Fate/ Beyond Reverie 〜 月と巨人の原典 〜  改訂版   作:うさヘル

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第十七話 夜にある、それぞれの運命は(一) ー交錯ー

 

 

あれは、私の/私たちの、宿敵だ。

 

だから、殺す/倒す。

 

 

 

 

新迷宮の第五層。それは、かつて己が生まれ育った街、冬木市そのものだった。現在天井付近にいる私たちの眼下にあるそんな冬木市の―――新迷宮五階層の様子は、今までのものとまるで異なっている。通常の場合。迷宮の一つの層はまず、さらに同じくらいのスケールの五つの階層へと細分化されているものだ。また、五つに分かれた階総の最奥には『番人部屋』と呼ばれる場所があり。さらにそんな『番人部屋』にはその層の代表となるような強力な魔物―――『番人』が潜んでいて、『番人』が次の階層へと続く道を守っている。

 

 

すなわち、一層につき同スケールの五つの階があり、その五つ階を下った先の最奥に層の代表の番人が潜んでいる。多少の例外はあるものの、それこそが通常の迷宮の造形であるのだ。

 

 

だが今のこの眼下に広がる迷宮の姿やどうだ。私たちは今、新迷宮の四層番人部屋の次に続く階段から降りてきた。ならば通常、その階段の先にあるのは五層の第一階層目のはずである。だが階段を下ってきた先のそんな一階層目があるはずの場所には、今、冬木という街がまるまる収まっている。仮に眼下に広がるこの冬木市が五層の一階層目だとすると、迷宮の法則的には、この下に五つの同じような光景が―――冬木市が存在しなければならなくなる。地下に地方都市クラスのサイズの街が眠っており、その下にはさらに四つの同規模の街が眠っている、などという想定をするのは流石に非現実的過ぎるというものだろう。

 

 

すなわち冬木は、『多少の例外』にあたる迷宮の構造―――旧迷宮の遺都『シンジュク』と同じく、都市が丸ごと迷宮化して一層となっていると考えて間違いないはずだ。

 

 

冬木市。それは二度も聖杯戦争が開催された土地であり、私、『英霊エミヤ』という存在が生まれた故郷である。一度目の聖杯戦争によって、かつての私―――すなわち『××士郎』という人間が死に、『衛宮士郎』という人間が生まれた。二度目の聖杯戦争において『衛宮士郎』は参加者として関わり、戦闘や魔術の経験、学習、魔術関連の人脈といった、後に『英霊エミヤ』となるための大きな要素を手に入れることとなる。ならばすなわち、この冬木という土地が『英霊エミヤ』を生む土壌を作ったといって過言ではないだろう。

 

 

だがこの冬木という街は私が人間として生きていたころの―――、すなわち、旧人類が未だスキルなどというものを使えぬ時代にあった街である。今の時代の世界で繁栄しているのは、かつて地上を支配していた旧人類ではなく、スキルという魔法じみた技術を当たり前のように使えるようになった新人類だ。そんな新人類の彼らはまた、旧人類の彼らが支配していた地上ではなく、そんな旧人類が住んでいた大地よりはるか上空に作り上げられた人造大地に住んでいる。

 

 

時代に差がある。住んでいる場所が異なっている。時間の経過と共に物は劣化する。高層タワーだろうが低層の建造物だろうが、鉄筋とコンクリート建物は万年も造形を保たない。日本は地震の多い国だ。日本は震度七、マグニチュード9以上の巨大な地震を引き起こしやすい最低三枚のプレートーーー厚さ数十キロメートルほどの岩盤の上に存在しているうえ、震度六強のクラスを引き起こす活断層の数はだって百以上にも及ぶのだ。それ故に日本は、百年に一度程の割合で、大地が割れて大津波が押し寄せるというクラスの地震が発生し続けてきたのだ。ならばこの沈められた街で起こった巨大地震も十や二十ではすむまい。だからこそ。万年もの時が流れたという今というこの時において。そんな地下に沈んだ旧時代の街である冬木市をこうしてほとんど万全の状態で目撃することなど、本来はありえないはずなのだ。

 

 

……だが、目の前のこれはどうだ。かつて第四次聖杯戦争、第五次聖杯戦争を通じて『英霊エミヤ』の基礎を育んできた冬木の街は今、世界樹の上に作られた人造大地のはるか下、現在の人間や世界の時間軸などとの関わりを断絶するような深い霧を全景に纏い、過去の時代と冬木の歴史を風化した遺物などにはしてやらぬと主張するかのように、ほとんど私の過去の記憶にあるそのまま形で残っている。

 

 

私の知る過去の冬木と異なる点といえば、街全体の人工物―――建物が謎の結晶化を起こしている点と、地下の暗がりの中にあるせいだろうか街を深い霧が覆っている点。そして、そんな暗がりの中と深い霧の中にあっても街に文明の灯がともされていないというある意味で当然な点と、そんな鬱蒼と昏い雰囲気の街中でしかし蛍火のようなぼやけた赤の点が波打つ黒い道路の上を多く行き交いつつ蠢いているという点だ。

 

 

おそらくはこの結晶化こそ、街がまともな姿を保っている原因なのだろう。闇の中にありながら仄かに光って静かに存在感を主張する建造物の主構造物であるそんな結晶には、主観的な定性的事象を客観的な定量的事実であると思わせるようなそんな雰囲気があった。勝手な予想を立てつつ強化魔術施した眼球を細めてやると―――

 

 

「なんとまぁ、節操のない……」

 

 

―――そんな冬木の道を多くの黒い波に見間違わせ、また、そんな黒の波の中を進む赤い灯の正体が犬型の魔物であることに気が付ける。かつて旧人類によって一定の繁栄を見せていた冬木の街は今、新時代の魔物どもが大繁殖するという、魔窟の如き場所へとなり替わってしまっているのだ。

 

 

「まるで蟻の巣のような……、いや、ずばり、魔物の巣、と呼んだ方が正鵠か」

 

 

この冬木という都市が今や新迷宮の五層であるということを考えれば、それはむしろ自然な現象であるともいえるだろう。けれど変化は当然であると理屈で理解できるからと言って感情で納得できないのが、人間の抗いがたい性質というもの。特に元々思い入れのあるモノが自らの知識とかけ離れた姿に変貌してしまっているというのならば、なおさらそんな傾向は強まってしまう。

 

 

「かつて栄えた都も、今は昔、だな……」

 

 

