Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜  改訂版   作:うさヘル

10 / 18
第十話 悲しみは留めていられなくて

 

第十話 悲しみは留めていられなくて

 

世界樹の迷宮 〜 長い凪の終わりに 〜

 

 

 

第十話 悲しみは留められなくて

 

 

 

とても悲しいんです、明日も泣かせてください。

 

どうか、この気持ちを奪わないで。

 

 

 

 

 

 

幼い頃から、人より小さい身体だったせいで人より体力がなかった。人一倍頑張って人並みなんてことはざらだった。成長するのは変なとこばかりで、ただ、別にそのことを責めるやつがいなかった。誰もが優しく、仕方のないことだと俺を笑って許してくれていた。どんな失敗をしても優しくされるってのは、俺が他人よりも劣っているっていう何よりの証拠だって思ってた。だって人間、自分より強い奴に何かをしてやろうと思える奇特な奴なんて、そうはいない。相手が自分よりも強かったら、優しくされるのを望んでしまうのが人間という生き物だ。例えば百イェンを持ってたとして、それを一イェンも持っていない奴に渡す奴は多くいるとしても、それを一万イェンも持っている奴に渡してやろうなんて思うやつは、稀も稀だ。つまり誰かに優しくするっていうのは、その誰かは自分よりも劣っているっていう証拠で、つまりは誰かが与えてくれる優しさが俺には「お前になんて期待していない」っていう宣言に聞こえてしまって、いつだって俺は腹を立てていた。みんなが優しいから次の日には忘れるくらいのどうしょうもないものだったけれど、たしかにあれは怒りという感情だった。

 

 

 

期待されないっていうのは、案外辛い。立派な目標を掲げて、達成できなくっても、返ってくるのが許容の言葉ばかりだと、気が狂いそうになるくらい悔しかった。お前には出来なくて当然だ、っていう言葉に聞こえるんだ。ただ、それを素直に述べるとあの優しい人たちを傷つけてしまうだろうなと思える程度に俺は空気の読める人間でもあったし、そうして思いの丈を素直に述べてしまうと弱い自分は全く生きていけなくなるだろうなと利高い算盤をはじいてしまうくらいには小賢しい人間でもあった。

 

 

 

だから何も言わない。言わないで躍起になって、もっと高い目標を立てて、そして当然のごとく失敗する。そうしてまた慰められて、腹をたてて、そして次の日にはそれを忘れる。ギシリギシリと心は痛むけれど、次の日になったらその痛みは失せている。自分のことであるというのに真剣になれぬというそんな不甲斐なさに腹を立てたという事実だけが日ごとに募っては、散ってゆく。今日もまた失敗して何かを出来なかったという事実を明日の朝には忘れている。朝だけは憂鬱から逃れられるけれど、夕方になればどうしようもなく死にたくなる。そうして積み重なったやっぱり今日も出来なかったのだという事実は膨れ上がって俺を縛る重しとなり、やがて俺の一日の半分ほどを鬱屈で過ごさせる足枷となってゆく。やがて俺は高い目標を掲げては未達成に終わるのが当たり前の、屑のような人間になっていた。

 

 

熱し易く冷め易い。出来ないことが当たり前で、何に対しても真剣になり切れない。全てが中途半端に終わってしまう。そんな無様が当たり前になると、人間、自分のことすら信じられなくなる。気がつくと俺は、自分が一番信用できない人間になっていた。それがとてつもなく嫌だった。自分を信用出来ない自分も、そんな自分を受け入れてくれる環境も、他人が向けてくる優しさについ甘えてしまう自分も、全ての原因となっている自分の弱さも、とにかく全てが嫌だった。日々を過ごす中、優しさに溺れて腐ってゆく。まるでぬるま湯の中に浸かっているかのようだった。このまま入っていたところで気持ちよくないが、出たところで外は寒いとわかっている。体はもうふやけていて、まともに立つことにすら違和感を覚える始末なのだ。朱に交わるどころか、身も心もすでに怠惰の溶液に溶け込んでしまっている。理性は外に出ろと言っている。けれど、本能がこの浴槽から外に出ようとしてくれない。たじろぐ間にも無為に時ばかりが過ぎ去ってゆく。誰もそんな無様を怒らない。なぜなら、それが彼らにとっての、俺にとっての当たり前だったから。

 

 

俺に生きている意味なんてない。毎日、夜になると思っていた。そうして夜が近づくにつれて、なんで俺は生きているんだろうと心の底から悔恨を抱くのだけれど、次の日になるともう馬鹿みたいにそんな鬱屈を手放して忘れてしまっている。そんな自分が心底嫌だった。そんな日々を過ごし続けてきたせいで、晴れ晴れとした気持ちでいられるのは一日の半分もない。生きるのが辛かった。駘蕩の中に沈んでいるような日々は、俺にとって地獄と相違なかった。漫然と誰かの情けによって生かされている自分に何の価値があるというのだろう。それを当たり前であると受け入れてしまっている自分が世界に生きている意味とはいったい何なのだろうか。

 

 

こんな自分が嫌だった。出来ることならこの性根を治したいと、心の底から思っていた。漫然とした日々の中、ついに限界は来たのだろう。鬱屈が一日のほとんどを支配するようになったある日、ふと思った。このままここにいたら駄目になる。とにかく、もう後のないような所で発奮しないといけない、と思った。だから冒険者を選んだ。冒険者。それはこの世界においてほとんど唯一残されたといっても過言でない命を失う可能性の高い危険な箇所である迷宮に潜る、そんな存在だ。冒険者ってのは、一歩間違えば命を落とす危険な職業だ。彼らは、たった一つの失敗をすることすらも許されない。だって迷宮に潜む魔物は村の連中のように優しくない。どんなに低い階層であっても、油断をすれば死の運命が待ち受けている。待ったといって待ってくれる魔物なんてものは当然存在していない。迷宮は命乞いをして許されるような環境などではない。長居をすれば、死んでしまうような、そんな場所だ。すなわち魔物は、迷宮は、才能のない存在と怠け者の生存を何より許容しない。怠惰に過ごそうものならすぐに永遠の眠りにつかされてしまう。迷宮という場所は、この世で唯一、今もなお弱肉強食の法則だけが支配するそんな世界であると聞いていた。

 

 

だから、選んだ。村と違って、一倍頑張って、でも駄目ならそこでばっさりと、諦めさせてくれる存在がいる。そこには、俺に情けをかけるような奴は誰もいない。誰もが俺の力を正当に評価して、相手をしてくれる。許容がない代わり、憐憫もない。強ければ生き、弱ければ死ぬ。ただそれだけが支配する世界は、当時の誰かの憐れみによって生かされていた当時の俺にとって、それはとても魅力的に見える場所だった。

 

 

―――だって、そうすればこの鬱屈ばかりが支配する日々とおさらばできるのだから

 

 

そう、言ってしまえば、俺が冒険者になるっていうのは、遠回しな自殺を選んだだけだった。俺は、こんな屑のような俺の命や俺の生活に終止符を打ってくれる誰かを求めていたんだ。そうとも。俺は、俺の命の扱いすらも自分一人で満足に決めることの出来ない、そんな弱っちい人間だったんだ。

 

 

 

エトリアで冒険者登録をすませた後、何のために冒険者になるのかって聞かれて、「三竜の素材が欲しいから」なんて口にしたのに理由なんてない。ただ、三竜なんて言葉が出てきたのは、まぁ、それくらい言っておけば、迷惑かけても問題ないような馬鹿ばかりが揃った仲間と組ませてもらえると思ったのと、直前に有名なシリカ雑貨店で実物を見たからだろう。誇大な嘘を平然と述べられる自分の性質にこの時ばかりは心の底から感謝した記憶が残っている。

 

 

 

そんとき、ギルド長のゴリンは、ふぅん、と言って、興味なさそうな、それでいて驚いたような声色で返事を返してきたものだから、ああ、失敗したな、と思った。酔狂だな、と思われたのか、あるいは、まぁ百年千年近くも三竜の目撃情報がないこのご時世、そんな伝承の中にのみ存在するといって過言でない存在を目標に掲げて口にする奴なんていなくって、組ませられる奴の心当たりがないのかも、とも思った。

 

 

馬鹿を言った、と反省した。とはいえ、確固とした目的があって迷宮に潜るような立派な奴を俺の自殺行為に巻き込みたくなんてなかったからこの条件を変えようとは思わなかった。誰かに迷惑をかけて優しくされて、許容され、腐っていくっていうのが当時の俺にとって最も恐ろしいことだった。だから組むなら他人なんて眼中にない、みたいな、他人のことを使い捨ての道具くらいにしか思っていないような屑の方がいいとすら思っていた。俺はこんな俺のちっぽけな命に過小でも使用価値を見出してくれる誰かを求めていたんだ。だから俺はこの条件を変えようとは思わなかった。最悪一人で潜るしかないかもなって思い、ああ、まぁ、それならそれで早く死ねていいか、と、希死の想いを強めていた。そんなところ、そしたらあいつは、ちょっと待ってろと言ってギルド長の部屋から出て言った。

 

 

 

待たされたのがどれだけだったかは覚えていないが、シンと出会ったのは、そのすぐ後だった。部屋を出ていったゴリンは割とすぐに戻ってきた。その後ろにはシンがいた。そして部屋に入ってきたゴリンは、「お前と同じく三竜討伐を口にしたバカだ」とか言った。そうして紹介されたシンという男は、確かに俺が望んでいた通り基本的に他人のことが眼中にない何とも傲慢な人間であったをあとから俺は知る。だが、その時の俺は、シンがそういう男であることをまるで見抜くことは出来なかった。だってその時のシンは、見た目如何にもな好青年で、女受けしそうな体つきをしていて、とてもでないが三竜討伐を口にするような酔狂な輩には見えなかったから。

 

 

だから俺は、多分こいつは冗談に失敗した口なんだろうな、とおもって、まぁ、適当な言葉をかけてやろうとして、けどその隣にいたあいつの目を見て、結局何も言い出すことが出来なくなった。なんていうか、あいつはただまっすぐだった。誰も彼もがなんとなく死んでいないから生きているみたいな胡乱気な雰囲気を纏っている中で、あいつの周りの空気だけが唯一、しゃっきりと張り詰めていた。そんな空気に呑まれて、俺はまるで風呂場で冷や水を浴びた様な気分になった。俺と同じく三竜に挑むって目的を口にしたっていうそいつは、難しい事に挑むのが、当然って顔で、ただまっすぐこっちを見ていた。ゴリンの横に立っていたあいつはズカズカとやってきて、目をキラキラと輝かせて、言った。

 

 

 

『これからよろしく』

 

 

 

そうして言葉と一緒に俺へと投げかけてくるその視線があまりに眩しくって、そうして俺のことを同じ目的を持つ同士と信じてやまない目を曇らせるのが怖くって、俺はとてもでないけれど断ろうなんて気になんてなれなかった。それに何より、俺はあの時、初めて一人の人間として誰かに求められていた。おそらく生涯の中であれほど心が高鳴ったことなんて、ないってくらい、俺はその時興奮していた。夢見るような気分で手を差し出すと、あいつはそれをしっかと握りしめてきてくれた。手を握るその力があまりに強くって、いっそ痛いくらいに乱暴で、でもそれが俺という人物を俺のまま求めてくれている証のようでもあって、俺はただ茫然と、のべた譫言を真実にせざるを得なくなったのだとか考えていた。

 

 

シンはそして俺の望み通り、俺に一切優しくしてくれなかった。シンは当たり前のように他人より上のレベルを要求してくる。でも俺はそれに対して一切の文句を言おうなどとは思わなかった。だってそれは、シンが俺をそこいらにいる普通の人間として扱ってくれているという何よりも証だったから。だって有り余る才能があるシンにとっては多少の才能の違いなんてものはそれこそ端数みたいなもんで、自分以外の全ては平等に凡人だったから。だからこそ俺はシンに他の人と同様に扱われていたし、だからこそ俺にとってシンと出会ってからの日々はとても心地のいいものだった。シンは他の人と同じか、それ以上の水準を俺に求めてくる。それは才能のない俺にとっては無理難題にも等しく、シンの言う目標を達成するためにはそれこそ血の滲むという言葉が霞むほどの努力が必要となってくるものだった。でもそんな無理難題をこなす度に、シンは普通に喜んで、普通に褒めてくれるのだ。シンは俺を特別扱いしなかった。シンにとって俺は、あくまで他の人と同様にすぎない存在だった。

 

 

そんなシンと過ごした日々は、それまで過ごしてきた日々に比べれば、あまりに性急で、多くの肉体的苦痛に飛んでいたけれど、その分、多くの喜びにも満ちていた。だから俺は、今でもあの時、シンの手を取ったことは間違いじゃなかったと信じている。多分あの時からずっと、サガという小さな人間は、シンという男のまっすぐなあり方に惚れていて、俺はこんな幸せな日々がずっと続くと、そう信じていた。

 

 

 

 

 

 

「あ、……………と…」

 

 

 

言いきらず、シンが目をつぶった。その顔は安らかで、まるで。いや。間違いなく。

 

 

 

「―――おい、おい。嘘だよな? 」

 

 

 

死んでいた。体を揺さぶるもなんの反応も返ってこない。こいつがタチの悪い冗談をつけるような人間でないことは、俺がこの場にいる誰より知っている。だって、俺はこいつとエトリアで初めて出会った相棒で、多くの障害を乗り越えてきた戦友で、足りない部分を補いあってきた、そんな存在なのだ。

 

 

 

「おい、おい、おい! 」

 

 

 

体を大きく揺すった。シンの首が上下左右に大きく揺れる。その動きに意思は感じられなかった。揺さぶったせいだろう、閉じていた瞼が思い切り開かれ、その眼が露わになる。けれどそうして突如として望まぬ光を受けた瞳孔はしかし拡散しっぱなしで、一切の反射が見られない。シンはまるで人形のようだった。その様に腹が立って、思わず無言でシンの胸を強く叩いてしまった。傷の失せている体からはどん、と鈍い音がして、拳の先から解体した動物の生肉を叩いた時のような、命の失せた肉のみが放つ、独特の、柔らかく、抵抗のない、気持ちの悪い感覚が伝わってくる。叩きつけたその勢いがあまりに強かったらしく、横たわっているシンの体は軽く上下に振動した。瞬間、やってしまった、と後悔が湧き出てくる。けれどもそれ以上に、それだけ強く叩かれたにもかかわらず何の反応もしてくれないシンのその有様が、心の底から悲しかった。

 

 

「おい……、おい、シン……」

 

 

叩きつけた拳を広げて胸をさすりつつ呼びかけると、シンの体はまだ暖かかった。その熱にシンの命がまだそこにあるような感触を覚えて、少しだけ鬱屈とした気分が晴れてゆく。不意にこの薄くしっかりとした胸板を撫でてやればシンは起き上がってきてくれるのではないかと思い、シンの胸に静かに手を添えなおして、そして再び絶望した。

 

 

 

――――心臓が、動いていない

 

 

息を呑んだ。呑んだ息は口から出て行ってくれなかった。膨らんだ胸から伝わる衝撃が脳を痺れさせてゆく。腹の底が底抜けに冷えてゆく。こんな現実あってたまるものか、と、砕けそうなほどに奥歯を強く噛み締めて、胸に拳を振り上げて思い切り力をこめなおした。果たして自分はいったい誰のため、何のためにこの拳を作ったのか。掌に爪が食い込む。肩から先が落ち着きを忘れたかのように激しくぶれていた。

 

 

 

「―――っああ……っ!! 」

 

 

 

溜め込んだ力は発散を求めていた。湧き上がってくる破壊の衝動に任せるがまま、そしてそのまま真下に振り下ろして、地面に思いきり打ち付ける。地面に広がっていたシンの血と血によって生まれた泥が弾けて、あたりの人間の服を汚してゆく。同時、鈍い衝撃と鋭い痛みが拳に生じた。持ち上げると指の背の皮が砂つぶとの接触に耐えきれずいくつもの擦過傷が出来ている。

 

 

 

「クソがっ!」

 

 

痛みが余計に昂ぶった感情を苛立たせて、俺はさらに思いきり地面を殴打した。

 

 

「クソッ、クソッ、クソッ、クソッ、クソッ、クソッ、クソッ、クソッ、クソォ!」

 

 

幾度も、幾度も、幾度も、地面の上を殴打する。殴るほどに汚泥が舞い、叩きつけた拳が悲鳴を上げていた。だが、そんなことは知った事でない。だってシンが動かないのだ。その現実に比べば、服が汚れ、痛みを感じる程度の現実が一体何だというのだろうか。行き場のわからない感情が次から次へと湧き上がってくる。蓄積してゆく気持ちの勢いやすさまじく、少しでも自分の中から消し去ってやらないといつしか自分という存在が破裂してしまいそうだった。だからこそそんな湧き上がる余計を発散してやるべく、駄々をこねる幼子のように連続して地面を殴打する。殴打するたびに地面の泥が血と共に跳ね、服どころか俺の顔もシンも体も汚していくが、そんなの知ったことではない。

 

 

 

「――――――っ、ぁ、あっ…! あっ! ああっ……! ああああああああ……!! 」

 

 

 

わからない。なぜシンが死んでいる。死んでなどいるものか。いや、死んでいるとも。嘘だ、嘘だ、デタラメだ。そんな事は信じない。なぜかつて死を望んだ半端者の俺が死んでいなくて、死を望まなかった強いあいつが死なねばならぬのか。この迷宮では弱肉強食の法則がすべてではなかったのか。ならば死ぬにもっとも相応しいは、俺でなくてはならないはずだ。だから嘘だ、悪夢だ、出鱈目だ。こんな現実信じない。なに、信じなくとも真実だ。なんなら鬱憤のぶつける先を奴の体としてやるがいい。死んでいないのなら存外その一撃で起きるかもしれないぞ。そんなことできるものか。必死で戦って俺らを守って逝った男の遺骸だぞ。そんな尊厳を貶すようなことできるわけないだろう!

