「鬼滅の刃」世界のあの世が「鬼灯の冷徹」世界だったら 作:淵深 真夜
時系列は割と適当。
・1巻1話「鬼VS宿敵 地獄大一番」
等活地獄で、苛立った男の怒声が響き渡る。
「だからよぉ!! ここで一番強い奴連れて来いっつってんの!」
何故か地獄で道場破りのような要求をする男に、獄卒の一人は困り果てた様子で、それでもなるべく丁寧に対応する。
「困りますよぉ~~。そういうことはまず、受付を通していただいて……」
「っかーーっ!! そういうことしか言えねーのかよっ! このマニュアル獄卒!」
しかし獄卒のそういう態度こそが男の苛立ちの種らしく、慇懃に対応すればするほど火に油で、他の獄卒たちも仕事にならず、どうしようかと頭を悩ませていた時……。
「どうしたんだ?」
『! 狛治さん!』
獄卒たちが一斉に「助かった」と言わんばかりの声を上げるので、獄卒にクレームをつけていた男がそちらに視線を向ける。
獄卒たちの反応からして、やっと自分の要求通りの「ここで一番強い
が、その予測は外れてしばし男は呆気に取られる。
やって来たのは、筋肉質ではあるが細身で、その頭には一本もの角もなく、耳の先も丸みを帯びた自分と同じ
黒髪は女性のベリーショートぐらいに短いが、まつげが豊かで長く目も大きいので、その筋肉質な体が隠れる服を着れば女性と間違われそうなくらい見目は整っており、自分は室町時代ではイケメンの部類、今ではちょっとアレな容姿であることを自覚している男は、内心で嫉妬が少し沸き上がる。
そんな男の内心に気付いた様子もなく、狛治と呼ばれた男は小首を傾げて、自分と他の獄卒を見比べ、状況の説明を求めた。
「……これは、どういう状況だ?」
「いや、なんか急にやってきて道場破りのようなことを……」
「…………あぁ、なるほど。わかった。他の獄卒は下がって、俺に任せろ」
尋ねる狛治に先ほどまで対応していた獄卒も、相手が何をしたいのかよくわかってないので、どう説明しようか悩みながら話し始めたら、狛治はたったそれだけで事態を把握したらしい。
流石は地獄の黒幕、閻魔大王の第一補佐官である鬼灯の側近と、獄卒たちは尊敬のまなざしを狛治に向ける。
「何だ? お前は
男は抜身の日本刀を狛治に向けて横暴に命令するが、狛治は真っすぐに男を見据えて言い返す。
「それは出来ない。お前の気持ちはわかるが、ここの鬼は丈夫ではあるが亡者と違って再生できないんだ!!
鬱憤晴らしなら再生する俺が付き合うから、鬼への復讐はもうやめろ!!」
「何にもわかってねぇよ!! 何の話だ!? つーか、再生する鬼っているの!?」
しかし狛治の真摯な説得は、即答で突っ込み返された。
突っ込み返された狛治はまたきょとんとした顔で小首を傾げ、後ろを振り返る。
そして背後の脱力しきってる獄卒たちに訊く。
「……無惨様関係の鬼の被害者が、何か勘違いしてこっちに来たわけじゃないのか?」
「……違います」
どうやら、狛治はあれだけの話で事態を把握したのではなく、盛大に勘違いしていたようだ。
しかしその勘違いは、してもおかしくない。ここ十数年ですっかり見なくなったが、無惨討伐からしばらく後はよくあったのだ。
無惨討伐後の鬼殺隊隊士は、無惨を倒して無惨の鬼は全部奴と一緒に死んだことを知っているので、その後に寿命を迎えて亡くなれば、最初の方はお迎え課の鬼などに敵愾心を懐くが、すぐに無惨の鬼とは無関係とわかって、後は普通の亡者と同じく大人しく従ってくれるのだが、問題は鬼殺隊ではない無惨の鬼の被害者たちだ。
政府非公認の知る人ぞ知る組織な為、鬼の被害を受けて鬼の存在を知っても、鬼殺隊の事は知らないままの人間はもちろんいた。
そして鬼殺隊ではない故に、無惨の鬼に対する知識が中途半端やほとんどない場合が多く、無惨討伐後も鬼の存在に怯えて、もうこの世のどこにもいない鬼を憎み続けた者もいた。
そういう者達が死後、無惨の鬼と地獄の鬼を混同して、襲い掛かったりした事態が昔はよくあったのだ。
なので、狛治はものすごく久しぶりだけど、その類だと思ったのだろう。
