「鬼滅の刃」世界のあの世が「鬼灯の冷徹」世界だったら   作:淵深 真夜

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「鬼滅の刃」無限城編第一章公開記念&「出禁のモグラ」アニメ放映記念としての番外編。
諸注意は前話の後書きにありますので、まだの方はご一読をお願いします。

そして映画でというより猗窩座の過去でここまで辿り着いてきた方々。
こういうのが見たかったんだろ?
私は見たかった。



「二人目、……ですよ」

 

 ヒュー……ヒュー……

 

 呼吸というより風船から空気が漏れ出しているような、あまりにか細い息が精一杯。

 それすらも喉が裂けそうな咳によって阻害され、人の身でありながら打ち上げられた魚のような苦しみを味わう少女。

 

 今日は、いつもより調子が良かったはずなのに。

 洗濯物を洗うことも絞ることも出来ないが、干してあった洗濯物を取り込んで畳むことくらいはできそうで、いつも心配ばかりかける父や世話ばかりかけている大切な人に、今日ばかりは負担を減らせると思っていた。

 

 それなのに、隣の剣術道場の息子が目ざとく庭に出ていた彼女を見つけ、そのまま外へと連れ出した。

 美味い甘味処がある、綺麗な花が咲いていたと、誘い文句こそは少女を喜ばせようという想いが見れたが、相手が断ろうとすれば睨みつけ、掴んでいる細い手首に爪を立てて握り、有無を言わさず、引きずるように連れて歩くのは、若気の至りでは済まされない身勝手さ。

 

 本当に甘味処や花の所まで連れていくのかも怪しい……、実際にどんどん人気がない裏通りを「近道だから」と言い張って進んで行く男の歩くスピードは当然、体の弱い彼女を慮るものではない。

 彼女の家から、彼女の保護者から見つからぬようという意図もあり、小走りと言える速さだった。

 

 その速さに、彼女のか弱い気管支が耐えられるはずはなかった。

 

 手を引く少女の軽い咳き込みや、歩く速度を緩めて欲しいという嘆願を無視し、振り返りもしなかった男がそれに気付いたのは、血や内臓を吐き出しそうなほど激しい咳をし出してから。

 

 男は聞いたこともないような、痛々しい咳に驚いて手を離すと、少女はもう歩くどころか立っているのも限界だったのか、そのまま地面に膝をつき、胸を押さえて倒れ伏す。

 

 血の気が引いて真っ青な顔色。

 息ができず苦しみで吹き出す汗と、見開く双眸。

 聞いたこともない、今にも止まりそうな呼吸音。

 

 ようやく、男は自分が連れ出した相手はどれほどか弱いのかを、この時やっと理解できた。

 自分に逆らわず、自分の好き勝手に出来る相手ではなく、好き勝手する前に果てるほど、その命の灯火は儚いことを知った男は……

 

『! おい! 待て!!』

 

 逃げ出した。

 助けてと縋る少女の眼も、背後から聞こえる知らない男の声も振り払って、何もかもを無かったことにして逃げ出した。

 

『おい! 逃げんな! この子、お前の家族とかじゃねーのか!?』

 

 背後で呼びかける声の主に、責任を丸投げするつもりすらない。

 知らない、自分は悪くない、関わりたくない、見たくない、助けて。

 男は自分自身こそが被害者だと信じて疑わず、少女を見捨てて一目散に逃げ帰る。

 

(……苦……しい。わた……し、死んじゃう……の? やっと……少しは……マシになって……来たのに……。

 やっと……迷惑……かけずにすむって……思って……たのに……)

 

 薄汚い、裏通りというより家と家の間の小道で、少女は胸を押さえて倒れ、陸上で溺れるような苦しみを味わいながら、苦痛由来ではない涙を流す。

 

(……やだ……嫌だ……こんなところで……こんな死に方は……いや……。

 私は……私は……)

 

 地面に爪を立てるほど咳き込む苦しみの中、それでも彼女は泣きながら、声にならない言葉を紡ぐ。

 

(私は……あの人と一緒に花火を見るんだ!!)

 

 彼女の「助けて」は、池の金魚や鯉のようにハクハクと唇を動かしたに過ぎない。

 言葉になっていない。

 それでも––

 

『……大丈夫だ、お嬢ちゃん。

 ほら、この灯をちょっと眺めてろ。落ち着いて、すぐに息が楽になる』

 

 それでも、逃げる男を咎めていた、ただの通りすがりにすぎない法師らしき男には、確かに届いた。

 

 

 

 

 

(––あの子を助けないなんて、選択肢はない。

 あの子に灯を分け与えたことに、後悔なんてない。

 それでも––––

 

 

 

 出逢わなければ良かったと、思う。

 あの子に、あの子の家族に、あの子の保護者に

 

 あの子を健気に護る、狛犬に俺は出逢わなければ良かった)

 

 

 

* * *

 

 

 

「モグラさん? モグラさーん?」

「! あ、あぁ。八重ちゃん、悪い悪い」

「お前が黙り込むって……もしかしてなんか悪いもんでも憑いてるのか? その(かんざし)

「ちげぇよ! ちょっと昔のことを思い出してただけだ! 黙り込んだだけで疑うなよ!

 真木はどんだけ俺が四六時中喋り倒してると思ってんだ!?」

 

 簪片手にしばし無言でぼんやりしていたモグラが、その簪の持ち主の呼びかけで、意識を過去からこちらに戻す。

 戻った途端、真木の方が持ち前の臆病と言える警戒心で疑い、その言葉にややビビった八重子の為か、モグラが大袈裟なくらい即答で否定する。

 

 実際、八重が「一目惚れで買っちゃったけど、動画を見ても使い方がわからない」と言って持ってきた簪は、霊だの呪いだのと言った「悪いもの」は何も憑いていない。

 そもそも、この簪は中古品ではなく新品。プラスチックと樹脂で作られた昨今の安物だ。

 

 もちろん新品の安物に「悪いもの」が憑く場合だってあるが、割合としては切り捨てていいレベル。心配はまさしく杞憂同然だ。

 

 だからモグラが黙り込んだのは、彼に霊が見えるだとか、呪われているかどうかがわかるかといった、彼の特性は無関係。

 ただ、モグラは思い出していただけ。

 

 思い出してしまっただけ。

 

 三つの雪の結晶が連なったその簪で、それとよく似た簪をいつも刺していた少女を。

 遠い遠い昔、ほんの数ヶ月程度関わった人たちの記憶を、それは鮮明に呼び起こした。

 

「昔のこと?」

 

 モグラの隠すつもりはないが、積極的に話すつもりもなかったことを、思いっきり自主的に口を滑らせたせいで、真木が反応する。

 八重子に至っては、眼を好奇心でキラキラさせながら、「え? 簪で思い出すってそれって……」と何やらラブの気配を期待して、モグラが話すの待つ姿勢に入った。

 

「……八重ちゃん。期待に沿えなくて悪いけど、俺に簪にまつわる甘酸っぱい思い出は、悲しいことにマジでない。目玉に突き立てられそうになったとか、肝が冷えたエピソードで良ければ話すけど、その覚悟はあるか?

