Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜  改訂版   作:うさヘル

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第十六話 文化は違えども、人の悩みは変わる事なく

第十六話 文化は違えども、人の悩みは変わる事なく

 

莫逆、水魚、刎頚、断琴、心腹、管鮑。

 

相手の信頼を欲するなら、一歩踏み込んで己を曝け出し、尊重し合うことが必要だ。

 

だがその一歩を踏み出す事こそが、この世で何より難しい。

 

 

薬品の匂いが満ちる治療のこの場には、闘争を禁ずる静寂の法則が敷かれている。にもかかわらずそこは、剣呑な気配に満ちていた。治癒の施された一人の患者を見守る四人の周囲を、一様の装備で武装した八人の兵士と指揮官風の豪奢な鎧を纏った一人の男が囲んでいる。部屋の空気を重くする気配はこのうちの主に兵士たちから発せられていた。兵士たちの気配からは一切の無駄な会話と余計な行動を許容しないだろう様子が窺える。

 

咎人を閉じ込め尋問を行うには清潔にすぎる牢獄は、時代を私の生前の時代にまで遡ってやれば、『ジュネーブ条約は捕虜の項に記された思慮に則って作られた人道的な施設である』、と、反戦意思に富んだ連中が賞賛していたかもしれない。だが、もちろん。人間同士の殺戮と闘争を常とする世界になどとはもはや無関係の彼らは、かつてですら有名無実に等しかった法と社会への体裁を気にしてこのような部屋を用意していたわけではない。それは部屋の内外を隔てる扉と窓が重罪人を閉じ込めておくにしては余りにも薄いことからも明らかといえるだろう。

 

すなわち私たちにこのような清潔な部屋が牢獄として与えられている理由は、ふたを開けてみればなんてことはない。長く平和の時代を謳歌した、罪人なんてものが長らく出現しなかったこの世界において、そんな出現しない重犯罪者をきちんと閉じ込めておくための檻のついた部屋なんてものはもはや無用の長物として別の建物に改築され、消え失せてしまっているのだ。

 

そう。この世界には牢屋だの臭い飯だのなんていう法を犯した者に用意される専用品などもはや贅沢品の類であり、存在していない。だからこそ彼らはそんな犯罪者集団の中に重傷者がいたことをこれ幸いとして、我々を施薬院の一室に閉じ込めた。そして彼らは施薬院の一部屋を仮初の牢獄として選定して以後、部屋の前に衛兵を立たせ、見晴らせ、私たちを閉じ込め続けているのだ。

 

「やー、困りましたねぇ」

 

そんな急遽作り上げられた牢獄部屋の中央ど真ん中で、左右に均等の数の衛兵を侍らせて彼らに守護されているクーマは言った。我々の前に立つ彼の壮年の顔立ちには、軽妙な口調とは裏腹に、困惑と混乱の様子がありありと浮かんでいる。そんないつも見せない表情をみせるクーマは、やはり常とは異なり、部屋に着飾ってあった鎧兜を着込んで、槍盾を装着した完全武装の状態で我々の前に立っていた。使い込まれた装備を着込む彼の姿には何とも違和感なく、何時か予想した通り、彼が歴戦の手練れであることを伝えてくる。

 

そしてまたそんな彼の両脇を固めている槍盾鎧兜を纏う兵士たちもやはり彼と同様かそれ以上のクラスの手練れであることが、その重装備を構えて微動だにしない立ち居振る舞いや漂わせている剣呑な気配から窺える。どこか軽妙さをもつ態度のクーマとは裏腹に重厚な気配を携えた彼らは、こちらの一挙手一投足を決して見逃さぬといわんばかりに注意を配ってきていた。

 

もし敵対的な態度を少しでも取れば、即座に取り押さえる。こんな表向きのところは完全平和と呼んでも差し支えのない世界に存在している兵士らの彼らは、しかし油断などしないといわんばかりのそうした毅然泰然とした態度を取り続けている。平時ならば私も、彼らのそんな職業意識の高さに、「やるな」、と、賞賛の声をあげていたかもしれない。

 

だが。いざ彼らの注視対象となった今では、彼らが向けてくる視線や、その威圧的な態度は、少々鬱陶しい。もちろん、そんな彼らの注視の態度は罪を犯した人間に対して貫いて然るべき対応といえるので、今や犯罪者となってしまった私からは文句のつけようないことではあるのは確かなのだが。

 

「一応、規則なので、まずは定型文で聞いておきます。―――なぜこんなことを? 」

 

クーマの問いかけに、私と共に彼へと視線を向けていた三人―――サガ、ダリ、ピエールの視線が私へと集中する。それは無意識の行動だったのだろう。そうして視線をこちらへと向けてきた三人は、一人に責任を押し付けたかのような己の行動にそれぞれ居心地悪さを覚えたらしく、すぐさま視線を逸らしてゆく。だが、クーマはそんな三人の反応を見逃さなかった。続けざまにクーマの真剣な視線が私だけへと投げかけられてくる。クーマという指揮官の目線が向かう先に気付いた衛兵達も従ってだろう、私に鋭い視線を向けてきた。我が身に降り注ぐ圧力はより重いものへと変化してゆく。

 

―――さもあらん

 

三人の態度より己に集中した視線の集中砲火を、けれど私は当然と思った。我らがこのような扱いを受けるようになったのは、ひとえに私が太陽の光を欲して携帯磁軸を使ってほしいと叫んだから―――、すなわち、太陽の光こそがケルベロスの弱点だということを知っていたからなのだから。

 

私を信頼して私の指示に従っただけのギルド『異邦人』の彼らは、確かにケルベロスを倒すために太陽の光が必要であったことは知識として持っているが、ただ持っているだけである。

 

そう。そもそもなぜ『ケルベロスの弱点が太陽の光であるのか』という理由を、彼らは知らない。彼らが知っているのは、私より与えられた『ケルベロスは太陽光が弱点』という知識と、『私より与えられた知識は確かに正しかった』という結果のみである。故に彼らは『どうしてそんなことをした』と聞かれても、『あいつが与えた知識の結果だ』としか答えようがない。だからこそ彼らは、そんな知識の出所である私へと視線を飛ばしてしまったというわけだ。

 

―――そう

 

携帯磁軸を番人部屋という場所で使う羽目になった詳細な事情を知るのは、私だけなのだ。彼らはただ、その場で最も知識を持っているだろう私の言葉を信頼して従っただけにすぎない。そんな彼らになんの非があるというのだろうか。あえて指摘するのであれば、提案された手段を実行した罪、というのにあたるかもしれない。だが、彼らがそうして手を汚すきっかけとなったのは、私の言葉が原因で、そんな私の言葉を実行しなければ、彼らは死んでいたかもしれないのだ。

 

ならばこれは、いわゆる緊急避難の要件―――自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない―――を満たしているといって過言でない。すなわち、こうして閉鎖空間に隔離され、尋問にて責められるべきは、進んで法を破る指示を出した私だけにあるはずなのだ。 

 

―――さて

 

向けられる監視の視線に、私は己の知る真実の情報を言うべきかどうか瞬間だけ悩んだ。好奇心から持ち上げた大きな石の下には大抵自らの行なったそんな行為を後悔するような蚤虱羽虫毒虫が潜んでいるばかりであるように、世の中の大抵の真実は知ったところでろくな結果に終わらないもの。

 

ことさらにこの度の真実は、この平和に見える世界がどのようなろくでなしども―――魔術師たち―――の手を借りて作られたのか、という事と深くかかわっている。加えて、そんなろくでもない奴らの話―――魔術云々の話―――をするにおいては、間違いなくこの私自身のつまらぬ来歴を語らなければならない。

 

―――まぁ、こんなつまらぬ男の身の上話を聞かされる苦労は取り調べの役を負った人間の責務として我慢してもらうとしても、だ

 

出来ることならば彼らには、スキルと似てはいるものの、ブレーキのない車が如き魔術などという技術の存在を知って欲しくなどない。魔術は一般技術化されているスキルとは違い、その出力や効果の多くの点が個人の才能や性格の有無に左右されてしまうものだ。すなわち魔術とは、そのかじ取りのほとんどが個人の良心と倫理観に任されている、社会のシステムに組み込みにくい力なのだ。

 

四半日前に抱いた人類という種族がどれだけ以前より進歩しているのか云々はこの際おいておくとして、この世界樹とスキルを前提にして構築された世界とその上に敷かれている社会システム自体は、人類を守るためのシステムとしてよくできているものである。もちろん個人によってはこまごまとした不満点や異論を持つ者もいるだろう。だが、長い間このエトリアという街に犯罪者というものが出現していないという平和な歴史こそが、このかつての人類社会をベースとして再構築された世界維持システムの優秀さを証明しているといって過言でない。

 

そう。だがしかし、この世界に敷かれているそんな平和な世界を維持していくための社会のシステムというものは、それは例えてみるなら、ゼンマイ仕掛けの機械式精密時計『マリー・アントワネット』のようなものだ。『マリー・アントワネット』は、かつてブレゲという時計職人がフランス王妃マリー・アントワネットに世界最高の精密時計を作るよう依頼され、フランス革命によって依頼者が処刑された後、さらには依頼されたブレゲが死んだ後、彼の弟子たちの手によってようやく完成に至ったという、世界最高峰の機械式精密時計である。

 

時計『マリー・アントワネット』は、独特の自動巻き機構ペルペチュエルをはじめ、「パラシュート」と呼ばれる耐震装置も、時・分・秒の時刻表示も、時・分・秒を内蔵された鐘で打ち鳴らすミニッツリピーター機能も、うるう年にも対応した日付・曜日・月を表示する永久カレンダー機能も、イクエーションという実際の太陽時と時計が表示する時間との差を表示する均時差表示機能も、パワーリザーブという残りの時計稼働時間を表示する機能も、温度計も、独立作動センター秒針というクロノグラフの原型たる機能も、ジャンピングアワーという時刻の時の単位を表示する機構も、つまりは時計として思いつく限りほとんどすべての機能を兼ね備えた、時計の王様と言って差し支えない化物時計だ。

 

そんな一つの時計に求めるに過ぎたる機能を詰め込まれた時計がそれでもまともに動く秘密は、埃と見紛う大きさに過ぎない超緻密なその一つ一つの部品の細部に至るまでが、精密に組み込まれているという点にある。千はあるだろうといわれるそれらの緻密な部品が、しかし髪の毛一本ほどの狂いもなく決まった場所に組み込まれているからこそ、超精密時計『マリー・アントワネット』は正確に歯車で時を刻むことを可能としたのだ。

 

そう。この世界の社会システムは、この『マリー・アントワネット』と同じようなものである。この世界において犯罪者が生まれないのは、人間がそんな犯罪に手を染めなくても済むための社会システムがあるからだ。なかでも世界樹の上に作られた大地とスキルシステムという機構は、そんな社会システムの中で最も大きな歯車たちであるといえるだろう。

 

なぜならこの世界樹の上に作られた大地というやつは、人間の手によって構築された環境であり、また、このスキルというやつは、環境や個人の才能と関係なく使用可能な、つまりは太陽の都合や個人の肉体の大きさに左右されないエネルギーを生むシステムだからだ。

 

生きていくには力がいる。この場合の力とはすなわち、生きていくための周囲の環境を制してエネルギーを獲得する才能だ。かつての時代、人間が犯罪に手を染めずとも生きてゆけるかどうかは、どんな環境に、どんな才能をもって生まれてくるかによって左右された。モーツァルトを超えるピアノの才能をもって生まれようと、アマゾンの奥地に生まれ落ちたのでは意味がない。王侯貴族や世界有数の商家に生まれようが、体やおつむの出来が残念ではそんな恵まれた環境を十全に生かした活躍などできやしない。

 

生まれ落ちた環境に適合している才能をもって生まれてくることが出来るか。かつての世界は、いや、今ですらもなお、それこそが人間の人生の全てを左右してしまう。けれどかつて人間が生まれ落ちてくるそんな環境はたいてい地球と太陽の都合によって左右されていたし、人間個人が生まれ落ちてくる環境に適合した才能を得られるか否かはそれこそ運次第だった。

 

だか、そこへ登場したのが、世界樹の上の大地という人工的に作り上げられた環境と、スキルシステムという個人に一定の才能を与えるシステムだ。太陽風。ミランコビッチ・サイクル。コリオリ力。それらに基づく地球内部のマントルや外殻表皮の移動法則のシステムや、さらにはそんな地球のシステムによって大気や潮流のシステムに至るまで、かつての地球にあったカオスのシステムを完全に把握しきらなければ―――少なくとも、99.99999999999パーセント、イレブンナイン以上を制しなければ、変動する大地である地球の上に新たなる大地なんて作れやしないだろう。

 

すなわち人間は、永遠に不確定要素であるはずの自然環境の法則をほぼ手中に収めたのだ。そしてまた、そんなほぼ完全に制御可能となった環境の上、そんなもはや完全ともいえる環境において、すべての人類が生きていくためにと整えられたのが、スキルという技術である。

 

世界樹の上の大地という制御可能な環境と、人類にそんな環境で生きていく力を与えるスキル。すなわち今のこの時代は、全ての人類に一定以上の環境と才能が与えられるそんな巨大な二つの歯車があるからこそ、犯罪者などというシステムのはみ出し者を生まないですんできたのだ。

 

そんな超精密なシステムへ、よりにもよって個人の良心によってサイズの可変する魔術などというふざけた歯車をぶちこめば、どうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。というよりも、そんな魔術などという時代遅れの技術を持つ私がそんな最新の精密社会システムの中に現れてしまったからこそ、この度の犯罪騒動は起きたのだといえるのではないだろうか。

 

そう。今も昔も、魔術という歯車はかくも人間社会というものにとって騒乱の火種となる。だからこそ私はそんな魔術というものについて語りたくなんてないのだ。

 

とはいえ―――

 

―――もしこのまま口を閉ざしていた場合……

 

けれど私がそんな世界のシステムの都合を考慮して何も語らなかった場合、今まさに拘束の扱いを受けている彼らという個人が受けるべきでない罪により罰せられてしまう可能性が高い。なぜなら、世間からみた彼らは、罪として判定される行動を起こしてしまった存在であるからだ。私の視点からすればそうでないとはいえ、世間からすれば私も彼らも同じ罪人なのである。

 

―――私の行為によって生じた罪が、他人の背にも罪科として課せられる

 

罪なき人が謂われなき罪で裁かれる。しかもそんな彼らに罪人の誹りを与えたのは、ほかでもない自分自身なのだ。そんな事、仮にも正義の味方を目指した存在として、何が何でも許容できる事態ではない。そもそも私は、世界の歯車として稼働することに耐えかねて悲鳴を上げたからこそ、そんな悲鳴を聞き届けた女性の手によって助けられ、この世界に送り込まれたのだ。すなわち今の私は、世界の都合などよりも個人の都合の方を大事にする、とても自分勝手な、しかしとても人間らしい人間なのである。だから―――

 

―――選択肢など、初めからあってないようなもの

 

「わかったよ、クーマ、話そう」

 

そんなただの人間に近づけた私が世界の運営やシステムよりも個人の意思と運命を尊重するという決意をするのは当然といえるだろう。

 

「だが事情は、例の件にも関している」

「――――――いいでしょう」

 

クーマはハンドサインをする。それはおそらく、周囲にいる屈強な八人の兵士たちに部屋の外で待機するような指示だったに違いない。クーマは私の口調と態度から、内容が魔のモノ関連である事を悟ってくれたのだ。だからこそ兵士たちは、その、犯罪者の意見を素直に聞いたかのよう、『指揮官を守りもない状態で対面させろ』、と言うに等しい指示が出た事に驚愕し、戸惑っている。

 

「――――――――――――、承知しました」

 

そうして少しばかり困惑に身を揺らした彼らだが、クーマという指揮官の彼を疑った事実を自戒したかのよう兜の下にある顔を真剣な表情へと変化させると、恭しく礼をクーマに返し、大きな体躯を縮こめて小さな扉をくぐり抜け、礼儀正しく部屋の外へ消えてゆく。

 

「ほぅ……」

 

その様を見て、思いがけずに感心の吐息が漏れた。理不尽を含む命令であるにもかかわらず文句一つ言わずに従うのは、彼らがクーマという男に対しての絶対の信頼を持っているからだろう。また、その後やそれまでの間に彼らが見せていた整然とした身のこなしは、弛まぬ練兵の証である。

 

それはすなわち、クーマと兵士たちはこの平和を形にしたかのような世界においてしかし的確な判断と指示、そして戦闘訓練を重ね、互いの信頼を預け合えるまでの仲になっているという証でもあった。つまり、彼らの間には命令を出す側と出される側に生まれがちな不和というものがない。

 

そんな、本来ならばそうであって当たり前の、しかし実行するとなった場合にはとても難しい関係を彼らは築いている。それはかつての世界でも見られないなかなかお目にかかることの出来ない、何とも珍しい光景だった。

 

「あ―――、っと、すみません。悪いけど君たち、これからここで行う行動や会話、見なかった、聞かなかったってことにしておいてくれませんか?」

 

クーマは八人の衛兵が出て行ったのを確認すると、己も扉の外へと顔を出し、部屋の入り口の両脇を抱える彼らに他言無用の指示を出した。流石に見張りまで退去させることができなかったが故の処置なのか、あるいは、見張りの彼らは事情を知る相手なのかもしれない。ともあれ、そのやり取りは、施薬院の一室の入り口両脇に立つ彼らとクーマの間にも、先の兵士との間にもあった関係性が構築されていることを示唆しているといえるだろう。

 

「「―――ハ!」」

 

彼らから了承の意を含む鎧兜が擦れる金属音が静かな空間に響き、遅れて承知の返答が返ってくる。クーマは満足そうに頷くと、扉を閉めて、わざわざ鍵をかけて―――仮にも犯罪者と呼ばれているものたちと隔離空間を作り上げる愚行をわざわざしてみせると、振り返り、笑って言う。

 

「さて、では、詳しい事情を聞かせてもらいましょうか」

 

それは間違いなく彼から示された信頼の証に違いなく。

 

―――まいったな、これは……

 

だからこそ私は、この男には何一つの偽りのない、しかし退屈な昔話含めた、私の知るすべての事情を聞かせてやろうという気になったのだ。

 

 

