Guilty Crown Bonding the Voids   作:倉部改作

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sixth

### insert haruka 3

 

 私は空港の中を走っていく。何も手立てはない。けれど、この歌を止めなければならない。それだけは変わらない。そうして飛び出した時、誰かが気づいて、そして走ってくる。尋常でない速さで。そして、すかさず私の手元の端末を弾いて、首元へとナイフを向けた。私はその桜色の髪の少女に、茫然と言っていた。

「いのりちゃん……」

 我に返ったいのりちゃんは申し訳なさそうにナイフをおろす。私は安堵の息を漏らし、

「いろいろと聞きたいことがあるけど……まず教えて。集はどこ、まだ一緒じゃないの……」

 彼女は首を振る。

「あいつはまだだ。心配する必要はない……」

 そう言いながら、金髪の男は立ち上がっている。体の何割かがキャンサー化している体で。恙神涯。けれどいのりちゃんは呟く。

「でも、来る。集は、きっと……」

 その時、いのりちゃんは何かを思い出したように私を見つめる。

「春夏さん。私の歌は癌《キャンサー》に効くって、集が……」

 私は驚いていた。目の前に、希望がいた。しかも教え子であり、息子である集が見出した、希望が。

「わかったわ。ならまず、この歌を止めなきゃね……」

 その時、ふと別の声がいのりちゃんの端末からか響く。

「それなら心配いらないわ桜満春夏博士……私はツグミ。ブラックスワン。ハルカママって呼んでもいい?」

 ブラックスワンという名前に、私は信じられなかった。けどなんとか肯く。

「ええ、でも、どうやって止めるの……」

「あなたのお子さんみたいに、私にも、ふゅーねるっていうオートインセクトの子供がいるんです。その子がもうすぐ、全てを覆す鍵を取ってくれる……」

 私は思い出す。はじめていのりちゃんがやってきていた時に一緒にいたあの丸いオートインセクトを。

「オートインセクトが、クラッキングの鍵を……」

 にわかに信じられない技術だった。そのとき、涯が告げる。

「管制塔に、おそらく必要なすべての機材が全て揃っている。護衛させていただきます。春夏さん……」

 どこか彼の雰囲気は懐かしさを感じさせる。けど、直ぐ思い出せなかった私は、肯いた。

 

### insert tugumi 6

 

 ドーム状オペレーションルームは大量の情報を映し出しているが、そのうちのひとつが動き始める。ふゅーねるのGPSの情報。ふゅーねるは集と共に羽田空港に向かい始めたようだった。前足がヴォイドによって直っていたけれど、今ふゅーねるは戦い続けている。自分のソフトウェアを脅かす、城戸研二のウイルスと。

「やっぱりもう一度来た。そうだろうと思った。ふゅーねるはわざと、その口は開けていたんだから……」

 研二のプログラムは相変わらず同じ挙動をしていた。全ての脆弱性をつくためのスクリプトがフルで稼働しているのか、大量の通信トラフィックが発生している。ふゅーねるの脳、CPUも、メモリも、限界近くまで使われ始める。

 思い出す。スカイツリーを折った時の、研二の笑い声を。けたけたと、自分のためだけに多くを奪い取ったあの笑い声を。綾ねえから家族を奪い取ってこちら側に辿り着かせてしまった、あの自己陶酔の成れ果てを。

 けど、必要なリソースだけは奪われないように確保は忘れていない。

「ふゅーねる、いまだけ耐えてね……そのウイルス、絶対にやっつけてやるんだから……」

 私はふゅーねるから取得したログファイルを、パケットキャプチャを、監視情報をすべて羅列してみていく。ログ上に無秩序に羅列されたエラー文。情報のおかしなパケット、異常を警告し続ける監視情報。そのなかで、たった一行の、核心にあたる部分があった。それは、全ての情報をフィルタリングした、敵の攻撃がなんなのかを知らせる、そして敵の攻撃の根元を引き当てる、根源への道《root path》。