 

 

 

―――ああ、なんだ。お前、認めているじゃぁないか。

 

―――何をだ!

 

―――その男が死んでいるということをだよ

 

 

 

「…………っ! 」

 

 

 

理性は現実を指摘する。感情は必死に現実を否定する。しかし今、感情は理性に矛盾を指摘され、目を逸らしていた事実に直面させられた。振り上げた拳が止まる。掌の皮はズル剥けて血と泥に塗れていた。息が苦しい。胸が圧迫され、肺は空気を求めて必死で呼吸を試みる。だが、肝心の命令が機能を停止している脳から発せられていなかった。

 

 

 

「あっ……、ぐ、ぅっ……、ぎ、ぃ……、ぐ…………」

 

 

脳は痛みを訴えて拳の治療を命令する。脳は呼吸の再開を命令する。息が吐き出され、口の端から涎が零れ落ちていた。本能は冷静に、目の前の現実を受け入れて、自らが生きるための活動を行えと、命令を出してきているのだ。その冷徹さが気に食わなかった。目の前で親友が死んでいるというのに、己のことを優先にするその根性が癇に障った。

 

 

 

「―――っくしょぉおおおお……!! 」

 

 

 

最後に思いきり振りかぶった拳を地面に振りおろすと、肺の中の空気を吐ききった。全身の力を一身に込めたせいだろう、泥の摩擦の少なさに負けて、体が地面に向かって傾く。そこまでだった。頭がかっと燃えるような熱さを帯びたかと思うと、視界がぼやけて黒く染まってゆく。興奮のあまり巡った血の気が限界に達したのだろう。意識は闇に消えて、失せてゆく。視界が最後に捉えたのは、シンの力の入っていない両腕が出鱈目に投げ出された姿を見かねたピエールが、彼の腕を組み直し、瞼を閉じた状態へと整えるそんな場面だった。

 

 

 

―――シン。俺が悪かったよ。手荒にしちまってごめんな。ピエールも、ありがとうな

 

 

 

考えた瞬間、頬が冷たさと生温さを感じた。生身の肉が泥と接触したのだ。生温いその感触は懐かしかった。その感触は今の自分にとって心地よく、とてもじゃないけど意識をこの辛い現実に置いておくなんてことは不可能だった。

 

 

 

 

 

シンは本当に純粋だった。三竜討伐を目指して、本当にまっすぐだった。あいつにはいうだけの才能もあった。あいつは出来ると思うと突っ込むタイプで、本当にやってのけるタイプだった。ただその分、俺らに求める目標も高くって、ダメだと思うと割と素直にダメというやつだった。

 

 

『サガ。君はその弱さよりもまず、諦め癖を何とかした方がいい。それは君の何よりの欠点だ』

 

 

 

自分でもダメだと思ったところをダメだと指摘するやつは初めてだった。俺はその今まで誰も向けてくれなかった言葉が嬉しくて発奮した。自分をきちんと見てくれるやつだと思った。才能が無いなりに、必死で食らいついていこうと頑張っている時が一番幸せだった。

 

 

 

『うん、まぁ、それはわかってるけどさ。でも、お前、いくら自分が駄目だと思ったからって、そうだとしても他人の欠点を普通面と向かって指摘するかね』

 

『これが単なる他人の関係なら言わない。だが、君と私は今、命を預け合う仲間で、運命共同体だ。ならば君の欠点は私の弱点と言っても過言でない。不安の芽は可能な限りつぶしておくに限る』

 

『あー、うん、お前が間違ったこと言ってねぇってのは間違いねぇわ。だが、お前、それ、俺だからこそこうして苦く笑ってるだけで平然と聞いてられるが、他の奴に言ったら怒髪天を突く勢いでキレられても仕方ない言い方なんだからな?』

 

『……そうか』

 

『そうなんだよ』

 

 

唯一シンの欠点は、人の気持ちに疎いところだった。けれどもその遠慮のなさは俺にとってとても心地の良いものだったし、それを指摘してやれるのがちょっとばかり優越感を感じる出来事だった。そうして空気の読めない発言をするあいつをやり込めるのは、すごく気分が良くなれた。あいつがそうしてそうだったのか、というって頭を下げてくれるのが、内心、すごく嬉しかった。

 

 

『……まぁいいだろう』

 

『いやよくねぇよ、何勝手に納得してんだ、馬鹿。何を以てしていいと判断したんだ、このド阿呆』

 

『足りない部分は補い合う。君の弱さを、私の強さで補う。私の言葉の足りないところを、君が言葉で補う。それもまた、仲間というやつの在り方だ』

 

『シン。お前、そりゃ正しい言葉かもしれないが、てめぇ、数十秒前に自分が言った言葉をよーく思い出してみろ』

 

 

 

ああ、ごめんな、シン。俺がこんなんだから、お前を死なせちまった。才能ないのに、冒険者なんてやってから、お前に迷惑かけちまった。ごめんな。悪かったよ。お願いだから戻ってきてくれ。シン。

 

 

『だが、サガ。君の弱さに由来する欠点は修正が容易かもしれないが、私のこれは私の強さに由来しているが故、なかなかに修正が難しい』

 

『シン。お前……、だから、そういう言い方はだな……!』

 

 

頼むよ。

 

 

『まぁ、あれだ。サガ。君が私より強くなるようなことがあったならば、その時は私も諦めてこの癖をどうにかすると約束しよう』

 

『ははーん。シン、お前、さては改善する気ゼロだな?』

 

 

 

頼む。

 

 

『そんなことはない。だから君が私よりも強くなったならばだな……』

 

『んな時、永久に来ねぇよ! シン、お前、自分の才能がばかげたもんで、俺がポンコツだってことがわかっていってんだろ!』

 

 

シン。

 

 

『サガ。だから諦め癖はよくないと……』

 

『無理なもん無理だっつって何が悪い! ああ、もう、わかったよ! お前のそのポンコツなところは俺がずっとカバーしてやるよ! だからお前、シン、少なくとも俺の欠点がなくなるまでの間は俺の前から消えんじゃねぇぞ!』

 

 

だから。

 

 

『ああ。もちろんだ。約束しよう。君が諦め癖を失くすその時まで、私は君の目の前からいなくならないと』

 

『ふん……、じゃあ、まぁ、こっちも約束してやるよ。お前がいつか冒険を終えるその時まで、俺はずっとお前と一緒にいてやるよ、シン』

 

 

どうか。

 

 

『ああ。約束だ』

 

『ふん。―――じゃあ、ま、約束だな』

 

 

いかないで――――――――

 

 

 

 

シンは特別でした。あれは、天才という部類の人間で、その中でもさらに極まった人間の類です。強すぎて、才能に溢れすぎていて、誰も彼の隣に並び立つことが出来ないような、そんな人間でした。シンという彼の隣に並び立つということ。それは例えてみれば、空を見上げてその向こう側に行くことを懸想するような、夢見物語に等しいものでした。シンという男とそれ以外の人間の間には、それこそ天と地ほども才能の隔絶があります。他の人が一進む間に、彼は十も百も進んでしまうのです。だから誰も彼を同じ人間としてみようとしない。だって彼を自分と同じ人間として認識してしまうと、自分という存在があまりにみじめになってしまう。だからこそ誰も彼もがシンという男を特別扱いした。だからこそ誰も彼を追いかけなかった。誰もが彼の後塵を拝すことを良しとしてしまう。そんな突き抜けた才能を持つ彼に、しかし追いついていこうと必死だったのが、唯一サガという人物でした。

 

 

『む、どうした、サガ』

 

『……シン、……お前、……この俺のこの様を見て、……どうしたと聞くかね、普通…………』

 

 

サガが必死で食らいつこうと努力する。しかしシンはそんなサガの努力をあっけなく追い抜いて、先に進んでしまっている。シンはそして、そうしてかつての自分がいた位置のさらに後ろになんとかやってきたサガに対して、まるで一切の手加減をすることなく足りない部分を指摘するのです。サガは己のダメな部分をはっきりと指摘するシンに常々不貞腐れたように文句を返していましたが、それでもサガは嬉しそうにその隣に並び立とうと努力していました。サガという人物は、私から見ても普通に劣るような才能しか有りませんでした。ですがサガは、だからこそ、自分を他の人物と同じように扱うシンという男にとてもなついていました。

 

 

『疲れているのはわかるが、これも訓練だ。非常時においては日頃の訓練の成果がもろに出るからな。それにまだ潜ってから二週間しかたっていない』

 

 

そしてまた、シンは才人にありがちな他人の気持ちを解するのが苦手な人物であり、サガは他人より能力の劣った弱者が備えがちな空気を読む能力というものに長けていました。足りない強さをシンが補い、足りない他人に対する気遣いというものをサガが補う。才能という点でも、性格という点でも、彼らはいい凸凹コンビでした。

 

 

 

『シン。少しはサガのことを考えてやれ』

 

『ダリ? 』

 

『潜ってまだ二週間じゃない。もう二週間なんだ。今のエトリアにおいて、迷宮の中に一週間以上も平然と潜り続けることの出来るやつは少ない。それに彼は普通の人より小さく、その分体力も少ないんだ。ここは少しペースを落として迷宮内を進むべきだ』

 

『ふむ……、いや、だがしかし、緊急時において敵は待ってくれないのだ。ならば……』

 

『緊急時に対する備えのために緊急時を想定した訓練をするのはわかるが、訓練で実際に緊急時をわざわざ作り出して仲間を危険にさらす奴がどこにいるか! 迷宮のような危険な場所では一番体力のないものの歩調を合わせるのが探索の基本だということを、お前も知っているだろう、シン!』

 

 

反対に、持つ戦闘能力が近しかったシンとダリは、不倶戴天とまでは言いませんが正反対の気質を備えており、反りの合いにくい関係でした。有り余る才能と少ない経験にてエトリアトップの実力を身に着けたシンは、いつだって無茶と思える出来事を提案して、迷宮内を邁進しようとする。普通よりは優れている程度の才能とそんな才能を駆使して長年迷宮にて生き延びてきた経験を持つダリは、そんなシンの無茶を見逃せずに首根っこ掴んででも止めようと立ち塞がる。ブシドーとパラディンという職業面で言えば、互いの能力が恐ろしく噛み合う二人は、性格面ではまさに水と油という程でした。

 

 

『ダリ』

 

『む、サガか。ちょっと待ってろ、今シンを説得してだな……』

 

『お前……、今のは……、ないわ……』

 

『!?』

 

『いや、そこで、「なぜ私が責められる!?」みたいな顔すんのがなおさら駄目だわ。ダリ。お前、仮にそれが事実だったとしても、本人が常日頃から気にしてることを、平然と人前で声を大にして言うかね、普通』

 

『――――あ……』

 

 

まぁ、ダリはダリでシンよりも人の気持ちや場の空気を理解するのを苦手としていて、平時においては他人の気持ちをあえて無視したり平然と自分の気持ちを押し通そうとする傾向のあるシンよりも他人に気を使いがちなダリの方が余計なお世話を焼いてしまって、他人を不愉快にさせてしまうような気質の持ち主でしたが、ともあれ彼らは二人とも互いのことを認めていました。ダリはシンの能力についていける稀有な能力を持つ人間だったのです。彼は才能を補う経験を持っていました。ダリとシンは互いのやり方を嫌いながらも認め合い、いざとなればその相手のやり方にぴったりと息を合わせることのできる、矛盾を形にしたかのような関係でした。

 

 

 

 

そんな一見すると上手くいっていたように見えた私たちの共存関係が、しかしその実、シンにとっては少しばかり退屈な依存関係になりさがってしまっており、そうして続いていた日々がシンに鬱屈としたものを抱えさせてしまっていたのだとわかったのは、エミヤという男が一層を攻略した直後のヘイの店においてです。

 

 

『おう、その通りよ。明日あたりにはエトリア中に話が広がるだろうぜ。いやぁ、出会った時から雰囲気で出来る奴だと感じていたが、まさかこう、単独で新迷宮の一層を攻略する実力の持ち主だとは思わなんだ。いやぁ、声をかけておいて正解だったなぁ』

 

 

ヘイの店でエミヤという男の話を聞いたとき、彼はその時久しぶりに、本当に久しぶりに、爛々と目を輝かせて、かつて出会った頃の彼の顔と雰囲気に戻り出しました。彼の顔はまるで新しいおもちゃを手に入れた子供の用に輝いていました。彼の顔は未知に対する好奇心に満ち溢れていました。そして私はその時初めて、二年という長い時間の中で起きた出来事が彼のことを変化させていたのだということに気がつきました。

 

 

『エミヤだ。迷宮を一人で踏破したという彼が、果たしてどんな能力を持った人なのか、私は非常に気になっているのだ』

 

 

彼は自分より先に迷宮を攻略されたのに嬉しそうでした。力を示して五層に入るという目的が遠のいたのに嬉しそうでした。彼は自分より上位の存在の出現に瞳を輝かせていました。そのとき彼の瞳は、初めて迷宮に潜る際に彼が見せたようなキラキラと輝くもので、なんとも純粋な色をしていました。私は初めて、彼がとんでもない孤独を抱えていた人間だということに気がついたのです。後は記憶から彼の普段の言動を思い返すだけで、私は彼の抱える闇には簡単に気がつけました。彼はずっと自分よりも才能のない私たちに不満を抱えていたのでしょう。今のエトリアという場所を基準にするならば、私たちは頂点と言って過言でない力を保有しています。ですが溢れる天稟を持つシンからしてみれば、そんな私たちですら余人と変わらない存在に過ぎなかった。私たちが一地方の頂点に過ぎないのに対して、彼は世が世なら歴史に名を残していてもおかしくない、世界の頂点に君臨するような才覚の持ち主です。彼は生まれてからずっと頂点に向かって歩いてきた人間であり、そして歩いてきた道のりにあるすべての景色を知っている人間だった。そして不幸なことに、シンは頂点にとどまることを良しとする人間ではなく、どこだかわからない頂点に向かって歩くことこそを良しとする人間だった。

 

 

だからこそシンにとって、私たちと共に頂点であり続けた日々はしかし、さぞかし退屈なものであったに違いなく……。そしてそんな退屈の日々にの中において唯一の希望であった三竜討伐の願いは、マギとアムの死去により断たれてしまい……。だからこそ彼は響という存在を、退屈な日常を壊してくれる異分子として受け入れ、そして、エミヤという頂点をかっさらっていた存在の登場を心の底から喜んだ。

 

 

シンという純粋に見える人間にも、普通の人間らしい顔があるのだな、と私は気付きました。そんな秘密を知っているのがおそらくは私だけなのだろうということが、さらに私の胸を高鳴らせました。その時、私は改めて、私はシンという男を好きなのだなと再確認させられたのです。

 

 

 

 

 

 

赤く燃えた様な樹木が鬱蒼と地面に波濤を作る中、静寂な空間を引き裂いて、サガの咆哮が響いています。大小安定しない音程には、「シンを返せ」とサガの心中に響く無言の叫びがあり、乱れた音階には心の底から湧き出てきている情の全てが現れていて、なんとも悲しい鎮魂曲を奏でていました。

 

 

「――――――っ、ぁ、あっ…! あっ! ああっ……! ああああああああ……!! 」

 

 

サガの悲痛な号泣の様子は私を冷静にさせました。サガがシンの体を揺らし、死を認識したのち、喚いて叫んで地面を殴って繰り返しています。咆哮と号泣より伝わる悲嘆に共感するのが辛くて、目を逸らすと、シンの体が悲惨な状態になっていることに気がつきました。

 

 

「シン……、また貴方は、ひどい格好になって……」

 

 

 

白くなった体は、両の瞼が開いているとも閉じているとも取れない状態で、両腕はそれぞれあらぬ方を向いています。その壊れた人形のような様はいかにも命の喪失を想起させ、不憫をと思いました。だから、せめて全力で生き抜いた男の死に様としてふさわしい様に戻してやろうと考えたのです。

 

 

「少しは見てくれを気にするように、と、口を酸っぱくして言っていたつもりでしたが、結局、最後まで治りませんでしたねぇ……」

 

 

 

シンの尊厳を守る。それを目的として、私は泣きじゃくるサガと両手に持った剣を地面に向けて呆然としている響の間を通り抜けて彼に近寄りました。彼の骸の頭部部分へ回り込むと、楽器を地面に敷いた布の上に下ろし、その頭部に触れ、そして肩を持って持ち上げ、正しました。

