「鬼滅の刃」世界のあの世が「鬼灯の冷徹」世界だったら   作:淵深 真夜

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昨日(1/31)の愛妻の日に更新したかったけど、やっぱり無理だった。
火曜日に半分くらい書いたのが消えなかったら、いけたかもしれないのに……。途中まで書いたのが消えるってショックすぎて、一気にモチベがなくなりますよね。
もう無惨の呪いかと思った。


「あなた達はもう結婚してるでしょ」

「は~い。今から裁判行く人はこっちの道なき暗い方よ~」

「そこに案内図があるから良くご覧なさい」

 

 地獄と天国、現世と常世を繋ぐ狭間の門番である牛頭と馬頭が、いつものように亡者たちに声を掛けて案内していると、天国の門から小柄な人影がテコテコと可愛らしく歩いてくる。

 その人物に気付き、牛頭と馬頭は楽しげであり微笑ましげでもあり、何より羨望を込めて話しかける。

 

「あらっ、やっだ~! 恋雪(こゆき)ちゃんじゃないの~!」

「ちょっと久しぶりね~!」

「こんにちは、牛頭さん、馬頭さん」

 

 紅梅色の着物に身を包み、雪の結晶のかんざしを付けた愛らしい少女、だが夫一筋数百年の既婚者である恋雪は自分の3倍はある巨体の獣面人身に臆した様子もなくにこやかに笑いかける。

 そんな恋雪に牛頭馬頭たちもほがらかに笑いながら、亡者がちょうど途切れているのもあってそのままガールズトークを開始。

 

「今日はどうしたの? 忘れものでも届けに来たの? それとも狛治さんが早帰りだからデートかしら?」

「あ、い、いえ……。今日は一日中内勤だと言ってましたので……、お、お昼をその……一緒に食べさせてもらおうかと……」

 

 馬頭が恋雪の用事、完全に地獄に用ではなく彼女の夫に用があると決めつけて尋ねると、恋雪は着ている着物と似た色に頬を染めて、弁当らしき包みを抱えてもじもじと答える。

 どうやら現場での拷問やら裁判の雑事、他の十王庁への出向などで、決まった時間に食事がとれないことが多い狛治が、本日は一日中デスクワーク予定な為、一緒に昼食を取る約束でもしていたようだ。

 

「や~ん、もぉ~! 相変わらずラブラブで羨ましいわ~」

「狛治様が旦那様ってのも羨ましいけど、こんなに可愛くて健気な恋雪ちゃんがお嫁さんってのも羨ましいわ~!」

 

 恋雪の初々しい様とひたすら尊い夫婦の予定に、牛頭と馬頭も自分の身を両腕に抱き、くねくね悶えるようにして地獄で評判の癒し系夫婦に萌える。

 二頭に悪気なく囃し立てられて、恋雪は更に顔を赤くして俯いてしまうが、その口元は笑っている。気弱で恥ずかしがり屋なのでこういう状況は苦手だが、狛治を褒められること、そして自分がそんな狛治の嫁であることを「羨ましい」と言ってもらえることが、何より嬉しいのだろう。

 

 その後もしばし牛頭馬頭に恋雪は囃し立てられたが、また亡者がやってきたので話を切り上げる。

 

「あ、お仕事中なのにすみません」

「いいのよぉ~。気にしないで~」

「今度は一緒にゆっくりお茶しましょうね~」

 

 二頭に頭を下げて、恋雪は地獄の門を通り、100年近く通い慣れた道を恋雪は歩く。特に今日は牛頭たちから褒められたから、気分は上々。

 しかし閻魔庁に近づくにつれて、真っ直ぐ上げていた恋雪の顔が俯き加減になり、上がっていた口角も下がってしまう。

 もちろん好きで好きでたまらず、実は未だに5秒以上真っ直ぐ顔を見ることなど、よほどの覚悟を決めてないと出来ない夫に会いたくない訳はない。

 むしろ夫が、狛治が好きすぎるからこそ恋雪は時々、情緒不安定になる。

 

 先程、牛頭馬頭に褒められた、羨ましいと言ってもらえたのは嬉しかったが、今はその反動で卑屈な思いが胸の中にモヤモヤとたまり、頭の中で自問自答がぐるぐる回る。

 

 本当に自分は狛治に相応しいのか?

 自分が狛治と結婚したいと言わなければ、狛治は自分自身を一生許せない罪を負わずに済んだのではないか?

