「鬼滅の刃」世界のあの世が「鬼灯の冷徹」世界だったら   作:淵深 真夜

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鬼灯の冷徹、最終巻の発売&完結記念回。

江口夏実先生、9年間の連載お疲れさまでした。
先生の独特な絵柄とセンスと発想が大好きだったので、新作も楽しみにしています。





「あなたが第三補佐官ですよ。私も忘れてましたけど」

 地獄に落ちる覚悟はしていた。

 それ以外の選択肢がある訳ないことくらい、わかっていた。

 

 家族が……父が、師範が、そして何よりも大切だった愛しい人が自分を待っていてくれただけで、許してくれただけで、お帰りと言ってくれただけで良かった。

 その言葉さえあれば、あとは誰に許されなくても、どれほどの責め苦があっても、それが万年億年続いたとしても耐えられた。

 

 そう、狛治は覚悟しながら死後の裁判と死出の旅を始めた。

 

 まさかその覚悟がほぼほぼ無駄になるとは、当然予想していなかった。

 

 * * *

 

「この度は大変申し訳ありませんでした!!」

「何事!?」

 

 第五裁判所であり、教養をほとんど得られなかった狛治でも知っている仏教における死後の世界の代表格、閻魔庁で行われた開幕土下座謝罪に狛治は大いに混乱する。

 裁判が始まってから狛治は困惑しなかったことがないと言っていいが、閻魔庁での裁判が一番終始困惑するだろう。当たり前だ。

 

「は? え? な、何でいきなり俺に土下座?」

 

 扉を開けた時には既に土下座をしていたのなら、それもそれで意味不明で不気味だっただろうが、まだすぐに扉を閉め直して精神を落ち着かせるという手が取れたが、相手は狛治が入って来た時は閻魔と思われる巨人の傍らに巻物と金棒を持って立っていたのだが、狛治が被告人として立つ位置までやって来てから持っていた物を放り投げて、狛治の目の前で土下座したのだから落ち着く暇など一切ない。

 っていうか、放り投げた巻物はもちろん金棒も閻魔大王に命中して呻いているので、病人や怪我人を放っておけない狛治は目の前の土下座にも集中できない。

 

 そんな狛治の混乱を全く気に掛けないのは、その土下座してる当の本人。閻魔大王の第一補佐官である鬼神、鬼灯は額の角を床にめり込ませたまま話を続けた。

 

「……まず、最初にご説明します。

 私は室町時代の頃に現世で鬼舞辻 無惨と出会い、交戦しましたが奴を仕留めることが出来ずに逃がしました。その時は、逃がしてしまったが本物の鬼の怖さを思い知らせたので少しはマシになると愚かな期待をしていました。

 

 ……ですが、私のしたことは奴に無駄な臆病風を吹かせただけでした」

 

「何で?」か「頭を上げてください!」、もしくは「閻魔様は大丈夫なんですか!?」しか言えないくらい混乱していた狛治だが、そこまで言われて何かに気付いたように一瞬目を見開いた。

 

 彼の言葉が止んだことで鬼灯も彼が察したことを理解して、やはり頭を深々と下げたまま、どこまでも無防備な体勢のまま、潔く言葉を続ける。

 

「あなたが剣術道場の連中を皆殺しにした後、無惨があなたの元に来たのは私の所為です。

 あいつは私という、自分が生み出した訳でもなければ自分を倒しかねない鬼の存在を知っていたからこそ、自分が配置した覚えのない地区に鬼が出たという話を聞いて、不安になって行動してしまった。

 

 その結果、あなたは何もかも終わっていたはずなのに、最も望んでいない空虚な続きが続いてしまった。

 あなたが『猗窩座』になった原因の一つは、私です。

 許されるとは思っていません。どれほど憎んでも恨んでも飽き足らないでしょう。

 だから、せめて今ここで謝罪をさせてください。

 

 真に……真に申し訳ありません」

 

 もう裁判は五つ目なので、目の前の黒い着物を着た鬼は裁判官の補佐というかなり偉い立場であることを狛治は理解していた。

 そんな相手が、醜態と言われかねない体勢で自分に謝罪するとは思ってなかった。

 こんなにも真摯で潔い謝罪なんて、「して欲しい」とすら考えたこともない。

 

 自分が少し前まで洗脳と言える状態だったとはいえ、仕えていた主人たる無惨とは対極。

 奴ならこの行いを無様、誠意を愚かと言って嗤うだろうが、狛治にはこの謝罪はあまりに凛とした、尊いものに思えた。

 

「……頭を上げてください。あなたは何も悪くない」

 

 しばしの間を置いて、狛治も床に膝をついて言う。言っている事は先ほどまでと同じことだが、もう彼の言葉に困惑はなかった。

 

「悪いのは、耐えることが出来ずに師範の教えを血で汚した俺です。

 鬼になった後だって、炭治郎の妹や珠世という鬼は無惨様の支配から逃れて、人を食わずに済む術を得ていた。俺が『どうでもいい』と自棄になっていなければ、負わずに済んだ罪なのであって、あなたの所為な訳がない。

 だからどうか……頭を上げてください」

 

 彼の誠意が痛いくらいに、むしろ自分の罪悪感が肥大するくらいに伝わったからこそ、狛治は鬼灯に頭を上げるように頼むと、鬼灯は数瞬の間を置いてから床にめり込んでいた角を引き抜き、頭を上げた。

 土下座の体勢からやっとただ単に床に座っている体勢になったことで狛治はホッと安堵したが、その安堵は数秒も持たなかった。

 

 顔を上げた鬼灯は、隈の濃い三白眼をこちらに真っ直ぐ向けていた。まだやや前のめりな体勢なのもあって上目遣いと言える目線なのだが、そんな可愛らしいものではない。

 どう見ても、メンチ切ってるようにしか見えない視線だった。

 