 俺の恐怖体験談と愚痴に、五時間は付き合うという覚悟は」

「あ、ないですごめんなさい」

 

 なのでとりあえず、その期待だけは完膚なきまでに破壊しておいた。

 しかしモグラの地雷の引きっぷりを、八重子も真木もよく理解しているからこそ、今度はその雪の簪も地雷女エピソードだと思われたのがよくわかる、「うっわ……」とドン引きの視線をいただいた。

 

「あー、でもこの簪によく似たのを刺してた子になら、そういう話はあるぞ。

 俺とじゃなくて、病弱なその子の世話をずっとし続けてた心も顔も超イケメンとの、まさしく王道定番甘酸っぱい青春ラブが」

「「えっ!!」」

 

 流石にあの簪の持ち主と、モグラが引っかかったというか引っ掛けたというかな地雷女が同類と思われるのは、今更過ぎて誰にとっても何の支障はないとわかっていたが、それでもモグラが嫌だった。

 だから自分が思い出していたのは、恐怖体験ではないと、言わなくてもいい余計な情報もつけて語ったことで、八重子の好奇心は復活。

 そしてそういう話に興味がないというより、コンプレックスで苦手意識が強い真木まで反応した。

 

「……その甘酸っぱい話にお前、いる? どのポジションだよ?」

「いるわ! 超いるわ!!

 なんなら俺がいないと始まらなかった可能性すらあるキューピットポジションだよ!」

 

 まさかの「なんでお前がそんな話を当事者のように思い出してるんだよ?」という意味で、驚かれて興味を持たれていた。

 流石に失礼すぎる疑問にモグラがキレながら自分のポジションを告げるが、今度は八重子からも疑いの眼差しを向けられる。

 

 当たり前だ。モグラが先ほど、自分で覚悟を問うた話からして、彼がキューピットポジションなど想像出来るわけがない。

 

「何だよ八重ちゃんまで!

 一応言っておくけど、この子の件に関してはそのイケメンがいなければ俺が王子様ポジについてもおかしくないことしてるからな!

 マジで死にかけの所を助けたのが、出会ったきっかけだぞ!!」

 

 そんな割と自業自得な疑念を晴らす為、話す気はなかったはずなのにやはりモグラは、自主的に話すこととなる。

 もしかしたら、本当は話したかった、誰かに吐き出したかったのかもなと、心の中で自嘲しながら。

 

 恐怖体験談ではない。

 けれど、トラウマではある昔の話を語ってゆく。

 

* * *

 

「最っっっっ低!!

 何その男! モグラさんがいなかったらどうする気だったの!?」

 

 昔々のマジ昔、江戸時代の頃にモグラは法師の真似事をしながら日本各地を巡って、鬼火を集めて回っていた。

 その鬼火目当てで幽霊を追い、人通りが少ない道を歩いていた時に聞こえた酷い咳で振り返り、気づいた。

 

 さらに人が通らないであろう裏通りに、十代前半の少年少女がおり、少女が激しく咳き込んでいるのをモグラは見て、彼女を心配こそすれど、その時は兄妹か友達か、それとも甘酸っぱい関係なのか、とにかく二人の関係は良好で親しい間柄だと思っていた。

 

 少年が倒れた少女を置き去りにして走っていくのを見ても、パニックを起こして近くにいる他人の自分より、家族や医者を頼って呼びに行ったと思っていたし、怖くなって逃げたにしても酷い罪悪感にかられているだろうと信じていた。

 

 まさか親しいどころか土地欲しさで嫌がらせをしているわ、病弱なのを知ってて連れ出しておきながら気遣いもしなかったわ、挙げ句の果てにモグラ以外の目撃者に糾弾されるまで、連れ出しも放置逃亡も認めなかったというクズの役満ぶりまで話したところで、八重子がキレた。

 

 よっぽど頭に来たのか、早口の方言でそのクズ男を罵り出す八重子に若干引きながら、真木も「何考えてんだよ、そいつ……」と呟く。

 真木自身が他者に気を遣いすぎるタイプなので、ここまで身勝手なのは憤る以前に理解不能なのか、完全に困惑していた。

 

「知らねーし、知りたくもねーし、知ろうとしなくていいわ。あんな奴の言い分なんて。

 まぁ、とりあえずこれが俺と簪の子が出会った経緯で、そういう訳だからその子の家族に信頼してもらえて、しばらく居候させてもらったんだよ」

 

 加害者でも被害者でも理解しようとして、抱え込むタイプのお人好しであることは、自分とこうやって関わっていることでモグラはよく知っているからこそ、真木に「それ以上、考えるな」と告げて話を先に進める。

「お前は悪くない」と言ってもらえる責任転嫁と免罪符を求める加害者の善性を信じ、理解しようとするほど虚しいものはないことをモグラはよく知っているから、自分と似た所のある真木のために思考を打ち切らせた。

 

「いやけどマジで、赤の他人の八重ちゃんもマジギレするレベルの所業だろ?

 そりゃ当然、身内はもっとキレる。もー、その子の親父さんも、娘ちゃんのお世話してた弟子もブチ切れてて、止めるの大変だったわ。

 どっちもムキムキで、あの実戦経験なし、お行儀のいいやり方しか知らない剣術道場の連中なら、全員が真剣持ち鎧兜で武装してても全滅が目に見えて、逆にあの二人がお縄になりそうだったから、娘ちゃんの恩人って立場を駆使して何とか試合って形で説得して納得してもらって……そこから先はもう最高!」

 

 モグラもあの少女を放置した剣術道場のバカ息子はもちろん、息子の愚行を咎めない親、逆ギレして連れ出された少女の方を貶める門下生達を怒っていた。

 しかし、自分の怒りがレッサーパンダの威嚇にしか見えないくらいの父親と弟子のガチギレを、なんとか宥めすかした苦労も思い出したのか、深いため息を吐きつつ語っていたと思ったら、いきなりテンションが急上昇。

 

 そのまま彼は2対10の勝ち抜き、しかも被害者側は徒手空拳の武術なので素手、相手は剣術道場なので武器持ちという、圧倒的不利な条件での試合結果を語る。

 

「親父さん、出番なし! 弟子の一人で九人を瞬殺!!

 俺もマジでムカついてたから、灯を使って二人にドーピングやら、その辺の霊に協力してもらって試合中にビビらせようとか思ってたんだけど、全部無駄!

 もう本当に話になんねーの。弟子はもちろん親父さんも、最初の一人が軽く押した程度でぶっ飛んだのを見て怒りが飛んだのが、二人とも『え? マジで?』って顔してたくらい。

 

 しかもあのバカ息子、9連敗したら今度は真剣持って突撃してきて、これはヤベェ! ってカンテラぶん投げる体勢入った所で、弟子が『え? 何?』くらいの咄嗟の自然体で刃を割った! あれは俺も見て、唖然としてからテンション上がってバカ息子の親と一緒に、何それどうやったのもう一回やってお願いします!! って頼み込んだわ」

「何してんだよ、お前とバカ息子の親」

「けど息子より可愛げのあるバカでちょっとホッとした」

 

 いかにザマァな展開だったかをモグラが熱く語るが、それよりもモグラとバカ息子の親の刀割りアンコールという奇行が気になって、真木は端的に突っ込み、八重子は正直な感想を口にする。

 

 だがモグラには二人の冷めた反応が不満だったらしく、やや拗ねたようなジト目になる。

 

「お前ら、俺が話を盛ってると思ってるだろ?

