2026年、5月25日。月曜日。
まだ5月だと言うのに暑さは苛烈で、この調子だと夏真っ盛りの7月8月頃にはリアルに溶けてしまいそうな予感さえする。
週始まりの面倒な授業を終えた俺は足早に帰宅し、自室のエアコンをつけた。冷房が効くまでの間手持ち無沙汰で、なんとなくオーグマーを着けてキッチンへ向かう。
「もー、エアコンのかけすぎは体によくないよー?」
水出しの麦茶をコップに注ぐ俺へ声をかけたのは、キッチンカウンターに頬杖をついたストレアだ。
ユイもストレアもプレミアもティアも、基本的に俺やアスナのオーグマーを通していつでも好きに出てこれるになっている。俺のオーグマーが起動したのを目ざとく見付けて飛んできたのだろう。
「仕方ないだろ、暑いんだから」
叱られる子供のように言い訳しながらコップを傾ける。夏といえばこの冷たさに限るが、やはり時期が早い。
「それにはアタシもさんせーだけど」
ぱたぱたと手で仰ぎながら、ストレアはカウンターから体を起こした。
普段なら紫のドレスワンピースを着ている彼女も、今日の気温は流石に堪えるようで。薄紫のシャツにショートパンツとかなりラフな格好だ。
「あっ、そーだ!」
ぱん、と手を打ち鳴らして声を上げる。どうやら何か思い付いたらしい。
⋯⋯冷蔵庫のソーダがきれてる。直葉に頼んでおくか。
「ねね、一緒に出掛けよっか!」
「いやどこにだよ」
カウンターへ身を乗り出したストレアが嬉々として言う。
オーグマーのチャット機能から直葉に買い出しリストを送って、俺は至極当然の返答をする。
「そうだなぁ⋯⋯。ウンディーネ領もいいけど⋯⋯ノーザスロッドとか!」
「また極端だな」
確かに氷雪地帯だから涼しそうではあるけれど。一周まわって寒いだろうに。
「じゃあプールでも行く? リアルの。ナビから予約まで全部やっちゃうよ!」
「いやいいわかった行こうSA:OだなOK」
コップの麦茶を飲み干し俺はさっさと自分の部屋へ向かう。予約なんて根回しされたら流石にマズい。
「先にログインして待ってるね〜」
ストレアの声を後頭部で聞いて、俺は階段を駆け上がる。
─────
「ひゃー! 寒いねー!」
「だから言っただろ⋯⋯」
ましてその格好じゃあなとストレアを見やる。少々厚手のコートを羽織ってきた俺に対し彼女はいつも通りのドレススタイル。腹を冷やして壊さないかと心配になったりもする。
「もともと暑いのから逃げてきたんだから、厚着したら意味ないよキリト!」
そう言ってファイティングポーズをキメてみせるストレアだが、案の定というべきか体がわずかに震えている。
以前ティアを追って訪れたときも時々しんどそうにしていたし、あのときより人数が圧倒的に少ない今じゃ寒くて当然だ。まず腹を出すのをやめなさい腹を。
「仕方ないな⋯⋯ほら」
着ているコートを脱いで、隣のストレアへ渡してやる。当の彼女は受け取ったコートと俺の顔を交互に見てぽかんとした表情。
いやなんでそういうときに限って察しが悪いの君。
「俺はいつものコートがあるし。着てろよ」
「あ、う、うん、ありがと」
生返事をし、バサッと音を立ててコートを着る。彼女の方がやや背が高いので丈が足りるか懸念はあったが、何ともないようだ。
「さて、来たはいいけどこれからどうする?」
代わりのコートを羽織ってストレアへ視線を向けると、待ってましたと言わんばかりの顔でメニューウィンドウを呼び出す。今ちょっと頬が赤かった気がするのは気のせいだろうか。
「キリトが暇しないためにも、ここらへんで達成できるクエストを片っ端から受けてきたよ!」
目の前にずらっと並ぶクエストリスト。ざっと30はありそうだ。
「スローター系が14コ、アイテム集めが9コ、ネームド討伐が8コ、ダンジョン攻略が4コかな」
「至れり尽くせりなこって⋯⋯」
「どれからやろっか」
「んー⋯⋯じゃ、肩慣らしにスローターからいくか!」
「はーい!」
黒の長剣と紫の両手剣を鞘走らせ、俺たちは吹き荒ぶ氷雪へと足を踏み出した。
SA:Oの中でも高難易度の領域というだけあって、そこらにいる敵も歯ごたえのあるものだ。単純なステータスもそうだが、高度なAIによりこちらに合わせた戦い方をしてくるのが1番の難点だろう。
しかしそんな中でも、ストレアは非常に強かった。相変わらずの両手剣片手持ちとかいうトンデモスタイルで敵を次々と斬り伏せていく。
討伐数のカウントがぐんぐん増え、俺も負けじと剣を振るった。
1時間半も経っただろうか。14のスロータークエストを一息に終わらせ、手近な洞穴に入って腰を落ち着けた。
「んー! 疲れたー!」
「そら120体以上をノンストップだからな……」
常備している簡易キットで火を起こし、2人並んで雪に冷えた体を温める。ついでにコーヒーと甘いミルクティーも淹れた。
「暑いのから逃げてこっち来たのに、結局こうして温まっちゃってるね」
ミルクティーのカップを大事そうに抱えて、ストレアが言う。全くもってその通りだ。このまま戻ったら、ダイブ前より更に暑く感じるかもしれない。
「ね、キリト」
「ん?」
不意に声をかけられて、俺は口をつけかけたコーヒーのカップを離した。
「ありがと」
横を見れば、イタズラな笑みをしたストレアがコートの襟をつまんでみせる。距離の近さもあってか、その笑顔はどこか蠱惑的にすら思えた。
俺は慌てて視線を逸らし、カップを一気に傾ける。
「まぁその⋯⋯こっちこそ、ありがとな。誘ってくれて」
「ふふっ、どういたしまして」
見てはいないが、きっと今度は慈しむような優しい笑顔をしているのだろうと思った。
どう言葉を返したものかと迷っていると、ストレアは腰掛けていた岩から立ち上がった。大きく伸びをして、ふぅと白い息を吐く。
「さ、そろそろ戻ろっか! ご飯に遅れるとリーファに怒られちゃうぞ〜?」
「うぉっやべっ!」
夕飯がまだだということすらすっかり頭から抜けていた。どうやら、それだけ熱中していたらしい。
「ほらほら、街まで競走だよー!」
「あっおいズルいぞ!!」
カップやら何やらをストレージに突っ込んで、俺は前を走る彼女の背中を追いかけた。