 その視線に狛治は怯えるが、事故かわざとか不明だが命中した金棒からいつの間にか回復した閻魔やその他の獄卒たちは、「あー大丈夫大丈夫。鬼灯君の顔が怖いのはいつものことだから」「今は仕事が忙しすぎてちょっと余裕がないだけだから」と、さほど鬼灯の様子を気にせず狛治をフォロー。

 

「……わかりました。それでは、出端をくじいた私が言うのもなんですが、さっそく裁判を始めましょう。

 それと大王、あとで覚えてろ」

 

 獄卒のフォローは許したが大王の発言は気に障ったのか、小声でボソリと付け足して場を仕切り直した。

 その様子から、狛治はなんとなくこの人はいつもこんな感じなのと、自分や無惨の所為で本当に忙しいのだろうなと察して、何か余計に申し訳なく思った。

 

 その察したものは全て的中していたが、けれど後になって思い返したら自分が一番最初に懐いた印象だって間違えていない。正解だったと狛治は確信している。

 

 大王や獄卒たちは「怒ってない」とフォローしていたが、きっと鬼灯は怒っていた。

 自分に怒っていたと、狛治は確信している。

 

 確信させられた。

 裁判が終わった後、自分への罰が終わった「その未来(あと)のこと」を話していた時に、確信した。

 

 * * *

 

 出だしが出だしだったので、色んな意味で狛治は不安を抱えていたが、裁判自体はぶっちゃけた話、今までの裁判で一番まともに進んだ。

 

 今までの裁判は狛治の予想と覚悟を、あらゆる意味で裏切るものだった。

 悪い意味ではない。むしろ良い意味過ぎて、生前の父の薬代の為の盗みを裁かれた時と似たような状況を、言い分を想像していた、そして生前と違ってそれは当然の対応だと受け入れて覚悟していた狛治には、逆に居心地が悪いくらいだった。

 

 第一裁判所の補佐官はやたらとフレンドリーに話しかけ、無惨を人間の頃から知っていたらしく、「あいつ凄いよ。1000年間、まったくおつむが成長しなかった!」と返答に困る話をしてきて、裁判官である秦広王に叱責されていた。

 

 裁判中は終始そんな感じで話しかけられ、叱責が飛んでいて狛治は戸惑いっぱなしだったが、判決が下された後に秦広王は微笑んで、「まぁ、悪かったのは己ではなく、人間の頃から知っているこいつが断言するクズに出会ってしまった運だ。だから、自分をあまり責めるな」という言葉で、あれは全て自分への思いやりだと知った。

 

……が、だいぶ後になって篁にはそんなつもりは欠片もなかったことが判明。ただ単に、無惨の残念っぷりを語りたかっただけらしい。

 

 第二裁判所の初江庁では、裁判自体は普通だったがその裁判中、狛治は動物に囲まれていた。

 始めはこの動物に襲われ、貪り喰われることが自分への罰かと思って、身構えずに受け入れる態勢を取っていたが、途中で初江王に「あれ? もしかして動物嫌いだった!?」と焦られて真意が発覚。

 初江王、可愛い動物をモフモフして緊張を解き、ついでにこれから先の死出の旅の気力になるようにという厚意だったらしい。

 

 困惑しながらその厚意を受け取って、ついポツリと「……恋雪さんが見たら喜ぶだろうな」と零したら、初江王は満面の笑みで「罪を償ったら、いつでも遊びに来たらいいよ!」と言ってくれてたのは、狛治をさらに困惑させたが、その言葉は本心から嬉しかった。

 

 ちなみにこの当時の狛治は、初江王の補佐官がパンダだと認識していなかった。

 

 第三裁判所である宋帝庁では、着いてすぐに休憩したら次の庁に向かっていいと雑な指示を出されて、ここでも困惑。

 言っちゃなんだか特徴が特にない王と補佐官に、「君、こことは無関係だから! 裁判の必要全くなしだから飛ばしていいよ!」と言われて、「そんな訳ないでしょ!!」と突っ込んだ狛治は悪くない。最初に言ってやれよ、邪淫罪のあるなしを見てる庁だと。

 

 結果、その事を知らされた狛治は、しばらく顔を隠してその場に蹲った。それは鬼になってからも自信を持って無罪だと主張できた罪なので、むしろ狛治はちゃんと裁判受けさせろと主張したのが恥ずかしくなったらしく、しばらく宋帝王と名前を教えてくれたがちょっと覚えていない補佐官にすごく謝られ、そして蛇と猫に励まされた。

 励ましてくれている善意は嬉しいが、蛇はともかく猫の「うむ。お前は間違いなく無実だ。こんなオボコのような初々しい目が邪淫を貪る訳などないからな!」という断言は、余計に狛治の羞恥を煽っていたので、補佐官に猫は殴られていた。

 

 第四裁判所の五官庁では、法廷に入った瞬間から補佐官が遊びに来た甥っ子でも歓迎するような言動で、流石に五官王に叱られていた。

 叱っていたが、それは裁判が終わってからにしろという内容で、罪人に情をかけるなとは決して言わなかった。

 

 そして補佐官の樒は狛治の判決が下された後、彼を抱きしめて泣きながら何度も何度も告げた。

 

「あなたに罪があるのは確か。けれど、あなたは悪なんかじゃない。

 罪は償わなくちゃいけないけど、必要以上に自分を責めちゃダメ。あなた自身を卑下するということは、あなたを愛する人を軽んじるということなのだから」

 

 罪悪感でただでさえ低かった自己評価が最低値どころかマイナスの狛治でも、ほんの少しだがそれでも確かに、自分を許そうと、好きになろうと思える言葉をくれた。

 狛治が今度こそ恋雪と一緒になれる時まで、恋雪を支えると笑って約束をしてくれた。

 