 確かに昔すぎて曖昧なところはあるけど、弟子一人で9人瞬殺も、刀を飴細工みたいにパキッと割ったのも事実だからな。つーか、そこらは衝撃的すぎて忘れられねーよ。

 そんで剣術道場の方の親父は、まぁ当時でもあんま褒められた性格じゃなかったけど、武術に関しては真摯で、あの刀割りの技術には本気で感銘したらしく、この試合以降は嫌がらせをキッパリやめたんだ」

 

 モグラの指摘どおりだった二人は、ちょっと誤魔化すように笑ってから、とりあえず嫌がらせがなくなった事にホッとする。

 それから、モグラは娘に応急処置してから連れて帰ってきてくれただけではなく、頭に血が昇っていた自分達を落ち着かせてくれ、試合の手筈を整えてくれたことに深く感謝され、そのまま好きなだけいてくれという言葉に甘え、数ヶ月ほどその家……素流道場に居候していた頃を話し出す。

 

 本人は「雨風凌げて、飯も食わせてもらえてラッキーだったわ」と、あくまで自分の懐具合的に好都合だったからという風に語っているが、真木にも八重子にもそんな照れ隠しは、もう既に通用しない。

 

 彼が滞在した最大の理由は、きっかけである娘さんが心配だったから。

 また発作を起こしたら、灯を分け与える為に、何なら不自然にならない程度に分け与え続けて、病気を完治させようと思っていたことぐらい、二人は知っている。

 モグラのお人好し具合など、真木達からしたら周知の事実だ。

 

「……その子の病気、どうだったんだ? 治ったのか?」

「ん? 流石に完治まで見届けてねーけど、普通に治ったと思うぞ。

 あれ、たぶん現代でいう小児喘息だったから、体が出来上がってきて、体力もついてきたら大半が自然治癒するもんだ。

 だから最初に灯をちょっと分けただけで、あとは俺が特になんもしなくても、弟子によるいつも通りの看病で快方してた」

 

 真木の問いに、モグラは軽快に答える。

 先ほどのラッキー発言は照れ隠しとわかったが、この言葉は嘘が混じっているのか、全部本当かはわからなかった。

 灯を分け与え続けるという、自己犠牲があったのかはわからない。

 真木にも、八重子にも、そしてそれはきっと、モグラ本人にさえも。

 

 彼は、その行いを「自己犠牲」と思っていないから。

 

「それにしても……、確かにモグラさんが王子様ポジションでもおかしくない出会いでしたね」

 

 そんな悲しい彼の有り様に気付いているからか、八重子は話を少し戻した。

 それが彼の傷に触れぬ優しさなのか、ただ自分が見たくないという弱さなのか、それもわからないまま。

 

「そうだろ、見直したか?

 けど、俺はあくまでキューピット。ここでの甘酸っぱい青春の主役は弟子の方だよ。

 そもそも娘ちゃんは確か当時14歳くらいで、あの子からしたら俺はおっさんだったってのもあるけど、それを抜いても俺が弟子を差し置いて王子様はないな。

 あの弟子、腕っぷしだけじゃなくてマジで見た目も中身も理想のイケメンだった」

 

 モグラの戯けたよう、から元気のような口ぶりに痛々しさを感じていたが、真木達は結局いつものように、モグラの話にのめり込んで、モグラに対し抱いた感情が埋もれてゆく。

 

 実際、恋バナは気恥ずかしいのでフィクションでも苦手な真木ですら興味深い話だった。

 

 まず、娘さんが患っていたであろう小児喘息は、現代でも本人はもちろん看病する側にとっても大きな負担となる病かを、彼女の母親が看病疲れによる自死という過去の悲劇で、その壮絶さを思い知る。

 思い知った所で、彼女の看病を続けた弟子の凄まじさが、やっと理解できた。

 

 現代でも夜に発作が出たら、横になるより起きていた方が楽なので、病人本人も付き添う側も寝不足が日常茶飯事。

 効果的な薬がある現代でもこれなら、江戸時代の看病は現代人二人には想像を絶していた。

 

 モグラはサラッと、「体が出来上がってきて、体力もついてきたら大半が自然治癒するもんだ」と言った。

 それは事実だ。

 しかし江戸時代の庶民、それも門下生は身寄りのない少年一人という環境でまず、「体が出来上がる」ほど、「体力がつく」ほど生きてこれたのが奇跡だろう。

 

 いや、奇跡というには失礼だ。

 彼が繋いできたのだ。

 懸命な看病で、彼女の命の小さく微かだった灯を、多少の風では吹き消されることがないぐらいになるまで守ってきたことを、モグラは慈しむような眼で語った。

 

「俺も居候してる間、看病は手伝ったけど、もうあの根気強さだけでも頭が下がるっていうのに、更にスゲェのは『自分のことは自分でしたいだろうに、何で看病されることを申し訳なく思って謝るんだ?』って本心から言える精神性。

 これ、16歳で言ってんだぜ? つーか、俺と出会う前から、娘ちゃんと出会った時からずーっと、下心なしで! 聖人か!!」

 

 モグラの最後の突っ込みには同意しかなかった。

 武道家という時点で、真木の中では弟子のイメージは同ゼミ内の陽キャ代表マッチョの藤村だったので、なんとなく苦手意識があったが、それがなんだか申し訳なくなってきた。

 

「病人を『可哀想』とか『何とかしてあげたい』とは思っても、そんなことは考えたことなかった……」

「わかる……。武術よりも繊細な気配りの達人すぎるだろ、そのお弟子さん。

 藤村に爪の垢を飲ませたい……」

「ん? もしかして真木、弟子の見た目をあの体育会系と同系統だと思ってる?

 違うぞー。あいつの見た目はどちらかというと、森くんの系統だ」

「「えっ!!??」」

 

 八重子がしみじみと弟子の思慮深さに感心しているのに同意しながら、間違いなくいい奴なのだが、おそらくその弟子とは対極のノンデリ体育会系なゼミ生の名前をあげると、モグラが目ざとく気付いて訂正し、二人は今日一番大声を上げて驚いた。

 

 その驚き具合にモグラもびっくりするが、してから納得してちょっと苦笑。

 ビックリもするだろう。剣士九人瞬殺も、真剣割りも、「盛ってない」と話していた、ムキムキの徒手空拳使いの顔の系統が、色々あったが開き直って女装で健全に稼いでいる、八重子と同島出身の女顔美形な人物を上げたのだから。

 

「あー、すまん。そういや顔の説明してなかったな。

 親父さんの方は、クマみたいな可愛げはあるけど格闘家に相応しい見た目なんだけど、弟子の方は体とのギャップが凄まじい、まさに美少年って顔なんだよ。

 マジで森くんをムキムキにして、ベリショにして、睫毛を10倍にした感じだった」

「まつ毛盛りすぎだろ」

 

 真木が素で突っ込んだ。

 ビックリはしたが、弟子が精悍な美男子タイプではなく、女性的な美少年であったという話は全く疑っていない。

 そんな嘘をつく意味は皆無なので、言われた通り森くんをベースに真木は脳内雑コラで想像していたが、流石に最後はふざけた悪ノリだと思って突っ込みを入れた。

 

「はぁ? 盛ってねーし! マジであいつのまつ毛はすごかったんだって!!

 めちゃくちゃ美少年なのに、最初に認識するのが美少年であることより、『まつ毛すげぇ!!』なぐらい、量も長さも規格外のバッサバサ!!