 

 

「シン……」

 

 

力の入っていない人間の上半身は、それなりに重いものでした。斜めに傾いていた彼の体を直線に整えてやると、乱れた髪を整えて、中途半端に開いた瞼をきちんと閉じてやり、あらぬ方向に曲がっている腕と指先を取ると、胸の上で指を絡ませ、両手を組ませてやりました。

 

 

「本当に、最後まで……」

 

 

 

ようやく彼はきちんと尊厳を持った体裁を取り戻します。顔をじっと見ていると、今にも起き上がってきそうな笑顔を浮かべる彼は、しかしやはり物言わぬ骸のまま横たわっています。ああ、死んでいる。そこで私はようやく、シンが死んだのだという実感を得ました。

 

 

「自由で、奔放で……」 

 

 

彼の死を悼んで、彼の生き様を振り返って、思わず涙を流しました。彼の目標に向かってまっすぐと進む姿は、私にとって頼れる指針そのものでした。彼と一緒にいれば、まだ見ぬ世界を見ることができる。彼は私に最高の刺激を与えてくれる、無二の親友でした。

 

 

「好き勝手で、本当に、好き勝手に、生き抜いて……」

 

 

サガとの凸凹っぷりも、マギとアムにだけは頭の上がらない様子の彼も、ダリとの反りの合わなさも、響という少女とのドタバタも、エミヤという男に憧れる彼も、その全てが、かけがえのない、日々でした。

 

 

 

――――――だ、だから、わ、わたしは、こ、こ、こんな、こんな。

 

 

 

「こ、こんな、……っ、ところで、まだ、っ……ひっ……う、もく、もく、も、もくてきの、あ、さ、さんりゅうもたおしてないのに、ま、ま、まんぞくげに、いく、なんて……っあ」

 

 

 

 

 

 

自らの無様さがたまらなくなったのでしょう、気付けば私は帽子に顔を伏せて、醜く歪んだ自らの顔を隠してしまっていました。痛んだ声帯は掠れた声をそれでも絞り出して、嗚咽はいつまでたっても止まってくれませんでした。彼の死を悼んで滔々と溢れる涙はとめどなく頬を伝って彼の顔元に垂れ落ちてゆきます。水滴が彼の顔に落ちると、彼の汚れた顔を伝い涙は流れて行きました。

 

 

「なんで……! な、なんで、あな、あなたが、こ、こん、こんな……っ!」

 

 

 

どうか今一度と立ち上がってその無礼を怒ってくれと祈っても、蘇るのはシンと迷宮を旅した日々の追憶ばかりで、彼は横たわったままピクリともしません。しかして悲嘆に染まる脳裏に浮かぶ記憶の中では、彼は誰よりも早く戦場を自在に駆け回って敵を斬り伏せ、そして、いつもの様に不遜に笑って見せるのです。それが一段と追憶を色付けて、胸に痛みを呼び起こすのです。

 

 

 

「たおすって……! わたしにそのこうけいをみせてくれるって……!」

 

 

湧き上がってくる記憶と思いにたまらず顔を帽子から解き放つと、途端、彼の死に顔が目に移りました。閉じたその瞳の奥にあった純粋さと潔癖な部分が生む真っ直ぐな視線や、自分が下手を打っても当然別のメンバーが尻拭いをしてくれると信じてやまないその我儘な気質は、性格も性質もバラバラな私たちを強く結びつける硬い絆の象徴でした。

 

 

「あなたはそういって! だ、だからわたしは、それをたのしみにしていた! な、なのに、なのに……! なのに……っ!」

 

 

 

移ろいゆく世の中でも不変を貫こうとする強さを彼は持っていました。このままいつまでも、変わらぬ彼の側で活躍を見続けることができるのなら、それはなんて幸せな日々なのだろうと懸想していました。

 

 

「なぜあなたはそこで死んでいるんですか、シン!」

 

 

 

しかし、今、もう、彼はいなくなりました。強かった彼は地面に臥してしまい、真の意味で永遠に変わらぬ存在になりました。零れ落ちた精神は天に帰りました。やがて肉体も地に帰るのでしょう。見上げると、あたりを照らす光量が徐々に減り、夜の闇が到来しつつあることに気がつきました。

 

 

「シン……、シン……っ!」

 

 

 

世界はシンがいようといまいと変わらず時を進めて、空の色を刻々と変化させてゆきます。そろそろ太陽と月が役目を交代する時刻です。私は世界を美しく照らし上げる太陽のことは嫌いでないですが、全ての影を白日のもとにさらけ出してしまう太陽の光だけはあまり好きではありません。

 

 

 

変化の中で不変であろうとする変化し続ける存在は好きですが、何もせずとも真に不変を保つことの出来るものは嫌いなのです。いつでも煌煌と輝く強い陽光は、その素晴らしいまでの明るさで世界をまさに白日の下にさらしだし、想像の余地のない完成した絵画の様な完璧さを見せ付けてきます。たとえ空に雲があろうと、世界はかならず太陽の光によって支配されてしまいます。太陽は何があろうと、地面を端から端まで照らしだすことが可能であるのです。そんな永遠に変わらぬという存在と主張するような不遜さが、私には気に食わないのです。

 

 

 

対して月は素晴らしい。月の光は頼りなく、雲がその姿を遮った途端、地面は闇の中に消えてしまいます。その、なんとも頼りなく弱々しいけれど、しかし姿を表した瞬間、意地でもはるかのように天と地を明るく照らしてやろうと儚く光る必死さと強情さが、なんとも人間の在り方に似ていて素晴らしいと思うのです。

 

 

 

そうです。例えて言うなれば、一見太陽のようであったシンはしかし月であり、シンの足跡は月の光でした。私たちは彼の照らす光に従って歩く旅人だったのです。彼の放つ光は弱々しくともすれば見失ってしまいそうな程のものでした。しかし、だからこそ、旅人である私たちも積極的に光を見失わないよう努力をし、そして彼と私たちは彼の照らす仄かに明るい未来の地図を辿ることで、迷宮という暗闇を踏破して来れたのです。彼と私たちの間には、確かな協力関係がありました。

 

 

 

しかしそこに、エミヤという太陽が現れました。太陽が光で全ての場所を露わにするように、彼はその確かな実力を持って、単独にて新迷宮へ挑み、番人を倒し、地図を作りあげ、新迷宮の一層を白日の下に晒しだしてしましました。そう、いわば彼は太陽のような絶対的強者であり、完成した地図のようなものなのです。

 

 

 

エミヤという男の生み出した成果とその地図は、それを知って、それを見てしまったが最後、もうそれ以外の答えは得られないと周囲の人間を納得させてしまう完璧で絶対的なものでした。それほどまでに彼の実力は隔絶しており、出した結果は非の打ち所がない理想的な功績でした。実力と功績に遠く及ばぬなら諦めてしまうのが凡人の性分ですが、しかし我々の中でも飛び抜けて高い才能と実力を持っていたシンという月は、強情っぱりの彼は、己もその高みに登りたいと望みました。だからこそシンは、番人討伐の共同戦線をあれほど拒んだのです。

 

 

 

シンはエミヤという男に憧れていました。エミヤという男が、どんな実力で、どんな戦い方で、どのようにしたら単独で迷宮に潜ろうと考えられるのかを知りたがっていました。エミヤという男に憧れたシンはそして当然のように彼の後を追いかけはじめ、やがては己もその領域に達したいと考えるようになり、それ故でしょうシンはいつも以上に発奮して迷宮攻略にいそしむようになり、やがて一時的にとはいえ彼の隣に並びたてたシンは、己の能力を試すようにしてエミヤですら苦戦する強敵に挑み―――、

 

 

―――そして当たり前のように、命を散らしてしまったのです

 

 

シンはエミヤの後を追いかけたがゆえに、死んでしまった。もちろん単独で難易度の高い迷宮攻略を試みて結果を出しただけのエミヤに罪はありません。そしてまた、弱かった私たちに、彼がいなければ先の番人戦でただ無残に殺されていただろう私たちに、文句を言うことなどできません。何より、それこそがシンの望んだ生き方であり、同時に死に様であったのだろうことを考えると、文句などはお門違いだということを、私は心底理解できています。

 

 

 

そうです。私は、エミヤに文句をつける気はありませんし、文句を言うことなどできませんし、他でもないシンがそんな生き様と死に様を望んでいたことを理解はしているのです。ですが、それでも。それでも、なぜは彼はそこまで強く、私たちが五人がかり倒せる番人を一人で倒せる実力がありながら、それでも、なぜ、シンを助けてくれなかったのかと思うのを止めることはできませんでした。

 

 

 

八つ当たりでしかない感情の名前は、理不尽極まりない身勝手な憤怒。エミヤという恩人に対してそのような感情を抱くなど、彼に憧れたシンが誰よりも望まないことはわかっていながら、しかし、私は輝かしい功績と高い実力を持つ彼に醜い感情が溢れてきます。

 

 

 

醜い。あまりにも醜い。こんな刺激はいらない。だれか。こんな私に罰を与えてほしい。

 

 

 

―――ああ、シン。どうか、出来ることなら、もう一度起き上がって、この不甲斐ない私を殴り飛ばし、叱りつけてください。どうかもう一度、傲岸不遜な態度で、私の不安を吹き飛ばし下さい

 

 

もちろんそう切に願ったところで、死人は蘇る事などありません。私はシンが永遠に失われてしまった事実に、涙と嗚咽をあげて哀悼を捧げ続けていました。

 

 

 

―――ああ、そうだ

 

 

さなか、私は思い出しました。この胸を裂く痛みが薄れて消えてしまう前に、せめて今回のシンの活躍を見た際に感じた想いに、歓喜の感情を乗せて、歌に残しておかないといけないということを。どれだけ胸を裂く痛みだろうと、このままだと明日にはこの悲しみは、色褪せて鮮やかさを失ってしまうのですから。

 

 

 

 

 

 

泣きじゃくるギルドの仲間を見ながら、思う。シンが死んだ。あの男が死んだ。私をこの道に引きずり込んだ男が、死んだ。彼の三つに切り分けられた体が一つになり、息を吹き返したのを見てしまったためか、未だに彼が死んだという実感がない。いや、違う。死んだという確信はあるのに、その事実を淡々と受け止められてしまっている。

 

 

「……」

 

 

 

うつ伏せに倒れこんだサガの体を仰向けにしてやると顔についた泥を払って呼吸口を確保したのち、シンの遺骸の前に進み、手を合わせて冥福を祈る。

 

 

―――どうか安らかに眠ってくれ……

 

 

かつて飽きるほどに繰り返してきた祈りをすませて立ち上がると、他のメンバーの様子を見るために立ち上がった。見回すと泣き疲れて眠ってしまったサガは言うまでもなく、普段は飄々としているピエールも流石に仲間の死は堪えたようで未だに嗚咽を漏らし続けており、響などは現実を受け止めて切れていないのか口を開いて呆然としたままの状態だ。

 

 

―――彼らも気持ちを整理する時間も必要だろう

 

 

目線を切って立ち上がると、槍盾を構えて両の足で大地をしっかりと踏みしめ、周囲に警戒の視線を送りつける。迷宮という危険な場所において戦えない状態の仲間がいる以上、戦える状態の仲間があたりを警戒するのは当然の流れである。だが、そんないつもなら当たり前の挙動を取った時、不意に、仲間が死んだというにもかかわらず己があまりに冷徹な対処行動を取れたというそんな事実に気付いて、改めて我が身の薄情さを認識させられる。

 

 

我ながら、何とも情に薄い。悲しいのは悲しいのだが、彼らほど過剰な反応を見せられるほど、気持ちが湧き上がってこないのだ。胸に去来したのは、ああ、また一人迷宮の中で死んでしまったか、という残念さだけだった。だって死んでしまったものは戻らないのだ。泣き叫んだところで、気持ちを吐き出したところで、現実から逃げようと意識を他のところに置いたところで、シンが死んでしまったという現実は何も変わらない。

 

 

そう思ってしまう自分がいる。そう理解して、取り乱すのをやめた自分がいる。私はどこまでも冷静だった。ふと、私はサガやピエールの様に外聞も何も捨てて泣き喚き取り乱す程、響の様に、呆然と思考停止の状態で固まる程、彼の事を親しく思っていなかったという事なのだろうかという思いが湧き上がってきて、そう考えると直後、胸の中に締め付けるような痛みが訪れるのだから、薄情というほかにいいようなどない。

 

 

―――ああ

 

 

 

我が身の薄情を自覚した途端、胸の中には疎外感が去来した。自分だけが彼らと違うという事実がたまらなく自分の裡を刺激して、心臓をキリキリと痛めつける要因になっている。

 

 

―――私は自分の事はこんなにも憐れむ事ができるのに、人の死に対して何故こうも希薄にしか反応できないのだろうか

 

 

己を憐れと思う気持ちが、余計に今の自らを惨めさを自覚させる枷となってゆく。他人のことを思いやれない。他人の痛みを理解してやることが出来ない。他人の死を悲しむことが出来ない。そんな人間に果たしていったい、どれほどの価値があるというのだろうか。我が身に価値がないことを自覚させられるほどに、心の傷がは余計に広がってゆく。知り合いの死によってではなく、附随して発生した我が身の不明さを恥じる感情によってのみ自らの心が痛んだというその事実がさらに自らの不肖さの証左であるようで、余計に心が傷ついてゆく。

 

 

―――私という人物は本当に、どこまでも自分のことでしか心を痛められない、生きるにまこと恥ずべき人間である

 

 

「君は冷静なのだな」

 

 

 

懊悩を抱えつつも警戒の態度を緩めずにいると、エミヤという男が尋ねてきた。振り向いて彼を見てみれば、そういえば、彼だけはシンの死に対して過剰な反応を見せていないということに気が付ける。

 

 

―――共に過ごした時間が短いためだろうか。もしや彼も他人に情を抱きにくい人間なのだろうか

 

 

 

「そうだな。自分でも不思議なくらいだ。涙の一つでも出るかと思ったが、そんな事もない。悲しくないわけではないのだが、あそこまで大業に反応ができない」

 

 

 

相手が同類であるかもと認識した途端、そんな言葉がするりと胸の裡から湧いて出てきた。饒舌に生まれた言葉によって再び己に対して情けないと思う気持ちが去来し、胸を刺すような痛みが併せて襲い掛かってくる。こんな風に自分ごとでしか悲しみの感情を生み出せない自分がなんとも惨めに思えて、泣きたい気持ちにすらなってきた。その泣きたいと思うのすら自分のためだと思うと、それがさらなる毒となって、己は余計に惨めな思いを抱かさせれてしまうのだ。

 

 

 

―――ああ、ほんと、なんという無様さだ

 

 

 

「……なるほどな。……ダリとか言ったか。君、元々は別のギルドに所属していたか、あるいは冒険者でなく、医者とか、兵士とか、墓守とか、そういう職種だっただろう? 」

 

 

だがしかし、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、エミヤは平然とそんなことを問うてくる。

 

 

「……確かに私は以前エトリアの衛兵だったが、どうしてそう判断した? 」

 

「冷めている、というより、割り切れている風に見えたからだ。誰かが死ぬという事態に死に慣れているからこそ、親しいものが死んでも割り切った態度が自然と取れてしまう。多分、君は彼ら以上に人死に接してきたのだろう。人死には残念と思っているが、喚いたところで死人は蘇らない。このエトリアでその絶対的な理を腹に落とし込める事ができるほど、人の死に接する経験のがありそうな職業というと、私の知る限り、先の三つだったというわけだ」

 

 

 

死に慣れている。彼の言った言葉は私の胸の中へすんなりと落ち込んできた。なるほど的確だ。確かに私はかつて衛兵だった頃、自分の実力以上の場所に挑んで死した冒険者たちの遺体を何十人も回収して来た。初めて死体を見たのはもう何年前のことだったか……、あれは衛兵になり、半月ほど経った頃のことだったはずだ。

 

 

『―――! ―――!? ――! ―――!』

 

『―――う、え、ぉ、ぉぇ』

 

 

傍らで彼の仲間が、かつて彼だった存在に対して叫んでいた。彼のその様は酷いものだった。仲間の遺骸を回収したいとの連絡を受けて減った人間の一時的な補填として同行した私は、やがて見つけたかつて仲間だった彼を前に、泣き叫ぶ彼らの感情に引きずられるようにして、涙を流しながら嘔吐した。

 

 

『お、ぉぇぇぇぇ、ぷ、う、うっぷ、お、え……』

 

 

迷宮の獣共に食い散らかされた彼らの亡骸はあまりにも無残な残骸に成り果てていた。そう。私はその時も、彼らの死を悼んで無様を晒したのではなく、晒された跡の凄惨さが齎す嫌悪感と己の目の前にある残酷な現実を否定したいとの恐怖によって大いに泣き、吐瀉したのだ。

 

 

―――ああ、なんだ。私は初めから、そうだったのか

 

 

