なんでもない日。   作:鉤括弧

5 / 10
触れたくて。

 2026年。5月29日。金曜日。

 窓から差し込む陽光に刺激されて、意識を浮上させる。

 強い光を遮ろうと腕を持ち上げると、掌が弾力性のある何かに触れた。確かな質量を感じる柔らかな感触。絹のように滑らかな触り心地。

 俺の部屋にこんなクッションの類はあっただろうか。とにかく、触れていて非常に快適なのでもうしばらく揉ん──

「やん、キリトったら朝からダイタン」

「ッ!!??」

 耳に入った声に、俺は手を離して一気に飛び退いた。100%覚醒した意識と視界のど真ん中に映るのは、ベッドに横になった薄着の女性。蠱惑的笑みを浮かべるストレアだ。

「え、な、は⋯⋯?」

「あれ、キリト覚えてない? 昨日の夜、どうしてもアタシと一緒に寝たいってキリトが⋯⋯」

「事実を捻じ曲げるな!」

「なぁんだ覚えてるじゃん。ほら、二度寝しようよ〜」

 逃げる隙も与えずに俺の服を捉えると、そのままずるずると引っ張る。実に情けない話だが微妙に力負けして、結局またベッドへ引きずり込まれた。

 二度寝そのものはまぁやぶさかでないのだが、あいにく今日はまだ金曜日だ。ばっちりしっかり授業がある。

「ちょっ、ま、遅刻するから!」

「えぇ~、いーじゃん一日くらい」

 既に体はガッチリホールドされていて、とても逃げられそうにない。ストレアは甘えた猫なで声で俺の体を抱き締める。

 なんだか今朝は、いつになく聞き分けが悪い。普段なら渋々ながら離してくれるところだろう。それが今ばかりはコレだ。昨晩は特におかしいところはなかったと思うが。

「⋯⋯どうしても、行かなきゃダメ?」

「どうしても」

「ん⋯⋯そうだよね」

 するりと拘束を緩め、ゆっくりと体を起こす。慈悲的な表情を浮かべると、俺の頭をそっと撫でた。

「おはよう、キリト。いってらっしゃい」

 それだけ言って、軽く身だしなみを整えたストレアは部屋を後にした。ひらひらと手を振りながら扉を閉める姿は、なんだかいつもと違って調子が狂った。

 

─────

 

 ギリギリのところで授業には間に合い、そのまま何があるでもなく金曜の日程を消化する。平穏無事な、いつも通りの日だった。

 なんとなく一日の授業を終え、バイクの駐車場へ。今朝は時間が厳しかったため、電車を諦めてバイクを飛ばしてきた。

 青いバイクが見えてくる。同時に、バイクに寄りかかる人影も見えた。

「ストレア?」

「あ、キリト! おつかれさま」

 どうしてこんなところにストレアが、と一瞬混乱するが、そういえば実習でオーグマーを着けっぱなしだった。

「おま、俺がオーグマー着けてなかったらどうするつもりだったんだよ」

「んー⋯⋯アスナに言い付ける?」

「シャレにならんからやめてくれ⋯⋯」

 快活な笑顔はいつも通りだが、どこか今朝と同じような違和感も感じる。来るなら俺のスマホなりに一言連絡があったはずだ。

「さ、帰ろうぜ。そのつもりで来たんだろ?」

「うんっ」

 黒紫のメットを被ったストレア。この前のセーラー服でなくセーターにスキニーパンツを履き、その上に薄いハーフコートの出で立ちだ。

「しゅっぱつしんこー!」

 言ったストレアは、俺の体に腕をまわした。

 三日前に通ったコースを逆走するようにして、帰りの道程を進んでいく。ただ反対に進んでいるというだけなのに、後ろのストレアはまるで初めて見たかのように大きなリアクションを見せた。

 ゆっくり一時間弱かけて桐ヶ谷の表札まで辿り着く。その間ストレアのテンションは上がりっぱなしで、散々見てきた道でも退屈することはなかったのである意味助かる。

 バイクを小屋に入れて玄関を通り、キッチンへ。ペットボトルのアイスコーヒーをコップに注いでリビングダイニングのテーブルに。ストレアはずっと俺の後を着いてきた。

「で、だ、ストレア」

「ん?」

 俺の向かいのイスに座ってコップとミルクを出現させるストレアに、俺はやや真面目な顔で問う。

「今朝のあれはどうしたんだ?」

 彼女がいつも通りでないときは、必ず何かしらの理由がある。大したことのない気分的なものだったり深刻な悩みを抱えていたりと振れ幅が大きいので、心配な面もあった。

 コップにミルクを注ぐストレアは、困ったように眉尻を下げた。

「んーとね⋯⋯。正直に言うと、寂しいなって思っちゃって」

「寂しい?」

「だって、キリトとあんなにぎゅってくっついて、一緒に寝て⋯⋯久しぶりだったもん。なんだかとっても寝心地よくて、離したくなくなっちゃった」

 その笑みが意味するのは、寂寥か、安息か。どちらにせよ、俺が言えることはただ一つだった。

「明日は土曜だな」

「えっ? うん、そうだね」

「休みだし、予定もないし。明日の朝なら何度寝でもできるんだけどな」

 聞いたストレアは最初意味を理解出来なかったようで、ぽかんとしながら首を傾げた。しかしすぐに俺の言わんとすることを察したようで、その表情を変える。

「じゃあ、今晩また一緒に寝ていい?」

「いいよ」

「やったぁ!」

 心底嬉しそうにストレアが言う。

 ストレアのためなら、四度寝や五度寝でちょっと頭痛がするくらいなんて事はない。

 たまにはそんな日もあっていいだろうと、俺もコップを傾けた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。