悪ならざる敵   作:百日紅 菫

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終戦/氷と灰

 桜が舞う夜に、とある学校の校庭に立つ20人の影。取り囲んでいるのは、校庭の端にある体育倉庫だ。

 

 「オールマイト。準備は?」

 「…ああ、大丈夫さ。今度こそ、二人を捕まえる!」

 「俊典、平和の象徴として気負い過ぎるのはお前の悪い癖だぞ。相手は悪ガキ二人。過去にどんなことがあろうと、今はただの敵だ」

 「確かにそうですが…」

 「必要なのは、一応無個性のガキを殺さないための手加減だけでいい」

 「他は任せてくださいよ。そのために俺たちがいるんスから」

 

 あの戦いから生き残ったヒーローたちは、現在では皆トップヒーローと呼ばれている。

 エンデヴァーやホークス、ミルコやエッジショットにヨロイムシャもいた。ああ、現在のトップ10ヒーローの中でも、制圧力、速度、剣術に長けたヒーローたちに、私が自ら声をかけたんだ。

 正直なところ、冬神少女と神守少年が二人がかりで攻めてきた時、情けない話だが私一人では手に負えない。それに、二人が私達だけに攻撃してくるとも限らない。 

 周囲への安全確保、今回で確実に二人を捕えること、そして、二人の成長度合いがまるで不明だったこと。

 当初は過剰戦力が過ぎると、警察の上層部に言われもしたが、戦闘が始まってみればそれは間違いだとすぐに分かった。

 

 「よし。皆、準備は出来ているな。…それでは、作戦…」

 

 開始。

 私の号令で、二人を捕える作戦が始まるはずだった。エッジショットに倉庫の扉を開けてもらい、個性の凍結により作戦に参加できなかったジーニストとミッドナイトのような、確保に向いた個性のヒーローに冬神少女を確保してもらう。

 あとは、戦闘向きのヒーローで神守少年を無理矢理にでも拘束する手はずだった。

 

 だが、号令の途中で半開きだった倉庫から飛び出してきた黒い影が、私の言葉を遮るように月光を反射した白刃を振り下ろす。

 高速の黒い影の正体、神守少年によって、第一作戦は失敗に終わった。

 というより、初手から数十名のヒーロー対神守少年の構図になった。そう、冬神少女を捕えるという第一目標は叶わず、顔を見ることすらできなかったのだ。

 

 「久しぶりだなぁ、平和の象徴。こんなにヒーロー引き連れて、集団自殺か?」

 「ああ、久しぶりだな、神守少年!君たちを止めに来た!」

 「皆の為に俺たちを殺す覚悟ができたのか、偽善のヒーロー」

 「違う!覚悟はしてきたが、殺す覚悟などではない!私達が胸に決めた覚悟は、君たちを保護し、幸せを享受させる覚悟だ!!」

 

 真っ先に私を狙ってきた神守少年を柔らかに吹き飛ばし、校庭の中心に降り立った少年に向かって叫ぶ。

 私達とは言ったものの、そんな覚悟を持っている者は少数だったろう。それでも、彼らを捕えなければという使命感は皆同じ。

 だが、今までの経験から、彼らには本気の言葉でも届かないだろうことは容易に予想できた。

 だからこその実力行使。だからこその強行突破。

 無理やりにでも捕えてから、というのが我々の総意だった。

 

 「…あ、っそ」

 

 瞬間、我々の前から神守少年の姿が消えた。

 動揺する我々の耳に、体育倉庫近くから神守少年の声が聞こえる。

 

 「覚悟決めて、雁首揃えて、それでもこれか。なぁ、ヒーロー。きっと調べたんだろうから教えてやるよ。雪ねぇは個性を使うと体が氷になる。昔、俺たちが小さいころに一度、3年前にお前ら相手に一度。たった二回の発動で、歩くだけでも苦しむようになった。今もな、氷が解けないように体を冷やしていなきゃいけないんだよ。医者に聞いても治らないって言われたし、ただ耐えるしかないんだ。お前らの相手なんか、してる場合じゃねぇんだよ…!」

 「ああ、知っているとも。だから、彼女が安静にしていられる環境も整えた」

 「今の生活をしている方が、彼女には苦しい筈。早く投降すれば、彼女を苦しませずに済む。だから、その手を放せ」

 