 自分が父や狛治に守ってもらうだけの弱者でなければ、何もかも終わってしまったはずなのに、あんなにも惨い「続き」を空っぽのまま行う約束など交わさずに済んだのではないか?

 

 自分の看病疲れによって母親が自殺してしまった過去を持つ恋雪は、自己評価がどうしても低い。それに加え、剣道道場からの外道極まりない行いと、狛治のあまりに悲しい凶行が、死して魂だけの存在になって尚、癒えぬ傷として痛み続けている。

 狛治と再会し、生前叶わなかった夫婦として過ごしてもう100年。寿命が延びた現代人でもあり得ないほど長い年月一緒にいても、恋雪は幸せだからこそ不安になって悩み続けてしまう。

 

(いけないいけない! こんな考えは狛治さんに失礼だ!

 私自身を卑下にするってことは、私の求婚に応えてくれた、私を選んでくれた狛治さんの価値を貶めていることになる。そんなのはダメ!)

 

 しかし、それでも数百年ものの洗脳をされていた夫を、愛で無惨というブラック企業から寿退社させただけあって、恋雪は芯がとても強い女性だ。

 自分のことは好きになれなくとも、それが狛治を侮辱することだと思えば俯いていた顔が上がり、せめて夫に心配をかけぬように、陰気な嫁だと周りに思われぬように背筋を伸ばして、顔見知りの獄卒に挨拶を交わしながら、関係者以外も利用可能な食堂まで歩く。

 

「あら、恋雪ちゃん。お久しぶり」

「あ、お香さん。お久しぶりです」

 

 その途中、恋雪にとって理想の大人の女性として憧れているお香と出会う。

 

「今日はどうしたの?」と尋ねられたので、恋雪は牛頭馬頭たちの時と同じように照れながら予定を告げると、お香も彼女たちと同じように微笑ましそうに笑いながら、持っていた巻物を掲げて言った。

 

「狛治様なら、たぶんまだ法廷でしょうね。午前の裁判はもう終わってるけど、あの方のことだから鬼灯様の手伝いをしていると思うわ。

 私はこの書類を鬼灯様に届けに行くところなんだけど、良ければ一緒に迎えに行く?」

 

 お香の提案に初めこそ恋雪は遠慮して断ったが、お香はやんわりと自分がすることは変わらない、迷惑などではない、迎えに来てくれたら狛治はきっと喜ぶと、恋雪の遠慮を丁寧に剥がしていって、最終的に恋雪は控えめに頷いた。

 

 お香は知らないが、実は恋雪がお香の誘いを断ったのは遠慮だけではない。

 恋雪は自分の死後の裁判がどのように進んだかを覚えていない。その時は現世に遺した狛治の事で、泣き続けていた記憶しかない。しかし狛治の凶行と、無惨による残酷すぎる死の延長を知ったのは閻魔庁だということだけは覚えていたので、恋雪にとって閻魔庁の法廷はある意味トラウマそのものだった。

 

 そんな苦い記憶が蘇る場所だから忌避感があったのだが、狛治が家で閻魔庁の仕事をいつも「やりがいのある仕事」と笑って語っていたことを思い出し、自分のトラウマが少しでも上書きされることを期待して、そして何より1秒でも早く会いたい、1秒でも長く一緒にいたいという気持ちが抑えられなかったから、お香の言葉に甘えて恋雪は法廷まで足を運ぶ。

 

 そして、お香が開いた扉の向こうで目撃してしまう。

 

「ねぇ、狛治様。たまにはあなたがエスコートして欲しいわ」

 

 夫の腕に抱き着く、金髪ショートカット巨乳の超美人を。

 恋雪は抱えていた弁当を落とし、その場で固まった。

 

 * * *

 

 物を落とす音に反応して、狛治が自分の腕にしがみついて離れない女から、「面倒くさい、しつこい、うんざり」といった感情を隠す気がない表情のまま、そちらに顔を向ける。

 そして音の出所が誰であるかを理解した瞬間、狛治の顔から血の気が一気に引いた。

 

 サアァァァァッッ! と音が聞こえそうな勢いで真っ青になった狛治が、もはや外交や女性に対する礼儀など彼方に投げ捨てて、EU地獄ベルゼブブ長官夫人のレディ・リリスを引きはがし、ダッシュで自分と同じく真っ青な顔色で、今にも泣きそうな愛妻に駆け寄り、言う。

 

「ち、違います! 違うんですよ、恋雪さん!! 違います! 本当に違うんです!!」

 