 もうあのまつ毛があれば、どんなに変わり果てても一目でわかるほどのまつ毛だったんだよ!!」

 

 しかしこれも事実だったらしく、何故か試合内容を盛っていると疑われた時以上にモグラはキレ、熱くなって弟子のまつ毛の話は盛ってないと謎の主張。

 その勢いに押された真木と八重子は、ドン引き困惑しながら、「えっと……何か、ごめん」と謝る事しかできなかった。

 

 どれほど変わり果てていたのか、それでも気付いてしまったモグラのトラウマは結局、口を滑らせてもやはり、話すことは、話されることはなかった。

 

 手放すことなど、出来なかった。

 

 

 

 

 

* * *

 

 

 

 

 

『……は、……ははっ……。

 どう……したんだよ……それ……。寿命も……見た目も……婆娑羅に傾きすぎだろ……』

 

 目の前の男が、頭部に角がなくとも「鬼」と呼ばれる存在であることは知っていた。

 本来、地獄に住まう人とは最初から別の存在である鬼とは違い、人から変化した、変化してしまった、変えられてしまった存在であることも。

 

 何もかも、変わり果てていた。

 

 他者を汚いもの、醜いものを見るような蔑む眼差し。

 自らがバラバラにした、人だった残骸を踏み躙るその姿。

 

 なのにあまりにも鮮明に、遺っていた。

 

 あの子が大切にしていた、好んで着ていた着物と同じ紅梅色の髪。

 実父の為に犯した、罪の証である刺青。

 

『いや……本当に何の冗談だよ……。

 そのバッサバサのまつ毛がなけりゃ、誰だかわからなかったぞ……』

『誰だ貴様は。さっきから訳のわからないことをブツブツと……。

 頭がおかしいのか?』

 

 嘲るようにニヤリと上がる口角は、彼が決してしないものなのに、困ったようにハの字に下がる眉は記憶のまま。

 

『……あぁ、そうだな。

 俺の頭がおかしい。そうであれば良かった。そうであって欲しかった』

 

 悪鬼の煽りをそのまま、カンテラを持った男は受け入れるので、鬼の方が気味悪そうに顔を歪める。

 

 けれど男の……モグラの発言は全部本音。

 自分の頭がおかしくて、全部妄想で幻覚で嘘であって欲しかった。

 目の前の鬼も。

 100年以上前に起こった悲劇も。

 

 ……モグラが娘の体調も、隣の嫌がらせも心配ないと判断して、素流道場から離れて10年経つか経たないか後のこと。

 その辺りに何故か幽霊が多く出るようになったので、灯集めもかねてまた立ち寄った。

 

 その頃その辺りは別に飢饉でもなければ、大きな災害があったとも聞かなかったので、モグラは少し霊の多さを不思議に思っていたが、さほど気にしていなかった。

「まぁいいか」で流すほど、モグラは楽しみにしていた。浮かれていた。

 

 別れてからまだ10年程度なので、同一人物として現れても、「あまり老けないタチなんだ」で誤魔化せる。

 よく似た他人や血縁者のフリをせず、あの親娘や弟子と再び、ほんの数日でも関われるかもしれない。

 きっとあの初々しい二人も、流石に祝言をあげているだろう。

 もしかしたら子供も一人くらいは、生まれているかもしれない。

 

 そんな期待を抱いていたモグラが目にしたものは、荒れ果てた道場と、もはや人里の体を成していない寂れた集落だった。

 

 訳がわからず、モグラはその辺の霊をとっ捕まえて、いつからどうしてこうなったかを尋ねた。

 

 ……モグラが去って数年後、娘は健康というには躊躇うが、日常生活に支障がない程度にまで回復し、そして結婚適齢期に入ったのを機に、あの弟子と祝言をあげることが決まった。

 

 弟子が前科者であることは、あの腕の刺青で近所でも周知だったが、それ以上に彼の誠実な人柄が知れ渡っていたので、誰もが二人の祝言を喜んでいた。

 

 ……父親が死んだことでストッパーを無くした、あの剣術道場の息子とその取り巻き以外。

 

 娘が完全に問題ない健康体になったとでも思ったのか、また奴は娘に対して身勝手な執着を見せ、それが屈辱的な敗北を叩きつけた弟子への嫉妬と絡みついて陰湿な憎悪となり……、取り巻き門下生のあまりにも考えなしな提案を実行した。

 

 二人が祝言を上げる直前、道場の井戸に毒を投げ入れて、素流道場の親娘を殺した。

 

 もちろん、井戸は水を貯めるタンクではなく水脈から水を汲み上げるものなのだから、その毒は素流道場だけにおさまらない。

 集落一帯をその毒は汚染し、親娘だけではなくあまりにも多くの犠牲を出し、農作物にも致命的な影響を与え、人が住めるような土地ではなくなったからこそ、今現在の姿だとその霊は語った。

 

 聞きたくなかった。それでも、聞かずにはいられなかった。

 弟子はどうなったのかがその話ではわからなかったから、モグラは掠れた声で弟子について尋ねた。

 

 霊は、親娘の死を語る時よりも痛々しげな顔で答える。

 

 弟子は父の墓参りに、父に祝言の報告をしに行っていたので、毒を飲まなかった。

 生き残ってしまって、見てしまった。

 もう動かない、目を開けることがない、冷たくなった最愛の人を。

 

 −−−−今度は、モグラがいなかった。

 被害者の方がお縄にかかるなんて馬鹿らしいと説得して、正攻法でとっちめようと提案する口が上手い男がいなかった。

 止める者などいなかった。

 

 だから彼は、怒りのまま、憎悪のまま、修羅となってこの世に地獄を顕現させた。

 武装していた67人を素手で、人の原型を残さぬほどに破壊、殺戮をし尽くして……、それほど憎悪に心が呑まれていたはずなのに、女中は殺さず……殺すことができず、そしてそれからの行方は知れない。

 

 どうして、どうして自分はその場にいなかった。

 そんなどうしようもない後悔が、モグラの心中を苛んだ。

 

 毒を飲んだ直後なら、灯を全て惜しみなく与えれば、せめて娘の方だけでも助けられたかも知れない。

 いや、助けられなかったとしても、弟子が帰ってきた時に自分がいたら、説得できたかも知れない。

 

 井戸に毒なんて極刑が免れない愚行で、奴らが絶対に罰を受けるとわかっていても、感情が納得できないのはわかっている。

 けれど、灯を弟子にもぶち込めば、霊感に目覚めた可能性が高い。霊が見えたのなら、死んだ親娘に会わせることもできたし、仮にあの二人が既に成仏していたとしても、やはり霊が見えたならあの世の説明はしやすい。

 

 死後もあの世という続きがあることを教えて、説得すれば、お前が真っ当に清く正しく生き抜けば、それこそ死後に今度こそ、誰にも脅かされることなく祝言をあげられるから、耐えてくれという言葉は、届いたかも知れない。

 そんな期待ができるぐらい、あの弟子は自分より誰かの為に我慢できる、頑張れる、強い子であったと知っているから。

 

 そんな後悔が、日本が開国して、文化がどんどん変わっていって、元号も何度も変わってやっと大正という元号に少し慣れた頃も、時たまに思い出してしまうほど、モグラの心に刻まれていた。

 

 だから、だから、妄想であって欲しかった。

 自分は生き続けるという罰に耐えられず、狂って悪夢を見続けているのだと思いたかった。

 

 夢であって欲しかった。

 今はもう遠い昔の悲劇も、

 自分の目の前で、人を素手で引き裂いて血を飲み、哄笑するあの弟子の成れの果ても、

 

 ……その傍で、泣きながら、触れられない、気づかれない、それでも聞こえぬ声で訴える彼女の姿も

 

 何もかも嘘で、幻で、悪夢(ゆめ)であって欲しかった。

 

『……気味の悪い男だな。興が削がれた。

 消えろ』

 

 刺青だらけの悪鬼が、つまらなそうな顔をしてモグラから背を向ける。

 何もせず立ち去ろうとする悪鬼を見て、モグラがこちらに来るのを止めていた幽霊、鬼殺隊の霊が戸惑った。

 

 自分を、自分たちの仲間を千切って引き裂いて、肉片にしていた鬼が、何故かこの男が現れた途端に饒舌だったのが急に口数を減らし、殺気も闘気もなくして立ち去ろうとするのが、理解できなかった。

 

 わかるはずがない。

 何もかも失って忘れて空っぽになって、それでも愛しい思い出をもう思い出だと認識することができなくても手放せないからこそ、彼は立ち去ることを選んだなんて。

 

 殺せない。

 殺せる訳がない。

 

 あの日、大切な、大事な人を助け、守り、家に連れて帰ってくれた恩人。

 罪を犯すのではなく、正しい方法で自分たちの怒りを発散させるだけではなく、嫌がらせも終わらせてくれたきっかけ。

 彼女の看病を手伝い、自分に絵の描き方や花火の名称を教えてくれた、少しだけ兄のよう思っていた人。

 

 思い出せなくても、殺せる訳がなかった。

 鬼殺隊の女隊士と同じぐらい、無惨の命令であっても、どうしてもできないことだったなんて、鬼殺隊も、モグラも、悪鬼自身も気づかない。

 

(……待って、行かないで! よく見て! モグラさんですよ!!

