2026年、5月26日。火曜日。
2度寝もそこそこにベッドから這い出て着替え、先に起きていた直葉の焼いたトーストに齧り付く。うん、いつもと違うメーカーのジャムを使ってみたけど、やはりいつものメーカー品が良いな。
いくら何でもと思うほどの強烈な甘味を叩き付けるイチゴジャムトーストを飲み下して、口直しにとブラックのコーヒーを煽る。
さてこの後は一旦部屋に戻ってバッグに必要なものを詰めて学校に向かって⋯⋯今日はアスナの弁当が無いし途中でコンビニにでも寄って買っていこうか。
甘ったるいトーストと苦いコーヒーを交互に胃に入れながらつらつらと考えていると、テーブルの隅にある業務用コーヒーサーバーのような透明の円筒に光が灯った。ヴン、と低い音を立て、円筒の中に一人の人物が現れる。
「キリト、リーファ、おはよー!」
そう手を振るのは、紛れもないストレアだ。
ゲートシリンダーと呼ばれるほんの少し前のガジェットで、秋葉原の電気街で安く売られているものをちょっと改造してやっている。
「おはよう、ストレアさん」
「おはようストレア」
リンクしている各家電を操作する機能を有するこれをストレアは大変気に入ったご様子で。時折こうして中に入っては家電を使って手伝ってくれたり、イタズラをしてきたりする。限度は弁えているので大した問題ではないが。
「キリトまたカーテン開けないで降りてきたでしょー? アタシが開けちゃうからね」
ストレアが指をすいっと動かすと、俺の部屋の方から微かに電動カーテンの駆動音が聞こえた。
「ストレアさん。トースト追加で焼くから、トースターお願い」
「おっけー!」
キッチン周りは大助かりらしい。
「あ、キリトー」
ひょいひょいとホロパネルを弄りながら、ストレアは俺に声をかけた。
「ん?」
「今日、さ。学校までついて行っても⋯⋯いい?」
珍しくも遠慮がちな目で見られ、少々言葉を詰まらせる。しかしまぁ、ストレアを学校へ連れて行ったことは今までも何度かある。今更止める理由もない。
ならプローブの用意もしなくちゃな、と返そうとして口を開きかけたとき、先んじてストレアが声を上げた。
「あのね、プローブじゃなくて、オーグマーがいいの。オーグマーで、一緒に行きたい。⋯⋯ダメ、かな?」
今やオーグマーはかなり一般的に浸透しており、ストレアを連れたからといって独り言を喋る変人には見えないだろう。彼女を連れて満員電車は無理なので必然バイク移動になるが、一昨日ガソリンを入れたばかりだし特に問題はないか。
「バイクの後ろに乗ってもらうことになるけど、それで構わないなら」
「うんっ、それがいい!」
パッと顔を明るくして、わかりやすくテンションを上げる。
どうして急に着いて来たいと言い出したかはわからないが、他ならないストレアの頼みなら聞くにやぶさかではない。
バイクの調子を見なきゃな、と俺はスイートトーストとビターコーヒーをパッパと腹に収めた。
─────
「ストレアに限って落ちることは無いだろうけど、ひと目じゃ判別つかないからな。ちゃんとヘルメットはしてくれよ」
「はぁい」
何を思ったか衣装リストからセーラー服を引っ張り出して来たストレアは、黒ベースに紫のラインが入ったメットを被る。アンバランスも良いところだが、背が高いしスタイルも良いので意外と様になってたりもする。
「よし、じゃあ行くか」
ストレアを後ろに乗せて、俺はバイクを走らせた。
自宅から学校のある西東京市までは、下道を使うとおよそ25km。40分から50分かかるくらいの道のりだ。
ある程度の重さのものを運ぶときなんかはこうしてバイクで通学しているが、よくよく考えてみればバイク通学を許可するなんてかなり緩い学校だ。校則の類も特に縛られている感じはしないし、かなり自由な学校と言えるだろう。
「きもちいいー!」
背後のストレアが楽しそうに歓声を上げる。彼女にはこれが遊園地のアトラクションか何かに見えているのだろうか。
風を切り、バイクは順調に道のりを消化していく。
「ねぇキリトー」
「なんだー?」
「ここって、いつもこうなの?」
「こう、って?」
「人や車の多さとか、明るさとか⋯⋯全部!」
「そうだな。この時間のここはいつも混むし、急いでるときはひとつ前の交差点を曲がれば空いてる脇道に入れるんだ」
変わらずバイクを走らせながら、俺は要所要所をストレアに説明していく。
この曲がり角は見通しが悪いから減速気味に通るとか、その道に入ってすぐに美味いラーメン屋があるだとか、あの交差点で曲がればエギルの店に行けるだとか。
ストレアはそのひとつひとつに感嘆し、驚き、そして喜んだ。
俺はいつの間にか、アトラクションの案内係のような気分で流れ行く景色について説明をする。乗客となったストレアは辺りを見回し、新鮮な光景に興奮を隠しきれないようだった。
意外にも短くない道のりがあっという間に消化され、徐行しながら学校の敷地へ入る。バイク専用駐車場にバイクを停め、鍵をかけた。
ストレアに目をやれば、ヘルメットを外して大きくのびをしているところだ。
「あー、楽しかったぁ」
「そらよかったよ」
「うんっ。じゃあアタシ、今日はここで帰るね」
「授業見ていかないのか?」
「アタシがいたら、授業どころじゃないでしょ?」
まぁ、それは否定できまい。
「アタシはね、キリトがいつも見てるのと、同じ景色が見たかったの。だから今日は満足っ」
揺れる木陰の下。そう言って振り返った彼女は、最早紛うことなき女子高生だった。
オーグマーからログアウトした彼女の笑顔を脳裏に浮かべたまま、俺は教室へと足を向ける。