覚悟はしていた。そういうものだと、先輩から聞かされていた。しかし、甘かった。実際に見た食いちぎられた死体はあまりにもおぞましく、想像を超えてやってきた現実は、たやすく私の許容というものを満たし、我が身にたまっていた余分を湧き上がる感情と共に吐き出させてゆく。そうして初めは無様を晒した私は、任務を終えて帰ったのち、私の様子を見て心配してくれた先任の衛兵に「大丈夫。明日になれば、きっと、もう平気になってるさ」と優しく声をかけられた。その時は、何を言っているんだ、そんなことあるわけないだろう、と反感を抱いたものだったが、実際のところは、たしかにそう、その通りだった。

 

 

 

そうだ。そう、あの時も、なぜだろう、と考えた。他人の結果より齎されたものとはいえ、自分の裡から湧いて出た己への憐憫や嫌悪という強い感情がたった一日で消えてくれる理由がどうしてもよくわからなかった。

 

 

その時ついてきてくれた先輩には、『忘れちまえよ。気持ちの悪い記憶やそんな鬱屈とした感情、いつまで抱えていても、いいことなんて一つもないぜ』、と慰められた。

 

 

納得が出来ず、言葉をくれた衛兵の彼に聞いても、彼は苦笑いして、『俺もそうだった。俺の前のやつも、同じ時期に衛兵になったやつもそうだった。多くの衛兵は、大抵そうなる。きっと、衛兵になるってのはそういうものなんだ』と、よくわからない理屈を答えるばかりで、はっきりとした答えを得られることはついぞなかった。

 

 

『――――! ――! ――!』

 

『―――ひ、う、ぷ……』

 

 

そして答えを得られないままやってきた二度目の時、私は何とか吐くのを堪えた。忘れようと努めたけれど、残念ながら夜に怯えるのは止められなかった。

 

 

『――――――――! ――――! ――! ―!』

 

「―――――ぅ……」

 

 

三度目、私は泣くのも堪えられた。忘れようと努めていると、負の感情は夜寝る前には消えていた。

 

 

『――! ――――! ――――――! ―!』

 

「―――――ぅ……」

 

 

四度目からは平気になっていた。忘れようなどと考えることもなく、私は次の日にはそんなことをすっかりと忘れて島ていた。そうだ、私はそうして慣れていったのだ。

 

 

 

『―――! ――! ――! ――――――――!』

 

『―――』

 

 

五度目からはどんな死人だったかすらも覚えていない。忘れようと意識することすらなくなっていた。そのころになると薄情なことに人間の死体なんて言うものはもう散らかっただけの荷物も同然で、私はただの運搬役だった。その後も衛兵として活動するさなか、私は何度も持ち帰った遺骸を前に泣き崩れる彼らの側で損壊した死体を見続けてきたし、共に出向いて遺骸を回収しに言った時、迷宮の中で敵を呼び寄せるかの様に大声をだして泣き喚く彼らが魔物に襲われない様に見張っていた事もある。

 

 

 

―――ああ、なるほど、私は慣れているのか

 

 

確かに私は彼らより死に慣れている。私は衛兵として過ごす日々の中で、誰かが死ぬという事態に慣れてきたのだ。こんな簡単な理屈になぜ気付かなかったのだろう、と思ったが、他人の気持ちの動きに疎いものは自分の気持ちの動きも鈍くしか理解できないのだろうと、勝手に納得した。目の前でエミヤという男が発した言葉によって、胸の裡でもやもやとしていた霧の一部が晴れてゆく。それと共に、自己を嫌悪するという感覚が少しばかり薄れていった。

 

 

「何故私が最初は冒険者でなかったと見抜けたのだ? 」

 

 

すると現金なもので、余裕が疑問を呼んだのだろう、気付くと私は口からその声を発していた。エミヤは肩をすくめると、口を開く。

 

 

「なに、彼らが知人の死にああも反応しているのに、君だけは冷静だったからな。一度結成したのなら解散をする事が滅多にないと言われるギルドの、その集団の人間が仲間の死に慣れていない反応をするものだらけの中、一人だけ割り切った反応を見せる男がいるのなら、それはそいつが元々は違うところに所属していたと考えるのが自然だろう? そしてこのエトリアにおいて死と接することの出来る職業なんてものは、数種しか思いつかなかったという、ただそれだけの話なのさ」

 

 

 

エミヤの言葉に私は頷いて返すと、そこで再びシンの遺骸に縋りつく仲間達の様子へと視線をうつした。シンの死を悼んでいる彼らは、未だに現実を受け入れられずにいるようだった。そんな情け深い彼らの様を羨ましく思いながらも、私は周囲を見渡してゆく。静けさを保っている森は変わらず葉から樹木に至るまで赤く染まっているが、その影が薄くなっている事に気付ける。樹木の間を縫って差し込む光の量が少なくなっているのだ

 

 

 

「エミヤ。そろそろ夜が近い」

 

「……その様だな。それで? 」

 

「夜になると迷宮はまた違った姿を見せる。魔物が活性化する事も少なくない。安全を考えるなら、そろそろ引くべきだろう」

 

 

 

彼はさもありなんという様に肩をすくめると、視線をシンらの方へと投げかけた。その顔は、わかったが彼らはどうするのだ、と問うている。私は少し戸惑い心中で覚悟を決めると、多少落ち着きを見せたピエールに話しかける。

 

 

 

「……ピエール。いいだろうか」

 

「……ええ。聞こえていました。……っく、戻るのでしょう? ええ、大丈夫です。……っく、今のシンなら、体がばらばらになる事もないでしょう。……っ、死んでいますからね……」

 

 

 

己の口から出た言葉に、ピエールが再び静かに涙を流した。私はきっとこれが普通の感性なのだろうなと考え、彼らの様に素直に悲しさを表現出来ない事を少し寂しく思った。そして結局、自己憐憫しか出来ていない自分の事を、やはり惨めだと強く感じる。

 

 

 

「そうだな。その通りだ」

 

 

 

己の疚しさを誤魔化すよう私は努めて冷静に言ってのけると、使う予定などまるでなかった人の大きさほどの柔らかい皮袋を取り出し骸となった彼を入れてやり、槍と盾を背中に回して自由になった両手でシンの遺体を抱きかかえた。力の入っていない彼の体は、その細身の外見に反して重く、しかし彼のかつての力強い言動からは考えられないほど軽かった。

 

 

 

「ピエールはサガを頼む。エミヤ。悪いが、響を頼めるだろうか」

 

「ええ、わかりました」

 

「了解した」

 

 

 

ピエールは地面に目線を固定させたまま呆然している響の頬を何度か叩くが、彼女はまるで反応を見せなかった。ピエールは彼女の腕を持ち上げると、自らの首に回し、無理やり立ち上がらせ、そして少し顔をしかめる。私はピエールの体がふらついたことから、シンの剣を片手で固く握りしめたまま無反応の響が己の体重を支える意思すら見せないので、予想以上に負荷がかかったのだろうと推測する。

 

 

 

それでもピエールならば問題あるまいと勝手に結論を出してエミヤの方を向けば、彼は仰向けで気絶しているサガを持ち上げ、肩に引っ掛けている最中だった。彼はそしてサガが身につけている籠手を回収すると、少し考え込み、そして上下が切り裂かれた番人の巨大な頭部に剣を突き立てて上下の顎が離れぬよう固定し、それを持ったまま涼しげな様子でこちらに顔を向けて言う。

 

 

 

「番人を倒したと言う証は必要だろう? ……それで、戻ってどうする? 」

 

「まずはシンの遺体と気絶した彼らを施薬院に運ぶ。預けた後、発行される証書を持って、執政院でシンの死亡と番人討伐の報告と手続きを行う。エミヤ。悪いが、執政院まではご同行願いたい。番人討伐の報告には当人がいたほうがいい」

 

「了解だ」

 

「ピエール。糸を頼む」

 

「……はい」

 

 

 

ピエールは回収した響の鞄を漁るとアリアドネの糸を取り出して、その糸を解く。力が解き放たれ、効力が発揮される。飛ばされる寸前、抱きかかえたシンの遺骸をもう一度眺める。彼の活躍を見る事はもうないのだな、と思うと、不思議と今まで気配も見せなかった感情が胸中に襲来して、涙が溢れた。

 

 

 

―――この感情は、この涙は彼と共に戦えなくなった自分を憐れむ身勝手がもたらすものなのか、真に彼の死の悲しみを押し殺していた事によるものなのか

 

 

 

―――できれば後者であってほしい

 

 

 

判断を下す間も無く、私たちの体は光の中に消えてゆく。

 

 

 

 

 

 

エトリアに戻った私とダリたちは、驚く転移所の衛兵に番人の頭部を預けると執政院までの運搬を頼み、シンの遺骸と動かない二人を施薬院に運びこんだ。施薬院の人間は淡々と彼の遺骸を受け取ると、死亡証明書を発行し、ダリがそれを受け取ってサインをした。そうして発行された証明書を持ってダリは受け取ると、ピエールにその場を任せて私とダリは執政院に向かってゆく。

 

 

 

施薬院の扉を潜り表に出ると、賑やかだった広場は一転して不自然なまでの静けさに包まれていた。音の代わりに痛いほどの多くの好奇の視線が私たちに注がれる。少しばかり怪訝に思ったが、己らの姿を顧みて納得した。大半が獣のものとはいえ、血と脂と異臭とに塗れた人間が突如として出現すれば、この様な反応の一つをされても仕方があるまい。

 

 

一歩を踏み出す。聴衆は黙って一歩引く。海を真っ二つにしたモーセがやった様に、一歩ごとに人波が割れてゆく。その様を無視して進む。嫌悪や畏怖で進む道が拓かれてゆく様はかつての己の生涯を思い起こさせて、余計な感傷を抱かせた。何とも無様な話である。

 

 

 

誰もが息を呑んでいる無音の空間に、かつんかつんと石畳を叩く靴音と人の散してゆく音だけが響いてゆく。陽は落ちていてすでに辺りは暗かった。広場中央に設置された灯籠が私たちの影を町の外に向かって生み出していた。暗い道に生まれた影を追う様にして執政院に向かってゆく。

 

 

 

そして執政院の前までやってくると、院の前で警護しているにいる衛兵と目があった。彼らは私たちを見て少しばかり目を背けようとしたが、思い直したかの様に頭を振ると真っ直ぐ正面より無言で最敬礼をして構えた。

 

 

 

「番人の討伐、お疲れ様です。持ち帰られました証拠の品はすでに鑑定所の方に運び込まれております。どうぞ中へ」

 

「ありがとう」

 

 

 

横にやってきたダリが礼を述べると、兵士たちは再び姿勢を正して最敬礼して見せた。その横を通り抜けて執政院の巨大な門を潜る。すると背後から重苦しく鈍い音が聞こえ、そして広場より入り込んできていた光が途絶え、一切の音が聞こえなくなる。門が閉められたのだ。

 

 

 

「珍しい事もあるものだ」

 

 

 

ダリがポツリと漏らした。

 

 

 

「何がだ」

 

「門だよ。昼夜問わず終始開かれているあれが閉じられるなんて滅多にない。雨風が余程強い時くらいだ。余程の事情がなければあの門は閉じられない」

 

「なら、そういう事なのだろうよ」

 

「ん? 」

 

「私たちの来訪が余程の事情であるのだろう」

 

 

 

彼は荒げた鼻息を一つその鼻腔から噴出させて、納得の返事としたようだった。静かな暗がりの廊下を歩いてゆくと、受付はすぐそこだ。たどり着いた私たちを緊張の面持ちで出迎えてくれた受付の人間は、上擦った声で「ようこそ」と言ってのけると、「どのようなご用件で」、と続けた。このような汚れた人間に対しても笑顔と平静の態度で接しようとする彼の職業意識の高さに、意図しない敬意の念が湧き上がってくる。

 

 

 

「番人の討伐。それとギルドメンバーの死亡報告だ。担当者に話を通してもらいたい」

 

 

 

だがしかし、そんな青年の精いっぱいの虚勢をダリの言葉が粉砕した。受付の青年は体をびくりと浮かせる。全身に緊張が走り、少し強張った様子を見せる。おっかなびっくりとしながら、青年は口ごもり、しかし、質問をこちらへと投げてきた。

 

 

 

「あ、っと、その、死亡の? 」

 

「ああ。番人戦は討伐したが、一人死亡者が出た」

 

「……その、ご愁傷様です。……施薬院の方へは……」

 

「遺骸は既に運び込んだ。これが証明だ」

 

 

 

受付の青年はダリの差し出した書類を恭しく受け取ると、具に紙面の上から下までに目を通す。文字をなぞる指先が紙片の一番下まで到達した時、一度目を瞑り、小さく頷き、言う。

 

 

 

「はい、確かに受領いたしました。番人の討伐も含めまして、担当の者に伝えておきます。すぐにお会いになられますか? 」

 

 

 

受付の青年はダリと私を交互に見て、告げる。ダリがこちらを向いた。

 

 

 

「エミヤ、どうする? 」

 

「私はどちらでも、……とは言いたいが、いささか消耗が激しい。左腕を施薬院で見てもらいたいというのもある。後日に改めてということにしてもらえるとありがたいが」

 

「そうか、わかった。そうしてもらえると、こちらとしても助かる」

 

 

 

ダリは頷くと、受付の青年に言う。青年はどこかほっとした様子だった。

 

 

 

「というわけだ。すまないが、後日改めて担当の方へ報告ということでお願いしたい」

 

「承知しました。日時はいつ頃ご都合よろしいでしょうか? 」

 

「……いや、すまない、それもわからない。施薬院に運び込んだ生き残りの仲間の事情がある。……そうだな、二、三日中に来るようにはする。すまないがそれでよろしいだろうか? 」

 

「承知しました。そういたしましたら、この受付票をどうぞ。受付の者に渡せば話が通るようにしておきます。ご都合よろしい時においでください。あとこちらは、皆様が持ち帰った素材の受領証です。合わせてどうぞ」

 

 

 

青年は恭しく二つの書類を差し出してきた。ダリは受け取ると、礼を述べ、こちらを向く。

 

 

 

「さて、エミヤ。では施薬院に戻ろう。細かい話は向こうで」

 

「了解した」

 

 

 

返事をすると、彼は書類を胸元にしまいこみ、先んじて歩き出す。その足取りは仲間を失ったばかりとは思えないほどしっかりとしたものだった。

 

 

 

 

 

 

一同と別れた後、宿へと戻った私は、出迎えた女将に仰天されながらも着ていたものを剥ぎ取られ、風呂桶の中に叩き込まれた。張り替えられたばかりの汚れの浮いていない湯に、私の血と汗と疲労が溶け込んでゆく。湯に浸かりながら、今日ついたばかりの傷跡が一つとしてなくなった左腕を眺めた。

 

 

 

番人との戦闘の際、千切れた左腕でも違和感なく戦えていたのは、己の全身にかけていた強化の魔術と昂ぶった精神のおかげだったのだろう、番人戦において地面と唾液に塗れた傷口を多少洗浄した直後、無理やり接合した腕は、当然というか傷口に残留物が残っていた。

 

 

 

そして、迷宮から戻った直後、無理やり接合した私の腕は痛みによりその違和感を訴えていた。その悩みをまるごと取り除いてくれたのが、ケフト施薬院の医者だ。医者のスキルによる治療は、迷宮で千切れた部分の違和感を見事に無くしてくれていた。本当に見事な手腕であると心の底から思う。

 

 

 

ただ、そうして治療される際、痛みもなく、腕の中から、皮膚と繊維と神経と血管の間をすり抜けるようにして、残っていた異物が体内より音もなく出てくる所は、まるで死体よりずるりと蛆が這い出てきたような悍ましさがあった。あの傷口を蛆が這い回る、マゴット治療を受けているかのようなむず痒い感覚は、決して慣れられるようなものではないだろう。

 

 

 

湯船より腕をあげて傷のあった場所をさすると、無骨な腕の指先より垂れた滴が湯に落ち、瞬間だけ水面に波紋を作り、すぐ消えた。雫の消える様を見て、施薬院で別れる際に交わした会話を思い出す。

 

 

 

「悪いが、明日、私たちのギルドハウスまでご足労願えないだろうか。今後のことについてみんなで話し合いたい」

 

「構わないが……、大丈夫か?」

 

 

 

狂乱の果てに気絶した一人と、治療が完了しても未だに放心状態の人間が、半日もしないうちに話し合いのできるまともな状態に戻れるとは思えなかったのだ。

 

 

 

「大丈夫だ。明日にはこいつらも、きっときちんとした状態で、ギルドハウスにいるよ」

 

「……、そうか。了解した」

 

 

 

だが、ダリはそう断言する。断言には確信に近いものがあった。言い切る彼の真剣みに押しきられて了承の返事を返すと、彼は頷いて、メモを取り出すと鉛筆でサラサラと記載し、こちらに差し出した。

 

 

 

「ありがとう。では、よろしく頼む。道はこれに記しておいた」

 

「では、私もこれで」

 

 

 

一言も発しなかったピエールは、一人先にどこかへと消えていった。ダリは彼とは別の方向へと歩を進め、気絶した一人を背負い、放心状態の一人の手を引いて、夜の闇に消えてゆく。

 

 

 

―――彼らはいったい、これからどうするつもりなのだろうか

 

 