もう無惨討伐から100年程経っているが、被害者が自分の子供に鬼の恐ろしさと憎悪を教え込んで、直接の被害者ではないが鬼殺隊並みに鬼を憎みに憎んでいた2世が稀にいたのも、狛治の勘違いに拍車をかけた。
なので、獄卒は脱力した気合いを何とか入れ直して、狛治に再び説明する。
「狛治さん、あいつは桃太郎で……」
「!? 桃太郎!? 本物だったのか!!」
『今更!? っていうか、何で偽物だと思ってた!?』
しかし説明はいきなり悪気なく出端がぶち折られ、説明していた獄卒どころか桃太郎とそのお付きである犬・猿・雉にまで総突っ込みを狛治はもらう。
これは突っ込まれて当然だろう。上記の通り、桃太郎はお付きの動物たちをフルメンバーで連れているし、格好も全力で桃を主張した服装で、「日本一」と書かれた旗まで持っている。
だが狛治はものすごく気まずそうに、ほんのり赤くなった頬を掻きながら答えた。
「いや、偽物だと思っていたというか……ゲン担ぎかと思っていた。鬼退治の」
狛治の天然具合に、獄卒と桃太郎は同時にその場で膝をついた。
ある意味ではピリピリした空気が一掃されたので、狛治の天然グッジョブ! だろう。そう思わないとやってられない。
* * *
「ん? けど桃太郎だとしたら、何で鬼が再生することを知らないんだ?」
狛治が自分の勘違いに恥ずかしがって肩身狭そうにしていたが、相手が「鬼退治」で有名な桃太郎だからこそ、知っておかなくてはおかしい勘違いを桃太郎がしていなかったことに疑問を持つ。
「は? むしろ、再生する鬼の方が普通なのか?」
「いや、現世で鬼退治したんなら、そう思うのが普通じゃないか?」
しかし何故か、桃太郎と狛治の会話は噛み合わない。その原因を知る獄卒が、狛治に耳打ちした。
「狛治さん、桃太郎が倒したのは地獄の
「……あぁ。なるほどな」
今度は獄卒の言葉で、その獄卒が理解していない部分まで狛治は察して納得。
鬼灯に非はなくとも鬼灯の信用に関わるのであまり周知されてないが、室町時代に実は無惨と偶然にも鬼灯は邂逅している。
しかし現世の妖怪扱いだった無惨に、あの世側の役人である鬼灯が捕縛する法などなかったので、本来なら放置するしかなかったのだが、奴の所為で判決が難しい死者が増えまくっている事態にムカついていた鬼灯がケンカを売り、「正当防衛の結果」という建前で奴をあの世に送り込もうとしたのだが、無惨を素手で(現世視察だったので、金棒を持っていけなかった)叩き潰したのが災いして、肉片になっても生きてた無惨に肉片のまま逃げられてしまったのだ。
しかしさすがの無惨も自分をそこまで追い詰めた、自分以外の化け物の存在がトラウマとなったのか、何年も何年も様子見で逃げて隠れ続けたおかげで、室町時代は無惨も無惨の鬼も大人しかった。
が、その後にまた調子に乗ったというか、「人間だから余裕余裕」とでも思ったのだろう。戦国時代後期に縁壱と邂逅し、鬼灯以上のトラウマを負ったのが実に頭無惨らしい。
そんな元上司の馬鹿な遍歴までも思い出して遠い目になりつつ、狛治は今度こそ桃太郎の迷走に説得を試みる。
「なんか、色々勘違いしてすまん。けれど、ここの鬼はお前が退治した悪い鬼ではないのは確かなんだ。
だからバカな真似はやめてくれ。ただ単純に力試しがしたいのなら、終業後でいいのなら俺が付き合う。正直、俺も桃の呼吸や透き通る世界を持つ者には興味があるしな」
「いや待て、まだお前は絶対に勘違いしてるぞ!? 桃の呼吸って何!? 透き通る世界なんて持ってねぇよ!!」
しかし、今度こそと思った説得もまた盛大に突っ込まれ、狛治は目を見開いてポカンとした顔でしばし間を置いてから再び尋ねる。
「……桃太郎だから、桃から生まれたんだよな? もしかして、あれは何かの比喩か?」
「桃から生まれたからって桃の呼吸なんか知らねぇよ!! 吐息が桃の香りなのかそれは!?」
「……肺の動きや、筋肉の収縮をその目で見るように感じ取れはしないのか?」
「俺の目はX線じゃねぇよ!!」
桃太郎としては訳のわからなすぎる勘違いと疑問だが、今度の訳わかってないのは桃太郎側だけだった。