「見えた!」

 私はすかさず経路に向かってコードを実行する。

「ワクチンよ!いのりん未満でも、集のやつより、よっぽど効く!」

 すると、敵の攻撃は一瞬で止まった。そして大量の制御が、ふゅーねるを通して実行され始める。

「研二!これが私たちの力よ!」

 私はすかさず連絡する。

「涯!いのりん!ハルカママ!お待たせ!研二の攻撃全部奪い取った!今ならいけるよ!管制塔からの配信!」

 涯が応答する。

「よくやった、ツグミ……」

 さらにいのりんが言葉少なく通信を入れてきた。

「ツグミ、ふゅーねる、すごい……」

 ふゅーねるの大の友達であるいのりから褒められて、私は誇り高かった。でも、先に出ていたのは感謝の言葉だった。

「ありがとね、いのりん、ふゅーねるを、私を、信じてくれて……」

 うん、そういういのりんに、私は言った。

「まだルーカサイトがいる!集が来ちゃう前に、全部終わらせよう!いのりん、信じてる!」

 わかった。いのりんはいつになく、確信を持ったように答えてくれた。

 

### insert haruka 4

 

 銃声が響いて、弱々しく涯の声が聞こえる。

「早くしろ……長くは保たないぞ……」

 私はメガネをかけて、管制塔の中で必死に作業を進める。

 管制塔の、それだけでなく全国の回線の制御を完全にツグミを名乗る女の子は奪い取ってみせた。いまはあの茎道の歌は止まっていた。しかも、生配信のための私のバックアップを全面的にしてくれている。私は呟いていた。

「ツグミちゃん、ふゅーねる、あなたたち、ほんとにすごいわね……」

 ふふん、そう彼女は誇らしげに言って、

「あなたのとこのお子さんに勝っていますので!」

 それは頼もしいわ、私は必要な線をつなぎながら笑って、

「まさかこんな状況で実践とは思わなかったけど……」

 いのりちゃんはゆっくりと管制塔の外へと向かっていく。彼女は呟いているのが、聞こえる。

「集がくる。きてほしいの、私が……」

 私は端末で準備を進める。

「もう少し、もう少しで……開いた!いのりちゃん!」

「集……」

 彼女はゆっくりと歌い出す。歌が始まったと共に、ゲノムレゾナンスが突然増大し始める。

「ゲノムレゾナンスが3000を超える……」

 空を見上げると、巨大な天使の円環が幾重にもわたって空に広がっていく。いのりちゃんを中心に広がっているのだ。

 そして倒れていた人たちがゆっくりと立ち上がっていく。結晶が緩やかに人間の体に戻っていっている。いのりちゃんの言葉を思い出す。

『春夏さん。私の歌は癌《キャンサー》に効くって、集が……』

 そして、雪が降っている。違う、あれは桜だ。ヴォイドで形作られた、仮想の桜の花びらが、舞い散っている。

 私は思い出す。あの玄周から言われていた言葉を。

『桜満《shepherd》。自分たちの経歴はそんな好きになれないけど、自分たちのやったことが、満開の桜みたいにみんなの心を晴れやかにできたなら、そう思ってる……』

「みて、玄周さん。あなたの意志を継いだ集が、あの子に歌を歌ってもらっているんです。なんて……なんて綺麗なの……」

 いのりちゃんの歌う声で形作られたこの季節外れの夜桜は、世界を癒していく。私は窓に手をつきながら、涙をとめどなく流しながら、空を、桜を見上げる。

 

### 27

 

 好きな人の歌声が聞こえた。僕は軍用車のバギー上に備え付けの手すりを握って立ち、空を見上げた。円環が重なって広がり、桜が舞い散っている。僕は彼女との会話を思い出す。