月も円弧の頂点を通過し終えた更けの夜。かつての地球より高い場所に作られた大地の森林地帯を切り開いて作られたというエトリアは、かつてタイガと呼ばれた地球の亜寒気候帯よりは冷え込まないし、ステップと呼ばれた草原乾燥気候ほど乾燥していないが、西岸海洋性気候のドイツやイギリス付近よりは温度が低く、大地が高度にあるからだろうか湿度も低く―――、つまりは、夜、とても冷え込む。

 

「―――と、まぁ、私の知る事情としてはこんなところだな。―――、ふぅ……」

 

そんな身も凍えるような寒く乾燥した場所にある街の一角、しかし不思議とそこまで寒さを感じない治療施設の一室において、魔のモノの成り立ちから、言峰綺礼という男のあれこれ、魔術のなんたるかから、果ては自分の事情まで、事実、予測を含めた知る限りの一切合切を話し終えた私は、長く大きく息を吸い込んで、短く大きい息を吐きだした。吐き出した息は白く濁り、寒い部屋の中へと溶けて消えてゆく。

 

―――ああ……

 

病室という清潔さが保たれている場所において吐いた吐息が白く濁るのは、部屋の空気が冷え込んでおり、かつ、湿度が一定以上あるという証拠だ。だが、そんな部屋の中にありながら、不思議と冷たさを感じない。それどころか、全てを話し終えた私は、全身が軽くなった気分を味わっていた。先ほどまでの騒動の間に心の奥底へとたまっていた鬱屈としたものも、今はない。

 

―――肩の荷が下りた気分だ……

 

それはきっと、一人で抱え続けてきた重荷を下ろせたという安堵感がもたらしたものだったのだろう。あるいは、こんな私の口から飛び出す言葉を、しかし真剣な表情で茶々をいれずに最後まで聞いてくれた目の前の彼らという存在があったからこそなのかもしれない。また、あるいは―――

 

―――ようやく、楽になった……

 

満足感。そう呼べる、そうよんで差し支えない暖かい思いが空っぽになったはずの心の中を満たしているからこそ、私はこのエトリアという冷え込む街において、しかし空虚で寒いという感覚と無縁でいられるのだ。

 

「―――事情はわかりました」

 

一方、背負い込んできた荷物を降ろしてかってに楽になった私とは逆に余計な重荷を背負い込んでしまったクーマは、ひどく疲労した様子でしわを寄せた目元を揉みほぐすと―――

 

「―――ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……」

 

なんとかようやく、といった体でその一言を吐き出した。長細く重苦しい吐息は、目の前の存在から語られた荒唐無稽と呼んで差し支えない内容をどうにか理解してやろうと言う気概から生じる思考が、しかし、如何にもこうにも彼の知る常識からすれば内容があまりに非現実的すぎるという状況とぶつかり、衝突し合っていた証拠だろう。

 

すなわち脳みその中に入ってきた頓狂な話を、思考は理解しようと努め、しかし常識は受け入れを拒んでいた。吐き出されてなかなか消えない空気中の白い煙は、相容れぬ両者の激突をしかしどうにか収めて呑みこんでやろうとした脳みそが、熱され、沸騰し、生まれた蒸気が漏れているそんな証にちがいないのだ。

 

「ふぅ……、む……」

 

誘引されたかのよう吐き出された吐息を気にして視線を周囲に移してみれば、そこにはギルド『異邦人』のメンバーの四人の内、戦闘後より深い眠りについている響は別として、残る三人がそれぞれの反応をして見せている。サガは椅子の背に小さな身体を預け、短い金髪生えそろった頭の後ろに両手を回しつつ、話の続きを待つ態度だった。ダリは長身の体を小さく丸く纏めて前かがみに―――つまりは猫背気味の姿勢を取り、左手を股の間から下へとだらしなくぶら下げ、黒髪を持ち上げつつ額に置いた右手の肘を太ももへと預けて目を瞑っている。両足を下品に見えない程度に組んだピエールは、静かに瞑目したまま両手を組み、何とも自然体に見える状態で目と唇を緩ませていた。

 

「あー……」

 

各々の所作から推測するに―――、サガはその関心が今しがた聞かされた私の話よりも、その先のこと―――自分たちの今後の処遇等のことについて向けられているのだろう。起きた結果を悩んだところで仕方がない。そんなことよりも重要なのは、これから俺たちがどうなっていくかだ、と、まぁ、サガの思考はこんなところだろう。

 

「――――――」

 

対して、懊悩の姿勢を取るダリは、おそらく必死の理解を試みているが、しかし話の内容が荒唐無稽すぎて処理が追い付いていない、という状態なのだろう。額にしわを寄せ、添えた手の下で閉じた瞼や目元が痙攣したかのように動いているのは、まさにその証拠と言えた。理屈屋で現実主義一辺倒に見える彼は、しかし何とか目の前の人間の話を信じてやろうと必死になっているのだ。どうもこのダリという男は、見た目や態度のお堅さに反して、ロマンチストで、理想主義的な性質を保有しているらしい。というよりも目の前の現実よりも自分の中にある常識や他人の倫理、良識を信じやすい性質、と言う方が正しいだろうか。

 

理想主義で利他主義に見えるが、その実、現実主義で利己主義なサガと、現実主義で利己主義的に見えるけれど、その実、理想主義で利他主義なダリ。人は一見の態度や見た目でわからないというが、その実例をこうまじまじと見せられると、何とも不思議な気分にさせられる。

 

「~♪」

 

一方、多少見た目やこれまでの印象に反しての態度である二人に対して、ピエールはなんともこれまでの見た目通りであり、これまでの印象通りだった。上向きの三日月に形成さられた口角と、小刻みに揺らす体の様子、応じて揺れる腰まで伸びたウェーブのかかったきめ細やかに艶を放つ金髪と、丸く曲げた柳眉の動きや首の振りからは、喜色の様子しかみてとれない。おそらく、彼の閉じた柳眉の奥にある脳内では、今しがた私が話した過去の物語が何度も反芻されているのだろう。ともすれば鼻歌でも飛び出してきそうなその態度からは、あるいはそのうち装飾をして、寝物語や詩吟の題材にでもするつもりなのかもしれないという気持ちにすらさせられる。いやはやなんとも呑気と言うか、豪胆というか、独特な感性と性格をした、本当に見た目と第一印象通りの男である。

 

「それで―――、君はどんな判断を下すつもりだ? 」

 

彼らの様子と考察を尻目にしていた私は、しかし彼らの応答を待っていると話が進まないと判断し、勝手に話を進め、クーマへと己の罪状を問うてゆく。するとクーマはしばらくの間、瞑目したまま手を、額に、後頭部に、顎に、頬に、せわしなく移しつつ、頭の居場所を定めないまま動かし、つまりは懊悩を隠そうともせずに、深く考え込む様子を見せた。

 

「事情は、確かに伺いました。―――すぅ…………、…………、ふぅぅぅぅぅ……」

 

だが、やがてようやく結論を出す事を決めたようで、言葉と共に一つ大きく頷いて見せると、そのまま再び大きく一息吸って、やがて肺の中が一杯になったのだろう一度停させ、後に大きく息を吐き出した。月明かりに照らされた室内、地面へと白い吐息が落ちて、吸い込まれてゆく。吐息はまるで、結論に達するまでに削ぎ落とされた思考の余分が漏れているかのよう、重苦しいものだった。

 

「また、聞かせていただいた話にあった、伝承に則らねば倒せないという敵の特徴からは、あなたが違反をしてでも携帯磁軸を用いて敵を地上へと送らねば倒せなかったと判断した理由も理解できます」

 

やがて吐息の行方が完全に不明となった頃、彼は静かに首を振ると、瞼を開けて視線をこちらへと向けてくる。瞳の位置は固定されて動いておらず、迷いを断ち切ったのだろう様子がうかがえた。

 

「エミヤという男がくだらない嘘をつくような人間でないことは、これまでの貴方とのやり取りから承知しているつもりです。また、『彼らが連れてきたという犬型の魔物は、太陽の光を浴びて悶え苦しんでいたようだった』、という衛兵や周辺冒険者たちの報告も加味して考えるに、少なくともこの度の番人戦については間違いなく真実なのでしょう」

 

クーマはそうして一息置くと、そのまま―――、

 

「―――ですが、何があろうと、『多くの人の前で重大な規約違反を行った』というこの事実は、どうあがいても、覆す事が出来ませんし、見過ごす訳にはいきません」

 

息を吐き出すとともに言葉を続ける。なるほど、彼の言い分は一々最もだ。なんと言い繕おうと、違反は違反。日常に起こる多少の気の弛みやそれによって発生するイザコザ―――小さな口喧嘩や小突き合いの応酬などを見逃す程度の法の拡大解釈は、日常を楽しく生きるための清涼剤として許容されるべきだろう。かといって街に敷かれている法やそこに住む人達の間の常識を無視するかのよう重大と呼ばれる不法を犯した存在を放置しておけば、その先にあるのが荒廃した世の中―――自滅という事態に繋がっていることはこれまでの歴史が何度も証明済みだ。

 

「迷宮の多少の破損程度なら目を瞑ることも出来たし、言い繕うことも出来たでしょうが―――、携帯磁軸装置を用いての転移は、しかも、完全に戦闘の態勢にあるあなた達と番人とを転移するという事態は、どうあがこうと意識的にしなければ出来ない所業です。その結果の目撃者も多数存在しています。可能性は低いと思いますが、この案件を放置すれば、いつか、同様の掟破りによって、地上の衛兵や冒険者達に被害が出るかも知れません。あるいは、街の住人にまで被害が及ぶかも知れない。私はなんとしてでもそれを避けねばなりません」

 

人類を守るためのシステムがあり、システムを運営する上で最低限守るべき法があり、良心を持った人々がそれを遵守する。だからこそ、そんな場所に住む人々は緩い縛りの中で安寧の時を謳歌できるのだ。かつての世にはついぞ存在し得なかった平和という絵空事に過ぎぬ空想を求め、生前は正義の味方を目指すものとして、死後は英霊として人間の自滅を防ぐために戦場を駆け抜けた私は、クーマという男の判断を間違っていないと考える。

 

「……ですから、エミヤさん。と、異邦人の皆さん。申し訳ありませんが、私はあなた達を―――」

 

さて、そこで私だけの名だけでなく、異邦人の彼らをも巻き込んで宣言したクーマは、次の言葉を発する前に歯を噛み締めて、口は固く結んだ。私の罪に巻き込まれた『異邦人』の彼らはたまったものではないだろうが、そうして彼が私たちをひとまとめにしたのは、罪科の責任を分散させる事により、私の罪を―――罪悪感を少しでも軽くできるとそう思ったからなのだろう。そんな不確定な推測にすぎない考えを、しかし多分は間違っていないだろうと思わせるだけの苦悩が、クーマの額と言葉の端々の様子に深く刻みこまれていた。

 

「し―――……、あ、いや……」

 

そして少しばかりモゴモゴと唇を動かした後、意を決したかのよう一度瞼を強く閉じると、勢いよく目を開き、改めて口を開いた。

 

「つ、追放しなくてはなりません」

 

今しがた発せられた追放という言葉を発する際の口籠もりと、その直前、「い」に属する言葉を発しかけた口の縦横の動きから察するに、おそらく本来彼は、処断とか、処分とか、処刑とかの、こちらの命を奪う言葉を発しようとしていたのだろう。

 

おそらくクーマの理性は、私―――否、今や我らの罪科となってしまったそれをエトリアの法に照らし合わせた場合、罪人の命の摘み取りが最も適当な罰であると無意識のうちに弾き出した。だがその理性が言葉となりて世に生まれ、もはや後戻り出来なくなる寸前で、彼は感情の力を使って、それを腹の中に収め、直前で己の結論を無理矢理変換したのだ。

 

「―――」

 

しかしそれでも、追放という日頃は正式な用途で使用する機会のないだろう言葉を発するのはよほど重圧だったらしい。まっすぐ目線を向けてくる彼は固く口を閉ざし、胸の裡の真意を決して語ろうとしない。だが、歯を強く噛み合わせて目線を泳がさぬようあえて強固にこちらを見つめてくるそんな態度には、為政者として初めての判断を下す故のだろう戸惑いと、知り合いを裁かねばならぬ苦渋。そしてしかし、街を守るものとして情に逃げることは出来ないという確固たる決意が手に取るように伝わってくるかのような雰囲気があった。その態度はだからこそ、追放の宣告が彼の本心から生じた発言でないとこちらに悟らせる。

 

「―――、そうか」

 

私はそんな自らの望まぬ判断を下さねばならぬ彼のことをひどく不憫に思った。同時に、彼に対し罪悪感を抱く。今の態度から彼が本来ならそのような判断を下したくないのだということは十分すぎるほどに読み取れた。また、そうして結論を下したにもかかわらず苦悩の表情を隠そうとし続ける彼の態度からは、理想と現実の、個人の想いと街の守護者としての立場を天秤にのせて出した結論との差異に対してどうにか折り合いをつけようと必至に悩んでいることも読み取れる。

 

そう。きっとクーマは、私の語った内容が真実と理解した。そして彼は、私たちが違反せざるを得なかった理由も納得している。けれどそうして彼が理解し、納得出来ているのは、彼が魔のモノという存在や旧世界の事情についての知識と理解があるからだ。

 

かつて凜の手紙にあったように、この世界は旧世界の旧人類たちが敷いたシステムの上に乗っかっている。私たちのこれまでの冒険や今回の違反はそんなシステムを守るための過程として発生したモノだった。すなわち私たちの違反は世界を守るための必要経費と言えるものである。けれどだからと言って、私たちの罪の理由を語るのに、旧世界の事情や魔のモノというこれまで隠し通してきた存在を持ち出すわけにはいかない。

 

この世界のシステムは、多くの人が旧時代の遺物や魔のモノといった存在と無縁であるからこそ、きちんと稼働し続けていられるのだ。そんなシステムを守るための法があり、法を守るための番人があり、そうして超えるべきでない分水嶺を超えていないからこそ、この世界の平穏は保たれている。多くの人間が無知であり、一部の人間が必死になっている彼らの禁断の知恵の果実に行かぬよう努めているからこそ、楽園は平穏を保てているのだ。

 

そしてまた、だからこそそんな法の番人の一人であるクーマを、こうも苦しませる。彼は法が他人を害するようならば、システムに影響しない範囲での多少のお目溢しはしても構わないだろうと考え、そして実際に問題ないようならば、迷わず実行する、そんな人道家だ。

 

罪を裁く際、裁きの天秤の秤は、法によって定められた罪科という重しと、罪人が犯した罪という重しが釣り合うよう調整されるもの。だがクーマは、罪を量る秤の上に悪意という錘が乗っていなければ、天秤の秤から罪科の重しを取り除き、罪科を無しにしてしまって構わないと考えるような人間なのだ。

 

すなわち彼の裁きの天秤は、常に情を酌みとってその罪科を量るよう出来ている。そんな彼の法の番人としては失格な情状酌量の判断に、しかしきっと多くの人が救われてきたのだろう。だからこそ彼はあれだけ多くの人間から慕われているのだ。

 

しかしそんなクーマは今、そんな事情を知らない多数の人々の平穏を砕かないため、少数の真実知る人間を葬り去る判決を下した。誰かを思いやっての行動が出来る真面目な彼は、だからこそ本当のところは間違ったことをしていない私たちを罰せざるを得ないという矛盾的な状況に苦しんでいる。加えておそらく、我らという新迷宮の謎を解明するに最も適当と思われる人材をここで失ってしまうという事態が、彼をさらに苦悩させる火種となっているのだろう。

 

平和を保つための止むを得ない犠牲。そんな法治主義の理想と現実の間に生じる摩擦と、そんな摩擦を解消できそうな人材というものが手元から失せてしまいそうであるという事実が、彼の精神を苛んでいる。苦悩はまさにエトリアを真に守りたいと考えている人間だからこそのものと言えるだろう。

 

「それで、私たちはどこのあたりに追放される予定なのですか?」

 

クーマを懊悩させているものの正体を推測しているとピエールの涼やかな声が割り込んできて、夜の闇を割いて静かな部屋へと響き渡ってゆく。

 

「なるべくなら刺激に満ちた―――ええ、例えば迷宮のような場所であれば嬉しいのですがねぇ……」

 

続く言葉に皆の視線が彼の元へと集中した。集まった熱に反応してだろう、ピエールはそんな部屋中の視線が集まったことに楽師としての本能を刺激されたのか、反射的に楽器を鳴らそうとし、しかし指先が空を切った事からようやく竪琴を取り上げられている事実を思い出したらしく、少しばかり不服そうな顔を浮かべた。だがそうして落胆したピエールはすぐに気を取り直したようで、してやったり、と言わんばかりの微笑みの表情へと顔面を変化させてゆく。

 

「―――そうか……!」

 

途端、クーマの堀の深い顔面の額からは物憂げな印象と影を生むしわが消えた。一文字に結ばれっぱなしだった唇は大きく開かれてゆく。その顔は暗闇に一条の光が差し込んできたのを見つけた人間のそれによく似ていた。

 

「名案でも浮かんだか?」

 

などと言いつつ、私にはクーマがそうして笑顔浮かべる理由を察知できていた。そうして我々に事態打開のアイデアを与えたピエールを見やると、実に平然とした態度を貫いているあれの姿が飛び込んでくる。その誇らしげというよりもむしろ愉しんでいるといわんばかりの表情を見て、直感する。そのアイデアは常に王道、常識から外れたモノを好む彼だからこそ、しかし当たり前のように出てきたものなのだ、と。

 

「ええ……、まぁ、名案と言っても、私にとって―――、ひいては、エトリアとこの世界にとってだけ利のある名案であって、あなた達からすれば死の宣告に等しいものでしかないのですが」

 

投げかけた問いかけの言葉を聞いて意識をこちらへと向けなおした彼は、一回、そうして喜んだことを恥じるかのように目を伏せて視線を切ると、しかし首を振ったのち、まっすぐこちらを見つめてくる。そんな彼の行為からは、自らの頭へと思い浮かんだ案を提するに恥じる想いはあるけれど、そんな個人の羞恥心でエトリアの為になる選択を覆す気はないという決意に満ちていた。

 

「聞かせてもらおうか」

 