 狛治も既に涙声でパニくっているのか、彼女が何者なのかといった説明が出来ず、ただひたすらに「違う」を縋るように連呼する。

 そして恋雪の方も、実は初めから誤解などしていない。というか、「夫に好意を向ける超美人」という存在だけで、自己評価が最低に近い恋雪はショックのあまり思考停止していたので、そこから「夫の浮気」という発想に発展していなかった。

 

 しかし狛治が泣きそうになりながら「違う」と主張することで、浮気だとも思っていなかったのにただショックを受けた自分を、狛治を信じてやれなかったとネガティブに責めて、彼女もまた両目に涙をにじませて、「ご、ごめんなさい! 狛治さん、ごめんなさい!!」とこちらは謝罪を連呼。

 

 そして、恋雪と似た過去を持つ狛治もまた自己評価が低い為、嫁の謝罪が更に罪悪感を煽って「謝る必要なんかありません! 恋雪さんは何も悪くない! 悪いのは俺の方だ!!」と彼も主張して謝りまくる。

 狛治が謝れば恋雪も「いいえ! 私が悪いんです! 狛治さんを信じられなかった私が!!」と、もはや何の勝負だ? と訊きたい謝罪合戦が続く。

 

「お、落ち着いて二人とも! ほら、お弁当も落としちゃったから拾わないと……」

 

 互いに自己嫌悪で泣きそうになりながら、自分が悪いと主張し合って謝りまくる夫婦に、ある意味元凶その1であるお香が何とか仲裁しようと声を掛ける。

 言われて二人は、「狛治さんのお弁当を落としてしまった!」「恋雪さんに弁当を落とさせてしまった!」と、これまた夫婦仲良く自分を責めて、せめて早く拾い上げないとでも思ったのか、二人同時にしゃがみ込んで手を伸ばしたので、その手はお互いの指先に触れる。

 

 そして触れた瞬間、二人は弾けるように自分の手を引く。

 ……信じられないというか予想通りというか、この夫婦は100年たっても事前に覚悟を決めてから、「手を繋いでいいですか?」と訊いて、相手から了承をもらってから手を繋ぐのだ。つまり、不意に触れたらいつもこんな感じ。

 

 いつも通りなのだが、この時は互いにネガティブスパイラルにどっぷりはまり込んでいる状態な為、どちらも「触れられたくないと思われるほど嫌われた!?」「触れられたくないと誤解されてしまう!」という不安と後悔で頭が一杯になり、ついに恋雪の涙腺が決壊してしまう。

 

 最愛の女性の涙を目にして、何度も誓ったのに全く守れていない、恋雪を泣かせない、守り抜くという誓いを果たせない弱い自分を殺してやりたい気分に陥りながらも、心の弱さゆえに最悪の結果と続きを迎えた生前があるからこそ、狛治は自分の後悔と不安と弱音をねじ伏せ、一度引いた自分の手で恋雪の両手を掴み、包み込んで叫んだ。

 

「俺が好きなのも、愛しているのも、結婚したいのも、恋をしているのも恋雪さんだけです!!」

「!? わ、私も狛治さんと結婚したいです! 狛治さんがいいんです! 狛治さんじゃないとダメなんです!!」

「あなた達はもう結婚してるでしょ」

 

 自分の弱さをねじ伏せた結果が、狛治の急に熱烈すぎる告白宣言であり、恋雪もつられてこれまた熱烈な返答をし、そして実は最初からいる鬼灯が冷静に突っ込んだ。

 

 鬼灯の突っ込みで、ある意味二人の世界に没入していた狛治と恋雪が我に返る。

 そして現実を認識し、自分たちが鬼灯やお香、リリスや閻魔大王、他の獄卒たちなどから気まずげだったり困惑だったり微笑ましそうだったりな視線を向けられている事にようやく気付き悶絶。

 

 お香や大王はもちろん、流石の鬼灯も真っ赤になった顔を両手で覆い隠して固まっている二人に何を言えばいいのかわからず、しばし法廷内に沈黙が満ちる。

 その沈黙は、ぷっと吹き出す声音がきっかけで破られた。

 

「ふふっ! あははははっ!