「集は、桜が好きなの……」

 僕はその桜をつかむ。それは僕の手のなかで形を保っていた。けれど離すとすぐ、虚空に消えてしまう。新型のヴォイドエフェクト。それで確信した。

「いのりだ……いのりが歌っている!」

 そのときふゅーねるからツグミの声が聞こえる。

「前方にバリケード!」

 僕は見据える。ダァトを名乗った真っ白な服装の人物たち。彼らは装甲車と共に、銃を構えてくる。

「止まれ!侵入者は実力排除するぞ!」

「供奉院さん!」

 彼女は車から身を乗り出してくる。「お使いなさい!」

 彼女と手を握り、ヴォイドを取り出す。そしてあの盾のヴォイドを収束させ、そのまま谷尋は車を前へ前へと走らせていく。

 痺れを切らした敵は周囲に指示する。「撃て!」

 銃弾をヴォイドは全てを弾いて、きれいな花火へと変えていく。そして、バリケードを乗り越えて、車は橋を駆け抜けてしていく。

 橋を疾走中、やがてヘリコプターが近づいていく。そして容赦なく、ミサイルを撃ち込んできた。僕はそれをヴォイドで弾く。するとそれは花火に変わるのではなく、橋の前方へと逸れて行ってしまう。やがてそれは橋にぶつかり爆発が起きる。祭が叫ぶ。

「橋が!」

 橋はもろく崩れ落ちていく。涯なら引かない。

「祭!」

 彼女からヴォイドを取り出し、そして崩れかけの橋を装甲車に走らせ続けながらヴォイドを橋全体まで広げながら巻きつけていく。橋は修復されていき、僕たちの車は難なく駆け抜けていく。委員長が感嘆の声を上げる。

「すごい……」

 颯太が何かに気付いて叫ぶ。「うじゃうじゃ来た!」

 背後からはエンドレイヴが三台疾走してきていた。車はトンネルへと入っていく。

「颯太、君の出番だ!」

「え、俺!」

 僕は意気揚々な颯太からヴォイドを取り出し、封鎖されたルートへ繋がる扉へとヴォイドを向ける。そして、撮り、開く。と同時に閉じる。閉まった扉の先で、爆発が聞こえた。

 追手が落ち着いたと判断した僕は委員長からヴォイドを取り出す。そしてそれを頭部につけた。すると、それは望遠レンズとして稼働する。そして、彼女を見つけた。いのり。

「谷尋、レーダー塔だ!」

「わかった!最短距離で行くぞ!」

 素早い切り返しで、谷尋はバギーをカーブさせる。そして飛び出す。

「みんな捕まっていろ!」

 全員が叫びながら落ちていき、やがてもうひとつの車線にたどりつく。そしていろいろなものを突き破り、蹴破りながら、僕らはいのりのもとを目指す。そして、ついに彼女が目視で見えた。

「いのり!」

 彼女は気付き、振り返る。彼女は微笑んだ。そして歌い続ける。

 その時、新たなエンドレイヴが接近してくる。紫の線が二本追加されている。ダァト側とも異なる何者かなのか。そして僕らのバギーを吹っ飛ばす。僕らはなんとか起き上がる。全員無事なようだった。

 そのなかで、谷尋だけがうずくまっていた。

「谷尋……」

 そのとき、谷尋に左手をつかまれる。

「これがいまのお前の、やれることなんだろ……」

 僕は肯いた。ヴォイドを取り出す。鋏のヴォイド。

 僕は地面を蹴り、最速でエンドレイヴ・ゴーチェに接近し、そしてヴォイドでエンドレイヴの操作系のみを切り裂くように念じる。谷尋のヴォイドはそれを完璧に果たし、エンドレイヴを稼働不能にする。

「抵抗するな!茎道様に従え!」

 エンドレイヴはわずかに残った制御系でミサイルを放ってくる。僕はそれらをヴォイドで切り裂きながら、いのりのもとへと向かう。そして跳躍した時、いのりにアサルトライフルを向けて狙いを定めようと構えかけている少年がいた。彼の服装にもまた、紫の線が入っている。

「ツグミにぜんぶとられた。あのいかした音も止まって、お前のせいで元どおりになりかけてる。ぜんぶ、ぜんぶ台無しだよ、楪いのり……」

 させるか。僕は壁を蹴って跳躍し、谷尋のヴォイドでそのアサルトライフルを切り飛ばす。相手は僕のことを知っているようだった。

「桜満集……偽善者の道化師《clown》が……」

 僕は相手から意識を奪うために、谷尋のヴォイドを手放し、即座にその少年からヴォイドを引き抜く。相手はごふ、と強い衝撃に吐き出しながら倒れる。そうして手に取ったのは、銃だった。