 全ての庁が、あまりに優しかった。

 

 今現在の閻魔庁も、補佐官である鬼灯は淡々と巻物に書かれた狛治の罪状を読み上げているが、閻魔大王の方は狛治の罪には傷ついたように眉を下げ、時々狛治自身は当たり前の事としか認識していないことを善行だと言って、孫を見るような優しい目で見てくれた。

 

 腕に入った刺青。罪人の、盗人の証。自分を鬼子と呼んで、蔑んだ奉行や侍たちの目。

 それらの過去が、狛治の「地獄に落ちる覚悟」をわずかばかり鈍らせるもの。

 裁判官という存在に対して、狛治は不信感を懐いていた。

 

 それ以外の術がなかったのに、生きて欲しかった、守りたかった、ただそれだけだったのに、「貧乏人は生きることも許されない」と言わんばかりに、彼らは何も聞いてくれなかった。知ろうとはしなかったし、狛治にも教えてくれなかった。

 どうして盗みが悪いのかも、それが許されない事ならどうやって自分と父は生きてゆけばいいのかも教えてくれないまま、ただ自分を痛めつけて蔑んだ彼らが決めた罰は、狛治に不信感を植え付けた。

 自分の話を何も聞かず、自分の事情を知ろうともせず、自分だけが裁かれるのならまだしも、自分の罪の責任が父や師範や恋雪にも被せられるのではないかが不安だった。

 

 けれど、死後の裁判である十王たちは今でようやく半分だが、狛治が奉行たちによって懐いてしまった偏見を塗り替える。

 

 誰もが、狛治の話を聞いてくれた。

 どうしたら良かったのかは答えてくれなかった。けれど一緒に考えてくれた。

 何が悪かったのかを、教えてくれた。どんな事情があろうとも、犯罪で利益を得たのにそれを許してしまったら、犯罪を犯さずに頑張り続けた人が損をして愚かということになるから、だから罪を犯してはならないし、許してはならないという言葉には、心から納得できた。

 

 全てが正しいと思った。

 だから狛治は十王を、補佐官を、獄卒を信じた。

 

 ……優しくされたのは嬉しかった。自分の悪い所だけではなく、努力して得たものや、取りこぼす結果になっても守っていたものを評価されて報われた気がした。

 裁判が始まる前よりも真摯に、罪を償おうと思えた。

 

 ……だからこそ、言えなかった。

 心の奥底に閉じ込めて、そんなものはないと自分に言い聞かせ、一生封じ込めるつもりだった。

 

「……わし達としては、狛治君は地獄に落ちる必要はないと思っているよ。罪はある。けれど君はその全ての何が悪かったのかを理解して、後悔して、反省しているし、何よりも罪を全て帳消ししてもおつりがくるほど、君は何も悪くなかったのに虐げられ、傷つき続けた。

 ……でも、君は反省しているからこそ無罪になったら余計に苦しむんだよね。

 

 だから……判決は等活地獄。

 そこで君は、君が殺した人の数だけ同じ死を与えられる。それこそが、君の罰だ」

 

 悲しげな眼に大王は少し涙を浮かばせて静かに、それでも優しげに、柔らかく笑って告げる。

 狛治にとってそれは、あまりに軽すぎる罰だった。もっと重い罰を覚悟していたし、大王の言う通り罰を与えられない方が狛治には辛すぎるからこそ、もっと苛烈な罰を望んでいた。

 

「……閻魔大王様の多大なるご慈悲に感謝します」

 

 しかしその考えこそが、自分の善なる部分を評価してくれた優しい人たちを貶めるものだと樒から教えられていたから、今度は自分がその場に座り込んで(こうべ)を垂れて、感謝の言葉を口にする。

 

「頑張ってください。あなたなら人数的に一年ほど、……一日当たりで殺される数を増やせば半年ほどで終わるでしょう。さっさと終わらせて、恋雪さんと祝言を上げたらいいですよ。

 ……で、ここからその後の話なのですが、よろしいでしょうか?」

「!? ふぁっ!? な、何でしょうか!?」

 

 大王の判決に引き続き、鬼灯は励ましにしても冷やかしにしても淡白すぎる口調で狛治を赤面させてから、彼の反応を気にした様子もなくやっぱり淡々と確認を取る。

 まともに進んだ裁判が終わった途端にまた狛治は困惑しつつも尋ね返すと、鬼灯は感情が読み取れない仏頂面で尋ねる。

 

「狛治さん。あなた、罪を償ったら獄卒に就職しませんか?」

 

 唐突なスカウトを狛治は理解できず、床に座り込んだまま鬼灯をポカンと見上げる。

 そして鬼灯は相手が呆けているのも気にせず、勝手に話を続けた。

 

「食人に関しては、そうしなければならない体に作り替えられている為、わざわざ甚振って殺したり、食人衝動を知った上で鬼になることを望んだ場合などを除いて、食人行為自体を裁きはしないことも最初の庁で知らされているでしょう?