 倉庫前には、少年の説得中に少女を捕えようとしたヒーローがいる。だが、少年のスピードについていけず、正面から首を掴まれ、苦しんでいた。

 

 「黙れ。言った筈だ。雪ねぇに近づけば、お前らを殺すってな。まずはお前からだ」

 「ぐっ、や、やめろぉ!」

 

 静止も聞かず、躊躇い一つもなく、潜入を試みたヒーローは呆気なく殺された。

 ヒーローの血を浴びながら、少年は悪辣に笑う。

 

 「っ!…君たちは、何故人を殺す!?君たちの求めるモノはなんだ!?」

 

 突き刺した刃を引き抜き、意識の無くなったヒーローの体を投げ捨てた少年に問う。

 過去を知り、強さを知り、対策も練った。

 彼らが過去の経験から大人や他人を嫌っているのは知っている。悲惨な経験故に、それは納得できるし、持って然るべき感情だろう。

 だが、その経験から、彼らが何を求めているのか。それだけは、どうしても分からなかった。

 自分たちに危害を加えてきた他者を皆殺しにするのか。助けてくれなかったヒーローや警察を潰したいのか。幸せな人間を消したいのか。

 そのどれもが在り得る可能性であり、どれもが彼らの足跡からは考え辛い可能性であった。

 彼らは多くの人を殺してきたが、見境無しという訳ではなかった。

 彼らが殺害していたのは、自らを害そうとする警察やヒーロー。そして、幸せな家族だ。

 けれど、調べを進めるうちに、殺された家族には共通点があることが分かった。

 それは、その家庭の子供がいじめの主犯や加担していること。親が対外的に悪い人間であることだ。隣人と揉めたり、学校と揉めたり、会社でパワハラを働いていたりと、正直言って碌な人間がいなかった。それでも幸せな家庭であることに違いはなく、それが彼らに狙われる原因だったのだろう。

 

 「俺たちの求めるもの?」

 「そうだ。お前たちは、何を求めて人を殺すんだ?」

 「求めるもの、ね。はは…」

 

 少年は嗤う。

 春の夜に響く少年の乾いた笑い声。それは我々には理解のできない大笑。 

 それは、恐怖以外の何物でもなかった。

 ヒーローが、少年の発する恐怖に呑まれ、動けなくなる。

 情けない話だが、少年の恐怖は今でも覚えているよ。

 

 

 「ははは……」

 

 

 「自由だ」

 

 

 神守少年は強くなっていた。

 二人の求める、自由という名の夢を手に入れるために、ヒーロー達を圧倒出来るまで。

 

 「自由…?」

 「がっ!?」

 「オールマイト!もう説得は無理だ!」

 「くっ…!仕方ない、プランBだ!!」

 

 跳弾する弾丸のように、囲むヒーロー一人一人に対してヒットアンドアウェイを繰り返す少年。最早、捕獲は不可能。制圧力に長けたヒーローには下がってもらい、速度に長けた私、ホークス、ミルコ、グラントリノ、エッジショット、ボルテックスと、剣術に長けたヨロイムシャ、先読みが出来るサー・ナイトアイの8人が残り、どうにか動きを止めたところを他のヒーローが制圧する。それがプランB。

 この8人だけが、おそらく神守少年のスピードについていけるメンバー。

 

 の筈だった。

 

 「おいおい…敵指定受けたって、無個性の子供の筈だろ?」

 「らしいっスけど、これは…っと」

 

 「速すぎる…っ!」

 

 3年前より成長した神守少年は、個性を持つ人間と比較してなお、強過ぎた。

 脳が覚醒しているとしても、無個性の人間の速さは上限を超えられないだろう。それが具体的にどれくらいの速さなのかは分からないが、姿が消えるほどの速さなんてありえない。それでも、私たちの目には向かってくる神守少年の姿が見えなかった。

 

 「ミルコくん!左だ!」

 「う、っす!」

 「…っ!」

 

 「ボルテックス君、これは…」

 「ああ。その通りだと思いますぜ。ナンバーワン」

 