獄卒たちは失望しているような、「そりゃそうだよな」と納得しているような微妙な顔になって桃太郎を苛立たせるが、問うた狛治に至ってはうつむいたまま両手で頭を抱えてそのまま動かないので、本質的に英雄らしく善人な桃太郎は、普通に心配をしてしまう。
「お、おい、あんた。大丈夫か? 色んな意味で」
桃太郎とそのお付きの獣たちに心配された狛治は、「……大丈夫だ」と一言告げてから顔を上げ、また訊いた。
今度は何かに縋るような顔と声音だった。
「…………縁壱って本当に人間なのか?」
「誰だよ!? 知らねぇよ!!」
当たり前だが、桃太郎は全力で突っ込んだ。
* * *
その後、鬼灯により迷走していたプライドがぼっきり折られたのが逆に、一から再出発のいい機会となった桃太郎は、桃源郷の薬屋「極楽満月」に就職する。
そこで、白澤と姉弟子のカナエに鬼舞辻 無惨やその鬼の事、鬼殺隊の事、そして「縁壱」の事を教えてもらった彼は非常に遠い目で言ったそうだ。
「狛治さんの勘違いも疑問も無理ないわ。
桃から生まれた俺がこれなのに、人から生まれた縁壱さんってマジで何なの?」
+ + +
・7巻55話「恨み女の呪い事」
大叫喚地獄の十六小地獄のうちの一つであり、恩を仇で返した者、自分を信頼してくれる古くからの友人に対して嘘をついた者が落ちる。
ここでの刑は、獄卒が罪人の顎に穴をあけて舌を引き出し、毒の泥を塗って焼け爛れたところに毒虫がたかるというもの。
その吼吼処で本日、「日本の恨み女」をゲストに呼んで講演を開くという研修を行っていた。
そして呼ばれた恨み女は三人。
恨み女代表、出典は四谷怪談の於岩。
日本最古の恨み女、出典は古事記のイザナミノミコト。
そして恨み女ダークホース、出典はややマイナーな雨月物語内にある「吉備津の釜」の磯良。
於岩とイザナミノミコトは地獄の、特に獄卒ならば知らないのは恥レベルだが、磯良だけはダークホースを自称するだけあって、獄卒内でも知らないものが割と多かった。
なので鬼灯がざっくりと「吉備津の釜」の内容を説明する。
その説明の最中、雨月物語を読んだことがあるので鬼灯のあらすじを聞き流していた獄卒が、鬼灯の後ろで講演の為のマイクの準備など、雑用をこなしている狛治に違和感を覚えた。
なんか妙に怖いと感じた。
狛治は真面目なので、仕事中や作業中に私語はもちろん、ちょっとした独り言もほとんど言わない。無言で黙々と行うのはいつもの事だが、何故か今日の狛治はまとう空気が怖いのだ。
これが他の者なら、虫の居所でも悪いのかな? で終わる。社会人として自分の機嫌の良し悪しが駄々洩れなのはどうかと思うが、心の問題を隠し通せと言うのもまた酷なので、人に八つ当たりをしてない限りは放っておくのもまた、社会人としてのふるまいだろう。
だが、狛治は元々の性格が温厚な部類であるのに加え、あまりに悲惨すぎる過去や、元上司というべき存在がアレすぎる所為か、常人ならブチ切れる理不尽や不条理な事をされても言われても、「昔よりはマシ」とでも思うのか怒らないのだ。
生真面目で正義感も強いので、その理不尽に対して大真面目に真っ直ぐ戦いはするが、彼個人としては別に怒っていない、気にしていないことがほとんど。
さほど親しくなくてもそういう人であることが知られている狛治な為、彼の明らかにいつもと違う不機嫌というか、怒りを必死で押し殺しているオーラは、次第に獄卒たちが感じ取って徐々に謎の緊張感を孕む空気となってきた。
しかし狛治の様子や、この緊張感に気付いていない訳もないだろうに、鬼灯は狛治に「私情で周りを威嚇しない」という注意もなければ、狛治に配慮する様子もないまま話を続ける。
「地獄の場合、被害者と加害者の線引きって難しいですよね……」
「まぁ、色々例外はありますが、磯良さんの事件に関しては元凶を処罰しましたね」
「オイ!!」
獄卒の感想に答えていた鬼灯に、抗議のような怒声が浴びせられた。
「さっきから聞いてりゃ、一方的な物の見方しやがって……。そいつら自己弁護が激しいだけじゃねーか!!