 また、無惨によって鬼にされた者は、奴の洗脳や記憶の忘却、願望や執着の肥大化などの影響で、人格が変貌してしまうことは身をもって知ってますよね。

 だから鬼の頃は残虐非道でも人間に戻れば普通に善良という、あなたに限らず罪が軽い、無罪同然の方が結構いるんです。

 

 その所為で、鬼殺隊の方々は事情を知っていても、鬼の頃の人格こそが彼らの知るその人なんですから、本人が反省していても信じ切れずに悪感情を懐き、また鬼側も鬼になった経緯に自らの非がなければない程、鬼になった後の罪を責められても納得できません。

 その頃に犯した罪は無惨による強要か過失みたいなものですから、普通に善良な人間でも責められたら不服ですし、怒りを懐くのは無理もない。

 その為、これからあの世では無惨の元鬼と元鬼殺隊との軋轢が懸念されており、その軋轢を解消するためにぜひとも狛治さんは刑期が終わり次第、獄卒への就職をこちらは希望します」

 

 鬼灯が再び狛治への勧誘で話を締めくくるが、説明されても狛治はなぜそのような結論に達するのかが理解できず、当惑しながら恐縮そうに訊き返す。

 

「……あの、無惨様の鬼と鬼殺隊に軋轢が生まれる理由はよくわかりましたが、そこに俺が獄卒になる事は何か関係があるんですか?」

「あるよ! だって狛治君が獄卒になってくれたら、絶対に鬼殺隊の子達と仲良くなれるからね!!」

 

 狛治の問いに答えたのは、鬼灯ではなく閻魔。

 大王はやけにウキウキとした声音で自信満々に言い切るが、残念ながらそれも狛治にとっては説明になっていない。むしろ疑問と混乱をさらに深めた。

 

 狛治が更に訳わからんと思っている事を理解し、鬼灯は盛大に舌打ちしてから大王の足りない説明を補足する。

 

「……まず前提として、元鬼殺隊の方々は裁判を終えてあの世で生活することになると、多くはその戦闘力などを活かして獄卒になることを希望してます。つまりは、狛治さんが獄卒になれば自然に鬼殺隊と関わることが多くなる。

 

 そして、あなたの過去は言っちゃなんですがわかりやすく悲劇的で、同情を大いに集めます。鬼殺隊は基本的に復讐者の集まりなので、あなたが犯した罪である剣術道場の連中虐殺に関しても、憎悪を懐き、義憤を向けられるのはあなたではなく、剣術道場の連中でしょう。

 なので、あなたの過去をそこの浄玻璃の鏡で見せてしまえば、『猗窩座』と『狛治』がどれほど別人だったか、狛治さん自身が無惨の鬼に限らず人として最上位に善良なのがすぐにわかるので、償いが済んでいるのなら許す気になりやすいと思われ、無惨の元鬼に対する不信感の解消に最も効果的だと期待しているんですよ。

 

 まぁ、単純にあなたは人間でも非常に戦闘力が高くて、現場担当の獄卒として優秀だろうから普通に欲しい人材なんですけどね」

 

 自分への評価につい自虐的な否定が浮かび上がるが、それ以外に関しては納得できた。

 病が治るなどという無惨の甘言に騙された者、通りすがりの気まぐれで血を注入された者など、被害者と言える者が虐げられるのは嫌だった。

 優しいからこそ心が憎悪に灼かれ、鬼殺隊という苛烈な道を歩んだ人たちが、誤解や疑心で彼らと同じ被害者と言える者を憎んで欲しくなかった。彼らは間違いなく、相手が被害者だと確信した時、自分の憎悪を誰よりも何よりも後悔することはわかっていたから。

 

 だから、憎むことなく分かり合えるきっかけになれるのなら、狛治にとってもそれ以上に嬉しいことはない。

 自分を「猗窩座」から「狛治」に戻してくれたあの少年に、感謝の言葉を疑われることなく届けることが出来たら本望だ。

 

「……とても、光栄です。ありがたい……ありがたすぎるお話です……」

 

 鬼灯の提案は、獄卒への誘いはあまりに魅力的だった。

 狛治が諦めていた、望んではいけないと思っていたものが全て手に入る未来に思えた。

 

「……ですが、俺はその話をお受けすることは出来ません。

 真に……申し訳ありません」

 

 狛治は、最初の鬼灯と同じようにその場に土下座して謝罪する。

 何もかも魅力的な提案を、未来を拒絶した。

 望んだものだったからこそ、狛治は受け取る訳にはいかなかった。

 

 * * *

 

 狛治の返答に、閻魔や司命といった獄卒たちは「え!? 何で!?」と驚愕する。

 それらの反応、彼らが本当に自分を望んでいてくれたことが嬉しいからこその罪悪感を抱えつつ、狛治は床に額を押し付けたまま答える。

 

「……獄卒の仕事を、拷問を否定する訳ではありません。現に俺は、拷問されることで罪の意識が軽くなることを期待しています。

 ですが……俺はもう、自分の手で誰かを傷つけることは出来ない。師範の教えを血で汚すわけにはいかない。

 悪人や罪人は傷つけていいとは言えない。その言い分はあの時の……剣術道場の奴らにしたことと変わらないから。

 

 そして俺は学など全くないから、拷問以外の仕事で獄卒として役立てる自信がありません。

 あなた方のご慈悲に感謝し、期待を嬉しく思うからこそ……俺はその提案を受けることができません」

 

 狛治の返答に、獄卒たちは悔やむような顔をしてそれぞれ「あぁ……」という声を漏らす。

 真面目で本質的に暴力なんて最も嫌っているであろう性格だからこそ、そして更生のきっかけである恩人が教えてくれたものだからこそ、獄卒になれないという理由には納得しかなかった。

 

 だが、大王は少しだけ不思議がるように目を丸くして、首をかしげていた。

 そして鬼灯はというと……

 

「あなたにとって素流の間違ってない、正しい使い道って何なんですか?」

 

 尋ねる。

 土下座している狛治を見下ろし、淡々と鬼灯は訊き返した。

 

「大切な人や弱い人、理不尽に虐げられている人を守る為ですか?

 ですが、それだってやっている事は悪人を叩きのめすことですよね? それ、獄卒の拷問と何が変わるんですか?