 あー、おかしっ! けど、納得! 狛治さまがアタシになびくどころか、いつも迷惑そうな訳だわ!」

 

 我慢しきれないと言わんばかりに腹を抱えてリリスは笑い、笑い過ぎて出た涙を指先で拭う。

 そんな彼女を一度睨み、鬼灯は疲れたような溜息を一度吐いてから、困惑している恋雪に彼女を紹介した。

 

「恋雪さん。彼女はEU地獄長官の奥方で、誘惑の悪魔であるリリスさんです。

 狛治さんがしがみつかれてもそのままにしてたのは、外交とかを気にして遠慮していたからで、彼はリリスさんと二人きりになったことは数分程度さえもないですよ」

 

 鬼灯の説明で元々狛治のことを疑っていた訳ではない恋雪は、相手が他国の要人であることを理解して、安堵どころかまたしても顔色を悪くなる。

 恋雪が「夫の仕事の邪魔をした」という罪悪感のあまり、その場で土下座しかねないと思ったのか、狛治は妻を庇うように前に出て「お、お見苦しい所を見せてすみません!」と先手を打って謝った。

 

「気にしないで。アタシの方もごめんなさいね。えっと、恋雪ちゃんだったかしら? あなたの旦那様に馴れ馴れしくして。

 けど大丈夫よ。狛治様はとっても素敵な殿方だから、日本に来るたびに誘ってるんだけど、一度もいい返事どころかいっつも迷惑そうにあしらわれてるの」

 

 そんな二人の様子を微笑ましげに笑ってリリスは、掌をひらひら振って自分に対する無礼は不問にし、自身の非も一応ちゃんと謝った。

 本心から気にした様子がないことに恋雪はホッとするが、自分の不始末を全部夫にフォローされている至らなさが、また自己嫌悪として積み重なる。

 

「ごめんね、恋雪ちゃん。せっかく来てくれたのに、驚かせて。狛治君、お昼行っておいで。ゆっくりでいいからね」

「! いえ、大王様! 俺はまだ仕事が残って、恋雪さん、すみませんが待って、いや待て違う先に食べててって食べ終わった後はどうするんだ」

「落ち着いてください、狛治さん。気にせず、恋雪さんと昼食をとってきなさい。約束していたのでしょう?」

 

 狛治の後ろでまた自分を嫌いになりながら俯いていたら、閻魔大王が優しく笑って自分たちを気遣ってくれた。

 狛治の言葉からどうやらまだ仕事が、それも急ぎらしいものが残っているようで、狛治は仕事と恋雪との約束に板挟みになって軽いパニックを起こし、鬼灯がそれを宥めて大王と同じく「気にしなくていい」と言ってくれる。

 

 しかしそこまで気遣われたら、狛治も恋雪も真面目だからこそ、その厚意は受け取れない。

 だけど待っても弁当だけ渡して帰っても、互いが「約束を破った」「迷惑をかけた」と思って気にすることをわかっていたので、夫婦は結論を出せずにワタついている所、パンと高い音が響く。

 

「恋雪ちゃん。待っている間、暇ならアタシの相手をしてくれない? ちょうど、新作コスメのサンプルをいくつか持ってきてたから、モニターになって欲しいのよ。

 ね? 狛治様もいいでしょ? あなたの仕事が遅れて残ってるのは、急に来たアタシの所為なんだから、奥様に迷惑かけるようなことはしないわ」

 

 手を叩いて朗らかに「名案!」と言わんばかりのリリスが提案する。

 リリスは悪魔だが、無邪気で天真爛漫な性格であることを狛治も知っているので、提案自体に悪意を疑っていない。本心から恋雪に興味を持ったのと、自分の自由さで迷惑をかけているお詫びだとわかっている。

 しかし、彼女の悪魔としての本分からして、悪気なく余計なことを吹き込みかねないので、ちょっと嫌な顔になる。

 

 だが、お香が「私もお付き合いするわ」と言ってくれたのと、恋雪が「私は肌が弱いので……」と遠慮していたが、リリスの「新作コスメ」という単語に一瞬だけだが反応したことに、狛治はしっかり気付いていた。

 

「あら、だったらなおさら好都合よ。子供とか化粧に興味を持ち始めた子にお勧めする新シリーズを展開しようと思って作ったサンプルだから、全部肌に優しい成分で出来てるわよ」

 

 恋雪の遠慮にリリスがにこやかに言ったフォローがトドメとなって、狛治は折れてリリスに恋雪を頼む。

 しかし恋雪の方はまだ、遠慮の塊だ。化粧にもリリス自身にも興味がある為、リリスの提案を嬉しく思っているのは本心だが、人見知りなので初対面のリリスと憧れの人お香は、恋雪にとって緊張で何を話せばいいのかわからないので、遠慮しておきたいのもまた本心。