 背後から紫線のエンドレイヴが走ってくる。僕はそれに向かって銃を向けて引き金を引く。けれど全く何かが発射される気がしない。そして引き金を離すと、何かが放たれる。エンドレイヴは宙に浮き始めて回転し続け、動けなくなっている。

「まさかこれって、重力を操作するヴォイド……なら……」

 僕はすかさずヴォイドを握って自分の周囲を包むように想像する。すると自分だけ宙に浮き始める。僕は壁を蹴りながら、いのりのもとへと飛び出す。

「いのり!」

 どうにか着地すると、彼女は振り返ってきた。そして微笑んでくれた。

「集……」

 僕は笑う。「待たせたね……」

 僕は立ち上がり、歩いていく。彼女の元へ。しかしその時、頭上にヘリコプターがやってくる。そしてそこからロープも使わずに、誰かが飛び降りてくる。ヘリはどこかへ飛び去ってしまう。

 彼女は驚き、そして飛び退く。飛び降りてきた真っ白な彼は礼儀正しくおじぎする。

「無礼を許してください。楪いのり……そして、桜満集……あなたたちを、心よりお待ちしていました……」

 僕は訊ねた。「あなたは……」

「私はユウとお呼びください。真の王。我々はダァト。シェパードを生み出し、はじまりの石と共に世界を管理する者たち……」

 僕は動揺を隠せなかった。

「シェパード……父さんの、組織だと……」

 太眉な彼は微笑む。

「知らないのも無理はありません。我々は世界の裏側に有り続けるもの。シェパードのように表舞台に立つことは、極めて異例なのです」

「……僕らをどうするつもりです」

「この混乱を共に解決するために、一緒に来てほしいのです。あなたがたも終わらせたいでしょう、第二次聖夜喪失《セカンド・ロスト》を……」

 僕は彼女をみやる。彼女は悩みながらも、肯いていた。僕も肯く。

「わかりました……行きます……」

 ユウは肯くと再びヘリはやってくる。それに乗り込もうとしたとき、誰かが僕といのりを呼んだ。振り返った先は、涯がいる。

「行くな、いのり、集!」

 いのりは首を振る。僕もまた、涯に言った。

「終わらせてくる!君はルーカサイトを頼む!」

 涯は手を伸ばす。けれど倒れていく。僕は歯噛みする。ヘリに乗り込み、ヘリのスタッフから手渡されたヘッドホンをつけたとき、ユウは言った。

「リキッド・シェパード。彼も頑張り屋さんですね……あれだけキャンサー化していながら。普通なら立ち上がれません」

「涯のことも知っているんですか……」

 ユウは不敵な笑みを浮かべる。

「知らない……いえ、覚えていないのは、あなたたちふたりだけですよ」

 僕は背筋が凍る。そしてユウは続けた。

「シェパード。いのり。一部ではありますが、思い出していただきますよ……真名の記憶を……」

 ヘッドホンから突然音楽が流れ始める。するといのりがばたりと倒れていく。僕もまたゆっくりと意識を失っていく。

 

### 28

 

 いのりの声が聞こえる。

「集、もういいわよ、目を開けて……集……」

 僕は目を開く。そこは夕日が暮れかかった、大島の崖から見える海の景色。海は夕日の光を吸って、宝石のように輝いていた。

「すごいね、真名お姉ちゃん!」

 僕の声が小さな子のものになっているのに気づく。そして、僕は祈りの声へと見上げる。そこには、いのりそのままな、けれど髪型の異なる彼女がいた。夢の景色で会った彼女だ。

「でしょ、お姉ちゃんの秘密の場所よ……私を歓迎してくれた集にだけ、教えてあげる……」

 その場所から海岸をみたとき、誰かがいた。僕は彼女と顔を見合わせた。

 