 向かってくる少年は見えない。けれど、誰かに高速で向かう少年は辛うじて見える。

 つまり。

 

 「俺と同じ、歩法で視線をずらして速く見せてる。しかも、素の速さが群を抜いてるから、結果的に見えなくなってる」

 

 初代最速のヒーロー、ボルテックス。

 彼は体内の電気信号を操り、身体能力を底上げする個性の持ち主で、ホークスの前に最速と謳われていたヒーローだ。個性で速さを生み出し、学生時代に学んだ武術を取り入れて戦う彼のスタイルは、当時、私に匹敵する速度を生み出していた。

 その彼が見抜いた、神守少年の速さの絡繰り。

 

 「雪ねぇのところには行かせない。さっさと引いて、二度と追ってこないなら見逃してやるよ」

 「ガキが、ぬかせ!」

 

 一対多の大混戦。誰もかれもが速度に特化し、地面だけでなく空中にすら撃音が響く、紛れも無い戦闘地帯。

 後のニュースや新聞なんかでは、ヒーロー史上初となる機動戦とも呼ばれていたね。

 

 だが、間違いなく優勢だったのは、ヒーロー側だった。

 最初こそ神守少年の速さに対応できていなかったが、腐ってもヒーロー。誰かに迫る少年を、他の誰かが指示を出し、当時新人だったホークスが上空から戦況を見て、全員をフォローすることで円滑な連携を図り、次第に少年を追い詰めていった。

 けれど、ヒーロー側は一人として決定打を打つことができなかった。

 なぜか。

 神守少年が、無個性だったからだ。

 個性因子の有無は、個性の有無を決めつけるだけのものではない。個性因子を持つ人間と持たない人間では、体の構造が根本から異なる。それは異形型とか関係なく、身体の丈夫さとか、膂力の強さとか、そういう基本的なところから違ってくる。

 君たちも必殺技を持っていると思うが、あれは相手が個性因子を持っているからこそ放てるものだ。無個性の相手に放てば、それは相手を簡単に殺してしまう、文字通り必ず殺す技となる。

 

 「はぁ、はぁ…なんだよ…舐めてんのか?殺す気で来いよ、ヒーロー」

 「もう分かるだろ。お前は勝てねぇ。冬神ちゃんと一緒に投降しろ」

 「うるせぇよ…はぁ、勝てるかどうかなんて知ったこっちゃねぇ。邪魔だから、殺す。それだけ、だ!!」

 「…っ、ホークス!」

 

 少年が刀を振り上げる。周囲に誰もいない為、その挙動の真意に気づくのが遅れてしまった。

 かまいたち。

 少年の唯一の遠距離攻撃手段。民家をも破壊するそれは、不可視の刃となって、上空にいたホークスの剛翼を切り裂いた。

 

 「っつぅー、いてて。まっさか、翼が切られるとはなぁ」

 「坊主!大丈夫か?」

 「あぁ、はい。問題ないっス。けど、片翼じゃあフォローは難しそうっスね」

 「十分だ。だが、またあれをやられると助けらんねぇ。新米は一旦下がっときな」

 「すいません。翼が復活したら、また来ます」

 「間に合えばいいけど、なっ!」

 

 かまいたちによる牽制と、脳の覚醒による我流の剣術。ヒットアンドアウェイ戦法と、見えない歩法。少数精鋭でなければ対応すらできない相手に、それでも我々は即座に対応した。

 不可視の飛ぶ斬撃。それだけを聴けば恐ろしい攻撃だが、対応策さえ知っていれば恐るるに足らず。

 かまいたちは、唐突に発生するわけではない。発生する起点があり、それはとても見やすく、範囲まで絞れる起点である。つまりは、少年の振るう刃の軌道。それがかまいたちの発生源であり、攻撃範囲だ。

 

 「くっそがぁ!」

 

 以前までと違い、自身の攻撃が通じないことに苛立ったのか、少年が叫ぶ。

 数回地団駄を踏むように地面を踏みしめ、右手に持つ刀で地面を破壊する。その姿は子供のようで。少しだけホッとしたのを覚えている。神守少年にも、まだ子供らしい一面が残っているのだと。

 けれど、それは間違いだった。

 