元凶って何だよ! そんなもん特定できるか!!」
鬼灯に抗議してきたのは、どの時代でも通用しそうなイケメンの亡者だった。
その亡者を見て、磯良は複雑そうに「正太郎さん……」と呟く。
どうやら彼は、妻である磯良から金をだまし取って遊女と駆け落ちして逃げたクズ男かつ、一応は被害者である夫の正太郎らしい。
「磯良~~~~。お前の所為で俺は地獄逝きだ。満足か?」
正太郎は、妻である磯良を睨み付けて恨み言を吐く。
その目にも言葉にも、自分が浮気三昧だったこと、金をだまし取って妻を捨てたことに対する罪悪感はなく、ただひたすらに自分の被害者意識を磯良にぶつける。
「そもそも俺は根っからの浮気性だ、親もそれをわかっていた。
現代じゃ性癖も嗜好も、度を越せば病になる。病と認められれば無罪になることもある。
俺だって苦しかったんだよ!! 何でこんな性癖なのか……!!」
そのままいきなり自己弁護をし出すので、獄卒たちはウザがってつまみ出そうとするが、何故かそれを鬼灯が手で制止。
「みなさん、下がりなさい。そしてメモなど、汚したくないものは仕舞いなさい」
そして訳のわからない指示を静かに出す。訳が分からないが、鬼灯の指示に逆らう者などいない。皆が困惑しながら後ろに下がる。
代わりに一人だけ、前に出てきた。狛治だ。
無言で静かに前に出て、鬼灯の横に並び立った部下に鬼灯は静かに言った。
「狛治さん。良いですよ。どうぞ」
* * *
「あの世の裁判なんて偏見の塊だ! 十王の裁量一つで何故、俺が悪人で磯良は減刑ってことになるんだよ!?」
磯良たちを「自己弁護が激しいだけ」と言っていたが、その発言が完全なブーメランになっている事に正太郎は気付いているのだろうか? いないだろう。だからこそ、これはまさしく自業自得の墓穴。
虎の尾を踏み、竜の逆鱗に触れたことも気づかない愚か者の末路として相応しい。
「――――
一足飛びで正太郎の懐にもぐりこみ、そのまま正太郎を蹴りで高く宙に打ち上げるようにして、連続して跳び蹴りがいくつもいくつも放たれた。
「全く、良い名前の技に反して汚い花火ですね。狛治さんに謝りなさい」
唐突……という訳でもなかったが、それでも獄卒たちにとっていきなりここまで……、人体がまさしく鬼灯の言う通り「汚い花火」となるほどの攻撃を狛治が、地獄の良心と名高い狛治がやらかすとは思わず、唖然とする中で彼に攻撃許可を出した当の本人は、わかっていたが狛治は責めずに汚い花火そのものになった正太郎を責めた。
「……何が、自己弁護が激しいだけだ。何が、一方的な見方だ。
十王の裁判のどこが、偏見の塊だ?」
そして狛治は、爆発四散した体を再生させている途中の大変グロイ状態の正太郎に近づき、まだ半分潰れている頭をわし掴んで、正太郎の主張の最大の破綻部分を静かに、しかし壮絶にキレながら突き付けた。
「浮気性な自分に苦しんだ? お前、何で自分が
むしろ衆合地獄と併用して堕とされていないのなら、お前の性癖を配慮して減刑されてるだろうが!! それとも何か? お前にとって磯良さんから金を奪ったことは、当たり前のことすぎて罪だと認識できてないのか!!