 あんなに仲が良かったじゃないですか!!)

 

 彼女以外。

 悪鬼を悪鬼ではないと信じて諦めない、彼女だけが縋り付いて叫ぶ。

 

(思い出して! お願い!!)

 

 しかし悪鬼にはその姿は見えず、彼女が泣いて手を伸ばしても鬼はまるで、無視して振り払うように先に進む。

 

『……待てよ!』

 

 その光景が、我慢できなかった。

 

『おい……。本当に見えてないのか? 本当に聞こえてないのか!?

 目を逸らして耳を塞いでるだけだろ! 狛治!!』

 

 気怠げに、煩わしそうに振り返った鬼にモグラは怒鳴りつける。

 例え見えてなくとも、それが彼の本意ではなくとも許せなかったから。

 

 自分のことなんかよりも、彼女のことを思い出して欲しかったから。

 どんなに辛くとも、彼女がそこにいるのなら、思い出せば彼が救われると信じているから。

 

 鬼は……、狛治はモグラの急な剣幕に軽く目を見開いた。

 その素朴な表情は、モグラがよく知る人の頃の彼そのものだったが、彼はポカンとした顔のまま戸惑ったように言い返す。

 

『本当に気狂いのようだな。一体、誰の何の話をしてるんだ?』

 

 心底不思議そうな顔で、「狛治」という名に反応せず、誰のことなのかをわかっていない発言に、狛治の傍らの少女が絶望でまた大粒の涙を溢す。

 

『巫山戯んなよ……。俺のことがわからないのはいい! わからなくていい!

 でもお前! 何であの子のことを忘れてるんだ!!

 思い出せ! 思い出せよ狛治!!』

 

 モグラが怒り、呼びかければ呼びかけるほど、狛治だった鬼からしたら訳のわからないキチガイだと思われたのか、困ったような、憐れむような目になって、また彼は背中を向けて歩き出してしまう。

 

 その背に手を伸ばし、追い縋ってモグラは叫んだ。

 

『思い出せよ! 恋雪ちゃんのことを!!』

 

 

ドンッ!!

 

 

 花火が打ち上がるような、重く低い音がしてから、自分の腹に大穴が空いたことにモグラは気付く。

 

『−−−−黙れ』

 

 殺せない。殺せないはずだった。

 けれど、それだけは許せない。

 彼には……猗窩座には認識できない、聞こえない、誰かの名前。

 わからないのに、聞こえないのに、それでもその名前は「狛治」を呼び覚ます逆鱗だった。

 

『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇぇっっっ!!!!』

 

 無惨によって作られた空っぽの「猗窩座」という鬼ではなく、あの日、67人を虐殺した「狛治」という鬼が、確かに蘇った。

 

 最初の一撃で体が二分され、灯を全て使っても回復は不可能な致命傷を与えられたが、「狛治」はそれだけで済まさず、絶叫しながらモグラを、モグラの残骸をさらに肉片一つ残さぬよう、粉砕し続ける。

 

 その威力がもたらす破壊の効果音は、花火によく似ていた。

 モグラが彼女を、恋雪を背負って花火を見に行こうとしたが、早々に降参して、結局狛治が恋雪を背負って三人で見た花火を、場違いなくらい呑気にモグラは思い出していた。

 

『あれが冠菊。

 パリパリ音を立てて消えていくだろ? それを先割れって言うんだ』

 

 花火の種類と名前を教えてやりながら見ていたことをモグラが思い出すと同時に、モグラをバラバラどころか粉々にしていた狛治が、何かに気づいたような、警戒するように大きく後ろに跳んで、辺りを見渡す。

 

 辺りを見渡してから、また戸惑うような顔で一点を見つめる。

 その表情からして、見えていないのはわかった。

 見えていないが、「そこ」に「何か」がいることは感じ取れたのだろう。

 

 肉体という檻から解き放たれた御霊、「オオカムヅミの弓」としてのモグラが、そこにいることを。

 

『綺麗ですね、狛治さん、モグラさん』

『はい。それにしても、モグラさんは本当に何でもよく知ってますね』

『無駄に年だけはくってるからなー。おっ、次は何だろうな』

 

 邪気払いの神、破邪そのものである御霊はありし日を思い返しながら弓矢を構え、狙いを定める。

 もう、狛治を解放してやるにはこれしかないから。

 

 狛治は、猗窩座は、無惨など比べ物にならない大いなる力そのものが、自分に向けられていることに気づいていない。

 それは彼が空っぽだからこそ、霊感の類いが異様に鈍くなって見えていないからも要因だろうが、それ以上に彼は守られていた。

 

(……やめて……お願い……やめて……)

 

 猗窩座の前に、狛治の前に恋雪が立ち塞がり、手を広げて泣きながら庇う。

 モグラから、破邪の弓矢から、最愛の人を庇う。

 

 恋雪は、目の前の男が、モグラが何者なのかわかっていない。

 そもそも何故モグラが、一世紀以上経っているというのに、あの頃のまま生きて現れたのかが謎過ぎる上に、肉体が粉々になって魂が神々しく現れたらもう理解など諦める。

 

 相手が何者かの理解は諦めた。

 けれど、モグラが今にも射ようとしているその矢が何であるかは、必死で考えた。

 

 あの世で裁判は既に受け、あの世から正式な許可を得て狛治に恋雪は憑いている。

 狛治を無惨の支配から取り戻す為、少しでも記憶を呼び戻せるように、思い出せないままでも、首を落とされて彼が死んだ時、彼が迷わないように真っ先に迎える為に、彼女はずっと傍にい続ける。

 

 だからこそ鬼殺隊に恋雪は、「殺さないで、斬らないで」と止めた事はない。

 本来の狛治はあの日、無惨によって顔面を貫かれた事で死んでいる。無惨に殺されたのに、無惨のせいで狛治が解放されないのだから、頚が落とされる事は望みこそすれど、止める理由などない。

 

 けれど今、目の前の光景は、モグラのしようとしていることは、何もわからないから、でも鬼殺隊の日輪刀よりも神々しい、大いなる力なのは確かだから。

 悪いものはおろか、狛治諸共全てを消し飛ばしてしまいそうだから、

 

(お願い……、モグラさん……)

 

 だから、恋雪は泣きながら懇願した。

 

 

 

(狛治さんを助けて!!)