 項垂れていた神守少年は突然静まり、次に見えた少年の眼は真っ赤に染まっていた。

 

 「っ!?」

 

 「俊典!!」

 

 完全に無意識だった。

 私の放った本気の拳は、気づくことすらできなかった神守少年の腹に突き刺さっていた。

 

 喚きながらも、明らかに強くなった少年に動揺が走る。

 覚束ない足で、倒れ、立ち上がり、また倒れ。

 嘔吐と吐血から見てわかるように、すでに彼は瀕死だ。他ならない、私の手によって。

 

 「もう辞めるんだ、神守少年!冬神少女だけじゃなく、君まで…」

 「うるせぇって言ってんだろうが!」

 

 「…優君?」

 

 何度目かもわからない押し問答。その最中に、彼女は現れた。

 

 「雪ねぇ!出てきちゃだめだ!」

 「優君」

 

 体育倉庫から現れた冬神少女は、ヒーローを一瞥すると一直線に神守少年の元へと進む。

 

 「雪ねぇ…」

 「優君。こんなにボロボロになって…。私の為に、ありがとう」

 「こんなの、何でもない!早くあいつらを殺して逃げよう」

 「…そうだね。優君は、逃げる準備をして。たまには、私に優君を守らせてよ」

 「何言って…」

 

 冬神少女は、一度神守少年を抱きしめると、校庭の中心に立つ。

 美しい長髪をなびかせて、個性でもないのに目を引き寄せられる。5年間に及ぶ逃亡生活。まともな生活を送れているとは思えないのに。個性によって体の一部が氷になってしまっているというのに。

 凛として我々と向き合う少女は、余りにも美しかった。

 

 「平和の象徴。いつか、貴方には言いましたね。暴力が認められ、より強い力を持つ者が称えられる、貴方達のような存在になりたかった、と」

 「…ああ。だが、私たちは」

 「黙れ。貴方たちと私たちは相容れない存在だ。生まれたときから罪を背負ってる私たちには、貴方たちのようなヒーローになんてなれない」

 「そんなことは!」

 「ありますよね。だけど、私には私を守ってくれるヒーローがいた。平和の象徴なんていうまやかしのヒーローじゃなく、誰よりも強くて、誰よりもカッコいい、私だけのヒーローが」

 

 そう言って微笑む冬神少女は、年相応の少女に見えた。当時の年齢は18歳。君たちと同じくらいだね。

 けれど、その微笑みはたった一人に向けられたものだ。他の誰にも、その優しさが向けられることはない。

 

 「だから、今度は私が優君のヒーローになる番です。覚悟してください、ヒーロー。私は、優君のように優しくはありません」

 「な、まさか…」

 「やめるんだ、冬神少女!個性を使えば、君の身体が!」

 「くそっ、間に合うか…!?」

 

 ヒーローが走る。

 私が。グラントリノが。ナイトアイが。ミルコが。エッジショットが。ヨロイムシャが。ボルテックスが。

 冬神少女めがけて駆け、けれど間に合わない。

 少女を目前に捕らえ、気絶させるだけ。だが、その瞬間に、急激にスピードが落ちていく。今まで当然のようにあった力が抜け落ちていく、不思議な感覚だった。

 

 「私たちの苦しみを知って、死んでいきなさい」

 

 豪、と春の夜に吹雪が現れた。

 少女を中心に吹き荒れる氷の嵐は留まることを知らず、私たちは一様に吹き飛ばされた。

 でもそれは、吹雪によって吹き飛ばされたのではなかった。

 

 「だ、大丈夫っスか、皆さん」

 「ホークス!」

 「助かったぜ。だが…」

 

 復活しきっていない剛翼を操作し、私たちを避難させてくれたホークス。だが、その場にいた全員と、それを救ってくれたホークスの剛翼に纏わりつく氷の華が、我々の敗北への道を示していた。

 

 「雪ねぇ!雪ねぇ!やめて!やめてくれよ!雪ねぇが死んじゃうよ!!」

 「!!」

 「ホークス!エンデヴァーを呼んでくれ!」

 

 

 吹雪をものともせずに、冬神少女のもとへ向かう神守少年。

 無個性の彼にとっては、恐ろしいものでもないのだろう。加えて、愛すべき冬神少女の個性だ。例え神守少年が個性を持っていたとしても、迷わず突き進んだだろう。

 

