夢を見る、懐かしい夢だ。
赤いドレスを着た、貴婦人と呼ぶに相応しい人を見送る夢。
余りにも過去の出来事故か、それとも夢だからか、何を喋ったのかすら覚えていない。
覚えていることがあるとすれば、魔術に関する本と何かの約束と、そして最後の挨拶だけだ。
『いってらっしゃいませ、お母様……』
その声はどこか遠く、彷徨うように言い放たれた。
ジリジリと目覚まし時計が騒々しいほどに鳴り響く。
頭に響くそれは不快感を与え、無理矢理意識を覚醒させる。
忌々しげに布団から顔を覗かせれば、そこには自己主張を続ける騒音の元があった。
「うるせぇ、止まれ!」
掴み上げて投げつけて、あっとまたやってしまったと後悔を抱く。
投げられたそれは壁にぶつかって四方八方に部品を飛ばして止まってしまった、永遠に止まってしまった。
新しい目覚まし時計の購入が必要になる朝であった。
「はぁ……」
眉間に寄る皺を広げ、諦めて部屋から出る。
階段を降り、洗面台で顔を洗って朝の支度をした。
いつものルーティン、それは意識を覚醒させる。
学校へ行く支度を済ませ、玄関に向かったところで思い出した。
「そうだ、ペンダント……用心するに越したことはないか」
赤い、ルビーで出来たペンダント、遠坂家にある由緒ある代物だ。
普段通りの道、違和感を覚えるほどに人気はない。
生徒が誰もいない通学路、早朝の刺すような冷たさに晒されながら登校する。
「誰ひとりいない、まぁこんな日もあるか」
そうは思ったが、終ぞ誰とも出会うことなく学校まで来てしまった。
流石に可笑しいと気付いた俺は、見知った人影を目にした。
相手も此方に気付いたのか、先に挨拶をされてしまった。
「よぉ、遠坂。今日は一段と早いな」
「そう来たか。美綴、つかのこと聞くが何時か分かるか?」
「はぁ、7時だろ?寝ぼけてんのか」
「ウチの時計はズレてたみたいだ。それも軒並み、柱時計まできっかりだ。お袋の仕業かな」
話しかけてきたのは弓道部の主将である美綴であった。
その秀麗な見目と凛とした佇まいから、女子の人気を一身に集めている美男子だ。
ふと、顔を覗き込まれていたことに気付き、うっかり口に出していた言葉を飲み込む。
少しでも関わり合いにさせてしまうような言動を慎まなくてはと思いつつ、別の話題を振る。
そうだな、今日も朝練に出ているなんて真面目だな、とかどうだろうか。
「お前は今日も朝練か?」
「まぁな、一人上手いやつが抜けたからな」
「主将ともなると大変だな」
「おい、暇だろ?どうせなら見てくか、朝練」
付き合いというのもあるが、押しに負けて仕方なく弓道場に顔だけ出す。
もっとも、何をしているかなど見たところで分からないのだがな。
それに、そこに居たくないという理由も少しあった。
「遠坂、本当に見ていかねぇのか」
「いやいいさ。どうせ見たって分からねぇ、こういうのは遠くから眺めるから良いんだ」
「そういうもんかね、残念」
美綴と話していると、戸口の方から音がした。
その発生源にいる人物は顔を見なくても誰かを察した。
確認して、それが誰かとやはり想定した通りだと思ったりする。
余り長居したくなかった、その理由であった。
やってきたのは少し幼さの残る青年だ。
美綴とは違ったベクトルの良く言って美男子であった。
庇護欲を与えるような、体よく言って女子ウケのいい甘い顔の青年だ。
どこかのタイミングで、この場から立ち去ろう。
お互い、顔を合わせないほうがいいからだ。
「おはようございます、主将」
「あぁ、おはよう間桐。今朝は一人か?」
「はい、力になれずすみません」
「いいさ、本人が来たくないなら仕方ねぇよ」
美綴とやってきた少年である間桐が話し始める。
どうにも弓道部の内輪の話だ。
部会者が立ち去るには絶好のタイミング、失礼するとだけ挨拶して義理も果たしたことから踵を返して弓道場を後にする。
ふと、すれ違う最中に間桐の口から小さな言葉が溢れた。
「お疲れ様です、遠坂先輩」
「……ありがとう、桜も確りな」
口から出た言葉は申し訳程度の激励だった。
気持ちの籠もってもない、そんな一言だ。
遠坂先輩、と呼ぶ声に寂しさを覚えたのはきっと気の所為だろう。
いつもよりも早い登校、これから何をするかと考えながら歩いていればいつしか足は下駄箱まで進んでいた。
「お、おはようございます遠坂さん。こんな時間に奇遇ですね」
「……おはよう、間桐慎さん。今日も早いんだな」
「当たり前ですよ、主将ですからね」
思わず小声で副部長の間違いだろと口に出してしまう。
俺に話しかけてきたのは、少しクセ毛でロングヘアーの女だった。
