Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜  改訂版   作:うさヘル

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第十四話 迫る刻限、訪れる闇夜 (二) ―回帰―

第十四話 (二) 迫る刻限、訪れる闇夜 ―回帰―

 

 

私が目覚めた時、そこにはいつだって地獄が広がっていた。

 

私が呼び出されるとき、いつだってそこには、脅威に晒されている人々がいた。

 

 

 

そうして脅威に晒されている人々ばかりの地獄に降り立った私がやることは、しかしいつだって変わらない。

 

 

 

―――さぁ、脅威よ、地獄よ、人々よ。私の世界のなかに呑み込んでやる……!

 

 

 

 

 

 

「―――、固有結界」

 

 

 

エミヤは魔物の正面の方を振り向くと、宣言する。背中から聞こえてくるその言葉とともに、周囲の温度が数度ほども下がった気がした。ただでさえ凍える寒さを秘めた環境は、まるで周囲に降り積もる塵芥がまるで真なる氷雪であるかの様な錯覚すら覚える。

 

 

―――これはまるで、あの日のような……

 

 

 

極寒の空気はまるで、あの日、街に帰ってきた私を迎えた空気そのものであるかのようだった。

 

 

 

―――……っ

 

 

 

そんな背筋の凍るような感覚を少しばかり疎ましく思っていると、直後―――、

 

 

 

「――――――――――――――――――――――ッ!」

 

 

 

「―――――■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ!」

 

 

 

私と同じ寒さを感じたのか、耐えられぬといわんばかりに番人たちの咆哮―――正確には巨大蛇の威嚇音と、鹿の嘶く雄叫びが、この世界を揺るがした。

 

 

 

「うぉっ!?」

 

 

 

サガは周囲にばら撒かれた轟く声に驚き、身を震わせて戸惑いを露わにしつつ、番人へと視線を移してゆく。

 

 

 

「おおっと、これはこれは……」

 

 

 

ピエールは相変わらず何を考えているかわからない笑みを張り付けたまま、同じく番人の方へと顔を向けていった。

 

 

 

「クソッ! 流石にこれだけ隙を見せれば、当然の結果か!」

 

 

 

悪態つきながら視線を番人どもへと移動させると、まずそんな番人たちを正面から見据えているエミヤの背中が視界に入ってくる。こちらへ一瞥の視線すら送ってこない赤い外套はためかせるその背中は、しかしなんとも頼もしく見えるのだから不思議だ。その背中の向こうには吠える番人たちの姿がある。猛り狂ってその身を捩らせる魔物たちは、一秒ごと凶暴さを増しているようだった。ヒュドラがまき散らす毒煙の量はさらに増し、鹿がステップを踏んで蹄で地面を削る跡の数は次々と増えてゆく。だが―――

 

 

 

―――番人たちとは、あんなに小さな存在だっただろうか?

 

 

 

不思議なことに先ほどよりも凶暴さを露わにしている番人たちの姿は、しかし今やあまり脅威に感じられない。先ほどまであれほど大きく見えていた番人たちは、今やずっと小さく感じられているのだ。……そしてまた。

 

 

 

―――……エミヤとはこれほど大きな男だっただろうか?

 

 

 

番人たちが小さく見えると同時、番人たちと私との間に立つ彼―――エミヤという男の背中が先ほどまでよりもずっと大きく見えるようになっていることに気付かされる。部屋の入り口から少し離れた場所で固めた白髪と赤い外套をはためかせているだけの浅黒い肌のエミヤは、不動を保っている。にもかかわらずエミヤは、今やこの場に存在しているあらゆるすべての存在を呑みこんでしまいそうな存在感を放っていた。

 

 

 

「―ッ!」

 

「■ッ!」

 

 

 

先ほどまで一方的に文句をぶつけていたそんな相手の背中に見惚れていると、だが番人たちはそんなエミヤという男が放つ存在感が気に食わぬといわんばかりに憎悪の籠った瞳を細めつつ鋭い目線を彼へと向けてゆく。九つの蛇頭と、一つの鹿頭。合わせて二十の瞳から放たれたその視線に秘められているのだろう負の感情から感じる熱量や凄まじく、パラディンというこの私ですらも思わずのけ反ってしまうような迫力があり―――

 

 

 

「ひっ……!」

 

 

 

エミヤの背中からはみ出ていた響はその余波をもろに喰らってしまったらしく、全身を震わせながらその身を縮こませてゆく。そんな時をも凍らせてしまいそうな視線がこちらへと向けられるさなか。

 

 

 

「―――くっ、くくくっ……」

 

 

 

そんな冷徹の視線を放つ番人どもから直接的に負の感情をぶつけられたはずのエミヤという存在は、突如として顔を伏せて番人たちから視線を切ったかと思うと、失笑を漏らし―――

 

 

 

「あ、あは、あはっ、あははっ、あはははははっ……!」

 

 

次いで、大声で笑い出した。それは自身を死なせかけた番人含むやつらから極大の敵意を向けられているにしては、あまりに予想外の反応だった。

 

 

 

「うぉっ!?」

 

 

 

サガがのけぞって驚き、エミヤへと視線を向けてゆく。ピエールも響も言葉こそ発しなかったが、エミヤの方を見て、同じ反応をしてみせていた。もちろん、はなから視線を彼に向けていた私も、三人と同様、彼のそんな突然の高笑いに驚きを隠せない。なぜ笑う。なぜ彼はこの強敵たちを前に、そんなにも朗らかな笑い声を漏らせるというのか。私たちに疑問を抱かせたそんな彼の笑いはそして私たちのみならず―――

 

 

 

「――――」

「――――」

 

 

 

番人たちにも影響を与えていた。彼が高笑いを上げた直後、番人たちはぴたりと威圧じみた視線と威嚇の音と動きを止め、向けていた視線を観察のそれへと切り替えていたのだ。

 

 

 

「―――弱い犬ほど良く吠えるというが、どうやらその法則は貴様らのような害獣にも適応できるらしいな」

 

 

 

そうしてその場にいるすべての視線を独り占めしたエミヤは、突如としてきつい皮肉の毒を吐いてゆく。それは今まで彼が見せてきた紳士然―――というよりも、立派で瀟洒な大人像からはかけ離れたものであり、だからこそだろう―――

 

 

 

「え、エミヤさん!?」

 

 

 

おそらく訓練などでもっとも彼と多く時間を過ごしてきたが故だろう。しかしそうして彼と長く接する中においても一度たりとそんな彼の一面を見たことがなかったのだろう響が最も敏感に反応して、驚きの声をあげてゆく。

 

 

 

「くっ、くっ、くくっ……」

 

 

 

そんな響の頓狂な声が可笑しかったのか、エミヤは再び失笑を漏らした。そのまま彼はくるりと反転して、私たちの方へと顔と正面を向けてくる。笑いの態度を崩さない彼はそのまま首を左右にゆっくりと動かし、驚いている様子の響、呆然とした様子のサガ、急すぎる事態の変化についていけず硬直している私、そしてなぜか顔を綻ばせているピエールを見渡すと、唇の片方だけを高く吊り上げて、不敵にニヤリとした笑みを浮かべた。

 

 

 

「―――では行くとしようか、諸君」

 

 

 

そして振り向いたエミヤの口から出てきたのは、そんな不遜とも思える言葉だった。投げかけられた言葉の意味を咀嚼して、驚く。そんな私が驚愕を露わにするよりも先、エミヤは再び振り向くと、先ほどと同じよう、私たちに背中を向け、番人たちと相対した。白髪が揺れ、外套が翻されてゆく。

 

 

 

エミヤは魔物たちの視線を正面から見据えている。だが、そうして向ける背中から感じられる雰囲気は、先ほどまで彼が発していたものとは異なり、柔和な雰囲気もが宿っていた。その背中を見て、直感する。

 

 

 

―――彼は私たちを拒絶していない

 

 

 

その赤い背中には、今まで彼が纏っていたような重苦しい、他人からの干渉を避けるような雰囲気は欠片ほども宿っていなかった。いや寧ろ、彼の背中は来るものを拒もうとしないそんな雰囲気にすら包まれていた。

 

 

 

「久方ぶりに魔術回路を全力稼働させる故、いつも以上に集中を要するだろう。悪いが、今までの様な援護は期待するな」

 

 

 

エミヤは番人から視線をそらさず、そうして背を向けたまま言葉を紡ぎ続けている。そんな彼の言葉にはここから先、自分は一定時間何もしないという意味と、だからそれまでの間、私を守ってほしいとの信頼が込められている気がした。いや―――

 

 

 

―――視線には間違いなくそんな期待が込められている

 

 

 

そんな確信を得た途端、訪れたのは全身がゾクゾクとする感覚で―――

 

 

 

「何があろうと、私が君たちを守ってみせよう」

 

 

 

感じ入るさなかに続けて聞こえた言葉は、何とも頼もしく―――

 

 

 

「だから―――」

 

 

 

そして―――

 

 

 

「だから―――、だからどうか、代わりに、君たちの力で私を守り抜いてほしい。君たちの力を、どうか、この私に貸して欲しい」

 

 

 

その口から続いた言葉は、私が心の底で期待していた言葉と一切違わぬものであり―――

 

 

 

「お―――」

 

 

 

そんな私がずっと求めていたそんな言葉に応じて、誰かが短く反応する。誰が発したのかわからないその言葉はしかし、間違いなくその場にいる全員の代弁であった。

 

 

サガは短い金髪を軽くいじくると、身構えた。腰まで伸びる金髪を細かく震えさせるピエールは、今にも手を当てた楽器をかき鳴らしてしまいそうだった。先程まで怯えて腰の引けていた響も、今やしっかと腰を据えて番人たちにまっすぐな視線を送っている。もちろん私も手に持つ槍盾を強く握りしめていた。

 

 

 

四者四様の反応を見ることもなく、エミヤはざっ、と一歩だけ足を進め、自らの体を前に押し出した。彼はなんとも自然体だった。振り向くことないその背中は、今まで見た誰のものよりも頼もしく、二歩、三歩と続く足音はあまりにもぶ厚かった。述べられた熱い、どこまでも熱い言葉は、その場にいる全員の心を奮い立たせる種火となり、触媒ともなり―――

 

 

 

「「「「オォ――――――――――――ッ!」」」」

 

 

 

気付けば、誰もが、抑えきれぬといわんばかりに叫んでいた。心が熱い。熱に自分が塗りつぶされていくそんな感覚があった。自己が変革されていく。熱く、熱く、ただ心が熱い。エミヤはたった一言二言述べただけである。だが、たったそれだけの出来事が、変革を拒み続けていた頑迷な自分をどこまでも溶かしつくして、蒸発させてゆく。強大な敵を前にして痛みに怯える臆病な自分は、すでにこの世から消え失せつつあった。もちろん、痛みが怖くないわけではない。傷が平気になったのではない。痛みや傷は、今でもダリという存在を脅かす魔性の毒である。だが―――

 

 

 

「私はこの世界にいる彼らとともに生きてゆく―――」

 

 

 

今、この世界には、エミヤがいる。この世界には、私たちと共に歩むと決意してくれたエミヤという存在がいるのだ。それだけで全ては十分だった。

 

 

 

「さぁ―――」

 

 

 

気力は十分、心は熱く滾っている。ならばもう、あとはこの湧き上がる思いに従って動いてしまえば、それで間違いなどあるはずがない。

 

 

 

「ではいこうか、番人ども―――」

 

 

 

強く敵を見据えるエミヤは、しかし一切の動こうとする気配を見せていない。それこそが、彼が私たちに向ける最大の誠意と信頼の証に間違いはなく―――

 

 

 

「試練の貯蔵は十二分か……!」

 

 

 

終わる言葉に、世界は静まり返る。今や彼は、まさにこの世界と一つになっていた。

 

 

 

 

 

 

「――ッ!? ―! ―ッ!? ―――ッ! ッ!?」

 

 

 

直後、番人たち―――特にヒュドラの九つの首は、そんな彼の敷いた空気に耐え切れぬといわんばかり、身を捩り、捻り、悶えだす。ヒュドラの九つある個々の頭は、それぞれ暴走したのか、四方八方、三々五々に頭が散っていこうとしていた。ヒュドラの丸い胴体は、そんな胴より伸びている頭部の暴走により中心である胴体が千切れてしまわないよう、必死になだめているように見える。連携のとれてないヒュドラのその姿はまるで、イソギンチャクのようだった。

 

「■■! ■■■■ッ!?」

 

 

 

そんな暴走するヒュドラの隣、黄金の鹿は暴走したヒュドラが口や胴体からまき散らす毒液や毒煙の隙間を縫うようにしてかわし続けている。軽やかに地面の上を跳ねまわる黄金の鹿は、仲間であるはずのヒュドラが見せる醜態に対し、困惑の視線を送っていた。どうやらヒュドラの暴走は、あの黄金の鹿にとっても予想外の出来事であったらしい。

 

 

 

「一、二分。悪いがそれだけ時間をくれ」

 

 

 

エミヤが番人たちから視線を外さないままに言う。そんな番人たちのみせる暴走と困惑を前にしても、それを見据える後ろ姿には一切の揺らぎがない。今の彼は、頭から足元にかけてまで固い鉄の芯棒が―――剣が一つ入っているかのように不動だった。

 

 

 

―――もはや先ほどまでの彼とは、まるで別人だ……!

 

 

 

「……何をするつもりだ」

 

 

 

あまりにも頼もしすぎる存在へと変質した彼へも返した自分の言葉は、多くが期待の想いで構成されている。我ながら、らしくない。だが、それも仕方のないことだろう。なぜならば、今や彼と私たちとの世界を分断していた一枚壁はもはや存在していないのだから。なぜならば、先ほど死に瀕するほどの傷を受けた彼が、しかしそうして自らを傷つけた反射能力を持つ番人を前にして、しかしもはや一切、揺らいでなどいないのだから。

 

 

なぜならば、彼の背中がもはや恐れることはなにもないとそう語っているのだから。

 

 

「先ほど言った通りだ。私の切り札―――」

 

 

 

そう。きっとエミヤは、もはや目の前の強敵はもはや強敵にあらず、恐れるに足りない存在でしかないと、そう確信しているのだ。だからこそ彼は、揺るがない、臆さない、恐れない。彼は今やまさに脅威を切り裂く一振りの剣と化していた。そうして他者を守るためその身を剣と化したエミヤがいるからこそ、臆病な私は番人たちという強敵を前に、しかし揺るがず、臆さず、恐れずにいられるのだ。

 

 

 

「固有結界を使う」

 

 

 

そう。目の前にいる存在は、彼を先ほど死の淵に追いやった強敵である。だがしかし、それでも彼は、自らが持つその切り札を使用すれば、目前の強敵はもはや脅威に非ずと、そう確信しているのだ。そんな事実に、気付くと自然、両手に力が入っていく。私はがらにもなく、未知に対する好奇心によって興奮させられ続けていた。

 

 

 

「こゆうけっかい―――?」

 

 

 

エミヤの背中の向こう側から聞こえてくる声を聞き、サガが口をへの字に曲げながら首を傾げてゆく。

 

 

 

「こゆうけっかい?」

 

 

 

響も同様に少しだけ疑問の声を顔に浮かべ、首をかしげる同様の反応をした。同じ所作をしてみせた、同じくらい短く整えられた赤毛と雑然と整えられた金髪の、同じくらいの背丈の二人は、まるで兄弟姉妹であるかのようだった。多分二人は、その言葉の意味が理解できていないのだろう。彼らのような人々の気持ちに疎い私であるが、しかし私もその時だけは彼らと同じく同様の気持ちを抱いていた。だからこそ私は、彼らの戸惑いと考えを十分に理解することが出来たのだ。……そう。

 

 

「こゆうけっかい……!」

 

 

その時の私は、私にとって理解しがたい思考のピエールという男が不謹慎にも目を輝かせているその理由が、知らぬ単語に、知らぬ技を使ってエミヤが見せてくれるだろう未知の光景に、あの番人がいかにして葬られるのかということに胸を躍らせているのだろうということを悟れるくらい―――、今の私は、間違いなく、かつて子供だった時には間違いなくあっただろう冒険者の感性を取り戻すことが出来たのだ。そうとも。無から有は生じないことを考えれば、未知を求め、楽しむという冒険者のような気持ちは、確かに私のなかにあったのだ。

 

 

 

「こゆうけっかい……」

 

 

 

―――だから

 

 

 

無論、その言葉が示す意味は、私にもわからない。だが―――

 

 

 

―――それで十分だ

 

 

 

先ほど彼が負った喉の傷は間違いなく致命傷と呼んで差し支えないものだった。エミヤは反射的に響が助けなければ、間違いなく、今頃シンと同じように失血死していたはずである。それは間違いなく自分がかつて受けた傷なんかよりも重いものであり、だからこそ私には彼が受けた痛みがそれこそ、とてつもない痛みだったのだろうことを容易に想像できていた。しかし。

 

 

 

―――あの時の自分よりもひどい痛みを受けたはずの彼が、しかし平然と、そんな致命傷を与えてきた存在と対峙している

 

 

 

エミヤはそれでも立ち上がった。言葉はそんな経験をしながらも不動を保っているエミヤの口から飛び出してきたものなのだ。そう。自らを追い詰めた存在と対峙している彼の態度には迷いなんてものが露ほども見当たらない。死につながる程の痛みを受け、一度はその恐怖に身を支配されそうになりながらも、彼は逃げずにそれを受け止め、跳ねのけ、対峙して排除することを決めたのだ。

 

 

 