それは利己主義の人間からは決して出てこない、誰かのための労を苦としない利他主義じみた人間だからこそできる態度だった。だからこそ私もそんな同類に向けて迷わず問い返す。言ってみればこれは、ただの確認のための言葉だった。

 

「では遠慮なく。―――皆さん。執政院冒険者担当政務官クーマは、貴方達の追放場所を、新迷宮の五層に致したいと思います」

 

こちらの態度から私が自身の意図をすでに察していることを理解したのだろう、クーマは笑みを深めつつ返してくる。ピエールは満足げに頷いた。サガは、「あー、はいはい、そういうこと……」と言って、呆れ顔を浮かべている。唯一反応を見せない響はベッドの上で横になったままだった。

 

「―――いや、それは罰になるのか?」

 

さなか、ダリが疑問の言葉を返すため、口を開いてゆく。

 

「罰というは、本人に厚生の機会を与え、犯した罪の反省を促し、同時に、周囲の人間には、法を破った場合に己の身に降りかかる被害を示し、再発の事態を防ぐ事を目的とするものだろう? ならば、法を破った冒険者を、違反したその場所へ再び送り込むだけの処置を罰則と呼ぶのは無理があるんじゃないか? 」

 

実直と不器用を形にしたかのような男はやはり法というものに対してはどこまでも誠実なようで、クーマの提案の問題点を素直に指摘した。指摘した罰が己を裁くものであるというのに対して一切物怖じせぬその態度はなんとも見事なものである。

 

「ええ、確かに」

 

そんなダリの実直さに感心したのは私だけでなかったらしく、クーマも苦笑しつつ口を開いてゆく。

 

「ただ迷宮に送り込むだけの処置なら追放、ということにはならないでしょう。ですから、こうします。―――まず、四層の番人部屋の五層へと続く階段付近に鉄柵を設置、衛兵に見張らせます。つまり出入りに制限をかけるわけですね。そのうえであなた達にはアリアドネの糸を持たせず、転移装置の携帯を禁じ、その先にあるかもしれない樹海磁軸の使用をも禁じてから、五層に追放します。もし仮に許可なく足を踏み入れた場合は、申し訳ありませんが、即刻、追放より重き厳格たる処置を取らせていただきたいと思います」

「なるほど、新迷宮の五層は未だ解明されぬ、我々が苦戦した四層番人よりも恐ろしい敵が待ち受けているだろう未知なる場所。だからこそそんな危険な場所は犯罪者を収めるためにうってつけの檻として機能する。つまりは―――事実上の死刑宣告か」

「ええ、そう受け取っていただいて間違いありません。ただし―――、設置した柵の向こうであなた達が何をしようが自由です。また、公表はしませんが、柵の地点にまで戻れば食料や水は最低限提供しますし、道具も一部の帰還アイテムを除いて通常の取引を行えるようにしておきます。そしてあなた達が迷宮の奥にて五層を攻略した場合―――すなわち魔のモノへの対処を完了させた場合のみ、報告のため、一時的に磁軸による帰還の制限は無視して構いません。その際には磁軸を使用してもらって結構です。そして報告の後、迷宮攻略の事実が確認できれば、つきましては罪科を減らすことも考慮致しましょう」

「裏取引、というわけか」

「いえいえ。どのようなものにであれ、罪には罰を与えます。ただし、どのようなものにであれ、成果には正当なる報酬が必要です。つまりこれは、いつもの私が冒険者相手にやっているものと何ら変わりのない、正当な取引ですよ」

「なるほど、せっかくの戦力だ。どのみちどこかへと放たねばならぬなら、ついでに敵の心の臓を貫く鉄砲玉に仕立て上げてしまおうというわけか」

「まぁ、早い話がそうなりますねぇ。私としては、撃てば戻ってこない弾丸ではなく、貴方達には、是非、ザミエルのようになってほしいと思っているわけですが」

「よく回る舌だ。それに古いその名をよくもまぁ知っているものだ」

「こう見えて私、エトリアでもお偉いさんで、古代の英雄マニアですから」

 

長い会話は親交のあかしだ。

 

「と言うことは、親玉を倒せば、自らの胸を貫く必要もなく、使い捨てにならずに済むと? 」

 

そんな心温まる会話を交わしていると、ピエールが会話に割り込んで尋ねてくる。

 

「いえ、別に倒さなくとも、魔のモノを封じてくださるだけで構わないのです」

 

クーマは苦笑しつつも頷いた。そうして私の例えに得心の様子を見せる二人とは別に、視界の端でダリとサガが、会話の意味を理解しかねて、首を傾げるのが見えた。そうして彼らは小声で何かを話し合う。

 

「―――おい、ザミエルってなんだよ」

「知るか。先ほどの会話から察するに多分は昔の英雄の名前なんだろう」

 

さて何が彼らに秘密の囁きをしようと言うきっかけを生んだのかと聞き耳を立てると、どうやら鉄砲玉、ザミエル、と言う例えの意味がわからなかったらしい。なるほど、そういえば銃という概念はこの世界では珍しく、また、遠き過去の物語を知る者も少ないのだ、ということを今更ながらに思い出す。

 

おそらくその概念に纏わる人物の逸話と伝承をクーマとピエールが知っているのは、クーマは過去のことを詳細に収集している人物だ彼だからであり、ピエールは吟遊詩人という過去の物語を収集する人物だからであろう。

 

なるほど、本来ならこう言った点にも気遣いながら、日々、徐々に常識の擦り合わせをしていくべきだったのだ、と、文化の差異と擦り合わせる事に鈍感かつ無頓着であった己の醜態に気付き、軽く苦笑する。

 

いやはや、迷宮を攻略し、死病を無くすために宿と施薬院と執政院、道具屋と迷宮の五つを往来するだけの日々を過ごした代償とはいえ、こうも世間知らずの状態に陥っている事に今更気付かされるとは思わなんだ。かつては魔術を使えぬ人間はご同類でないと見下して隠遁と隔絶の生活を基本とした傲慢な魔術師を笑えもしない。ケルベロスを倒した直後によみがえった人間不信の態度と言い、我ながらなんとも大した偏屈な世捨て人っぷりである。

 

「―――それで、如何でしょうか? 」

 

クーマはその強制追放であるはずの辞令を、しかしそれがまるでこちらに選択権の残された提案であるかのように問うてくる。いやきっと、真実彼は、こちらの意思を確かめようとしているのだ。おそらく、ここで否と返答すれば彼は先ほど下した辞令を撤回し、単なるエトリア外への追放令にその命令内容を変更するつもりなのだろう。

 

そうして私たちを追放したのちに戦力や機会を失った彼は、しかし私たちを恨むことなく、自らの信じる者たちと力を合わせて魔のモノに立ち向かってゆくつもりなのだ。そこで、クーマという人間が門番などの衛兵たちの間で好かれている理由が完全に理解できた気がした。

 

彼のその夢見がちな性質は間違いなく今の立場には向いていないものである。そうとも。一人分たりとて誰かの想いや気持ちを切り捨てることを良しとしない彼は、可能な限り少数の犠牲で可能な限り最大の利益を得るために戦略を練る必要のある位の高い役職に向いていない。

 

彼は机上にて最大の人間を救うために最小の人間を切り捨てる判断を机上にてあっさりと下す司令官ではなく、目の前にいる全てを救うために思考し、行動し、対応してやろうと苦慮する、どちらかといえば現場の下士官に向いているタイプなのだ。

 

彼はそういうどこまでも非常に徹しきれない人間で、どうにかして目の前にいる人間の事情を汲み取って、出来る限り全ての人に助力や救済の手を差し伸べてやろうとする人間なのだ。そんな誰かさんに言わせれば甘っちょろいだろうそんな態度の彼はしかしだからこそ、全ての困っている人に手を差し伸べる正義の味方というものを目指した私の目には非常に好ましく見えていた。

 

だが。

 

「ダリの言った通り、ルールを破った罪にしては罰の方向性が少々ずれている気がするが、本当に、それで君はいいんだな? 万が一の事が起きた際、その責任を取る覚悟があるのだな? 」

 

仮にも住人の生命や財産を脅かす行動をとった罪人に対する罪に対する罰としては、再犯防止のための思考の矯正や行動の制限といった処置を含まない帰還の条件が、やはり少々的を外れている罰則で、エトリアの秩序と平和を保つためには緩すぎる。もちろんやるつもりはないが、もしも万が一私たちがこの度と同様に不慮の事態に法を破ってしまったならば、それは確実に彼の責任となる。

 

そうして発生するだろう罪は、今度こそ、そんなつもりはなかった、こんなはずじゃなかったという無責任な言葉で終わらせることの出来る問題ではない。万が一の際には辞任どころか死罪になるかもしれない。その覚悟があるのか、と。私が常識に則った抗議の意思をこめて呈した疑問に、彼はにこりと笑って迷わず返答する。

 

「ええ、勿論です」

 

短くも断固とした不退転を示す言葉は、為政者が法を破る態度にしてはあまりに勢いが良すぎていた。そんな彼の態度や言葉はもはや、その決断が決意というものによってなされたというよりは、彼が抱えてきた信念や生き様によってなされたものだという事をこちらに悟らせる。思わずまじまじと見つめてしまう。だってその不断の態度は、まるでかつて正義の味方になるんだと意気込んでいたころの自分であるかのようだったからだ。

 

「―――昔のことです」

 

彼はそして、私が視線に込めていた意思を読み取ったのだろう苦笑いを浮かべると、ため息を一つ吐いて独白を始める。

 

「かつて私の前任者は長きにわたって、いわゆるヴィズル式で冒険者たちのまとめ役の職務を執行しておりました。つまりは法を犯した人間はいかなる理由があろうと処断する。簡単に言ってしまえば、法を人の上に置く主義の人間でした。……あまり詳しくはお話しできませんが、当時、エトリアの住人であった私の両親は、そうして情を挟まない、一切の情状酌量をしない彼の判断により、二人ともに亡くなりました」

 

両親の死を語る彼の口調は淡々としていて、だからこそそれは努めて秘めたる感情が露わにならぬようしているのだという事が理解できてしまう。そんな態度はつまり―――、彼は、この世界の人間にしては珍しく、己の過去に起きた出来事に対して負の感情を抱き続けている人間だという事を示していた。

 

しかし、かつて響達の言っていた言葉を思い返すに、彼は同時にその出来事に対して好意的な感情を抱いているという事にもなる。法治主義の判決の結果が両親の死をもたらしたという事実のいったいどこにそんな好意的な感情を抱く余地があるというのだろうか。

 

「それで、その事が気に食わず、意趣返しのために今回の判断を? 」

 

はしたなくも興味がむくりと湧いた私は、思わず意地悪く聞き返す。

 

「―――、ああ、ええと、すみません。今の言い方ですと、法を守った前任者を乏していたり、私の両親が禁忌とされる何かを犯した結果、死んでしまったかのように聞こえましたかね?」

 

向けられた言葉にクーマは戸惑いつつも、私の疑問に答えてゆく。

 

「―――いえ、違います。両親は確かに法を優先にしたがゆえに間に合わず死んでしまいました。ですが、こう言っては薄情に聞こえるかもしれませんが、私は別にだからといって彼のことを嫌っていたり、その判断を間違っていたなどとは思っていません。まぁ、両親の死についてはもちろん残念だったとは思っていますし、もっとやりようがあったのではないかと恨めしく思う気持ちがないといえば嘘になりますが……」

「――――――」

 

予想外の返事に戸惑う。少し拍子抜けした気分をも味わった。

 

「ええ、ですが、やはりあの時の彼が下した判断が間違っていたと、私は思っていません。ただ、法をきちんと遵守した結果、私の両親が死んだという、それだけのことなのです。前任者は、法を至上とすることでエトリアと街の人々を守ろうとし、しかし完全な守護を達成する事は叶いませんでした。彼はそのことで悩んでいました。そして、己の抱えているそんな悩みが日々消えていってしまう事実にもまた、悩んでいました」

 

彼は虚空を見つめて目を細めた。そうして過ぎ去りし昔の時を思い出す彼の瞳には、過去の出来事を愛おしく懐かしむ念だけが秘められていて。クーマがその両親の死の原因となった前任者に対して、負の感情を抱くどころか敬意を抱いている事を私に理解させてゆく。

 

「日を跨いだ際には消えてしまうそんな後悔と反省の思いをしかしなんとかもちこそうとその日の心情と進捗を日記に毎日つけて、読み返し。そんなことをして繰り返す彼の姿は、まるで幽鬼のようでした。どうにか街を今より良くしようとする彼は本当に必死で、法と職務に忠実で、またエトリアという街を愛した男でした。そんな彼の姿を見てきた私が、どうして彼のことを憎いと思えるものですか。誰がいい悪いとかでなく、ただ、誰もが正しくあろうとした結果、不幸な事が起こったというだけの話なのです。そして私はだからこそ完全を目指すことを止めて―――少しだけやり方を変えることにしたのです」

 

彼は瞑目すると、我らの方へと背を向けて、入り口扉の上に頭を向ける。彼の言葉を遮るものは誰一人としていなかった。思想の変遷に対して余計を挟まない思慮分別を持ち合わせた者達の思いやりが、今や監獄と化している白き部屋を柔和さで満たして、居心地の良い空間へと変遷させているのだ。

 

「およそ完全とは程遠い人間が変化を当然とする世界で生きてゆく以上、心に、体に、傷を負うことは避けては通れません。掌に掬った水はどれだけきつく力を込めようが、やがて指の隙間より幾分か溢れて落ちゆく定めにあるように、どれだけ正しくあろうと人を締め付けても、過ちは思わぬところから起こってしまうものなのです。しかもそんな事態の大抵の場合は、当事者たちが良かれと思って起こした行動の結果だったり、あるいはまともな手段では当事者たちにとって手遅れだったりする事情が絡んでいたりするのです」

 

今のあなた達のようにね、と彼は笑う。私はその寂寞を含んだその笑みに、同病者を憐れむ感情のようなものを見つけた。ならばきっと、この独白は我らに対する説得でなく、彼自身が懊悩する己を納得させるための羅列なのだ。

 

そう。彼は今、私たちの事情の中に過去の己の無力の嘆きと同じものを見つけ、そんな我らを救うことによって過去の己をも救おうとしているのだ。だからこそ彼は過去の辛いはずの記憶を語ることをしかし止めようとせず、必死になって我らを救うための正当なる理由と理屈を見つけ、個人と為政者の立場の間に手迷う己が納得いくような結論を得ようとして、言葉を重ねている。

 

故に私は何も言わない、答えない。悟りの境地に至るのに他人の言葉は無用のものだからだ。

 

「そんな、本人たちの意思に関係なく起こってしまった出来事を、悪意なんて介在しない出来事をわざわざ裁くなんて、馬鹿らしいじゃないですか。だって、この世界においては、心身共に早々大抵のことは取り返しがつくのです。例えば肉体が損失するような怪我だって、ハイラガードに存在する高度な医療施設を利用したり、あるいは、アーモロードに多く住まうアンドロという彼らの手を借りることができれば、今まで以上の力を持った機械の肉体を手に入れることもできます。心的な傷だって、意識しなければ基本的にはその日のうちに消えてしまうのです。そう、ですから、大抵の出来事は、この世界においては、完全でないけれど、完全といえるほど取り返しのつく事なのです。そんな、取り返しのつく事にいちいち目くじらを立てて、街を守るためとはいえ、雁字搦めに他者の定めた理屈を強要して誰かを不幸にするというのは、いかにも真面目過ぎて、愚かしくて、好ましくない」

 

長くて紡がれた言葉には、今までで一番の力強さがあった。きっとそれは、それこそが彼の本心からの思いであるからなのだろう。

 

彼は他者の定めた法によって、両親を失った。今の話の内容から察するに、その前任者が法に基づいて下した判断はたしかに正しくて、また、彼の両親は法を破るか、法の庇護を受けられない立場に置かれてしまっていた。結果、彼はエトリアに敷かれている法によって両親を失うこととなってしまったのだ

 

彼はそれを街と街に住む人を守るための正義が執行された結果であると理解している。けれどしかし、理解しているからと言ってそれに納得しているわけではない。そんな理外の事態に弱い普遍の正義を信奉しすぎる事によって生じる被害を。そんな被害を受けた犠牲者となってしまった両親を持つ彼は、だからこそ、そんな理想と現実の間に生じる摩擦の結果を嫌っている。

 

だからこそ彼は、多少の横紙破りを許容し、可能な限りそんな摩擦によって生まれてくる被害者を出来る限り拾い上げようとする人間になったのだろう。

 

「―――、ん、んんッ、失礼しました」

 

クーマの独白から彼という人物の背景と性格を推し量っていると、彼はようやく己の話が本筋から脱線して、己が下した判断に対する言い訳になっている現状に気がついらしい。いつの間にか湧き出てきていた想いを発散させてやるためだろう、顔を赤らめた彼は二度ほど大きくわざとらしく咳払いをした。

 

「ええと、何のお話だったのか……、ああそうです。罰が本来の意図とずれているかもという話でしたね。―――、ええ、構いません。別に構わないのですよ」

 

そうして襟首を正した彼は、場を仕切り直してゆく。

 

「それはなぜ? 」

 

今度こそ脱線せぬように、疑問にて話しを継いでやると、意図を汲み取ったのか、彼は赤面を誰もが好ましいと思うような微笑みに塗り替えて、続けた。

 

「……、エミヤ。我々は森羅万象と共存し生きる人間なのです。自然と、誰かと、共に生きることを決めた私たちは、そして自然のエネルギーというものをある程度自己生産する事が可能となった私たちは、しかしそれでもそんな自然の余剰で生かされているに過ぎないのです。そんな誰もが気付かぬうちに誰かに生かされているような状態なのですから、時には思いもがけない過ちだって起こして、誰かを傷つけてしまう事だってあるでしょう。人間が傷によって負の感情を溜め込んでしまうようになるのは、それが取り返しのつかない傷だからです。しかし、だからといって、今の時代に元通りにならない傷なんてものは殆どない。大概の傷はスキルや薬で治せます。あるいは、機械化という手段だってある。だから余計なものを溜め込まないし、そしてまた、魔のモノという慮外の存在によってではありますが、この世界の人間の多くは負の感情を溜め込めない特性を持つ。この世界に住む全ての人にとって―――もちろん個人の感性や街の文化によって行動や物品に多少の価値の差異と大小こそありますが―――、起きた出来事によって生じた損失を補填できないような代替不可能は、命以外に、ほとんどないのです」

