「鬼滅の刃」世界のあの世が「鬼灯の冷徹」世界だったら   作:淵深 真夜

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「とりあえず伊黒さんを説教して、市役所に投げ入れます」

 

 恋雪は自分の死後の裁判を、ほとんど覚えていない。

 特に閻魔庁での裁判は、自分が泣いて取り乱して叫んだ挙句に気絶したということを、後に父から聞かされた情報として記憶しており、自身の実体験としての記憶はほぼない。

 

 記憶にあるのは、脳裏に焼き付き、脳髄にこびりつくのはただ一つ。

 

 浄玻璃の鏡によって映し出された光景。

 現世に遺した狛治が、無惨によって顔面を貫かれ、空っぽなのに終わることも許されない悪鬼に変貌してゆくところ。

 

 最愛の人が自分や自分の父の死で絶望し、喧嘩っ早くはあったがそれ以上に優しすぎる人が絶望と憎悪に呑まれ、人の域を超えた虐殺をする光景すら消し飛び、自分が死んだことの罪悪感を忘れ、恋雪も絶望の慟哭を上げたことだけを覚えている

 

 それだけしか覚えていない。

 それだけしか見ていない。

 

 だから恋雪は知らない。

 

《間もなく列車が発車します。駆け込み乗車はご遠慮ください》

 ガッ!

 

「天土岩戸乗車はセーフですよね? 恋雪さん、どうぞ」

「すみませんすみません! 鬼灯様! 無茶しないでください!!」

 

 自分の慟哭を、背後で聞いたあの補佐官が、どんな顔をしていたかなんて。

 

 恋雪はこの先もずっとずっと、知らないまま。

 

* * *

 

「気を遣わせてすみません鬼灯様!」

「いえ、むしろ私の方が気を遣わせてしまってますね。申し訳ありません」

 

 樒に借りていたレシピ本を返そうと、五官庁がある地区に列車で向かおうとしていた恋雪。

 その列車に走れば間に合いそうだが、気管支が弱い恋雪に急かつ過度な運動は御法度。

 なので諦めようとしていたところ、後ろから猛ダッシュで恋雪を抱えて、閉まりかけどころが閉まったはずの扉をこじ開けて乗車したのは、同じく五官庁に視察しにいく鬼灯だった。

 

 夫の上司の無茶苦茶な乗車方法に、恋雪は引くことすらできず困惑しつつ、それでも鬼灯自身だけではなく、恋雪もつれて列車に乗せてくれたことへの礼を尽くそうとするが、鬼灯はむしろ謝って恋雪が頭を上げるように言う。

 

 恋雪がそろりと顔を上げて相手を伺うと、鬼灯は別に申し訳なさそうではないが、迷惑そうでもない、恋雪もよく知るいつも通りの無表情だった。

 夫である狛治なら、この無表情としか思えない顔から、何かしらの感情を読み取れるかもしれないが、流石に恋雪は狛治から色々聞いていても、鬼灯本人との付き合いはそこらの一般亡者よりは流石に多い程度であり、その程度の関係で考えていることなどわかる訳がなかった。

 

 ……それでも、一つだけわかっていることはある。

 

「えっと……鬼灯様、ありがとうございます。

 あと、あの……前の席、良いですか?」

「どういたしまして。どうぞ」

 

 自分の礼と、列車の座席に向かい合う形で同席を求める言葉に、そっけないが無愛想と言うほどでもない自然体で答える鬼灯。

 どこにも不自然な点はない。それでも、恋雪は知っている。気づいている。

 

 鬼灯は自分に目を合わせることが、ほとんどないことを。

 

 恋雪自身も人見知りで、人と目を合わせるのが苦手だからこそ、割と早い段階で申し訳ないが自分にとって居心地が悪く感じる視線がないことに気づいていた。

 しかし相手は鬼灯。自分と違って人見知りな訳がないと確信していたので不思議に思っていたのだが、狛治の方もさりげないが間違いなく恋雪と視線を合わせない事に気づいて、鬼灯に直接訊いてくれた。

 

 そしてその際、ハッキリと言われたらしい。

 

『実は私、恋雪さんのことが苦手なんですよ。

 悪い意味ではないですよ。単純に彼女のような大人しくて健気で儚げな女性が、そもそも私の周りには皆無なので、どう扱って良いかわからないんです』

 

 その答えには、すんなり納得。

 鬼灯の評価は自分を良く捉えすぎだとは思ったが、閻魔大王の補佐官で、地獄の実質的な最高責任者である鬼灯の周りには、自分のような気弱な女性はいないだろう。

 それに言っちゃ何だが、恋雪にとっても鬼灯は苦手な部類の男性だったが、そんな風に苦手な人物がいたり、どう扱って良いかわからず困ったりする事に親近感を抱き、若干だが恋雪の苦手意識は薄れたぐらいだ。

 

 だが……

 

『……だから恋雪さんは、気にしなくて良いですよ。

 本当に鬼灯様にとって恋雪さんは、力加減を少し間違えたら怪我させてしまいそうな、小動物みたいだから苦手というだけですから』

 

 鬼灯の無表情から、感情を読み取る技能など恋雪にはない。

 けれど最愛の夫なら話は別。

 