 殺さなければいいって話ですか? 締めるのが半端だったからこそ、あのバカ息子は陰険で最悪の暴挙に出たんでしょうが。それによってあなたは、死んだ方がマシな目に遭ったというのに、それでも殺さなきゃ、死んでなかったらいいと思えますか?」

 

 鬼灯の問いに、何故そんなことを訊くのか戸惑いつつも狛治は答えようとしたが、答えるつもりだった内容は全て鬼灯が先回りで答え、そしてそれがあまりに浅くて薄っぺらいものだったかを突き付けられる。

 

 狛治の過去を、鬼にされたこと以上に思い出したくない、なかったことにしたかった悲劇を引き合いに出す鬼灯を、獄卒たちは咎めるような声で制止の言葉を叫ぶ。

 

 しかし、閻魔大王は何も言わなかった。

 沈黙を保ったまま、彼は自分の補佐官と罪人を真っ直ぐに見つめ続ける。

 

「……お、思いません。……で、ですが……ですが……俺は……俺はもう……誰も傷つけたくないんです!」

 

 カタカタと手を、全身を震わせ、歯の根を鳴らしつつも狛治は答える。

 薄っぺらい建前すらなくした本音。ただの自分のワガママで拒絶していることを暴露しながら頭を上げた。

 

 上げて、見た。

 

 自分を見下ろす鬼の顔を。

 自分に対して真摯に謝った相手は、同じ顔をしていた。

 

「あなたは何も悪くない」と狛治に言われて顔を上げた時と同じ、何かにイラついているような目で自分を見ていた。

 見て、怒って、そして言った。

 

「……輪廻転生とは六道を廻って徳を積むということ。その中でよく天国と混同される天人道という世界がありますが、ここ行きになる亡者ってどんな人だと思います?

 …………我欲を捨てきれていないくせに、性善説を盲信している脳みそお花畑ですよ」

「いや、鬼灯君。全力で天人道とそこの住人に誤解を招く発言はさすがにやめてくれない!?」

 

 いきなり話が変わったことよりも、「天人道」についての内容に大王は突っ込んだ。

 しかし鬼灯はまったく悪びれず、鼻を鳴らして言い切る。

 

「誤解じゃなくて事実でしょう。少なくとも私にはそう見える。

 で、何でそんな連中は天人道に隔離されてると思います?」

 

 再び、困惑して呆けている狛治に問いかける。今度は少しだけ、答えを待ってくれた。

 だけど狛治は、呆けている事関係なしに答えられない。

 

 天国に行けないのは、我欲を捨てきれていないからで納得できるが、言われてみれば確かにそれならまだ人間道でいいだろうと思えた。

 天人道にその手のタイプばかり集めたのなら、その世界は平和だろうが逆に成長できなくなるのでは? と思えたから、答えがわからない。

 

 狛治には出せなかった答えを、鬼灯はきっぱりと言い切る。

 

「鬱陶しくて迷惑でしょう。憎むことを許さないくせに、許すことを強要する奴なんて」

 

 それが本当に天人道の存在理由なのかはわからない。おそらく、きっとたぶん違うはず。

 これは、鬼灯個人の解釈なはず。

 

 だけど、その答えは……

 

「善意を信じるのも、自分にされたことを許すのもいい。個人の自由ですから、そこは口を挟みはしません。

 そういった考えは、立派ですよ。尊敬しますよ。ですが、それを強要されるのは不愉快極まりない。悪意によって騙す目的の強要よりも、善意の方が気持ち悪いとすら思いますね。

 そもそも、そういう連中は何もわかってない。許すことで加害者が反省し、悔い改めるのならまだ許す甲斐も意味もありますが、見逃されたと思って何の反省もしないのなら被害者は増え続け、一方的に搾取され続けるということを。

 ……感情までも強要されて、搾取されるなんて御免ですよ」

 

 吐き捨てるように、善意の押し付け、許しの強要による不快感を語った。

 その発言には……、鬼灯の感想には何も言わなかった。

 閻魔大王は困ったような苦笑を浮かべるだけで、咎めなかった。

 強要せず、彼が自由に思うがままにさせて、そしてその優しい目は狛治に向かう。

 

「狛治くん」

 

 先程までとは全く別の意味で、理由で茫然としている狛治に閻魔大王は、地獄の王は、地蔵菩薩の片割れは、最初の人類にして父親は言った。

 

 

 

「嘘つきは地獄に落ちちゃうよ。だからもう……隠さなくていいんだよ」

 

 

 

 全てはこの裁判官にも、その補佐官にもお見通しだったことを思い知った。

 涙腺が決壊し、狛治が心の奥底に沈めて隠してこれから絶対に開かず隠し抜こうとしていたものが……、嘘が剥がれて溢れ出す。

 

「――――っっ!! ……憎……いんです……許せ……ないんです!

 今も! あいつらを!! 師範と恋雪さんに毒を盛ったあいつらが!!」

 

 十王は優しかった。補佐官たちも、獄卒も皆、狛治を許してくれていた。

 狛治を善良だと信じてくれていた。狛治の悲しみに同調して、憤ってくれた。幸福を願い、望んでくれた。

 

 だから狛治は封じ込めようとした。

 未だに消えない、全てを思い出したからこそ燻り続ける憎悪を。

 自分から全てを奪った卑怯者どもを許せないという意思を。

 

「俺が絶対にしてはいけない事をしたのはわかってる! その償いをすべきなのは納得してる!!

 けれど! それは師範の素流をあいつらの血で穢したことだ!! 恋雪さんを守れなかった挙句に、死してなお悲しませたことへの償いだ!! あいつらを殺したこと! あいつらが死んだことに対して、悪いことをしたとは思えない!! 今だってまだ殺してやりたい! 何度でも殺したって飽き足らない!!