恐怖を乗り越える。過去の自分の過ちを認める。直前までの自分が間違っているとわかった途端、それまでの胸のわだかまりも恥も外聞も関係ないといわんばかりに、正すため、誰かの手を借りてでも解決しようとする。それはきっとは、街にいる多くの大人たちには出来ない、本当に一部の冒険者とよばれるような彼らにしかない出来ないことだろう。

 

 

 

―――その事実が泣きたくなるほど、うれしかった

 

 

 

なぜなら。

 

 

 

―――自分とよく似た彼が、それをやってのけたのだ

 

 

 

大抵の大人は痛みを恐れている。年を取って積み重ねたものが多くなるほど、両手で抱えている荷物が多くなってゆく。大人たちはそうやって積み重ねて、荷物をしょって作り上げてきた自分の世界が壊れてしまうのを何よりも恐れている。だから彼らは冒険をしようとしない。だから彼らは、自らの世界を壊しかねない痛みから、なんとしてでも遠ざかろうとする。

 

 

 

―――彼は、私と自分がよく似ていると言っていた

 

 

 

私も同じだ。私だって、大人と呼ばれる彼らと同じく、自分の世界が壊れてしまうのが怖かった。殊更痛みに敏感な私は、だからこそ、痛みを遠ざけるため頑丈な鎧に身をつつみ、強力なスキルで身を守り続けてきた。私は傷を負いたくなかった。私は痛みを背負い込みたくなかった。私はそんな自らの臆病を、弱さをまた誰かに見られ、失望されるのが怖かった。

 

 

 

―――私はずっと、他人の気持ちがわからなかった

 

 

 

幼い私には、その頃の自分が扱うには強過ぎる力が体に宿っていた。私はずっとそれに守られていた。だから私の世界はずっと安寧を保っていた。だからこそ私は、どこにいてもずっと一人だった。だって私の世界はその力で守られている。その世界に痛みなんてものは、欠片ほどもない。だからこそ痛みという感覚を知ったあの日、そんな世界の外側の恐ろしさを知って、私はこの世界に肉体だけを置き去りにして、心を私の世界に引きこもらせたのだ。

 

 

 

―――なら、きっと彼もそうだった

 

 

 

そうして自分を痛みから守るので精いっぱいの私には他人のことを気遣うなんて余裕を持ち合わせていなかったから。私は私以外の人間がもたらす感情を、自らの裡に留めておく余裕を持っていなかったのだ。だからこそ私は、どんなところにいても孤独感を感じていた。私はこの広い世界で、しかし常に一人だった。私の世界には私以外の誰もが存在していなかった。なぜなら、臆病な私が必死に、他人が私の世界へと入り込むのを拒絶していたから。

 

 

 

―――彼はずっと一人だった

 

 

 

心が弱い代わりだろう、私は身体が頑丈で、心を守る術には長けていた。そんな私自身の身体能力や積み重ねてきた経験値の高さと相まって私の実力は高くあり。だからこそ私の体を、心を傷つけられる存在なんて、一人もいやしなかったのだ。けれどシンという私に比肩する、私以上だったかもしれない男の存在の死によって、私が心に築いてきた守りは一時的に崩壊させられる。そして生まれた心の隙へ、エミヤという確実に私以上の存在である彼から多分は無意識のうちに放たれた一撃は、だからこそ私の心を深く抉り貫いて、私の世界を大いに痛めつけていった。

 

 

 

―――私が一番されたくなかったのは、私と同種の人間からによる否定だった

 

 

 

かくして心に致死量のダメージを負った私は、与えられた痛みに耐えきれず、痛みを与えてきたその存在を私の世界から排除すべく、大いに反撃した。

 

 

 

―――おそらく彼も……

 

 

 

自分とよく似ているというそんな存在からの反撃の刃は、だからこそ深く突き刺さる。何せ攻撃してくる相手は、どこが自分にとって痛い場所であるかを、それこそ痛いくらいに知りえているのだ。そして人間の心というものは、身体に比べて遥か脆弱な守りしかもたない。だからこそエミヤ曰く、自身とよく似た存在の放った、しかしエミヤよりもはるかに弱い存在の言葉の刃は、エミヤという強者にも突き刺さった。

 

 

 

―――この世界に生きていながら、この世界を否定し続けていた

 

 

 

私は、彼は、この世界のどことも繋がっていないはずだった。だが、生物の肉体を、心を死に至らせしめんとする強烈な痛みを伴う刃は、あらゆる生物の境界線を取り払う。シンによって傷ついていた私の心がエミヤという強者の放った一撃により自らの世界とこの世界との繋がりを得てしまったように、エミヤもまた、番人という強烈な存在が放った一撃によってその肉体が死にかけた時、自身の世界とこの世界とが強制的に繋がりを得てしまったのだ。

 

 

 

―――だが

 

 

 

そうして露わとなったエミヤの心の中の柔らかい部分に、エミヤという男の刃によってこの世界との繋がりを得てしまったダリという存在が、言葉の刃を突き立て返した。彼の放った一撃は、私の世界を壊しかねない致命的な一撃だった。だからこそ私は、私が壊れないようにするために、そんな私の世界を壊そうとするエミヤという存在を、エミヤの世界を否定する言葉を発したのだ。

 

 

 

―――だが……

 

 

 

けれど、そうして放たれた致命的な威力をもつはずの私の言葉を、彼は真正面から受け止めた。

 

 

 

―――彼は、この、多くの痛みに満ちている世界を受け入れた

 

 

 

私ならば耐えられないだろう、私が耐えられなかったからこそ出したはずの痛みに満ちた致命の一撃を、しかし彼は受け止め、呑みこみ、それでも自分を保つことに成功した。誰かを守ろうとした言葉を否定され、差し出した手を跳ねのけられ、命の炎消えかけた満身創痍の身でありながら、それでもこんな痛みに満ちている世界のすべてを呑みこんで、それは自らの行動の結果であると認識し、自らを傷つけてくる存在すらも受け入れる。

 

 

 

……果たしていったい。

 

 

 

―――それはどれだけ勇気がいることなのだろうか

 

 

 

どれだけの差が、私と彼との間にあるのだろうか。

 

 

 

―――……そうとも

 

 

 

彼と私との間には対等などとは言えぬ実力差がある。そんなことは百も承知だ。そんなこと、私のみならず友、ここにいる誰もが、それこそ、この世界に生きる誰もが理解している事実である。

 

 

 

―――私にはそれが出来なかった

 

 

 

よく似た存在から放たれた言葉の刃を、彼は受け止めて呑みこみ、私は否定して必死にはじき返した。彼は他人の言葉を肯定し、私は他人の言葉を否定した。彼は自身の過去を肯定し、私は自身の過去を否定した。その結果がこの差だ。彼は自らを死に至らしめる存在と向き合うために、一歩を踏み出している。私は未だにそれが出来ず、私を傷つけた存在の背中を眺めているだけである。

 

 

 

―――この世界において、私と彼との差は、たった数歩分しかない

 

 

 

数歩分。それは勇気を出して踏み出せば、すぐさま埋まる距離である。

 

 

 

―――だが……

 

 

 

だが、そのたった一歩と数歩分の。けれどその意識せずに前へと進めばたった一歩と数歩分の、なんと遠い一歩と数歩分であることか―――

 

 

 

―――果たしてその一歩と数歩分を埋めるために、彼はどれだけ傷ついてきたのだろうか……

 

 

 

彼は言った。自分と君の在り方はよく似ている、と。だが、似ているなど、とんでもない。確かに私と彼との思考の方向性は似ていて、一歩分の違いしかないかもしれない。だが、私と彼との心の在り方には一歩分とは思えない、筆舌しがたいほどの距離が存在している。この世界においてたった数歩しかないはずのその距離は、私と彼との世界の間では一歩分でしかない距離は、しかし無限にも等しかった。そうして似ているはずの私たちを隔てているのは、勇気という名の痛みに対する耐性力であり、つまりはこれまで積み重ねてきた経験の差なのだろう。

 

 

 

―――果たしてその一歩と数歩分を埋めるのに、彼はどれだけ痛みに耐えてきたのだろうか……

 

 

 

彼は先にいて、私は彼より後ろにいる。皮肉なことに、それは確かに彼と私との思考が似ているからこそわかる事実なのだ。彼と私は似た思考の持ち主で、だからこそ私は、いまだ自身が彼の領域にいないことを理解できるのである。……そう。私は彼の背中のはるか後ろで足踏みをしている状態だ。槍盾を構えた私は、しかしかつて自身が傷ついて足を止めてしまったその場所から、一歩たりとも動いてはいなかった。

 

 

 

―――私はこの世界で、それをやってこなかった

 

 

 

そう。今もまだ、私はただ痛みに怯えて必死で目を晒しているだけの存在で。

 

 

―――心はあの頃からたった一歩たりとも成長などしていなかった

 

 

 

それは認めなければならない事実である。

 

 

 

―――私はただ、無我夢中で必死に耐えながら、この痛みに満ちた世界を彷徨っていたつもりだけだったのだ

 

 

 

私はただ、立ち竦んでいただけだった。私は痛みにも抗おうとも、受け入れようともしてこなかった。私は痛みから眼を逸らし続けて来ただけだったのだ。だが私は、そんなそれまでの怠慢をしかし、仕方のないことだと思い込んでいた。だって、この世界のどこにも、自分と似た存在なんて存在していなかったのだ。そう。自分と同じような存在なんてこの世界にまるで存在していなかった。私には指標となる存在がいなかった。周りにいるのは自分と似たような、しかしまるで弱い存在だけで、自分と同じよう肉体に一切傷を負わない強さを持つ存在なんて―――いや、自分と同じよう、自らの世界が壊れるほどの一撃を喰らって、それでも立ち上がるような存在など、時ここに至るまでこの世界に存在していなかったのだ。そんな一人ぼっちの世界はしかし、これ以上もなく痛みに満ちていて―――

 

 

 

―――だからこそ私は、この世界から逃亡し、私だけの世界に逃げ込んだ

 

 

 

……だが。

 

 

 

―――そんな私が逃げたこの世界に、しかしついに同じような存在が現れた

 

 

 

今、この世界には彼がいる。エミヤ。何処よりやってきたのかも定まらぬ、過去の世界よりやってきた可能性の方が高い彼は、そんな痛みに怯えて立ち竦んでいた私の前に突如として現れた。私と似ている彼は、しかしやがて私が過去に負った傷や受けた痛みなどよりもはるか上回るだろう致命の一撃を受けて、さらには自己の世界を否定するような言葉を受けたにもかかわらず、それでも立ち上がるだけの強さを持っている。

 

 

 

―――その私によく似た存在は、私よりはるか前に進んでいた

 

 

 

彼はその実力だけでなく、心までもが私などよりもはるかに強かった。致命の一撃を受けた彼は立ち上がり、そして自らに致命の一撃を与えた存在へ立ち向かう。そんな痛みに満ちたこの世界の中、多分かつては私と同じように目を伏せてばかりいた彼は、それでも前を向いて進んでゆくことを決めたのだ。いや、それどころか彼は、そんな痛みに満ちているこの世界とそこにあるすべてを積極的に受け止めようと、手を差し伸べてすらいるのだ。

 

 

 

―――その事実に、頭の芯までがしびれるくらい感動した

 

 

 

だから、もう、それだけで十分だった。

 

 

 

―――彼はエミヤとダリがよく似ていると、そう言ってくれたのだ

 

 

 

それ以上の理屈なんていらない。

 

 

 

―――そんなエミヤはこの世界の中、それでも前に進んでいったのだ……!

 

 

 

それ以上の理屈なんて、必要ない。

 

 

 

―――ならば……

 

 

 

彼と私との間に足りぬ一歩と数歩があるというのならば……

 

 

 

―――その足りぬ数歩を……

 

 

 

せめて今このひとときの間だけでも―――

 

 

 

―――この湧き出る想いと決意で、無理矢理にでも埋めてみせよう……!

 

 

 

自らの意思でその数歩を埋めるため前に進み、彼の隣に並び立つ。それは決意だった。それは覚悟だった。それはこの世界に、初めてわたし/私という存在が、自らの意思でこの痛みに満ちた世界と向き合い、やがては踏破しようとそう思った証だった。

 

 

 

「少しの間、世界を私の心象風景と入れ替える、私の使える魔術の中でもとっておきの切り札だ。それだけに発動に必要となる魔力も、それを保つために必要な魔力も、これまでに使用してきた投影宝具のそれをはるかに多く上回るだけの量と準備の工程を必要とする。だが、消費する魔力量と手間に恥じぬ活躍をする魔術―――スキルであることを確約しよう」

 

 

 

全身が熱くなってゆく。

 

 

 

「世界を心象風景で書き換える……?」

 

 

 

その言葉の意味なんてわからない。

 

 

 

「一目見ればわかるさ」

 

 

 

でも、私の疑問の答える言葉は真摯で、その表情にはやはり迷いがなかった。

 

 

 

―――だからこそ

 

 

 

「……そうか」

 

 

 

それだけで私の中から痛みや傷を恐れる気持ちは、すでに失われてしまっていた。痛みを受けたはずの彼が立ち上がり、そしてそれでも述べてくる強い言葉の数々は、臆病になってしまった私に無限の勇気を与えてくれている。

 

 

 

―――それだけで十分過ぎるほどだった

 

 

 

そんな時。

 

 

 

「――、―――、――――――、――――――――!」

 

「■、■■、■■、■■■、■■、■■、■■、■■■――!」

 

「―――む」

 

 

 

時を同じくして今までまるで動きを見せなかった敵も、大いに暴走し始めた。ヒュドラいうゼリーの亜種のような番人の魔物は、その上部から生やした何本もの触手のような首を大きく悶えさせている。ケリュネイアの鹿という旧迷宮一層のF.O.Eに似た奴は、まるで落ち着きをなくし、蹄で地面を叩いていた。

 

 

 

「――ッ! ―――ッ! ――――ッ! ―――――ッ!」

 

「■ッ! ■■ッ! ■■■ッ! ■■■■ッ! ■■■■■ッ!」

 

 

 

魔物どもはエミヤの言葉に落ち着きを取り戻した私とは対照的に凶暴化していく。きっとおそらくは彼の言う通り、二匹の番人は彼がこれからやろうとしていることが自分たちを必滅せしめる可能性の高いものであることを読み取ったのだろう。そう。それは私を安心させた「こゆうけっかい」という単語が、逆に奴らにとっては不安を煽る猛毒であるという何よりの証明に違いなく―――

 

 

 

「ほう……」

 

 

 

そんな番人たちの態度が。そんな番人たちの様子を見てエミヤが目を細めるそんな仕草が、私の中の気持ちをさらに増大させてゆく。

 

 

 

「固有結界という言葉に聞き覚えがあるのか、あるいは単に不穏な未来を感じ取ったのか……。―――どちらかは知らないが、所詮はヘラクレスという英雄の伝承に花を添えるだけの存在に過ぎない貴様らにも、未知や死を恐れる動物的本能と言うものがあったようだな」

 

「――――ッ!」

 

「■■■――ッ!」

 

 

 

そしてエミヤが嘲笑とともに放った続く言葉は、ただでさえ怒りに猛っていた番人たちから、さらなる凶暴さを引き出してゆく。

 

 

 

「おっと。図星を突かれて怒りを露わにするとは―――、は、伝承上の存在とはいえ、所詮は忍耐というものを知らん、狩られる運命にある畜生にすぎないというわけか」

 

「―、――ッ!」

 

「■、■■ッ!」

 

 

 

彼が放った毒気の強い言葉や嘲笑の態度は、敵からさらにみっともなさを引っ張り出していた。彼は自らを死の暗闇に叩き込んでしまいそうなくらいの痛みを与えたそんな存在を、「なんだ、その程度のものか」と見下していた。

 

 

 

―――それだけで、十分すぎるほどだった

 

 

 

それを見て私は、改めてこの男のすごさを思い知るとともに、そんな男に信を置かれているという事実と、そんな彼と共に痛みに立ち向かえるのだという事実に興奮し、決意する。

 

 

 

「エミヤ」

 

「ん?」

 

「―――任せろ」

 

 

 

隣に並び出て短く告げると、彼は片方の唇だけを吊り上げて何とも皮肉気に、しかしどこまでも優しく、微笑んだ。

 

 

 

「ああ―――、了解だ……!」

 

 

 

最強の男から告げられた信頼の一言が、柄にもなく私の体を更に熱くした。

 

 

 

―――あぁ……

 

 

 

痛みと接するような戦いを前にして、愉びを得る。それは今までの私にはない感覚だった。だが、冷徹を自覚するこの身が熱くなってゆくその感覚は、何とも心地よく―――

 

 

 

―――これは何とも、悪くない

 

 

 

気付けば自然と唇が吊り上がっていた。

 

 

 

―――もしや……

 

 

 

そうして強敵との戦いを前にして喜ぶという行為に、私はある男のことを思い出す。

 

 

 

―――……シンも、このような気持ちだったのだろうか……

 

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

不意に浮かび上がってきたその顔に、ずきりと胸がひどく痛んだ。心臓がつぶされたかのような感覚が、我が身に押しよせる。それははるか昔、今やほとんど感じなくなってしまった、この世界にいなくなってしまったものを悼み悲しむという感覚に間違いなく―――

 

 

 

「―――!」

 

「■■■■!」

 

 

 

―――いや……!

 

 

 

そんな痛みをきちんと受け入れるよりも前に、聞こえてきた耳をつんざく咆哮が、私の意識を心から引き剥がしてゆく。

 

 

 

―――いまはそれどころではない……!