性癖で苦しんだと主張するなら、逆に磯良さんに全財産を遺して駆け落ちしてから言え!!」
正太郎の主張で、獄卒どころか同じ地獄に堕ちた亡者たちもちょっと思っていた正論を、ヒートアップして絶叫しながら狛治は、何度も何度も地面の岩に正太郎の頭を叩きつける。
再生する端から腐ったトマトのようにグチャグチャにつぶれるので、狛治には悪いがたぶん正太郎は聞こえていない。
しかしそれを指摘する勇気のある獄卒はおらず、唯一出来るであろう鬼灯はというと、指摘はもちろん狛治の暴走を止める気ゼロで眺めながら、独り言なのかポツリと言葉を零す。
「……しのぶさんが狸退治当時の『力はないが智慧はある』芥子さんなら、狛治さんは『今現在』の芥子さんってところですかね。
それと、芥子さんより狛治さんは我慢強いですけど、あの人は真面目で善良だからこそ潔癖な所がありますから、芥子さんよりもずっと地雷が多いんですよね。この場合、恩知らずと妻を蔑ろにしたことが地雷でしたね」
その感想で、獄卒たちは気付く。
鬼灯は明らかに狛治を気に入っている。狛治の立場に合っていない優遇などは決して行わないが、キャリアアップの為の機会を多く与えるなど、自分の側近にするための教育を行っているとしか思えない行動が多々見受けられたし、本人もそれを認めている。
そうやって狛治の成長を期待する程気に入っている訳は、彼の真面目さや身体能力の高さなどが理由だと獄卒たちは思っていたが、今の鬼灯の発言と狛治の暴走で彼らは思い出す。
そういえばこの人、真面目なだけの獄卒より色んな意味でぶっ飛んだ奴に期待する人だったことを……。
「……あの子、伊右衛門さまにも会ったらブチキレそうだね」
鬼灯にか狛治にかどっちに引いているのかよくわからない様子の於岩がボソリと呟けば、鬼灯はそちらを見もせずに言った。
「もう既に汚い花火を製造しましたよ」
+ + +
・2巻10話「精神的運動会」
「諸君、今年もこの大会がやってきました。
獄卒大運動会。新卒も先輩も一丸となって楽しんでください」
大王の始まりの挨拶を終えて、狛治は第一種目走者なのでそのまま指定の位置まで移動する。
その際に、見学と応援に来てくれていた家族が声を掛けてくれた。
「狛治ーーっ! 頑張れよーー!! お前だったら鬼にも負けないからなー!!」
「無理だけはするんじゃないぞーー!」
義父であり師範である慶蔵が、豪快に声を上げて声援を送り、続いて実父が心配そうだが、それでも楽し気に声を掛けてくれた。
「ほら、恋雪! お前も声を掛けろ!! お前が応援したら、それこそ狛治は絶対に1位を取るぞ!!」
そんな家族の声援に、照れくさいが泣きたくなるくらいの幸せを感じて獄卒関係者応援席の方に顔を向けると、慶蔵が大声で娘の恋雪にも声を掛けるように言うので、娘と義理の息子を同時に羞恥で顔を真っ赤にさせた。
娘はおおらかすぎる父親の肩やら背中やらを真っ赤な顔でぺちぺち叩いて、怒りを示す。
けれど、まだ顔を照れと羞恥で真っ赤にしながらも、彼女はか弱い気管支で精一杯、叫ぶ。
「は、狛治さーん! が、頑張ってくださーい!!」
愛妻のあまりに可愛らしい応援に、今すぐに抱きしめたい衝動を何とか押さえてつけて、狛治は所定のスタート位置につく。
その際、周りの獄卒たちに拝まれていたことを鬼灯が拡声器で、「はーい、狛治さんと恋雪さんの尊さを拝むのはいいですけど、そこ、お賽銭投げない。『病人が一番辛いのに、何で謝るんだ?』と素で言えるようになってから、恋雪さんのような嫁を欲しがりなさい」と注意されるまで気付かなかったし、気付いたら余計に顔を上げられなくなった。
