ロストエンパイア創造記 作:メアリィ・スーザン・ふ美雄
むかしアメリカ独立戦争が始まって間もないころ、あるところに木こりのリップ・ヴァン・ウィンクルという男がいました。
独り身であるこの男は、のんきなことにテキトーに生きてテキトーに死ねればいいと思っていましたから、気兼ねなくしがらみなくどんな相手とも話せましたし、近所の人には親切で、頼みこまれると断りきれない、怖いものしらずのタフガイでした。気は優しくて力持ちという性格を体現した在りかたに、女性からはたいそうモテましたが、彼は結婚という行いで自由な人生が縛られるのがイヤでしたから、みんな断ってしまっていました。
彼は働いて一ポンドの金をかせぐよりは、むしろ一ペンスしかなくても腹を空かせているほうが良いと思う気質でした。空腹に眠気に便意といった、人が抗うことのできない生理的欲求の警告すら楽しめる奇人変人の類でした。
気の向くままに放っておいたら、日がな一日じゅうハドソン川で釣りをしたり、キャッツキル山地へと狩りに出かけたりして、良い獲物を獲られれば口笛を吹く、時の流れに埋もれるかのようなスローライフを一生続けられるほどでした。
むしろ彼はそうしてずっと生きてきましたし、小遣いを稼ぐためにまじめに木こりの仕事をするほうが珍しいくらいでした。
ある日、彼が愛犬ウルフをつれて森へ猟に出かけると、遠くのほうから「リップ・ヴァン・ウィンクル、リップ・ヴァン・ウィンクル」と自分の名を呼ぶ声が聞こえてきました。
気になったリップは声の出どころを探りますが、ウルフはワンワン吼えたあと、主人をそちらに行かせまいと長ズボンの裾を咥えて引っ張りました。
リップはまあまあと愛犬ウルフを宥めて、好奇心赴くままに進みました。すると木々の種類がどんどん変わっていきますし、森はどんどん深くなりました。リップはなんだか面白くなってきて、そのままずんずん行きました。もちろん手には、よく手入れした猟銃がありました。本当に危なくなったら、この銃でパーンと撃つか、必死に逃げればいいだろうと思っていました。
「リップ・ヴァン・ウィンクル、リップ・ヴァン・ウィンクル」ウルフは背中の毛を逆立てて、一声ひくく唸ったあと、主人の傍らに近よって、怯え混じりに木々の谷間を覗きました。リップはこのとき、訳のわからぬ気味悪さが身に迫ってくるように感じながらも、その気味悪さにワクワクしつつ、愛犬と同じ方向を見ました。
すると奇妙な姿をした者が、何か背中に重いものを背負って、前かがみになりながら、ゆっくりと山道をのぼっているのが目に入りました。リップはこんな辺鄙なところで人間のすがたを見たのでびっくりしましたが、きっと彼が自分に助けをもとめているのだろうと思い、手をかしてやろうと駆けつけてやりました。
近づいて見ると、その人は動物の毛皮を被ったおじいさんで、背中には酒がいっぱいに入っているらしい頑丈な樽をかついでいました。おじいさんはリップに気付くと、手を貸してくれと目で合図しましたから、人の良いリップは、あまり深く考えずに手を貸しました。
それで、獣道ですらない険しい山道を進むのを手伝いつづけると、あれよあれよといううちに切りたった絶壁に囲まれた小さな円形劇場のような窪地へたどり着きました。そこでは奇妙な人たちが、ナインピンズ*1をして遊んでいました。彼らは一風変わった異国風の服装をしていました。
あるものは短い上衣を着、あるものは胴着を着て、帯に短剣をはさんでいたり、弓矢や槍を背負っていたりしました。大部分はここまで一緒に来たおじいさんとおなじ型の、だぶだぶの半ズボンをはいていました。彼らの顔つきもまた、どこか一風かわっています。長い顎ひげを生やし、四角ばった顔で、豚のような小さい眼をしているものもいれば、鼻ばかりで顔ができあがっているような者、顎が長く尖っていて、白いすり鉢形の帽子をかぶり、そのうえに赤い小さな鶏の尾羽をつけている者もいました。逆に鼻なんてないくらい小さく平らで、長い髪で目元を隠している者であったりと、とにかくみんながただならぬ者でありました。
その中にひとり、リーダーらしき者がいました。その男は体のガッシリした老紳士で、雨風に鍛えられてきたかのような風貌をしていました。彼は白髪と灰色の髭をたっぷりと蓄え、レースのついた上衣を着て、幅の広い帯に短剣をさし、羽根飾りのついた山高帽をかぶり、赤い長靴下をはき、踵の高い短靴に花かざりをつけています。
「リップ・ヴァン・ウィンクルか」
と、リーダーらしき男は言いました。それは森の彼方からリップに呼びかけていた声でした。ナインピンズで遊ぶ手が止まって、みんながリップに注目しました。異様で、不可思議な、生気のない顔で見つめられた彼は、なんだか居心地が悪くなって、そういえば、と辺りを見渡しました。
いつの間にやら愛犬ウルフがいなくなっていました。
実はそのころウルフはというと、この広場を一目みたときには、すっかり理性を失って、野性に帰ってしまいましたが、特別な才能があるリップはそのことに気付く余地がありませんでした。