 

 

 

 指が、弓の弦から離れる。

 構えていた腕がゆっくりと降りてゆく。

 御霊で活動できる時間が終わる。

 また新たな檻に、寿命が尽きた人の死体に引き寄せられる。

 

『…………ごめん。恋雪ちゃん』

 

 百暗(もぐら)にできた事は、ただ一つ。

 

『俺には––できない』

 

 ただ、自分の無力さを認める事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボコリと、墓土が盛り上がって手が這い出てくる。

 死んで埋葬されたばかりの死体に乗り移ったモグラが、墓穴から這い出てきた。

 

 まだ自分に馴染んでいない、看守がカンテラを持ってきていないので、その死体本来の姿のまま、モグラは俯いて呟いた。

 

『…………鬼舞辻、……無惨』

 

 存在は昔から知っていた。

 何とかしたいと思っていたが、積極的に関わる事はなかった。

 

 モグラにとって無惨も無惨による鬼も、人ならざる者に変わってしまった哀れな者で、退治する対象ではなく、救ってやりたい相手だったから。

 関われば関わるほど、泥沼に嵌ることが目に見えていたから、瀕死の鬼殺隊士を見つけたら灯を分け与えるぐらいしかしてこなかった。

 

 そんな、お人好しすぎて、人を慈しみすぎたからこそ、神から人に堕ち、未だ天に帰ることもできず、地獄からも出禁をくらうモグラが吐き捨てるように言った。

 

『……お前は、生きていてはいけない生き物だ』

 

 慈悲そのものと言えた神が、その存在を人の範疇から外す。

 掘り返したばかりで柔らかい地面に爪を立て、唇を噛み締めながらモグラは、オオカムヅミの弓は、邪気払いの神は決める。

 

『お前だけは絶対に、俺が殺してやる!!』

 

 それが、恋雪の懇願を叶えることができなかったモグラにできる、ただ一つの妥協案だった。

 

 

 

 ……しかしこの後、その決心を実行に移す為に灯と情報をガムシャラに収集している間、モグラと狛治の再会から一年足らずで無惨は鬼殺隊によって討伐された。

 それを知ったモグラは、しばらくの間だいぶ鬱になったという、締まらないオチでこの話は終わる。

 

 何ともまぁ、惨めで、滑稽で、つまらない話だ。

 

* * *

 

「ありがとうございます、モグラさん。真木くんもマギーくん、どう?」

「おー、可愛い可愛い。俺の方も調べておくから、またやってみたい結い方あったら言えよー」

「え、あ、う……うん。よ、よく似合うと……思う……」

 

 話がだいぶ逸れていたが、当初の八重子の頼みである、ショートカットでも出来る簪を使った髪の結い方をレクチャーし、八重子は実践してみた髪型を真木と彼に憑くレッサーパンダに見せてみる。

 

 モグラはいつも通り軽薄だが、面倒見のいいことを言って、真木の方は見ているこっちの方が照れ臭くなるほど、辿々しいがそれでもちゃんと八重子を褒める。

 

 狛治と恋雪とはまた違った初々しさに、モグラは微笑ましさと妬ましさ半々で眺めていたら、軽いノックの音と「失礼します」と涼やかな声が聞こえてきた。

 

「ん? 何だ珍しい、どうしたんだ?」

 

 モグラが扉を開けて迎えて入れたのは、隣の駄菓子屋の主人であり、モグラの看守である女性、浮雲。

 彼女はいつも通り、真意が全く見えない美しい笑みを浮かべて、これまたいつも通りまったりマイペースに要件を告げる。

 

「今年は盆の時期にちゃんと休みを取ろうと思いまして、私が休暇の間、代わりの者を紹介しにきました」

「ふーん。どっか行くのか? 羨ましい。土産よろしくな。

 で、その代わりの奴はどこにいるんだ?」

 

 チラリと内容が聞こえた真木と八重子は、うっすら程度に二人の関係を知っているのもあって、「これ、俺らが聞いていいやつかな?」と不安がるが、モグラと浮雲はどちらも二人を気にすることなく話を続ける。

 浮雲の代理の人は外で待っているらしく、モグラが入ってくるように声をかけると、「失礼します」と優しげな男の声が聞こえた。

 

「−−−−え?」

 

 手土産らしき紙袋を下げて入ってきた男は、声の印象通りの穏やかで優しい笑顔を浮かべ、モグラに挨拶する。

 

「……『獄卒』としては、初めましてですね。

 けれど、こちらを使わせてください。

 ……お久しぶりです。モグラさん」

 

 ポカンと、現れた代理の男をしばらく頭の先からつま先までじっくり見て、そしてモグラは勢いよく何故か振り返り、チラ見で様子を伺っていた真木と八重子に向かってやたらとハイテンションで言った。

 

「おい見ろ真木に八重ちゃん!!

 俺の言った通り、まつ毛が眉毛より毛量多いだろ!?」

「モグラさん、俺のこともしかしてまつ毛で認識してます?」

 

 閻魔庁でやたらと鍛えられたツッコミを、何故かいきなり狛治は発揮することとなる、なんともコメントに困る再会となった。

 

* * *

 

「悪い悪い。ちょうどお前のことを話してて、お前のまつ毛を盛ってると思われて、ムキになってさー」

「そもそも何で俺のまつ毛が話題に上がるんですか?」

 

 流石に真木と八重子には帰ってもらい、狛治が持ってきた手土産の菓子折りを開けながら、モグラが悪びれずにあの再会第一声を詫び、狛治に余計に呆れられた。

 

 しかも狛治は真木と八重子の二人が帰る際、二人とも自分の目というかまつ毛をガン見して、「本当だ……」と言わんばかりの顔をしていたのに気づいていたので、ジト目で「モグラさん、俺のこと本当にまつ毛しか覚えてないんですか?」と言い出す。

 

「い、いや! そんなわけねーだろ!!

 けどマジで変わってねー……ん? いや、ちょっと変わったか? 顔つきというか……雰囲気が」

 

 狛治の抗議兼疑惑の言葉に、モグラは目を逸らしながら答えて話も逸らすつもりが、話してる内に自分の記憶の「狛治」と、目の前の狛治の違いに気づき、今度はじっと観察するように見つめて首を傾げた。

 

 モグラのそんな反応に、狛治はクスリと笑みを浮かべる。

 その大人びた、落ち着いた反応こそが、モグラの知る「狛治」と現在の大きな違い。

 

 昔の狛治は、いつでもどこか少し居心地悪そうで、好意的に接すれば接するほどに困ったように笑っていた。

 前科者、しかもそこまでして父に生きて欲しかったのに、自分の行いこそが自死という選択を父に決定づけたという過去故に、自己評価が低くて自罰的だったからこそ、自分への好意や幸福に罪悪感を抱いて素直に受け取れない、そんな人物だった。

 

 それが今は、別に自信満々の陽キャとはもちろん言わない、むしろ対極ではあるが、モグラに歓迎されていること、再会を喜ばれていることに対し、居心地が悪そうな様子はない。

 どこまでも自然体、ニュートラルにモグラからの好意を受け取り、微笑む。

 

「……流石に記憶を取り戻して、鬼から人に戻って死んで、呵責も終えて獄卒となり100年以上はもう経ちますからね。変わりもしますよ。

 けどまぁ、俺がちゃんと『変われた』のは、ここ最近なんですけどね」

 

 モグラが精一杯の歓迎のつもりで出した、出涸らしのお茶が入った湯呑みを見つめて、狛治は静かに語り始める。

 自分のことを語る狛治の顔は、モグラが知る自罰的で、好意をどうやって受け取ればいいかわからず困っていた時の面影こそあったが、やはりそれは面影にすぎないほど、今の狛治は大人びていた。

 

「それは良かった……と言っていいもんなのか?」

「良いきっかけだったとは言えませんね」

 

 大人になったと言えば聞こえが良いが、大抵それは、「諦めが良くなった」だとか「妥協を覚えた」の言い換えだ。

 だからモグラの方が昔の狛治のように、困ったような笑みで聞くと、狛治はケロッとした顔で爽やかに即答し、余計にモグラを困らせた。

 

「何というか……、地獄で獄卒をしてようやく思い知りました。

 自分には幸せになる資格がないと、被害者が許してくれているのに自分を責めるのは、生きていてはいけない生物を図に乗らせる愚行だと。

 