 海岸に打ち上げられた男の子をゆっくりと彼女が起こしていく。

「死んでるの……」

 彼女は彼の体に触れる。すると、その瞬間に彼は咳をし始める。何が起きたのかさっぱりわからなかったけれど僕は彼に訊ねる。

「聞こえる、大丈夫……」

 彼は僕に気付いたようだった。僕は知らない人に普段やるように、こう言った。

「おれ集、桜満集……」

 彼女も告げた。「私は桜満真名……あなたは……」

 彼はきょとんとしている。

「わかんないのかな、名前だよ、な・ま・え」

「それは……」

 彼は答えに窮していた。そのとき、真名はこう言った。

「トリトン!」

 僕と彼は彼女へと顔を上げていた。

「海から来たんだもの……あなたはトリトン、素敵な名前でしょ……」

 そう、あの日僕は、姉となった真名とともに、一人の少年と出会ったんだ。真名がトリトンと呼んだ、あの少年、涯に。流転の牧羊犬《リキッド・シェパード》に。

 そして僕らは一つの夏を共に過ごした。ロストクリスマスの年。みんなが笑顔で過ごせた、最後の夏。

 あるとき、僕らは目的地に最短ルートで向かうために、とても高い、一部だけ壊れた橋にいた。トリトンは怯えていた。

「ねえ、これほんとに飛ぶの……」

「大丈夫だよ、俺を信じろよ……」

 僕は走って跳び、壊れた橋を越える。うまく着地した僕は茫然としている彼に言う。

「次はおまえだ、こいよ!」

 彼は走って飛ぶ。そして着地するけれど、足を滑らせる。慌てていた彼の手をとった。それでなんとか彼は落ち着いた。

「な、できただろ」

 トリトンは笑った。「うん!」

 後にバレて、真名と春夏にこてんぱんに怒られたのだった。

 けれど懲りることなく毎日、僕らは駆け回った。試した。そして料理が得意な真名お姉ちゃんのおにぎりを一緒に食べた。

 そうして同じ時間を過ごすうちに、彼は親友と呼べる存在になったんだ。

 優しくて、大好きだったお姉ちゃん、真名がいて。親友である涯がいて。僕の人生で一番無邪気で幸せだった夏。なのになぜ、なぜ僕は忘れてしまったんだろう。涯のことも。真名のことも。

 

### 29

 

 僕の意識はそこで覚醒した。僕が飛び起きると、そこは巨大な祭壇のようだった。

「気がついたな……」

「ここは……」

「六本木フォートの地下深く。儀式の裏切り者を罰するために真名の作り出した幻影の都市、六本木に生み出された、悲嘆の川《コキュートス》だよ」

 誰の声かはわからない。僕は周囲を見渡し、やがて見上げる。そこには、いのりがアポカリプスウイルスに拘束されて立たされていた。なにかベールを被せられて。

 奥から茎道が現れる。僕はいのりのもとに走ろうとする。しかし、足元にはいのりのようにアポカリプスウイルスで拘束される。

「なにをしているんですか、茎道局長!いのりを返してください!」

「もう局長じゃない。だが、もうどうでもいい。GHQは完全に寝返ってしまったからな……」

 僕が驚いている時、茎道は続けた。

「この少女はもともと我々ダァトの所有物である真名そのもの。ダァトである私には、返すという言葉はあたらないな」

「真名お姉ちゃんが、所有物……」

「桜満真名とは、世界を主導する高度な知性、アポカリプスウイルス……はじまりの石と融合した存在。すなわちアポカリプスウイルスの原典《オリジナル》だ。はじまりの石のインターフェースを使えば操縦可能な、つくりものの女王。世界の虚無を繋ぐとは、アポカリプスウイルス同士でのコミュニケーションと同義というわけだ……」

 茎道は続ける。

「あの奥をみろ、集。あれがお前が切り離し、殺した、桜満真名の魂だ……ここを悲嘆の川《コキュートス》と呼んでいたので、今は眠ってもらっているがね……」

 僕は茫然と見つめる。そこには檻の中で囚われ、眠っている真名お姉ちゃんがいた。

「肉体から切り離された彼女の魂は、今再び本来の体に注がれ、我々の手で再びこの世に真に降り立とうとしている。彼女の復活と、大島で手に入れたはじまりの石のインターフェース、そして私が橋の生贄として固め上げ、完成したお前を使い、今度こそ私はアポカリプスウイルスで世界中に猛威を振るい、世界を支配する……」