すなわち目の前に広がるかつては人の往来で満ちていたそんな場所を。かつては人と車の往来しかなかったそんな道に大量の犬型の魔物が堂々と闊歩している光景には、私という冬木の土地が故郷であるものにとって見るだけでうんざりとさせられる威力があった。とはいえ、私たちの使命はこんな魔物どもが蠢く冬木市を―――新迷宮の第五階層を攻略することにある。

 

 

―――感傷に浸っている暇はない、か……

 

 

だからこそ私は、辟易とする思いを抑え込みつつ、強化した眼球の向かう先ををかつて繁栄した文明の痕跡を―――我が懐かしの故郷を気ままに歩く魔物に固定してゆく。するとまず目に飛び込んでくるのは、街中に数多く存在している方である四足歩行を行う犬型の魔物だ。全ての生命に対する嫌悪感が籠ったかのような一対の赤い瞳をもつ犬型の魔物は、人間一人くらいなら丸呑みに出来そうなその真っ黒の巨体の前方をしている。赤眼や黒い巨体からは人間の抱える負の感情から憎悪や暴虐といった攻撃的な成分だけを抽出し煮詰めたかのような雰囲気が発せられていた。赤い瞳と黒い体の色のこいつが大量にひしめき合いながら街中をうろついているからこそ、霧に包まれた冬木の街は赤と黒だけの二色ばかりで満たされてしまっているように見えていたのだ。

 

 

そうして冬木の街を我が物顔で闊歩する奴らは、特に冬木の西側―――中央川沿いの表通り、住宅街深山町の東の端から西の端までの道路らへんを中心に陣取っている。奴らはある一定の法則―――三叉路、十字路などの分岐に差し掛かると一定時間そこに留まり、その後再び来た道以外の十字路へとゆく―――に従って縦横に建造された町中の道路の上を無尽に往来していた。大量の赤い眼光が蠢きながら肩身狭そうに深い霧を割いて流れてゆくその様子は、まるで人間の血管の様だった。

 

 

さてそんな人間の血液が如き動きをしている犬型魔物の動きを見てやれば、奴らがわずかな時間留まる深山街の分岐路には別の魔物が存在がいることに気が付ける。冬木の街のあちらこちらに点在しているそいつは、胴体は真黒く、そこに胴体と同じ色で染めた頭足類の触手だけを切り取って子供が接着剤で適当に組み上げたような、稚拙な姿形をしていた。あるいはホヤの胴体にイソギンチャクの触手を引っ付けた、とでもいった方がわかりやすいだろうか?

 

 

ともあれ、かつて私の脳内に現れた奴によく似たそんな姿をしたそれこそが、この街に生息する二種類目の魔物である。体が黒一色であるその魔物は、犬型の魔物の外見にあるような刺々しい雰囲気をもっていない。いやそれどころかそんな二種類目の魔物の動きには周囲にいる生物を誘うかのような所作があった。全身の体表はまるで黒真珠のように艶々と輝き、一呼吸ごとに丸みを帯びた胴体がうぞりと動き、霧を纏っててらてらと蠢き輝いている。そんな胴体から伸びる真黒い触手たちはまるで商売女が男に媚びる手や指の動きのようであり、つまりはまるで情念と言うものを具体化したかのよう滑らかな動きをして見せていた。

 

 

そうした要素が合わさって醸し出されるこの触手型の魔物の雰囲気は、宝石や貴金属で我が身を着飾った高級娼婦とでも例えられようか。ならば奴らがその黒い体に纏う霧は振りかけすぎた香水の具現化で、輝く皮膚は塗りすぎたおしろいが光を反射した結果であると例えることも出来るかもしれない。触手型の魔物はそんな、見た目鋭利な攻撃性を主張する外見の犬型の獣とはまた別種の、接触した相手を自らの持つ毒で内側から溶かしつくして破滅に導いてしまいそうな雰囲気を保有していた。

 

 

―――まさに魔物、というわけか

 

 

魔物……monsterの語源はラテン語のmonstrum、『よくわからないけれど確かにある存在』にあり、さらにmonstrumは同じくラテン語のmonere、『警告、忠告』という言葉に辿り着く。ならばこそ目の前にある存在こそわかるけれどもその正体わからない、しかしこの迷宮第五層の冬木市へ侵入する存在への警告となりうる魔のモノの配下なのだろう奴らは、まさしく『魔物』と呼ぶに相応しいといえるだろう。

 

 

「……む?」

 

 

そんな勝手なイメージを私が抱いていると、やがて奴らの動きを追っていた視線は、二種類の魔物が共同作業をしているらしいことに気が付ける。分岐点にいる触手型の魔物の胴体から生える触手の先端が、犬型の魔物の黒い体と接触する。途端、犬型の魔物は全身を大きく細かく震わせるのだ。その折にはたいてい、触手型の魔物に触れた犬型の魔物も大きく体を震わせる。……そう。二種類の魔物はそうして触れあった瞬間、まるで快楽の頂に達したかのよう同時に身を震わせ、揃って悶えるような所作をするのだ。

 

 

加えて触手型の魔物はどうにも犬型の魔物よりも貪欲な性質をもっているらしく、その体から伸びる触手の数だけ分岐路にやってきた犬型の魔物を捕らえては共に我が身を大きく震わせると、すっきりしたといわんばかりに目を細めた犬型の魔物が別の分岐路へと消えた瞬間にすぐさま別の犬型の魔物に触手を伸ばしてゆく。そうしてやってくる犬型の魔物の行き来が耐えることはなく。つまり触手型の魔物はほとんど間断置くことなく、我が身を震わせ続けているのだ。

 

 

―――

 

 

それはまるで人間の性交渉―――否、乱交のようだった。ならば自らが満足した瞬間に相手から興味が失せる犬型の魔物はまさしく男という存在の本能を象徴する魔物であり、そんな多くの犬型の魔物を周囲に誘引しては侍らせ快楽に身を浸し続ける触手型の魔物は女という存在の本能を象徴する魔物であるともいえるだろうか。あるいはまた、犬型の魔物を下半身で物事を考える理性と忍耐のない遊び人と例えるなら、そんな男性の多くに身を任せては共に絶頂に達し続ける触手型の魔物は性に奔放な夜の女王様と呼べるかもしれない。

 

 

―――見てられん……

 

 

見るも悍ましいそんな二種の魔物の乱痴気騒ぎに辟易して思わず視点を遠ざけると、視界は再び冬木の住宅街を俯瞰するものへと戻ってくる。見える冬木に街の光景は先ほどのものと何の変化もない。だが。