シンという男があのギルドの柱であったことには間違いない。あの異邦人というギルドは、彼という存在と彼の持つ強さがあったからこそ、このエトリアにおいてトップでいることが出来たのだ。彼と出会ったあの日から今日、最後の瞬間に至るまでに目撃してきた彼の強さには、そんな予想に過ぎない想像をしかし確固たる事実だろうと思わせるだけの強度があった。彼という存在がいたからこそ、あのギルドはトップでいられたのだ。彼という存在がいたからこそ、あのギルドはまとまっていたのだ。だが今、シンという大黒柱はギルドから無くなってしまった。大黒柱を失った家は、途端に脆い家になり果てる。家の芯材と軸がしっかりしているからこそ、家はその強度を保てるのだ。ならばその芯となる人物を失ってしまった彼らの行く末に、果たして明るい未来は待ち受けているのだろうか―――

 

 

――――――、やめよう。それは私がここで考えたところで解決しない問題だ

 

 

今日はあまりに多くのことがありすぎた。おかげで思考が暴走していて、心に余裕がない。また、長湯をしすぎたせいで体どころか頭まで茹っている。下手な考え、休みに似たり。人間、余裕がない時は話が拡散してしまいがちなものだ。物事を単純化するということは、心に余裕があるからこそできる技なのである。

 

 

―――こういう時はさっさと寝るに限る

 

 

大きくため息を吐いて、湯船より立ち上がると、ざぁ、と自らの体から流れ落ちた余分が湯に混じって流れ、排水口に吸い込まれていく。風呂場に用意されていたローブをありがたく借りて火照る体を包み込むと、インに礼を述べ、明日の朝、寝ていたら起こしてほしいと伝えて部屋に戻る。インは何かを察していたようで、何も言ってこない。それがとても有り難い気遣いだと思った。疲れた体をベッドに放り出して瞼を閉じると、そのまま意識を手放すことは、宵闇の中でありもしない答えを求めて彷徨うよりもずっと容易だった。

 

 

 

 

 

 

ベッドに乱暴に投げ込まれる。ベッドのバネが体を空中に押し返して、数度、私の体は跳ねあがった。押し上げられた部分と、硬さが残る寝床とに挟まれた皮膚が痛みを訴えるけれど、血と汗で汚れた体はそれでも動いてくれなかった。ずっと。ずっとだ。意識はあの時からずっとあったけれど、心がどうしてもあの場、あの瞬間と、あの場所から離れてくれていない。

 

 

 

ダリは同じようにしてベッドにサガを投げ込んだ。ベッドは私の時と同じように跳ねて、しかし気絶しているサガは静かに受け入れられてゆく。ダリは長く重い息を吐きだすと、誰にいうわけでもなく、言った。

 

 

 

「明朝、鐘がなっても起きてこない場合、昼前には起こしにくる。昼以降、エミヤが来たら、今回の配分と、今後のことを話し合う。話は彼との共同戦線についてが主題になるだろう。今後、迷宮を潜る際にはシンに変わって、彼を主軸において進むことになるだろうからな」

 

 

 

指先がピクリと反応を見せた。今までまるで動こうともしなかった頭と体へと急速に血の気が巡ってゆく。体に熱が戻って来るのを感じた。そして戻った熱にうなされるようにして跳ねるよう起き上がると、私とサガの横に私たちの装備を置いていたダリが驚く様子が目に入ってきた。だが今はそんなこと、どうでもいい。

 

 

――ああ

 

 

 

「ダリさん。今、なんていいました? 」

 

 

 

口から出た言葉は、自分でも驚くほど冷たかった。ダリは少し気圧された感じ後ろに一歩下がったけれど、しっかりと姿勢を正して顎に手を当てて考え込み、言う。

 

 

 

「明日、昼、エミヤが来る。それまでに起きてこなかったら、起こしにくる。議題は今回の探索の報酬の配分と共同戦線についての二つ。後者が主になるだろう。今後はシンの代わりに彼がメインの攻撃手になるだろうから……」

 

「シンさんの! 」

 

 

 

ダリの話は先ほどよりも短かった。しかし私は、おそらくは私のために物事を単純にして整理してくれたのだろう話の内容を遮って、思い切り叫んだ。気遣いを発揮してくれるのはいいが、ダリというこの男は、サガのいう通り、やはり人と少しずれているところがある。

 

 

 

「シンさんの代わりなんて、いません……。いないんです……っ! 」

 

 

 

それだけいうと、止まっていた時がようやく全て動き出した。涙が溢れて、抑えきれなかった声が漏れだした。しゃっくりが止まってくれなかった。ただ、ただ、悲しくて、涙が止まらなかった。泣き続けた。街はもう眠る時間だということも気にせず、ただ、ただ、ひたすらに声を上げて泣きじゃくった。シーツを握りしめて、握りしめたシーツが破けそうなくらい張り詰めさせて、わけもわからず頭から被って、くるまった。

 

 

 

「――――、――――、――、―――――、――――、――――」

 

 

 

口元を布団に押し付けて大声を上げる。布に吸収された泣き声は拡散され、変換され、消えてゆく。消えた。そうだ。シンは死んでしまったのだ。あの、馬鹿みたいに直情で、わざわざ私を心配して馬鹿をやってぶん殴ってやって、それでも元気が出たようだなと笑って見せた彼は、もう死んでしまったのだ。

 

 

 

「――――――っはぁ! 」

 

 

 

息苦しさに顔をあげて、うつ伏せの上半身を軽く起こすと、傍にシンに託された剣が目に入った。思わず寄せて、抱く。鞘の革の匂い。剣の脂の匂い。柄の部分からは汗の匂いと、少しばかりの酸い臭気がした。その不快ささえ、彼がまだそこにいる証のようで、愛おしかった。抱いて、再び泣き、嗚咽を漏らし、やはり泣く。だめだった。止めることなんてできなかった。止めようなんて思えなかった。だって思いが溢れてくるのが止まらないのだ。あそこからここにくるまでの間に感情の奔流を押し留めていた堰は壊れてしまったのだ。刀に染み付いた現実が自分を夢の中から引き戻してしまったのだ。だから、あとはもうだめだった。

 

 

 

「―――っ、ぁっ―――、――――――、―――っ」

 

 

 

声すらうまく出ない。ただ、悲しさだけが口と目から漏れていく。ひとしきり泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣き続けた。そうして泣いても泣いても涙は止まってくれないので、やっぱり泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣き疲れても泣いて、泣き続けた。

 

 

「う――――――、うぅぅぅぅ―――――――――、――――――!」

 

 

剣を抱き、ひたすら泣く。ダリはその様子ずっと見守ってくれていた。いや、違う。彼はきっと戸惑っていたのだ。彼はこのような場面で、どんな行動を取るのが最善の選択であるのかわからず、選べずに動けないのだ。その慎重さが、臆病が今回のシンの死に繋がったのかもしれないと感じて、ひどく腹が立った。勝手だなんて思うことは出来なかった。私は必死に、シンが死んでしまった原因を自分以外の誰かに押し付けるので、必死だったのだ。

 

 

 

「……どうやら今、私は歓迎されていないようだな」

 

 

ダリは己に対して向けられた敵意や害意を敏感に感じ取ったのか、そんなことを言った

 

 

 

「……また明日起こしにくる。おやすみ、響。大丈夫。明日になればきっと、大丈夫だから」

 

 

 

大丈夫。その言葉は魔法の言葉のように頭の中へ入り込むと、不思議にその通り、明日にはこの悲しみがなくなってしまう予感がした。ああ、それは悲しいことだと思いながら、私はやっぱり、ずっと、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣いて、泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

それからどのくらいの時間が経ったのだろうか。涙も声も枯れ、ただ彼が存命して一緒に迷宮を探索していた頃のことを振り返っていると、ふと彼の剣のことを思い出した。鞘から引き抜いて刀身をとって、ダマスカス鉱特有のマーブル模様の波紋を見てみる。

 

 

 

その茶色い刀身にはまだ血糊と脂がべっとりで、そこには多分、シンの血も混じっているのだろうと直感した。だからだろう私は、刃先に怪しく光る紅涙の輝きに魅せられて、己の顔にその切っ先を向けてゆく。

 

 

 

―――「響、刃を人に向けるのは良くない」―――

 

 

「――――――うぁ……」

 

 

 

そんな彼の言葉が思い出されて、また泣きたい気分になった。もう会えない。考えるだけで胸が痛い。あれだけ好き勝手やって、人の気持ちをあれだけ揺さぶっておいて、でもあんなにあっさりと退場するなんてひどいと思う。悲しい。悲しい。悲しい。会えない。いやだ。寂しい。

 

 

 

―――嫌だよ

 

 

 

一緒に過ごすようになってから三ヶ月。たった三ヶ月だったけれど、シンという男は、わけのわからないくらいのまっすぐさで、私の中に入り込んできて、影響を与えるだけ与えて消えて言った。まだ、知りたい事があった。教わりたい事があった。一緒に旅をして見たかった。活躍を見ていたかった。まだ―――

 

 

 

―――歌?

 

 

 

共に過ごした日々を思い返していると、眠りについたはずの街中から聞こえてくる音色がある。耳をすませると、それが誰かの歌声であることに気がつくこと出来たのは、その時の私にとって奇跡のような出来事だった。

 

 

―――一人の人間が即興で歌っているのだろうか?

 

 

楽器の伴奏に乗った独唱は一小節ごとに途切れて、緩やかなスタッカートみたいな演奏となっている。その音色と声に私は聞き覚えがあった。

 

 

「ピエール、さん?」

 

 

 

だが、歌は歌とわかるだけで、肝心の歌詞がまるでわからない。気になった私は、音色の詳細を確かめようと考え、ベッドから身を起こすとノソノソと窓枠に近づいた。

 

 

 

―――「うむ、君を迎えにきたのだ。響」―――

 

 

 

―――っ!

 

 

 

記憶が胸を締め付ける。胸を締め上げるその感情が苦しくて、逃れるように半開きの窓を全開にした。それでもまだ締め付ける痛みから逃げるようにして耳をすますと、音色は少しばかり大きく聞こえるようになったが、それでもまだ弱く、頼りない。

 

 

「歌……」

 

 

 

歌詞はまだわからない。ただ、その声に秘められている切な感情は今の私の想いと重なり、心臓を締め付ける。カンパネラのような音色は、文字通り、屍となった人に対する弔いの鐘の音に違いなかった。私は堪らなくなって、私はギルドハウスを飛び出ると、夜の街に繰り出してゆく。歌声に誘導されるようにして汚れた服のままフラフラと街中を歩くと、やがて私はベルダの広場の一角にある灯りのついた場所へとたどり着いていた。そうして私はようやくお目当ての人物と対面することとなる。

 

 

 

「ピエール、さん……」

 

 

宵もすっかり深まり、宵張を得意とする酒場すらその営業を終えて休息した頃、月明かりすら一朶の雲に休息を強いられた夜の闇の中、広場の中央では外周に沿って設置された街灯の微かな灯りを浴びて照らされる集団がいた。その集団の中心、天に向かって屹立するオベリスクの前で、ピエールは世界の全ての注意をその一身に浴びながら、滔々と歌を吟じていた。

 

 

 

「―――、……―――――、…………―――――――、……。―――」

 

 

 

いや違う。歌はやはり途切れ途切れで、一小節ごとに止まり、そして、楽器の音に乗せられていた。それを途切れない歌と思ったのは、歌詞が私の頭の中ですぐさま場面に変換されて連続した物語となっていたからなんだと気付かされる。

 

 

「……―――、……―――――」

 

 

ピエールの感情が乗せられた一つ一つの言葉が、彼の奏でる音色が、私の記憶から彼と過ごした日々を思い出させてゆく。一つの場面が薄れる前に、続けて放たれる彼の言葉が再び別の場面を私に思い出させて、私の頭の中では立て板に水が流れるような流麗さで、途切れた歌詞は繋がった物語になっていっているのだった。歌は途切れ途切れのスタッカートではなく、一連に切れ目がなく続いているレガートであり、彼と共に日々を過ごしたものにのみ、それとわかる、鎮魂の物語だった。彼の歌は、シンと出会えた喜びと、彼を失った悲しみの二律背反を含んでいた。

 

 

「……―――、……―――――。……、―――、……―――」

 

 

 

気が付けば私は、夢うつつの気分でピエールの語りを全身で聴きいっていた。脳裏にはシンと過ごした日々が次々と浮かんでは消えてゆく。そうして脳裏にて物語と幕間が交互に流れるさなか、やがて場面は佳境に入り、彼の死の場面へと突入する。物語の中でシンは敵へと勇敢に立ち向かい、そして、敵の一撃によって倒れ、しかし敵を一刀の下に伏せしめて、地に没する。それはまさに竜虎相打つというに相応しい場面だった。

 

 

「――」

 

 

直後、楽器の音が途切れた。しかし、無音というわけでない。

 

 

「―――」

 

 

空間に静かに響くのは、ピエールの涙の音色だった。彼は死んでしまったシンという男を思って涙する。そんなそれまでの合唱に比べれば無音に等しい微音はしかし、言葉と音色にて他者に彼の活躍を伝える役目を放棄した彼はしかし、そうして沈黙と涙を最高の手段として、彼の言葉に出来ぬ程の濃密な歓喜と悦楽と雀躍と、悲哀と絶望と無音の慟哭を切に表現していた。

 

 

「―――」

 

 

 

空間にあるのは静かな悲しみの音色だけだった。自然すらも彼の演奏を邪魔しようとするものはいなかった。動けない、動かない。誰もその無音の演奏を止められる者はいなかった。やがて流れていった雲の端から月明かりが漏れて、彼の姿をひそやかに照らし出してゆく。静々と滔々に涙を流す彼は、月明かりを合図として受けて楽器を脇に抱えると帽子を脱ぎ、終曲の一礼をした。

 

 

 

聴衆は誰一人として動けない。終幕下にもかかわらず拍手を貰えない演者は、それでも不満を漏らすことなく、オベリスク前の舞台から立ち去ろうとする。不意にこちらへと目線が向けられた。

 

 

―――あ……

 

 

 

赤く腫れた目には、シンに対する哀悼の他に、何か別の悲しみを伴っているように見えた。その瞳に宿っていた嘆きの色に魅了されるようにして、私は彼の後ろについて行く。私たちがベルダの広場を去ろうとする時、それでも聴衆は一歩たりと動くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

ギルドハウスに辿りついた私とピエールは、机の前で対面する形に座ると、何も語らないまましばらくの間を過ごしていた。私はかけるべき言葉が見つからず。多分ピエールはそんな私の胸の混乱を理解したが故だろう、何も語ろうとはしない。

 

 

「えっと……」

 

 

やがて思考を整理し終えた私が沈黙に耐えかね、何かを喋ろうとして、しかし適切な言葉が思い浮かばず、結果、無様に虚空へと手を彷徨わせるだけに終わってしまう。目線が彼と机との間を行き来した。

 

 

 

「……その」

 

「はい」

 

「――――――……、よかったです」

 

「そうですか。それはよかった」

 

 

 

再び沈黙。違う、そうじゃない。聞きたいことがあるけれど、うまくまとまらない。いや、何が聞きたいのか、自分でも把握しきれていないのだ。何か聞きたい。聞きたいことがある。聞きたい思いは定まっているのに、それを巧く言葉に変換することが出来ないのだ。おかげで胸元が気持ち悪いくらいざわついている。

 

 

 

そう。私は、胸に湧きおこるこの疑問を、この思いがなんと表現していいものであるのか、なんという感情で、何という言葉で表せばいいのかがわからないのだ。それがとても悔しかった。悔しいという事はわかるのに、何を聞こうとしているのかわからないのが余計に気を急かして、私の頭の中はぐるぐると意味のない考えが巡ってゆく。

 

 

 

「あの……」

 

「…………一度眠ると、悲しみだけの痛みは忘れてしまうからですよ。だから私は、ああして相反する思いを同時に吟じていたわけです。まぁ、言ってみれば、私なりの、彼への手向けです」

 

 

 

彼は悲しげな口調で言った。その言葉はすとんと私の腹の中に入り込んできて、私は何も言い返すことが出来なかった。

 

 

 

「私がシンのレクイエムを歌う際、なぜ、悲しみ以外の感情を私が歌に乗せて吟じあげたのか。多分、それでしょう。あなたの知りたかったのは」

 

 

 

彼の言葉に気がついた。それだ。私は、それが知りたかった。私は、ピエールという人が、なぜ瞳に悲しみの色以外を携えていたのかを知りたかったのだ。なぜ、必死に、無理やり辛い記憶の中にねじ込むようにして、喜びを着色していたのか。それが知りたかったのだ。しかしなぜわかったのか。驚いた顔で彼の瞳を見つめると、彼はようやく柔らかく微笑んでを見せて、言った。その笑みは、いつものような皮肉げなものでなく、他者を悼むような哀切の感情に満ち溢れていた。

 

 

 

「わかりますよ。なにせ、吟遊詩人ですからね。人の、環境の、その細やかな変化を観察し、意図や変化を言語化出来ないようでは、バード失格です」

 

 

 