 

「―――だから、法を犯したとして、その行為が悪意や害意のうちに行われたものでないのならば、等しく厚生の機会を与え、反省を促し、損失したエネルギーによって崩れた天秤の釣り合いを、別の代価にて補填させる事によって、その罪を赦すべきである、と?」

 

罪には罰を。しかして、取り返しのつかないことが少ないこの世界、咎人がその事実を大いに大いに反省し、その後、犯した罪に見合うだけの功を積み上げたのなら、その時は彼らを赦して受け入れるべしというのが、彼の信ずる正義のあり方というわけだ。

 

「はい。ですから、携帯磁軸装置を利用して無許可で魔物ごとと転移したというのは確かに意図的に行われた重罪ではありますが、とはいえそうせざるを得ないだけの事情がありました。それは貴方たちが意図して生まれてきた傷では―――罪ではありません。ですから私は、同じくらいの功労でかき消すことの出来るものでもあると私は判断しました。幸いな事に取り返しのつかない犠牲も出ていません。であれば、貴方がたが、もし追放された先で、魔のモノの拡大、すなわち赤死病の拡大という問題を解決し、迷宮で謎とされているものを解明してくださるなら、間違いなくエトリアの住人は貴方がたを再び受け入れるでしょう。―――いや、まぁ、魔のモノ云々の真実の部分をもちろん隠してのことですから、一定の不自由さや鬱陶しさは生まれるかもしれないのですが」

 

なるほど、財と資本に基づく威信社会というよりは、原始的な豊かさを前提とベースにした世界。だからこそ、あらゆる行動は平等の天秤の重りとして釣り合う価値を持ち、此度の場合だと、生存を脅かした罪は、生存を脅かしているものを排除する事で、功罪の等価交換が成立するという事か。

 

「―――改めて、いかがでしょうか」

 

そうして司法取引を持ちかけてくる彼の顔を見つめる。真剣を態度には私がどう答えようと、己の信念は曲げぬし、なんという返答であろうと恨まぬという清々しさがあった。

 

その清涼の心意気に愉快の念を感じてさらに踏み込んでその瞳を見つめると、しかしその長閑な瞳の奥に多少の暗い寒星の如きものが混じっていることに気が付ける。それはかつてこの世界にくる以前、その感情を己の身に宿し続けていた私だからこそ気が付けるほど小さなものだった。

 

その感情の名前は憎悪と執着と後悔だ。多分、それは前任者を憎まないという彼の、憎みたくないという想いや願いと、しかしそれでもそのせいで両親を失ったことを憎みたくなる気持ちの激突によって生まれたものなのだろう。

 

憎悪の感情は、彼が必死に抱え込んでいる前任者に対する鬱屈としたものより生じたもので、執着はしかし彼の責任ではないと理解しているが故に生まれた続けている。後悔はおそらく、そんなときに何もできなかった自分と、そんな感情を今も抱き続けている、御しきれぬ己に対する怒りより生じたものに違いない。

 

かつての世で多くの人の原動力となった負の感情は、やはりこの負の感情の貯蓄が難しい世界においても、小さな量でも人を大きく動かし頑固にする特性であるようだ。 

 

そうして清濁合わさった、しかし矛盾した必死の想いを抱え続けた結果こそが、彼の頑なさの源なのだろう。私は納得した。ならばもはや、これ以上の詮索は野暮というものであり、その必死から導き出された彼の提案に答えぬは無粋と無情が過ぎるというものだ。私の天秤はもはや彼の提案を受ける方に傾いていた。

 

「クーマ」

 

だが、ただ一つだけあった気がかりなことが私の口から承諾以外の言葉を飛び出させてゆく。とはいえそれは―――

 

「もし仮に、私が断ったのならば、君はどうするのかね? 」

 

ただの、確認行為だ。

 

「―――べつに、どうもしませんよ。残念だなと思いながら、あなた方をエトリアから追放するだけです。その場合、おそらく二度と会う事は叶わないでしょう……」

 

もはや答えなんて知っているその問いに対して、クーマはこともなさげに答えを返し、そして寂しげに言った。

 

「魔のモノを封じる必要があるのだろう?」

「ええ。ですが、だからと言って嫌だという人に無理を強いてまでやっていただこうとは思いません。無理強いはそれこそ取り返しのつかない傷を生みますから」

 

やはり彼は為政者の長たるに向かぬ性格だ。彼のその甘きところはいつか彼に後悔の事態を招きかねない。余計なお世話とはわかっていながらも、私は犠牲に対して甘い見通しを持つ彼の性分に対して、ついつい口を出してしまう。

 

「なぜだ? それをせねば、人が多く死ぬのだろう? 解決を望める人材がいるのであれば、多少強引にでも実効を要するのが正しい判断だと思うが」

「ええ。ですが、だからといって相手の意思を尊重せずに無理を強いて死地に追いやるというのなら、そんなもの、魔のモノや赤死病の残酷さと何一つ変わらないじゃないですか」

「その果てにあるのが滅びであっても、君たちは受け入れるというのか? 否、君は、君だけの判断で、エトリアという土地が滅びゆくのを良しとしようと考えているのか?」

「いえ、もちろん、そんなことは考えていませんよ。断られた場合は、私たちが直接足を運んで、封印の作業に取り掛かるまでです。もちろん、我々はあなたやあなた方よりも力がありませんから、いきなりの成功の確率は低いでしょうし、そもそも成功する可能性があるかもわかりません。ですがだからといって諦めるという選択肢は私たちにはありません。とはいえ迷宮の特性上、人海戦術はかないませんから戦力の逐次投入する愚を繰り返すこととなるでしょう。ですが、まぁ、潜入と撤退を繰り返して情報を集めるうちに、そのうち成功することを信じて動き続けるしかないでしょう」

「もう一度聞く。多くの犠牲が出るかもという愚行に頼らなければならぬを自覚していながら、なぜそれを覆せるを可能性の高い存在を知っているのに、そんな奴らに無理矢理命令しての解決を図ろうとしない」

「もう一度同じことを言います。強いるのでは意味がないからです。大義とか使命とか、そういう他人の事情を理由にして履行される行動は、成功するにしろ、失敗するにしろ、結果を与える側にも、与えられる側にも、言い訳の余地を残します。それに自発的ならざる行動は、それこそ傷に等しいもの。だからダメなのです」

「それは強者の理屈だ。そもそも大抵の人は自発的になんて行動していない。人間というものは結局、目の前で起きた事態が自己の世界に影響を及ぼすと判断するからこそ、動くもの。すなわち、人間は痛みを避けるために、多発的に行動する生き物だ。自発的に行動できる強いなんて人間、めったにいない」

「ええ、かもしれません。ですが、この世界では、望めば、誰もが強者足り得るのです。そこに至る苦痛の大半はその日のうちに消滅する。己の世界を変えたいと貪欲に願い、至誠に力を尽くせば、誰だって好きなように生き、やがて満足のうちに死んでゆける―――、今の人間はそんな生き物なのです。エミヤさん。貴方、誰か知り合いにそんな人がいた覚えはありませんか?」

「―――」

 

クーマの言葉に、つい最近、かつて自分勝手に生きた結果として、我らを守り、死んでいった男のことを思い出す。彼は様々なものを抱えながら邁進し、そして笑いながら死んでいった。もし果てにあるのが避け得ぬ死の未来だとしても、あるいは彼らもそのように満足の感情のうちに冥府へと旅立てるのだろうか。

 

―――ふむ、なかなか口の回る

 

人間の在り方に明確な回答なんてものはない。一人一人の異なる考えがある意味で絶対の正解である以上、互いが納得し合えたその時がこの異なる意見同士をぶつけ合う会話の―――互いの人格と意思を確認するそんな作業の終わり時だ。

 

彼の人格と意思はこれまでの会話から十分に確認できている。他者の事情を汲み、己の正義を押し付ける事なく、自らの手の内を完全に晒したうえで不利とも思える交渉に臨む高潔な態度は、人として尊敬出来るものと言えるだろう。

 

―――だが、危ういな

 

だが、そうして誰かの疑問の言葉に対して恐れずに否の言葉を返せる彼は、間違いなく強者と呼ばれる側の人間だ。信念の絶対の強固さは、もはや信仰といっても過言でない。環境と才能に恵まれていた彼は、己の学習と経験からか、頑ななまでに己の出した答えは他者にも広く適応できる正義であると信じている。彼は人間というものの弱さを、環境にも才能にも恵まれなかった弱い人間がどれほどまでに利己的であるかを、心の底から理解していない。だからこそ―――

 

―――これは断れんな

 

放っておくことなど、出来そうにない。いうなれば彼は、遠坂凜なのだ。人がいいのはわかった。彼が判断した理由も解した。目の前にいる彼は、私らが提案を拒否した場合、間違いなく、先の宣言通りの事を実行する。そして強い彼とそんな彼の仲間たちは犠牲を厭うことなくやり遂げるか、あるいは、失敗するだろう。そして失敗した場合、間違いなく多くの人間が彼のこと、彼の判断をなじるだろう。そして彼はそんな他人からの指摘を拒否せず受け入れ、体が砕ける最後のその時まで歯を食いしばって自らに課した責務をやり遂げようとし続ける。

 

だが、彼が押し寄せる痛みに耐えながら必死でやり遂げようとする様を見て、『よし、協力してやろう』と考えられる余裕のある人間はごく少数のはずだ。あるいは失敗して仲間を失ったその時、彼の周りには一人として存在していないかもしれない。余裕のない弱い人間は非常に攻撃的で、しかしいつだってそんな弱い攻撃の矛先を当てられる存在を探している。太古の昔から大半以上の人間はそういう、愚かで、醜く、利己主義で他人のことをどうでもよく思っている日和見主義者だ。

 

すなわち、人類という種族が野生の時代から連綿と受け継いできたそんな呪いは未だに解かれていない。そのことを私は、つい四半日前に嫌というほど思い知らされてしまった。そんな呪われた種族を、しかしそんな呪われた種族から生まれおちたはずの彼は信じている。否、信じたいと思い、結果でそれを示そうとしている。そうして彼らを助けることこそが、自分の救いであるとどこまでも信じ込んでいる。そんな頑迷なまでの精神の在り方はまた、遠坂凜という彼女だけでなく、彼女の伴侶となった衛宮士郎という男にもよく似ていて―――

 

「私は構わないが―――」

 

だからこそなおさら放っておくことなど不可能だった。言って、ギルド『異邦人』のメンバーの方を向き、無言で彼らの意思を問う。だってそもそもこれは、私の無茶な提案に素直に従ってくれたが所以の追放令だ。確かに私という存在の暴走を止められなかった点は罪に値する部分もあるかも知れない。けれどだからといって、そんな私に付き合い、この世界おいて唯一代償の効かない命というものを投げ出すような真似をする必要はない―――

 

「もちろん俺も、いくぜ! 」

「それが罰というなら、粛々とこなすだけのことだ」

「ま、未知の刺激があるのですから、引くという選択肢はありませんよねぇ」

 

のだが、そうして私に付き合わされただけはずの彼らは、しかしなんの迷いもなく死地への旅路のチケットを受け取って見せた。おそらくそんな軽率にも見える判断裏側には、しかし三者三様の信念や正義に基づいただけの考えがあるのだろう。

 

以前までの私ならその判断を誤った物だと決めつけ、引き止めるために言葉を尽くそうとしたのだろう。だが、今の私はそんな無粋をしようという気にはならなかった。彼らには彼らの意思があって、彼らは己の意思で道を選んだのだ。ならば、そこにケチをつけると言葉は、それこそ彼らの決意を汚す醜悪なものとなる。

 

ただ、三人のそうした迷いの判断にどうにか報いたいと考えた私は、瞼を閉じて、静かに会釈した。一瞬の礼の後、瞼を開けて、再び月とランプの灯火が照りつける室内に視界を戻すと、三人はどこまでも自然体で、私の方を見て、やはりそれぞれ固有の笑みを見せていた。

 

「まったく、揃いも揃って馬鹿ばかりだな」

 

彼らの無言の笑みの中に秘めてきた返礼に、私は私らしくいつもの皮肉げな笑みと言葉を返して―――

 

「―――そして、もちろん私もいきます」

 

そんな私の言葉に遅れて聞こえた声が、我々の視線を部屋の中央に置かれたベッドの上へと移してゆく。やがて部屋にある十の眼が、寝台の上で上半身を起こした少女へと向けられた。

 

「……、しかし、君は―――」

 

ダリがそこまで言って、言葉を詰まらせた。彼の言わんとしていることはわかる。おそらく彼は先程の私と同様、己らの我儘に他者を―――まだ年若い彼女を死地へと付き合わせたくないのだ。しかし今、そんな無垢たる存在である彼女は、しかし自らたちと同じ罪を背負ってしまっており、つまりは同じ犯罪者で、彼女は選択の自由を許された立場にない。また、所詮は同じ穴の狢である自分たちには、彼女に待機を強要できる権利もない。

 

「……」

 

できることなら、平和と言える場所で安穏としていてほしい。だが、そんな事を言える立場でないし、状況でもない。そんな相反する思いがダリの思いを続く言葉ごと取り上げているのだ。 

 

「大丈夫です。私、これでも覚悟できてますし、ご存知の通り、そこそこ強いですから」

「―――そうか」

 

去勢ではないと思われる態度から繰り出された言葉に、彼は黙り込む。ダリの思いやりはしかし、単にそれだけの所作だと、このように力不足を懸念しての口籠もりだと勘違いされてしまうだろうと思えた。いっそ思いの丈をそのまま言うか、あるいは先の戦いのときのように素直に釈明の言葉を吐いてしまえばそんな勘違いもなくなるだろうに、相も変わらずなんとも不器用な男である。

 

―――ま、私が言える台詞ではないか

 

だがそれは、唯の一度も己の真意の理解を求めず、相互理解を諦めて戦場を駆け抜けた結果、処刑された私に言える事でない。内心でそんな自嘲すると私は、戸惑いを見せた彼の代わりに断言した彼女の顔をもう一度だけ覗き込んだ。響という少女の瞳に少しでも戸惑いや躊躇の色があれば、私が代わりに彼女を引き止めてやろうと思ったのだ。

 

「――――――」

 

だが、暗がりの中、月明かりを背に受けつつ、寝起きに体をふらつかせながらも無言を貫く彼女の瞳は、しかし一切揺るがない。周囲のランプの光によってだろう明るく輝くその迷いのない瞳は、ただひたすらに前へと向けられ続けている。それはもはや決死という言葉すら思い起こさせるほどのひたむきさだった。

 

もはや狂気と言って過言ではない決意が、彼女の瞳を爛々と輝かせ続けている。私は一瞬、やはり彼女を引き止めるべきかと考えた。だが、忠告したところで彼女も追放の処置を受けることには変わらないわけであるし、こうして罪を彼女にまで被せてしまった私にどうこう言う資格はないかとも考え、やめた。

 

「―――では、全員の意見は一致ということでよろしいか? 」

 

あるいは口を挟むだけ、彼女のその狂気を刺激し、膨れ上がらせるだけかもしれぬ。故にこの判断は間違っていないのだと己に言い聞かせるように、他の仲間を見渡して、最後の意思確認をした。静かに、しかし確かに彼らが一斉に頷いたのを見届けると、私はクーマの方を向いて告げる。

 

「―――、というわけだ。その話、ありがたく受託させて頂こう」

「承知しました」

 

了承の返事にクーマは安堵のため息を吐くと、少しの時間だけ瞑目したのち、瞼を勢いよく開けて、言う。

 

「では準備が整い次第、早速処置を実行させていただきたいと思います。―――貴方がたの装備の修理修復作業と、その他準備のため、処罰の執行は本日この時より二日後となります。つまり追放の時は、明後日の今頃、準備が出来次第の出立となります。貴方がたの装備品はこちらで預かり、我々で整備を行う予定ですが、修繕におきまして懇意の場所があるようでしたら、おっしゃってくださればそちらに依頼することも考慮いたします。また、水やその他食料はこちらで用意しますし、不足の道具があれば、一部を除いて出来る限りご用意することを約束しましょう。―――ああ、そうだ。衛兵に言ってくだされば、親しい人を呼び寄せることも可能ですが、如何致しましょうか? 」

 

共同体からの追放という、かつての時代であるなら死刑宣告にも等しいそれに似つかわしくない手当ての厚さと親切に、私たちは揃って苦笑すると、それぞれが願望を申し出るため、口を開いてゆく。

 

「いやぁ、とはいっても、今更昔の連中に連絡とってもなぁ……」

「私もここにいる皆以上に親しい人などいませんしねぇ……」

「おいおい、最後になるかもしれないんだぞ? なら、疎遠になっていようが、今は遠くに住む父母にでも手紙を出しておくのが親孝行というもので―――、あ……」

「私は、その……。もう、いませんし……」

「ダリ! この、馬鹿!」

「貴方も本当に変わらないですねぇ……」

 

誰かが馬鹿をやり、監獄であるはずの部屋の中はしかしいつもの騒がしさを取り戻してゆく。

 

「貴方はどうします、エミヤ」

「そうだな、私は……」

 

そんな中、投げかけられた言葉に私は脳裏に一人の人物のことを思い浮かべて、目の前に彼へと要望を言った。やがてその願いが問題なく受け入れられたのを見て、私は重罪の刑を待つ囚人にはとても似つかわしくないような静かな笑みを浮かべて、満足の心地を得る。部屋はしばらくの間、騒々しさに包まれていた。

 

 

クーマが去った後、再び解放されていた扉は閉ざされ、部屋には病人が休む場所に相応しい元の静けさが戻ってくる。初夏を過ぎたこの時期の夜。それは寒さがあたりを支配する時刻である。だが部屋の中は夏風至る初候の雰囲気に満ちていた。

 

「あっち……」

「熱いなら脱げばどうだ、サガ」

「お前……」

「ダリ。貴方もつくづく気遣いの出来ない男ですねぇ」

「……は?」

「ああ、ピエール。いや、今のは別にいい。悪いのは俺だ」

「あぁ、まぁ、あなたがそういうのでしたら」

「?」

 

あたりに観察の視線を這わせてみれば、その服をはためかせたり、あるいは手扇にて体温を下げようと試みている人間が半数以上を占めているのを見つけて、熱気が私のみが感じたものでないことを確信すると、立ち上がる。