「ほう? 狂気知らずか。珍しい」
「生まれついての気狂いと呼ぶのではなかったか? まあいいが」
「
「どれどれ、次はお前も投げるといい」
「はあ、どうも」
なんだか良くわからないまま、リップはみょうちきりんなところで、みょうちきりんな連中に差し出されたボールを手にとって、ナインピンズで遊ぶことになりました。きっとウルフはリスかしゃこを追って、森のどこかへ迷い込んだのだと楽観的に思いながら。
リップはナインピンズがヘタクソで、変わった格好のみんなにその投擲のいい加減さをからかわれましたが、なんだかんだで楽しみました。けれどリップにはどうにも腑におちないことがありました。
ここにいる連中はあきらかに遊び興じているのに、ボールを転がす時にはこのうえなくしかつめらしい顔をし、用がなければ黙りこくっていたことです。まるで『この遊びの何が面白いのかわからない』といった様子でした。
ボールが転がりピンを弾く音が雷鳴のように轟く瞬間だけ、彼らは名状しがたい笑顔のようなものを浮かべました。倒れたピンは不思議なことに、ひとりでに起き上がって元のひし形の並びにもどっていきますから、誰かがピンを立てに行くことはありませんでしたし、玉もひとりでに戻ってきますから、崖のどこかに転がり落ちたままになることにはなりませんでした。
彼らは自分がボールを投げるよりも、リップが行う一挙手一投足のほうがよっぽど面白いようでした。でもリップは、特別なことはなにもしていませんでした。ただ、普段通りにしていました。なんでもないことを話かけたり、聞かれたことを答えたりしていました。そんな風にリップが普段通りにしているということが、彼らにとっては何よりの娯楽であるかのようでした。
しばらくすると、リップが運搬を手伝った樽の中身を、毛皮を被ったおじいさんは給仕のように振舞っていました。それは黄金色のハニールでした。リップにも木のコップが差し出されましたから、そのハニールをありがたく頂きました。馥郁たる香りが鼻につきましたが、なんとも芳醇な味わいでした。リップは生まれつき酒好きだったので、すぐにまた一杯やりたくなりました。するとおじいさんは心得た様子で、何度も何度も注ぎ足しました。
間もなくリップはなんだか
リップは酒気の巡りに身を任せ、深い深い眠りに落ちましたとさ。
リップ・ヴァン・ウィンクルはヴァン・ウィンクル家の末裔で、彼の祖先は、騎士道華やかなりしピーター・スタイヴァサントの時代に武名をとどろかし、スタイヴァサントに従ってクリスティーナ要塞の包囲戦に加わったこともあったそうです。
彼自身は祖先の武術的気風をほとんど受けついでいませんでしたが、いわゆる戦場の狂気のようなものにけっして呑まれず、どんな相手だろうと怖れないという胆力だけは強く強く受け継いでいました。
さて……時の流れにしておよそ二十余年後、リップ・ヴァン・ウィンクルは現実世界に目覚めました。とてつもなく幸福な夢を見ていたような、とてつもない悪夢を見ていたような、どちらともいえない心地でした。少なくとも間違いなく言えることは、彼の人生の過半はこの眠りによって失われたということです。
彼自身がそのことを知るのは、元居た村に戻ってから、村人と噛み合わない会話をしてからのことでした。
「さらばリップ・ヴァン・ウィンクル」
リーダー格の老紳士は、現実に帰って行くリップ・ヴァン・ウィンクルに向かって、静かな敬意を表しました。彼は自分がどれほどの偉業を達成したのか、生涯自覚することはないでしょう。自分達とつきあっておきながら、最後の最後まで殺すきっかけも支配するきっかけも与えず、奇跡の先の更なる幸運として、その後の生還さえ成し遂げてしまったのですから、これを称えずして何を称えればよいのでしょうか?
リップは地元に帰り、時の流れに埋もれていたような心地になって、このおかしな体験記を書き残しこそしましたけれど、どのような夢を見たかということはついぞ書くことはありませんでした。彼が残した第三種接近遭遇の顛末を読み、夢の中で言語化しづらい天啓のようななにかを得た一人が、恐るべき宇宙真実を書にしたため世に広めるのはこの先百年以上たってからことになるでしょう。
あなたが深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているといいますが、深遠がこちらを覗いていたとしても、あなたが深遠を覗いているとは限りません。あなたが深遠をのぞく時に深遠がこちらをのぞくのは、こちらが深遠に興味をもっているからこその反射のような反応で、あなたが深遠に興味が無ければ、深遠がいくらあなたをのぞいていても、のぞかれていると悟らなければまったく問題はありません。
この物語から得るべき教訓は、彼方からの呼び声に、容易く耳を傾け、あまつさえ自らお近づいてはならないということ。
なにはともあれ、こうして創造神メアリィ・スーが一切携わらぬところでも、外なる神は人と関係をもっていたという、ただそれだけのお話でした。