 

 

 

そうして私をこの世界から失せさせようとする殺意によって、強制的にこの世界へと引き戻された私は、首を振り―――

 

 

 

「……やるぞ!」

 

 

 

過去の中、痛みを受け入れる強さとともに置き忘れて失われてしまった私自身の感情と、そんな感情を思い出させてくれたシンやエミヤへの哀悼と感謝の想いを一旦胸の中にしまい込むと、信頼の想いを改めて挨拶に短く乗せて短く宣言する。

 

 

 

―――全てはこの世界に生き残った後で考えればいい……!

 

 

 

決意を新たに、想いは胸に。仲間たち全員を庇えるよう、エミヤよりも一歩前に進み出て、盾を構えてゆく。いつものよう、しかし何時もとちがう、新迷宮一層の鉱石から作り出した薄い桃色の堅牢な盾「アイアス」を痛みの原因である敵を拒絶するかのように差し出すと、胸に感じたはずの痛みはもうどこかへ行っていて、痛みと傷を恐れる意識はすぐに戦闘のモノへと切り替わってくれていた。

 

 

 

「おうっ!」

 

「はいっ!」

 

「いきますよ!」

 

 

 

背中から皆の威勢の良い返事が聞こえてくる。彼らは私が見せた臆病の態度を前にして、しかし一切変わらぬ態度で接してきてくれる。私はその時、ようやく彼らと仲間になれたという、そんな気がした。

 

 

 

「―――――――――――――――!」

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■!」

 

 

 

番人どもの嘶く声が響き渡る。そうして私の―――私たちの生きるこの世界から痛みを取り除くための戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

先手を取ったのは黄金の鹿だった。

 

 

 

「――――――! 」

 

 

 

謎の足踏みにて地面を踏み荒らしていた鹿の姿がブレたかと思うと、瞬時に消え失せる。

 

 

 

―――来るっ!

 

 

 

「パリ―――」

 

 

 

瞬間、経験から危機を察知して、私は物理防御スキルを発動させようと己の予測に従ってエミヤと鹿の直線上に身を捩じ込み―――

 

 

 

「ング……!」

 

 

 

いつも通りに物理攻撃を完全に防ぐスキルを発動する。そうして物理攻撃を無効化するスキルは間違いなく発動し、私の構えた盾の前には、薄い光の壁が現れる。……だが次の瞬間。

 

 

 

「―――ガッ!」

 

 

 

私の視界はぶれて、意識は白く染まってゆく―――

 

 

 

「ダリッ!」

 

 

 

だが、そこへ、聞きなれたサガの叫びが割り込んできて―――

 

 

 

「―――っ!」

 

 

 

私の視界と意識を現実へと繋ぎ留めていく。

 

 

 

「グ……、ヌ……!」

 

そんな

 

 

 

引っ込みかけた意識をなんとか保つことに成功した私は、奥歯に至るまで口を噛み締めて何とか意識を保つと、すぐさま状況の把握に努めてゆく。すると瞳の中、黒く靡く短い前髪の向こう側、はるか遠くにある赤の壁が映りこんできて。

 

 

 

―――天井……っ!

 

 

その赤い壁の正体に思い当たった私は、思わず下唇を柔らかく噛んだ。次いで、自らの両足に、常ならばあるはずの重みがまるで感じられないことを自覚して―――

 

 

 

「――――――ッ……! 」

 

 

 

自らが無様にも空中で呆然と天井を見上げているという現状を把握する。

 

 

 

―――吹き飛ばされ、宙を舞っている……!

 

 

 

先ほど自らの意識を飛ばしかけたものの正体が、あの日以来ほとんど感じたことのなかった、ひどい痛みを伴う衝撃というものだということに気付かされる。久しく感じたことのなかった肉体の大きな痛みが到来したせいだろう、驚いた私の臆病によって意識は痛み感じぬ私の心の奥底にまでしまい込まれようとしていたのだ。

 

 

 

「くっ……!」

 

 

 

導き出した予想と体の下より迫りくる現実。その二つから数旬後にくるだろう衝撃に備え、体から力を抜くと―――

 

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

予定通りに背後からそれはやってきた。

 

 

 

「―――クソッ!」

 

 

 

盾を装着していない手を用いて受け流し、その勢いを利用してすぐに立ち上がる。覚悟さえ決めていればそれはいくらでも対応できる程度のものでしかなかったのだ。

 

 

 

―――痛くは……、ない……!

 

 

 

それでもわずかに感じる痛みの違和感を打ち消すため、自分の体にはなんの問題も起こっていないと言い聞かせる。だが。

 

 

 

「グ……!」

 

 

 

直後、視界が陽炎のように揺らめいた。

 

 

 

―――……!

 

 

 

上下がグルグルと反転している。ふらつく体を無理矢理槍で固定して倒れぬよう支えられたのは、奇跡的だった。頭が痛い。眼に映る全てが煙のよう渦巻いている。気分が悪い。吐き気がする。それは私の脳を着地の際に受けた衝撃が揺らした結果であるに違いなかった。

 

 

 

―――吹き飛ばされた……!? この私が!? パリングを発動したのに……!? どうして……!?

 

 

 

現実で得られた情報が次々とやってくる。脳裏の中は予期せぬ訪問者に満たされてゆく。やけに落ち着いた現状認識ができるわりに、頭の中は得られた情報の洪水で大混乱を起こしていた。だが―――

 

 

 

―――パリングを発動していた私が、吹き飛ばされたのか……!?

 

 

 

事前の覚悟があったおかげだろう、私の頭はすぐさま正常さを取り戻すと、錯綜する断片的な情報を整理し、納得のいく結論をはじき出す。あるいは、衝撃こそあるものの痛みがないという事実が、自分の精神を安定させる材料となったのかもしれない。ともあれ事実と自分の体が予想以上のダメージを負っているという事実が結びつき、自らの中である一つの疑念として固まり、結論として実ってゆく。

 

 

 

―――どうして……?

 

 

 

私は吹き飛ばされた。その事実は、無敵であるはずのスキル「パリング」が無効化されたという事実を意味している。

 

 

 

―――馬鹿な……

 

 

 

そして導き出された結論を、私は自ら否定する。なぜならそれは―――

 

 

 

―――あのパリングだぞ……!?

 

 

 

エトリアで長く衛兵として過ごした私ですら聞いたことのない、スキル「パリング」が無効化されたという結論だったからだ。なにせパリングは旧迷宮の番人どもや、当時は逃げ延びるので精いっぱいだったあの旧迷宮二層の化物の、あのシンの腕を黒こげにしたワイバーンにすら通用した完全防御である。……いや。

 

 

 

―――あのワイバーンの突撃すら防いでくれた、あのパリングだぞ……!?

 

 

 

そんなパリングの物理攻撃に対する完全防御性を我が身で体験した私だからこそ、私はパリングという物理攻撃を無効化する特技が敗れたということを信じられなかったのだ。

 

 

 

―――……いや

 

 

 

そうして疑念の念を心に保ったままあたりを見つめてやると、地面にあった二つに車輪で引いたかの様な轍が一度途切れ、そして一旦ただの四足獣の戸惑う足跡へと変化したのち、やがて少しだけ獣の足跡へと戻ったのち、少し離れた場所で再び轍へと変化しゆくのを発見した。これまでの戦闘の経験とその時得られたそんな情報から、私は瞬時に理解する。

 

 

 

―――パリングは確実に無効化されていない……

 

 

 

そうとも。パリングは間違いなく発動した。その証拠が、地面に残っているあの鹿の爪痕だ。そう。

 

 

 

―――パリングは確実に、敵の突撃を防いだのだ

 

 

 

自分はあの超速度で動く鹿の体当たりがエミヤに命中するのを、確かにパリングで防いだのだ。

 

 

 

「―――」

 

 

 

だからこそ横目に見えるエミヤは、今もなお、目を閉じて集中を保てている。だが、そうして得られた答えは、『ならばなぜ私という存在が黄金の鹿に吹き飛ばされたのか』という答えにはなってくれやしなかった。

 

 

 

「いったい、何が―――」

 

 

 

疑念は答えを求めてあたりに視線を彷徨わせてゆく。すると、自らを轢いた存在の残した傷痕が私の意識を導いたのだろう、視線は自然と鹿の残したと思わしき轍の跡へと吸い寄せられていった。伸びた轍の終点はやはりというべきか、ヒュドラの傍らにいる黄金の鹿へと続いている。

 

 

 

「■■、■、■■、■、■ッ!」

 

 

 

無機物すら溶かす毒の地面の上、紫色混じる体に悪そうな空気に中にいる黄金の鹿は、平然とした、しかし不機嫌な、そしてまたどこか憮然とした表情でこちらを睨みつけきている

 

 

 

「む……」

 

 

 

その表情を見て察する。

 

 

 

―――この結果は、奴にも予想外だった……?

 

 

 

直後、天啓が走った。

 

 

 

―――ならばその不自然の答えにこそ何かあるはず

 

 

 

浮かび上がったひらめきの言葉に任せるよう目線を細めると、黄金の鹿を見つめていた瞳は、奴を包み込んでいる紫の毒煙がその体躯に触れることなく地面へと垂れ落ちてゆく光景を見つけて―――

 

 

 

―――なるほど

 

 

 

瞬間、私は思い出す。

 

 

 

―――反射、か……

 

 

 

エミヤ曰く、鹿には攻撃を反射するという特性があるという。高速で動く物体が停止している物体に激突する際、本来ならばその両者に一定の力が―――衝撃が等しく発生する。だが……。

 

 

 

―――そうして発生するはずだった力はこの度、互いの特性―――無効化と反射によって正しく処理されて……

 

 

 

私と黄金の鹿が激突した際、そうして発生した衝撃は、幾分かの力かパリングによって無効化され、残った幾分かの力が鹿の反射の特性によって処理された結果―――

 

 

 

―――別たれた激突の威力を反射したことによる衝撃が私を吹き飛ばしたのか……

 

 

 

無効化と反射によって勢いを完全に殺された鹿はその場に停止させられ、私は衝撃反射の威力によって吹き飛ばされたのだ。そう。きっと無効化と反射によって、鹿の突撃の威力は半分以下に―――、いやそれ以外になっていた。だからこそ私は、大したダメージを追わずに済んだのだ。

 

 

 

また、奴の残した轍と足跡から察するに、おそらく奴の突進はある程度の距離がなければ速度が乗らず、威力が激減するのだろう。初速度、加速度こそ段違いに早いが、先程の激突の威力からわかった通り、奴の質量は、普通の大鹿―――エトリア旧迷宮の一層F.O.E『狂える角鹿』程度のものでしかない。加速度をともなっていない質量の力なんてのは、それこそたいした威力になんてななりやしない。

 

 

 

「■■、■■■ッ!」

 

 

 

だからこそそんな細身で見目麗しい見た目とは裏腹に荒々しい気性の性格である奴は、エミヤへの突撃を諦めた。パリングによって勢いを殺された鹿は、だからこそそうして無敵のはずの体当たりを止められたことに不思議を感じ、一旦撤退したのだ。未知はどんな生物の足を止めさせる。だからこそあの鹿は、こうして自らの邪魔をした存在を睨めつけている―――

 

 

 

「む……?」

 

 

 

だったのだが、今しがた起きた現象の理解に至った私がようやく十全の意識を黄金の鹿へと向けなおしてやると、黄金の鹿の視線はいつの間にか私から外れていた

 

 

 

―――いったいどこを……

 

 

 

そうして復活した私が鹿の視線の先を見つめるよりも先に―――

 

 

 

「―――I am the born of my sword/体は剣で出来ている」

 

 

 

直後、切り札というやつの準備だろう、エミヤのその口から言葉が零れ落ちてゆく。そうしてこの世界へと生み落とされた言葉は瞬時に私の耳孔へと飛び込んできて―――

 

 

 

「―――〜〜〜ッ!?」

 

 

 

途端、背筋にゾクゾクとした感覚を与えて去ってゆく。

 

 

 

「―――ぉ……」

 

「……え!?」

 

「これは……!?」

 

 

 

そしてまた、そんな感覚を味わったのは、どうやら私だけでなかったらしい。仲間たちの呟きには私と同じ感情の成分を多分に含んでいた。そうして彼にたった一言を告げられただけのこの世界は、まるで彼の言葉の浸透を恐れおののいたかのよう、静まり返ってゆく。その場では一人を除く全員の視線が、除外されているその一人へと集中していた。

 

 

 

「―――」

 

 

 

たったの一言。大した音量もないそのたった一言で衆目を集めた男は、ただ平然と佇んでいるだけである。だがそんなたったの一言によって、誰もが言葉の発し方を忘れたかのように呆然としていた。ただ、彼につきまとっている時間という存在だけが行動を許されたかのよう、あるいは我を忘れたかのよう、時計の針を進めてゆく。

 

 

 

―――なるほど、これはすさまじい……

 

 

 

たった一言。彼が発したその言葉の意味は一切不明である。だがそうして放った意味の不明なたった一言でその場にいる私たち全員は、それたった一言こそが彼の真の切り札へと繋がる一言なのだということを体の芯から理解させられたのだ。

 

 

 

「―――あ……」

 

 

 

遅れ、何処よりか発した風が部屋の中を駆け抜けた。そうしてようやく―――

 

 

 

「■■■■■■■■■■ッ!」

 

 

 

観察の視線を送ることを強要されていた鹿がその事実に怒り狂ったかのようその首を振って轟き叫び、地面を蹴って足踏みをし始める。つい先ほどまで大物然として余裕と冷静さを保っていた鹿は、今やまるで小物のように狼狽えていた。どうやらエミヤの放ったまるで威力のないはずの言葉に自らが動きを停止させられたという事実は、しかしだからこそあのあらゆる攻撃を反射する鹿のプライドをたいそう傷つけていったらしい。

 

 

 

「―――――!」

 

 

 

そして鹿と同じような危惧の感想をヒュドラも抱いたのだろう、嘶く鹿の雄叫びに誘発されたかのようその九つの蛇頭たずさえる胴体を震わせると、静かな叫び声をあげつつ行動を開始する。

 

 

 

「む……」

 

 

 

不動を保っていたヒュドラの胴体から伸びた九つの首の内、三つの首が頭を寄せ合って絡みだす。

 

 

 

「と……、溶けて―――」

 

 

 

そうして絡み合う蛇の蛇頭は、やがて元の透明な姿から蛇頭に変化する時のように溶けだして―――

 

 

 

「く、くっついて―――」

 

 

 

動きとともに互いの境界を失わせると―――

 

 

 

「合体した!?」

 

 

 

一つの長く大きな首へと変化してゆく。

 

 

 

「うぅん、ご立派……」

 

 

 

エミヤの後ろにいるピエールが茶化す声をあげた。そうして丸い胴体の先に延びていた九つのうち、三つのヒュドラの蛇頭は、合体し、巨大化している。先ほどと同じ色の、しかし先ほどよりも一回りも二回りも頭には、それと同じくらい一回りも二回りも大きな瞳が一対ばかり引っ付いていた。品のない例えだが、確かにそれはその通りだと思う。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

巨大化し終えた瞳は、やがて徐々に開かれてゆく。

 

 

 

「――――――――……ッ!」

 

 

 

そうして開かれた瞼の下にあった巨大化した瞳孔がエミヤの姿を捕らえた途端―――

 

 

 

「――――――――――……!」

 

 

 

開かれたはずの巨大な瞼は薄く細められてゆく。小さくなってゆく瞼と瞼の隙間から覗く巨大な縦長の瞳孔は、広がっては縮まり、縮まっては広がりを、何度もせわしなく繰り返していた。

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 

直後、そうして一つになった首はしなりをつけつつ、胴体の後ろへと回されてゆく。五百メートルほども離れた位置、胴体の後ろに太い首は収容する様は、まるでダークハンターと呼ばれる彼らが強力なスキルを使用するために振り上げた鞭のようだった。

 

 

 

―――来る……!?

 

 

 

あからさまな攻撃の姿勢に、私の体は守護の態勢へと誘われて。

 

 

 

「な……」

 

 

 

だがそんな私の態度と予想を嘲笑うかのよう、そうして巨大となった頭の一つを自らの胴体の後ろへと移動させていく蛇は攻撃の姿勢を保ったまま動かずに―――

 

 

 

「なんだと……!?」

 

 

 

残る元の大きさの六つの首の内、さらに三つの首をも先ほどと同じようにぶつけ合い、合体させてゆく。

 

 

 

「嘘だろ、もう一つだぁ!?」

 

 

 

三つの蛇頭がさきと同じ変化を遂げてゆくその姿は、サガに女の悲鳴じみた甲高さの叫び声を上げさせた。

 

 

 

「―――……、――――――! ―――、…………」

 

 

 

そうして作り上げられたもう一対の巨大な蛇頭にある瞳は、やがてさきと同じように開かれると、その視線を今度はこちら―――ダリという存在へと向けてくる。

 

 

 

「―――……ッ!」

 

 

 

瞬間、私は理解する。そう。おそらくその蛇頭はエミヤという存在のために用意されたものでなく。そんなエミヤを守る、物理攻撃無効のスキルを持つやっかいな私を仕留めるための第二の矢として用意されたのだ。そんな目の前の現実と自らの予想に、この上ない戦慄を覚えさせられる。

 

 

 

―――エミヤを仕留めるためには邪魔な障害として認識されたか……っ!