 「優君。前に決めたよね。私たちは、自由になろうって」

 「うん…うん」

 「…っ…これが私の自由だよ。初めて優君が守ってくれたあの日から、ずっとこうしたいって思ってた」

 「俺はずっと、当たり前のことしかしてないよ…」

 「ふふ。優君は優しいね」

 

 吹雪が晴れる。

 嵐の中心だった場所には二人がいて、神守少年に冬神少女が抱えられていた。

 

 「あぁ、思いっきり個性を使うのって、こんなにすっきりするんだね」

 「…死なないで、雪ねぇ」

 「死なないよ。私はずっと優君の近くにいる。だって、大好きだもん」

 「俺も、大好きだよ」

 「やった。両思いだね」

 「うん。だから、だからさぁ…消えないでよ」

 

 冬神少女の身体は、そのすべてが氷になっていた。

 それだけじゃなく、足先の方から蒸発したように消えていた。

 

 「……優君も、自由に生きて。何にも縛られず、好きなように生きて」

 

 徐々に消えゆく冬神少女。

 

 彼らの求めるモノは、何物にも縛られない自由。

 それは、普通に生きていれば心から望むことなどないモノだ。

 けれど彼らは、親に、学校に、世間に、正義に、悪に縛られて育った。暴力に屈服し、いじめに降伏し、世論に拘束され、正義に救われず、悪と決めつけられた。

 どれもこれもが他者から決められたもので、彼らの意志は一切反映されていない。

 そんな二人が求め、起こした最初の反乱。

 我々にとっては犯罪者となった二人を捕らえる戦いだったが、二人にとっては自由のための戦いだった。

 ともすればそれは獣のような生き方かもしれない。

 寝たいときに寝て、食べたいときに食べ、殺したい時に殺す。

 けれどそれは、二人が育ってきた環境がそういうものだったからだ。成長する過程で起きた出来事が、その人の常識を決めていく。我々の自由は、法の許す限りにおいての自由。二人にとっての自由は、そういうものだったんだろう。

 

 「雪ねぇ…」

 

 消えゆく身体から発せられる冷気が、二人の周囲に氷の華を咲かせていく。

 とても幻想的な風景だった。

 

 「いつか、また逢おうね」

 

 何故意識があるのかわからないくらいだった。彼女の身体は四肢が消え、胸から上しか残っていないような状態だったんだ。

 

 「…うん。必ず、必ず逢える。すぐに、逢いに行く」

 「ふふ、すぐは、やめて、ほしいなぁ」

 

 頭部まで凍り付いた冬神少女は、言葉を発する度に欠けていく。当然だ。動かないモノを無理に動かせば、可動部が壊れていくのは自然なことだ。

 それでも冬神少女は言葉を止めない。

 すでに命が尽きても当然の状態だからか。溢れる想いを神守少年に伝えたいからか。

 

 「…優君。これが、最後。逃げてもいい、戦ってもいい。私もそうしたように、好きにやって。それが、自由だ」

 「うん、うん」

 

 「バイバイ。愛してるよ、優君」

 

 

 視界一杯に広がる氷の華。彼岸花に似たそれは、少年の周囲を包み込んでいく。

 冷たい氷の唇で、柔らかく、優しい口づけをして、冬神少女は神守少年の手の中で、氷となり、空気に溶けていった。

 

 目の前で救えなかった人は数えきれないくらいいる。プロヒーローになれば、そんな経験は数えきれないくらいあるし、死んでしまったのは只の民間人ではない。凶悪犯だった。

 だけど、彼女は己の夢に殉じ、愛すべき少年のヒーローとなって死んだ。

 過去の呪縛から逃れ、我々が普通に得ている自由を求めて戦った。

 

 「…神守少年。投降、してくれないだろうか。悪いようにはしない。君は、必ず私が守る」

 

 そんな冬神少女が守った少年を、私は守りたかった。

 座り込み、項垂れて動かない少年の肩に手をかけ、最後の説得を試みた。

 今でも思う。

 

 あれは、失敗だった。

 最後の最後まで彼らを理解できなかったのに、理解したつもりになっていた私のミスだった。

 