涼やかに笑って見せる顔には自信に満ちていた。なるほど、そんなものかと思う。再びの沈黙。さて困ったぞ。こうして先回りで自分の欲しかった回答を与えられてそこで会話を終わらせられてしまうと、何を話していいのかわからなくなる。何か話題はないものかとあちらこちらに視線を彷徨わせていると、窓より差し込んでいた月明かりの光量が減って、周囲が闇に落ちていった。

 

 

 

「ここは暗いですね」

 

 

 

言ってピエールは立ち上がって灯りをつける。そうして彼がランプに火を灯すと、橙色の柔らかな光が周囲をゆらゆらと不規則な光で照らし出していった。彼のそんな挙動に注目していると先程は月明かりと暗がり、そして歌と演奏に夢中であったため気がつかなかったが、ピエールは人一倍見た目を気にする彼にしてはあまりに酷い格好であることに気が付ける。一瞬それを不思議に思った私だったが、しかし私はすぐにそれも当然だろうと思いなおした。だって、彼は先程まで私達と共に迷宮の中で死闘を繰り広げていたのだから。

 

 

 

大事に抱えている楽器の弦は切れた部分を無理やり調律した跡があるし、羽帽子は羽が殆ど落ちてつばが広いだけのチロリアンハットになっているし、服には汗染みと塩の吹いているのが目立ち、端正な顔に薄く施された化粧は落ちて崩れている。私はなんとなく、彼なら服や楽器の修繕が終わるまで人前に出ないイメージがあったので、なぜ彼はそんなボロボロの格好であるのに人前で歌う気になったのだろうという疑問を抱いた。

 

 

 

「それはですね。明日になれば忘れてしまうからですよ」

 

「え……」

 

 

そしてそんな疑問を口にする前に、ピエールは再び私の疑問の答えを寄越してくる。

 

 

「どれだけ悲しいことがあっても、どれだけ苦しいことがあっても、ただその気持ちを沈ませるような感情だけだと、この世界では一晩眠れば大抵の痛みは癒されてなかったことになってしまうのです。だから、シンのため真剣に鎮魂を願って祈りを捧げ、彼が居たという事を、どうしても覚えていたいというのなら、彼が亡くなり、その痛みと悲しみが心中に残っている、今日、無理にでも浮き上がるような感情と混ぜてやらないといけなかったのです」

 

 

 

ピエールはひどく悲しげな諦観の表情で言った。目には哀愁が漂っていて、なんとも背徳的な魅力を伴っている。少しだけどきりとしながら、聞く。

 

 

 

「……、それだけだと、痛みを忘れてしまうんですか? 」

 

「ええ。エトリアは、この世界は、私たちの体は、どういうわけかそうなっているのです。例えば、小指をぶつけてイラついたとか、人にぶつかって嫌な思いをしたとか、そう言った軽いすぐさま無くなってしまうものは当然として、大事な人を失って悲しいとか苦しいとか、あるいは自分にないものを持っている他人が憎いとか妬ましいとか、そう言った人間や生物を対象とした、負の感情も、抱え続けようと強く意識していなければ、それだけだと次の日にはさっぱり消えてしまう。……覚えがありませんか? 例えば、そう、ご両親が亡くなった後の事とか」

 

「――――――――――――、はい」

 

 

 

絶句した。ああ、確かにその通りだ。私は両親が死んだと知って、世界がひっくり返るかのような衝撃を受けて意識を失って、けれど起きた時には、すでに落ち着いていた。そしてその時から私の心の中は、両親が死んだ悲しみよりも、死んだ後、彼らなしでどうやって店を経営してゆくかの心配に興味が移っていた。

 

 

 

「以前、遠い昔はそんな事なかったらしいですけれどもね。過去の英雄譚を漁ると、例えば、何かに対する恨み辛み妬み嫉みによって見返しや復讐から物語が始まったり進展したりするもの沢山あります。けれど、ある一定の時期から、それが一切なくなってしまうんです。物語は他の命に対する興味と好奇心だけのものとなり、山場と、山場と、山場だけが物語の構成要素になりました。よくわかりはしませんが、ある時から、私たちは、そう言った苦しみや悲しみを、それだけでは次の日にもちこすことが出来なくなったのです。まるで誰かに食べられてしまったかのように、綺麗さっぱり消えてなくなってしまうのです」

 

「――――――、それは」

 

 

 

なんて、残酷なまでに優しい現象なのだろう。

 

 

 

「昔、人と人の間で争いが頻発していた頃、争いの原因は負の感情によって引き起こされたと聞きます。無用な諍いが起きないという点では、なるほど私たちは幸運なのでしょう。しかし、それと同時に、私たちは亡くなった、失った命を次の日以降悼むことができなくなりました。おそらく私が今感じているこの悲しみと苦しみと、それより生まれ出た焦がれる気持ちも、さらにそこから派生した様々な複雑な想いも、寝床で瞼を閉じれば泡沫のように消えてしまう。感情が消えるという事を知っている私は、シンを失った際に感じた心の臓を掴み取られたような気持ちが消えていくという事実を、知っていながら何もしないという事実に耐えられない。この痛みもそれだけだと、明日になれば消えてしまうのでしょう。その事実が、なんとも耐え難い。でもどれだけ耐え難くとも、負の感情だけだと休めば消えてしまうという事実は覆せない。理由はわかりませんが、正の感情を混ぜて、矛盾する思いとしてやらねば消えてしまうのです。抱え続けると決心しなければ、いずれ失せていってしまうのです。だから――――――、今日でないといけなかったのです」

 

 

 

それがあの演奏か。あの正と負の入り混じった一拍ごとに立ち止まる歌は、ピエールが矛盾する感情を必死に押さえ込みながら、シンの生きていた頃の喜びを歌い上げるオラトリオであり、シンの死に対する悲しみを悼んだレクイエムであり、同時に、己の消えてしまう痛みが最後に訴えた遺言でもあったのだ。人間というものは感情の生き物で、正の感情も負の感情も持ち合わせているものだ。だからこそあの途切れ途切れで単純な歌は、しかしそんな孕んだ矛盾が心を軋ませる悲鳴のようにも聞こえてきて、シンへのレクイエムはあの場にいたみんなの心を捉えて離さなかったのだろう。

 

 

――シン……

 

 

 

ピエールの歌を思い出して、胸の締め付けられる感覚が戻ってくる。早まる鼓動はやがてシンの死に直面した時よりも遥かに強くなって、私の頭は天井知らずに熱くなっていっていた。ああ、そうだ。忘れてしまっていた。私はこの感覚を一度だけ味わったことがある。記憶にはある。でも感情が残っていない。両親が死んだと聞かされたあの時、私は確かに、この胸を貫き抉るような痛みに意識を消失させられたのだ。

 

 

 

シンの死は、失ったはずの両親の死が死んだ際の痛みまで思い出させて、私は机に突っ伏した。目頭は熱くなり、喉は呼吸を乱し始める。口はへの字に曲がって、唇を食む。ああ、忘れたくない。無くしたくない。この想いに消えて欲しくない。だって私は、あの人のことを―――

 

 

 

「…………」

 

「ふふっ」

 

 

 

ピエールは小さく笑った。その違和感につられて彼の方を見る。

 

 

 

「ピエールさん? 」

 

「いえ、あの戦バカ、案外、ドンファンなところもあるなと思いまして」

 

 

 

―――……、どういう意味だろう?

 

 

 

「あの」

 

「ねぇ、響さん」

 

 

 

ピエールは先ほどまでとはうって変わって、慈愛に満ちた静かな口調で言う。

 

 

 

「ひどいやつでしたよねぇ。最初の頃は、貴女に切りかかっても謝罪もしないで」

 

「……そうでしたね」

 

「敵と見れば、とにかく真っ直ぐに突っ込んで、カバーは大抵サガかダリ」

 

「道具の使い方もまともに覚えてなくて、だいたい私がやる羽目になってました」

 

「そんな無精に文句を言った際、嫌味に苛立ちの一つでも見せてくれればまだ可愛げがあるのに、粛々と受け止めるばかりで」

 

「どこかずれていて、まさか、殴ったことを褒められるとは思ってませんでした」

 

 

 

愚痴を言い合う。

 

 

「不愛想で恩知らず」

 

「無鉄砲で、傲慢で」

 

 

シンのこと。

 

 

「実力あるくせにどこか子供っぽくて」

 

「一度決めると梃子でも動かない頑固さもあって、本当に、苦労させられましたとも」

 

 

たった三ヶ月しかまともに一緒にいる事のなかった彼だったけれど、驚くほど話題は尽きなくて、私は改めていかに彼が変で妙な変わった人物だったかを思い知らされた。

 

 

「でも」

 

 

―――ああ、うん、でも

 

 

 

「バカだけど、いいやつでしたよねぇ」

 

「……はい、真っ直ぐで、いい人でした」

 

「私、あのバカのこと、好きでしたよ」

 

 

 

まっすぐの好意を告げる言葉。その言葉を聞いて、私は胸の奥底で燻っていた思いをようやく自覚させられた。胸が高鳴った。限界だった。今日は色々な事があったけど、何にも増して、残酷な事実を今更思い知らされる。ああ、そうだ、私は―――

 

 

 

「―――はい。私も、シンのこと、好きでした」

 

 

 

言葉にすると、遅れて感情が湧き上がってきた。腹の底より上がってきた熱は、喉元と涙腺でそれぞれ音と水に変換されると、嗚咽と涙へと生まれ変わってゆく。この悲しみが明日消えてしまうとかもうどうでもよくって、ただ、彼と出会えた事が嬉しくて、でも居なくなって悲しくて、そんな胸の奥をぐちゃぐちゃにする思いをただひたすらに大事にして、愛でていたい。

 

 

 

「―――、――――――、―――――――、―――」

 

 

 

―――死んじゃった。死んじゃったよ。もう会えないんだ。ごめんなさい。さっきまでただ自分のために涙を流すばかりで、ごめんなさい。貴方の事を思っての涙じゃなくてごめんなさい。シン。シン。シン。シン。ああ。あぁ

 

 

 

視界の端でピエールが私を一瞥だけして去っていく。向けてすぐに伏せた彼のその目には気遣いの色があった。邪魔はしないから存分に自分の気持ちとの別れを惜しめと言うことだろう。その思いやりが素直にありがたいと思った。

 

 

 

―――お父さん、お母さん、ごめんなさい。意地っ張りで、感謝の気持ちもまともに伝えられなかった娘で、本当にごめんなさい。こんなことも出来なかった馬鹿な娘で、本当にごめんなさい

 

 

私は仲間を失ったこの日、初めて両親の死を想って泣いた。

 

 

―――シン。ごめんなさい。素直にありがとうを言えなくて、ほんとうにごめんなさい

 

 

シンの死を悼んで、今更ながら、両親の死を嘆いて、この気持ちとの別れを惜しんで、泣いた。

 

 

―――会いたい。私、あなたたちに、もう一度、会いたいよ

 

 

 

多分それは、両親を思って出た涙は、彼らの死をまともに悼んでやる間も無くしてしまった自分に対する憐れみの感情が生んだものだった。けれどそれでも、ただの一つの落涙もなく過去を思うよりはずっとマシだろうと、身勝手に思う。

 

 

 

―――シン……。お父さん……。お母さん……。本当に、ごめんな、さ……、い……

 

 

惜別の涙は口の中にはいると、すぐに微かな塩気を残して消えてゆく。それが明日という日、儚く消えてゆく記憶の運命を表しているようで、余計に悲しくなって泣いた。やがてランプの油も切れて、黎明を迎えた時、私は窓より差し込んでくる太陽の光に起こされた。

 

 

「あ――」

 

 

 

そして気がついた。昨日感じた、彼を失った際の千切れるような痛みはもうどこにも残って居なかったけれど、かつて共にいたシンが、でも、もういないという、愛しさと喪失の混ざった胸を締め付ける気持ちだけは残っていた。

 

 

「あ……、あぁ……、あぁぁぁぁあぁぁっ!!」

 

 

 

ああ、これが、ピエールの言っていた、「矛盾する気持ちだけが残せる」と言うことなのか。私は彼の言葉を今更ながらに理解して、彼に感謝した。彼はこの感情を私の中に残すために、昨日ああして語ってくれたのだ。

 

 

「あ、あ、あ、ぁぁ、あ、あ、あぁっ!」

 

 

 

そうして残す手助けをしてくれたピエールに感謝を送りながら、差し込む朝日の匂いに包まれながら、思う。

 

 

「ぁ、あ、あ、あぁっ!」

 

 

―――シン。私、貴方のことが、好きでした。だから、私、いま、すごく悲しい

 

 

「あぁっ!!」

 

 

 

朝日の中に溶けて消えてしまったかのように昨日より薄れてしまった悲哀の感情は、それでも私の心を刺激するのに十分なだけの熱量が残っている。私はそんなこの忘れたくない思いが胸の中に残り続けてくれている奇跡に心から感動して、まともに言葉を発することが出来ず、ただ喜びと悲しみの嗚咽を吐き出すことが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

―――ほう、いい面構えになったではないか

 

 

 

悪夢の、もはや殆どが白になりかけている部屋の中、出会い頭、開口一番に黒い影はそんな事を言ってのけてくる。黒の影の口はいびつな三日月を浮かべて、ないはずの両目には喜色が浮かんでいるように見えていた。人を食ったようなその態度にやはりというか不快感を覚えずにはいられない。 

 

 

「ほう。どうやら貴様にはその外見通り、人を見る目というものがついていないらしいな」

 

 

―――外見で人を判断するとは、まだまだ未熟だな。とても正義の味方の台詞とは思えん

 

 

「はっ、貴様がまだ人の範疇に収まっているなら、中身で判断してやっても良かったのだがね。いや、外見で判断しようが、中身で判断しようが、どのみち貴様と言う男は、最悪という以外に体現しようがないから一緒ではあるか。―――そうだろう、言峰綺礼」

 

「―――ふ」

 

 

 

そうしてその影の正体を暴いてやると、言峰綺礼はその姿を現した。そして輪郭を露わにした奴は無限に広い部屋の中を覆い尽くさんほどの声量で、心底愉快そうに哄笑する。高笑いには、愉悦と愉快の感情が多分に含まれていた。それは心底私の脳裏を刺激して、不快を生み出す成分に他ならなかった。

 

 

 

「よくぞ気づいたな、アーチャー。いや、あれだけのヒントをくれてやったのだから当然か」

 

「ふん、よくもまあ、ああも聖句を胸糞悪い様に引用できるものだ」

 

「いやいや、説教は神父の嗜みだからな。しかし、神の教えを聞いて胸糞を悪くするとは、アーチャー、貴様やはり、その属性は中立などではなく悪の側に近いのではないのかね? 」

 

「ちっ……」

 

 

 

悪意の応酬は終わらない。放っておけばいつまでもこの不毛な争いが続くだろうと予感した私は、舌打ちを一つ大きく打つと、無理やり話を打ち切って、本題を叩き込む。

 

 

 

「それで、なぜだ」

 

「なぜとはなんだね? 何が疑問なのか具体化してもらわないと理解が出来ん」

 

「ほう、では言ってやろう。なぜ貴様は存命している。なぜ貴様がここにいる。何のために貴様はここにいる。何を求めてランサーを再び手駒として用いた」

 

 

 

立て続けに質問を浴びせると、やつはそれが心底可笑しいといったように、体をくの字に曲げ、腹を抱えながら失笑を漏らしてゆく。その様がまた、ひどくこちらの癪に触る態度なものだから、私は目の前にいた言峰綺礼の影を思い切り殴りつけてやったが、拳は黒い影の中を通過するだけで、その威力を発揮してはくれなかった。

 

 

 

「―――ちっ」

 

 

 

舌打ちと共に通過した拳を拭う。

 

 

「ふむ、その質問にいちいち答えてやってもいいが……」

 

 

手についた汚物を払うかのような態度を見て、さらに言峰はさらに気分を良くしたらしく、一秒間あたりの笑いの数を増やして、言ってのけてくる。

 

 

 

「ああ、そうだ前回、約束を交わしていたな。講話の一つでもくれてやろうと。ちょうどいい。では今回は夢の終わりまでそれを語ってやるとしよう」

 

「貴様、私の質問に……」

 

「そうだな、あれは遥か昔。凛という女がまだ生きていた頃の話だ」

 

 

 

こちらの意思を完全に無視しての態度を注意してやるが、やつは一向に気にした様子を見せずにそのまま滔々と語り出す。物理的に止める手段がないのは証明されてしまったし、こうなったやつは何があろうと己の語りたい事を語り終えるまで、何一つこちらと応答する事がないだろう。だから、私は早々に諦めて、その不快な講話とやらに耳を傾けることにした。

 

 

 

「第五次聖杯戦争集結から、約十年後。かつて天国の鍵を持つお方が崩御されたその地の近くの海に、隕石が静かに落下、着水した。その隕石というものが曲者でな。実は“魔のモノ“と呼ばれる宇宙生物だったのだ」

 

「……はぁ?」

 

 

 

素っ頓狂な声を出すと、やつはその驚いた様が心底可笑しいと言った態度で失笑を漏らしだした。私が無様な態度を見せるほどに、奴は喜んで話を中断し、その喜びを示すために哄笑をあげるのだ。それこそが、奴の狙いなのだろう。だからこそ私は唇を噛んで口をへの字にしてやり、今度こそ一切感情など漏らしてやるものかという覚悟を胸に、再度聴講の体勢を取ってやる。