普段からやたらと絡んでくる鬱陶しい女であり、顔にうんざりといった表情が出ないように取り繕う必要が出るくらいには好きではない相手だ。
「じゃあな」
「あの、せっかくですし朝練でも見学しませんか?」
「いいよ、朝練の邪魔しちゃ悪いしな」
「そ、そんなの構いませんわ」
「俺は邪魔しないと言ったぞ。それに、弓道に興味があるわけでもないからな」
「そ、そうなんですか。私、てっきり弓が好きだから来てたと思ってました。目当ては別にあった、ということですね」
まるで、そうまるで我が意を得たりと得意げな顔を間桐はしていた。
嬉しそうに顔を綻ばせながら、俺との距離を縮めて来る。
そして遠慮なく此方の腕に腕を絡ませて来た。
普段の彼女しては随分と大胆な、そしてその姿に勘違いしていると察した俺はやはり面倒さを覚えてしまった。
無理矢理腕を振り払い、ちゃんと口にしてやらなくてはと決意を新たにする。
「そうですか、えぇ、ふふふ」
「離れてくれないか、間桐。良いか、間桐。俺は弓道に興味がない以上にお前に興味がない。実際、お前が射場にいたことすら知らなかった」
「えっ?」
「自意識過剰も程々にな」
「な……なんですって!遠坂さん、貴方ァ!」
呼び止める声も無視して、教室に向う。
まったく、朝から無駄な労力を使ってしまった。
「げっ、遠坂」
「おう、生徒会長。朝から見回りか?」
「そういう貴方こそ、何を企んでるのかしら?」
「ただのきまぐれさ」
階段を登っていると、不意に声を掛けられた。
正確には此方を見て思わず声を漏らしただろうか。
教室の前には、忌々しそうに此方を見る寺生まれの生徒会長の姿がある。
地味な眼鏡で、まさに学級委員と言えばイメージに上がりそうな見た目の女だ。
因みに、彼女はあまり此方の事を好きではない、むしろ嫌っている節すらある。
そんな生徒会長と話していると、教室の扉が開く音がした。
綺麗な赤毛が扉の影から出てきて、それが知っている人物を想起させる。
「成ちゃん終わったよ~」
「ごめん、頼んだの私なのに任せっぱなしで、許して」
「もう、別にいいけど時間無いよ。次はどこいくの」
「えっと、視聴覚室で調子悪いのがあるって一応見て欲しいかなって」
「じゃあ、行くだけ行くか~」
女子というのは猫を被るのが上手いと思う一例が目の前にはあった。
あれほど剣呑な雰囲気を出していた生徒会長が、声音すら変えて表情を一変させたのだからだ。
一部の男子生徒が尊いと言っているが、女子同士の仲が良い様子に尊いというのはどういうことなのか。
まぁいいかと、通り過ぎて教室に向う。
「朝、早いんですね……遠坂さん」
「……うん?今の、挨拶のつもりか?」
昼休み、同級生の誘いを断って屋上で昼食を取る。
そして、物思いに耽て思い出すのは昨夜の事。
厄介な謎解きを解いた先にあったお袋の遺産、触媒の破片らしき蛇の抜け殻の化石と赤いペンダント。
時計は狂うわ散々だったが、触媒としては一級品、迷ってる暇はないし諦めて今夜辺り召喚でもするかとため息を吐いた。
いよいよ、あの魔術儀式が始まろうとしていた。
点滅するボタンを押すと、嫌いな姉弟子の声が聞こえた。
留守電とかいう意味不明な仕組みの産物だ。
『私よ、分かっていると思うけど期限は明日よ凛。残る席はアーチャーとセイバーのクラスだけ、さっさとサーヴァントを呼びなさい。もっとも聖杯戦争に参加しないなら――』
「言われなくても分かってるっての、クソが!」
儀式は深夜二時だった。
魔力が最もピークを迎える時間、その時間に召喚することで触媒無しでもセイバーを呼び出す。
宝石を握りしめ、魔力を滾らせると、宝石は液体のようになって魔法陣に注がれていく。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ!」
詠唱に反応するように、魔法陣の光は強く煌めく。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する!Anfang!告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るベに従い、この意、この理に従うならば応えよ!」
確かな手応え、何かを失念している気もするが行ける気がした。
「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
紫電が部屋を包み込み、魔力が一気に開放された。
圧倒的な達成感、完璧である。
「完璧だ、この勝負俺の勝利だ!」
しかし、待てどもサーヴァントは現れない。
あれ、何故だ?