 我慢は大切です。どんなに辛くて苦しくても、耐えるべき時はあります。

 ですが、俺が得て当然だと俺以外の周りが思っていてくれていることも、罪悪感で受け取らないのは、それを与えてくれている人、受け取って欲しいと思う人を悲しませるだけではなく、とにかく他者を不幸にしたい、憐れむのすら無駄なゴミカスによって、俺の愚かな自責は誰かを傷つけ、その誰かが得て当然の幸福を、俺のように手放すことにもなると、俺は本当にドブカスによって思い知らされました」

「は、狛治? 狛治くん?」

 

 しかもそのまま、今度はやさぐれたような皮肉げな笑み……ちょっと猗窩座の頃を彷彿させる表情かつ怒涛の勢いで言い捨て、モグラが本気で困惑し、その元凶本人に助けを求める視線を送る。

 

「……失礼。反省をしないというか出来ない、死んでいても生き恥を晒し続ける汚物をつい思い出してしまい、闇がはみ出ました」

「はみ出るどころかフルオープンだったぞ。

 それにしてもマジ死んでも地獄に落ちても反省してねーのかよ、あのアホ道場の連中は」

「………………まぁ、……そうですね。

 去年、EU地獄も巻き込んで第58回汚い花火大会が開催されましたが、まだ俺に文句つけられるのは、したくもないですが少し感心してしまいました」

「何してんのお前と地獄は!?」

 

 モグラの視線に気づき、狛治は一度咳払いをしてから謝罪する。

 それでもまだ闇が出っ放しなのをモグラが突っ込むと、何故か少しだけ妙な間を置いて狛治はまたサラッとカオスな事を言い出し、モグラを振り回す。

 

「やだなぁ、モグラさん。ただの花火大会ですよ、花火大会。

 恋雪さんと俺と三人で見に行ったでしょ?」

「絶対にそれとは違う奴だろ! お前その汚い花火、恋雪ちゃんに見せられるっていうのか!?」

「見せるどころか存在も知らせませんよ」

 

 狛治の繊細だった神経がヤケに図太くなっている事を痛感するやり取りに、モグラが「俺の心配はなんだったんだ……」と思い始めた頃、狛治は猗窩座っぽい笑みから、モグラが知る彼らしい笑みに戻し、ツッコミ疲れで息切れしている彼に言う。

 

「ご覧の通り、死んで更に一世紀ほど経ってようやく馬鹿が治り、この通り獄卒らしく面の皮も厚くなりました。

 だからこそ、あなたに会いに来たんですよ」

 

 狛治の「会いにきた」という言葉で、茶を飲もうとしていた手が止まる。

 コメントしづらい自虐に苦笑することすらできず、モグラは少し黙り込んだ後、湯呑みから手を離して机に両手をつく。

 しかしそれが、謝罪の姿勢だと気づいていた狛治は右手でそれを制し、首を横に振る。

 

「やめてください。

 あなたが俺の謝罪を求めていないように、俺もあなたの謝罪なんて欲しくない。

 ……これは、俺たちが自分自身で飲み込んで、消化していくしかない『罪』です」

 

 モグラの後悔を、許されたいのではなく罰されたいからこその謝罪を、狛治は同じ思いを抱くからこそ受け取らない。

 けれど、「もう気にするな」とモグラから罪悪感を、罪を取り上げることはしなかった。

 

 その事に少しだけ安堵を覚えたが、それでもモグラは引き下がらない。

 

「……狛治、お前が一時的とはいえ俺の『看守』になるってことは、……俺が何者なのか、全部わかっているんだろう?」

 

 モグラの……百暗(もぐら) 桃弓木(ももゆき)の問いに、狛治は姿勢を正して答える。

 

「はい。

 あなたは、手に届く範囲の『人』を見捨てられないが故に、人の道理で神の領分の力を使い、神から人に堕ち、それでも未だどちらに偏ることも出来ない、哀れな終身刑の囚人であることを理解した上で、俺はここにいます」

 

 真っ直ぐ、射抜くように見据えて答える。

 

 その眼に一瞬、モグラは怯む。

 きっとあるはずだと信じていた、あの日、「猗窩座」から「狛治」に一瞬だが確かに戻っていた時にあったものがなくなっている事に戸惑いながら、それでも足掻くように彼は訴える。

 

「俺は……お前を……恋雪ちゃん達を救えたのに! あの場に俺がいたら、お前達を救えたのに!! 救える力があったのに!!

 ……それでもお前はーーーー」

「モグラさん」

 

 狛治は揺るがす、見据え、答える。

 

「あの日……、鬼の俺、猗窩座と出会った時、恋雪さんの名前を聞いて、激昂してあなたを殴殺したのは、猗窩座ではなく俺です。

 鬼の姿と力を持っていましたが、あれだけは間違いなく、『猗窩座』ではなく『狛治』としての行いです。

 俺の、八つ当たりです」

 

 どこまでも穏やかに笑ったまま。

 

「あの時、俺は『どうして?』とばかり考えていました。

 どうして、あなたがあの時いてくれなかった?

 どうして、俺の代わりにあなたが道場にいてくれなかった?

 どうして、あの日のように恋雪さんを助けてくれなかった?

 どうして、俺を説得してくれなかった?

 そんなことばかりを考えて、八つ当たりをしました」

 

 モグラに対し、あの日のようなあの場にいなかった怒りも、助けてくれなかった憎悪も、その眼にはない。

 

(……いや、違う。

 そうだ……あの時も、あの時だって、怒りはあってもーーーー)

 

 モグラは気付く。

 あの時、モグラが逆鱗に触れてしまい、猗窩座を狛治に戻してしまった時、彼は怒り狂っていた、嘆き悲しんでいた。

 けれど、それでも、それでも狛治はーーーー

 

「……俺があなたの正確な正体を知ったのは、獄卒としてだいぶ昇進してからですよ」

 

 狛治は諭す。

 モグラの思い上がりを。

 モグラの過小評価を。

 

「……俺があの時、いて欲しかったのは、『オオカムヅミの弓』という神様でもない。怪我を治して寿命を伸ばすことが出来る灯を持つ仙人でもない。

 ただ、俺の隣に、悲しみに寄り添って、それでも悲しみに呑まれ、落ちることなく、『あの世』と言う形でも未来に希望を抱かせてくれる……、手先も口先も器用なのに、どうしようもなく不器用な生き方しかできないお人好しの……『百暗 桃弓木』という『人間』です」

 

 憎悪など、初めからなかった。

 当時の狛治は、モグラの正体どころか、法師の格好をしていたくせにあまりに生臭坊主だったので、霊が見えるということすら信じていなかった。

 

 だからモグラが想定していた、狛治の願いや期待など思い上がり。

 博識だとは思われていたので、解毒方法などは期待していたかもしれないが、その期待は全部、人間の範疇。

 

 狛治がモグラに求めていたのは、人としてできる事。

 だから、再会した時に八つ当たりをして、どうして、どうしてと今更な事で嘆いたが……憎悪など生じる訳がなかった。

 

「モグラさん。

 あなたは、現在の肉体が破壊され、朽ちれば、御霊が別の死体に乗り移り、生き続けるという罰そのものより、ご遺族からその亡骸を奪い取っていることに罪悪感を覚え、ご自身を嫌悪している事は知っていますし、理解も出来ているつもりです。

 ……それでも」

 

 そしてそれは、今も

 

「俺は、あなたが生きていてくれて、嬉しい」

 

 神から堕ちた罪人のくせに、未だに神様気取りであった事を思い知らされた。

 

「人」の価値を、自分があまりに尊く、眩しくて、守りたいと思っていたはずのものを、過小評価していた事に気づいた。

 

