なんでもない日。   作:鉤括弧

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もう半分。

 2026年、5月27日。水曜日。

 夜になると俺はSA:Oにログインし、酒場のカウンターに突っ伏していた。腐れ縁の江戸っ子マスターの店なので多少の長居は許してくれるだろう。

 黒エール3杯と果実酒2杯を流し込み、いっそこのままここで寝落ちしてやろうかと目を閉じた。

「あっ、キリト〜!」

 耳に届いたのは店主の呆れたバリトンボイスでなく、明るく晴れやかなソプラノボイス。直後隣の席に誰かが座る気配がする。

「わ、なんだかお疲れだね?」

 カウンターの空きグラスを見たのか、声の主は俺の背をぽんぽんと撫でた。いや別に吐かないからね。その撫で方はちょっとヤメテ。

「だってまだ水曜なんだぜ? やっと一週間の半分か⋯⋯」

 好きな勉強ができるし自由性があるので通っている帰還者学校に特に不満はないが、それでもやはり24時間に対して10時間近くの拘束は気が滅入るものがある。

「アタシにとってはもう半分だけどなぁ。あ、カフェオレお願い。甘いのがいいな」

 顔を上げると、スキンヘッドのマスターにカフェオレを頼んだ彼女と目が合った。一片の曇りもない澄んだ瞳に、意識を吸い込まれるような錯覚を感じる。

 ストレアは、くすりと微笑んだ。

「キリトやみんなといると、いっつも楽しくて仕方ないもん」

 残念そうで、しかしどこか楽しそうな顔。頬杖をつき、「時間はいくらあっても足りないよ」と付け加えた。

 出されたカップを両手で抱えて、くぴくぴと喉を動かす。

「ストレアらしいな」

 何の臆面もなく平然とそう言ってのけるのは、やはりストレアが仲間思いで、全員を愛しているからなのだろう。

 ストレアが与えてくれる屈託のない無償の愛に、全員がどこかで救われている。それは甘さだけでなく、厳しさであることもごく稀にあるが、結局根っこにあるのは計り知れない優しさだ。

「そうかな?」

 カップをソーサーに置くと、ストレアは小さく唸りながらおとがいに指を当てた。

「確かにアタシはみんなが大好きだけど、それはみんなにも言えることでしょ?」

「皆に……」

「キリトもアスナも、みんな、他のみんなのことが大好きでしょ? アタシはただ、その気持ちに素直でいるだけだよ」

 素直でいられることが凄いと思うのだが。そう感じるのは、人と関わるのが不得手な俺だけだろうか。

「それに、気持ちはきちんと伝えないと。いつ伝えられなくなっちゃうか、わかんないもん」

 呟くと彼女は自分の腹のあたりを摩った。

 そこは、あのとき刃が突き立てられた場所。

 ストレアが、ストレアでなくなってしまったきっかけ。

「あのときね、アタシすっごく悔しかった。みんなにもっと、もっともっと、好きって言いたかったなって思った」

 見えない傷跡を撫で、ストレアは続ける。

「好きって感じたのはアタシだけど、好きって感じさせてくれたのはみんなだから。だからアタシは、みんなにいっぱい好きを伝えるし、みんなとの時間は大事にしたいの」

 その表情は、後悔や悔恨を思わせるものではなかった。むしろ、それを糧に前へ進もうという明るさを湛えた微笑だ。

「なんか、話変わっちゃったね」

 どこか照れくさそうな表情にパッと変わり、カフェオレを口にする。ちょっとだけ赤くなった頬が珍しくて、可愛らしかった。

「ありがとな、ストレア」

「えっ?」

「いつも新しい考え方とか、見方を教えてくれて。ほんと、考えようひとつで気分って変わるもんだな」

 気の利く店主が知らぬうちに置いてくれていた水を煽り、目を覚ます。

 まだ半分、もう半分。残りの半分を楽しんでやればいいじゃないか。楽しいことなら、この奔放娘が抱えきれないほど持ってきてくれる。

「うっし……行くか、ストレア」

「どこに?」

「一昨日のクエスト、結局スローターしか終わらせてなかっただろ?」

 一瞬ぽかんとした顔を見せ、合点がいったのか大きく頷く。

「おっけー! それじゃあノーザスロッドに、しゅっぱーつ!」

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