 

 

 

慄くさなかにも二つ目の蛇頭が胴体の後ろへとそらされてゆく。そうしてヒュドラの二つ目の巨大化した蛇頭の下部が、地面どころか私たちとは真反対の壁を向いた直後―――

 

 

 

「……ッ!」

 

 

 

巨大化した二つの首の内の先に攻撃の準備を終えた方は、その逆しまとなった巨大化している口を自分の顔面以上に大きく開き―――

 

 

 

「ッ!」

 

 

 

一滴で数十人どころか数百人は殺せそうな毒液滴らせる牙と、一口で数千人は飲み込めてしまいそうな口腔と、その喉奥までをも露わにして―――

 

 

 

「!」

 

 

 

全霊の頭突き―――いや、押しつぶし、溶かし、飲み込むという動作を一気に行える複合攻撃を放ってくる。最初の蛇の狙いはもちろん―――

 

 

 

「――――――――――――……ッ!」

 

 

 

この場で最も番人たちを―――ヒュドラを不快にさせている行動をとる、エミヤという彼だった。

 

 

 

「―――エミヤッ!」

 

 

 

そうしてエミヤをかばうために彼の前に飛び出そうとした私は、しかしその場に硬直してしまっていた。ビュォォォォォォォォォン、と、風を押しつぶしたかのような不快な音と共に、敵の攻撃がエミヤへと迫りくる。空中、弧を描くようにして進んでくる巨大な蛇の頭が鳴らすその音は、まるで団扇であるかのような軽快さと重厚さを同時に備えていた。空中を支配するかのように轟くそんな音はまた、まるで旧迷宮四層の番人、巨鳥「イワオロペネレプ」の体当たりのそれのようでもある。

 

 

 

ただ一つ救いがあるとすれば、多分は力の限り最速になるよう繰り出された攻撃の飲み込むために開かれたはずの蛇の口が、己の攻撃によって起きた風圧と勢いによって閉じられていることだろう。すなわちヒュドラの攻撃は、単なる打撃と皮膚の猛毒の二種混合攻撃に成り下がっていたのだ。……けれど。

 

 

 

―――ヒュドラの攻撃は間違いなく、かつて私が防いだこともあるそんな番人の攻撃よりもはるかに強力だ……!

 

 

 

それでもまだ、ヒュドラの攻撃は私にとって猛威すぎていた。あれがただの物理攻撃であるというのなら、それはまだ何とかしようもある。また、そこに加えて、多少の意識を飛ばすような衝撃があったとしても、それは必要経費として諦められよう。死に至るような痛みでなければ、自分はこれまでどんな痛みにだって耐えて―――やり過ごしてきた。だが。

 

 

 

―――あの猛毒……!

 

 

 

つい先ほどまであの突っ込んでくる蛇の頭があった付近に今しがた広がっている場所が今や毒沼と化しているその光景が。ヒュドラという存在の生み出すすべての生物を殺せるという毒は、どうやら事前にエミヤより聞かされていたそれより遥かに強力な存在になっているというそんな事実が、私の楽観を許さない。

 

 

 

―――地面すらも溶かすあの猛毒……

 

 

 

そう。牙から垂れ落ちたのだろう毒液によって、あるいは逆しまにした頭部とその巨大な蛇頭生える胴体から漏れて落ちる毒煙によって、ヒュドラ付近の地面は紫の怪しい溶液へと変質させられてしまっている。踏めば確かな体重を返してくるはずの石畳のそれに似た感触の硬い地面は、今や柔らかい湖面か海面かのように波打っているのだ。

 

 

 

―――受けたらタダではすまないっ……!

 

 

 

エトリアの鐘楼塔よりずっと大きい蛇の体当たりの威力にそんな無機物ですら容易に溶かしてしまうそんな毒液の威力が加わるのだから、その攻撃は間違いなくかつて自分が旧迷宮四階層の番人より受けた攻撃より上の威力と厄介さを持っているといっても過言でないだろう。

 

 

 

―――まともな手段での防御は……、―――不能……っ!

 

 

 

パリングだけではヒュドラの攻撃を防ぎきれない。瞬間だけ物理攻撃を無効化するスキルでは、毒の影響を完全に封じきることは不可能だ。というよりは、あのヒュドラの巨体から繰り出される攻撃、『完全防御』以外ではとうてい受け切れまい。

 

 

 

―――完全防御を使えば、一度だけならば防げるだろうが……

 

 

 

かといって、パリングの完全上位互換のフォーススキル『完全防御』の使用も躊躇われた。なぜなら。

 

 

 

―――番人の複合攻撃を一度だけ完全に防げたところで……

 

 

 

完全防御はその名の通り、あらゆる攻撃を防いでくれるパラディンの切り札とも呼べるスキルである。だが、完全防御というそのスキルは『フォーススキル』というスキルの中でも特殊な部類のものに属しており、一度使ってしまうと通常のスキルよりも長い間使えなくなってしまうスキルなのだ。

 

 

 

―――もう一つの首を繰り返されたその時は……!

 

 

 

すなわち、完全防御という札を切ってしまったが最後、自分にはもはや今なお攻撃の姿勢にある首から繰り出されるだろう二撃目の攻撃を完全に防ぐ手段がなくなってしまう。かといって、それ以外の手段―――パリングやフルガードといった通常スキルの使用では、ヒュドラが今まさに繰り出している攻撃を防ぎきるのが難しいのもまた事実。

 

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

悩む間にも蛇頭は猛然と迫ってきている。

 

 

 

―――……どうする!?

 

 

 

とはいえ、どう悩もうが、とどのつまり、答えなんて二択しかない。すなわち。

 

 

 

―――被害を許容するのか、一瞬の安心を買うのか……っ!

 

 

 

パリングを使って物理攻撃だけを完全に無効化するか、完全防御という札を切って一瞬だけ完全に時間を稼いでみせるか否か。今のすぐやってくる痛みを許容するのか、痛みのやってくるその時を先伸ばしにするのか。痛みをいつ受け入れればよいのか。今決断するのか、後で決断するのか。

 

 

 

今、覚悟を決めるのか。後で覚悟を決めるのか。

 

 

 

とどのつまり、ただそれだけである。

 

 

 

―――だが、その後がないのでは……っ!

 

 

 

かつての時代にはフォーススキルを連続して使えるようにするアイテムもあったと噂に聞いたこともあるが、そんな便利な道具を今、自分たちは持ち合わせていない。過去の記憶をあさっていても時計の針は過去に戻らない。無い物ねだりをしている間にも決断の時は迫っている。

 

 

 

―――どうする……、どうすればいい!?

 

 

 

かといって。だがしかし。迫り来る脅威を前に、決断しなければならないたった二択しかないその問いに対して、終わることなく自らが出した結論を否定する結論が次々と生み出されてゆく。

 

 

 

―――やるか、やらないのか……!

 

 

 

決断を。しなければならない二択しかない答えのどちらを選ぶのか。どちらが正しいのかなんていうそんな問いに答えを出してやれるのは、結局自分しかいないのだ。だが。それでも。

 

 

 

「―――ッ、エミヤッ!」

 

 

 

葛藤と迷い。結論をくだすのが怖い。だからたかが一歩を踏み出せない。世界にいるのが自分だけならばまだいい。かつての私なら間違いなくこんなに迷いなどしなかった。だって、成功しようが失敗しようが、それは私だけのものなのだから。でも今は違う。私の後ろには私以外の誰かがいる。憧れた、守りたいと思った、そうしたいと思った彼がいる。そう思わせてくれた彼がいる。そんな彼のようになってみたいと思った自分がいる。だからこそ。そんな依存じみた想いと自己不信に背を押されるかのように彼の方を見て。

 

 

「……」

 

 

 

しかしそうしてエミヤに声をかけても、彼はまるで動く気配をみせなかった。

 

 

 

「エッ、エミヤッ!?」

 

 

不動に思わず彼の横顔をのぞきこむみ、叫ぶ。

 

 

「―――」

 

 

改めて呼びかけてみても、目を瞑ったままの彼はうんともすんとも言ってくれない。

 

 

―――……もしや過集中!?

 

 

 

思い浮かんだのは、あまりに一つのことに集中するがゆえに自らの世界だけに入り込んでしまい、周囲での出来事を認識できなくなるという現象のことだった。それは私によくある悪癖の一つである。だからこそ私は、私と似ている性質であるというエミヤが、「こゆうけっかい」というものの発動準備に集中しすぎているのではあるのかもと推測したのだ。―――だが。

 

 

 

―――……いや、違う!

 

 

 

そんな私の考えは、そうして自らの名を呼ばれたエミヤが遅ればせながらニヤリと唇を枉げたことにより、あっさりと覆されることとなる。

 

 

 

―――彼は気付いていて、なお、動かないでいるのだ……!

 

 

 

彼は気付いていないのではない。彼は動けないのではない。彼は動こうとしていないだけなのだ。そしてそんな彼か横顔に浮かべた皮肉げな笑みから彼の意図を読み取った私は―――

 

 

 

「―――」

 

 

言葉を失った。彼の不動が伝わったかのように、我が身が硬直する。それは先程までの硬直とはまるで違うものによって生み出されたものだった。不動を保つ彼から伝わってくる想いが私の心を大きく動かして、私は動けずにいたのだ。

 

 

 

私にはいかなる理由があって彼がその場から動こうとしない理由はよくわからない。考えるにあるいは、先ほど言った切り札となるスキルの発動とやらが条件になっているのかもしれない。そう。私には、彼が何故そうして動かないのか、その確かな理由はわからない。だが―――

 

 

 

『この程度の問題、わざわざ私が手を出すようなことでもあるまい』

 

 

 

しかし私には、その場を動かなければ死んでしまうだろう彼が意味ありげな笑みを浮かべたのかという、そんな理由だけは不思議とはっきりと理解できたという気がしていた。

 

 

 

「エ……」

 

 

 

『私は言ったぞ。今までのような援護は期待するな、と』

 

 

 

エミヤは一切何もしない。迫り来る脅威を前にしてエミヤの態度は今尚、不動のままである。もしもこのまま私が何もしなければ、彼は番人の攻撃によって沈んでしまうだろう。けれど彼は動かない。なぜなら。

 

 

 

「あ……」

 

 

 

『任せろと言ったのは、他でもない君だろう?』

 

 

 

私は言った。任せろ、と。

 

 

 

「っ……!」

 

 

 

『私は言ったぞ? 了解した、と』

 

 

 

彼は言った。了解した、と。

 

 

 

「あ……」

 

 

 

『だから―――』

 

 

 

だから。

 

 

 

「―――」

 

 

 

『だからそんなつまらぬこと、迷っていないで自分でさっさと選んで決めてしまうがいい―――!』

 

 

 

彼はただ、それを貫いているだけなのだ。すなわち、お前の選択に自分の全てを委ねる、と。

 

 

 

「オ―――」

 

 

 

それはまさについにあの彼が差し出した全幅の信頼の証にほかならない。そう。彼は自らが痛みを受けるなんて、考えていないのだ。彼は私たちが彼を守ってくれると―――私という守り手が番人どもの攻撃を全て間違いなく防いでくれるとそう信じていて、だからこそ身動きを取るなどという余計なことをしないでいる。

 

 

 

「――――オォォォォォォォォォォッ!」

 

 

 

―――ならば、その期待に応えるとしよう……!

 

 

 

預けられた信頼の想いが全身を滾らせて行く―――

 

 

 

「―――ッ、任せろ!」

 

 

 

二度目の言葉を発したその時、寄せられた全幅の信頼はこの身がいつも以上の速度で動くことを可能としていた。そうして振り返って番人の正面向いた私は、自らでも信じられない速度でヒュドラに対して盾を差し出すと―――

 

 

 

「パリング! 」

 

 

 

物理攻撃だけを絶対に無効化するスキルの使用を決断し、その名前を口にする。なぜそちらを選んだのか。そんな決断の理由はわからない。あえていうのならば、私の本能が、パラディンとしてこれまで生きてきた経験が、そちらを選ばせたのだろう。だが決断を下すと今まで迷いなんて嘘のように、あらゆる物理攻撃を無効化するそのスキルはあっさりと発動してくれた。

 

 

 

―――いける……っ!

 

 

 

光の粒子が生み出され、自らの前方で壁となってゆく。壁は迫りくる脅威に対してあまりに儚く見える存在だった。だがそれでも決断をすませた私には不安などなく。そして私にはこの選択が間違ってなどいないという確信があった。

 

 

 

「―――グッ!」

 

 

 

直後、大きく開いたヒュドラの下唇が私の盾の前にある光の粒子と激突する。振り下ろした勢いか、ヒュドラの閉じられていた唇は僅かに開かれた。僅かに開かれたヒュドラの巨大な口の隙間から見える牙から毒液が口の外にまで飛び散った。たが、上からやってくるそんな破滅の力は私の発動したスキルの力によって余すことなくかき消されて、一秒も立たぬうちにヒュドラの突撃や毒液の落下は無音のうちに停止してゆく。

 

 

 

「!?」

 

 

 

自らの突進の勢いを失ったヒュドラは、一瞬だけ戸惑ったかのよう、光の壁の前でその巨大な口の中にある赤い舌をチロチロと上下に動かして見せると―――

 

 

 

「―――――――――――ッ!」

 

 

 

しかし次の瞬間には必殺の攻撃を防がれたという事実に怒り狂ったかのよう、その身を小さく細かく震わせた。続けて自らを怒らせた存在を視界におさめてやろうとでもしたのか、胴体の方から首は持ち上がっていき―――

 

 

 

「―――!?」

 

 

 

しかしそうして苛つきを露わにするヒュドラは、だが自らの意思で頭を持ち上げてやることが叶ず、驚きにだろう、動かそうとしても動かぬ頭に繋がっている胴体を代わりといわんばかりに大きくびくつかせる。

 

 

 

「は……!」

 

 

 

自らの行為が、ヒュドラに無様の態度を呼び込んだ。そんな事実によって、後ろ暗い喜びが心の底からわき上がってくる。……そう。それは間違いなくパリングという攻撃を無効化するスキルの成した現象に違いなかった。パリングという物理攻撃を無効化するスキルはたった一度、短い間しか発動出来ない代わりに、その短い間はあらゆる攻撃を確実に無効化するのだ。私はそしてやはりスキル「パリング」は完全防御であるという確信を得ると同時に、先ほど自らが黄金の鹿について立てた仮説が正しかったのだということをも確信する。

 

 

 

「――――――――――ッ!」

 

 

 

だがそんな確信の喜びをかき消すかのように、そんなスキルの発動条件を認識したのか、ヒュドラの攻撃の意思を持たない静かな雄叫びが周囲の空気をビリビリと震わした。通常の蛇が発するならばたいしたことないのだろうそれは、至近距離においてヒュドラの巨体が放つという条件によって、鼓膜が破れてしまいそうなくらいの音圧となっており―――

 

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

ヒュドラの唇の目の前で盾を構えている私の脳を大きく揺さぶった。音は攻撃の意思によって生み出されたものでなく、単なる苛つきの感情の発露である。そしてだからこそそれはパリングの威力を無視して、こちらに衝撃与えることを可能としていた。

 

 

 

―――く……

 

 

 

体に内側にまで襲い掛かってくるような音の衝撃に耐えてやろうと意識を体内に集中すると―――

 

 

 

―――グッ……!

 

 

 

研ぎ澄まされた感覚―――意識を向けていなかったはずの嗅覚が、周囲にひどい臭気が漂っていることを捉えてしまう。被害を避けようとしたその行為によって、別の被害が生まれてしまっていた。習得した物理攻撃の威力を完全に遮断してくれるスキルはヒュドラの突進の勢いと毒液の付着を阻止し、身につけた毒祓のタリスマンはヒュドラの体の周囲から撒き散らされる毒煙の効力を無効化してくれたが、猛毒の効力を持った吐息の不快さまでは遮断してくれなかったのだ。

 

 

 

「―――ッ」

 

 

 

苦しむ間にも毒煙はヒュドラの体から撒き散らされ、視界が紫に染まってゆく。苦しみの一因である不快な臭いもまた、どんどん強くなっていっていた。毒の影響か、臭気の影響か、あるいはさらに他の何かの要素によるものなのかはわからないが、とにかく頭の中がズキズキと痛んでいる。気を抜けば意識を飛ばされてしまいそうだった。正直本音を言えば、今すぐにでもこの場から離れたい。

 

 

 

「グ……!」

 

 

 

だが引けぬ。私の後ろには、エミヤと、私の仲間たちがいるのだ。

 

 

 

―――ッ……!

 

 

 

弱さを噛み砕くよう、歯の軋む音立つほどに思いっきり噛み締める。そんな刺激によってだろう、わずかながら意識の正常さは戻ってゆく。だが―――

 

 

 

―――…………!

 

 

 

脳の中へと次々に押し寄せてくる悪い刺激の影響によって、僅かに戻った正気の意識までもが押し流されてしまいそうになり―――

 

 

 

「ダリさん! ―――このっ!」

 

 

 

そんなところに響の声が飛び込んできて、直後、構えた盾の前にあった気配は消え失せる。続けて生暖かい風が気持ち悪く肌の上を流れていったかと思うと、唐突に視界がまっさらに晴れ渡った。気づけばついでに鼻につく臭気までが、ほとんど消え失せている。

 

 

 

「う……、む……」

 

 

 

不快の要因が同時に消えたお陰か、意識が鮮明さを取り戻してゆく。そうして少しだけまとさを取り戻した頭で目の前の毒煙の晴れた光景、広がってゆく視界の中には敵の蛇頭と首が胴体へと引っ込んでいく姿と―――

 

 

 

「―――……ッ!」

 

 

 

蛇のいなくなった空中めがけて薄緑色の刀を振り下ろす響の姿があって、思わずハッとさせられる。肝が冷える思いを味わった。皮肉なことにそんなゾッとする光景は私の意識を急速に解凍して、まともな状態へと変化させてゆく。

 

 

 

―――なんという無茶を……!