 狛治は自分に嘘などつかない。

 剣術道場連中のその後など、恋雪に聞かせたくない、知らせたくないことを隠すことはあっても、恋雪が勘づいて尋ねたら、「教えたくないのです。言いたくないんです。どうか、知らないままでいてください」と真摯に答える人だ。

 

 だから、恋雪に伝えた鬼灯が自分を苦手に思う理由に嘘などない。そこに疑いなどない。

 けれど、隠しているものはあることを、恋雪は知っている。

 狛治の少し悲しげで苦しげな、優しい笑顔。

 それは自分に気遣って、何かを隠している時の狛治の笑顔によく似ていた。

 

 よく似ていた。けれど、違うものだった。

 

 あの笑顔は、恋雪を気遣った笑顔ではなく、鬼灯を気遣っていた所まで、恋雪は読み取っていた。

 

「あの、鬼灯様。改めまして、狛治さんがいつもお世話になっております」

「それはこちらのセリフです。お宅の旦那様には、私の方が常々世話になっております」

 

 向かいに座って、恋雪が深々頭を下げて今更ながら挨拶をすると、鬼灯も丁寧に言葉を返す。

 あまり親しくない恋雪でも、狛治から鬼灯の人柄はよく聞いているので、この返答はいつもよりよそよそしいものである事にも気づいている。

 

「ありがとうございます、鬼灯様」

 

 それでも、恋雪は相手から離れるという気遣いをしなかった。

 心の中で不愉快に思われてないか、不安で心臓を割とバクバクさせながら、それでも彼女は精一杯の勇気を振り絞って、鬼灯と交流することを選ぶ。

 

 夫が気遣ったものの正体が知りたかった。

 出来れば同じものを、狛治と同じように気遣い、守りたいと思ったからこそ、心の距離を取ろうとする鬼灯に近づこうとする。

 

 狛治の「許さない」という思いを、「許した」人だからこそ、恋雪は出来ることなら自分も狛治と同じぐらい、鬼灯を尊敬して慕い、仲良くなりたいと思ったから。

 

「あの……出来れば鬼灯様から見た狛治さんのこと、教えてもらえませんか?」

 

 迷いながら、狼狽えながら、緊張しながら、それでも恋雪は真っ直ぐ鬼灯を見て、世間話に挑戦した。

 

「私から見た狛治さんの話ですか? そうですね……、とりあえず昨日は……」

 

 そんな割と恋雪からしたら決死の覚悟の頼み事を、鬼灯はシロや茄子にねだられた時と同じテンションで、顎に手をやり小首を傾げながら淡々と語り始める。

 

 終始一貫、恋雪とは目を合わせないまま。

 

* * *

 

 昨日の鬼灯が知る限りの、狛治の一日。

 

・就業前、コーヒーを飲みながら伊黒から蜜璃とのデートの行き先を相談され、始業開始まで付き合う。

 

・大王が早速ゲームして仕事をサボっていたので、スマホではなく大王を叩き割ろうとする鬼灯を止める。

 

・不喜処でテンション上がったハスキー獄卒(帰巣本能ゼロ)と、その勢いにつられた伊之助が脱走して行方不明になったので、不死川に頼まれて捜索に駆り出される。

 

・ハスキーは八寒地獄で涼んでいる所を、伊之助は自宅でおやつ食べてる所を無事発見され、伊之助と不死川の取っ組み合いの喧嘩を止める。

 

・昼休み、デートプランを三つにまで絞れた伊黒から相談を受け、昼休み終了まで付き合う。

 

・ハスキー脱走の件で若干の迷惑をかけた八寒地獄に、鬼灯と共に謝罪しに行く。

 

・その際、臛臛婆(かかば)の長に気に入られてヘッドハンティングされかけるが、鬼灯が氷山レベルの氷柱をぶん投げて阻止しようとしたのを阻止。

 

・薬の納品に来ていた白澤に、なぜか持って帰って来ていた丸太サイズ氷柱で出会い頭の挨拶がわりで貫こうとするのを阻止。

 

・烏頭がうっかりで逃したゴキブリ地獄用の改良ゴキ回収を、しのぶに頼まれて駆り出される。

 

・就業後、プランは決まったのにまだウジウジしている伊黒に捕まり、励まし続ける。

 

・鬼灯がそれを見つけ、伊黒に「狛治さんを私情で拘束するな。早く恋雪さんたちの元に帰してやりなさい」と注意をしたら、「いや、あなたもその書類を机に置いて早く帰れ」と、2徹目を割とガチギレされる。

 

・そのまま取っ組み合いのガチ喧嘩をし始めた所、伊黒と本日の礼&詫びでやってきた不死川と伊之助としのぶの四人が狛治側で参戦し、鬼灯は狛治、伊黒、不死川、伊之助の四人がかりで押さえつけられた所、しのぶが睡眠薬を注射して、そのまま鬼灯の私室の布団まで連行。

 

「………………本当に、狛治さんにお世話になりっぱなしですみません!