「えっ?」
突如、疑問を覚えた瞬間に屋敷全体が揺れた。
まるで、そう何かが落ちてきたかのように物音ともに衝撃が走ったのだ。
何だ、何かが可笑しい、何が落ちてきた。
「なんでさ!」
急いで音の発生源に向かって走る。
扉、開かねぇ、無理矢理蹴破って部屋に入った。
果たして、そこには……
「うん?」
何やら此方にウインクする女、その背後に見えた柱時計。
その時、俺に衝撃が走る。
「しまった、ウチの柱時計は時間がズレている。つまり今は2時ではなく1時、またやっちまった……クソが、それでお前は」
「開口一番がそれとは、貧乏くじを引いたかしらね」
「お前は俺のサーヴァントで間違いないか?」
「貴方こそマスターですか?どうも、召喚された直後にいなかったようですけど」
厭味ったらしげに毒を吐く女、その身はサーヴァントであるはずなのに従う気配すら見ることが出来ない。
そもそも、本当にサーヴァントなのか、いや不法侵入者ならばなお問題ではある。
「まぁいい、俺が聞きたいのはお前が俺のサーヴァントかということだけだ」
「そもそも、私のマスターである証はどこにあるのかしらね?」
「お前のいう証はこれだろ」
「あら、そんな形だけの物が見たかった訳じゃないのよ、お坊ちゃん」
「なんだと、不満か?」
拳に浮かんだ令呪を見せてもそのサーヴァントは鼻で笑い、しかも嘲笑する始末だ。
次にお坊ちゃんと言ったらぶん殴ってやる、どちらが主人かまだ分からんらしい。
「もういいわ、不満ですけどね。私は私の好き勝手やらせてもらうわ。それでいいわね、お坊ちゃん」
「ほぉ、俺の言い分には従わないということか?」
「形式上は従うけど、戦うのは私よ。貴方は地下にでも隠れてれば良いんじゃない、未熟な貴方でも生き残れるでしょ。もしかして怒ったのかしら、でも立場は尊重するし、私の勝利も戦利品も上げるんだから文句ないでしょ。貴方には期待なんかしてないんだから」
あぁ、うん、ダメだ。
コイツはダメだ、舐め腐ってやがる、嫌な女だ。
クソが、ふざけやがって、人が黙って聞いてりゃ良い気になりやがって!
「ざけんなよテメェ!良いよ、そんなに言うなら使ってやるよ!」
「ちょ、馬鹿、まさか」
「この礼儀知らずが!」
「待て待て、正気、女に無理矢理命令するっていうつもり!」
「うるさい!お前は俺のサーヴァントだろうが、サーヴァントなんだから主人には絶対服従だろうがぁぁぁ!」
その日、俺はうっかり頭に血が上って貴重な令呪を考えなしに使ってしまった。
「馬鹿なの、アンタ!そんなことに令呪使うなんて」
「ば、場所を変える」
なお、後悔は先には立たなかった。