 

 

 

「くく、いい反応だ」

 

 

言峰はそんな私の抗いを、何とも気味の悪い笑みを浮かべて、受け入れた。

 

 

「さて、その魔のモノは、魔と言う名を冠するだけあって、一つの特徴を兼ね備えていた。それが、人の負の感情を己の糧にするというものだ。見事なものでな。そこに正の感情という不純が混ざったものはいらんという、偏食家っぷりを見せる。奴は、真に悪意のみを食らう、名前に反してまさに正義の味方のようなことをやらかすのだよ」

 

 

 

どうだ、という顔でこちらを見てくるので、努めて無表情で続きを促してやる。そうすると、やつはその無理しての態度もまた面白いと言った顔で笑いを漏らすので、やはり不快の感情が生まれる。ああ、やはり、この男と私は氷炭の様に相性が最悪だ。

 

 

 

「……」

 

「無視かね……、くく、寂しいことをする。さて、この“魔のモノ“という宇宙生物であるが、実はあるものに追いかけられた結果、この星に着陸したのだ。そのあるものこそが、我々が世界樹と呼ぶ、現在の世界を支える巨木のオリジナルだ」

 

 

 

“オリジナル“? ということは、現在世界中を支える世界樹はコピーであり、また、世界樹とかいう巨木は複数あるということか。

 

 

 

「さて、その世界樹だが、“魔のモノ“の活性を抑える能力を持っていた。いわゆる正義の味方というやつに相当するのだろうな。そうして追いかけきた世界樹は、魔のモノの活動を抑えるためだろう、やがて魔のモノが落ちた場所とまるで同じ場所に降り立った」

 

「……どれほどかしらんが、この世界を支えるだけの巨木が着水すれば、それだけでも相当の被害が生まれそうなものだが」

 

「いやいや、その様なことにはならなかったとも。さすが正義の味方の世界樹様はそのあたり心得ていた様で、魔のモノが落ちたその海の真上にやってくると、勢いを緩やかにして、漣すら起きないほどの速度で海の中へと落ちて言ったらしい」

 

「……」

 

「くく、しかし、流石にそれだけの巨体を倒れない様にするためには、深く根を下ろしてやらなければならない。やがて魔のモノと接触した世界樹は、己の体でやつを封じ込めるため、魔のモノを深海の地中深くに埋め込んでから、さらに何千メートルも押し込む事となった」

 

「……」

 

「それが全ての始まりだ。そうして地中深くに押し込まれた“魔のモノ“は、やがてその身を地中を流れる龍脈と接触した」

 

「……なに? 」

 

 

 

だんまりを決め込んでいた所に聞き捨てならない言葉が聞こえてきて、思わず聞き返す。

 

 

 

「龍脈だと? 」

 

「そうだ。龍脈、霊脈、レイライン。呼称が千差とある世界中を流れる魔力の川と接触した“魔のモノ“は、龍脈という荒々しい力の奔流に耐えきれず、龍脈にその身を浸しながら、その身の表面を少しずつ削られていった。だがそうして削られた”魔のモノ“の体は、やがて龍脈の流れに乗って、世界中へとばら撒かれることになる」

 

「……」

 

「くっくっ、そうして負の感情を食らう“魔のモノ“の分身は細分化されて、世界中にばら撒かれることになったのだ。いやはや、正義の味方というものは実に余計なことしかしないものだな」

 

「……」

 

 

 

挑発を努めて無視してやる。悪態の一つでも返しても、無視しようがどのみち喜ばせるだけなら、少しでもエネルギーを使わない方を選択してやろうと思ったのだ。だが、やつはやはりそんな私の抵抗を見抜いているのだろう、口元の喜色を濃くしながら続ける。

 

 

 

「ばら撒かれた“魔のモノ“のかけらは、当時は世界中に繁栄していた彼ら旧人類の持つ、憎悪や悔恨、嫉妬といった心中に溜め込んでいた悪意と正しく共鳴し、反応を起こした。そして誕生したのがスキルだ」

 

「……、なに? 」

 

「魔のモノは龍脈を通じて己の分身を全世界の人間にばらまく。宿主となった人間が持つ悪意を吸収するために、己と人間との間にパスを繋げる。人が魔のモノと繋がるという事は、すなわち、魔のモノが身を委ねている龍脈と直結するということでもあるのだ。本来、龍脈などという大河の流れにそのまま身を委ねれば溺れ死ぬだけの矮小な存在である人類は、魔のモノという変換器/インバーターを介する事で、地球という強大な存在と間接的ながらも、しかし今まで以上に直接的に繋がることが出来るようになったのだ。加えて、魔のモノが感情を回収するということは、ともすれば、人が感情を龍脈に伝える手段でもある。くくっ、変換器を用いて世界と繋がり、己の意思を伝えることが出来る。まるで魔術のようだとは思わないかね」

 

「―――、そうか、魔術とは、魔力を用いて己の要望を世界に伝え、魔術回路/変換機に応じた望む現象を引き起こす術理。つまりスキルとは―――」

 

 

 

やつの与えた情報から導き足した結論を聞いた言峰は、生徒の出来の良さを誇るかのように、己の伝達能力の高さに満足するかのように、慈愛と恍惚に満ちた笑顔で頷き、言葉を継いだ。

 

 

 

「そう、つまり、スキルとは魔術と同じ仕組みなのだよ。人類は総じて、ある意味で魔術師になったのだ。いや、己の意思を伝えるだけである程度の現象を引き起こせる、変換効率無視のその有様は、魔法使いといっても過言ではないかもしれないがな。ともあれ、やがて己の意思だけで現象を引き起こせる事に気がついた人類は、その方向性をある程度体系化してやることで、万人が魔のモノの力を使える様に研鑽した。その正体に気づくこともなくな。この努力の末に生まれたのが、スキルだ。無論、当時は一部の人間にしか使えない、魔術と変わりないそんな半端な技術は、やがて研鑽の末、より多くの人間に使えるようになってゆく。無論、これには人間という種族と魔のモノとの繋がりが時間の経過とともにさらに密なものになったという事情も関与しているがね。しかしそして当時はそんな事情によって科学と組み合わせて使うスキルが多く開発されていたが、そういったモノは電気機械文明の崩壊を経て消えていった。そして残ったのが、いわゆる現在も残っている日常的に使われるスキルや、戦闘の際に使用されるスキルだ」

 

「―――」

 

 

 

言峰という男が語った話の、そのスケールのあまりの大きさに驚いて言葉が出ない。なにかをいってやらねばその荒唐無稽な話を、脳が真実として受けとってしまいそうだ。必死に反論を考えるが、馬鹿げた話と断じてやることもできない。彼らが、スキルが、エネルギー保存則や変換効率無視の技術であることは、この三ヶ月の間に嫌というほど見せられている。

 

 

 

―――いや、まて

 

 

 

「まて、魔術に例えるというのなら、それはおかしい。魔術の原則は等価交換だ。それだけのエネルギーを生み出すというなら、一体なにを代価に―――」

 

「鈍いな、貴様も。これはある意味で、人と神との間に交わされた契約なのだ。人は一日の終わり、眠りの中で魔のモノに純粋な負の感情を捧げる。神はそれを受け取るかわり、道を繋げ、そこから逆流しようとする余分を全て肩代わりする。こうして、荒ぶる神は人の捧げる供物を代価に、己の信者たちに龍脈と繋がる力を加護として与えているというわけだ」

 

 

 

返答は一分の隙もなく正しいものだった。等価交換は成立していた。人と魔のモノが結んだ、負の感情を取引材料に力を得る契約。スキルの正体が悪魔の契約に等しいものだと知って、私はもはや、奴になにを尋ねようとしていたのかすら忘却して、呆然とさせられる。

 

 

 

「くくっ、いい顔だ。そんな反応をしてくれると、聞かせた甲斐があったというものだ。……、さて、そんなスキルという新たな力を得た人類だが、その代償は大きかった。負の感情を失う。簡単に言ってしまえばそれだけのことだが、踏み込んでいえば、例えば、不安や臆病の要素をも飲み込むという事でもある。すなわち、多くの人々は躊躇というものをなくし、消費と浪費の文化をさらに邁進させた。それにより生じたエネルギーの浪費は、もはや地球の自然環境を悪化の一報を辿らせ、しかし、その変化により生じる環境の悪化がもたらす不安や臆病は、すべて魔のモノに吸収されるため、人々は等比級数的な速度で、滅びの道を駆け抜けていったのだ」

 

「―――ああ」

 

 

 

なるほど。不快な奴の言うことは、しかし、なんとも人類の歩んできた歴史を数千年分も凝縮したかの様な愚かしさを体現していて、ひどく納得のいく内容として腹の中に落ちていった。それは、そんな人類を愚かと断言して見限った自分ならではの思考だろう、とも思わされる。

 

 

 

―――人類は、極限状態にまで追い詰められなければ全霊で問題の解決に努めようとしない、霊長の抑止力という存在がなければとうの昔に滅んでいておかしくない、そんな愚かしい種族なのだ

 

 

「やがて環境の悪化は、世界樹という魔のモノを封じていた巨大な樹木にも悪影響を及ぼす様になり、弱った世界樹の力は人々の負の感情により力を取り戻しつつあった魔のモノの力を下回り、抑圧を上回った魔のモノは龍脈を通じて世界に顕現しかけた。それこそが、かつて旧人類が迎えた落日の時」

 

「―――しかけた? 」

 

 

 

質問に、滔々と話す奴の口が、わずかに歪んだ。私がふと口に出した言葉は、よほど言峰という男の機嫌を損ねる力を持っていらしい。奴はそして愉悦ばかりを浮かべていた顔に珍しく憎々しげなの様相を浮かべて、しかし吐き捨てる様に言う。

 

 

 

「そう。魔のモノがその姿を表しかけた時、しかし、世界のそんな異変に気がついていた当時の人間の一部は、そんな終末を避けるべく、世界樹のコピーを生み出していた。世界樹のコピーはオリジナルほどでないにしろ、魔のモノを抑える効果をもち、また、その巨大さに見合った環境濾過機能を兼ね備えていた。そうしてやがて奴らは魔のモノが世界に姿をあらわす直前、その該当箇所に世界樹のコピーを植え込み、霊脈の力を利用して過剰成長させ、成長した魔のモノを封じた。その後、彼らは汚染された地上の上に大地を作り、汚染された環境を地下へと封じ込めるとともに、環境の改善を世界樹に任せ、自分たちは空の上に逃げたこうして、貴様が今存在している、「世界樹の上の大地」という世界が出来上がったのだ」

 

 

 

……、信じがたい。奴の言うことはスケールが大きすぎて、まるで空想話の中の出来事だ。しかし、奴の言う急速な環境の悪化による人類の滅亡という話は、凛の残した手紙に書かれていた旧人類滅亡の理由と合致していて、一概に否定を突きつけてやることができない。いや、そも、それが真実だとしたら、なぜ彼女は―――

 

 

 

「くくっ、その顔は、なぜ凛が残した手紙にはその事が書かれていなかったのか、と考えている顔だな」

 

「―――貴様……! 」

 

 

 

努めて冷静を保っていた精神に皹が入ってゆくのを自覚させられる。不快の源が恩人の名を語ったと言う事実に感情は抑えきれなりつつあった。そうして心の裡に湧き出てきた思いはあっという間に全てが殺意という名前の意思に変換されて膨れ上がると、亀裂から湧き出して目の前の男へと向かってゆく。

 

 

 

「貴様、なぜ、それを知っている……! 」

 

 

 

言葉に質量が言峰綺礼の体を両断するだろうほどの圧を含んだ言葉を、しかし奴は薄ら笑いと共に、涼しげに受け流した。そして奴は直前のまで不機嫌とは一転した、しかし再び、愉悦の顔で続けてゆく。

 

 

 

「くく、いや、なに、決まっているだろう? 私も読んだからだよ。ああ、いや焦ったよ。照れ隠しか知らんが、一度手紙を読むと、文字も写真も消えるような処置が施してあってなとは思わなんだ。まぁ、エミヤシロウという英霊の魔術特性ならばそうであろうと問題なかろうと思ったのかも分からん。ともあれ、消えたものは仕方があるまい。かかっていた魔術の鍵だけかけなおして、貴様と同じ場所に送ったわけだが……、その様子だと、再現の際に、そのことまでは読み取らなかったようだな」

 

「―――……っ!  ―――そうか。あの写真にだけ防護の魔術がかかっていなかったのは、彼女のうっかりではなく、貴様の悪意に満ちた行為の結果だったというわけか」

 

 

私は目の前の悪意の塊に像を抱くとともに、彼女の思いを汲み取って、詳しい経歴までを解析しなかった己の迂闊さを呪った。湧き出る憎悪は片端から殺意に変換されて目の前の存在に殺到するが、常人なら発狂してもおかしくないそれを受けて、しかし奴はむしろ菩薩のような笑みでそんな悪意を受け入れてゆく。言峰という男にとって、他者から向けられる悪意とは快楽以外の何物でもないのだ。言峰綺礼という男はすなわち、他人の悪意と不幸こそを己の幸福の源とする性格破綻者の名前に他ならない。だからそれはある意味で当然の帰結ともいえる出来事だった。

 

 

 

「ああ、いいぞ、その殺意。その憎悪。己の大切であるものが実は己の嫌悪する人間の手で汚されていたものであったと知った時の、その絶望。くく、いや、随分といい反応を見せてくれるものだ。それでこそ、教えたかいがあると言うものだ」

 

 

 

記憶の傷口を切開し、過去の大切な部分に土足で踏み込み、心の臓に毒を塗って相手が悶えて苦しむのを見る。それこそが奴が一番好みとするシチュエーションである。こうしてぶつける憤怒も憎悪も殺意も、そのどれもが目の前にいる殺しても殺しても飽き足らない奴を愉悦させるだけの単なる不毛な感情にすぎぬと知りながら、私はそれでも裡より溢れるそれを抑えきれず、言葉の端々に余剰の感情を漏らしながら、なんとか尋ねる。

 

 

 

「……、貴様、どこで……、いや、いつだ」

 

「神父が他人の秘密を知る場所といえば決まっているだろう? ―――もちろんあの、冬木の教会で、だ。―――そう、私は、神によって再び命を授かったあの日、己の教会の隠し部屋で見つけたのだ。かつて貴様が一人その犠牲から逃れたあの場所で、未来に希望を託されて眠る貴様と、その隣で眠る凛の残骸を、だ。いや、なんとも皮肉ではないかね? かつて受肉化した英霊を存続させるために多くの子供が機材に繋がれ生命力を搾り取られていた場所には、その事実を否定し憎んだ貴様らが、同じように、英霊たる貴様を存続させるために己らの体を機材として改良した凛の残骸と、そんな機材と化した彼女と繋がれた貴様がいたのだからな」

 

「―――凛……が……、あの教会で? 」

 

「その通り。ああ、そこには手紙と、転移装置もあったよ。その装置の座標は常に変動する高さの地表の高さを観測する装置と繋げてあり、起動すればオートで地上に出られるよう、設定されていた。転移装置の傍らには、もう一通、機械オンチの彼女が必死に勉強して解読したのだろう結果の説明が記載された手紙が置かれていた。いやはや、健気で用意周到だとは思わんかね? ……まぁ、そちらは別段役に立たぬ素人の気遣いでしかなかったので、いらぬと思って燃やしてしまったが」

 

「――――――っ! 」

 

 

 

感情は奴の一言一言ごとに一々反応して、激しく躁鬱を繰り返す。その鬱屈と驚愕の間で揺れ動く感情を見物して愉悦に浸るのが奴の目的とは知っていながら、しかし私は、奴の言葉に反応するのをやめられない。凛という恩人の事を乏しめられ、侮辱され、それでも平然としていられるほど、私は出来た人間ではないのだ。

 

 

 

「どういうことだ! 答えろ、言峰綺礼! 」

 

「ははっ、主語がない質問に答えられるものか……、と言ってやりたいところだが、特別に気持ちを汲み取って答えてやろう。―――なに、そうして貴様と凛を見つけた私は、彼女の望み通り、貴様を地上に送ってやったのだよ。ああ、もちろん、試運転をした上でな」

 

「試運転……? ―――まさか、貴様! 」

 

 

 

思いつく限り最悪の想像。決してあって欲しくない想像をしかし奴は読み取ったようで、告解を終えて罪の赦しを乞う信者に向けるような、なんとも朗らかな笑顔で言ってのける。

 

 

 

「実験に生きているものを用いる前に、命のない存在で安全性を試すのは当然のプロセスだろう? ちょうど貴様の側に、同じような人型をした物体装置があったから、先に地上に送ってやったのだよ。―――その転移先を適当な座標軸に合わせてな。さて、彼女の方は確か、大幅に数値大きく変化させて空の上に転送したから、今頃あるいは、文字通り天の国に召されているかもしれんぞ」

 

「――――――!」

 

「おお、主よ、永遠の安息を衛宮凛に与え、絶えざる光を彼女の上に照らし給え。衛宮凛の安らかを憩わんことを」

 