 

 

―――これは……

 

 

地面に蠢く赤の点と波打つ黒の正体。そして、そんな赤の光と黒の波の中に存在している魔物がいる事実を知った今、冬木の街の光景は先ほどまるで別物のように見えてくる。

 

 

―――まるで人体解剖図だな

 

 

先ほど私は住宅街の赤と黒の点の群れがまるで人間の身体の血管のようであると例えたが、なるほど、そのたとえはまさしく二種類の魔物を表すに適していたらしい。狭い視点で見ると人間が交尾するかのように見える魔物の動作は、広い視野で見るとそれはまさに生きた人間の体の解剖図のようだった。すなわち触手と繋がれる前のどこか凶暴的な動きをしている犬型の魔物は動脈静脈で、触手から解放されてすっきりしたといわんばかりにおとなしくなった犬型の魔物は毛細血管だ。ならばそんな犬型の魔物たちに伸びた触手はリンパ管で、触手型の魔物はリンパ節と言えるだろう。

 

 

―――もしこの見立てが正しいとして……

 

 

リンパは人体において、下水浄化施設のような役割を持つ。下水たるリンパ管を流れるリンパ液は毛細血管から酸素と栄養を運び終えてしかし動脈静脈の大きな循環に戻れなかった血液から作られ、そんなリンパ液は主に動脈や静脈から出た老廃物をリンパ節という下水処理場に運ばれ、やがてリンパ節で濾過されたリンパ液は心臓への帰路たる静脈で合流を果たして再び心臓へと運び込まれてゆく。

 

 

―――この宝石により魔のモノを封じる場所が迷宮の最奥に本当にあるのだとしたら、すなわち奴らにとってアキレス腱となりうるそんな場所は、きっと……

 

 

もし仮に。狭い視点で見たときに人間の性交渉によく似た動きをする奴らが、広い視点で見たときにそんな人体の構造によく似た奴らの動きをしているというならば。もしもあの犬型の魔物が血管の動脈静脈の役割を担っており、触手型の魔物がリンパ系の役割を担っているというのであれば。

 

 

―――柳洞寺の地下大空洞にある、か

 

 

冬木の街より少し離れた場所。円蔵山の中腹にある柳洞寺の裏に広がる池をさらに下に行った、つまりは円蔵山の地下に存在する、かつては大聖杯という聖杯戦争における核が収められていた大空洞、『竜洞』。冬木という土地を流れる霊脈の最大の中心ポイントでもあるそんな場所こそが、おそらくは街に群がる奴らの心臓部でもあるはずだ。

 

 

―――冬木で聖杯戦争が起こる原因となった土地……

 

 

霊脈は、地球を心臓と考えた時、その上を流れる血管のようなものであり。つまりは血液の代わりに霊脈内を流れているのが、魔力という魔術を使うため必要な霊的エネルギーだ。すなわちこの霊脈が大きければ大きいほど、そこに流れる魔力は膨大ということになり。そうして魔術師たちはそんな霊脈を利用することで、通常ならば発動不可能な規模の大きい魔術を発動させることを可能とするのだ。

 

 

―――この霊脈があったからこそ、冬木という土地が聖杯戦争という魔術儀式を行う土地として選ばれた……

 

 

冬木という土地は、東京や富士などの超一級の霊脈ある場所と比べれば劣るものの、日本でも有数の霊脈が存在している場所だ。だからこそ御三家と呼ばれる聖杯戦争の始祖たちは、この冬木という土地を、その土地にある霊脈を利用しようと考え、冬木の霊脈の起点である大空洞「竜洞」に聖杯戦争の大聖杯を設置した。だからこそ冬木では聖杯戦争という殺し合いの儀式が二度も開催されることとなり。

 

 

―――ならば、新迷宮や第五次聖杯戦争において召喚された英霊たちを模した番人などという魔的な存在を生み出すエネルギーを確保するにも適したその場所は、聖杯戦争の再開を謳う言峰綺礼が反撃の用意を構えるに最も適した居城であるといえるだろう

 

 

そしてまた、だからこそ冬木という街において聖杯戦争を戦い抜いたという過去の経験がある私は、本来なら分からぬはずの奴ら―――、すなわち、言峰綺礼と魔のモノにとってアキレス腱となりうる場所を予測することが出来たのだ。予測の正しさを示すかのように―――

 

 

―――魔物の群れは深山町の西側……、円蔵山付近へと近づくほど密度が濃くなってゆく。

 

 

魔物は冬木の街の西の端にある円蔵山を中心にして放射状に数が多くなってゆき、かつ、外側の扇行くほどその密集度が薄くなっていることも見て取れる。冬木の北西―――すなわち、円蔵山の北側にある郊外へと続く田園森林地帯あたりだけは例外的に魔物の数が少ないが、ここが迷宮で、今私たちがいる天井付近が入り口であり、入り口から伸びる階段が冬木の街の東側に位置するセンタービルの屋上に繋がっているという条件を考えるに―――つまりは、迷宮の入り口が街の東側にあり、円蔵山という敵の本陣と思わしき場所が街の西の端にあるという条件から考えるに、それは不思議なことであるまい。通常、敵陣というものはその中心に近づくほど密度が濃くなるものであるし、わざわざ敵がやってこない方向に陣を構える指揮官などいやしないからだ。ならばすなわち―――

 

 

―――やはり円蔵山こそ、奴らの拠点であると考えて良いだろう

 

 

センタービルから最も遠く、そして魔物の密度が最も濃いそんな場所にこそ奴らの本陣があると考えておかしくないはずだ。

 

 

―――懸念があるとすれば……

 

 

ただしもちろん、今までの世界樹の迷宮の傾向からも察せることだが、その場所―――円蔵山の最奥地、大空洞「竜洞」に待ち受けているのはおそらく言峰綺礼や魔のモノだけではないだろう。世界樹の迷宮の階層の最奥、次の階層に続く部屋には番人と呼ばれる魔物が潜むもの……。そしてまた、この冬木市が第五階層とするならば、その地下にある大空洞「竜洞」は第六階層と呼ぶに相応しい地形である事と、この新迷宮において番人は第五次聖杯戦争に参加したサーヴァントの情報をもとに生み出されていることを加味するならば―――

 

 

―――残る第五次聖杯戦争参加サーヴァントである、最優の名を冠するセイバーを元にして作られた番人もまた……

 