ところで、狛治は地獄の運動会に参加するのは初めてだったりする。
今までは裏方に徹していた。鬼と
なので、大会委員長の鬼灯が加えた「一工夫」が何であるかを全く知らなかった。
知らないまま、狛治は後輩の唐瓜や茄子と一緒に第一種目「借り物競争」のスタートを切る。
スタート合図がライカンピストルではなくバズーカーであることに、「鬼灯様、何してんの!?」と内心でドン引きながら。
しかし、スタート合図で腰を抜かす獄卒もいる中、狛治は引きつつもトップを独走し、真っ先に借り物のお題が書かれた紙の所まで辿り着く。
それを拾い上げて裏返し、自分が借りるものが何であるかを読み取って理解して…………、そのまま固まってしまった。
「狛治さん!?」
「「おい、どうした狛治!!」」
その場で石のように硬直した狛治に、応援席の実父&義父、そして嫁は彼を案じて声を上げる。
その声が、狛治を動かした。
彼らの期待に応えたいという、狛治の想いが上回ったのだ。
「……鬼灯様。ちょっと阿鼻地獄まで行ってきます!!」
「行かなくていいです。っていうか、連れて来られても迷惑です」
本部席の鬼灯に、自分が引いたお題である「パワハラ上司」という紙を掲げて、決死の覚悟で宣言した狛治に鬼灯は冷静に突っ込んだ。
* * *
その後も、唐瓜は「好きな
しかしそうなることを初めからわかっていた鬼灯は、彼らの「勘弁して!!」という切願をマルッと無視して、一番よりにもよってなお題を引いた狛治に対してだけ対応する。
「あー、あなたがそれを引きますか。前の上司ではなく、今現在の上司でパワハラだなと思う者を連れてきて欲しいのですが……、
仕方ありません。他のお題を私が引きますので、それを借りてきてください」
「あ、はい! わかりました!!」
もうこんなお題を出す時点で鬼灯も十分パワハラ上司だろうが、阿鼻地獄から連れてこようと考えた無惨と比べたら、こうやって妥協案を出してくれるだけで狛治にとっては鬼灯の言う通り、菩薩レベルの恩情だ。
しっかりしろ、狛治。洗脳されてるぞ、狛治。
そんな事を周囲の獄卒たち思われつつ、鬼灯が余っていたお題の紙を適当に引く。
そして、今度は鬼灯が固まってしまった。
「……鬼灯様?」
困惑というか恐る恐る尋ねる狛治に、鬼灯は思わず固まってしまったお題を読み上げる。
「…………『死ぬほどウザい同僚』」
「………………孤地獄、行ってきます!!」
「だから迷惑ですのでやめてください。元じゃなくて今の同僚でお願いします」
「同じ地獄にいます!!」
「そうでした。真に申し訳ありません」
あまりの引きの悪さに、鬼灯もつい謝ってしまった。
最終的に鬼灯が「もう好きな人でいいです、嫁をお姫様だっこしてゴールしてください」と言い出し、狛治は半ばヤケクソで、だけど嫁に対しては繊細なガラス細工を扱うように丁寧に抱きかかえて、「誰かのヅラ」というお題を何の躊躇もなくもぎ取ってきた茄子に続いてゴールした。
なお、狛治はこの大運動会がリハだと知らない。
次回はたぶん皆様、お望みお待ちかね、無惨様の楽しい十六小地獄めぐりです。
八大地獄の小地獄をぜんぶめぐるよ!
最初は7つしかどんな地獄かわかってない等活地獄と、名前さえも3つしかわかってない黒縄地獄編。
個人的に一番面白いことになるのは、焦熱地獄編だと思う。この回だけ、ゲストがいる予定。