 

「エミヤさん? 何を……?」

「何、ちょっと空気の入れ替えを―――、あぁ……」

 

そうして部屋を横断し、換気を兼ねて窓を開けようとして、しかし固く閉ざされたはめ殺しの透明なガラスを見て、私はため息を吐いた。罪人の身分で牢獄の扉を開ける要請をできようもないわけであるし、どうやら部屋に満ちる温度を下げる願いは叶わないようだ。

 

「―――明後日かぁ」

 

部屋の温度に耐えかねてか、少しでも体内の熱を発散しようとしたのか、サガが湿度のこもった重苦しい短い言葉を発した。日時の経過だけを表すその言葉には様々な思いが秘められているのだろう、間延びした言葉が完全に消えさる迄には多少の時間が要されていた。

 

「―――すまない」

 

気付けば私の口から、そんな言葉が飛び出してゆく。

 

「へっ? 」

「私の指示とミスでこんな事態なり、君たちを巻き込んでしまった」

 

慮外から言葉が飛び出したのは、あの時からここに至るまでずっと抱え込んできた思いのせいだった。

 

「―――なんだよ、それ」

 

告げると彼は、途端、不機嫌の態度を露わに抗議の声をあげてくる。謝罪の意思に返ってきた思わぬ反応に、私はたじろいで、窓側に体を仰け反らせた。すると外界との境となるガラスが背にあたる。ガラスはこの世界の住人である彼らと向き合う事から逃げるなと告げるように、私の体をその場に押し留めていた。

 

「―――エミヤ、おまえさ。前から思っていたんだけど、傲慢すぎやしないか?」

 

サガの忌憚のない非難の指摘に驚く。

 

「―――、……なぜ、そう思った 」

「だって、そうじゃなきゃ、肩を並べて一緒に戦った奴に対して、『俺だけの責任だ』なんて謝ったりはしないぞ」

 

そしてサガはその小さな人差し指の先端を向けてきながら続ける。

 

「なんていうかうまく言えないけれど、お前、俺たちと立ち位置っていうか、目線が違いすぎるんだ。多分それは、お前が俺たちよりずっと強くって、過去にいろんな経験してて、んでもって沢山抱え込んできた分、視野が広くなっているってこともあるんだろう。でも、なんていうか、そうして広くを遠くまで見つめられるようになっていて、沢山のことが見えすぎてて、だからこそ足元の奴らのことが―――今の俺たちが見えてない。お前は俺たちと対等のところにいない」

「……いや、……いや、それは、違う。今、私が謝罪したのは、あくまで私の判断でやった行為の結果に君たちを巻き込んでしまったことであって―――」

「ああ、もう、だからそれが違うっていっているんだ! 」

 

サガは苛つきをしたといわんばかりに素手で頭を掻き毟ると、露わとなっている両の手で両足の膝頭をバンバンと叩いて、叫んだ。

 

「その、『巻き込んだ!』、ってのが気に食わねぇんだよ! お前が教えてくれた知識から俺たちが判断した結果、この結末になったのは事実だ! 多分、もう少し時間をかけて戦略を練れば、もっと違った未来があったかもしれねぇ! でも、もうなっちまったんだ! お前がいけるって判断したことに、俺たち全員がのっかって、そんでもってこの結末になった! みんなで選んでお前に賭けて、でもそうやって選んだ結果がこれなんだ! でもこれは、みんなで選んでの結末なんだ! お前だけの責任じゃない! お前はそうやって一人で何でもかんでも抱え込んじまおうとするけど、それは、俺たちの意思とかそういうのをまるきり無視して馬鹿にしているのと同じだっていうことに、なんで気がつかねぇ! 」

「――――――」

 

絶句。私は彼の叫びにようやくサガが何を言おうとしているのかを理解した。なるほど、視点が違う、というのは何とも的を射ている。私は自らが元英霊であり、魔術などという特殊な力を使用できるがゆえに、彼という存在を、彼らという存在をあまりに軽んじて扱っていた。

 

サガは私を肩を並べる相手として見てくれていた。だが、しかし今、私は私自身の告白により、私は彼らのことを、戦友というよりか戦力として数えられるだけの便利な駒として扱っていた事実を思い知らされた。そしてまた、そんな私の思い上がりから発生している認識の齟齬が、サガにとって耐え難かったのだ。

 

「だから視点が高すぎるっていうんだ! 大層な過去を持って馬鹿みたい強いスキルを使えるお前にとっちゃ俺たちは小さな存在かもしれないけど、だからといって、俺たちの失敗まで勝手に抱え込むな! その失敗はお前だけのものじゃない! 俺たちはお前の人生の添え物じゃない! 強いお前が俺らのことを、弱い俺を憐れむのは勝手だけど、だからといって、俺が考えて選択した事実まで勝手に抱え込んで、人生の一部を勝手に奪い取ってもらいたいとは思ってない! 俺から、俺の人生の大事を勝手に奪うな! お前のその謝罪は、俺にとって、お前なんか小さな奴だって馬鹿にされてるようで、ムカつくんだよ! 」

「――――――、私は……」

 

サガの叫びは、おそらく、私がこれまで正義の味方として活動し、勝手に救済を与えてきたかつての世界の人達の、そしてこの世界の人たちの代弁だったに違いない。小さな彼が身を必死に震わせて吐き出すその糾弾は、思い上がり増長していた私の体と心をどこまでも叩きのめしてゆく。

 

人の命はかけがえのないもので、人の命が失われるということは、機会の損失に等しい。そして少なくとも私以外の人間は、多くの命を代償として生き残り、他人の機会を簒奪してしまい空っぽとなった私などよりずっと価値があるはず。だからこそ私は、そんな困難に陥っている私より価値ある人を助けたかった。

 

そうして、価値のある人間が、機会損失の危機に陥っている際に救済を与えることで、初めて無価値な私には『価値ある彼らを助けた』という価値が付加される。それこそが、過去に多くの人間を犠牲に生き残った私の罪悪を打ち消してくれるはずだった。

 

だからこそ私は、決して、彼らの存在を軽んじているつもりはなかったのだ。けれどそうして、他ならぬ己のために、自分の力だけではどうにもならないと悩んでいる人全てに救済を与えたる正義の味方になりたいと願っていた私は、その実、彼ら一人一人を矮小な存在であると軽んじて、各々個人が持つ正義を軽々なる価値としか認識しない偽善者に、再びなりかけていたことを気付かされた。

 

サガの言う通り、広くなりすぎた高い視点から俯瞰的に眺める多数の命の存在は、人の目でその価値の全てを測るにはあまりに大きすぎて、私は数の多い少ないでしかその重みを判断することが出来なくなっていた。そうして、彼ら一人一人の価値を数というものでしか推しはからず、貶めて、勝手に救済されて然るべき対象であると見下して認識していたのだ。

 

そうして私は、勝手に命を刈り取った罪と勝手に命を救った罪を数値化し、数値化した数を比べてその比重を救った側に傾けることで、正義の天秤は一見善側に傾いていると見なしてきてしまっていた。かつてはどんな命にだって価値があると言い切るような男だった私がそんな風に染まってしまったのはきっと、そんな理想論では誰も救えないと理想と現実の差に絶望するようになってしまったからであり、また、そんな己の倫理観のみで他人の命の価値までをも決めるやり方こそが、言峰綺礼やセイバー、魔術の世界の噂で知った、私の憧れた衛宮切嗣という男の正義の在り方だったから―――

 

―――なるほど、憤怒の感情をぶつけられて当然だ

 

私は彼らのことを、単なる戦力の数としか見ていなかった。サガは私のことを肩を並べて戦う人間だと考えていたが、宣言と謝罪は私が彼らのことを単なる戦闘の補助機材としか考えていないという発言に等しかった。だからこそ人間扱いされなかったサガは、当たり前のように怒ったのだ。

 

―――傲慢、だな

 

ようやく彼らと同じ場所に立とうという決意をしたというのにこのざまなのだから、なんとも笑えない。なるほど、かつての世界において、私が嫌っていた魔術師たちという存在が、己らこそは特別な存在であると傲る理由がよくわかった気がした。

 

―――いやはや、そういった意味では、裏側の技術/魔術を極めた果てに英霊という人より人と異なる立ち位置に辿り着いてしまったエミヤという男の視点は……

 

他人の持たぬ才能を持つということは、否応なく他者よりも広くなってしまう視野は、これほどまで容易に、気付かぬうちに、己の価値観を捻じ曲げ、己を傲慢な立ち位置へと誘い、自分以外の他者という生き物の価値を下げてしまうのか。

 

―――あまりにマトモすぎていたとでもいうべきか

 

今更ながらにその傲慢は、魔術師というまともな人に非ざる存在として活動してきた自分が、その果てに英霊という特別な立ち位置に収まった結果、当たり前のように生まれてきたものなのだろうと馬鹿みたいに納得する。

 

―――相変わらず、あまりに自我がなさすぎる

 

やがてそうしてサガの雄叫びによって己の歪みを改めて気付かされた私がだんまりと自戒を続けていると―――

 

「―――、すまねぇ、今のは言いすぎた」

 

サガが素直な謝罪の言葉を述べて、頭を下げてくる。サガはすでに冷静さを取り戻しているようだった。おそらくは私が反論の屁理屈を述べなかったことが功を奏してくれたのだろう。私の言葉によって怒りを覚えて瞬間的に沸騰させられた頭はしかし、反論という余計な燃料が注がれなかったからこそ、すぐさま熱を失った。おそらく彼の怒りがすぐに冷めた理由にはまた、それまでに溜め込んでいた負の感情が無かったという事情も働いているのだろう。

 

さらには加えて、それどころかどうやらこのエトリアの真夏の夜の冷気というものがサガの火照る体をすぐさま湯冷めを通り越した状態にまで持っていったのか、頭を下げてくる彼の顔は、少しばかり青くなっている。間違ったことを言っていない彼が心寒そうにしているその様は、なんとも私に罪悪感を覚えさせ―――

 

「いや、謝罪を行う必要はない。君の指摘は正しい。言われてみればなるほど、たしかに、先程までの私は、たしかに、あまりに傲慢が過ぎていた」

 

自戒と反省のそんな殊勝な言葉を、皮肉ばかりを言う口と心からを引き出した。だってその通りだ。数で他者の命を大小の数で判断し、ひいては人生を預かるなんていうのは、それこそ市政の中で生きるので精いっぱいの私の役目ではない。それは例えば、他者より信を預けられた王とか、そういった余裕ある為政者たちの役割だ。

 

他人から人生を預けられて当然と傲慢に振る舞うことを自然と行える、カリスマと呼ばれる能力を保有する綺羅星の英雄たる彼らならともかく、己の人生すらも満足に抱えられずにここまで来た私が、己の願いを真に叶えることすらまともにできなかった私が、他人を数値の一つにするなどという傲慢をやっていいはずもない。

 

そう。私は所詮、他人より多少魔物と戦う力があるだけの凡百の存在に過ぎないのだ。私にできるのは、私とその周囲にいる数人に手を差し伸べることだけ。そんなこと、他でもない私が他の誰よりも自覚していることである。

 

「―――すまなかった」

 

だからこそ私は、せめて己の過ちでこれ以上誰かを傷つけるという無様をこれ以上行わないためにも、部屋の中央近くに佇む彼の元へと近寄り、そして、己の傲慢さを認めて頭を下げてゆく。それが心底のものであったからだろう、常に簡単な言葉と皮肉の態度だけで謝意を示す私にしては、頭を深く下げての謝罪は随分と素直に行えた。しばらくの沈黙の後、もういいよ、と許可の言葉が出たのを確認して、やはり素直に頭をあげてゆく。

 

すると私に謝罪の意を促したサガは、しかし酷く居心地悪そうにバツが悪そうな顔を浮かべていた。彼はおそらく、怒りを露わにぶつけた対象の私がその感情を素直に受け止めて、はてには素直に謝罪までされたことで、逆に己の中に生まれた感情の置き場を失って扱いに困っていた。あるいはこれがこの世界の住人のスタンダードな性質なのかもしれないが、何とも己の感情に馬鹿正直なものである。

 

―――ま、己をそんな気持ちにさせた存在から見つめられることほど、尻の落ち着かない気分になることはないか……

 

サガの居心地の悪さを察して、振り返る。サガに背を向けると四角く切り取られた窓から飛び込んでくる満天の夜空より月光と星空の光景は神々しく、なるほど、かつてはこの光景に神の祝福を見つけて、イコンの中に祈りを閉じ込め、捧げた、東方正教会の信者達の気持ちがわかったような気がした。

 

東の果ての天空の大地の上、かつては最大の信徒数を誇った宗教の一分派に思いを馳せながら、夜空を見上げてゆく。やがてくる救世主の存在などなかった世界の上では、かつての時代とまるで変わらぬ形を保つ眩い月と星たちだけが、過ぎた年月をほとんど感じさせぬままに足元を這う矮小なる有変の存在たちの営みを見下ろしていた。

 

問答よりしばしの時間が流れると、喧騒の雰囲気は自然と収まり、異文化との共存のために衝突があった跡地では、気まずさだけがあたりの空気を支配していくようになる。雰囲気に耐えかねて、響という少女が布団を頭から被って眠りの姿勢を見せたのを皮切りに、病室はようやく本来の、休息の場としての役目を取り戻した。

 

その後、我々は二日後の出発に向けて英気を取り戻すべく、各々のやり方で睡眠の安息に身をまかせる事となる。椅子の上で部屋の壁に背を預けて眠る私は、もうあの赤い部屋の悪夢を見ることはなくなっていた。

 

 

鍛冶場。道具屋ならば必ずと言っていいほど保有している、迷宮やその他地域から狩猟、採取、採掘、伐採されてきた物品を武具や道具へと鍛え治す場所。また、武具や道具に限らず、金属、ガラス素材に類する道具や家具などの一般物に至るまでがこの鍛冶場の炉の中から生み出されてゆく。そうして生み出された武具や道具などがあったからこそ、人々はやがて迷宮という未知なる魔物や仕組みに満ちった場所すらも踏破できるようになったのだ。そういった意味ではこの鍛冶場の炉から今の世界の全てが始まったといっても過言ではないだろう。

 

かつてエトリアが林業を営んでいたころは、この炉で鉄を作るにも、鉄鉱石と石灰石という値の張る素材と木炭から作ったコークスをぶち込んで、そうして出来あがる銑鉄が固まって鋳鉄へと変化する前、さらにスキルを用いて1300℃以上の炎をだらだらと浴びせ続けなければならなかったらしい。

 

だからこそかつてのエトリアでは鉄は貴重品だったという。だが鉄なんてもの、かつてのそんな時代から万年程度も過ぎた今では、二層のウーズたちからとれる真鉄の小塊をボウルに入れて炉へとぶち込み、炉の内部に仕込んである加工前の赤玉石(これも火喰い鳥が落とす)の数を調整し、スキルの高炎を一発叩き込むと、ニ、三十分放置しているだけで作れてしまう。

 

例えばこれがダマスカス鋼片の場合であったとしても、炉の中に仕込んである赤玉石の数を増やし、最初にぶち込む炎スキルの温度を高くするだけで対応可能であるし、例えば今のように中身が新迷宮二層の番人からとれた素材であったとしても、それは同様だ。

 

要するにこの炉は、最初に炉の中を軽く調整して、次に炉の中にぶち込む炎の温度と量を調整してやれば、あとは自動的に望む溶けた金属を炉が作り上げてくれるのだ。あとはそれを事前に作っておいた鋳型に流し込んで、その後に少し手を加えてやれば、それでもうどんな武具道具だって完成だ。決まったことを決まった手順でやるだけ。ただそれだけで、この炉はあらゆる道具を作り出してくれる、まさに万能の炉なのだ。

 

そんな炉の中に火喰い鳥の羽と羽ばたきカブトの殻を組み合わせて作られたボウルを入れ、超高熱の炎スキルを炉にぶち込み炉の前に反射板を置くと、隣の煉瓦槽にスキルで氷を生み出した。そうして生み出した不純物の一切含まれない氷をかるくスキルの炎であぶって冷水にしながら考える。

 

―――かつての英雄は……

 

浮かんできたのは五人の顔だった。サガ、ピエール、ダリ、響、そして、エミヤ。それはここ数か月の間、ずっとエトリアに流れる話題をほぼ独占していた人間たちの顔であり。そしてまたつい昨日、それまでに築き上げてきた名声と引き換えに、エトリアの話題を悪い意味で完全に独占しきった人間たちの顔だった。

 

―――今や、重犯罪者、か……

 

戦闘時に携帯磁軸を用いた罪。迷宮から戻る際、魔物ごと地上へと連れて帰ってしまった罪。そんな迷宮を潜るにあたって敷かれていた規則の内、最もしてはいけないことをやってしまった故に、追放刑に処されることとなった重犯罪者。それが今の彼らが持つ肩書だ。

 

―――でも……

 

そんな話題の的となっている新迷宮は今、調査のためという名目で、あらゆる存在が新迷宮に立ち入ることを禁じられている。そうして突如として暇を得てしまった新迷宮探索組の冒険者たちの中には、その場でエミヤらが魔物を連れ帰ったことを目撃したという輩も多く―――、それ故にいっそう、エトリアという街は彼らの噂話が俎上にあがりやすく、また広まりやすい状況下にあったのだ。

 

彼らはどうしてそんなことをしたのか。新迷宮の四層の番人はそんなにも強かったのか。いや、だが、あの犬の魔物もはやあれは死にぞこないだったようにしかみえなかったぞ。実際、出てきた後、魔物は一瞬で討伐されてしまった。ならそれくらいいいじゃないか。女の子が倒れていた。彼女を助けるために彼らは手持ちの薬を全部使ったようだった。死にかけの彼女を助けるために彼らはとっさに使ったのではないだろうか。いや、とはいえ、罪は罪だ。だが罰を与えるにしても、執政院はなぜ別の地方への追放ではなく、新迷宮の奥地になんていう場所を追放場所に選んだのか。新迷宮の調査と攻略終了すれば戻ってきてもいいとはいう条件らしいが、迷宮は下層になる程魔物が強くなるし、彼らは四層番人を手持ちの道具全部と引き換えに倒したというし、ならそれはもう実質死刑と変わらないじゃないか。