 僕は茫然と訊ねる。

「僕が、橋の生贄として固めあげられたって、どういうことですか……」

「私が真名の儀式に追加を行った。橋であるお前を使い、人間の限界を越えた存在になるために。そうして大量の人間を、王として作られたお前の体を起点に封じ込めた。その結果起きたのが、聖夜喪失《ロストクリスマス》というわけだ。そう、これはお前の罪でもある」

 僕は震える。

 まさか夢の景色は。青い瞳のいのりは言った。

『みて、あなたのうしろを。居場所を失いとどまる、哀れな魂たちを』

 ここは死後の世界なの。僕は少女に訊ねていた。

『いいえ、ここはいつもの世界。あなたと、わたしの暮らしてきた世界。わたしたちの営みと地続きになっている、いつもの世界』

 茎道を見据える。

「あなたが、聖夜喪失《ロストクリスマス》を起こしたんですか……」

「王には力がいる。現にお前はその生贄によって利益を享受しているのだぞ」

 見当がつかない僕は訊ねている。

「何を、言っている……」

「お前の驚異的な開発能力は死にかけていた桜満玄周、ネイキッド・シェパードのもの。そして、体内に宿る王の能力の発現も、私の最高傑作、スクルージ、ヴェノム・シェパードによるものだろう。他にも、自分の知らないことが突然何かがこなせたりしていなかったかね……」

 思い出す。六本木で突如として使いこなせていた銃。まさか。僕は右手を見つめる。茎道は皮肉げにこう言ってくる。

「ようやく生贄としての自覚が持てたか、シェパード……お前は何も生み出してなどいない。体内の生贄から呼び出して、再生しているだけの、被造物に過ぎないのだ……」

 僕は見上げ、茎道に訊ねる。

「なんで、そんなことまでして王になろうとしているんですか……」

「私なら、世界を支配できる。誰よりもうまく」

 僕は茫然としていた。茎道は続ける。

「愚かな人類を導き、より賢く生きさせることだってできる。はじまりの石はそれすらもせず、ただ指を加えて増大していく人類を見ていただけに過ぎない。だから争いもこの世界の問題も解決しない。私はアポカリプスウイルスで全てを管理する。そうすれば、人間は今度こそ、愚かしく膨張することもなくなるのだ」

 僕は奥歯を噛みしめる。

「誰も信じられない、そんなみすぼらしい理由で、世界をめちゃくちゃにしたっていうのか……」

 茎道は鼻で笑う。

「お前が判断するというのか。そんな資格はない。王の能力を最も否定した道化師《clown》には……」

「あなたにも、資格はない……」

 茎道は見下ろしてくる。僕は右手を握りしめる。みんなから言われた言葉を思い出す。

「あなたは、あなたたちは、そうやって十年間……本来は父さんの手で開かれていた心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》で日々暮らす人たちを搾取した。支配した。支配されるしかない無力な人たちを、見下した。いのりだって、巻き込まれていた。だから僕は道化師《clown》になった。抗った。そして、ここまでやってきたんだ……」