「……日本の神々は、全知全能なんかじゃない。

 人間臭い欠点やそこ意地悪いところも、愚かなところもある。間違いだって、たくさん犯す。

 人と同じように。

 

 人は、何かを得るために何かを失うのと同じく、幸せになる為に必ず何かしらの罪を背負うものだと、俺は自分自身や、裁判で見てきた数多の人々で学びました。

 そしてそれはきっと、神様も同じ。……人に肩入れしすぎて、堕ちた神様なら尚のこと」

 

 モグラの正体を知っても、狛治はその神としての力を使って欲しかったとは望まない。

 どこまでも穏やかに、あの壮絶な過去を受け入れる瞳が、モグラを映して告げる。

 

「だから、モグラさん。

 あなたは、あなたが選んだ『幸福(つみ)』を贖って(あゆんで)ください。

 どんな贖罪でも、俺たち看守が必ず見届け……守り通しますから。

 

 それが俺の仕事ですから、ご遠慮なく無理してください、囚人(めしうど)様」

 

 最後は少しふざけたのか、モグラの正規の看守である浮雲に似た雰囲気の笑みを浮かべて、芝居がかった恭しさで告げるので、モグラは「かぁーっ! この狛犬、可愛げなくなったー!! 遠慮なく無理しろって、年寄り労れっつーの!!」と逆ギレ風味な感想で締めくくり、天井を仰いだ。

 

 神様でなくても、それでも自分の方が年上なのは確かだから。

 涙腺が緩んだ両目から、溢れそうな雫を誤魔化すぐらいの意地を張る。

 

「地獄の黒幕の側近に、可愛げなんて求めないでください」

 

 そんな意地を、気づかないふりしてやるほどに、狛治は確かに「大人」になっていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 それからしばし、雑談というかモグラのあっちこっちにいく話を狛治が軌道修正しながら、浮雲の代理看守としての説明をしていたので、時刻は狛治の帰宅時間に迫っていた。

 

「それではモグラさん、失礼します」

「おー。恋雪ちゃん達によろしく言っといてくれ。

 つーか、盆なら恋雪ちゃんも慶蔵さんもお前の親父さんも来れるだろ。東京案内してやるから、連れてこいよ!」

 

 丁寧に頭を下げて帰ろうとする狛治に、モグラはまだ少し名残惜しそうだが、それでも数週間後にはまた会うのだから、いつもの軽薄に見える明るさで応じ、ついでに狛治の家族も今度は連れてこいと、気前がいいのか図々しいのかよくわからない事を言い出す。

 

 しかしその誘いは普通に狛治にとって喜ばしいものだったので、素直に「ありがとうございます」と答えてからふと、家族からの現世で行きたい所リクエストがあったのを思い出したので、ついでに訊いてみた。

 

「モグラさん、サンシャイン水族館って行ったことあります?」

「お前、俺にそんなとこ行ける金があると思ってんのか?」

「そんな悲しい即答を想定しない程度には」

 

 しかし狛治の問いは、狛治の突っ込み通りあまりに悲しい理由で無意味だった。

 

「水族館に行きたいのか? 恋雪ちゃんのリクエストか?」

「えぇ。恋雪さんはアザラシやペンギンを、あかりはヒメカンテンナマコを見たいらしくて」

「待て、最後の何? 俺も気になる。

 …………いや待て違う!」

 

 貧しさ故に罪人となり、父を亡くした相手からの憐れみの視線に居た堪れなくなって、モグラは話をとりあえず自身の懐事情から離そうと尋ね返すと、狛治は照れ臭そうに笑って答えた。

 前者の答えは想定内だったが、後者のリクエストがマニアックすぎた為、普通にモグラはまずそっちに気を取られた。

 しかしうっかりスルーしかけた情報に、ワンテンポ遅れて気付く。

 

「おい待て! 知らん名前が出てきたぞ! 誰だ!?」

「あとダイオウグソクムシとヤドクカエルも見たいらしくて……」

「誤魔化せると思ってんのか!? いや確かに何でそのラインナップ? ってめちゃくちゃ気にはなるけど!!」

 

 しれっと出てきた知らない名前にモグラは詰め寄るが、狛治は聞こえないふりをして話を逸らそうとする。なかなか気になるラインナップだが、もちろん誤魔化されない。

 というか、本当は訊かなくてもわかっている。

 

 恋雪さえもさん付けの敬称で呼んでいる狛治が、十中八九女性名を呼び捨てなんて、考えられる可能性は一つだけ。

 

 わかっていたが、モグラは狛治から聞きたかった。

 そして狛治だって伝えたかった。会いにきたのは、これを伝えるのが最大の目的だったと言ってもいい。

 

 だけど改めると何だか照れ臭くて、ついつい誤魔化してしまったが、モグラがニヤニヤ笑いながら、ガクンガクンと物理的に揺さぶりまくるのに根負けし、彼は16歳の頃、恋雪との仲をモグラに揶揄われた時と全く同じ照れた赤い顔で、目を逸らしながら答えた。

 

「…………娘です。俺と、恋雪さんとの」

「うん知ってたああぁぁぁっっよっしゃおらぁっ!!

 もしかしてまだ祝言あげてねーのかとも思ってたが、流石にんなことなくて良かった!!」

「まだその時点かもって疑われてたんですか俺!?」

 

 狛治の答えにガッツポーズを超えて昇竜拳をしながら喜び、ついでに流石に失礼すぎる疑いを暴露し、狛治に突っ込まれた。

 だが祝言こそは釈放されてすぐに上げたが、それから100年ほど白い結婚だった事実があるので、狛治はそれ以上何も言わないでおく。

 

「そーかそーか、女の子か! センスが気になるが、生き物好きなんだな!

 どっち似だ? 恋雪ちゃんか? 狛治か? どっちに似ても美人が確定って最高じゃねぇか!

 よっしゃ任せろ! 俺がサンシャイン水族館でも海遊館でも美ら海水族館でも、猫附(ねこづく)家にタカって連れていってやる!!」

「落ち着いてください。むしろ俺がモグラさんを連れて行きますから、うちの子をダシに他の人にタカらないでください」

 

 しかし狛治が黙るとモグラのテンションは止まる事を知らず、一人でどんどん盛り上がって、他力本願な太っ腹を見せ始めたので、狛治が冷静に突っ込んで止める。

 

「落ち着いていられるか! 俺にとって初孫だぞ!! 孫バカジジイのゲロ甘さを舐めんな!!」

「あんたはいつ、俺か恋雪さんの父親になった?」

 

 しかし200年以上の後悔となるほど、期待していた幸福な未来が実現していたことで、モグラの頭の中は春爛漫のアッパラッパーなお花畑となり、訳のわからない主張をし出したので、狛治がついに敬語を投げ捨てて突っ込んだ。

 

「……それに、仮に祖父だとしても『初孫』じゃないですよ」

「え?」

 

 狛治は告げる。

 言わなくていいはずだけど、娘のことを伝えたのなら言わない選択肢などないから。

 

 狛治はどこか悲しげで、困ったように、何かを惜しむように眉をハの字に下げながら…………それでも間違いなく幸福そうに、誇らしげに微笑み、自分の唇の前に指を二本立てて言った。

 

 

 

 

 

「二人目、……ですよ」

 





こういう内容だったので、ネタ自体はかなり早い内にできてたのに、いつ公開すればいいか謎だった話ですが、最高のタイミングで投稿できてホッとしてます。

この連載の予定している本編の最終話エピローグは、この回のあの世サイド、鬼灯様と娘ちゃん視点の予定なので、本当に皆さん気長にお待ちいただけると幸いです。
……アニメの鬼滅が終了と同時期に書けたらいいなぁ。
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