 っていうか、狛治さんに頼りすぎだろ鬼殺隊!!」

「お、お役に立てているようで何よりです……」

 

 ひとまず昨日の、鬼灯が知る限りの狛治の一日を簡単に話してみたら、ビックリするほど自分も周りも狛治のお世話になっており、思わず鬼灯は自分の膝に額の角が刺さりそうなほど、深々頭を下げる。

 

 そして下げつつ、元鬼殺隊の獄卒にキレ突っ込みを入れた。

 生前の確執が完全なるゼロなのは喜ばしいが、全く無関係と言えるトラブルにも狛治へ協力要請は流石に問題だと判断したようだ。特に、伊黒。

 

「だ、大丈夫です! 大丈夫ですよ!

 狛治さんもハスキー君と伊之助君が無事に見つかって良かったとか、伊黒さんが甘露寺さんと上手くいくと良いとか、すごく楽しそうに昨日も話してくれていましたから!!

 私も、大変そうだけど狛治さんがいつも楽しそうで嬉しいので、気にしなくて大丈夫です!!」

 

 軽くマジギレしている鬼灯にやや怯えながらも、夫も自分も気にしていないと伝える恋雪。

 聖人かな? 気にしろ。

 そんな風に思ってるのが、恋雪でも何となく察せるような深い眉間の皺を刻みつつも、鬼灯は頭を上げてくれた。

 

「……お言葉はありがたいのですが、そうやって甘え続けていたからこそ、この様ですからね。流石に閻魔庁に帰ったら注意喚起をします。

 とりあえず、伊黒さんを説教して市役所に投げ入れます」

「……お手柔らかに」

 

 気にしていないが、改めて第三者視点で見てみたら、狛治は鬼灯とは別ベクトルでワーカーホリックと言える働きぶりなのは確かなので、恋雪は曖昧に笑ってそう答えるしかできなかった。

 伊黒に関しては、恋雪は江戸時代に逆プロポーズをしただけあって、実はわりと「それぐらいした方がいいかも」と思ってるのかもしれない。残当。

 

 しかし少しでも親しくなりたい、相手の苦手意識を薄めたいと思って、一番お互いにとっての共通の話題をあげたのに、更に気を遣わせる結果になった事で、恋雪は内心「どうしよう、どうしよう!」と焦る。

 

(な、何か話題! 鬼灯様に気を遣わせない、鬼灯様が好きそうなお話!!)

 

「わ、私に出来そうな拷問ってなんでしょうか!?」

「ありませんし、絶対にさせません。落ち着いてください」

 

 結果、だいぶテンパった恋雪がとんでもないことを言い出して、鬼灯が冷静に即答。

 言ってから自分でも、「私は何を言っているの?」と羞恥で凹み、真っ赤な顔を俯かせて、「…………すみません」と蚊が鳴くような声で恋雪は謝った。

 

「……そういえば、ご結婚祝いに贈った金魚草はお元気ですか?」

 

 顔真っ赤で縮こまってしまった恋雪を前に、鬼灯は一息吐いてから問いかける。

 そのため息は、面倒だと思われたのか、このやり取りに疲れたのか、恋雪には判別つかない。

 

 しかしどちらにせよ、相手が黙ったのを機に話を切り上げても良かったのに、わざわざ共通の話題を投げ込んでくれたことに、恋雪は申し訳なく思いながらも甘えて、最近ようやく操作になれてきたスマホを取り出して答える。

 

「あ、はい! 紅葉ちゃんも白樺くんも凄く大きくなって、すっかり生前飼ってた鯉より立派になりました。

 でも私たち以上に、父とお義父さんが可愛がって、つい餌をやりすぎてしまうので……」

 

 狛治と祝言を挙げた際に、鬼灯から結婚祝いとして贈られたつがいの金魚草は、初めこそは家族全員で面くらい、「……どうしよう、これ」と途方に暮れたが、今は可愛い家族の一員である。

 そんな父二人の溺愛でまん丸になっている、赤色が多いメスと白が多いオスの写真を、鬼灯は少しだけ楽しそうと思える声音で「ほう、これはまた立派に実って……育って?」と呟きながら、身を乗り出して恋雪のスマホを覗き込む。

 

 が、いきなり鬼灯はグルンと首を別方向に向け、盛大に恋雪をビビらせた。

 そしてそのまま立ち上がり、別の座席の方へズンズン進んだかと思ったら、またいきなり地べたにしゃがみ込む。

 しゃがみ込んで何故か座席の下に腕を突っ込んで、何かをゴソゴソ探る鬼灯を、恋雪だけではなく他の乗客も困惑しながら見ていたが、鬼灯は全く周囲の視線を気にせず、それを引っ張り出した。

 

「にゃぎゃーっっ!!」

「お久しぶりですね、小判さん」

 

 鬼灯が引っ張り出したのは、白黒ブチ模様で小判のような飾りの首輪をつけた猫又。

 二本の尻尾を鬼灯は無造作に掴んで立ち上がり、自分と視線が合う高さまで持ち上げる。

 

「にゃ、にゃははは……、お、お久しぶりですにゃあ、鬼灯様……」

「そうですね。どうやら久しぶりすぎて、私を甘く見たようですが……残念!!」

「み"ゃぁ、ーーっっ!! 何てことしやがるんだあんたは!!」

 

 猫は逆さ吊りのまま、引き攣った愛想笑いを浮かべるが、鬼灯がその間に足でまた座席の下を探って掘り出してきたものを勢いよく踏み潰したのを見て、絶叫ブチ切れた。

 鬼灯が踏み潰したのは、スマホ。

 彼に捕まる前に、それだけは手放すことで座席下に隠して、問い詰められてもとぼけようとしたのだろうが、鬼灯にはお見通しだった。

 