 あいつが……恋雪さんを連れ出しておきながら危うく殺しかけておいて、何の反省もしていなかったことが! 恋雪さんに好意を持っていたくせに、彼女を殺したことを許せるわけがないだろう!!」

 

 強要された訳ではない。

 だけど、自分の憎悪を抑えることが、耐えることが出来なかった故の末路だからこそ、同じ過ちを繰り返さない為にも、捨てるべきだと思った。

 けれど捨てることは出来なかったから、隠した。

 十王たちに、獄卒に、家族に嘘をついて騙して、自分自身が一番その嘘を信じていたくて、嘘をつき続けた。

 

「耐えるべきだったのはわかってる!! あの世がこんなにも真摯に罪と向き合って、罪人を裁いてくれるのなら、俺は復讐なんかしないで、恋雪さんたちと同じ所に逝けるように、誠実に生きてゆくべきだったのはわかってる!!

 それでも……それでも! 絶対に許せない!!」

 

 その嘘は許されず、だからこそ許された。

 許されたむき出しの感情を、狛治は滂沱の涙を流しながら慟哭した。

 

「何で俺の家族は殺されなくちゃならなかったんだ!!」

 

 納得など出来ない理不尽、今もなお受け入れられない悲劇を許せないと叫んだ。

 

 そのあまりに痛々しい慟哭に、狛治の「嘘」に騙され切っていた獄卒たちは何も言えず、出来ずに硬直し続ける中で、鬼灯は最初から変わらぬ淡白さで語る。

 

「あなたが獄卒になることを断るのは、元凶の剣術道場連中はもちろん、他の罪人たちにも『更生の為の呵責』は出来ず、『私怨による拷問』になるからですね。

 で? それの何が悪いんですか?」

「……は?」

 

 押し殺していたもの全てを吐き出して、引き攣ったような呼吸で泣いていた狛治が、まさかのまだここでも反応に困って涙が吹き飛ぶことを鬼灯は言い出す。

 そして当然、相手が困惑しようがドン引こうが鬼灯はまったく気にせず、胸を張って言い放つ。

 

「私怨まみれの獄卒なんて、大歓迎ですよ。地獄(うち)には『カチカチ山』の兎どんや、瓜子姫もいるんですよ。というか、私もそうです。

 私なんて私を生贄として殺した者を見つけ出し、イザナミ様の御殿の照明かつ装飾品にしてますけど、因果応報としか思ってませんが?」

「いやもう何が何だか訳わからないんですが。とりあえず、私怨で他人の家の装飾ってイザナミ様が一番被害者になっている気が……」

 

 自分の苦悩はあっさり「前例はここにもどこにも大量にいる」と告げられることで無意味になり、狛治は脱力したからか割とどうでもいい所を突っ込む。

 その突っ込みに、「うん、わしもそう思うけどひとまず鬼灯君の話は横に置いといて」と大王が同意しつつ更に突っ込み、話は一応軌道修正された。

 

「……えーと、まぁ、鬼灯君の言う事は極論もいいところだけど、事実なのは間違いないよ。

 そりゃ、罪人の更生を信じてその為の呵責を行うのが一番だけどさ、私怨による拷問だって復讐されるからこそ自分の行いがどれほど酷いものだったのかを思い知れるかもしれないし、罪人の反省や更生に期待できなくても、転生する人が悪人の末路を知ることで魂は無意識にそのことを覚えて、来世では決して他人の恨みを買うようなことはしない人になるかもしれないって期待なら出来るでしょ。

 

 ……悪いことだけじゃないんだよ。

 それに何より、自分に嘘ついて納得しきれず抱え込んだままじゃ、それこそいつまでたっても許せないし、いつかきっと爆発しちゃうよ。

 だから……、溜め込んだものは正直に吐き出しちゃお? そうやって全部吐き出したら、今度こそ本当にきっと許せるようになるからさ」

 

 吹き飛んだはずの涙は大王の威厳などない、困ったような顔でしどろもどろに言われた言葉で戻ってきた。

 威厳などない。だからこそそれは大王なりに必死に考え、紡ぎ出し、与えてくれたあまりに優しい言葉だった。

 憎悪を懐くことを許し、それでも狛治の善良さを、その憎悪が理不尽な方向に向かないことを信じた言葉が先ほどまでとは違う涙を、歓喜と安堵の涙を零させた。

 

 鬼灯はというと、閻魔大王の言葉にまたしても鼻をかすかに鳴らす。

 天人道に関して咎められた時とは違って、それはどこか誇らしげに聞こえた。

 

「気を悪くされたら申し訳ありませんが、私にとって武道全般は結局のところ、他者を効率よく傷つけることが本質だと思ってるんですよね」

 

 自分の父親を自慢する子供に見えたのは、刹那にも満たない瞬間だけ。

 狛治がそんな印象を懐いた頃には、最初と変わらぬ仏頂面で腕を組んでまた持論を語っていた。

 

「だから、あなた自身も『正しい使い道』がわかってないのなら、ひとまず地獄(うち)で活用してみませんか?

 あなたが『正しい使い道』を見つけ、罪人の拷問に使うのは間違いだと思えたのなら、私は謝り、償いましょう。狛治さん自身が自分を許せないのなら、責任を持って私が償いの為の呵責を行いますし」

 

 そして前半はまだしも、最後は斜め上の条件でスカウトの追い打ち。

 普通なら「お前が呵責するのかよ!」とキレられる、全然償いになっていない提案だ。現に獄卒と大王から鬼灯はそう突っ込みをもらってる。

 

 だけど、肝心の狛治はというと……

 

「…………ははっ! 確かにあなたなら、遠慮も手加減もなく俺が納得するまで呵責してくれそうですね」

 

 笑って納得した。

 変な性癖を疑われそうな納得具合だが、狛治からしたら納得するしかない答えだった。

 

 それは、自分の間違いを狛治に押し付けている発言なんかじゃない。

 あの最初の土下座をした人が、黙っていればきっとばれなかったのに自ら全てを語って、自分の罪だと認めて、許されないことを理解していた人が、「許す」狛治に怒っていた人が、償いと称した責任転嫁などする訳がないことくらい確信している。