 

噂はだいたいこんな流れで広まってゆく。だがしかしそうして流転する話の落ち着く先は、「まぁ、するなと言われている重い規則を破ったんだから、今後同じような奴を出さないためにもしかたない処置なのかもな」という結論だ。だが―――

 

―――間違いなく、それだけじゃない

 

彼らの追放が見せしめだけを目的とした死刑に等しいモノであるというのなら、執政院から自分へと彼らの壊れた武具の修復依頼などがくるわけがない。それと同時に自分に多数の道具名とその個数が記載された紙が渡されるわけがない。

 

―――あいつらは、選ばれたんだ

 

そうだ。あいつらは踏み越えた。法と常識ではされてはならないと決められているそんな境界を踏み越え、奴らは執政院に選ばれた。新迷宮攻略の全てを託された。あいつらを追放して以降、当面の間、立ち入りを禁ずる、なんてのは、あいつらが信頼されているからこそだろう。執政院の実質的な総管理者であるクーマは、彼ら以外に新迷宮を攻略できる奴はいないと判断した。

 

―――あいつらは、それが出来た

 

世界には境界線を越えた者にしかたどり着けない場所がある。それは、生きるために必要な苦労があらゆる方法で最大限に効率化されているこの時代、あるかどうかですら定かでない絵空事のような存在をしかし心から求めて行動してやると決意し、そんな決意を胸に秘め続け、まともと呼ばれる生き方をするためには必要のない苦労をし続けた者にしかたどり着けないそんな場所だ。

 

―――目的のために、それ以外の全てを投げ出す

 

そんな存在になりたかった。そんな世間から外れた光景を見てみたいと思った。いくらでも代わりの効く歯車のように生きるのが嫌だと感じた。だからこそ、それまでこの手に握っていた全てを投げ出してでも、そんな存在になりたいと思った。

 

そうして決意して、気が付けば行動に移していて、それまでに抱えていた多くのモノを投げ出してエトリアにやってきた。そのまま進めば俺もそんな景色を見るための一歩を踏み出せるはずだった。でも―――

 

―――俺には、出来なかった

 

直前になって急に、その決意が揺らいだ。全部を投げ出すのが惜しくなった。一から挑戦するのが怖くてしかたなかった。それでもと揺らいだ決意のままにおっかなびっくり差し出した一歩で、しかし自分の望みが所詮は絵空事の夢物語に過ぎないことを思い知らされた。

 

『自分にその才能がない』という冷たい現実に比べて、『いやいやながらも経験を積み重ねてきた』という生温い過去にあった経験はしかし、一息に切り離してしまうにはあまりにも暖かすぎていた。そうして俺は、積み重ねてきた経験は武器になるもが、同時に、後ろ髪を引く悔いともなることを思い知らされる。そう。新たな世界を見るための境界線を越える一歩を踏み出すには、自分はあまりに―――

 

―――俺は、年を取りすぎていた

 

見栄と余計な知恵を身につけすぎていた。役立たずだと思われたくない。馬鹿にされるのはまっぴらごめんだ。この年から一から始めるならば、そんな誹りは当然あっておかしくない。そうして自分を嗤うのが自分よりも年を取っている存在だったり、若くとも自分よりはるか才能ある人間であるならば耐えられもしよう。けれど、たかだか自分の半分も生きていない、自分よりも経験を苦労を積んできていない、若いという誰もがかつて持つ才能とおつむの程度の低い連中から向けられる無邪気な悪意には、どうしたって耐えられそうにない―――

 

「―――ッ!」

 

暗闇の中、飛び込んできた光のあまりの眩しさに、思わず目をそらす。自らの考えを中断させたそんな存在へと恐る恐る視線を向けていくと、炉と反射板の間から波打つ薄緑色の光が漏れている光景が目に映った。そうして隙間から漏れた光は、部屋の一部を緑の波紋で染め続けていた。ある時は濃く、ある時は薄くと、変化し続けるそんな光は、炉の中に置いたボウルの中で主たる素材である蟲の羽が液状化したという何よりも証拠だった。

 

―――やめよう

 

頭を振ると、反射板をどかして、露わとなった炉からボウルを取り出す。新迷宮二層の番人から採取されたというその薄緑色の羽と金の羊毛は今や、ボウルの中で完全に液状化していた。熱され、溶かされ、尚も薄緑色に輝くそんなを物質をすぐさま鋳型に注ぎ込むと、そのまま鋳型の蓋をして、上下左右をこれまた特殊な万力で挟み込む。万力にはアンドロの体の素材に使われている”圧電素子”とやらが埋め込んであるらしく、与えた電気の威力に応じて圧力を生む。だから。

 

―――今はただ、求められたことをやり続ければいい

 

続けざまに万力を操作して鋳型の左右横の平べったい側面にだけ電気が流れるようにすると道具屋にのみ使える鍛冶のための雷のスキルを浴びせ、再び万力を操作して上下方向にだけ電気が流れるようにしたのち、同じく道具屋のみが使える軽い威力の雷をぶつけてやる。これを何度か繰り返すことで金属はその物質の結晶を細かく砕かれ、方向を整えられ、わずかに加えられた不純物と混じることでやがてさらなる強靭さを得ていくのだ。このハンマーをふるって金属を叩くよりも楽、かつ静かに行えるこの方法を開発したのは、もちろん自分ではない。

 

―――たとえそれが誰にでも出来ることであっても

 

自分はただ、どこかの才能ある誰かが開発した決まったやり方を、決まった手順で繰り返しているだけなのだ。たとえ二層番人の羽と毛を混ぜるというそんな考えが自分の思いついた手法だとしても、そんな一発こっきりの思い付きの考え、こうして広く誰でも使えるよう洗練化された道具や技術を開発したという功績に比べたら、どれだけの価値があるというのだろうか。

 

―――今の俺に求められているのはそんな、誰にでもできることを繰り返すことだけなんだから……

 

そんな誰かの成果にちょっと手を加えただけで生まれてきたようなもの、完全に未知であった新迷宮を踏破し続けたエミヤと比べて、定められた法を破ってまで今もなお未知であるそんな新迷宮の最奥へと進もうとする異邦人の彼らの挑戦と比べて、どれだけの価値があるというのだろうか。

 

―――俺はあいつらとは違うんだから……

 

長い年月の間に積み重ねてきた平凡の呪いは、自らが特別な存在となる為の一歩を踏み出すことを許さない。振り返れば彼らが出ていった店の扉がある。その気になれば自分は、あの扉をくぐって彼らの冒険についていくことだってできただろう。これまでに何度だって機会はあった。

 

―――俺はここに留まり続けることを選んじまったんだから……

 

だが、自分はそれをやらなかった。やってこなかった。やってこれなかった。あれやこれやと言い訳をして、やってこないことを選択し続けた。いつかかつてと同じように、日々の安楽の中に逃げ続けることを選択した。

 

―――俺は踏み出せなかったんだから……

 

そんな人間がどうして今更、冒険のための一歩を踏み出せる。いつかかつて同じ場所で時を過ごした彼らと自分は、しかしこうも違う人間だった。そんな踏み出せた人間に、踏み出せなかった自分はどんな顔をして会えばいいというのか。

 

―――だから、もういいんだ

 

夜は更けてゆく。だがエトリアに居を構える一般人の苦悩の時はまだまだ終わりそうにない。

 

 

やがて朝日が山脈の稜線を照らす頃、就寝の時は過ぎ去った事を告げる鐘の音が周囲一帯にばら撒かれた。大きな鐘楼のある中央広場に近いこの施薬院の中は、もちろん防音対策が施されているのだろう。だが、それでも耳をつんざく程の大きな金属音が部屋中を暴れまわり、壁面とガラスの設置部分を揺るがしていく。

 

鼓膜を破らんとばかりに飛び込んでくる無礼な音を、己の三半規管と全身の筋肉でどうにか抑え付けて処理してやると、鐘楼の衝撃が脳裏の不愉快にならないうちに耳を塞ぎ窓の端に移動して遮光カーテンを開けた。そのまま外の光景を眺め、音から逃げるようにして第一の刺激の在り処を眼球へと移していく。

 

常とは違う部屋の中から眺めた早朝のエトリアはまだ寝ぼけているようで、翡翠色をした屋根が覆う街のあちこちのまだ多くは、浅い角度でやってくる太陽光によって長く伸びた建物の残影に包まれている。しかしそんな寝坊助の壁面と違って、普通の壁よりも高い部分に存在する壁面と屋根瓦、そして天に向けて高く伸びる植物の葉はすでに目覚めの時が来たことを理解しているらしく、十分な熱気を吸収させられたとでもいうかのように陽光の恩恵を受けて玉の汗を―――つまりは多数の水滴を表面に生み出していた。

 

「ん……」

 

そんな建物や植物の間を縫うようにして施薬院の窓にまで飛び込んできた日光の心地よき熱を全身に浴び、鐘の音により生じた不快を澹蕩の気分で癒していると、やがて遅れて起きてくる仲間四人が寝ぼけた面をしゃんとさせる前にノックの音が再び室内にこだました。

 

「―――回診の時間だ」

 

礼儀正しく、しかしどこか無遠慮に扉を開いた衛兵は一方的に用事を宣言して、その身を部屋の中から引いてゆく。そんな職務に忠実な彼に変わってやがて罪人の部屋に足を踏み入れてきたのは、見覚えのある小さな白衣を着込んだサコという彼女だった。

 

「―――どうも」

 

サコ。医者と言うには少々頼りなく見える彼女は、けれどこの医療機関において高い実力を保有している人物であり、同時に、他人の都合よりも治療を優先する胆力を持っている、医に関わるものとして十分な資質を兼ね備えた医師でもあった。

 

「手早くお願いします」

 

彼女が数歩中に足を踏み入れると同時に衛兵がそっけなく言い放ち、扉の閉まる音が鳴り響く。そうして外界と完全にシャットアウトされた監獄に等しい部屋の中をしかし彼女は迷いない足取りで進んでくると、彼女は響の寝ているベッドの前に立った。さて、どうするのだろうと皆が注視する中、やがて彼女は大きなため息を吐いて、近くの白いカーテンのついた衝立を手元に寄せると、言った。

 

「女の子の体の検診を行います。ので、壁の方を向いていてもらえますか? 」

「―――、ああ、これは失礼した」

 

私の言葉で彼女以外の一同は慌てて椅子を持ち上げると揃って入り口扉の方へと赴き、目を入り口扉の方へと背ける。男女の居場所を分ける境界が引かれた音が部屋の領域を二分した合図だった。入り口近くに罪人が密集すると言う異常に気がついたからだろう、扉の外の衛兵が足踏みをした音が聞こえたが、どうやら触診の際の会話や行動の際に聞こえる小さな音から事態を察したようで、何も言ってはこなかった。衣摺れの音が響く中、サコの問診と響の返事と微かに呻く声が聞こえてくる。

 

「―――、はい、もう結構ですよ」

 

しばらく続いた居心地の悪さは、やがて唐突に終わりの時を告げられた。

 

「はい、そちらも、もう結構です」

 

サコから続けて挙動の許可が降りた私たちが振り向くと、サコは小さな体で衝立を端に退けて、響は衣服の乱れを慌てて正していた。

 

「響さんの体にはなんの異常も見られません。―――、健康体です」

 

さらに告げられた声によって、部屋の隅へと寄った一同の口から安堵のため息が次々と漏れてゆく。

 

「いや、ありがとう」

「いえ、これが私の役目ですから」

 

礼を言うとサコはしかし、常とは異なった堅苦しい余所余所しさを含む返事を返してきて、そのままその場から去ろうとした。だがそうして部屋から消えていこうとしたサコは、しかし男どもがたむろっていた入り口付近で足を止めると、戸惑った様子でその場で何度か両足を遊ばせ、やがて決意をしたらしくぎゅっと地面を踏みしめると、振り返る。

 

「―――やはりこれは、貴方がたが持つに相応しいものでしょう」

 

彼女は言ってメディックの治療具が収められている腰のバッグに手を突っ込むと、他人を癒す事を生業とする彼女に似つかわしくない刺々しい宝石を取り出して差し出してきた。金平糖のような形をしたそれは、窓から部屋に差し込んでくる朝日を反射して、青い光を発している。それはまるで魂を凝縮したものであるかのように眩く、美しかった。

 

「―――それは? 」

「わかりません。ですがこの宝石は、貴方がたの仲間の遺体を修復した際、体内から発見したものです」

 

言葉に、陽光の暖気で満ちていた部屋が、数時間ほども時を巻き戻されたような状態となる。冥漠と冷然の空気を生み出したのは入り口近くにいる我々であり、またそれ以上に突き刺すような空気を生み出しているのは、部屋の入口近くにいるサコと彼女同様に小さな体躯をした響という少女だった。

 

「―――貴方がたの仲間の遺体を修復した際、体内から発見した? 」

 

静かな繰り返しの言葉は、静かながらも荒々しい念が含まれていた。サコという少女が発した言葉は、響の心中をよほど強く揺さぶり、大事な場所を無造作に弄ったようだった。背後より聞こえてくる呪いの怨念すらも篭ったようなその言葉に、サコと相対し扉を向いている私を含めた男どもは、一切の身動きを封じられていた。

 

「―――ええ」

 

ただ、そうして激情を迸らせる彼女の情念を正面から浴びせられているはずの、サコという少女だけがその激しいパトスを受け止めたらしく、彼女の方へと物怖じする事なく近寄ってゆく。職業柄、そのような念を浴びることに慣れているのかもしれないが、それにしてもなかなかの度胸である。

 

「以前、執政院から彼の―――シンという人の死化粧の依頼を請け負った際、見つけたものです」

「そうですか。……ではなぜその時に言わず、なぜ今更それを言ったのですか? 」

 

振動しながらも平坦の様子を己に強いて発する声には、サコの答えを聞くまではなんとか己の感情を律して押し殺してやろうとする努力の跡があるように感じられた。ただし、サコの答えに満足を得られなかった場合、すぐにでも襲い掛からんとするような、危うい雰囲気も内包されていた。

 

「それは―――」

 

しかし、その平坦な害意含む問いかけをサコはやはり真正面から受け止めると、少しだけ口ごもって吐息の行方を遊ばせたのち、答える。

 

「―――その時、これが何か、私にはわからなかったからです」

 

そうして一度瞼を閉じて顔を天井に向けた彼女は、しかし何かを振りきるように頭を振ると響の方を向きなおし、まっすぐ彼女の瞳を見つめつつ言った。

 

「そして誰もその正体を知る者は、少なくとも私の知り合いに―――私の効いた範囲の人にはいませんでした。それが私たちにとって、つまりは、施薬院の医者にも、執政院の鑑定士にもわからない未知のものである以上、たとえそれが貴女方の仲間の遺体から見つかったものであっても、おいそれとその存在を知らせるわけにいきませんでした。だからこそ私たちは、それを調べようとしました。ですが、その後の調査の結果、この宝石は、やはり私達には未知のものであるという結果しかわからなかったのです。―――だから迷いました。正体がわかるまでこちらで預かっておくべきか。知らせるだけでもするべきか、それとも渡してしまうべきか」

「――――――」

 

響は無言を保っている。彼女はおそらく、必死に感情を抑え込んで、理性にてサコの言葉の意味の理解に努めているのだろう。だからこその彼女はこうも爆発寸前の爆弾のような威圧感を保ったまま、しかし沈黙し続けているのだ。

 

―――響の怒りもわからないでもないが

 

私としては、サコの判断は当然だと思う。新迷宮を探索した者の体内より見つかった未知なる物質を、彼が死んだという事実があるからといってその仲間に安易に渡す方が街の衛生と安全を司る者としては失格というものだ。

 

「ですから、迷っていましたが、ここに来て貴女と、彼らの様子を見て、貴方がたが仲間を思う人物であると感じました。それゆえの判断です。―――これはきっと、貴女がたが持つに相応しい」

 

そうして多くの人の逡巡と葛藤の末、ようやくたどり着いたのだろう結論に、響の禍々しい気配が霧散し、私らはやっと彼女らの方を向くに成功した。確保した広い視界の中には、先ほど部屋の入り口から中央付近にまで移動していたサコが部屋の真ん中を横断して、奥で存在感を撒き散らす響に宝石を手渡していく光景が映りこんでくる。響はそうして受け渡された宝石を受け取ると、優しく胸元に抱き寄せた。その小さな少女が見せた嫋やかな所作に、私はようやく彼女がシンという彼に対していかなる感情を抱いていたのか、なぜ彼女がそうまで怒っていたのかを悟ることができた。

 

―――なるほど、あれは、憤怒と嫉妬の感情の発露だったというわけだ。

 

「でも、いいんですか、勝手に決めちゃって? 」

 

そうして想い人の遺産を手に入れた彼女は、宝石に熱意を封じ込められたのか、打って変わって落ち着いた静かな声でサコに尋ねてゆく。

 

「どうせ、危険度のわからない新迷宮原産のもの……、なのです。なら、そこに追放される貴女方に持たせてしまえば、処分もできて一石二鳥というものでしょう」

「―――そうですか」

 

自分を納得させるかのようにいちいち区切りながら言うサコの言葉には、無理やり取り繕ったかのような不自然な間があった。そこにどのような思いが秘められているのかを推測する子も出来たが―――、私はあえてそんなことをしようなどと思わなかった。

 

サコがその宝石に何か特別な思いを抱いていることはよくわかる。だが彼女はそれでも、そんな宝石に対する執着や葛藤を振り切り、死出の旅路に向かう我々に対して贈ろうと決意した。誰かが誰かに餞別を送るそんな行為にいちいち理屈とけちをつけるほど、今の私は無粋なつもりはない。それと同時、おそらく私がしたのと同様の気遣いを入り口周囲にいるダリやサガ、ピエールの三人もしたのだろうことが、彼らの発する気配から理解させられる。。

 

「―――無礼な態度、申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます」

「いえ……、それでは今度こそ失礼します」

 

受け取った響は深々と頭を下げると、サコは静かにそれらの言葉を受け取って、踵を返して部屋の出口へと向かってゆく。

 

「―――陳腐かもしれませんが、ご武運を」

 