「ほ、鬼灯様!? どうしたんですか!? 猫ちゃんが可哀想ですよ!」

「驚かせて申し訳ありません。ですが、これに気を遣わなくて結構。むしろ警戒がてら覚えておいてください」

 

 何が何だかさっぱりすぎて固まっていた恋雪だが、流石に動物虐待にしか見えないことを鬼灯がやり出すので、彼女も慌てて立ち上がって止めようとするが、鬼灯は恋雪に小判を突きつけて言った。

 

「この猫又は、小判さん。タチの悪いマスコミです。

 今もシャッター音が出ないように改造したスマホで、私とあなたの写真を盗撮していました」

「え?」

 

 言われて恋雪は鬼灯の足元の砕け散ったスマホに気づくが、まだ不思議そうに小首を傾げて目を丸くしていた。

 おそらくは「私と鬼灯様の写真を撮って、何の意味が?」とでも思っているのだろう。

 

 典型的な天国の住人らしい平和的思考で、ゴシップの類に興味を持ったこともないからか、本気で何もわかっていない恋雪に対し、また鬼灯はため息を軽くついてから、ピュアすぎる彼女に教えてやる。

 

「はぁ……。これは私も迂闊だったので責められませんが、男女が二人一緒にいるだけで恋仲だと決めつける人は少なくありません。特に先ほどは私が恋雪さんのスマホ画面を見ようと覗き込んで、お互いの顔を寄せるような状態になっていましたので、上手く構図を切り取ればかなり親密な関係のプライベート写真に見えたでしょう。

 そんな写真を利用して、熱愛だとか不倫だとかそういう記事を作るつもりだったんですよ」

「ふ、不倫!?」

 

 そこまで言われてやっと恋雪は理解し、赤くさせたかと思えば、血の気が引いて青くなると、顔色を忙しく変えつつ主張。

 

「私は狛治さん一筋ですよ!!」

「知ってます」

「え、お嬢さんがあの狛治さんご自慢の愛妻さんだったんですかい!?

 こりゃ、失礼しました!!」

 

 列車の中、鬼灯と小判以外の乗客もそこそこいる中で、唐突な夫への愛の表明に鬼灯はいつもの真顔で即答。

 そして意外なことに小判が、本気で驚いた様子を見せた。

 どうやら狛治が警戒してガードしていた甲斐があり、小判は彼の妻の存在は知っていたし、記事のネタとして興味があったはずだが、ほとんど情報を掴めていなかったようだ。

 

 そもそも、小判は普通の猫だった頃の出来事(肥溜め心中の猫)のせいで、基本的に義理人情など飯の種にもならないとバカにしているタイプだが、だからこそ相手と自分との関係をシビアに見て、許される範囲を正確に見極める猫又だ。

 そんな彼だからこそ、鬼灯によって三味線の材料にされそうになったら止めてくれる狛治は、敵に回したくない。

 

 不倫関係が確定なら、そんな恩は忘れて嬉々として記事にしただろうが、ほぼでっち上げ記事なんて書いたら、この先は助けてもらえないならまだ良い方。

 間違いなく狛治自身が報復に来ることぐらい、小判はマスコミとしての観察力と情報収集、そして動物としての本能で確信している。

 

 なので、今回は本当に狛治の鉄壁ガードが裏目に出て、恋雪を狛治の嫁だと認識していなかったからこそ、「あのカタブツなんだか枯れてるのかよくわからん常闇鬼神に女!? シャッターチャンス!!」と思って撮ったようだ。

 

「いや〜、こりゃ狛治さんが大事にするのもわかる嫁さんですねィ。

 ……それにしても鬼灯様。大事な懐刀な部下の最愛の嫁さんを尊重するのはわかりますが、ちょ〜っと大事にしすぎではニャいですかい?」

「……そういえば、妲己さんが三味線を新調したがっていると聞いたような」

「嘘です嘘ウソ! ごめんなさい! わっちの気のせいです!!」

 

 なのでスマホは破壊したし、今日のところは許してやるかと思った所で、小判が余計なことを言い、鬼灯はバリトンで小判の行き先を決める。

 慌てて小判が謝罪して、自分の宣言と周囲の視線で悶絶していた恋雪も顔を上げ、「さすがにそれはダメですよ鬼灯さま!」と止めたので、舌打ちしつつも尻尾を離し、小判の猫又から高級三味線への進化はキャンセルされた。

 

「わかりました。今回は恋雪さんに免じて、これぐらいで許しましょう。

 ですが、恋雪さんは本当に気をつけてください。

 

 あなたと狛治さん、どちらか片方でも知っていれば、そしてまともな人であれば、不倫だなんてデマを信じることはまずあり得ません。

 ですが、世の中には自分の信じたいことだけを信じる輩が、嘆かわしいことですが非常に多い。

 そういった者達は、自分の信じ込んでいる正しさに酔って、またさらに情報を曲解し、自身を正当化させていくらでも残酷な真似も、愚かな行いもするでしょう。

 