 

 だが、狛治の何気ない素の発言で恋雪はもう何も言えなくなって、そのままニマニマ笑う女二人に連行されていった。

 その、恋雪を一撃ノックアウトさせた狛治の発言がこちら。

 

「けど、恋雪さんがモニターでいいんですか? 地が綺麗だから、化粧の効果が全くわからないでしょう?」

 

 恋雪の死因:夫がイケメンすぎた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「はーい。こちらがリリスのルージュの新シリーズ。リトル・エンジェルシリーズよ」

 

 食堂の一角でリリスが持ってきていた新作コスメを並べ、紹介する。

 そのシリーズ名にお香が「悪魔なのに?」と、恋雪も真っ先に思ったが言えずにいたツッコミを入れてくれた。そしてリリスはケラケラ笑って、「悪魔は元がだいたい天使なんだから、子供向けがエンジェルはふさわしいでしょ?」と返す。

 納得していいのかどうかよくわからない理屈だが、深く考える意味もない話題なので、お香はさっさと話の方向をコスメに移す。

 

「今までのとは違って、全部可愛らしいわぁ。恋雪ちゃんにとっても似合いそう」

 

 リリスが「子供向け」と言うだけあって、そのコスメは蠱惑的なイメージが強い、今までのリリスのブランドとは対極のパステルカラー基調で可愛らしいデザイン。お香の言う通り、恋雪に似合いそうだ。

 子供向けが似合うなんて怒ってもいい評価かもしれないが、実際にそれは恋雪の好みど真ん中な為、まったく気にせず目をキラキラと輝かせてコスメを見つめている。

 

 だが、恋雪は最初に遠慮した通り肌が弱く、結構前に貰い物の白粉で酷くかぶれたこともあってか、未だに遠慮というか少し怖がっている様子が見て取れた。

 その事を察してお香が、リリスに詳しく化粧品の成分などを尋ね、リリスも道楽半分とはいえ自分で立ち上げたブランドに誇りを持っているからか、しっかり天然由来の材料でアレルギーチェックも厳しく行ってクリアしている事を説明。

 それを聞いて、恋雪はようやくホッとしたように淡く笑って、遠慮しがちだがコスメを一つ一つ手に取るようになる。

 

 ちなみに恋雪の肌が弱いのは事実だが、肌がかぶれた原因の白粉は、かぶれやすい成分をわざと混入したものだった。

 それを渡したのは、衆合地獄の獄卒。誘惑係の鬼女が亡者ではあるがイケメンで、鬼灯など上層部からの覚えが良くて将来性ありの優良株である狛治に目を付け、恋雪に嫌がらせとして「お香から渡してくれと頼まれた」と騙して使わせたものという真相があったりする。

 

 もちろんこの嫌がらせはすぐにばれて、狛治は生前のトラウマを盛大に踏み抜かれた為ガチギレしたが、同時にそのトラウマ故に女性には手出しできない為、生前の罪状を繰り返すことは幸いながらなかった。

 というか、狛治が恋雪のフォローをしている間に鬼灯とお香が先にやらかして、狛治が真相を知ってキレた時には、狛治も満足な末路を元凶が既に辿っていた。

 

 被害者がお気に入りの部下の愛妻という私情を抜いても、その鬼女のやらかしは鬼灯の立場として看過出来る物ではなかったので、遠慮も躊躇もなく鬼灯はその鬼女をフンコロガシ課に丸1年間お左遷し、その後も鬼女にとって花形である衆合の誘惑係に戻さず、鬼女の間で一番不人気部署の屎泥処で今も雑用係をさせられている。

 

 辞めればいいのにと思うかもしれないが、その逃げ道はしっかりお香が潰している。

 彼女は女性の噂ネットワークを駆使して、老若男女問わずに鬼女の悪評をしっかり広めて周知させた為、鬼女の「毒殺された美少女亡者に毒白粉を騙して使わせた外道」という悪評が届かない地は、おそらく八寒地獄くらいしかない。

 なので下手に辞めて逃げても、余計に自分の悪評が広まるだけと判断する頭くらいはあったのか、その鬼女は真面目に雑用をこなし、お香に「反省している」という評価を広げてもらうことを期待しているようだ。

 

 一応、本当に反省しているようならちゃんとそうするつもりだが、まだまだ反省がお香の合格ラインに達していない鬼女のことは忘れて、お香はニコニコ笑って姉のような心境で、リリスからコスメの説明を真剣に聞いている恋雪を眺める。