 

 

アーメン、と奴はわざわざ丁寧に十字まで切る。それが限界だった。もはや触れる触れないの縛りなど関係ない。この男は、こいつは、この場で殺しておかねばならぬ男だと、肉体も、魂も、精神も、この体を構成するすべての要素が叫んでいた。

 

 

「言峰! 貴様ァ! 」

 

 

 

目の前に佇む黒い影に思い切り振りかぶった拳をぶつけようとして、しかしやはり予定通り空を切る拳を、けれどそんなことは知らぬとばかりに振り抜いて、その影をどうにかこの世から消し去ってやろうと、何度も拳を宙に空振らせてゆく。

 

 

 

「はははははっ、そうだ、いいぞ、アーチャー、否、エミヤシロウ! 貴様のその、世界の全てを感情の発露の対象としてもまだ余りあるような、憤怒、憎悪、嫌悪、殺意! その全てが何とも心地よい! 」

 

「貴様! 言峰綺礼! なぜだ! なぜそんなことをした! 」

 

 

 

口から出た問答に意思は伴っていない。ただ怒りのままに飛び出しただけの定型文に、しかし奴は笑いながら、心底愉快そうに、笑って答える。

 

 

 

「はは、聖堂教会の神父が英霊たる男の参戦を祝福し、手助けする理由は決まっているだろう? すなわち、聖杯戦争の幕開けだ」

 

「なにを! 」

 

「そうだ、エミヤシロウ! これはあの聖杯戦争の再現なのだ! 戦争を最後に勝ち抜いた勝者には、万能の願望器が与えられる。その再現。それこそが、我が主の望み! それこそが私が心底望むものなのだ! 」

 

 

 

言峰はもはやこちらの意思など御構い無しに、ただ己の言いたいことを喚き散らすだけの、狂人に成り果てていた。いや、狂気に陥っているのは、元からであるが、ともあれその様に心底憤怒と嫌悪をしながら、しかしそんな奴を排除できぬ己の身を呪いつつ、私はやがてその最悪の悪夢から、これまででも最も最悪な事実を土産に、現実へと引き戻される事となっていったのだ。

 

 

 

 

 

 

「―――言峰綺礼! 」

 

 

 

咆哮とともに、体を起こす。虚空を切った腕は体の上に乗っかっていた掛け布団を、遠慮なく壁の方に吹き飛ばし、薄い窓に悲鳴をあげさせた。殺意の発露として荒げていた呼気が、空気中の水分と反応して、宙に白い靄を生んでゆく。

 

 

 

「―――はぁ、はぁ、っ、はぁ、っ、はぁ」

 

 

 

治らない。悪夢の中、呼吸のでる暇を与えず叩き込んだ意味のない連撃は、現実の体にも影響を与えて、疲労の回復しつつあった体を、昨夜の状態へと戻してしまっていた。

 

 

 

「――――――、くそっ! 」

 

 

 

ベッドに思い切り拳を振り下ろす。白のシーツに吸い込まれた拳は、瞬時に布を引き裂いて、中に仕込まれていた羽と、綿と、バネとが勢いよく飛び出てきた。綯い交ぜに宙を舞って三つの異なる素材のそれらは、まるで感情と理性と気持ちの整理がつかない己の醜態を形にしたかのようなありさまだった。

 

 

 

「―――言峰綺礼……! 」

 

 

 

腹の底から湧き上がる心底の怒気とともに生まれた言葉が、部屋の空気を揺らしてゆく。散らばった三種の異物は、私の声を恐れるかのように、離れた地面の上でその身を震わせていた。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

怒りが収まらない。彼女を利用したという事実が、彼女の覚悟を汚したという事実が、胸に残る彼女の記憶と笑顔、手紙の言葉と混ざり合い、過剰な化学反応を起こして、ニトログリセリンの爆発どころか、核の融合に匹敵するエネルギー量を生んでいた。

 

 

 

「――――――っ! 」

 

 

 

収まらぬ怒りのまま、握っていた破けたシーツを持った手を頭上高くゆっくりと持ち上げると、もう一度、感情の発露として物に八つ当たる無様を晒す。英霊の渾身の力を一身に浴びたベッドは、拳が叩きつけられた瞬間、その部分から見事に割れて、二つに身を分けた。

 

 

 

「――――――言峰ェ! 」

 

 

 

それでも発散しきれぬ思いが心中を飛び出して、喉元を震わせて言葉となる。我が身を焦がし、周囲を破壊して、なおも収まらぬ猛り狂う灼熱の憤怒を撒き散らす醜態は、やがて異変に気がついた女将が部屋を訪れて、しゃがれた高い悲鳴をあげる続き、私はそして彼女に二日続けて無様なところを目撃させてしまう羽目となった。

 

 

 

 

 

三層番人を倒した、その次の日の昼。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

怯えさせてしまったことを詫び、それでも今までと変わらぬ態度で接してくれるインに感謝をしながら壊した物の代金を払った私は宿を出て、しかし未だ収まらぬ怒りを胸の内に携えながらエトリアの街を歩いていた。

 

 

 

天空で燦々と輝く太陽は、未だ収まらぬ私の腹の灼熱の猛火を反映したかのような熱量を周囲にばらまいている。陽光はそうして街の中から水気を悉く奪ってゆき、熱と蒸気を提供する石畳の地面によってエトリアの町は焦熱地獄の様相を呈していた。

 

 

「ち……」

 

 

その、負の感情に浸る私を許さない、と言わんばかりのあっけらかんとした陽光は、今の怒りに満ちた私にとって、文字通り火に油を注ぐような不愉快な説教以外の何者でもなく、私はその鬱陶しい日照を拒み跳ね除けるよう、肩を切って街をゆく。

 

 

「うぉっ……」

 

「ひぇっ……」

 

 

 

人気は不機嫌を露わにする私を前にすると、葦の海の如く割れてゆく。そうして生まれた人波の壁の中を歩いていると、三層攻略の情報が出回った街は、やはり以前番人を倒した時のように、どこもいつもより賑わい、冒険者のばら撒く噂話で溢れている事に気が付ける。

 

 

「む……」

 

 

 

やがてそうして怒りに身を任せながら、街中を歩いていると、纏った怒気を貫いて、大きな話し声が鼓膜に響いてきた。

 

 

 

「な、知ってる? 今回三層の番人を倒すにあたって、六人で行って、一人死んだんだと! 」

 

「あー、やっぱり、六人っていうのがダメだったのかなぁ」

 

 

 

知らずの事とはいえ、知人を失い、そうして不愉快な悪夢に苛立つ私を前に、無神経にも声を大にして不機嫌な話題を提供する無遠慮な輩に苛立ち、今の鬱憤全てをぶつけるかのように威圧をばら撒いてやると、遠慮ない会話をしていた冒険者たちは即座にその感覚を敏に捉え、こちらをみて、そして腰を抜かしてへたり込んだ。

 

 

 

「―――っひ」

 

「……お、おに」

 

 

 

その無様すらも腹が立ったので、わざわざ立ち止まり、じっくり睥睨してやると、彼らは意味をなしていない言葉の羅列を喚きながら、無様に走り去っていく。その様を見ていた周囲の見物人どもは、彼らの様子を呆然とした様子で見てそして私の方へと視線を移し替えると、途端同じような硬直してその場で立ち止まり、即座に目線をそらしていった。

 

 

 

―――懸命だ。おそらくは、少しでも私と目があっていたのなら、彼らも先ほどの二人と同様の運命を辿ることとなっていただろう。

 

 

 

そんな彼らの動作すらも、怒りの感情を再燃させる燃料となる事実が我ながら鬱陶しく、私は表通りを離れて裏路地へと体を滑り込ませてゆく。そうして太陽の熱が未だに伝わりきっていない影の街を歩いていると、周囲の怜悧は私の発散する熱量を収めるのに一躍買ったようで、私はようやく徐々に普段通りの平静を徐々に取り戻していくことが出来ていた。落ち着いた頭は冷静を命じて、その作業に注力せよと命じてくる。

 

 

 

「冷静に……、冷静に……」

 

 

気化していた気持ちを冷却させて状態を安定化させる作業に努めるべく、言葉を口にして思いを強めると、陽光に照らされて出来た影の中の部分、その淀んだ空気に身を浸しながら進んでいく。影の壁面にこびりついた湿ったカビ臭さは、周囲に八つ当たりをぶちまけていた無様な自分にはふさわしい、鬱屈さの象徴である気がした。

 

 

 

 

 

「……くそっ」

 

 

 

言峰から得られた情報をまとめて整理しようと試みるが、まるで頭に焼けた石が入っているかのように、頭の中が、カッカと加熱し続けていて、まるきり考えがまとまらない。

 

 

―――このザマでは、まともな推論が浮かんでくるはずもない、か

 

 

 

「なんて無様な……、――――――ん?」

 

 

一旦は思考の余計を取り除いて空っぽになった頭で、光の照らす道を避け暗がりの中を選んで街中を歩いていると、いつの間にやら、街のはずれにあるギルドハウスに辿り着いていた。入り口に飾られている看板を見ると、漢字で「異邦人」との名が刻まれている。

 

 

「そうか……、ここが彼らの……」

 

 

 

影の中から覗く、未だに違和感を覚えることもある未来世界の中に混ざる見覚えのあるその三文字は、さまざまな疑念渦巻く暗中に差し込む光となり、私は誘われた蛾のように影より足を踏み出した。途端。

 

 

 

―――眩しい

 

 

 

影から顔を出した瞬間、日差しが暗闇に慣れていた瞳に襲いかかり、暗澹たる気分までかき消された気がした。まともになった頭と眼でもう一度漢字三文字を眺めると、影の中からでは眩しく見えた三文字は、光の中においては見事に周囲の光景と平凡に溶け込んでいた。

 

 

 

光に背を押されるようにして、ギルド「異邦人」のハウスの扉を何度か叩く。すぐさま扉は大男に開かれ、彼に招かれて、私は家の中へと足を踏み入れることとなった。ダリの案内に従って一つ扉の向こうにある部屋に足を踏み入れると、そこには犠牲一人を除く、「異邦人」全てのメンバーが勢揃いしていた。

 

 

 

「まぁ座ってくれ」

 

 

 

そうして私がダリに言われるがままに座ると、

 

 

 

「まずは礼を。エミヤがいてくれたおかげで、私たちは多いに助けられた。感謝する」

 

 

 

そのままダリは言葉を続けて、座ったまま頭を下げていた。仲間が死んだというのに、なんとも冷静な男だ。周りの三人は、ダリを倣って頭を下げた。私は何と返していいか困った。私がいなければ彼らは死んでいただろうことは確かだ。だが、私は彼らに対して最高の望むべき結果を提供できたわけではない。一人の尊い犠牲のもとに、運良く帰ってこられただけなのだ。

 

 

 

「いや……、ああ、そうだな」

 

 

 

躊躇は結局、横柄な態度での返事を生んだ。しまったと思うがもう手遅れだ。口から出た言葉を取り消すことはできない。私がその後の返答に窮していると、窓辺に立っていたサガが口を開いた。

 

 

 

「まぁ、ある意味であいつらしい死に様だったよな」

 

 

 

そのあっさりとした物言いに驚愕し、思わず目を見張りサガの顔を眺めた。彼は小さな体

 

にとぼけた表情で、こちらの視線は一体何が原因だろうかと首を傾げていた。

 

 

「ん? どしたの?」

 

 

 

その顔からは一切の悲壮感が感じられず、昨日シンという人物の死にあれだけの狂乱を見せた人間が、こうもあっさり彼の死を認める言葉を口にするというその異常は、あまり付き合いのなかった私ですら異常と感じ取れる、強烈な違和感を生んでいた。

 

 

 

「うむ、確かにそれは一理あるかもしれん」

 

 

 

ダリが平然と頷く。確かに冷静を形にしたかのような彼ならいうかもしれないが、それにしても、こうも仲間の死んだ翌日に平然とそんなことをいってのける良識のない人物には見えなかっただけに、私は二度目の驚きを得て、隠しきれない思いを露わにした。

 

 

「な、お前もそう思うだろ、ダリ」

 

 

 

そうして固まっていると、やがて二人はお茶と菓子を用意してくると呑気に言い放って、台所へと消えた。その鼻歌でも歌いだしそうなあまりの陽気さは、私は昨日のシンの死が何かの間違いであったかと思ったほどだった。

 

 

「まぁ、確かに、おおむねあいつらしい死に様だったといえるだろうな」

 

 

 

驚愕のまま、ほかの二人を眺める。すると、ピエールと響は、一瞬、理解者を得て、喜び、しかし、困ったような、そして哀切をも含んだ、複雑な笑みを浮かべて返してくる。どうやらあの男女は男二人のようなことはなく、シンの死をきちんと認識しているらしい。私がそうして驚愕の視線を向け続けていると、二人はやがて「皆の分の茶を入れてくる」といって、台所の方へと消えていった。それを見計らってだろう、響はおずおずとこちらに近づいてくると、そしてなんとも悲しげに言った。

 

 

 

「エミヤさん。この世界は、一度寝ると、悲しいとか、寂しいとか、苦しいとか、痛いとかだけの本人が抱えておきたくない感情は、一気に消え去ってしまうんです」

 

 

 

言われた言葉に絶句する。私は瞬時に夢の中における望まぬ会談の内容を思い出した。

 

 

 

―――魔のモノは人の負の感情を己の糧にする

 

 

 

負の感情。それは殺意、憎悪、悔恨、嫉妬、苦痛といった、要素だけではなく、悲哀、悲嘆、痛切、哀切、不憫も、憂鬱も、消し去ってしまうというのか。言峰の話が事実であるということを見せつけられて放心に近い心持ちでいると、ピエールがその後に続く。

 

 

 

「サガは、シンが死んでしまった直後、そんなことを思うことも出来ずに気を失ってしまいましたから、そのせいでしょう。ダリは、まぁ、元々、他人に対して冷徹なところがありますし……。何より二人は、自分のことで手一杯なところがありましたから……」

 

 

 

ピエールは珍しく、寂寞を携えた表情で尻すぼみにいう。おそらくは、皮肉ばかりの彼にしては珍しく、二人のことを真に庇いだてしているのだ。そうして意外な面を見せた彼の言葉に、しかし疑問を抱いて、聞き返す。

 

 

 

「まて、それが事実だとして、何故君達は、そのことを覚えている。いや、まて、そうだ、おかしい、確か、シンはそんな負の感情に基づく闇のようなものを抱えていた。そうした負の感情が残らず消えるなら、彼がああも鬱屈としたものを抱え込んでいたのはおかしい」

 

 

 

私は必至の否定を行う。思うに、昨晩言峰より聞かされた話がよほど受け入れ難かったのだろう、奴の言ったことは真実であると裏付けるような事実なぞデタラメだと、子供のような言い訳をしてみせる。

 

 

 

しかし。

 

 

 

「ええ、ですが、おそらく彼の場合は、鬱屈の中にも、どこか憧れのようなモノが混ざっていたのでしょう。そして彼はそんな感情を疎みながらも、大事に抱えていた。そうして、気分を優れさせる感情が混ざった負の感情は、必死で本人が心の中に抱えてしまっている感情は、なぜか消えることなく残ってくれるのです」

 

「私もピエールにそのことを聞いて驚きました。でも、そうして彼が教えてくれたおかげで、私は彼の事を想って、嬉しいの中に悲しいという事を混ぜているから、そんな悲しさを残していられるのです」

 

 

 

―――見事なものでな。そこに正の感情という不純が混ざったものはいらんという、偏食家っぷりを見せる。奴は、真に悪意のみを食らう、名前に反してまさ正義の味方のようなことをやらかすのだよ

 

 

 

「―――っ」

 

 

 

己が否定として出した問題の答えは、言峰の言葉と符合するという結果をもってして現実の刃となり、私の心を突きさした。信じぬ信じないではない。もはやそうだという事を信じざるを得ない証拠を突きつけられて、背筋に冷たいものが走ってゆく。と、同時にこの世界の住民が、人に他人に対して無遠慮であったり、素直であったり、優しすぎる住人の多い理由を見つけた気がして、ひどく納得した。彼らの多くは、そうした凝縮した負の感情がもたらす悪影響を受けていないのだ。

 

 

 

彼らは憎しみを溜め込まない。彼らは怒りを溜め込まない。彼らは不安を溜め込まない。彼らは、周囲の環境の状況を肌で感じ取ったままに表現し、街や周囲に発散する。

 

 

 

そう、そして、彼らは、悲しみを溜め込まない。溜めておけない。ああ。

 

 

 

―――この世界の住民は、そんな切ない世界に生きているのか

 

 

 

「―――よぉ、あったかいのと冷たいの、どっちがいい? 」

 

 

 

台所の奥から投げかけられるそんな無邪気なサガの言葉が、これ以上現実を否定する事は許さないとばかりに、私にトドメの一撃を投げつけてゆく。邪気のない顔はだからこそこれ以上のないくらいに悲しいものとして私の目には映っていた。

 

 

 

世界樹の迷宮 〜 長い凪の終わりに 〜

 

 

 

第十話 悲しみは留めていられなくて

 

 

 

終了

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告