 

おそらくは円蔵山の柳洞寺裏に広がる池付近に、この第五階層を守る番人という存在が身を潜めているはずである。さらに加えて、言峰綺礼という男もまたこの街のどこかで、我々の命を狙っているに違いないのだ。言峰綺礼は必要と在らば自ら前線に出てくることもためらわない、統括指揮官にも、前線指揮官にも、優れた兵士隊にもなることもできる、敵に回すとあまりに厄介な頭脳と肉体と精神性の持ち主だ。そして他人の嫌がることをこそ自らの至上の喜びとする奴ならば、間違いなく臨機応変に動いてこちらが最も嫌がることをやってくるだろうが―――

 

 

―――まあ、いい

 

 

不確定な要素を加味して考え出すときりがない。イレギュラーな奴の動向予想は一旦保留にしておくとして、ともかくまずは見える問題から一つずつ片付けるしかない。

 

 

―――とにかく、ゴールは定まった

 

 

ともあれ暫定的ながらも見定めた敵の本拠地を目指すため、改めて眼下にある階段の行方が繋がる冬木のセンタービル屋上から柳洞寺までを俯瞰する。改めて眺めた直線にすれば目算ざっと二、三十キロメートルあるかないかくらいだろうその道は、二種類の魔物の群によって埋め尽くされていた。群生する魔物たちによってまるで地面が見えない状態であることから推測するに、センタービル下の公園から円蔵山までの最短往路だけで数千の数を下ることはあるまい。冬木の街全体を見れば、魔物の数は優に万を超えているだろう。

 

 

―――まずは彼らと共にあそこまでたどり着かねばならないのだが……

 

 

それだけの数存在している魔物をどう対処するか。最初の問題はそれだ。すなわち真正面から行くとすれば、馬鹿正直にあの数を真正面から捌くことになる。流石に四層番人どもが保有していたような『全攻撃反射能力』などという反則じみた能力をあの数いる雑兵へ引っ付けるという等価交換の法則に―――ひいては世界そのものに喧嘩を売るような所業は出来ないだろうから、そうして地道に雑兵どもを減らして敵の戦力を削るという正攻法は間違いなく最も安全性が確保できる行為であるはずだ。だがまともに正面からあの群れに突っ込み万異常は要るだろう数の敵を余さず鏖殺して進むというのは、王道ではあるものの無駄な消耗だけを招く、いかにも非効率で愚かしい行為と言えるだろう。

 

 

―――五対数千。あるいは、五対数万、か……

 

 

大地を埋め尽くすほどいる多数の敵との連戦は間違いなく、バカみたいな消耗を―――立っていることすら億劫になるほどの疲労を私たちに招くだろう。疲労はたった少しでも判断ミスと軽率な行動を招きかねない呼び水だ。ならば、万の数を超える敵と戦うことによって積み上げられてゆくそんな疲労は、そのまま私たちの死に招く翼となりかねない。

 

 

―――近寄ってまともに相手をするには不毛すぎる数だな……

 

 

死。それは二度とあの人造大地の上の世界に戻れぬということである。共に追放された身分である以上今更かもしれないし、私だけなどという言葉を使うと相変わらず傲慢に過ぎると言われてしまうかもしれないが、せめて彼らだけは元の日の当たる道を歩けるようにしてやりたい。それは過去の己の誇りと矜持を取り戻した私にとって、譲れぬ願いである。

 

 

―――まともに相手をしない手段を持ち合わせていないこともないが……

 

 

近寄ってまともに相手をすれば多大な消耗を避けられず、我らの死が見えてくる。というのであれば、あるいは近寄ってまともに相手をしない手段―――例えば遠距離であるこの場所から、一方的に投影した宝具を射出して数を減らしていくという方法もないわけではない。手持ちの宝具を片っ端から射出してやれば、ビルや街に群がる奴らを建物ごと吹き飛ばすなんてことがとても容易にできる。だが。

 

 

―――……迷宮は、定められたルールを冒すものを許さない

 

 

忘れてはならないことに、ここは冬木の街であると同時に、世界樹の迷宮の深層なのだ。世界樹の迷宮は一定以上の破壊や決まったルール―――例えば、一定以上迷宮を形作る素材となっている大地や樹木、石、池などを破壊したり、樹木の上の一定以上の高さを進んではいけないなど―――を守ってやらねば、迷宮自体が侵害者を排除するようできている。

 

 

―――私はそれを新迷宮の二層で嫌というほど思い知らされたからな……

 

 

世界樹の迷宮は侵入者たちが定められた法を犯した時、冒険者に牙をむき、侵害者たちがいる層の内に住まうものたち―――つまりは魔物たちを常より多くけしかけてくる。かつてこの新迷宮の二層にてそんな世界樹の迷宮に共通するルールを破ってしまった私は、二層に生息していた無限にも思える数の多くの虫型魔物に追いかけまわされ、ひどく消耗する羽目になってしまったのだ。

 

 

―――この冬木が新迷宮の奥地にある以上、ここは世界樹の迷宮のルールが敷かれている可能性が高い……

 

 

すなわち、ここが世界樹の迷宮―――新迷宮という場所の奥地である以上、下手に威力のある宝具などを用いて建物を大規模に破壊してしまった場合、眼下に群れている万の数が膨れ上がり、十万、あるいはそんな数すらも超える敵がこちらへと押し寄せてくる可能性もある。そうして膨大な数にまで増えた敵を始末するのには、それこそ眼下の敵を真正面片っ端から鏖殺する以上の消耗を強いられる事となる。消耗を避けるための行動をしたがためそれ以上に消耗するなんて、それこそ愚行以外の何物でもない。

 

 

無論、こちらもどこにいるかわからない言峰綺礼と同様に不確定な要素だ。だがいかんせん、万が一の際に出現する敵の規模が規模だけに、こちらはおいそれと無視できない。質でいえば言峰綺礼の方が断然恐ろしいが、幾万幾十万もの量というものはそれだけで高い質の一を簡単にひっくり返せる脅威である。千の力を持つ英雄はしかし、一の力しか持たない万の凡夫との消耗戦に敗れ去ってしまうのだ。

 

 

かといって街中の建物や建造物に可能な限り影響が出ないよう一匹一匹丁寧に駆除をしていたのではどれだけ時間がかかるかわからない。そもそも、あれだけ群れている敵に気付かれないよう全てを始末するのは、まず不可能だ。