 

 

 

察するに彼女は、私の眼前にあったヒュドラの首に目掛けて跳躍しての一撃を叩き込もうと―――切り落とそうとしたのだ。自分よりも十周り、二十周りは大きな相手に切りかかるという、無茶というよりも無謀と言って過言でない行動をとった響に、感心どころか思わず愕然とした思いを抱かされる。

 

 

 

そしてまた、しかしヒュドラがそんな十回りも二十回りも小さな彼女の攻撃を避けたという事実にひどく驚いた。ヒュドラの回避や、直前に響が発した言葉から察するに、その一撃は反射的に繰り出した考え無し全霊の、それこそヒュドラを殺すという意思だけが込められた一撃だったのだろう。一心不乱、唯一ただそれだけを目指した捨て身の一撃だからこそ、ヒュドラはそれを思わず避けてしまったのだ。

 

 

「―――ッ!?」

 

 

 

遠くに引いてゆくヒュドラの顔には、そんな予想を正しいと思わせる驚愕の色があった。瞳孔の全容見えるほどに開かれた瞼が、その証と言えるだろう。また、そうしてヒュドラを撤退させた宙を舞う小さな彼女の姿は、背丈も、髪の色も、体つきも、性別も何もかもが違うのに、瞳の様子や、剣を振り下ろす様子はかつていつも眺めていた男剣士の姿によく似ていて―――

 

 

 

「う、うわっ……!」

 

 

 

しかし飛び上がった空中、自らの繰り出した斬撃の結果から生み出される反動をある程度予測しながら繰り出したのだろうそんな一撃を放った響は、しかしだからこそ予想外にも訪れなかった結末の結果として体勢を崩し、記憶に残るあの男ならば決して見せなかっただろう間抜けな声とともに落下してゆく。そうしてあわてふためきながら空中を落ちてゆく彼女の下には、先程の蛇の停滞によって生まれた毒の沼があり―――

 

 

 

「ば、馬鹿か、君は!」

 

 

 

落ちてはまれば確実に命を落としてしまうだろうそんな彼女助けるため、私は罵声を吐きながらも迷いなく跳躍する。飛び上がる私と落ちる彼女の距離がつまるのは一瞬だった。宙に浮いている姿勢を崩しつつ落ちてきた彼女を抱きとめると、そのあまりの軽さに少しばかり驚く。いったい、どんな剣の才能があれば、こんなに軽く柔らかい身で、あの長身かつがっしりした体格のシンという男と同じ迫力の威力をだせるというのだろうか。

 

 

 

―――っ、と、いかん

 

 

 

考えている間にも、地面はすぐそこまで迫っていた。気持ちを切り替えると、思惑通り毒によって地面がぬかるんでいない場所へと着地してゆく。すると。

 

「―――……あ」

 

 

 

敵の回避。攻撃の失敗。それによる落下と、落下のさなか、助けようとした人物に助けられるという予想外の出来事の連続によってだろう、私の腕の中に収まっていた響は一瞬小さく呆けた声を上げると―――

 

 

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 

 

戸惑いがちにこちらを見つめてくると、控えめにそう言ってきた。瞬間、感心の思いは一気に別のものに切り替わり―――

 

 

「馬鹿か、君は!」

 

 

 

無意識のうち、先ほどと同じ、しかし先程とはまったく別種の思いによって出てきた言葉を投げ返す。

 

 

 

「―――っ!」

 

 

 

叱りつけると私の腕の中に納まっていた響は首を引っ込め、さらには体を縮こめた。

 

 

 

「考え無しに行動する馬鹿がどこにいる! だいたい―――」

 

 

 

そんな彼女の臆病の態度に刺激されたのか、私がこの胸に溢れてくる無事を喜ぶ想いと無茶を怒る感情を言葉にのせてそのままぶつけてやろうとすると―――

 

 

 

「お、おい、ダリ! 前、前!」

 

 

 

サガの慌てた声が聞こえてきて―――

 

 

 

「―――――――――――――――ッ!」

 

 

 

サガの声に視線を眼前へと送りなおすと、遠くにひとつ、ヒュドラの準備していたもう片方の束ねた巨大な首がこちらに伸びてくる光景が映りこんできて、私はあわててその行為を中断する。先程までの予想通りだったはずの連続攻撃は、しかし私を予想外なほどに焦らせていた。

 

 

 

「くそっ!」

 

「わ、ひゃぁ!」

 

 

 

慌てて腕の中の響を邪魔だと言わんばかりにその辺―――もちろん毒沼化していない場所―――へ放り投げると、再びエミヤと迫りくる蛇頭との間に我が身をねじ込んでいく。

 

 

 

「パ―――」

 

 

 

そうしてなんとかねじ込んだその身で訪れる脅威を防いでやろうと、再び盾を構え、物理攻撃の無効化を発動させようとそのスキルの名を言いかけるも―――

 

 

 

「―――……ッ」

 

 

 

今度の巨大な迫りくる蛇頭は、先程の失敗の経験を活かしたのか、速度こそ先程よりも遅いものの、しっかりと大口が開かれていて―――

 

 

 

―――……っ!

 

 

 

開かれた口の範囲がパリングの効果範囲より広いと判断した私は―――

 

 

 

「か―――」

 

 

 

瞬時に選択の針を私のもつ切り札の使用の側へと傾けて発動させようとして―――

 

 

―――駄目だ……っ!

 

 

しかしすでに半分もの距離を詰めたヒュドラの巨大な頭を前に―――

 

 

 

―――間に合わない……っ!

 

 

 

抵抗は無駄と理解してしまう。襲いかかってくる現実は、先程までのしたはず覚悟すらも呑み込んでしまうほどに巨大だった。抗う気力が失われてゆく。理想の自分になりたいなんてそんな気持ちは、もはや欠片ほども残されてはいなかった。言葉を発しようとしたままの状態で口の動きが停止する。訪れるだろう痛みと死への予感が脳裏を素早く駆け抜けて、発生した不安の気持ちがすべてを黒く塗り潰していた。

 

 

 

―――やられる……っ!

 

 

 

悪寒。痛みの予感によって生まれた感情が頭の中を駆け巡り、迫る敵の姿が遅々とした状態に変化してゆく。だがそうして敵の動きを素早く捉え続けてくれる意識とは別に、体と口は動いてくれずにいた。体の反応の鈍さに反比例するかのよう、最悪の未来予想図から生まれてくる痛みの予感に、生まれる悪寒だけが青天井の勢いで増大してゆく。そんな湯水のごとく溢れてくる感情によってだろう、体の動きは益々鈍くなってゆく。こんな有様ではもはや続きの言葉を述べることなんてできそうにない。

 

「―――あ……」

 

 

 

巨大な蛇頭が目前へと差し迫る。大口を開けたヒュドラの突撃の様は、まるで赤い洞窟が迫り来るかのようだった。

 

 

 

「―――……」

 

 

 

増大した不安の気持ちが私の諦めを呼ぶ。そうして私が生存のために力を持った言葉を放つそんな努力を止めようとしたその瞬間―――

 

 

 

「炎の術式! 」

 

 

 

そんな私を叱るかのよう、サガの言葉が鳴り響く。

 

 

 

「―――ッ!?」

 

 

 

瞬間的に意識がサガの方を向く。サガがその金属小手より放ったのは、やるなと言われたはずの炎の術式だ。そうしてサガが放ったスキルは私に接近していた肥大化したヒュドラの頭をやすやすと呑みこみ、目の前の光景は見る間に赤く染まりあがってゆく。スキルによって生み出された火炎が迫り来る敵の前の空間に広がった。

 

同時、引き伸ばされていた感覚は突撃してくる蛇の周囲に複数の火花が散る光景を捉えてゆく。

 

 

 

 

 

―――多分は、炎が口腔や蛇の体の周囲に溜まっていたのだろう毒煙と反応して……

 

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

そうして鈍い意識とは裏腹、明朗な働きをしてみせた思考の導きだした結論に慌てさせられた私は、急いで盾を構えなおすと―――

 

 

 

「ファイアガードッ!」

 

 

 

直前まで発動しようとしていたものとは別のスキルの名称を口にする。直前まで本命ではなかった言葉は寛大にもすんなりと出てきてくれていた。思うに痛みと傷を得る未来を避けたいという逃避癖が死の恐怖を一時的に上回り、私の体を強制的に動かした結果なのだろう。そうしてスキルによって生まれた赤い粒子は、私の構えた盾『アイアス』から前方へと広がってゆき―――

 

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

あらゆる炎を防ぐスキルが発動した直後、私の目の前は白に染まっていった。ヒュドラのものとは違う大きな音が鼓膜を揺らしてゆく。光と音はサガの生み出したスキルの炎とヒュドラの毒煙が反応しあい、爆発となった結果に生まれたものだった。爆発はやがて熱と煙に変換されてゆき、周囲の酸素を喰らいつつ、影響及ぼす範囲を広げてゆく。

 

 

 

もちろんそんな爆発の余波―――熱は、私の発動したスキル『ファイアガード』の効力によって、防がれる。『ファイアガード』はその名の通り、一定範囲の炎や炎の熱の影響を完全に防いでくれるのだ。だからこそ私とその後ろにいる仲間たちにはそんな爆発の熱の影響が及ばない。だが―――

 

 

 

「―――!?」

 

 

 

敵であるヒュドラは当然、そんなスキルの適用外だ。爆発によってまばらに散る炎と煙の光景の向こうにあるヒュドラの巨大な顔は、多分は驚きによってだろう、瞼が大きく開かれている。

 

 

「―――!」

 

 

 

あるいはそんな瞼の動きは、爆発の威力がヒュドラの痛みの耐久値を上回った結果に生まれたものなのかもしれない。ともあれヒュドラは、まるで誤って焚火に手を突っ込んでしまった冒険者がやるよう、慌てた様子で開いていた口を閉じつつ、巨大な蛇頭を自らの胴体の方へと引っ込めていった。直後、突如として巨大なヒュドラの質量失った空間に風が流れ込んでゆく。失ったものを補填しようとするかのようなそんな空気の流れによって、そんな空間の回りにあった炎と煙が引き寄せられ、瞬間的に隙間は埋めつくされ―――

 

 

「ひえっ……」

 

 

響の間抜けな声が聞こえたかと思うと、それを合図とするかのように―――

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

も押し寄せてくるそんな暴徒をもはや収めきれないといわんばかり、そんな空間より炎と煙が周囲に撒き散らされた。直後、到来した熱のない煙が体を包み込み―――

 

 

 

「―――……!」

 

 

 

肌の上を不毛な感覚が通り抜けてゆく。悲鳴を出す余裕など一切なかった。いや、そうして流れてゆく感覚が、私から声をあげる余力を奪っていってしまっていた。一切痛みのない、けれど言い表せない不快感のあるそれの正体を、私はこれまでの経験から理解出来ている。それは、炎やそれに付随して生まれた煙や風などがもつ熱を私の発動したスキル『ファイアガード』が防いだ結果に生まれた、熱のない煙風である。体を傷つける威力を失っているはずのそんな不自然な煙や風はしかし、私から悲鳴を上げる精神的な余力を奪うに十分な威力を残していた。

 

 

 

―――多分、響から悲鳴を奪ったのもこの煙なのだろう

 

 

 

「steel is my body,and fire is my blood./血潮は鉄で心は硝子」

 

 

 

残された余力を用いてぼんやりと考えるさなか、エミヤの二言目が聞こえてくる。声は私のぼやけた意識と比べて、あまりにもしっかりとしていた。私の後ろにいた響が浴びたというのなら、当然彼もこの風を浴びているはずだ。だが、どうやらこの経験者の私ですら放心させられるような威力のそれを、しかし初心者の彼は平然と受け止めたようだった。どうやら今のエミヤにとって、蛇の突撃も咆哮も、サガの炎術もその余波も、スキルによって生まれたその場にいる存在から強制的に声を奪う威力を秘めた煙や風すらも、気を割くまでもない端事であるらしい。そうして意識が完全に靄の中から帰ってくる前、先んじて周囲から煙が失せていく。

 

 

 

「―――……!」

「―――……!」

 

 

 

晴れてゆく光景の中、攻撃が失敗に終わった二つの仰け反ったヒュドラの頭と視線がかち合った。途端。

 

 

「―――」

「………………」

 

 

 

二組四つの巨大化した瞳が不気味に蠢き、「お前が憎い」と言わんばかりに細められてゆく。そう。巨大化した二つの蛇の頭は、間違いなく静かにキレていた。

 

 

「!」

「!」

 

 

憎悪が行動を誘発したのか、二つの巨大化していた頭はやけくそ気味に互いの頭をぶつけ合う。行為によってまるで打楽器をたたくかのような鈍い音が―――響かない。

 

 

 

「はぁ!?」

 

 

 

私と同じくそんな不自然を疑問に思ったのだろうサガは声をあげ―――

 

 

 

「 あいつら何を―――……っ!」

 

 

応えるかのように頭をぶつけあった二つの巨大化したヒュドラの頭は激突したその部位から混じり合ってゆく。そこへさらには、未だ静観を保っていた元々の大きさの三つのヒュドラの首が加わり―――

 

 

 

―――なんて大きさ……!

 

 

 

ヒュドラの首は百メートルあるだろう天井を幾度も往復出来そうなほどに巨大化していった。そうして超巨大化してゆく首に形作られてゆく口の切れ目は―――

 

 

 

―――あれが完成してしまっては、もはや防ぐ手だてなどありはしない……!

 

 

 

人間に自らの能力限界を思い知らせるほど、人間の積み重ねてきた知識や経験を嘲笑うかのよう、先程の巨大さを遥か上回っている。

 

 

 

「―――ッ、けど、これだけ離れてんなら、俺の距離だ! 」

 

 

 

私と同じような思いを抱いたのだろうサガは、しかし勇敢にもエミヤの前に躍り出ていくと、威勢よく小手を構た。直後、その中空、開かれた掌の上へと光の玉が現れる。サガによって生み出されたその光の玉は『核熱の術式』と呼ばれるスキルの核であり。すなわち、サガは今まさに己の最大術式―――アルケミストといわれる彼らのフォーススキル『核熱の術式』を放とうとしているのだ。

 

 

 

―――なるほど、あれならば……!

 

 

 

スキルによって生み出された膨大な熱エネルギーを帯びた粒子が術者の掌の中に集中させられ、やがて小型の太陽かと思うほどに圧縮されたそれは術者の任意の方向へと一気に解き放たれてゆく。そうして発生させられる粒子の熱には、あらゆる結びつき―――原子の結合とやらさえ崩壊させる威力が秘められているという。核熱の術式は、まさにアルケミストのフォーススキルとしてその名に恥じぬ威力を発揮するアルケミストの奥義なのだ。

 

 

 

「くたばれ、蛇野郎!」

 

 

 

サガは右腕を上斜めに傾けて光の玉をヒュドラの超巨大化した頭へと向けたのち、生み出した大量の超高熱帯びた粒子を前方に放出させようと力み―――

 

 

 

「―――」

 

 

 

しかしさなか、ヒュドラとサガの直線状、つまりは『核熱の術式』の進行予定地に光り輝く存在が飛びこんできて―――

 

 

 

「……っ!」

 

 

 

それを見たサガは、慌てて術式の発動を停止した。なぜなら―――

 

 

 

「――――――――――」

 

 

 

その何かとは何を隠そう、あらゆる攻撃を反射するあの黄金の鹿であったからだ。サガの熱視線をヒュドラから奪った黄金の鹿は、空中で何とも涼しい顔を浮かべている。そんな奴がサガの放とうとしている『核熱の術式』の威力を知っているかは定かでない。だがサガのヒュドラに対する攻撃の意思を敏感に察知して飛び込んできたその行為からは、間違いなくある意図―――つまり黄金の鹿は先ほどエミヤに私相手にやったよう、ヒュドラへの核熱攻撃の威力をそのまま反射してサガに喰らわせてやろうとするそんな企みが読み取れる。

 

 

 

「―――クソがっ!」

 

 

 

悠然と割り込んできたその存在を見たサガは大きく悪態つく。悪態は間違いなく、サガの読み取った鹿の思考が私のそれと一致した証だった。直後、サガは心底悔しげに斜めへと構えた手を下ろしていって、やがて完全に力の放出を中止してしまう。放出の直前で停止命令を出された光の玉は表面を波打たせたかと思うと、徐々に真球の姿を失ってゆく。貯蓄されていた熱エネルギーが周囲に撒き散らされ、消えていっているのだ。サガの眉間のしわの数が、散ってゆく熱エネルギーの量に比例するかのよう増えてゆく。

 

 

 

「……でも、今なら!」

 

 

 

そんなサガの苦慮の様子を見た響はしかし威勢よく叫ぶと、番人たちめがけて飛び出してゆく。

 

 

 

「響!?」

 

 

 

サガが誰よりも早く彼女の名を呼んだ。

 

 

 

「いったい何を……っ!?」

「鹿を捕縛します!」

 

 

 

続いたサガの問いに、響は迷うことなく短く応答する。

 

 

 

―――なるほど……!