 「雪ねぇ。俺も、すぐに行くよ……こいつらを、殺してから」

 

 

 

 最近の教科書には、事件の名前が載っているそうだ。さすがに詳細までは書いていないだろうが、個性の暴走による未成年凶悪犯とヒーローの戦い。

 戦闘現場に残された氷の華からつけられたその名前は、雪華事件。

 犯人は二人の少年少女。個性の暴走により、5年間の逃亡生活中に民間人、警察、ヒーロー、敵に多くの死傷者を出し、最後の決戦地である中学校にて、現在も咲き続ける氷の華を生み出した。警察からの報道によれば、その場でプロヒーロー10名以上が殺害され、中には当時トップ5だったライジングヒーロー、ボルテックスも含まれていた。

 近年稀にみる、最凶最悪の未成年犯罪。凶悪な個性の暴走による悲劇を二度と起こさないため、今では義務教育中に最低限の個性教育を行うようになった。

 

 が。

 そう。話した通り、真実は違う。

 

 最後の戦闘。

 唯一の拠り所だった冬神少女を失い、ある種、彼らの求めていた自由を手に入れた神守少年は手が付けられなかった。

 今までは、冬神少女を守るという意識がストッパーになっていたのだろう。大立ち回りをしている最中でも、少女の存在が気がかりだった。それでもあの強さだったのだが、端的に言って桁が違った。

 それは、神守少年さえも知らなかった彼の本気。

 我々とは違う進化を遂げた人間の底力。

 脳を覚醒させ、驚異的な成長を遂げた、神守優という人間の本当の姿。

 

 冬神少女の本気が嵐ならば、神守少年の本気は雷。

 全てを貫き、破壊する、天の矛。

 

 「幸せそうにしてる奴が嫌いだった。

 「幸せを守ろうとするやつが嫌いだった。 

 「俺たちには決して手の届かないそれを、後生大事にして、見せびらかして、憐れんでいる奴らばかりの世の中が、大っ嫌いだ。

 「だから壊す。

 「だから殺す。

 「悪上等。

 「敵上等。

 「お前らが見放した闇の中で生まれた化け物の力を見ろ。

 「もう何にも縛られない。

 

 「俺は自由だ」

 

 血で赤く染まった目が、夜の中で怪しく光る。

 今までからは考えられないくらい大人しい少年に、我々は警戒を最大限まで高めた。脳が覚醒した者との戦闘は、ほとんどのヒーローが初めてだ。神守少年を見ても、驚異的な身体能力の向上と、脳の発達くらいしか見られない。

 だから、我々は最悪を想定し、警戒したのだ。

 映画のように超能力が発現するかもしれない。人知を超えた想いの力が、神守少年に冬神少女の個性を与えるかもしれない。まったく未知の個性が発現するかもしれない。

 だが、想定するべきはそこではなかった。

 進化の方向性は違えど、力そのものは個性と似たようなものだ。

 だから、唐突な成長であっても、それは今持ってる力の延長線上の筈なのだ。

 

 トン、と。

 

 少年が跳ねた。

 

 「消えっ…がぁっ!?」

 

 音も無く。予備動作も無く。唐突に。

 少年の蹴りがミルコの腹に突き刺さり、数十メートル先まで吹き飛ばした。

 

 「は。はは。ははははは!」

 

 高らかに笑う。

 楽しそうに。嬉しそうに。

 

 きっと彼は。彼も、力をセーブしていたのだろう。

 本来の力を、未熟な体故に発揮できないのはよくあること。無個性の体に、強力な力を持つ神守少年は、多少手荒に個性を使っても無事な我々より、力の制御に割くリソースが大きい。

 だから、それを気にせず、十全に、万全に、本気の力を振るう神守少年に、我々は防戦を強いられた。

 

 歩法とか、視線を逸らすとか、そういう技術じゃない。単純で、純粋な脚力によるスピード。

 

 「速い!熱い!なぁヒーロー!お前たちが敵を捕まえる時もこんな気持ちなのか!?圧倒的な力で叩き潰す、この快感を!お前らはいつも味わってたんだなぁ!?」

 「くそっ、見えねぇ…!」

 