 

 

―――この場から柳洞山地下にあるだろう敵の本拠地まで最短経路を駆け抜けようと思うなら、センター街から住宅街にかけてまでの間で馬鹿みたいな消耗させられることを避けられないし……

 

 

とはいっても最初の思惑通り真正面から突っ込むとなると、冬木の上空、高さ四キロの位置から百メートルはあるだろうセンタービルの屋上まで続く透明な階段―――落下防止の手すり無し、かつ、暗いため足元が見にくく、ガラスのような透明さであることがそんな見えにくさに拍車をかけている、上下の面には滑り止めのざらつきもない―――をゆき、魔物がひしめいているかもしれないセンタービルの内部をたっぷり百メートルほども下って冬木東側の新都に降り立ち、そこから西の深山方面に向かってセンタービルオフィス街を襲い掛かる敵捌きつつ駆け抜け、魔物の数が急に増える冬木大橋の上をやはり必死に処理しながらひたすら東から西に進み、数が多すぎてもはや放置しすぎて固まってしまった砂糖や塩のような惨状となっている敵を片っ端から鏖殺しつつ深山街の住宅街を十キロほど西に進むと、それでようやく西の端にある柳洞寺に辿り着く。すなわち、地形に沿って真正直に進むなら、どうあがこうと消耗戦は避けられない。言葉にしただけでもこの長さの、もはやうんざりを通り越して関心すらさせられるそんな案、とてもではないが実行しようなどとは思えない。

 

 

とはいえ、それ以外の案も―――

 

 

―――だが、冬木の住宅街を避けるため、センタービルから北上して港方面に進むルートも悪手だ……

 

 

強いられる消耗の度合いは大して変わりそうにない。冬木の街の東西―――新都側と深都を二分する川には、一つ―――中央にある冬木大橋しかかけられていない。すなわち、その北上ルートを使うのならば、川を渡る必要が出てくる。だが、冬木の川はそれなりの深さがあるし、その幅も私とて一足飛びにて超えられないほどに広い。渡河のさなか足をつくことのできない状態で奴らに気づかれたのなら、それこそひどい消耗を強いられてしまう事となる。

 

 

―――この迷宮の魔物たちがたった二種類しかいないという点も気になる……

 

 

また、群体じみた奴らの事だ。

 

 

―――もしも、奴らがいわば斥候であるとするなら……

 

 

最悪、一匹にでも姿を認識されれば、情報は一瞬のうちに共有される可能性も否定できない。獣ごときにいくら襲われようと負けぬ自信はあるが、ぐずぐずしているとこの層の番人や言峰綺礼。最悪の場合、新迷宮の六層にあたる大空洞「竜洞」に潜んでいるはずの魔のモノが直々に出てくる可能性すらも考えられる。

 

 

―――最悪、冬木の街のど真ん中が戦場になる、か

 

 

魔のモノとやらの能力がどれほどのモノかは知らないが、少なくともこの層の番人はセイバー……、すなわち、アーサー王たる彼女の伝承を元に生み出された存在であるはずだ。ヘラクレスという彼の伝承が不完全じみていたことから考えるに、敵もさすがに神の偉業や星の奇跡を完全に模することは出来ないと楽観視することも出来るが、それでも魔力を光に変換し、超高密度な光の断層を生み出してその熱で敵を討つ神造兵装「約束された勝利の剣/エクスカリバー」と、次元遮断により物理攻撃をシャットアウトする、無敵の完全防御兵装「全て遠き理想郷/アヴァロン」が、ある程度以上の性能で再現されているとすれば、それはとてつもない脅威である。

 

 

―――アーサー王……、ブリテンの赤き竜……

 

 

セイバー……すなわちアーサー王の伝承から、この度いかなる獣が出現するかのおおよそ予測が付いている。おそらくこの度現れるのは、……赤い竜だ。そして私は、かつて彼女と魔力のパスを直接繋げた際にできた影響で、彼女の中に潜むそんな赤い竜の姿を目撃したことがある。

 

 

赤い竜は深山街くらいならわずかに身じろぎしただけで壊滅させてしまいそうなほどに巨大で、さらには金属をも溶かしてしまいそうな熱線を吐く存在だった。故に対策として有用そうな熱を遮断するアクセサリー『ルビニ』―――クーマに頼むと、金銭と引き換えに持ってきてくれた。ルビーに似た赤く大きな輝く結晶で、エトリア執政院の倉庫奥深くで眠っていた、旧迷宮が初踏破された時代の超一級品らしい―――を持ってきてはいる。だが、果たして旧時代の超一級品たるそれが、それよりはるか旧き時代の伝説に残るセイバーの宝具を模倣した超威力の攻撃にどこまで耐えてくれるかは、それこそ天のみぞ知る話である。

 

 

―――そうなってしまえば、世界樹のルールを守るだのなんだの言っている場合ではなくなってしまう……

 

 

ともあれ、現れるのが地下に閉じ込められた冬木の西の端の円蔵山地下付近で、現れるタイミングが今までの番人たちと同じようにあるだろう番人部屋へと足を踏み入れた瞬間であるというならば、対処ができる。一層の部屋で目撃したよう番人部屋の壁はとても頑丈にできていたし、あるいは彼女の熱吐息が壁を壊してしまう事態が発生するにしても、最悪固有結界で対処することが出来る。

 

 

だがそんなものがこちらの虚を突いて街のど真ん中に突然現れてしまったら、それこそ手の打ちようがない。まずその巨体の着陸で建物の大半は壊れるだろう。続けざまに放たれる竜の吐息で、さらに破壊は拡大してしまうはずだ。すなわちそうなってしまえば、どうあがこうと世界樹の迷宮の破損は避けられないし、何より、番人とあの二種の魔獣の両方の相手を同時にしなくてはならなくなる。

 

 

質の暴力の化身と量の暴力の化身。どちらか片方ですらも多大な消耗を強いられるだろうそんな敵を、しかも世界樹の迷宮という存在を敵に回したという条件の下で同時に相手するなんて行為。それは一体、積極的な自滅行動と一体何が違うというのだろうか。

 

 

こちらの消耗を最小限にとどめつつ、迷宮の破壊を最小限にしたうえで、あの本拠地と思わしき場所まで辿り着く。すなわち、下の敵からの干渉を一切受けないまま円蔵山の柳洞寺に到達する。私が求めているのはそんなこちらにとって都合のよすぎる方法である。―――だが。