 

 狛治にすると言った呵責を自分も受ける覚悟を完全に前提として、狛治の性格上、望みそうだから言っただけなことを理解していた。

 それを理解できていたのなら、次に言うべき事なんてもう決まり切っている。

 

「――――閻魔大王様、そして鬼灯様」

 

 姿勢を正し、三つ指をつく。

 頭を深く下げるが、今度は土下座ではない。示すのは謝罪でも反省でもない。感謝だ。

 

「俺への刑罰、そしてそれが終えたのちに就く獄卒という任。

 ――謹んで、お受けいたします」

 

 こうして、狛治の獄卒としての内定は決まった。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 事務仕事中、ふと自分の閻魔庁での裁判を思い出した。

 あの時は学のない自分には現場仕事くらいしか出来ることがないと思っていたのに、慣れれば出来るものなのだと思えば、書類仕事も少しは楽しめた。

 しかしそんな自身の成長に対する喜びや充実感は、自分の膝の高さくらいまで積み上がっている書類という現実によってすぐさま「そんなの良いから俺の身体を増やしてくれ」という、切実な願望に早変わり。

 

 この時ばかりは心の底から、半天狗や炭治郎が初任務でブチ切れた通称沼鬼などが持つ、分裂系血鬼術が羨ましくなる。

 白澤やチュンが使う二次元実体化も似たようなものだが、あれを羨ましく思わないのはたぶん彼らの画力と画風の所為。

 

「どうしました、狛治さん。疲れたのなら、今日はもう上がっても構いませんよ」

 

 狛治が手を止めて、書類の山を死んだ目で眺めていたのに気づいた鬼灯が、狛治と違って手は一切止めず、顔も上げずに量が狛治の3倍くらいある書類の山を処理してゆきながら、魅力的すぎる提案をくれた。

 

「大丈夫ですよ。それにまだ定時にすらなってませんし」

「あなたは本日、急遽始めた地獄めぐり動画の撮影で疲れているでしょう。肉体面はともかく、精神面が。

 予定を無視してねじ込んだのは私と耀哉さんで、あなたは巻き添えなんですから、その尻ぬぐいに付き合う必要はありませんよ」

 

 魅力的だが真面目に狛治はその提案を遠慮して、書類のチェック作業に戻る。

 しかし、本人はワーカーホリックで超絶ブラックだが、部下に対して仕事内容はともかく業務時間や休暇にはかなりホワイトな鬼灯は、相変わらず自分の非は潔く認めて、狛治に遠慮しなくていいと告げる。

 

 だが、その上司としての美徳を狛治は受け取る気がない。

 

「そんな気遣いしてくれるのなら、そもそも無理やりイベントをねじ込むなんてしないでください。というか、ねじ込むのはいっそまだ許します。

 鬼灯様、スケジュールが狂って停滞した仕事や余計に出来た仕事は、自分が徹夜して処理してつじつま合わせしたらいいと思ってるでしょう? 俺としてはそうやって鬼灯様一人で何でも済ましてしまうのをやめて欲しいのですが」

 

 狛治の反撃に、珍しく鬼灯が意外と小さな口をとがらせて黙り込む。

 子供のような反応だが、狛治はそれを意外に思うことはなく、ついでに日々思っていた不満を口にするのもやめない。

 そんな事を意外に思う時期も、鬼灯に委縮して遠慮して言えなくなるような時期も、90年程前に過ぎている。

 

「下手に人に任せるより、鬼灯様が一人で全部処理する方が早くて正確なのはわかってます。

 ですが俺が言わなくても、そのやり方は短期的には良くても長期的に見れば、後輩は育たないわ、あなたしか出来ないことが増えて効率が悪くなるわ、あなたが倒れた時点で全ての業務が滞るというデメリットくらいわかっているでしょう。

 俺を気遣うよりも先に、あなたはご自分を気遣ってください」

 

 怒涛の勢いで不満を吐き出されたが、その不満の何もかもが鬼灯を心配しているからこその不満なのが安定の狛治である。

 相変わらず、何でこいつは地獄に落ちたんだろう? な聖人ぶりだからこそ、職業柄詭弁も得意なはずの鬼灯でもろくな反論が出来ず、やはり口を尖らせて「健康管理くらいしてますよ」と子供のような意地張りしか返さなかった。

 

「今年の鬼インフルエンザの予防接種をさぼろうとした人、誰でしたっけ?」

 

 しかしその意地も、呆れたジト目で叩き落される。「そんなことまで把握してるから、あなたは私の嫁とか言われるんですよ」という軽口が浮かんだが、こういう時に自分の都合の悪さを誤魔化すためのまぜっかえしをしたら狛治が本気でキレることは、鬼灯も約40年ほど前に思い知らされたからそのまま無言を貫く。

 

 そんな鬼灯の反応に、狛治は溜息を一度吐いてからペンを置き、鬼灯の執務机の前に立って彼は言った。

 

「鬼灯様。閻魔大王の第一補佐官は、あなたでなくてもいいんですよ」

 

 きっぱりと、鬼灯の立場を否定する。

 

「もし、あなたが今ここで倒れても、最悪死に至って消滅しても、地獄や閻魔庁が機能しなくなることは有り得ない。一時的に大きなパニックを起こしてしまうことは間違いないですが、あなたがいなくてもこの組織は機能し、回ってゆきます。

 あなたほど有能な補佐官はこれから先もずっといないかもしれませんが、あなたしか出来ない事なんてありません。

 閻魔大王の第一補佐官は、重要であまりに大きな立場であり存在ではありますが、唯一無二なんかではない」

 