 

 

 

毒沼化した地面を避けつつ疾走する響は、首を上へと傾けている。彼女が向けるその視線の先には、今しがたサガの攻撃を阻止してみせた黄金の鹿の姿があった。地上においては地を蹴ることでまるで疾風のように駆け回る鹿も、蹴る対象のない空中では自由に身動きとることなんて出来ない状態だ。鹿の黄金の足が木偶に変わったそんな絶好の機会を、響は見逃さなかったのだ。

 

 

 

「喰らえッ!」

 

 

 

叫んだ響は縺れ糸を解き、空中へとぶん投げる。ツールマスターたる彼女の道具の使用速度や手並みは見事なものだった。彼女が投擲した『縺れ糸』―――当たれば確実に敵の足止めする効力を持った糸―――は、投擲のさなかに形を崩した糸玉の先端は分裂し、幾条もの糸筋となって鹿の体へと直進してゆく。だが、そうして黄金の鹿を捕らえるべく放たれた『縺れ糸』は―――、

 

 

 

「―――ッ!」

 

 

 

宙にいて動けない黄金の鹿と縺れ糸との間、円弧を描くようにして割り込んできた超巨大なヒュドラの太い頭部の、その太い首側面部分へと的中して―――

 

 

 

「―――あ……」

 

 

 

それを見た響は、口をぽかんと開いて呆然と呟いた。響の意図とは違う敵に触れた『縺れ糸』は途端、ヒュドラの超巨大な頭部から続く胴体の下部―――すなわち、およそ足とは言えるものが存在しない場所へ、ヒュドラの体の上を這うように進んでゆく。『縺れ糸』は異なる敵を捕縛の対象として捉えてしまったのだ。そして、捕らえるべき敵を見誤ってしまった白い『縺れ糸』は、また―――

 

 

 

「糸が……消える!?」

 

 

 

ヒュドラの体を進むにつれて紫色に染まってゆき、やがてヒュドラの体の周囲から放たれる紫煙と同じ色になると、溶けるようにして消えてゆく。

 

 

 

「……毒か!」

 

 

 

直感的に気付いたのだろうサガが、そんな呟きを漏らした。声に遅ればせながら私も気づかされる。そう。スキルの力が込められているとはいえ、『縺れ糸』という道具は、地面をも溶かすヒュドラの猛毒に耐えることが出来なかったのだ。……いや。

 

 

 

―――ヒュドラの毒が無機物の存在すらも瞬時に溶解させる威力のものなのだから、むしろそんな猛毒の効果に少しの間だけ耐えてみせただけでも「よくぞ健闘した」、と、ほめて然るべきかもしれん……

 

 

 

「響!  何やってんだ!」

 

 

 

そうして私が珍しく前向きに物事を捉えて考えていると、サガがこれまた珍しく苛つきを露わにしつつ、響に対して怒鳴り声を向けた。

 

 

 

「ご、ごめんなさい……っ」

 

 

 

少しなはれた場所にいる響は耳煩いサガの叫びを聞いた瞬間、肩をすくめるとサガのほうを振り向き、何とも申し訳なさそうに頭を下げ、謝罪の言葉を発してゆく。

 

 

 

「ただでさえいくつもの道具が役立たずになってんだ! 無駄撃ちはやめろ!」

 

 

 

だがしかしサガは、響の謝罪を受け取らないかのよう、追撃の言葉を投げつける。

 

 

 

―――サガの気持ちもわからないでもないが……

 

 

 

サガがそうして苛立つ理由が、響という道具の専門家が加入する前、かつてこのギルドにおいて道具管理の役目をサガより渡された私にはよくわかった。道具はスキルとは異なって物体であるが故に、重さがあり、嵩張るものだ。重量があり、嵩張るということは、すなわち、長旅や魔物との戦闘となった際、冒険者の体への大いなる負担になるという事でもあり。つまり道具を過剰に持つと言う事は、冒険者たちの戦闘力や生存率を大幅に下げるということへ直結する。

 

 

 

―――持ち込んだ香がすべて使えないとなった今……

 

 

 

もちろん、一回当たりの移動距離を短くしたり、あるいは、戦闘と同時に荷物を捨てるといった行為をこまめに出来る―――、すなわち、日ごろ余裕を持って活動できるというのであれば、多く道具を持つ危険性を低く保つこともできる。けれど、迷宮という常にこちらの命を狙ってくる魔物と相対する危険性をはらんだ場所において、立ちふさがる地形や障害、あるいは襲い掛かってくる魔物たちを前に、そうした余裕を持っていられる冒険者たちはほとんどいない。だからこそ冒険者はそんな余裕をもつため、『アリアドネの糸』のような迷宮からの即時帰還を可能とする道具や、メディカやネクタルといったような回復薬を、必ずといっていいほど多めに持ち込むのだ。

 

 

 

そう。迷宮探索や戦闘補助の道具、回復の薬というものは、単純な話、保険だ。冒険者の助けになってくれるそんな道具数を持ち込むほどに、冒険者の生存力は上がってゆく。けれど過剰に道具を持ち込んだところで、そうして増えた重量や嵩、運ぶ手間によって総合的な戦闘力は激減し、生存率が下がるのもまた事実である。

 

 

 

そんな話を証明するかのように、かつて、道具が持ち込み放題であった時代には、そんな風に道具持ち込みの分水嶺を見極められず、過剰に持ち込んでは散っていった冒険者が多くいたらしい。そうして迷宮に道具を多く持ち込み、しかし生き返ってくる彼らの持ち込んだ道具の所有数が最大六十付近であったという統計から、エトリアの執政院は冒険者が一度に迷宮へと持ち込める道具の数を六十と定めたのだ。すなわちそれこそが、迷宮より冒険者が帰還する可能性が高くなる道具持ち込み数六十の理由である。

 

 

 

そして私たちはそんな事情故に、この度の番人戦においても、六十しか道具を持ち込んできていない。また、ツールマスター―――『道具の効力を百パーセント発揮できる』という響の存在が、私たちに起動符のような攻撃系統の道具、味方の身体能力を向上させる道具よりも、彼女が使えば確実な優位を取れる可能性の高い香や縺れ糸のような相手を状態異常にする道具を優先させ。さらには、先の番人戦の経験―――シンという仲間の死―――が、そんな相手を状態異常にする道具よりもメディカやネクタルといった回復系統の道具を多く持ち込ませるという選択をさせたのだ。

 

 

 

すなわち、頭部、腕部、脚部対応の『縺れ糸』三つずつと、盲目、麻痺、睡眠、呪い、魅惑、混乱、石化、毒の各種香を二つずつ。そしてそれ以外の道具の制限数いっぱいまでを、私たちは、メディカ、ネクタルといった命を救う回復系列の薬で埋め尽くしてきた。けれど、そんな六十ある道具のうち、三分の一程度―――すべての香の類―――は、この度において役に立たないだろうことが、先ほどまでの戦いから判明してしまっている。つまり私たちの手持ちは今、最大数四十にほとんど等しいのだ。

 

 

 

―――そんな限られた手持ちの道具の中、適切に使えば効果的に威力を発揮するはずだろう三発中の一発を無駄にする……

 

 

 

また先程、さらに響は死にかけたエミヤに対して大量の回復薬を振りまいた。もちろんそれはエミヤの命を繋ぎ止めるための必要経費であるゆえ、彼女を責めるのはまるで筋違いである。だがともあれ、そんな事情によってではあるものの、私たちはすでに回復薬の半分程度を使用してしまっているのだ。すなわち私たちはもはや、持ってきた道具を最初の半分―――三十程度も使用してしまったに等しい状況である。

 

 

 

だからこそ―――

 

 

 

―――それはサガの言う通り、この状況下において大きな失態といえるだろう……

 

 

 

元々、私が加入するまで道具係だったサガは敏感に危機的状況を察知し、焦燥と苛立ちの感情を抑えきれず響へとぶつけてしまっている。

 

 

 

「私―――」

 

 

 

一方サガ発せられたよりそんな負の感情をぶつけられた響は、今が戦闘中だということを忘れたかのよう、青い顔をしてその場で身を震わせた。道具の数、そして質がそのまま生存率の向上に直結するのは先にも述べたと通りだ。そしてまた、ツールマスターという道具の専門家が、そんな簡単な道理に気づかないわけがない。おそらくはそんな限られた対抗手段の一つを無駄にしてしまったという自責の念が、彼女の頭を駆け巡って体を動かなくしているのだ。

 

 

 

「なんてことを……」

 

 

 

そんな状態でも戦闘中であるという自覚によってか、言いつつ響はこちら―――エミヤの周囲へと駆けて戻ってくる。近寄ってくる響の目尻には、涙までもが浮かび始めていた。どうやら攻撃失敗の事実とそれをひどく責められたという事態は、響という真面目な少女の心をひどく傷つけてしまったらしい。……だが。

 

 

 

―――しかし、そこまで深刻に焦る程の事だろうか……?

 

 

 

一方、そんな事情を理解しつつも、私はサガの叱咤を、「やりすぎだ」、と、そう思う。

 

 

 

「いや、いい」

 

 

 

―――そうとも

 

 

 

そもそものところ、二人は先程の私とまるで同じ思い違いをしている。

 

 

 

―――別に番人が私たちの攻撃を無効化しようと関係ないのだ

 

 

 

彼女たちのしているそんな勘違いは、まるで先ほどまで私がしていたそれと、まるで同じである。彼女たちのそんな諍いは、過去の私の不肖をみているようで堪らない感覚があり―――、

 

 

 

「今ので十分、時間は稼げた。だから、気にしなくていい」

 

 

 

だからだろう、私は気付くと、響を庇う言葉を口にしていた。

 

 

 

「―――はぁ?」

「―――え!?」

 

 

 

すると、彼らはそろって疑問の声を上げつつこちらを見つめてきた。二人の口と目は、信じられないものを見た、と言わんばかり、開かれ、丸くなっている。

 

 

 

―――何もそこまで驚かなくともいいではないか……

 

 

 

彼らのあまりといえばあまりにもひどい驚愕の反応を見て、私はふと不満の思いを抱く。……だが。

 

 

 

―――……確かに今までの私なら、サガ同様、響のミスを責めていただろうな

 

 

 

直後、私は今までの自らを省みて、不満の思いを当然と受け止める。自らの世界を壊しかねない痛みを防ぐことに必死だった私は、だからこそ誰かの失敗に対して寛容でいられなかった。失敗とは私にとって、痛みを誘発する存在だったのだ。だからこそ私は、そんな痛みを避けるべく、誰もいない自分だけの世界に閉じこもってばかりいた。

 

 

 

―――今までの私なら、か……

 

 

 

しかし今、かつて狭量で誰かの失敗を許せずにいた私は、ようやく誰かの失敗を許容することが出来た。おっかなびっくりながら飛び出したこの世界のなか、さらけ出したみっともない己を受け止めてくれる―――それでも認めてくれる誰かを得ることで、ようやく出来るようになったのだ。それは間違いなく私が変化したという証に違いなく―――

 

 

 

―――これも彼のおかげか……

 

 

 

感動が胸の中をよぎってゆく。傷ついた原因を、痛みの理由を、理解しないまま目をそらして自分の世界から排除しようとするのではなく、真正面から直視し、訪れた理由を見定めた上で、必要ならばその痛みだって受け入れて、自分の世界を拡張するための礎としてゆく。それは冒険者と呼ばれる彼らが白紙の地図を埋める作業によく似ていて―――

 

 

 

―――私もようやく多少は冒険者という存在に近づけたのかもしれないな……

 

 

 

そんな風に自惚れる。恐れていたはずの自らの世界の変化は、思いのほか快いものだった。

 

 

 

「……やっべ。他人の気持ちを慮れるようになれって言い続けてきたけど、実際、唐突になられると、すげぇ、キモい」

「サ、サガさん! いくらホントのことでも、言っていいことと悪いことがありますって!」

 

 

 

とはいえ、そんな私の事情など知らぬ彼らが戸惑いの反応を見せるのは当然だと思うし、彼ら多少―――いや、大いに失礼過ぎる驚愕の態度だって、今までの私の態度と言動を省みてみれば、意外ではない……のだろう。

 

 

 

―――ま、まぁ、反省すべきは、痛みから目をそらし続けてきた私の態度にあるのだし……

 

 

 

だから、私はあえて無視して続けたまま―――

 

 

 

「―――エミヤがなんとかするといったのだ」

 

 

 

言葉をつづけてゆく。

 

 

 

「ならばきっと、なんとかなるのだろう」

 

 

 

私が活躍しなくとも、エミヤが―――または他の誰かが活躍して、結果としてこのギルドが勝ちを拾えればそれでいい。

 

 

 

「なら、その過程で糸がなくなろうがなんだろうが、関係あるものか。私たちはただ、彼がなんとかするのを信じてこの身を盾として敵と彼との間に差し込み続け、彼がその切り札とやらを使うまでの時間を稼げれば良いのだから」

 

 

 

悩んだ末に出てきたのは結局、このギルドにおいていつも私がやらされていた役目をみんなでやってやろうと言うただそれだけの結論で。危機に近い状況だからこそあえていつも通り冷静に全体を見渡し、そうして多少楽観の入った戦況予測を述べるに努めると―――

 

 

 

「そりゃ確かに……」

 

「その通りですね!」

 

 

 

二人は一気に顔の真剣さを崩し、大いに余裕を含んだ表情で私の方を見やり、同意してくれた。どうやらお堅い人間の口から出た「なんとかなる」という言葉は、緊張の空気を和らげてくれる効果を持っているらしい。

 

 

 

―――なるほど、新発見だな

 

 

 

そんな新たな発見を喜ぶとともに頷くと、自らが話題へと俎上させた人物の方へと視線を送ってゆく。

 

 

 

「I have created over a thousand blades./幾たびの戦場を超えて不敗」

 

 

 

彼の詠唱はその間も続いている。意味のわからない言葉にはしかし、全幅の信頼を置くことが出来ていた。

 

 

 

―――瞑目したその端正な顔の裏、一体いかなる思考が渦巻いているのだろうか……

 

 

 

「今更の話ですねぇ」

「―――ああ。今更すぎる話だな」

 

 

 

ピエールのいう通り、出した結論も、彼が何を考えているのかも、その言葉にいかなる意味が込められているのかなんていうのも、今更の話だ。今は、それより―――

 

 

 

「響、サガ、ピエール。やり方を変えるぞ」

 

 

 

切り札を使用して状況を打破しようとしている彼のため、時間を稼ぐことが最優先だ。

 

 

 

「私はいつも通り皆の守護に回る―――」

 

 

 

告げる最中、ヒュドラはその超巨大な蛇頭と首を胴体の近くに回収してとぐろを巻くと、鎌首をもたげさせ、顔をこちらへと向けてくる。そうしてゆっくり持ち上げてまっすぐにした頭の下顎は、しかしすぐさままるで自重に耐えきれぬと言わんばかりの動作で緩々と地面へとおろされていった。

 

 

 

「が、エミヤの守りを最優先にするため、気も手もいつも通りに回せんかもしれん」

 

 

 

続く言葉を告げる最中、そんな蛇の頭の上へと黄金の鹿が飛び乗った。鹿がわざわざそんな場所にその身を置いた意図はまるで不明である。飛び乗った黄金の鹿が首をふんぞり返らせて睥睨してくるのを見るに、あるいは、黄金の鹿の誇りや矜持がそうさせたのかもしれない。だが―――

 

 

 

「―――サガにピエール。後は任せたぞ」

 

 

 

―――そんなことはどうでもいい

 

 

 

「おっしゃ、任せとけ!」

「はいはい、いつも通りにやらせていただきますよ」

 

 

 

―――やることはいつもと変わらない

 

 

 

「響。手持ちの道具は好きに使ってくれて構わない。ともかく、君のやり方で敵の行動を阻害し、可能であれば状態異常や縛りを入れることを目指して動いてくれ。―――任せる」

「―――、はい!」

 

 

 

述べた言葉に向けて、向けた信頼に対して、はっきりとした返事があるのだ。返事には『敵がいかなる行動をとろうと、自分がなんとかしてみせる』という意思に満ちている。私たちはあらゆる手段を用いて敵の行動にあらがうと決めたのだ。ならば敵の事情など、あってないようなものとすらいえるだろう。

 

 

 

「■■■■■■■ッ―――――――――!」

 

 

 

そんな当たり前のことを嬉しく思うと同時、まるでそんな風に思われたことを怒るかのよう、地面に降り立った黄金の鹿は猛々しく嘶くと、地を蹴り、頭をこちらへと向けて突撃の準備を開始した。

 

 

 

「……来るか!」

 

 

 

真っ直ぐな敵意は当然のようにエミヤの方へと向けられている。それを見て、迷わず瞬時に判断した。

 

 

 

「彼への攻撃を防ぐ。そのための足止めが最優先だ。ピエール。私たちの行動速度を上げろ」

「仰せの通りに―――、『さぁ、戦士たちよ。今こそ駆け抜ける時がきたのだ―――』」

 

 

 

指示にピエールがスキルを使用する。軽快な音調により流れてゆく旋律に、体の中から力が湧き上がってくるのを感じていた。音に応じて反応速度と反射神経が強化されてゆく。

 

 

 

「――――――……」

 

 

 

こちらのそんな動きに反応したのか、ヒュドラが地面すれすれにあった頭部を動かそうとした。強化された私の体は、だからこそそんなヒュドラの超巨大な頭が微かに動く瞬間を捉えることに成功し―――

 

 

 

「くるぞ!」

 

 

 

身構えるよう、皆に伝える。

 

 

 

「!」

 

 

 