やがて多分は一般の人よりも私たちの事情を知る小さな彼女が、そんな言葉と共に部屋より退出した。のち、その場にいる全ての人間の意識は自然と、響と彼女の持つ宝石に集められてゆく。だが、所有する彼女が、年と不相応な慈愛と情を宝石に注いでいるのを見て、私たちはしばらくの間何も言いだすことができずに、一様に黙りこくっていた。

 

 

「なんだ、籠の中の鳥になって落ち込んでるかと思ったら、案外元気じゃない」

 

やがて続いた居心地の悪きを、軽口とともに扉を開けて現れたインが切り裂いた。外出の為に赤い外套を纏った彼女は、夏の太陽が振り下ろす光の鉄槌には決して負けぬと言わんばかりの赤色を周囲にばら撒きながら、しかしそれでも平然と涼やかな表情を保っている。

 

「ああ。だが見たまえ。先ほどまで平生を保っていた顔が嫌味ったらしく歪んでしまった。さて或いは、誰かさんの余計な皮肉を耳にしたせいかもしれん」

「あら、ご挨拶」

 

馬鹿を言い笑い合うと、周囲からも笑いが漏れていく。

 

「―――っと、あんたもありがとね」 

「いえ……」

 

そうして空気の悪さを持ち前の凛然さで払拭してくれた彼女は、やがて後ろの衛兵に抱えさせていた風呂敷包みを両手で引き取り、差し出して言う。

 

「じゃあ、これも余計なお世話だったかしら? 」

 

彼女はそうして部屋の片隅にある机の上に抱えたものを置くと、藍染の中から黒塗りの見事な花見重箱を取り出した。かつて江戸の時代に花見用に作られたが最初と言われるその重箱の外側側面の漆塗り黒地には巨大な樹木の金細工が施されている。また、正面より見た際、二段に別れた上の棚には、料理を取り分ける用の盆が数枚入れ込まれており、下の段の左方には三段の重箱の上に徳利が乗っかっており、右方には五段の重箱がはめ込まれていた。そうして料理を詰め込まれた箱を正面から見てやると、やはりそれぞれの重箱に施されている鮮やかな螺鈿の細工に目が吸い込まれてゆく。

 

そのまま右方の重箱に目をやると、上段一段目より、翠緑の樹々に色とりどりの花。二段に、濃緑の樹海を飛び回るホトトギス。三段目には、漆は藍色を下地に、金の砂浜と幽玄なる月が一つ。四段目には、変わって、枯れ木に貝細工の雪が撒き散らされている。そして重箱の最下段の五段目は、無地の黒の上、けぶる霧のごとく虹色の貝殻のかけらがばら撒かれていた。

 

変わって左方の三段重箱に目をやると、一段目と三段目に翡翠緑の建物群が描かれ、二段目の重箱に描かれた橋が、二つに別れた街を繋げていた。重箱の上に置かれている徳利の表面六分ほどは、淡い緑釉がかかっている。重箱と徳利、盆を収納している外箱の内塗りは、紫の色にて統一されていた。そうした重箱の意匠を見て、私はようやくこの重箱の製作者が、作品にこめた意図を読み取れて、私は思わず感心のため息をついた。

 

「なるほど、エトリアと世界樹、それを取り巻く世界を作品に閉じ込めたか」

「ご明察。なんでもこの地に古くから伝わる伝統に則って作り上げた逸品らしいわ」

 

彼女は私の答えを聞いて満足気に笑いながら、箱を分解して店を広げてゆく。重箱は我らの押し込まれている場所に合わせてかのよう、多少そんな仰々しい箱にはあるはずの優雅な収納の法則を無視して、ぎゅうぎゅうに中身が詰め込まれていた。

 

一段目にはいなり寿司と巻き寿司。二段目には、玉子焼きや梟の軟骨の唐揚げ、猪のステーキなどが所狭しと詰め込まれ、三段目には、魚の焼き物や刺身が、四段目には、猪肉を用いての煮こごりや世界樹の芽を用いてのサラダなどが色鮮やかに納められている。

 

また、本来なら空っぽのはずの五段には、これまたご丁寧に、重箱に収まる小さなぐい呑が六つ、仲良く揃って座している。彼女はそうして今度は左方の重箱を開くと、一段目から平たい皿と茶瓶を取り出し、二段目から茶葉と袱紗を取り出すと、三段目から湯捨てを取り出して私の方へと差し出した。

 

「何ぼさっとしてんのよ。か弱い年寄りに全部準備させる気? 料理はしてあげたんだから、茶坊主の役目くらい進んでやりなさいよ」

「―――、くっ、了解だ」

 

差し出されたそれらを徳利ごと受け取ると、もう一つあった机の方へと移動して受け取った道具を広げる。私と彼女以外の人間は、突如やってきた老女のいきなりの行動に頭がついて言っていない様子だった。

 

呆ける彼らを尻目に、私たちは息のあったコンビネーションで膳の中身を取り分けてゆく。最中、彼女が小声で話しかけてきた。

 

「少しは打ち解けられたみたいじゃない」

「誰かさんと違って、彼らは素直に思ったままとこちらの欲しい情報を伝えてきてくれるのでね」

「お仲間が出来た途端、減らず口が冴えるようになったわね……」

「おかげさまでね」

「はぁ……、もうちょっと仲違いさせてた方が、私の平穏のため良かったかしら」

「かもしれんがもはや手遅れだ」

「まったく……、でも、その言葉にだけは同意してあげるわ」

「それはどうもありがたいことで」

「―――ねぇ」

 

不毛の応酬を互いの肴に苦笑し合うと、一足先に用意を整え終えた彼女は盆を置いて静かに言う。

 

「なんだ」

 

呼びかけに応じて返事をするも、その先に続く言葉がない。不審に思って彼女の方へと顔を向けてやると、インはいつもの苦笑いは何処へやら笑顔の表情を浮かべて重箱を撫でながら言う。

 

「この箱、見事なものでしょう? 有名な造形家の逸品なのよ」

「ああ、漆の上に塗られた金と螺鈿の繊細な造形には執念すら感じさせるな」

「そうね。この重箱の作者だけど、はるか昔、まだスキルの体制が整っていない頃、人よりもスキルの扱いが下手で、色々と苦労したらしいの。きっと、その時の鬱憤とかを自分の中で制作に対する情熱に昇華したからこその作品なのよね」

 

彼女は言うと、歴史あるという重箱を優しく撫でながら言う。私は彼女の乾いた手の行方を追いながら、スキルというものが日常のこの世界において、その扱いに長けていなかったという重箱の作者の姿に勝手な姿を当てはめながら想いを馳せてゆく。

 

―――スキルが使えない、か……

 

この世界においてスキルというものが使えない私には、作者たる彼が、その生涯においていかなる苦労をしてきたのか、手に取るように理解する事が出来た。料理一つするにもいくつものスキルを必要とするこの世界においてその有様では、彼はさぞかし生き辛かったに違いない。

 

「でも聞くところによると、そんな彼は普通に生きて、こんな風の人並み以上にステキな作品を作り上げて、有名になったわ。別にスキルの使える使えないなんて関係なく、生きようと思えばどんな風にだって生きていけるのよ」

「……、そうか」

 

そこでなんとなくではあるが、彼女がなにを言わんとしているのか、その意思を私は読み取れた。スキルの使えない私に対して、スキルの使用が下手であった人物の生き様を語るのだから、狙いなど一つしかない。彼女は私に、冒険者以外の生き方を―――つまり、ここから逃げてもいいのだということを提示してくれている。

 

「――――――」

「―――、そう」

 

しかしそしてインは、彼女の提案に頑として首を縦に振らない私の態度に、確かな拒否の意思を見つけだしてくれて、悲しく微笑んだ。

 

「まぁいいわ。どんな風に生きようが貴方の勝手。私はそれを強いようとは思わないわ。そんな資格もないしね」

「すまない」

「でもね」

 

努めて明るく振舞う彼女は目を細めて言う。

 

「だからこそ私は、たとえあなたがどんな選択をしても、別にその事を否定しないわ。どんな風に生きようと、人生なんて所詮は積み重ねてきたようにしかならないわ。一人で生きるも、みんなと共に生きるも自分次第。だからせいぜい、自分勝手に好きなよう生きて、そしてその果ての結果に満足して死んでいきなさい」

「……、承知した」

 

事情を詳しくも知らぬ相手に対する思いやりに反応して、先程までの決意を覆さんとする挫折の念が喉元までやってくるが、なんとか言葉と共に腹の中へと戻して、承知の返事を返すと、彼女はどこか寂しさに目を曇らせながら言う。

 

「まったく、本当に、馬鹿で頑固なんだから」

 

私は彼女の罵声に返せる言葉を真実持たず、ただ無様に閉口するばかりだった。 

 

 

密室にて食事に舌鼓を打ったのち、交友を深める原因となった青嵐も過ぎ去り、やがてエトリアを出立する最後の時が訪れた。重苦しい空気の吹き飛んだ部屋のあちこちでは、装備を整える彼らの姿が目に入る。準備などほとんどなかった私が、そんな彼らを尻目に窓より空を眺めると、茜色の空を雲が流れてゆくのが見えた。

 

見上げた空模様はかつて私がこのエトリアにやってきた時と変わらぬものであった。いや、季節柄なのか、今この町のある高度や地形ゆえか、上空をゆく雲の流れる速度が多少かつて見た時よりも緩やかである気がした。あるいはかつてと違うその速度こそ、かつての時と今の自分が生きる速度の違いを表しているのかもしれぬと無理やり意図を見出してみたのは、今日、そうして訪れたこの街を去るのだ、と言う感傷が生み出したものなのだろう。

 

「―――準備、終わりました」

 

自然の流れの中に己の過ぎ去りし時を重ね合わせて浸るという詮無き行為にて暇を潰していると、背後より静かな声が投げかけられた。自己憐憫の無意味をやめて振り向くと、窓より飛び込んだ夕日を浴びた四人の姿が目に飛び込んでくる。

 

武器が取り上げられている事を除けば、常の迷宮探索に向かう際と変わらぬ装備に身を包んだ彼らは、頑丈な鎧と服に包まれた外殻とは裏腹に、内面は常と違う緊張と恐れを孕んでいた。それはおそらく、このエトリアの土地に対する郷愁、惜別といった思い故なのだろう。

 

この土地にやってきて半年も過ごしていない私と違い、彼らは人生の長い時間、エトリアにて生活の基盤を置いていたと聞く。それゆえに、追放の事実は彼にとって重く、処置を受け入れてはいるものの、しかし理性にて抑えきれぬ情念の部分が裡より迸り、顔面という最も変化を生み出しやすい部分に出てきてしまっているのだろう。

 

この期に及んで、その無念は己の選択の結果であるとして、追放の直接的な原因を作った私に文句の一つをもこぼさない彼らの魂の髄まで染み付いた執念と我慢に、この世界における彼らの持つ私の持つそれと変わらない頑固さを見つけて、私は苦笑した。

 

―――いやはや、彼らも中々人のことをどうこう言えない頑なさを持っている

 

なるほど、そうして己の失敗すらを他者から責められることもなく、全ての因果を己の中に見つけてなにもかも抱え込まれるというのは、そうして失敗をした人間にとって、中々どうして居心地の悪いものだと思い知る。

 

あるいはかつての養父や姉貴分。そして、凛や親友、周囲の人間、そして私が拾い上げて、しかし存在を軽んじてきた人々は、私にこのような思いを抱いていたのかもしれない。

 

「では行こうか。―――こちらの準備は完了した」

「承知した」

 

思いがやがて後悔となる前に、宣言。すると彼らが頷くのをみて、部屋の前の扉に立つ衛兵へと声をかけた。準備完了を告げると、罪人に言うにしては礼儀正しい言葉と共に施錠が解き放たれ、部屋の中の空気と共に我々は外へと足を踏み出してゆく。同時に、両の手に鉄の鎖が落とされて、我々五人の前後に三人一組の衛兵がピタリと張り付いた。

 

先導する彼らの後ろについて施薬院という清浄な場所に似合わない不穏の空気が充満する中を突っ切りると、やがて正面玄関前までやってくる。常ならば病人怪我人で一杯であるはずのそこは、罪人を受け入れた日から満員御礼の札をかけられているようで、中央に一人の著名人が腰をかけているばかりであった。

 

「やぁ」

 

そしてその場にいた唯一の人が腰を浮かしてこちらへとやってくる。そんなこの場の雰囲気に似合わぬ軽い口を叩く男の名はクーマ。彼は安寧と非戦を常識と敷き、治癒を目的とするこの場には似つかわしくない、鎧兜を纏い、槍盾を構えた完全武装の状態であった。

 

「たしかに―――」

 

彼は手錠に自由の身動きを封ぜられた我々の近くまで寄ると、我ら全員に等しく視界にお収められる場所にて立ち止まり、全員を一瞥した。そうしてクーマは我らの中に戦意の劣化を起こしている人間がいないことを確認すると、満足げに頷いていう。

 

「準備は万全のようですね」

 

彼の問いに言葉を返すものはいなかったが、彼の問答に対して五人の冒険者が、内に秘める覚悟の密度を増やした気配をクーマは敏感に感じ取ったのだろう、もう一度強く頷いてみせると―――

 

「よろしい。では」

 

片手をあげる。すると我らを連行してきた数人の兵士の内の二人が金属音をたてながら正面玄関へと近寄りと、左右からその大扉を開けた。両開きの扉は重厚な音をたてながら居場所を移してゆく。扉が解き放たれてゆくとともに、部屋を満たす涼しさと緊張の空気は少しばかり弛緩していった。

 

やがて施薬院の清涼と無臭の空気が、肌を舐めるような微熱と風の運んでくる生臭い自然の香りの中に消えていった頃、衛兵に導かれるようにして、施薬院の玄関より足を踏み出してゆく。すると途端、室内外の静寂の種類は別のものとなり果てた。無言に等しい微かな騒めきの中、罪人である我々に好奇の視線が注がれてくる。

 

「あれが例の……」「ああ、街一番のギルドと、その次のギルドの奴らだ」「なんでも迷宮をぶっ壊したんだって! 」「え、魔物を連れて転移したんでしょ? 」「悪人には見えないけどなぁ」「でも、俺、この前、あいつにいきなり脅かされたんだって! 」「あんた、彼の死んだ仲間の悪口言ってたって聞いたわよ……、怒られて当然じゃない」「しかし死にに行くってのに、堂々としたものだなぁ」「まぁ、多分、勝算があるんでしょ」「一発で未知なる迷宮の最下層を攻略する? おいおい、どんな自信家だよ……」「おい、ちょっと、見えない。どいてくれよ」

 

ひそひそ話と視線に含まれる成分は、大半が好奇で、残りが理解の及ばぬ未知を見た際に湧き上がるものだった。しかしそうして一身に注がれる視線の中に憎悪や憤怒、怨恨や軽蔑の視線がないのを理解して、私はかつての世界との差異を感じ取る。彼が放ってくるそんな視線と雰囲気は、冒険という未知に身を進んで晒して行為者が放つ者ではなく、平和な場所に―――例えば日本というかつては世界で一番安全とまで言われた場所に住む人間が放つようなものとよく似ていた。

 

―――やはり彼らは、かつての安全を謳歌した旧人類たちと同じ存在で、危険というものに対しての感知が低い

 

よく言えば、気が長く暢気。悪く言えば、他人に無関心。彼らの世界は、かつての私と同じように、この世界と断絶している。彼らはかつてあったインターネットと呼ばれるウェブの向こう側を除いている存在が抱いていたのと同じような気分なのだろう。すなわち彼らは、そこが自分の世界と地続きだということを認識していない。だからこそ彼らは、こうして法を犯した罪人を前にしても感情的に騒ぎ立てる事なく、ただ、己の好奇の赴くままに観察の視線を送り続けることが出来るのだ。

 

「あ……」

 

やがてベルダの広場を抜けてつづら折りの階段をゆっくりと降る頃、響はポツリと呟いた。背後より聞こえる言葉に導かれて振り向き彼女の顔を見ると、その視線が向けられている先を追って、私は目の焦点位置を彼女のそれと一緒にした。するとそこに、エトリアの街に来てから私が始めて出会った人物の顔を見つけて、私は思わず呟いた。

 

「ヘイ……」

 

ポツリとした言葉は静けさの支配する空間によく響いて離れた彼の耳元にまで届いたのか、我々の意識が向けられた事を感じ取った彼は、直後、視線をふいとそらして群衆の影に消えていってしまった。

 

―――そういえば、我々の道具の修繕と修復に忙しかったからかもしれないが、この二日間、彼は訪ねてこなかったな……

 

「やっぱり、気にしてるのかな……」

 

人なつこいはずの彼がみせたそんな毛嫌いの態度に不思議の念を私が抱えると、側にいた響はやはり誰にいうでもない様子で、ポツリと呟いた。

 

「何がかね? 」

 

聞くと響は驚いた様子でこちらを見て一瞬躊躇い、しかし意を決した様子で言う。

 

「ええ、その、ヘイはどうやらエミヤさんに負い目を感じているようでして」

「ヘイが……? 私に? 」

 

並んで歩く彼女の言葉に首をかしげる。彼と出会った三ヶ月ちょっとの時を思い返すも、まるで原因が思い当たらない―――、ああいや。 

 

「そういえば、手形を預けていたか」

 

そういえば、一層の皮膚と鱗を売り払った際の契約が未だに完遂に至っていない事を今更ながらに思い出す。律儀な彼のことだ。そうして修理修繕修復の仕事をやった結果、契約の履行機会を失って、それをバツが悪いと感じたのがああした態度になったのだろうか?

