂さん。
二人は、私が志筑教諭と別段かわりなく言葉を交わしている様子に少し安心したようだった。
「ごめんね、館林さん。私が下手くそなパス出したせいで」
志筑教諭が書類作成に離れると、ベッド脇まで来た加賀野さんが開口一番、丁寧なお辞儀とともに謝罪を口にした。
「いえ、私がいけないんです。ちゃんと試合に集中していなかったから」
事実その通りなのだから、一方的に謝られてもこちらが困ってしまう。
それでも「ごめんなさい」を繰り返す加賀野さんに、「そんなことないです」を返す私。
「美弥、あんまり何度も謝ったって館林さんも困るって。その辺にしときなよ」
私と加賀野さんの謝罪パスボールリレーが続きそうなのを察したのか、御劔さんが助け船とばかりに加賀野さんに声をかけた。
実際、その言葉がなければ私と加賀野さんはもう幾度か互いに頭を下げていたことだろう。
「言い出したら、美弥からのパスコースの間に館林さんを挟んだ位置取りをした私だって悪いの! ごめんなさいね、館林さん!」
勢いよく下げた頭を上げた御劔さんは、その殊勝顔をニヤリと崩して、
「はい、今回は3人ともダメダメでした! お間抜けでした! それで終わり! ……で、いいかな? 館林さん?」
またすぐさま真剣な面持ちで尋ねてくる御劔さんだった。
ずいぶんコロコロと表情を変える人なんだな、と頭の片隅で考えつつ、そしてそれが嫌に感じなかった私は何だか可笑しくなって、吹き出しそうになるのを堪えながら、
「はい、それで構わないです。3人ともドジしましたね。まったく申し訳ないです」
私の顔に自然と浮かんだ笑みを見取ったのか、二人は心なしか安堵を深くしたようだった。
「あと…よければ、せっかくなので加賀野さんも御劔さんも、私を名前で、乃亜って呼んでください。それと…お二人の下の名前、よければ教えてください」
我ながら、人付き合いの下手さを絵に書いたような言い回しだな、と思わずにはいられなかった。
その上、嘘つきだな、とも。
何故なら、私は二人のフルネームをすでに知っているのだから。
「そっか、そういえば2年になって同じクラスになったのに、まだ話したこと無かったよね……私は御劔真砂。それにこっちは…ほら、自分の名前くらい自分で言いなよ」
真砂に肘で小突かれ、加賀野さんもハッとして佇まいを直し真面目な顔で、
「加賀野美弥子、です。真砂ちゃんとか、親しくしてくれる人からは美弥、だけで呼ばれてます」
まるで面接会場での受け答えのような物言いに、わずかなイタズラ心が芽生えた私は、
「それじゃ、私も美弥ちゃんって呼ぶことにするね、美弥子さん?」
と返したのだが、まさかそう来ると思っていなかったらしい美弥子さんは、
「えっ、え? えっ! う、うん、はい。えっと……乃亜、さん?」
と、何だか意味を咀嚼して飲み込むまでにしっかり時間をかけました、というのがありありと分かる答えで返してきたのだった。
二人のアクトレスと私は、こうして名前で呼び会う程度の間柄になった。
頭のどこかで、「私が“元”アクトレスだったことを伝えることはきっと、ないのだろう」と、思いながら。
続く
(再録)
今回の余談
先輩の読んでいた文庫本。現在(リアル社会)、栞紐のある文庫本を出している出版社(&文庫シリーズ)は限られています。
私の執筆中イメージでは(ちょっと古めなタイトルの)新潮文庫でしたが、星海社文庫でも似合うかな?とも思いました。
どんなタイトルを読んでいたか、膨らんだ妄想を感想に添えていただけたらとても嬉しいです。(そして今後の先輩のキャラ造形に反映させたりしたいです(笑))
2022/02/06 リスタート後アップデート済み