 ……悪いのは、相手です。それは間違いなく。

 被害者側が金銭や労力の負担を被るのは理不尽ですが……それでも、身を守る為に警戒や我慢は必要です。

 一度壊れ、失ったものが再び戻ってくるということは、奇跡に等しいことなのですから……もう失わないよう、お気をつけください」

 

 鬼灯の大袈裟にも思える注意が、彼のいう「自分の信じたいものだけを信じる者」とは誰のことか、恋雪には理解できた。

 

 もう忘れてしまいたいのに、忘れることが出来ない傷。

 

 自分や父が殺された事よりも、狛治の傷になってしまった事の方が許せない。

 狛治が虐殺したことも、毒殺に何の関与もしていなかったとばっちり門下生以外、申し訳ないとは思わない。

 むしろ狛治の手を、父の素流を、あんな奴らの血なんかで汚れたことへの怒りしか沸かない。

 

 そんな奴らは、亡者なら地獄に落ちているので恋雪が関わる事はほぼないと言えるが、あの世の住人である鬼や小判のような猫又、妖怪達の中には、そういう輩がいるかもしれない事を鬼灯は伝え、自衛しろと言ってくれていると理解できた。

 

 あれほど合わせなかった目を、真っ直ぐ恋雪に向けて。

 

 だから恋雪も、まだ羞恥による顔の赤みは抜けきっていないが、それでも姿勢を正し、彼女も真っ直ぐに鬼灯を見据えて答えた。

 

「はい。肝に銘じます。

 −−−−あの人の傷を、これ以上増やさない為にも」

 

 儚げな容姿はそのままに、凛々しく答える恋雪の姿に鬼灯は、昔のことを少し思い出す。

 狛治が無惨によって「猗窩座」に変貌し、空っぽのまま無意味な殺戮を続ける中、彼の側で呼びかけ続けるという役割を持ちかけた時の、「はい、やらせてください!」と即答した彼女は、今の彼女と同じ「強さ」があった。

 

 その「強さ」に目が眩んだように、鬼灯は若干目を伏せて呟く。

 

「……私としては、あなたも傷ついてほしくないんですがね」

 

 その呟きは、狛治の妻だから与えられるおこぼれのような気遣いだと恋雪は判断し、それでも間違いなく嬉しかったから、柔らかな笑顔で「ありがとうございます」と答えた。

 

* * *

 

 列車が駅に到着し、小判は転がり出るように下車。

 

「ニャァ〜……ひでェ目にあったぜィ……。

 にしても鬼灯の旦那、やたらとあの嫁さんに親切というか過保護だったな……。

 こりゃァ、ちょいと突けばいい記事にニャるぞ」

 

 駅のホームの端っこで、ボサボサになった全身を毛繕いで整えながら、先ほどの自業自得と言える災難の愚痴を吐きつつ、懲りない算段を考える。

 

 そもそも小判は、鬼灯と恋雪が側から見たら仲良さそうだったから撮ったのではなく、実はたまたまドア近くにいたので、天土岩戸乗車時点から見ていた。

 しかも間に合わなさそうな恋雪を、鬼灯がわざわざ抱えて乗車したのも見たので、その時は咄嗟すぎて撮る事が出来なかったのが悔しすぎたからこそ、座席下でずっと次のシャッターチャンスを狙っていたのだ。

 

 それぐらい、小判の知る鬼灯とはギャップがある姿だった。

 自分は鬼灯に警戒されて嫌われている部類なので、優しくされた事はほぼないが、基本的に普通の対応をしていれば鬼灯だって普通に対応する、なんなら面倒見が良くて親切なことくらいは知っている。

 

 なので自分が先に乗車し、あと一歩という所で間に合わなさそうだったから、腕を引っ張って乗せてやるぐらいなら小判もスルーしたのだが、明らかに抱えて天土岩戸乗車はやりすぎだ。

 それに加えて、恋雪の天国の住人らしい平和ボケしたところを心配し、長々とだが怒鳴ったり脅すような事は事は言わず、やはり明らかいつもより言葉を選んで注意していたのを深掘りするのは、邪推とは言えないだろう。

 

「にゃふふふ……。部下の嫁に横恋慕ですかい。

 これなら嫁さんの方は、一方的に言い寄られてる被害者として書けば、狛治さんもわっちに文句は言わニャいだろう……」

「なるほど。今回は私に非があるとはいえ、こうやって火のない所に煙を立たせるのですね」

 

 脳内でその邪推をどう記事にしようか、考えながらんべんべと毛繕いをしている背後から、地の底から響くようなバリトン。

 

 ミギャっ!! と小判がきゅうりトラップを仕掛けられたように垂直に飛び上がれば、どうやら同じ駅で降りて見張っていたらしい鬼灯がその頭をキャッチ。

 アイアンクローで猫を持ち上げるという、小判の自業自得でなければ許されないえげつない動物虐待を行いながら、鬼灯は言った。

 

「しかしまだまだ狛治さんを甘く見てますね。

 あの人の優先順位は嫁が一番なのは揺るぎないですが、光栄なことに私のこともかなり好いてくれているので、普通にそんな記事の内容は信用せずブチ切れて、あなたは三味線にすらなれない細切れ爆発四散しますよ」

「にゃ、にゃははははは〜……、さ、流石は鬼灯様。部下の教育も行き届いていらっしゃる……」

 