 相手が勝手に自分の名前を使っただけとはいえ、年頃の女の子が興味はあるのに化粧がトラウマになる一因は自分だと思っていた為、今の楽しそうな恋雪はお香にとって救いでもあった。

 

 しかし、お香は知らない。

 実は恋雪にとって化粧がトラウマなのは、その嫌がらせによるかぶれの割合など些細な物であったことを。

 その事を、リリスとの会話でこの後すぐに理解する。

 

「ごめんなさい、リリスさん。お化粧の事、本当に全然何にも知らなくて……」

「いいのよ、気にしないで。だって狛治様の言う通り、お化粧の必要性が全くないくらいに可愛いのだから。

 あー、狛治様が羨ましい。狛治様のお嫁さんじゃなければ、メイドにスカウトしてEUに連れて帰るのにー」

 

 リリスにかなり初歩的な使い方の質問ばかりなだけでも、迷惑かけていると自分を卑下してしまう恋雪は、リリスが自分から喜々としてサンプル品で薄い化粧を施してくれることも申し分けなく思って謝罪。だけどリリスはからかうように笑って、どこまでが本心かわからないことを言い出す。

 リリスのからかいに、つい先ほどの夫からの一撃必殺を思い出し、真っ赤になって恋雪が固まってしまったので、お香が代わりに応えて恋雪をフォローした。

 

「恋雪ちゃんは江戸時代の生まれだから、未婚の間は化粧なんかしないからわからないわよね。

 こっちで狛治さんと結婚してからも、現世が大戦とかで情勢が悪かった影響で、あの世(こっち)でも化粧とかお洒落とか華やかなものは非難されちゃう時期だったもの。けど、今は平和なんだから、好きなお洒落をすればいいのよ」

 

 恋雪の母が早世して、そういうことに疎かったという事情もあるが、そこらは上手く触れずにお香は、知識がないことにコンプレックスはもちろん、化粧やお洒落に罪悪感を覚えなくていいと恋雪に伝える。

 その思いやりを恋雪は正しく受け取って、感謝する。だが、恋雪が化粧に関して興味はあっても避けがちな理由に、劣等感や罪悪感もまた些細な一部。

 

 なので、何だかここまで気遣ってもらいながら、自分が化粧を避けがちな理由を黙っている事に感じなくていい罪悪感を覚えてしまったのか、恋雪はだいぶ赤みが取れた顔を上げ、やけに遠い目で語った。

 

「……お香さん、お気遣いはありがたいのですが……私がお化粧を苦手に思うのは……あの、なんていうか私、とんでもない間違いを犯してしまいそうで怖いからなんです」

「「とんでもない間違い?」」

 

 恋雪の唐突な告白に、お香もリリスも異口同音にオウム返し。

 そして恋雪はさらに遠い目になって、語る。何故か脈絡なさそうな、狛治の死後の裁判が終わって、刑に服す直前のやり取りを。

 

「……100年程前、狛治さんの裁判が終わって、狛治さんが刑に服す前、大王様や鬼灯様のご厚意で狛治さんと話をさせてもらう機会を与えてもらいました。

 その時、狛治さんの刑罰は1年程で終わることを教えられ、狛治さんは私に何度も何度も謝りながら、自分のワガママで断られて当然だと言いながらも、私に待っていて欲しいと言ったのです。

 1年後、今度こそ祝言を上げて夫婦になって欲しいと狛治さんは言ってくれて……、私、それが嬉しくて嬉しくて、泣きながらこう返事をしました。

 

 ………………待ってます。待ち続けますから、私に絶対……お歯黒させてくださいねって」

 

 惚気にしか聞こえない内容かと思ったら、最後のとてつもなく遠い目で語った、狛治からのプロポーズに対する恋雪の返答に、思わずお香は非常に、非常に優しくてどこか切なげな哀愁ただよう笑顔で「……あぁ」と納得の声を上げる。

 恋雪曰く、お香の笑顔は自分のその返答直後の狛治の笑顔と非常によく似ていたらしい。

 

「オハグロ?」

 

 リリスの方は「オハグロ」が何のことかわかっていないようで、小首を傾げている。なのでお香は優しい笑顔のまま、恋雪は100年前の自分を「馬鹿なの?」と言いたげな目のまま説明する。

 