直後、ヒュドラの瞼は大きく開かれ、その巨大な頭は持ち上げられてゆく。そんな頭から胴体へと続いているヒュドラの長く太くなった首の部分は、やがて反らされて徐々に胴体の後ろへと回されていった。丸っこい胴体にひとつだけ長く曲がった首が伸びている姿は一見滑稽にもみえていて、けれど笑う気には到底なれなかった。まん丸い胴体と、そんな場所から蛇行して伸びる太い首は、まるで、貯水池とそこから超長距離に伸びる大河のようだったからだ。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

今やエトリアすぐそばに流れる川よりも大きな首が、胴体の後ろへと移動する。そんな首の先にある反ったエトリア執政院ほどもある頭はやがて三百六十度回転して、エトリアの広場よりも大きな顔面が正面に向けられた。顔の上では今やそれだけでエトリアの鐘楼塔の一つ分はありそうな瞼がゆっくりと開閉しては細められてゆく。やがてエトリアの街の入口の門よりも大きな唇が地面へと向けられ、ヒュドラは這うような視線を送ってくる。見上げる体勢のヒュドラはしかし、今やその体を構成するすべての要素が私たちがいる場所よりも、私たちの住んでいたエトリアよりも、さらに高く大きい存在になってしまったようだった。

 

 

「なんという……」

 

 

 

あまりの大きさにそれ以上の言葉を失った。今や数人がかりでも動かせるかわからない瞼の隙間では、僅かに覗く縦長に伸びた瞳孔が不気味に輝いている。這うような視線からは、しかし睥睨のそれが送られてきていた。ヒュドラの硬く閉じられていた口のわずかな隙間から、先程よりも巨大となった先端が二つに割れている赤い舌がチロチロと出ては引っ込んでゆく。それらの動作は多分、目の前の獲物をなんとしても仕留めてみせるという、そんな討伐の意思から生じたものであるのだろう。

 

 

 

「―――……!」

 

 

 

ヒュドラはやがて、その超巨大化した頭すらゆっくりと胴体の後ろに回してゆく。その様子はダークハンターが鞭を構える姿に―――いや、何故か、鉛色の巨人が大きな斧を振りかぶって構える姿のようだった。多分それは長く蛇行しながら胴体の後ろへと舞わされる太い首が、鞭という全身が細身の武器ではなく、巨人の腕にしか見えなかったからなのだろう。鉛色に見えたのはきっと周囲の薄暗闇に対して、ヒュドラの胴体や腹下の鱗の白色が混ざった結果だろう。

 

 

 

「―――……ッ!」

 

 

 

そんな鉛色の巨人の構えた斧の先―――すなわち、逆しまになった蛇頭の口は徐々に開かれてゆく。口腔、上顎の前の方に生えている牙から毒液の雫が噴出し、空気中に飛び散った。薄く広く散った毒の雫は、しかし雫というにはあまりに巨大すぎている。一滴で数百人を殺せそうな毒の液体がすでに毒沼化した地面へと吸い込まれてゆく。そうして液状化していた地面の上ではいくつもの紫の湖が生まれていた。

 

 

 

湖面には波紋が生まれては重なり、重なってはやがて静かに消えてゆく。ヒュドラの胴体はそんな自らが生み出した毒沼地面と接触するのを拒むかのよう、ずっと空中に浮き続けていた。頭もまた同様だ。ヒュドラは変わらず自分勝手に紫の毒煙や毒液を垂れ流しては、地面の上に毒沼をつくりつづけている。この番人部屋という狭い世界を侵食し続けている毒沼は、すでに敵の体を中心として大きく―――この狭い番人部屋の地面の半分以上にまで広がっていた。毒沼は引き込まれたのなら即座に絶命してしまいそうな禍々しい気配を漂わせている。見る間に広がってゆく敵固有の領域。それを目の前にして―――

 

 

 

「Unknown to Death./ただ一度の敗走もなく」

 

 

 

その死毒の領域を切り裂くかのようにエミヤが世界に言葉を紡いでゆく。それがヒュドラの気に障ったのだろう―――

 

 

 

「―――――!」

 

 

 

戦闘再開の合図となった。

 

 

 

「――――――――――――ッ!」

 

 

 

そうしてヒュドラは怒り狂ったかのようにして身を震わして口を開けると、胴の後ろに回した巨大な首を振り下ろしてくる。巨大化した首は、まるで巨人が力任せに振り下ろした鋭い斬撃のよう、空中で弧を描きつつ、こちらへと迫り来ていた。そんな巨大な戦斧が如き一撃、その先端の蛇頭にある口が大きく開かれているのを見て、思う。

 

 

 

―――自分では防げない……っ!

 

 

 

広がった口の大きさはやはり、明らかに固まる私たちの集団がいる場所を呑みこんでしまえるだけの大きさだった。今やエトリアの街すらも収まってしまいそうな口を前に、直感する。理解させられてしまう。

 

 

 

―――私の手持ちスキルのどれを用いようと、これを防ぐのは不可能だ……!

 

 

 

蛇頭の巨大さは、守りという概念を用いて対抗するには、あまりにも巨大過ぎていた。経験と知識がはじき出したそんな結論を覆そうと、知識を洗いざらい総動員してはみるものの、思考は変わらず防御不可能の結論をはじきだす。攻撃を前にして、何をすればいいのかわからない。そんな異常事態に、体は硬直を保ち続けざるをえなかった。

 

 

 

「今度こそ! 」

 

 

 

葛藤のさなか、そんな巨大に過ぎる敵の進行方向へ声を上げて躍り出てゆく響の姿が目に映る。ピエールの歌と装備品によって身体能力と速度を強化されている彼女の動きは、ヒュドラが頭を振り下ろす速度よりも素早くある。彼女は守るためではなく、撃ち破るために前へと飛び出していったのだ。自分の持つ力なら確実に通用するいう確信がなければ出来ないだろうその迷いのない動きは、まるでシンのようだった。そうして一歩どころか、数歩どころか、数十歩も進んだ響は、私が羨むよりも早く再びバッグから『縺れ糸』を取り出すと、解きつつ、ヒュドラの巨大化した頭部へと投げつけてゆく。

 

 

 

―――ヒュドラの攻撃はきっと響が何とかする

 

 

 

響が用いた戦闘補助道具『縺れ糸』には、頭部用、腕部用、脚部用の三種類がある。状況から考えるに、多分、彼女が投擲したのは、頭を縛る効力を持った『縺れ糸』だろう。『縺れ糸』は、ツールマスターである彼女が使用した場合、百パーセントその効力を発揮する。無論、先ほどと同じよう、敵の体に触れた糸が、敵がその身に纏う毒にやられてしまうという可能性がないでもない。だが、糸が一定時間は毒に耐えるという事実から考慮するに、正しく対象の場所―――頭部―――めがけて投擲されたあの糸がヒュドラを捕縛してやれる可能性は、限りなく高いといえるだろう。

 

 

 

―――そう。ヒュドラは響が対処する……

 

 

 

無鉄砲にも見える、しかし確信から繰り出したのだろうその行動は、この世界からいなくなってしまったある男の姿と本当によく似ていた。すなわち、そんな彼女の迷いのない行動は、自分の実力と自分の身に宿るスキルの力が、確実に敵の行動を上回ると信じている何よりの証である。だからこそ私も、そんな彼女の行動を信じきることができたのだ。

 

 

 

―――ならば……

 

 

 

「■■■■■■……」

 

 

 

―――ならば私のやるべきことは、あの鹿を足止めすること……!

 

 

 

私の役目は、ヒュドラではない、もう一匹の番人の攻撃を防ぐこと。そう確信して意識を送った瞬間、ヒュドラの脇にいた黄金の鹿が響の行動に反応してか、唸り声をあげた。輝く瞳からの視線は響へと送られている。無機質にも見える彼女へと向けられた視線には、しかし確実に敵意が含まれていた。敵意を見て確信する。鹿は我が身の特性を使い、敵の攻撃の前に―――響の投げた糸の前に身を晒し、その効果を反射するつもりだ、と。間違いなく敵は、またそれをやるつもりなのだ、と。

 

 

―――そんなこと、させてたまるか……!

 

 

 

「お前の相手は、この私だ!」

 

 

 

―――響の……、エミヤの邪魔はさせない……!

 

 

 

最悪、切り札を使ってでも、そんな鹿の行動を阻害する。そんな不撓不屈の覚悟を決めて黄金の鹿の動きを注視した。だがそうして向け続ける視線の先、響を見つめる鹿は――――――

 

 

 

―――……?

 

 

 

しかしただ彼女に視線を送り続けるだけで、それ以上のことを何もしてこようとはしなかった。

 

 

 

―――……援護に入らないのか?

 

 

 

強化された感覚によってゆっくりと時間が進む中、疑問に頭を悩ませていると、同じく強化された瞳と意識は、やがて鹿の視線が響でなく糸へと向けられる場面を捉えることに成功して―――

 

 

 

―――……なるほど

 

 

 

宙を進む糸に向けられるその口惜し気な表情を見て、敵の悩みを理解する。エミヤの話によれば、あの黄金の鹿は、反射の能力を持っていたがとある英雄に捕縛されてしまったという伝承を持っているらしい。そのことや今の表情から察するに、おそらくあの鹿は捕縛という行為やそれに関連する道具など自体が苦手か、あるいは弱点にすらなっているのだろう。おそらく黄金の鹿は、捕縛という行為に対して反射能力を使えないのだ。だからこそあの鹿は、動かない―――いや、動けないのだ。

 

 

 

―――援護に入りたくとも、入れないのか

 

 

 

そうしてその場での待機を続行させられる鹿は、憎々し気に眼前の響と彼女の投げた白い糸をじっと見つめていた。そうして邪魔を受けずに済んだ響の糸は、ここにきてようやくその威力を正しく意図通りに発揮する。糸玉からは飛び出した糸は、しかし目的である敵の頭部の振り下ろされてくる開かれた口の下唇付近に触れた途端、すぐさま効力を発揮してスキルの力によって分裂し、その巨大な頭に巻きついてゆく。超巨大な状態となったヒュドラの蛇頭を一周するには到底足りないはずの糸は、しかしツールマスターたる響によって下された『確実に敵の動きを止める』という命令を果たすため、宙を白く染め上げるほどに分裂し、その身を増やしていた。そうして巨大な布のようになった『縺れ糸』によって、瞬間的、大きく開いたヒュドラの口が閉じられる。

 

 

 

「――――――!?」

 

 

 

理解が出来ぬ、と言わんばかり、ヒュドラの顔は驚きに歪んでいった。『縺れ糸』の効果によってだろう、振り下ろされてくるヒュドラの頭の勢いが多少衰える。……だが、それでも―――

 

 

 

―――そうか、『縺れ糸』は……っ!

 

 

 

ヒュドラの振り下ろし攻撃は止まらない。

 

 

「―――嘘! なんで!?」

 

 

自らの思惑通りに停止しない頭を見て、響が叫んだ。彼女には理解できていないようだったか、ヒュドラの頭が止まらないその理由を、本来は非戦闘職ツールマスターである彼女よりも多く、そんな戦闘補助の道具を使ってきた戦闘職の私には理解できていた。

 

 

―――行動前に当てないと意味がない……っ!

 

 

戦闘補助道具『縺れ糸』は、捕縛の効力を発揮する以前に蓄えられていた運動量を軽減させる効力を持ち合わせていないのだ。彼女の行為は確かに蛇の行動を一部妨害した。蛇の口は確かに彼女の投擲した『縺れ糸』によってまるで針金で縛りつけたかのように固く閉じられている。だが、開かれていた口が閉じられようと、思いっきり振り下ろされたその頭部と首に秘められていた威力はそのままだった。

 

 

 

響はここにきて、自らが扱う道具の効果を思い違うという、大いなるうっかりをやらかしてしまったのだ。らしくない失敗は、おそらく焦燥や経験の浅さがもたらしたものなのだろう。

 

 

 

「Nor known to Life./ただの一度も理解されない」

 

 

 

そんな彼女の過ちを気にせぬといわんばかり、エミヤの呪文が辺りに平然と響き渡っていく。

 

 

 

「――――――ッ!」

 

 

 

そんなエミヤの言葉を拒むかのよう、糸によって口を閉じられたヒュドラが勢いよく迫りくる。

 

 

 

「そっか……! って、あ、やばっ……」

 

 

 

エミヤの言葉が何らかの刺激になったのか、自らの思い違いに一足遅れで気付いたらしい響には、しかしそんな思考の空隙の間にも迫していたヒュドラへの対抗手段をもはや持っていなくて―――

 

 

 

「響ッ!」

「うぐぇっ!」

 

 

一方、エミヤの言葉に自らの役目を思い出させられた私は、慌てて前に進み出ていた響のいる場所へと突撃し、たどり着くやいなやすぐさま彼女の首根っこ引っ張ってその軽い体を後ろに放ると―――

 

 

 

「『パリング』! 」

 

 

 

これが先達者の役目だと言わんばかり、経験浅い彼女の過ちを帳消しにするべく、盾を前に構えてスキルを発動する。アイギスの盾の前に薄い膜がはられ、直後、口元を強制的に窄めさせられた奴の巨大な唇が盾に描かれた女神の顔に迫り、―――

 

 

 

「――――ッ!」

 

 

 

そしてそんな毒蛇の口づけを拒絶するかのよう、ヒュドラの攻撃が『パリング』によってが無効化させられ、その顔は私の眼前にてピタリと停止した。しかしいまだ効力を発揮してくれる『パリング』の光の粒子のすぐ上にある蛇の皮膚や唇の間からは紫の煙が垂れ落ちてきて―――

 

 

 

―――ぐ……っ!

 

 

 

そんな物理攻撃を無効化する光の粒子の隙間を縫うようにして、鼻のひん曲がる臭いが通過してきた。思わず歯を食いしばる。胸糞悪い臭いに、力が抜けていきそうだった。『パリング』によって生み出された光の盾は女神の顔と奴の唇との接吻を防いでくれたが、腐臭までは防いでくれなかったのだ。悪いことは続くもので、そうして臭いから逃げようとしてだろう彷徨った視線は、奴の頭を縛り付けている『縺れ糸』の群れが毒煙によって糸は紫に染まってゆくのを目撃してしまい―――

 

 

 

「く……そ……!」

 

 

 

思わず毒づく。効果を発揮した『縺れ糸』はしかし、頭部の行動によって発したものでない毒を防ぐことはできなかったのだ。『縺れ糸』は、先ほどのように身を溶かされている。

 

 

 

「―――ッ、――――ッ、―――――ッ!」

 

 

 

また、糸が消滅していくのと並行して、ヒュドラは少しずつ動きを取り戻しつつあった。蛇頭の口はすでにわずかばかり開きかけていて、赤い舌の二つに分かれた先端が見え隠れしている。そうして開かれた口からは、さらに多くの紫の煙が漏れてきた。

 

 

―――ま、ず……

 

 

『パリング』の効果範囲外、目の前の地面はすでに敵の毒煙のせいで毒の沼と化している。一歩踏み込めば死に至る沼が、すぐ目の前にまで作り上げられていた。毒煙の領域は秒を追うごとに広がっていっている。毒煙を空中に留めている光の粒子が消え失せていっているのだ。

 

 

 

―――スキルの発動限界が……!

 

 

 

スキル、『パリング』の効果終了時間が迫っていた。『パリング』だろうと『縺れ糸』だろうと、スキルやそれの属する効果を及ぼす道具には効果時間というものがある。すなわち、あと数秒もしないうち、ヒュドラの頭部は『パリング』の戒めからも、『縺れ糸』の戒めからも解き放たれてしまうのだ。

 

 

 

―――この状況、たとえ『完全防御』であっても……!

 

 

 

目の前にいるこの巨体が完全に動きを取り戻したというのなら―――大口を開いて私たちを呑みこむというのなら、正直、止める手立てが思いあたらない。スキル『パリング』が終了した瞬間にフォーススキルを発動させるなんて器用な真似出来ないし、何より、仮に奇跡的に火事場の馬鹿力が働いて『完全防御』という万能の守りが発動できたとて、口の自由を取り戻したヒュドラの大口がスキルの効果領域ごと呑みこんでしまえば、それでもう私たちには何もできることはなくなってしまう。私たちが何かをする前に、エトリアのオベリスクよりも長い牙から流れ出るすべてを溶かす毒液が私たちを包み飲み込むだろう。仮にそこまでに完全防御を発動できれば寿命は数秒伸びるかもしれないが、そこまでだ。すべてを溶かす毒液に囲まれたが最後、スキルの効果時間が切れたその瞬間、私たちの体はヒュドラの猛毒に浸される。アクセサリーが毒を防いでくれるとしても、毒に溺れて窒息死か、事態を受け止めきれずにショック死か、あるいはヒュドラの巨大な口に咀嚼されて圧死するかしてしまうだろう。すなわち、どうあがこうと死の運命からはもはや免れられない。私たちはほぼ詰みの状態に追い込まれていた。

 

 

 

―――だが、それでも……!

 

 

 

かといって味方が後ろにいるこの状況、諦めるなど論外だ。ほぼと完全は同意ではない。

 

 

 

―――最後まで諦めてたまるものか……!