 またもや笑って誤魔化そうと小判はチャレンジするが、それが通用しない事はわかってるので、慌てて周囲を目配せして、何とか助かる手段を模索する。

 しかし止めてくれそうな恋雪は一緒に降りてはくれなかった(というか鬼灯が下さなかったのだろう)のか側にはおらず、周囲の人々は虐待というか処刑一歩手前な光景にギョッとして注目こそするが、相手が地獄の黒幕で有名な鬼灯であることに気づくと、触らぬ神に何とやら精神で目を逸らして離れていく。

 

 敵は一人なのに完全なる四面楚歌に、小判は焦りまくる。

 だが鬼灯も、刑場で亡者相手ならともかく、ここで小判をいつも通り呵責すると、お縄になるのは自分だとわかっていたので、これ以上何もする気はない。ただビビらせているだけだ。

 

 だが、小判の抜け目のなさも、学習能力はあるが懲りない所もよく知っているので、自分はともかく狛治達の迷惑にならないようにと、丸太サイズの釘をブッ刺しておくことにした。

 

「はぁ……ここで見逃しても、あなたはその記事を諦めないでしょうから、一つだけ認め、そして教えて差し上げますよ。

 あなたの読みどおり、私は恋雪さんをかなり特別扱いしています」

「にゃ?」

 

 ため息を吐きつつ、何故か恋雪を特別に思っていることを肯定する鬼灯に、小判は困惑する。

 ネタの言質を取ったと喜ぶことはできない。小判の猫背には、悪寒が全力疾走しているから。

 

「ですが、恋愛感情はもちろんありません。失礼も承知で言わせてもらうと、恋雪さんはまっっっったく私の好みではありません」

 

 横恋慕ストーカー疑惑記事を書こうとしていたくせに、小判は「そりゃそうだろうよ」と思った。典型的な善人なので嫌いではないだろうが、苛烈な鬼灯が側に置きたい、一生を共にしたいと思える相手ではないことくらい、実は初めからわかっていた。

 だからこそ鬼灯の恋雪への対応が不自然に思えたからこそ、一周回って理屈ではない恋愛以外に説明がつかないと無理やり納得させていただけ。

 

 その謎だった部分を鬼灯は、淡々と告げる。

 

「私、恋雪さんが苦手なんですよ。吐き気がするぐらい」

「……はぁ?」

 

 普通なら過保護なくらい親切にする相手に抱かないはずの感情を口にし、小判は頭を掴まれたまま本日一番困惑の声を上げた。

 しかし鬼灯はその困惑を無視して、変わらず淡々と語る。

 

「苦手なんですよ。身近にいたことのないタイプだから、どう扱っていいかわからないというのもありますが、それは些細なこと。

 本当は、差し向かいて座って会話なんてしたくない、今にも逃げ出したいぐらいだったから、あなたを追って下車したのが本音です。

 ……それぐらい、苦手なんですよ。目を合わせただけで、血も内臓も全て吐き出しそうなぐらいに、私は恋雪さんが苦手です。

 それぐらいの『罪悪感』を抱えているんですよ」

「ざ、罪悪感?」

 

 あまりにも鬼灯らしくない、もはや畏怖の域に達している苦手意識。

 その根幹部分を小判はオウム返しするが、それ以上はもう鬼灯は語らない。

 

 マスゴミに渡したくない情報だからというのは、理由としては小さい。

 ただ単に鬼灯が話せないから話さないだけ。

 自分の罪を責められたくないのではない。むしろ償いたい、謝りたいと常々思っているが、それなのにその罪を懺悔することすら、決死の覚悟を決めてからでないと、喉がカラカラに乾いて声も出ない、絞り出そうとしたら言葉ではなく文字どおり血を吐き出しそうになるほど、それは重く深い傷。

 

 自分が「痛い」という資格などない、それでも痛み続ける傷なのだ。

 

 

 

『いやああああぁぁぁぁぁっっ!!!!』

 

 

 

 恋雪の絶望の慟哭は、それほど鬼灯の胸の内を今も蝕んでいる。

 

* * *

 

 当時の基準なら結婚適齢期の妙齢といえる歳だったが、小柄なのと病弱ゆえの世間知らずさが表情を幼くさせているのもあって、泣きじゃくる恋雪が法廷に入ってきた時点で、罪悪感が凄まじかった。

 

 第五裁判所である閻魔庁に来るには、死んですぐあの世に来たとしても、死後数日は経過している。

 だからこの時点で、彼女が泣きじゃくっている理由である狛治がどうなったかを、鬼灯達あの世側は倶生神からの報告で把握していた。

 

 伝えても余計に彼女や慶蔵が悲しみ、苦しむだけだから、少し落ち着くまで内密にという話も出たが、それは気遣いではなく問題の先延ばしだと鬼灯が判断し、閻魔庁で浄玻璃の鏡を使って見てもらい、そして謝罪すると決まっていた。

 

 非や責任があるとはいえない。

 だけど原因の大きな一端となってしまった鬼灯が、真摯に、誠実に考えて出した結論だった。

 

 それが間違いだったのかどうかは、誰にもわからない。

 慶蔵や狛治は、「先延ばしにされた方が余計に辛かったはずだから、あれで良かった」と言ってくれたが、もっと他にショックを和らげる方法はなかったかという後悔が、鬼灯を苛み続ける。