 お歯黒とは、その字の通り歯を黒く染めること。江戸時代当時は既婚者女性の証(公家などでは男性も行っていたらしい)であり、身だしなみの一種である。

 つまり、恋雪のセリフは「ウェディングドレスを着させてくださいね」くらいのニュアンスで、普通に良い話だ。……良い話なのだが、「お歯黒」がどんなものか詳しく知っていれば知っているほど、二人の表情の意味がわかるだろう。

 

 まず、お歯黒の材料はお歯黒水と五倍子粉(ふしのこ)

 お歯黒水は時代と地域によって材料や作り方に差異はあるが、基本は米のとぎ汁・酢・茶汁・古鉄・酒などを混ぜて、数か月発酵させる。その所為でただでさえ臭いのに、使う際は使う分だけに火にかけて温めるので、なおさら臭い。そして材料でわかると思うが、普通にくそ不味い。

 

 五倍子粉は、日本中に自生するウルシ科のヌルデという植物の葉に寄生する、「虫こぶ」を乾燥させて粉にしたもの。……虫こぶという名で既に察しが付くだろうが、その正体はヌルデミミフシアブラムシという、ゴマ粒くらいの大きさの虫である。

 それら、お歯黒水を歯に塗ってから五倍子粉を塗ると、二つの成分が反応して黒インクと同じ成分になるらしい。

 

 もうこの材料の時点、特に五倍子粉の正体時点でリリスはドン引きだが、そのお歯黒は明治時代を境に廃れて、狛治が無惨の呪いから解放されてやっと死ねた大正時代にはもう誰もやっていなかった理由を聞き、素で言い放った。

「何でもっと早くに気付かなかった?」、と。

 

 廃れた理由は開国で、外国人との交流が増えたから。

 そしてその外国人に、今のリリスと同じくドン引かれたからだ。

 当たり前だ。どう考えても、お歯黒は不気味だ。怖い。しかも、当時の既婚者の身だしなみには、眉毛全剃りもあったりする。あと、顔の化粧も能面ばりに真っ白、白粉ぬりたくりが普通だ。

 

 想像して見て下さい。眉毛のない真っ白い顔の女の口の中が、歯が全部真っ黒なのを……。

 どう見ても妖怪です。本当にありがとうございました。

 

「私……、狛治さんがしてはいけないことをしたと、償わなければならない事だとわかっていても、地獄の刑罰の中ではかなり軽くて短い刑であったとしても、それでも私は狛治さんに傷ついてほしくなかった。一秒でも早く、一緒になりたかったんです。

 ……けど、私個人の勝手な都合とわがままで最低な発言だとわかっていますけど、私、狛治さんと祝言上げるのが1年後で良かったと、心から思っています。1年、周りを見る機会がなかったら、私は江戸時代の価値観のまま、眉毛そり落としてお歯黒してましたから……」

 

 恋雪や彼女の父親、そして狛治の実父は、猗窩座が狛治の記憶を取り戻した時に霊界通信を畳みかければ、そのまま正気に戻った可能性が高いと判断され、本人たちの意思もあって裁判の後は狛治(猗窩座)の守護霊のような状態だったらしい。

 文字通り、変わり果てた狛治を一番間近で見続けていた恋雪には当然、お歯黒が廃れたことに気付く余裕などなかった。狛治の死後、裁判が終わるまでもそうだ。

 

 狛治の刑が確定し、1年後に生前では叶わなかった幸福が今度こそ約束された事で、ようやく恋雪は周りを見る余裕が生まれ、そこで「あれ?」と自分の常識の大半が既に、現世はもちろんあの世でも通じなくなっている事に気付いたのだろう。

 

 だからこそ江戸時代の価値観のまま言い放った発言が、恋雪にとってまさしく黒歴史。

 そして自分の「もしも」を想像してしまったのか、恋雪は青い顔色のまま両腕で自分を抱きしめてそう締めくくった。傍から見たら不気味でしかないお歯黒も当たり前だった時代ならともかく、もう誰もやっていないのに歯を黒く染めている自分、しかもそれを最愛の人にドヤ顔で見せつけている自分なんて、悪夢以外の何物でもない。

 

「う……うん……。確かにそれは、お化粧するのも怖いわね」

 

 恋雪の「とんでもない間違いを犯しそう」という不安の意味を理解して、リリスは苦笑。

 けれど、彼女は丁寧に恋雪の頬をパフで叩き、淡いチークで彩りながら言った。

 

「でも、本当に羨ましいわ。だって狛治様はたぶん、お歯黒はもう廃れてておかしいことをわかっていても、やめろなんて言わなかったんでしょう?