 

「いえ、その、多分、エミヤさんが考えている理由とは違うと思います」

「―――否定できるということは、君は彼の態度の訳を知っているのかね?」

「ヘイは……、あの人は、自分の想いは軽いから貴方には届かないと言っていました」

 

質問に彼女は口ごもったが、意を決したのか、軽く唇を舐めた後、告げてくる。

 

「―――、意味が……」

 

わからない、といいかけた言葉の行方を遮って、響は続けた。

 

「なんでも、歳を重ねて来たにもかかわらず、積み重ねてこられた想いがないから、自分じゃ貴方の心配をする資格がない、と。ヘイはそう言っていました」

「――――――、そうか」

 

彼女が口にした言葉の意味をじっくりと噛み砕き、理解するとともに先程までの楽観はどこかへ去っていくのを感じ、腹の中に溜まった忸怩は彼が他者にああも親切に振る舞う理由に肉付けをしてゆき、結果として口元から彼の行為に対する納得の言葉が漏れた。

 

―――だからこその己の心を掴んだ物に対する執着と、興味ないものにああも無頓着なのか

 

長く時を重ねているのに、負の感情がない。悔恨も嫉妬もない代わりに、執着の感情を持ちづらく、ゆえに心の中を埋めつくす程の充足感を得る機会も少ない。その足りぬ部分を満たす焦燥感と不安と劣等の感覚が、彼の面倒見の良さと全てを投げ出す熱意となったわけだ。

 

―――相も変わらず、人の気持ちがわからない、か……

 

私はそして親切と笑顔の裏側に隠されていた、ヘイという男の己は矮小と侮る卑屈の感情を見過ごして来たことを知る。おそらく私は出会って最初のうちは警戒心から深く踏み込もうとせず観察を怠ったが故。そして、最近までは忙しさにかまけ、また、彼らがそう言った負の感情だけを溜め込めないという性質を知ってしまっていたが故に、彼らを負の感情と無縁の存在であると侮ってしまっていた。

 

溜め込めない性質があるからと言って、完全でない以上、何の悩みもなしに生きることができるわけじゃない。どんな生き物でも、どこの誰にでも、悩みというものは尽きることなく押し寄せる。そんな当たり前の事実を私は己の思い込みで、俯瞰の視線で観察する事で、見逃していた。

 

―――その結果がこれか

 

おそらく、私たちが罪を犯してまで迷宮の探索に挑もうとしているのを、執政院直々の道具の修理依頼から悟った彼は、そうして無謀と愚行の果てにある追放される私たちの処遇に、だからこそ情熱の証を見て取り、私たちに劣等感のようなものを感じたのかもしれない。

 

故にヘイは、粛々と道具の整備を引き受けて、しかし顔を見せに来なかった。

 

―――己の焦燥と正義を示すために突き動かされ、突き進んだ結果がこれか

 

結局私は、この世界の多くの人間と対等の対話を行うテーブルに付いていなかった。全ての人の性格を「きっとこうであるに違いない」と決めつけて、現実において誤差の修正を怠った。このすれ違いという後味の悪い結末は、己が積み重ねてきたことの結末に過ぎないのだ。

 

―――いつか必ず、機会を設けて話をしよう

 

決意すると、未だに好奇の視線に満ちた人波の煩わしさを避けて空を見上げてゆく。まだ明るさを残す空には己の怠惰のツケを示すかのように、夕映えの中には黒々とした雲が視界の端に固まっていた。

 

 

物々しい警護、というには少なすぎる見張りを伴って一時間程歩くと、もはやすっかり見慣れた新迷宮入り口へとたどり着く。夜の闇が落ちた星の海の中、すぐ近くにある切り立つ崖の上空あたりに紫雲が漂い彼方へと流れてゆくさまに、私は語源である仏の来迎の比喩を思い出して、振り払うかのように首を横に振るう。私は仏の手自ら引導を渡されるほど、徳の高い人物でないし、まだそちら側に旅立つ予定もない。

 

清浄なのか邪念なのか分からぬ思いに侵された視線で、崖の中にぽっかりと開いた入り口を見ると、洞穴の入り口は、先の戦闘にて私が四層最奥地の天井を崩した際、その両端が崩れたようで、横一線に引き裂かれた傷跡は、口角上がり、笑んだ唇のようになっていた。 

 

その様はとても侵入を拒んでいるとは思えないほどの友好的な雰囲気を醸し出していて、まるで魔のモノが、人の世より隔離される事となった我々を迫害のご同類として歓迎しているようだった。

 

―――不吉な予兆……、か?

 

さて、そんなおり、仏と悪神の存在が私の脳裏にて神仏習合を果てして怨霊となり、ふと、三層にて犬に腕を引きちぎられた経験を思い出して、だれか高貴な人が死ぬか、あるいはエトリアが崩壊するかもしれないと考えた。

 

―――……馬鹿馬鹿しい

 

恐れ多くも崩御の前兆と言われる伝承に、エトリア崩壊の予見を重ねるなど、誰にどちらにたいしても、あまりに不埒かつ不敬が過ぎるというものだ。 

 

「いらっしゃいましたね」

 

非礼な想像を行なっていると、罪人を迎えるには相応しくない歓迎の言葉に視線が向ける。夜空をさんざ照らす星の明かりとは異なる、灯篭の柔らかき炎の揺らめきが、赤に満たされた周囲一帯をより一層濃い色合いに塗り替える中、そして照らし出される空間の中心、規則正しく並ぶ衛兵の装備が反射する光の交差する中心に、クーマは佇んでいた。

 

彼の周囲は厳重な守護の敷かれている光の中には、トリカブトの花が群生している。そんな戦いの証を見つけて、私は彼らのいる場所がどこであるかを明確に察した。花に触発されて少しばかり視線を動かすと、予想通り転移のための石碑が飛び込んでくる。警戒テープにて区切られた石碑の前には、四名の屈強な兵士が配備されており、各々が緊張の面持ちを浮かべていた。

 

「迷宮はあなた達が帰還して以降、一旦入場を不許可とし、保全してあります」

 

私が視線を向ける先に目敏く気がついたクーマは、淡々と述べてくる。

 

「この処置は、あなた方の五層への放逐、およびその通路の閉鎖を行うまでの間、保たれます。番人部屋までは護送の兵士が一名ずつの転移を石碑より行い、直接あなた方をその場所まで転移させます。その後、あなた方を番人部屋にあります階層を区切る階段に追い出し、放逐いたします。装備はその際、受け取ってください。あなた方が階段の奥に姿を消したのを確認次第、五層入り口の階段は鉄の柵にて封鎖されます。食料と武具、道具はその時渡しましょう。食料や水、道具の追加が欲しかったり、あるいは報告があれば、鉄柵の前にいる衛兵へと呼びかけてください。―――以上です。何かご質問はございますか?」

 

長く続いた説明の台詞に、しかし我々が何の疑問も呈さずいるのを見て彼は頷き言った。

 

「よろしい。では、早速、刑の執行とまいりましょう」

 

 

衛兵とともに四層の番人部屋へと転移すると、我らが死闘を繰り広げたその場は、私のもたらした破壊の痕跡をそのままに残していた。毒沼こそ消えている部屋はしかし穴ぼこだらけで、そんな穴の底は天井からはらはらと落下してくる赤い土埃が微かに積もっていた。

 

「迷宮はこうして再生していくのか……?」

 

不意に沸き起こった疑問を口に出しつつ破壊の痕跡を眺めていると、近場に設置された携帯磁軸から次々と仲間が衛兵とともに転移してやってくる。やがて五人揃った後、クーマという男が最後に転移してきた。

 

「連行しなさい」

 

彼の指示に従い我々は中央を通り過ぎると、番人部屋の奥にある出口へと手荒く案内されてゆく。部屋の奥にひっそりと配されていた地下へと続く洞穴の周囲には、わかりやすく数名の衛兵が配備されていた。四層の最奥地に配備されている彼らは、地上にいた兵士達より屈強である事を示すかのように、あからさまに装備の質と纏う空気が違っていた。

 

「ご苦労様です」

「「ハ!」」

 

クーマが声かけを行うと、番人の間を守護する事に緊張をしているのか、冷や汗を浮かべる彼らはしかし忠実に敬礼を返し、急遽取り付けられたのだろう鉄柵の扉にて封鎖されていた道を彼へと譲ってゆく。そうして彼らの背後より現れた鉄柵の向こうに洞穴は、今が宵闇に支配された時刻であるという事を差っ引いても、これまで以上の暗黒に支配されているように昏かった。

 

―――まるで冥界そのものに続く道だな……

 

私は、この階層を守る番人がケルベロスであった事実と、周囲の赤く仄暗い光景から、そんな錯覚を覚えて、ならばそんな死者の国よりさらに奥へと繋がるこの穴の通ずる先は、果たして煉獄より深き場所かも知れぬと思い至る。

 

―――くだらん

 

先程からやけに沈鬱な想像が浮かぶのは、おそらく柄にもなく追放の事態に緊張しているのだろう。己が脳裏に浮かんだ他愛もない隠喩を霧散させ、眼前に広がる現実の暗闇に意識の在り処を戻すと、ランタンを片手に洞穴の中に一歩を踏み出す。手にしたランプの明るさは、一寸先を照らした瞬間、すぐさま暗闇に吸い込まれてゆく。

 

貪欲に光すらも吸収する闇のあり方は、まさにかつて私の胸のうちに巣食っていた負の感情を残らず吸収した魔のモノの特性を明確に隠喩しているように感じさせて、この先に奴と、その協力者である言峰綺礼がいる事を確信させてゆく。

 

「――――――」

 

そんな不安を無視するように、無言でさらに一歩を踏み出した。そうして強がる気持ちと共に数歩ほども闇の中に身を進ませると、遅れて四人が次々と私の後ろに続いてくる。我ら五人が直線となって洞穴の中に足を踏み入れた頃、後ろの衛兵から道具と装備品がしんがりを努めるダリに渡され、その入り口は屈強な兵士達の槍によって斜め十文字を描かれ、鉄柵の扉にて封鎖されてゆく。

 

「ご武運を」

 

やがてその鉄柵が完全に閉じられたころ、区切られた境界の向こう側からクーマが私たちに短い激励の言葉を送ってくる。罪人に向けるにしては似合わないそんな激励の言葉を私たちはそれを振り向く事なく受け取ると、斜角の鋭さに足を取られぬよう、注意しながら狭い洞穴の中を邁進してゆく。

 

 

「お、出口か」

 

やがて十分ほども注意深く進むと、背後より前方の明るき空間を確認したサガが声をあげた。前方にいる私に先んじて空間の変化に気がつけたのは、手元にて煌々と輝くランプの灯りの焦点距離がサガの低い視点の向かう先とちょうど釣り合ったからだろう。

 

「……」

 

言葉に対して促され前方への警戒を密にして、歩みの速度を少しばかり慎重なものへと変化させてゆく。私の挙動の変化に呼応して、後方の彼らもその態度をより戦闘に適した重厚なものへと対応させていった。

 

「――――――」

 

やがて道なりに進むと、視界が一気にひらける。そうして現れた目の前の光景に私は目を見張った。

 

「なんだ、こりゃ? 」

「綺麗……」

「ステンドグラスに囲まれた……施薬院か何かの施設の跡地か? 」

「いやぁ、荘厳ですねぇ……おとぎ話のようだ」

 

一同が思い思いに疑念や感嘆の言葉を述べる中、私だけは彼らと別種の感情を脳裏に浮かべていた。憤怒。そして、驚愕と郷愁。負の感情と、どちらかに分別するのが難しいそれらの感情は、目の前に広がる荘厳と華麗な現実の景色より生み出されたのではなく、全く別のところに格納されている、記憶という過去より引き出されたのだった。

 

闇の中に光り輝く天井地面に敷かれた色とりどりガラスは、中心となる黒点から直線状に伸び、その最中にいくつかの同心円を描きながら、最外殻にて円弧を作り、巨大な花弁を模していた。そうして雄大に一輪の薔薇を形作る様は、まるでフランスはパリのセーヌ河岸シテ島に存在するノートルダム大聖堂のそれを思い起こさせる。かつて過去の世界に生きていた私なら、あるいはその寺院にいたならば、壮美の様子に感心のため息をついていたかもしれないが、この世界では、この場においては事情が違う。

 

大聖堂が―――、すなわち唯一神という存在を讃える、我らが貴婦人たる施設が目の前にある。この宗教というものが消失した世界において、そのかつての時代の施設を知るという共通項こそは、我が憎むべき宿敵の存在を瞬間的に想起させたのだ。

 

「言峰、綺礼……」

 

呟き、不倶戴天の天敵の存在に気がつくと、この荘厳華美な場所には人払いの結界もかけられていることに同時に気がつける。なるほど結界が我々を拒絶の対象としていないため気付くのに遅れたが、衛兵たちが居心地悪そうにしている理由がよくわかった。ここから先は、魔術をかじったものか、あるいは奴に贄として選ばれた人間以外を拒む領域になっている。否、そんな雰囲気をこの空間はありありと醸し出していた。

 

―――遂に自ら動くか

 

奴は私同様、基本的に自己以外に興味を持たぬ―――つまりは他人の感情に無関心な人間だ。まさか野にあまた散る芸術家よろしく、己が心酔の赴くままに外見の美を追求したとも思えないし、果たして奴は何を思ってこの空間を作り上げたのか。ただそれだけは知っておく必要があると考えた私は―――

 

「解析開始/トレース・オン」

 

見惚れる仲間を放って一人しゃがみこむと地面に手を当てて、解析の魔術をかけてゆく。通常とは異なる人が乗ってもビクともせぬガラスは予想通り、この世に存在する物資―――ケイ素や酸素により形作られたものでなく、エーテルという、霊質と物質の特性を併せ持つモノでできていた。

 

四大元素たる地水火風の源である力を得る以前の状態の存在たるそれは、かつて聖杯戦争においてサーヴァントと呼称される英霊の使い魔達の肉体を形成されていたモノでもあり、つまりはこの空間が魔術をかじった存在によって―――言峰綺礼という男によって生み出された、すなわち、そんな物質に囲まれたこの空間はもはや奴の腹の中であるに等しく―――

 

―――もはや何が起こっても不思議でない

 

「―――先を急ごう」

 

私と正反対の、奴の心象を表すかのような領域は、私の背中を強く押す。私はすぐさまこの、世界の全てを美しくも儚く脆いものと表現するかのような、奴の価値観を転写したかのごとき場所からの離脱を提言し、奥に見える出口へと足早に進んでゆく。するとそんなグラスの空間はすぐさま終わり、再び洞窟と闇が戻ってくる。そんな抱かされた思いと夜という時刻の助けを借りてだろう、一層暗澹と周囲を包み込む先ほどと変わらぬあたりの闇はなんとも気味の悪い湿度を伴っていて、私にはそれが奴の心中に抱える醜悪の性質と底知れぬ絶望の暗喩に見えていた。

 

 

やがて落ち着いた気分であたりを観察すると、どうやら四層とは異なりこれより地下にある場所はだからこそだろう湿度が濃いのだということを理解する。空気中に散る水分は周囲の地面の中にまで染み込み、しかしそれでも地面に溶け切らない成分があたりにばらまかれているのだ。そんな土からはじき出された周囲の水分は、だからこそだろう、とても温く、土の香りに満ちている。

 

そんな洞穴を抜けると―――

 

「――――――」

「おー、こりゃすげぇ」

 

やがて現れた光景によって、私は再び心を奪われた。二度目の衝撃は、やはり目の前に広がる光景と記憶にある知識の一致により引き起こされたものだった。

 

「街が丸ごと埋まってる……」

「有様は旧迷宮の五層シンジュクと似通っているが、規模が桁違いだな」

「真相を求めた罪人共が追放されたのが切り取られた古代の街とは、趣がありますねぇ」

 

多少の肌寒さを感じるとともに視線を下へと向けていく。すると約四キロ程度下にある濃霧を抜けた先には、街が広がっていた。眼下の街は川を挟んで二分して広がっている。そんな濃霧の街中は左右のどちらの側も、不気味な赤と黒の点が無数に蠢いていた。そんな奴らのせいで微かにしか見えない地面の上しかしそれでも見渡していくと、川の中央には赤き橋が架かり、さらにそんな赤い橋から四キロほどの位置には、他よりも頭抜けて屹立している一つの高層ビルが見えてくる。

 

そんな高層ビルの屋上に向けて、洞穴から抜けた場所にあるこの位置からは、透明な階段が伸びていた。取手も何もないこのシンプルな透明な階段は、まるで戦争への参加者を誘うように、ビルの屋上へと不気味に伸びているのだ。ビルの屋上ではかつて誘導灯だったものが、夜の闇の中、微かに他と違う光を反射している。

 

そんなかつてはセンタービルと呼ばれた新都という街の中心にあるビルより、乱立する中堅程度のビルの密集円の外周に沿って視界を広げていく。するとビルのある駅前中心街から離れた場所には、高層階からの景観を楽しむに作られたという、かつては緑豊かだった公園が広々と隣接している。だが今、人々の憩いの場所として作ら手たはずのそこは、不気味に蠢く黒と赤の点で満たされていた。

 

記憶との差異を拒むかのように視界をそんな中心街より遠ざけてゆくと、街の端に、見覚えのある海浜公園と港が目に映る。港と接する川の終点から、街を丁度二つに分断して南北に流れる未遠川を俯瞰すると、河川の部分は特に視界を遮る霧が濃いことに気がついた。

 

街中をぼやかす霧の一因がこの河川にもあり、おそらくは地下という熱のこもりやすい場所であることと、地上よりか地殻に近く水の温度が高いため、川霧が発生しやすく、それが街にまで散っているのかもしれない。

 

そんな現実の法則に則った出来事が、霞がかっていた思考をクリアにさせてゆく。うあがて俯瞰をやめて区画整備されたその波打ち際から未遠川をもう一度遡ってゆくと、二つの街を結ぶ唯一の赤い大橋の存在が、改めて視界に飛び込んでくる。片側二車線、歩道と車道がきちんと別に分けられた、眼球に強化を施せばタイルの数を数えられるだろう状態を保つ橋は、やはり濃霧と蠢く黒と赤の点に満ちていた。

 

一旦視界を外して川沿いに栄えた深山町の街中から商店街を通り抜け、閑散とした山の方へと目を滑らせると、丘の頂上に立つ見覚えのある懐かしの遠坂亭、西洋風ながら割れた窓ガラスの放置がお化け屋敷の様相を生み出している間桐亭、そして純和風の平屋である衛宮亭を視界に収めたのち、西端の山、長き階段を経た先にある柳洞寺へと辿り着く。

 

そうして東西南北に広がる街の全景を長く俯瞰し、過去の記憶とほとんど変わりなき姿を確認した私は、そこでようやく目の前に現れた現実を受け入れた。

 

「冬木市―――」

 

かつて長い時を過ごした街の名は、やがて過去より持ち込んだ因縁に決着をつける時がきたのだと言わんばかりに、強風に乗って眼下にある街の中へと消えてゆく。そして冒険の日々は終わりを告げ、運命の夜を駆け抜ける時は再来した。

 

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