 

 

―――この際、ある程度の消耗は避けれないとして……

 

 

あれもだめ。これもだめ。浮かび上がってくるアイデアには、どれもこれもバッテン印が大きくつけられてゆく。通常、目の前にある事実と手持ちの情報を掛け合わせ続ければ、いつかは理想と現実の差は埋まるはずである。

 

 

―――最小の被害、かつ、最大の効率で消耗を抑えてやるには……

 

 

しかしこの度に限っては、どれだけ思考を巡らせてやろうと、結局こちらが消耗を抑えるには、『敵に見つからず冬木の街を横断し、柳洞寺の裏の池の地下空間にあるだろう番人部屋に辿り着く』しかないという、理想通り越して机上の空論に過ぎない結論へと辿り着いてしまう。

 

 

「はぁ……」

 

 

堂々巡りの果てに辿り着いた結論が何一つ進展を見せていないことほど徒労感を覚えるものはない。不毛な作業はかくも精神をすり減らし、吐息となって周囲の気温低い湿気た空気を濁らせてゆく。あるいはかつてのように、この身が英霊というエーテルで構成された体で、また、未知なる敵という存在がなければ、パラシュートでも投影してこの天高き場所から柳洞寺目掛けスカイダイビングよろしく飛び降りるという強引な突破を試みても良かったかもしれない。

 

 

だがあいにく、私は現在、生身の肉体となっているし、また、私に同行してきている彼らも当然、生身の体である。何より、これだけの数の敵―――見張りとなる視線があるのだ。今は天井付近にいるからばれていないのかもしれないが、仮に空へと飛び出して着地するまでの間に、そんな幾千とある視線の全てを欺くことなど、まず不可能だ。そんな奴らに見つかってしまうリスクに加えて、さらには空に飛び出してから着地するまでずっと無防備な時間を作ってしまうリスクまで発生してしまうその案は、いかにもハイリスクローリターンな下策といって過言でないだろう。

 

 

―――さて、どうしたものか……

 

 

一人で考えるも、目の前の現実から求められている理想が高すぎて、まるで名案というものは思い浮かんでくれない。通勤ラッシュにひしめいている乗車率千パーセント越えの環状線電車内を、しかし一切他人に気付かれることなくまっすぐに駆け抜ける。今必要とされているのはそんな、不可能を不可能のまま可能とするための手法なのだ。

 

 

「どうした? 進まないのか? 」

 

 

実際にやろうとすれば不可能と可能という言葉の定義から見直してやるくらいしかないだろうそんな方法を考えていると、ダリの声が後ろから聞こえてくる。振り向けば呆然と地上の様子を眺めていた彼等は、いつの間かすっかり元の調子を取り戻していた。

 

 

「いや……、あれをどうするかと思ってな」

 

 

眼下の街の適当な場所を指差すと、彼等は不思議そうに首を傾げて尋ねてくる。

 

 

「あれ……とはなんだ? 」

 

 

―――ああ、そうか

 

 

そして通常の視力では暗闇と深い霧に包まれた街の詳しい様子を見て取ることができないという当たり前のことを思い出した私は、自らの間抜けさを再確認しつつも口を開いてゆく。

 

 

「今、君たちが一望していた街の中に赤の点々があるだろう?」

 

「川の片側に―――街の西側に特に集中しているあれですか」

 

「ああ、結構規則正しく動いてるあれ?」

 

「エミヤさん、あれの正体がわかるんですか?」

 

「ああ。―――あれらは全て魔物だ」

 

 

飛んできたピエールとサガと響の言葉と質問に、一言で答えを告げる。

 

 

「すべて……」

 

「まもの……?」

 

 

するとサガと響はすぐさま言葉の意味を理解しきれなかったのか、短く切りそろえられた金髪と赤髪を揺らしながら呆然と首を傾げ―――

 

 

「全てが魔物……」

 

 

また、私と似ているダリなどはその言葉をすぐ咀嚼し終えたらしく、さらには事実が示す答えを予測したのだろう、顔をひどく顰めさせてゆく。

 

 

「あれだと万は下らないかもしれませんねぇ」

 

 

唯一、楽師であるピエールだけは涼やかな常と変わらない笑みを浮かべている。彼はまるで楽器を鳴らせない鬱憤を晴らすかのように、片手で長くウェーブかかった髪に手櫛を入れて撫でていた。

 

 

「なるほど……、確かに目凝らしてみれば、奴らは動物の見た目と動きを……、『スノードリフト』に『森の破壊者』の両腕を引っ付けた見た目と、循環型F.O.Eのような動きをしているな」

 

「―――スノードリフト? 森の破壊者? 循環型のF.O.E?」

 

 

そんな今にも歌いだしそうなピエールを無視しつつ、目を凝らしたダリの言葉に首を傾げてゆく。

 

 

「……?」

 

 

すると目を細めて必死に眼下を観察していたダリはこちらを見て、眉間のしわを緩めて別の角度に刻みなおすと、不思議な顔を浮かべつつ首をひねった。

 

 

「ああ……、君は旧迷宮に足を運んだことがなかったのだったな」

 

 

だが彼は、すぐさま頷いて納得の様子を見せたのち―――

 

 

「ええと、どこから言ったらいいものか……」

 

 

言い淀むと、考え込んだ素振りを見せたのち再び頷いて、口を開いてくる。

 

 

「スノードリフトは旧迷宮の一層の番人で、森の破壊者は二層の循環追跡型のF.O.Eだ。番人の事情は知ってるだろうから説明は省略するが、迷宮内の強敵、Filed Of Enemy―――、通称F.O.Eと呼ばれる奴らにもいくつか種類があってな。例えば旧迷宮の一層にいるF.O.E、『狂える角鹿』は、一定の範囲を往復しつつ、こちらを見つけると向かってくるタイプの循環追跡型だ。同じく旧迷宮一層の『岩イノシシ』は、通常はその場にいてこちらが一定の範囲に侵入すると一気に駆け寄ってくる縄張り死守型。やはり旧迷宮一層の『全てを刈る影』のような徹底交戦型に―――」

 

「まぁとにかくそんなたくさんあるF.O.Eの種類のうち、眼下の魔物の群れはこの男が最初に言った循環追跡型と呼ばれる一定の範囲を循環してこちらを見つけ次第追いかけてくるF.O.Eの動きに見えるし、その見た目は旧迷宮の狼型の一層番人に二層に出てくる熊の太い前腕とそんな前足に引っ付いてる大爪を引っ付けたような見た目だ、ということです」