 鬼灯が身を粉にしてこなしてきた仕事を、何千年も守ってきたものを、狛治は淡々と否定する。

 鬼灯の有能さを讃え、認めても、補佐官には代わりがいると告げる。

 

 それを、鬼灯は何の反論もせずに、書類を処理する手を止めずにただ聞いていた。

 反論する事ではない。そんなの、言われるまでもなく鬼灯は知っている。

 

 知っているのに、狛治は告げる。

 

 

 

「けれど、あなたは唯一だ」

 

 

 

 昔から、何度でも、何度だって告げる。

 

「鬼灯様。俺があなたに無理をして欲しくないのは、あなたが優秀な補佐官だから、上司だからじゃない。

 鬼灯という鬼を、個人を純粋に好ましく思い、尊敬し、慕っているからこそ、倒れかねないことをして欲しくないんです。

 俺だけじゃない。大王も、お香さんや烏頭さんや蓬さん。それにシロたちや唐瓜に茄子もそうですし、それこそ獄卒じゃない杏寿郎や炭治郎だってあなたが倒れたら心配して駆けつけてきます。

 

 ……だから、お願いですから本当に、もう少しでいいからご自愛してください。……これ以上、あなた自身を痛めつけるようなマネは、許しませんよ」

 

「許す」ことを怒った人に、「許さない」と告げる。

 嘘つきは地獄に落ちるから、ここは地獄だけど狛治はもう嘘などつかない。

 自分の「許さない」という思いに嘘などつかない。

 

「……許さなかったらどうする気ですか?」

 

「許す」ことを怒った張本人だから、あの裁判での出来事を覚えていなくても、自分にとって「許さない」という思いは持っていて当たり前な、己の命を燃やす原動力そのものだからこそ鬼灯は否定できず、ようやく視線だけは上げて狛治を睨み付け、尋ねる。

 既に本日2徹目なので、ただでさえよくない目つきが更に据わり、隈がその迫力に拍車をかけていた。

 

 だがもちろん、その程度の迫力などとっくの昔に狛治は克服している。

 なので余裕を携えた笑顔で彼は即答。

 

「今度こそジャーマンで鬼灯様を沈めて、入院という名の強制休暇を取らせます」

 

 40年ほど前、盂蘭盆前という修羅場で起こり、閻魔庁で伝説として語り継がれている「七徹目のマジギレ投げっぱなしジャーマン事件」を引き合いに出して言い放った狛治に、ようやく鬼灯は手を止め、頬杖をついて溜息。

 それは、降参の意思表示。

 

「自愛しろと言っておいて、手段が強制入院ですか。狛治さんもすっかり地獄に染まりましたね」

「染まらなければあなたの部下なんて務まりませんよ」

 

 負け惜しみでしかない反論をして、それもやはり軽く流された。

 最初から優秀な獄卒になると確信していたから、望んでいないことをわかっていながらも強引にスカウトしたのは鬼灯本人だが、思った以上の優秀さと図太さを獲得した狛治に対し、複雑な感情を懐く。

 

 しかし、悪い気はしない。

 

 ただ、心のどこかにむずかゆい感覚を覚えるのだけは何とかならないかと思う。

 炭治郎があの世に来た時、歓迎の宴会が終わった後に礼を言われた時と同じ感覚。

 未だ名付けられない感情。

 

 鬼灯はそのむず痒さを相変わらず顔に出さないまま、けれど観念して携帯電話を取り出した。

 

 

 

「……応援を呼びますか」

 

 

 

あの世には、天国と地獄がある。

 

 

 

「……はい。誰に頼みます?

 胡蝶なら新薬開発のめどが立ったので、余裕があると言ってましたが」

 

 

 

地獄には八大地獄と八寒地獄の二つに分かれ

更に二百七十二の細かい部署に分かれている。

 

 

 

「五官の皆さんでいいでしょう。元々その為の方々です」

 

 

 

戦後の人口爆発や、悪霊や宇宙的化け物(クトゥ〇フとか)の狂暴化

あの世は、そして現世も、前代未聞の混乱を極めていた。

 

 

 

「それもそうですね」

「私は麻殻先生を呼び出しますから、狛治さんは他の方を呼んでもらえますか?」

「はい、わかりました。……あれ?」

「どうしました?」

 

 

 

この世でも、あの世でも

統治に欲しいのは冷静な後始末係である。

 

 

 

「……すみません。今の第三補佐官って誰でしたっけ?」

「………………狛治さん」

 

 

 

が、そういう陰の傑物は

ただのカリスマなんかよりずっと少ないのだ。

 

 

そして

 

 

 

「あなたですよ」

「え?」

 

「あなたが第三補佐官ですよ。私も忘れてましたけど」

「……あぁ、そうでしたね。

 あなたの補佐はいつもの事なので、忘れてました」

 

 

 

陰の傑物を支えられる者は、更にもっと少ないのだ。





狛治さんメインだけど、「鬼灯の冷徹」完結記念回らしい話になったと思ってる。
江口夏実先生、本当にお疲れさまでした。

実はこの「完結記念回」は、今回の話の他に二つほどアイディアがあった。

一つは鬼灯原作の最終回直前の、「知り合いが一堂に会する機会と言えば冠婚葬祭②」の改変。
もう一つは、リリスが持ってきた魔女の薬と白澤の薬としのぶ&珠世制作の薬が事故でちゃんぽんしたものをひっかぶった鬼灯様が、心身ともにショタ化する話。

この二つが没になった理由は活報にでも書きますので、気になられたらそちらをどうぞ。

あとたぶん詳細を訊かれるであろう「七徹目のマジギレ投げっぱなしジャーマン事件」は作中でそのうち詳細は明かすつもりなので、気長にお待ちください。
つーかたぶん、皆さんが想像した通りの事件です。狛治さんを怒らせてはいけない。
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