 実際の見た目はどうであれ、あなたが自分の妻になった証を喜々として望んでいるのが、彼にとっては嬉しかったんでしょうね」

 

 この時のリリスの雰囲気が、少しだけいつもと違うようにお香は感じた。

 何度もリリスは羨ましいと言っているし、それはお世辞ではなく本心からの言葉だと思えたが、同時に無邪気すぎて、それほど深い意味のない言葉だった。

 けれど今の「羨ましい」は、本心中の本心ではないかと思えた。

 

 そう思った理由は、彼女の最初の離婚の理由。

 原初の人間であり彼女の最初の夫アダムと、上か下かという下品というかしょーもない理由が原因での離婚だが、神はリリスを悪とした。しょーもないからこそ、どっちが悪い正しいなどない事を、ただ「女」であることだけを理由に「男に逆らうな」と命じたのだ。

 

 だからか、彼女は本心から恋雪と狛治という夫婦を羨望しているように、お香には見えた。

 どちらも相手を尊重し合い、だからこそ謝罪合戦になって収拾がつかなくなるけれど、互いに愛し合っている事を伝え合うこの夫婦に、今はもう絶対にありえない昔の夢を見たのかもしれない。

 

 そんな風にお香が思っていたら、恋雪が不思議そうな顔で言った。

 

「羨ましい? ……リリスさんが私を羨ましがる理由なんてないのでは?」

 

 恋雪は、リリスがどのような悪魔なのかを全く知らない。悪魔になった経緯、つまり離婚の理由がアレな為、狛治が笑顔で情報を全力ガードしているからだが、しかし彼女はリリスの夫、ベルゼブブとは実は会ったことがある。

 本日と似たような経緯で、鬼灯を嫌っているベルゼブブが、仕事は全部狛治としようと思って離れなかった為に、出会って挨拶を交わした程度だ。

 

 けれど、その程度のやり取りでもわかることはある。

 

「リリスさんの旦那様、リリスさんの事ばかり話していましたよ。とっても美人で優しくて素晴らしい、自慢の妻だって。本当に、その通りですね。

 私はリリスさんが羨ましいです。旦那様にあんなに自信を持って自慢される奥さんであるリリスさんが羨ましくて、憧れます」

 

 あまりに真っ直ぐ、純粋に言われたので、思わずリリスも頬を朱に染めて固まる。

 リリスの硬直に、恋雪は困惑してお香に助けを求めるように顔を向けるが、お香はにっこり微笑んで恋雪の頭を撫でてから、何も言わずにリリスに代わって恋雪の化粧の続きを施してやる。

 

 実際のところ、ベルゼブブのセリフは狛治と恋雪の相思相愛夫婦が羨ましかったからこその、嫉妬全開なマウントであったことをお香は察しているが、その事はもちろん指摘しない。恋雪はずっとこのままでいい。

 なので、恋雪にはちょっと悪いが彼女の困惑は無視して、同じくマウントであることを察しているであろうが、それでも何かしら思うことがあるのか、自分の指先を赤い顔でいじっているリリスにお香は提案。

 

「リリスさん。日本地獄(うち)には恋雪ちゃんと狛治様夫妻を見守る会というのがありますけど、入会します?」

「……するわ」

「何ですか、その会!? 初耳ですよ私!!」

 

 本人たち非公認のファンクラブの存在をサラッと明かされてさすがの恋雪も突っ込むが、もちろんニコニコおっとりしているが我は結構強いお香と、西洋初の悪女であるリリスに敵う訳もなく、恋雪の羞恥による抗議はなぁなぁに流された。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 そしてその後、急いで仕事を終わらせてきた狛治が、リリスとお香によって化粧……ナチュラルメイクではなく、本当に最低限の身だしなみ程度の薄化粧を施された恋雪を見た瞬間、その場で膝から崩れ落ちて悶絶。亡者でなければ死んでた。

 

 狛治の死因:嫁が可愛すぎた。





次回は煉獄さん回の予定だったけど、今週のお前が逆襲するんかいにメンタル持っていかれたので、またしても煉獄さんを後回しにして無惨の小地獄巡り(衆合地獄編)を前倒しにします。
たぶん、皆さんが今一番待ち望んでるのはマジでこれだよ思うし……。あとこの話書いてる時、途中でデータ消えた呪いの恨みを晴らす。
逆恨み? 無惨だからいいんだよ。

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