 

 

だがそうして私の言葉に詳細な説明を返してこようとするダリの言葉を遮って、ピエールが話をさっさと締めてしまう。話の主導権を奪われたダリは一瞬むっとした表情をしてみせるも、しかしピエールが何故自分からそうしたのかに気付いたのだろう、むすっとした表情のまますごすごと舌の根を引っ込めてゆく。

 

 

「相変わらずあなたは説明が下手ですねぇ」

 

「……」

 

 

微に入り細に入りの全体説明ではなく、論旨を単純にして明快に。知識がない他人にとってわかりやすい説明をするためには、相手の知識や思考を察し、慮るという行為が必要となってくる。今のピエールの発言と彼が先日見せた言動から察するにこのダリという男は、どうも昔から自分と異なる存在である他人の事情を慮り、余計なものを切り捨てるという行為が苦手なようである。

 

 

―――まぁ、私がどうこう言えた義理はないか……

 

 

とはいえ私も、他人の思考や在り方は自分の思考や在り方と同じで当然であると考えている節があり、そしてまた余計なもの―――どこかの誰かに言わせれば心の贅肉に過ぎない余計を切り捨てられなかったために英霊などという立場にまでなってしまったという経歴を持つ故、文句を言える立場にない。

 

 

「と、とにかく眼下の魔物は狼型の一層番人のスノードリフトに、二層の熊型F.O.Eである森の破壊者の前腕を組み合わせたような見た目。そして循環追跡型と呼ばれるF.O.Eの動きに近い、ということだ」

 

 

などと私が勝手に後ろめたい思いを抱いていると、ダリは眉間へとしわよせてばつが悪そうにしながら、吐き捨てるように言う。おそらくそれは指摘があまりに正しくて不貞腐れた、というよりも、相手が求めている情報を自分一人では察して上手くまとめることが出来なかった自己嫌悪から発しているのだろう。ダリの大きな巨体の顔面のあちこちには、こちらが勝手に感じて解釈した想いが真であると思わせるような深いしわが刻まれていた。

 

 

「あー……、にしても下に見えるあれが全部F.O.Eってすげぇよなぁ……」

 

 

そうして彼を源として漂い始めた鬱屈の雰囲気に居心地の悪さを覚えたのか、サガが誤魔化すように言う。

 

 

「あ、は、はい! そうですよね! すごいですよね!」

 

 

続けて響も空気を呼んだのだろう、慌てた様子で同意の言葉を重ねてゆく。二人のわざとらしいまでのとぼけたと明るい態度からは、『これから迷宮という死地に向かうのに不和の空気になるのはごめんだ』という想いがありありと読み取れた。なるほど、これから戦いの場へと向かうのに組んでいる相手の一人が気を損ねている、と、いうのは確かに可能な限り避けたい状況だろう。

 

 

―――凜もこのような思いだったのだろうか……

 

 

彼らのそんな態度を見ていると、かつて積極的に皮肉と正論で場をひっかきまわしては、セイバーや過去の衛宮士郎との間に不和を持ち込んでいたこの身としては、どうにも身につまされるというか、そうして場の空気をどうにか取り繕うとする凜の苦労の姿が浮かんでみえてきて忍びない気……、というよりは、申し訳ない気分が湧き出てくる。

 

 

「まだどこに行けばいいのかもわかってないのに―――」

 

「いや、目的地なら検討がついている」

 

「……え?」

 

 

そんな勝手に抱いた気まずさが背を押したのか、彼らの意を汲んで流れに乗っかるかのよう、気付けば私は素直に情報を提示していた。

 

 

「あそこだ。眼下の東西に広がる街の、田園が多く広がっている方の山の上の中腹を見てくれ」

 

 

そうして私は円蔵山中腹にある柳洞寺を指さす。

 

 

「ええと、中腹っつぅと……、あぁ、でかい平屋の建物があるな」

 

「―――それと、少し離れた場所に、池らしきものもある」

 

 

真っ先に指先の向かう場所にあるものをサガが見つけて答え、ダリがそれに続いた。

 

 

「そうだ。その場所だ。そしてその建物と池のある山を意識しつつ街の全景を見ると、その山―――円蔵山を中心にして深山町、新都方面へ放射状に―――、ええと、西から東、田園地帯から川側の建物の多い方へと向かうにつれて敵の数が増えていっているのが分かるだろう?」

 

「あ……、ほんとだ」

 

 

二人の答えに応じて指をつぅっと、柳洞寺から東側の新都のタワービルにまでもって来ると、響が真っ先に反応して目を丸くした。

 

 

「……おぉ、確かに」

 

「ふむ……」

 

「なるほど、なるほど……」

 

 

サガ、ダリ、ピエールも遅ればせながら私の指摘が事実であることに気付いたのだろう、それぞれの反応をして見せる。反応からダリとピエールあたりは私の言わんとしていることを理解しているのだろうと予測した私は、そのまま指の向かう先を再び逆走させて―――

 

 

「おそらく、その密度の最も濃い場所の中心地、つまりは円蔵山の―――、ダリの言った、山の中腹の柳洞寺に側にある池の、そのさらに地下にある大空洞―――通称「竜洞」に、敵の親玉が潜んでいるものと思われる」

 

 

柳洞寺の裏手を指差してみせると、彼等はその場所を目視して大まかな場所のみ確認したのち、それぞれに納得したといわんばかりの様子で鷹揚に数度首を縦へ振った。

 

 

「最も敵の密度が濃い部分にこそ、敵の本拠地がある。なるほどそれは確かに理にかなっている説明だ」

 

 

直後、真っ先にダリが私の言葉を肯定すると―――

 

 

「だが本拠地の見当をつけた理屈はいいとして、君はなぜ目の前の地形や建物の名前を言ったり、あの池の地下に空洞があり、そこに敵が潜んでいるだろうと予測することが出来たのだ?」

 

 

しかし向きなおして尋ねてくる。問いはもちろん、この街の詳細な情報を開示したのならばあって当然の疑問から発せられたものだった。かつての私ならばその問いに絶対答えなかっただろうし、それどころか先のような情報の開示すらもしなかっただろう。なぜならばその時私は、己の心象を彼らにさらけ出してなどいなかったがゆえに。なぜならばその時の私にとって、彼らは私と同じ世界に立っている人間ではなかったがゆえに。

 

 

「簡単な話だ」

 