 

 

 

「―――どけ、ダリ! 」

 

 

 

ほぼと完全の隙間をどうにか埋めてやろうと悩んでいると、頼もしい声と共に眩い光が身体の背後より真横を駆け抜けていく。

 

 

 

「―――」

 

 

 

私を懊悩させている目の前の存在に突き刺さってゆくそんな眩い光に驚いて、盾と姿勢をそのままに首だけ振り向かせると―――

 

 

 

「―――サガ!」

 

 

 

サガが腕を上げて『核熱の術式』を放っている光景が目に飛び込んでくる。サガは味方にすら危険を及ぼすそんな術式を放つためだろう、いつの間にか私たちより少し離れた場所に移動していた。

 

 

「へっ……、超至近距離ならさすがに避けたり庇ったりはできねぇだろ!」

 

 

 

サガの前方より直進した光の柱が赤の空間を貫き、ヒュドラの下顎から侵入してゆく。『核熱の術式』の生み出す膨大な超高熱の粒子の前、強靭なのだろう鱗もあらゆるものを溶かすのだろう毒煙や毒液も無意味だった。自らの肉体が消え失せるそんな痛みを感じ取ったのか、あるいは失せていく感覚に恐怖を覚えたのか、ヒュドラは自らの巨体を引こうとしてゆく。しかしそうして撤退を決意したのだろうヒュドラの判断を嘲笑うかのように、光の柱は敵の巨大な顔面内部を貫き、光と接触した部分は熱エネルギーによって瞬時に蒸発し、そしてまた、揮発した肉体の残骸は余剰の熱エネルギーと反応して、その場の全てに眩暈を生じさせるほど輝いて―――

 

 

 

「悪い、ダリっ! 余裕がなかった!」

 

 

 

そんな光景を呆然と見つめるさなか、後ろにいるサガから飛んできた主語のない言葉は―――

 

 

 

「―――っ!」

 

 

 

しかし、そんな主語すら発する暇もないのだということをこの身に悟らせ、動かし―――

 

 

 

「か、『完全防御』!」

 

 

 

ほとんど反射的に完全なる守りのスキルを発動した直後―――

 

 

 

「―――……っ! ……!」

 

 

 

目の前が光に包まれる。やって来た光のあまりの眩さに一瞬瞼が閉じかけるも、なんとか堪えて、目を凝らす。すると、完全防御によって生まれた光の粒子の先に小さな爆発が次々と起こっている場面を見つけて、起きた事態を理解させられる。

 

 

 

―――爆発の連鎖……!

 

 

 

直進する光の柱―――『核熱の術式』余熱によって一瞬のうちに周囲の個体が気体へと転移させられて、体積を増やした変化した狭い空間を嫌った物体が広い場所を求めてその足を伸ばし、そうして起きた一次爆発はヒュドラの肉体を傷つけ、さらにはそんな術式の進行や爆発によって生まれるヒュドラの残骸がこの枯レ森に似た環境特有の空気中に多くある砂や埃などの粉塵と一緒になって反応を起こし、爆発は二回、四回、八回と、連鎖を起こして大きくなっていっている爆発が、私たちを包み込んでいた。

 

 

 

―――仕方のないこととはいえ……

 

 

 

すんでのところで『完全防御』を発動させたため、サガの『核熱の術式』が生み出した爆発による被害はこちらにない。『完全防御』は熱やそれに付随する攻撃しか防げない『ファイアガード』とは違い、爆風やその余波すらも防いでくれる、まさに守護職パラディンの代名詞といえる切り札的性能を保有している。だからこそ私は、爆発によって起こった熱だろうと風だろうと、爆発の余波によって生まれた毒煙、毒液の雫群だろうと防ぐことが出来るのだ。……だが。

 

 

 

―――至近距離での味方の攻撃に切り札を切る羽目になるとはっ!

 

 

 

そんな手段を味方の攻撃の余波を防ぐために使わざるをえなかったという事実に、臍噛む思いをさせられる。だが、あと一瞬判断か発動が遅れ、守りの領域の張替えが失敗していたのならば、この紫の光景が赤に染まってゆく場面すらも目撃することは叶わなかっただろう現実に―――

 

 

 

―――だが、これしかなかったのもまた事実……!

 

 

 

わずかにある後悔が消されてゆく。そう。確かに私はサガの『核熱の術式』によって『完全防御』という切り札を切る羽目になった。だが結果だけ切り取ってみれば、『核熱の術式』と『完全防御』、二つの切り札によって、今やエトリアすらも丸呑みしてしまいそうなヒュドラの攻撃が防げたとも言えるだろう。

 

 

 

―――ならばもう気にするな……!

 

 

 

「よくやってくれた、サガ!」

「……! ―――へっ、任せろっつったろ!」

 

 

そうして事象の再定義と済ませて意識を切り替えて称賛の言葉を交換しあうさなかにも、後方のサガから放たれ続ける光は、突き進むにつれてさらに連鎖して反応し、サガに言わせれば品のない爆発の連続がヒュドラ皮膚を焼き、抉り、体内を通過して―――

 

 

 

「―――……ッ!」

 

 

 

その巨大なヒュドラの余裕を大きく突き崩してゆく。

 

 

 

「――、―――! ―――! ――――!」

 

 

 

口の中を業火で焼かれる感触がよほど気に食わなかったのか、ヒュドラはその蛇頭を暴れさせ、悶え、やがて力ずくに、完全防御の支配下にある肉体部分や核熱によってもはや使い物にならなくなった傷部分を捨ててまで、『核熱の術式』の効果及んでいる範囲から無理矢理にその身を引いてゆく。そうして撤退する動作や巨体とは思えぬほどに素早く、一秒もしないうちに空中へと残っているのは、爆発とヒュドラの一部肉体と体液、毒液の群だけになっていっていた。

 

 

 

「Have withstood pain to create many weapons./彼の者は常に独り、剣の丘にて勝利に酔う」

 

 

 

そうしてヒュドラを追い返したことを褒めるかのように、あるいは、事態の再認識をしろと叱るかのように、エミヤの言葉が放たれる。

 

 

 

「―――お、おい、サガ! もういい!」

 

 

 

放たれた言葉反応した私は、慌てて先程発したものと反対の言葉をサガへと投げつける。なぜならヒュドラという脅威の失せた目の前では、いまだにサガの『核熱の術式』によって生み出される爆発という脅威が収まらずにいたからだ。フォーススキルを含めたスキルというものは、発動した後、一定の時間だけ効果を発揮したのち、その効果の発揮を停止する。すなわちスキルの類は、対象がスキルの効果範囲外からいなくなったとてすぐさま勝手に停止するわけではないのだ。

 

 

 

「ヒュドラは身を引いた!」

 

 

 

だからこそ、サガのスキルによって引き起こされている爆発は止まらない。一定の空間で起こった爆発はすぐに周囲の酸素を喰らい尽くし、すぐさま爆発は収まってゆく。だが、突如としてがら空きになった空間は、スキルによって爆発の起きた空間は失われた物を取り戻すそうとするかのように、周囲の新鮮な空気を吸収、。そうして後からとめどなく補充される熱と酸素、ヒュドラの残骸物と飛び散る砂や埃によって、役目を終えた空間では再び小規模な爆発が生じ続けていた。

 

 

 

「『完全防御』のスキルが切れる前に!」

 

 

 

そういった爆発と真空空間の連鎖による影響は完全防御を発動させている限り私たちに害を及すことはない。だが、言葉を裏返せば、爆発やそんな空気の流れは完全防御が切れた時、私たちを痛めつける害となりうる脅威である。

 

 

 

「核熱の術式を止めろ!」

 

 

 

だからこそ私はサガへと停止を呼びかけ―――

 

 

 

「あ、コラ、逃げんな、クソや―――」

 

 

 

術を発動させ続けることの無意味を悟ったのだろうサガが、品のない言葉と共に核熱の術式の発動を停止してゆく。サガの意思によって放たれていた光は瞬時に消え失せ、目の前の空間には少量の火花とヒュドラの黒焦げた肉体と幾分かの煙と吹き荒れる風だけが残され―――

 

 

 

「―――がっ!」

 

 

 

だが、そうしてヒュドラの攻撃を防いでくれたサガは、しかしいきなり苦痛の声を大きくあげて―――

 

 

 

「サガ!?」

 

 

 

思わず驚愕させられる。首を向けた先の視界には、悲鳴をあげたサガの服は一切傷ついていないにもかかわらず、サガの顔や腕から覗く素肌の大部分が焼け爛れている光景が飛び込んできた。素肌に感じた熱に耐えかねたのだろう、サガは立つ力すら失ったのか倒れてゆく。さなかにもサガの肌にある火傷の痕は増え、素肌はさらに真っ赤に染まっていっていた。

 

 

 

―――火傷……!? しかもかなりの深度にまで一気に進行する!? ……この状況で!?

 

 

 

そして完全防御下にあるはずの仲間が傷つけられるという事実に私は驚き―――、

 

 

 

―――……! これはまさか……っ!

 

 

 

しかし、起きた現象に心当たりを感じた私はすぐさま振り向きなおして、視線をいまだ収まらぬ爆発の方へとやる。すると―――

 

 

 

「やはり貴様か……っ!」

 

 

 

収まりつつある煙風、そんなあらゆる有機生命体に害あるだろう温度にまで加熱された一面に薄く広がる灰色の煙を掻っ捌いて、傷一つない鹿が颯爽と現れる。吹き荒れる風を纏いつつ現れた黄金の鹿の体にはしかし、火傷どころか埃の一粒すらも付着していなかった。

 

 

 

「貴様の反射能力か……!」

 

 

 

その余裕の様を見て確信する。反射能力を持つ黄金の鹿は、わざとあの爆発の中に飛び込んだ。そうして黄金の鹿の持つ反射能力は、サガの起こしたその爆発の余波の炎熱を攻撃として認識し、空中に巻き散らかされているそんな自らの生み出したスキルの残留熱が、サガの肉体を焼いたのだ。

 

 

 

「サガさん!」

 

 

 

異常を知覚したらしい響は、慌てて叫びながらサガに近寄るとバックに手を突っ込み薬瓶―――メディカⅲを取り出して使用した。瞬間的に大量の光の粒子がサガの体を覆う。そして次の瞬間―――

 

 

 

「う……」

 

 

 

火傷だらけだったサガの体は呻き声を上げられるほどの状態に戻ってゆく。

 

 

 

「大丈夫ですか!?」

「……悪い、油断した」

 

 

 

そうして響の行為によって意識を取り戻したサガは、すぐさまふんだんに道具を使われることによって命を助けられたという現状を認識したらしく、しかし先程と道具を無駄に使うなと響に怒鳴り散らしてしまったサガは、たからこそだろうバツが悪そうに頭を掻き毟りつつ、けれど負けん気を十二分に発揮して起き上がると、響に礼を言って前を向く。

 

 

 

「……助かった。ありがとう」

「……はい!」

 

 

そんな二人が見せる素直なやり取りに、生じかけた問題の解消を確信した私は―――

 

 

 

「ピエール、属性防御を」

 

 

だがしかし、そんな問題が二度と発生しないよう、すぐさま指示を飛ばしてゆく。

 

 

「『さぁ、戦士たちよ! もはやあなたの体は、あらゆる困難に傷つかない―――』」

 

 

 

ピエールが返事もなく私の指示に応じ、バードのスキル、『聖なる守護の舞曲』が紡がれてゆく。体の皮膚を鈍色の物理防御壁と赤青黄の三つの混合が、しかし混じり合わないまま我々の体を覆い、染み込んでいった。

 

 

 

『聖なる守護の舞曲』は物理だろうが属性攻撃だろうがあらゆるダメージを軽減する、バードを引き連れて強敵と戦う際には必ず使われるともいわれているスキルだ。とはいえバードのこのスキルはあくまで外敵からもたらされる攻撃の威力を軽減するだけであって、パラディンが使うスキルのように攻撃を完全に防いでくれるものではない。だが、少なくとも―――

 

 

 

―――これで、あの反射の影響やこちらの攻撃の余波を幾分か防げるはず……

 

 

 

痛みを軽減できれば、それだけこちらのメンバーが意識を保てる時間を引き延ばせる。引き延ばせた時間の分だけ、エミヤを守る選択肢は増えてゆく。

 

 

 

「二の轍を踏んでやる気はねぇ!」

「はい!」

 

 

 

覚悟を練り直したサガは吠え、響は嬉しそうにうなずいた。サガの瞳からは闘志は一欠片すらも失われていなかい。むしろサガの瞳は先程よりも闘志に燃えているようだった。敵にまんまとしてやられたということが、サガの反骨心を刺激したのだろう。そんな彼の負けん気になんとも頼もしさを覚えるとともに前方を向き直すと、そんなサガの意思に恐れたかのよう、爆発の煙が引いてゆく。失せた煙のはるか向こう側には、ヒュドラと黄金の鹿が先ほどのように並び立っていた。

 

 

 

「――――――――……」

 

 

 

ヒュドラは顔面の多くの部分に傷を負いながら、しかし一切、戦意というものを失っていない。

 

 

 

「■■■■■……!」

 

 

 

ヒュドラの側を闊歩する黄金の鹿は憎々しげにこちらを見つめてきている。

 

 

 

「―――……」

 

 

 

時間の経過とともにヒュドラの顔面傷は失せてゆく。しかしそうして小さくなってゆく傷の大きさとは裏腹に、瞼の隙間から覗く視線に含まれる怒りの感情は徐々に増大してゆき―――

 

 

 

「―――――――――――ッ!」

 

 

 

やがてヒュドラは突如として再びその巨大に過ぎる口を開けると、溜め込んでいたすべての怒りを吐き出すかのよう静かに咆哮した。巨大な身が大きく、しかし細かく振動する。巨大化したヒュドラの蠕動は、もはや天地の怒りと変わりがなかった。

 

 

 

「っ!」

 

 

 

その様に、思わず身を竦めてしまう。響いた咆哮に部屋中にあるすべてのモノが震えだしていた。大地と空気が撹拌され、風が吹き荒び、部屋の中では嵐が舞い踊る。天地を揺るがす咆哮とともに、部屋の中央のヒュドラの周囲から広がる毒領域が一気に拡大した。中央から飛地を生みながら広がってきている毒沼はもはや入り口の近くにいる私たちの足元にまでがやって来ていて、目の前がさらに毒々しい紫に染まってゆく。

 

 

「エミヤ、まだか!」

 

 

生存空間が物理的に狭まっている。想いだけでは覆しがたいという現実には流石に耐えかねたのか、さきほど負けるものかと意気込んだばかりのサガが悲鳴のような叫び声をあげてゆく。

 

 

 

「Yet,those hands will never hold anything./故に、その生涯に意味はなく」

 

 

 

背中に投げつけられたはずの焦燥の声にエミヤはしかし、瞑目したままの呪文を答えとした。詠唱を続ける彼の様子に変化はない。それどころかエミヤという男は、未だに続くこの小さな番人部屋という世界を崩壊させかねないヒュドラの咆哮と侵食にすら、無反応だった。彼は外界との接触を完全に断ち切っているようだった。……いや。

 

 

 

―――違う……

 

 

 

そうではない。エミヤは確固たる信念をもってして、この世界にいる自らをその場に縛りつけているのだ。だからこそ彼はこの世界がどう変わろうと揺るがない。折れず曲がらない信念と矜持を持つ男は、だからこそヒュドラの己という強敵との戦闘中、その存在をまるきり無視して己の内面に立ち篭ることを可能としているに違いないのだ。

 

 

 

「―――――――――――――!」

 

 

 

今なおも自らを眼中に入れないといわんばかりのエミヤの態度に腹を立てたのか、ヒュドラがエミヤの目を覚まさせてやろうとするかのよう、巨大な頭部を思いきり振り上げ―――

 

 

 

「ッ!」

 

 

 

直後、勢いよく振り下ろした。怒りにかみしめられたのだろう口の端から漏れる紫毒の液体と煙は、宙に尾を引きながらエミヤに迫ってゆく。

 

 

 

「■■■■■■■■■■■■■!」

 

 

 

同時、様子見姿勢だった黄金の鹿までもが、ヒュドラの動きに応じたかのよう四肢で地面を軽く蹴ってみせ、痙攣するかのように首を一回転させた直後、自らの体をその場から解き放った。番人どものそんな攻撃はあまりにも瞬時のうちに繰り出され、私たちは反応する余裕すら与えられなかった。

 

 

 

「エミヤさん!」

 

 

 

そんな番人どもの目にも留まらぬ速さでの動きに対応できたのは、この場においてシンという男に才あると認められた響だけだった。

 

 

 

―――まずっ……

 

 

 

彼女の悲鳴によって、遅ればせながら私の意識も反応する。強化を施されたはずの反射と思考はしかし番人たちの同時攻撃を前に、それ以上のことが何もできずにいた。

 

 

 

―――あ……

 

 

 

ヒュドラの一撃は隕石の到来で、黄金の鹿は流星のようだった。次に瞬きした瞬間、番人どもはエミヤと接触するだろう。そんな仲間の危機という予感にしかし、体はやはり反応してくれない。反応が、間に合わない。

 

 

 

「ダメ、逃げてっ!」

 

 

 

唯一彼らの動きに適応できていた響のさらなる悲鳴だけがあたりへと広がってゆく。きっと、ギルド『異邦人』の誰もが、私たちの―――エミヤの死を予想した。だが―――

 

 

 

「So as I pray,―――/その体は、きっと」

 

 

 

敵二体の意思と私たちの予想が結果に反映されるその前に―――

 

 

 

「―――unlimited blades works./剣で出来ていた」

 

 

 

彼はもう一節だけ、言葉を発し―――

 

 

 

「―――え?」

 

 

 

瞬間、目の前に広がる巨大な隕石と黄金の流星が迫る悪夢のような現実世界は一瞬にして瓦解し―――、

 

 

 

「な―――」

「なんですか、これ……」

「剣の―――、墓場?」

 

 

 

見たこともない幻想のような世界へと変貌した。

 

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