 

 忘れられない。

 

 狛治が憤怒と絶望と深すぎる悲しみによる虐殺を、真っ白な顔色で泣きながら見ていた恋雪の横顔を。

 

 返り血に塗れてふらつきながら、恋雪がプロポーズした橋までたどり着いた時の、「狛治さん……お願い……やめて……」と嗚咽混じりの自死を案じての懇願も。

 

 そして––––無惨によって狛治の頭が貫かれ、彼が人から悪鬼に変貌する光景。

 

『いやああああぁぁぁぁぁっっ!!!!』

 

 恋雪の、絶望そのものの慟哭。

 

 事前に口頭で説明はしていた。浄玻璃の鏡で見るかの選択だってさせた。

 何かの間違いだと信じたくて、見ると選択したのは恋雪自身なのだから、鬼灯がそこまで責任を感じる必要がないとは、理屈ではわかっている。

 

 けれど理屈ではないのだ。

 理屈ではない、逃げてはいけないものを叩きつけられた。

 自分は「誰かを愛する」ということを甘く見ていたことを思い知らされた。

 

『いやああぁぁぁっっ!!

 返して!! 返してえええぇぇぇっっ!!』

 

 幼く儚げだったのが一転して、髪を振り乱して絶叫し、泣きながら鏡に拳を叩きつけるのを、閻魔庁の獄卒たちも、一緒に法廷に入って映像を見ていた慶蔵も、閻魔大王も、鬼灯もただ見ていることしかできなかった。

 

 落ち着かせるどころか取り押さえることも出来ず、立てかけていた鏡が倒れて割れそうになっても、その鏡の上に乗り、鏡像の無惨に爪が割れて剥がれるほどに引っ掻いて、狛治を解放しようとする恋雪を止めることなど出来ない。

 

 

 

 

 

『狛治さんを返してえええぇぇぇっっ!!!!』

 

 

 

 

 

 愛する人を死よりも残酷な形で奪われた、尊厳を陵辱と蹂躙の限りを尽くされた絶望の慟哭。

 

 結局、恋雪がこの叫びでプツンと精魂が尽きて気絶するまで、誰も彼女に近づくことなどできなかった。

 

 鬼灯は目を見開き、謝りたいのに言葉が出てこない、横隔膜が引き攣り、心臓のバクバクという鼓動が痛くて体が動かないという初めての経験で固まっていた。

 

 あまりに多くの加害者だけではなく、被害者も見てきたのに、鬼灯は彼らの絶望を何もわかっていなかったことを思い知る。

 何も持っていない頃に生贄にされて、たくさんのものを得てからは、何も失っていない。

 そんな自分がどれほど恵まれていたかを、恋雪の狂乱で理解した。

 

 深い深い傷として、刻まれた。

 

 これだけは、「無惨のせいだ」とは思えない。

 あの頭無惨の生き汚なさも、臆病者であることも、そのくせ共感性が皆無だからどれほど惨たらしいことを平然とするかも知っていたのに。

 なのに、逃した。逃して、何もしなかった。

 どうしてあの日、爆発して逃げた無惨の肉片全てを更に粉々にして、日光で焼き払わなかったのかという後悔が離れない。

 

 狛治には恋雪と目を合わせない理由、恋雪が苦手な理由として、この過去を正直に話したが、彼は「悪いのは無惨様であって、鬼灯様は悪くありません。恋雪さん達だって絶対にそう言います」と言ってくれた。

 それが狛治の本音であり、そして恋雪も間違いなく許すのがわかっているからこそ、鬼灯の罪悪感は肥大する。

 

 まだ狛治に対しての罪悪感はマシだ。

 彼にとっての一番の悲劇や絶望は、鬼になったことでも、その後の無意味な殺戮でもなく、恋雪と慶蔵を守れず毒殺されたことであり、これは純粋に鬼灯が全くの無関係だからこそ、罪悪感は薄れないが、許すという判断はまだ納得がいく。

 

 けれど、恋雪の場合。

 一番辛かったのは、絶望したのは自分の死でも、狛治が殺人を犯したことでもなく、鬼にされたことのはずなのに、それなのに鬼灯を恨みも責めもしない。

 善人だからこそ、原因の一端であっても非や責任はないと理解しているからこそ、理屈ではなく心から恨んでなどないからこそ、鬼灯の罪悪感や贖罪の気持ちは宙ぶらりんのまま、軽くなることも薄まることもなければ、納得もできないのに当然だが逆ギレなんかできる訳もない。

 

 だから、鬼灯は恋雪が苦手なのだ。

 鬼灯が嫌う天人道の住人のように、恋雪は鬼灯の罪悪感を勝手に取上げなどしないだろう。

 だけど、責めも恨みもしてくれない。

 間違いなく彼女は、鬼灯が自分を許すにはどうしたらいいかを考え、心を砕いてくれるはず。

 

 その際に、「こんなにも私のことで傷ついて申し訳ない」と彼女もまた、傷つきながら。

 

 それが現状よりももっと嫌だから、余計に罪悪感が増すのをわかっていたからこそ、鬼灯は今のスタンスをずっと続けている。

 

 目を合わすこともできない、可能なら交流を避けるけれど、彼女が困っているのなら放って置けない、本当は話なんてしたくないけど、彼女が望むのなら応じて、そしてあの善良さがまた踏み躙られそうならば、本人に忠告した上で守る。