 加えて、冬神少女の個性によって、こちらは個性を封じられた状態で戦わなければならなかった。

 

 「おい!どうなっている!!」

 

 だから、そこに現れたエンデヴァー達には今でも感謝している。

 氷を解かす炎熱。

 個性も無しに、経験と素の肉体だけで防戦していたところに延びた救いの手。ただそれは、一つの賭けだった。ジーニストとミッドナイトは、未だ個性の凍結から回復していない。けれど、冬神少女が消失し、凍結という個性の性質上、炎熱で氷を解かせば回復するのではないか。

 結論から言えば、賭けには勝った。

 エンデヴァーの炎によってヒーローたちの個性は復活した。

 

 「で、もっ!」

 「目で追えないのは変わらねぇ!」

 「ふんっ!俺が行動範囲を絞る!貴様らは畳みかけろ!」

 

 「…エンデヴァー。氷を融かす、炎のヒーロー」

 

 「っ、エンデヴァー!」

 

 並の敵ならそれだけで降伏するような炎の檻。

 だが、神守少年にとっては障害物にすらならなかった。火傷を負いながらも、炎の壁を突き抜けて、エンデヴァーへと白刃が迫った。

 彼にとっては、冬神少女そのものともいえる氷の華を融かされることが嫌だったのだろう。

 炎の尾を引いて突撃する神守少年に対応できたのは、奇跡というほかなかった。

 けれど、それ故に我々は、初代最速ヒーローを失ってしまう。

 

 「ボルテックス!くそぉ!」

 

 だが、それでも少年は止まらない。

 速度を上げ、応援に駆け付けた警察やヒーローを殺し回り、辺り一面を血で染め上げた。

 死が充満する現場がトラウマになり、ヒーローや警察を辞めた人も続出した。

 

 しかしそれも、たった数分のこと。

 逆に言えば、10分にも満たない時間で50人以上も殺されたのだが、それすらも幸いと言えてしまうほど、神守少年は強過ぎた。

 

 唐突に足を止めた神守少年の体からは、赤い蒸気が出ていた。

 

 「なんだ、あれは」

 

 「平和の象徴。お前らの敗因はたった一つだ。覚悟が足りなかった」

 「…君たちを、殺す覚悟か?」

 「そうだ。だから…」

 

 赤い蒸気は、血液の蒸発。

 カラン、と刀が氷の上に落ちる。

奇しくも足を止めたのは、冬神少女が消失した、氷の上だった。

 そして少年の腕は、無くなっていた。

 

 「腕が…!」

 「灰に、なっている…」

 

 限界を超えた、力の行使。

 今まで制御していた脳の回転速度や筋肉を、自身の限界を超えて最大限まで出力させた結果、異常なまでの発熱を引き起こし、最後には人体自然発火現象を体の内部で引き起こした。

 赤い蒸気を上げ、黒く染まっていく神守少年は、数分前の冬神少女を彷彿とさせた。

 

 冬神少女は氷に。

 神守少年は灰に。

 

 ヒーローにも救えないものはたくさんある。

 それは人であったり、物であったり、気持ちであったり。

 けれどあの時。多くのヒーローと警察官を巻き込んだあの事件で、私たちは何一つとして守れなかった。

 誰のせいでもなく。

 誰もが悪かった。

 多くのヒーローがトラウマと悔恨を植え付けられた。

 それすらも自業自得だった。

 

 こうして、後世に残る大事件、雪華事件は幕を閉じた。

 自由を求めて我々と戦った冬神雪と神守優を悪として、敵として世に伝え、大損害を受けながらもヒーローの勝利として、教科書に載ることになった。

 けれど、私たちは未だに考え続けている。

 あの事件において、悪とは何だったのか。誰だったのか。そもそも、彼ら二人を最初に救えていれば、あんな事件にはならなかったかもしれない。

 冬神少女と神守少年が悪だったのか。ヒーローが救えなかったことが罪なのか。

 故に今も、私たちは心に刻み続ける。

 風化させてはならないと、必ず思い出す。

 

 灰になって、今も氷の華に包まれている神守少年の言葉とともに。

 

 

 

 

 「次は、ちゃんと、殺せるといいな」

 

 


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