 

だが私は今、すでに彼らへ己の心象風景をさらけ出した。秘匿しておくつもりだった全てを、私はすでに彼らへと開示済みなのだ。

 

 

―――ならばこんなこと、今更隠しておくべき情報でも何でもない

 

 

「それは、ここは私が過去の時代において育った土地―――冬木市という場所であり、そしてまた、そんな冬木市で起こった戦いにおいて私は、街の裏に潜む敵と柳洞寺の地下の「竜洞」にあるモノを賭けて戦った経験があるからだ」

 

 

そう思った私はだからこそダリの問いに素直な答えを返してゆく。返答を聞いた彼らは全員、口をあんぐりと開けて、驚く様子をしてみせた。だが、あって当然の驚愕の表情はしかし、すぐさまそれぞれに許容の顔へと変化してゆく。

 

 

「なるほど、そりゃ詳しくて当然だ」

 

 

いつものように人懐っこい顔を浮かべつつサガが言った。

 

 

「では、頼りにしていいのだな?」

 

 

続けてまっすぐに視線を向けてきたのはダリだ。自分はこの新迷宮五層としてある場所―――冬木市の出身で、過去にはその場所で戦ったこともある。そんな普通なら問い返してくるのが当たり前であろう事情を耳にして聞いてしかし彼らは、なお無邪気に、あるいは迷いなく信頼を置こうとしてくる。

 

 

「―――ああ、勿論だ」

 

 

そんな無条件な態度が何よりうれしくて―――

 

 

「存分に頼りにしてもらって構わない」

 

 

ようやく私は、不信や侮りを一切含まない、唯一信頼の感情のみを返礼の中に込めて返すことができていた。

 

 

「で、さしあたってどうするのが最も効率がよろしいのでしょうか? 」

 

 

ダリらと信頼の念を交換しあっていると、ピエールが変わらぬ態度で長い金髪を弄りながら尋ねてくる。

 

 

「単純化して考えよう。まずは、真正直にあれを突っ切るのを良しとするか否かだ」

 

 

私は眼下を指さすと、自ら発した言葉に返ってくる答えを完全に予想しながらも問いかける。

 

 

「勿論、否だ」

 

「同じく」

 

「私も反対です」

 

「まぁ、まともな神経をしているのであればそうなりますよねぇ」

 

 

そうして予想通り返ってきた全員の否定の言葉に苦笑いしながら、再度問う。

 

 

「真正面からいかないのはもちろん私も賛成だ。だが、どうする? 真正面を避けるとなれば、この階段を下った先、新都に聳えたつビル―――高い建物から本拠地に向かうためにある、あの橋を使えないこととなる。あの橋は冬木という街の中心にある川を濡れずに行ける、唯一の陸路だ。だが、あの橋は見ての通り、魔物でいっぱいだ。だから、真正面から敵とぶつかるのを避けて街の東から西へ向かいたい、というのであれば、当然、あの橋は使えないことになる。つまり私たちは、渡河するしかない。だが冬木の川は存外に深い。少なくとも金属類や重い装備を身に着けた状態で渡ることは不可能だろう」

 

「スキルで川の表面凍らせんのはダメなのか?」

 

 

と、そこへ飛び込んできた言葉を聞いて驚かされる。

 

 

「……出来るのかね?」

 

「え、いや、氷の術式使えばいけるかもしれねぇな、って思っただけなんだけど……。ほら、水溜まりで遊ぶ時とかにやった奴の応用っていうか……」

 

「―――」

 

 

それは何とも手から炎を出したり、氷を生み出したりできる、魔術じみたスキルという技術を日常的に当たり前のよう使う彼ら―――新人類だからこそ出てきた言葉だった。突拍子なく出てきた解決案に、しかしスキルというものを用いたことのない私は、だからこそ答えを返せない。

 

 

「……どうだ、ダリ」

 

 

故に私は、最も適当に問いの答えを返してくれるだろう存在へそのまま質問を投げつける。

 

 

「……無理、だろうな。というよりも、あまりに現実的でない。まずエミヤが言った通り深い川だというならばやるにしても相当の労力がかかるだろうし、やれたとしても突如として川が凍るという現象が、川沿いにも橋の上にも多くいる奴らにばれないはずがない。また、川の中に何かが潜んでいないという保証もないのだ」

 

「あー……、水辺の処刑者的な感じのが?」

 

 

応じて出てきたダリの言葉を聞いたサガは、少しばかり眉をひそめながら言った。

 

 

「ああ。ここが迷宮で、そういう三層のF.O.Eのようなのが潜んでいないと限らない以上、迷宮を通常外の方法―――いわゆる邪道に値する手段を用いて攻略しようと考えると、痛いしっぺ返しを食らうことになりかねない」

 

 

ダリは、面倒くさそうに言うサガとは正反対に、とても真剣な表情を浮かべて言う。その言葉から二層の醜態を改めて思い出した私は真摯に受け止め、聞き返す。

 

 

「と、いうわけだ。だからと言って装備を外した無防備な状態となり川を泳ぐのは、ダリが今言ったようなF.O.Eとやらが潜んでいる可能性をも考慮すれば、まさに悪手以外の何物でもない。となれば、真正面から敵の中に突撃して屍山血河を築く以外の手段で、さてどうやってあそこまで辿り着こうというのかね?」

 

 

我ながら意地悪く聞くと、全員が律儀に思考を開始する。その様子を微笑ましく見守りながらも、私も最高の答えを編み出すべく、しばしの間、己の思考に没頭する。するとやがて―――

 

 

「なぁ……。エミヤって、剣以外も生み出せるんだよな?」

 

「……ああ。出来ないこともないが、それが?」

 

「いやさ。ふと、まともな手段以外をやろうとすればどうやっても敵に見つかっちまうってんなら、はなから見つかること前提の、つまりはまともじゃない手段なら案外うまくいくんじゃないかなと思ってさ」

 

「……詳しく話を聞かせてもらおうか、サガ」

 

「ああ―――」

 

 

そうしていくつかの問答の果てに出てきた答えを得て、なるほど奇策とは常に己の常識の慮外に存在するからこそ奇策足りえるのだな、と、改めて感心する。同時に、私の常識からすれば外れた事実を前提とする案を提出できる彼等はやはり私とは似たようで異なる感性を持つ存在であることを認識させられ、仲間と思ったはずの彼らが見せるそんな認識の差異に少しばかりの疎外感と寂しさを得た。


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