 

 それだけが、鬼灯に出来る自慰のような贖罪だから。

 

「……小判さん。私は恋雪さんに酷い負い目があるんです。過保護なのは、それゆえの自己満足の償いにすぎない」

 

 鬼灯は小判に、最後の忠告を与える。

 

「だから、よく覚えておいた方がいい。

 ––––あの夫婦に何らかの損害を与えたり、関係に亀裂を入れる目的の記事を書いてみろ。

 その時、あなたの前にブチ切れて現れるのは狛治さんではなく私です。私が、私の立場全てをかなぐり捨てた無敵の人となって、必ずやあなたを破滅と絶望に追い込む」

 

 掴んでいた頭に軽く爪を立てて、ミシッと掴む力を強める。

 頭を掴まれてぶら下げられているので、首肯することもできない小判は、鬼灯からの殺気に失禁しそうになりながらも、「わ……わかっ……た」という言葉を絞り出して、ようやく解放された。

 

 完全に腰が抜けているが、それでも今の鬼灯の側にはいたくないのか、小判は前足だけで這うように離れていく。

 その様子に同情も憐れみもなく、鬼灯はちゃんと釘が刺さったようだとしか思わない。

 

「あれ? 鬼灯様?」

 

 小判が去っていくのをぼんやりと鬼灯が眺めていたら、後ろから声をかけられた。

 

「おや、炭治郎さんですか。お久しぶりです」

「こちらこそ、お久しぶりです」

 

 相手は炭治郎。そのまま二人は、列車が来るまでホームで雑談を交わす。

 

 鬼灯が伊之助や他の獄卒となった知り合いに会いに地獄へというわけではなく、五官庁近くの駅にいることを珍しがって尋ねると、どうやら江戸やら室町やら平安時代生まれがゴロゴロいるあの世では炭の需要がまだまだあるので、天国で続けている炭焼きで出来た炭をお得意さんに配達してきた帰りらしい。

 

 そんな風に会う機会はあまりないが、会うたびに交わしている会話と同じような内容とテンションだった。

 だけど、あの世でも現役な炭治郎の鼻は正確にその「匂い」を嗅ぎ取った。

 

「……あの、鬼灯さん。何か、怒ってます?」

 

 感情を読み取れるほどの嗅覚だが、炭治郎自身は空気を読むのはむしろ壊滅的な為、躊躇いつつも豪速球ストレートな質問となる。

 しかし鬼灯も炭治郎がそういう奴であることはよく知っているので、特に気にした様子もなく、彼は小判に釘を刺していた時と同じく淡々と答えた。

 

「……そうですね。

 怒ってます。怒ってますよ。とても。昔からずっと、私は怒ってます」

 

 怒っている。

 無惨を殺せなかった自分に。

 無惨を逃した自分に。

 逃して特に何もしなかった自分に。

 取り返しのつかない結果を出してから、後悔している自分に。

 その「取り返しがつかない結果」を甘く見ていた自分を、鬼灯はずっと許せない。

 

 そんな鬼灯のシンプルなようで複雑な怒りをどこまで嗅ぎ取っているのかは、鬼灯には想像もつかない。

 けれど、炭治郎は少しだけ傷ましげな目をした。

 

 恋雪が苦手な理由を話した時の狛治のような。

 自分から目を逸らされた時の恋雪のような。

 鬼灯の「怒り」の中に決して癒えない傷を、きっと見つけてしまっているのがわかる……鬼灯がさせたくないのにさせてしまう目だった。

 

 だけど炭治郎は、狛治や恋雪のように困ったような笑顔は向けず、太陽のような朗らかさ全開の笑顔を浮かべて言った。

 

「あの……俺でよければ愚痴はいくらでも聞きますから、あんまり溜め込まないでくださいね!

 それにきっと、俺だけじゃなくて鬼灯様の愚痴を聞く人はいっぱいいますよ! 狛治さんとか、烏頭さんに蓬さんとか、煉獄さんやお館様も絶対に聞いてくれますし、不死川さんが意外と聞き上手だって義勇さんも言ってました!」

 

 良くも悪くもあまり深く考えず、「怒ってるならそれをあんまり溜め込むなよ」程度の気軽さで愚痴を聞くと答えた炭治郎に、鬼灯はほんの少しだけ目を細めた。

 

 同時に鬼灯の怒りの匂いも、少しだけ薄れたから炭治郎は安堵して、更に笑顔を深める。

 

「そうですね。ありがとうございます。

 ただ私は愚痴吐きでストレスをあまり発散できるタイプではないので、無惨の地獄巡りの新作作りで発散させます」

「なるほど! 俺は見ませんけど、お館様とか珠世さんが喜びますからいいですね!!」

 

 こうして突っ込み不在だった為、全然とばっちりじゃない、むしろ妥当すぎる八つ当たりが次回無惨を襲う。

 





実はこの話を最初は映画公開記念として投稿しようかと思ったが、「祝ってねぇな、これ」と気づいてやめた。
でもタイミングとしてはやはり丁度いい話だったので、今回投稿。

そして前回と今回で貯めたヘイトを次回、皆さんお待ちかねの地獄巡りで晴らします。
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