「ダァトは何かお前に期待しているようだが、私に言わせればただの小僧にすぎん。青臭い理想ではなく現実を見ろ……」

 僕は見上げ、激昂した。

「お前の都合のいい現実だけ、見ていてたまるか!」

 茎道は黙っていたが、やがて背を向ける。

「黙って、そこで生贄になれ……」

 僕は体を動かそうとする。けれど固まっている。茎道は始まりの石とよばれたそれをシリンダーから取り出し、光らせながら、いのりに近づいていく。

 いやだ。いのりが。真名が。危ないんだ。

 その時、声が聞こえた。

「気持ち悪い」

 その言葉に驚愕する茎道の目の前には、眠っているはずの真名が降り立ってきていた。

「眠っている間に襲おうとしたの?やっぱり、あなたは王の器じゃないわ……」

 そして、彼女の周囲から氷のような結晶が急速に生成され、それは茎道の胸を穿つ。

「ここは悲嘆の川《コキュートス》。あなたは裏切りの罪で、永遠にここで幽閉されるの」

 茎道は血を吐いている。

「なぜ……私は、ヤンよりも、あの小僧よりも、いや玄周よりも……」

「集の言う通り、みすぼらしいのよ、あなた」

「そんな、この石が、この石があれば……」

「その手に持っている石でなんでもできるってユウに言ってもらったのは、玄周さんが考えた嘘よ。玄周さんは自分が死んだあとにできるこれを想定して、わざわざ春夏さんに大島に返してもらうように頼んだらしいわ。私的にはちょっと言いたいことがあるけど、お馬鹿さんがこの石だけに飛びついて、それ以上は何もさせないためには、完璧な仕掛けだった。あなたがしでかしかけたことも、もう一人の私がちゃんと止めてくれたし……」

 震える茎道に、彼女は楽しげに訊ねた。

「ねえ、どんな気持ち……愚かな人類になった気分は……」

 絶叫する瀕死の茎道に、彼女は告げる。

「肉体も魂も器じゃないあなたはもともといらない。騙されたフリも、疲れちゃったの」

 そうして、彼女は何度も結晶を作り上げ、茎道を串刺しにしていく。

「これが私の復讐よ、茎道!あなたが十年前、そしていま、ぜんぶ、ぜんぶめちゃくちゃにした罰を受けなさい!」

 僕は怯えていた。真名が高らかに笑う中で、茎道は生きたまま串刺しにされていく。そうして最後に動かなくなったのを見ると、彼女は頭と心臓を正確無比に貫いた。そして、祭壇から払い飛ばす。茎道だったものはやがて黒い結晶に変貌していき、全身は結晶だけの動かないものになった。それはやがて、崩れた。

 真名はため息をついた。

「ふう、すっきりしたわ……」

 そして彼女は僕をみて、微笑んだ。

「やっと会えたわね、集」

 僕は背筋が凍った。そんな様子を見て彼女は首を振る。

「ごめんなさい、悲嘆の川《コキュートス》なんて言ったけど、ここは教会。汚れちゃったわね……」

「教会、なにをするための……」

「結婚よ、集。あなたが王という橋になるということは、女王である私の夫になるということ」

 僕は彼女を見上げていた時、十年前の夏の記憶が戻ってくる。

 

 

 あのとき、彼女から言われたことを僕はおうむ返しする。

「結婚……」

「そうよ、もしも誰かと私が結婚したら、寂しい?集……」

 誰と、そんなことを言いながら、ぼくはまだゲームに集中している。

「誰か、よ。トリトンかもしれない」

 僕は顔を上げた。

「トリトン?だめだよそんな……」

 彼女は真顔で本を閉じる。そして微笑む。

「冗談よ、集……」

 そして僕を抱きしめる。

「トリトンなんかと結婚しないわ。あいつ。わたしのこと大人の目で見たのよ。いらやしい目で。気持ちが悪い」

「わからないや……」

 僕は自分がそうなってないかと不安になった。

 彼女は体をゆっくりと離す。

「でも集は、大人の目で見ていいのよ……」

 おねえちゃん、様子が変で僕は呼びかける。ロザリオをさげた彼女を。彼女がかがむと、ロザリオが揺れ、胸元がみえた。

「好きよ、集……」

 そう言われ、僕は唇を奪われていた。体全体が、熱くなった。彼女はゆっくりと唇を離す。そして僕に告げた。

「ねえ、集……約束よ。私と、結婚して……」

 

 

 今の僕は彼女を見上げて言った。

「そんな……急に言われても……」

「急なんかじゃないわ。あなたは一度拒絶したけれど」

 僕は思い出せずにいる。

「どういうこと……」

「もう、都合の悪いことばかり忘れるんだから……でも逃げる理由なんかないのよ、集。あなたが私を殺す理由、もうないじゃない……」

 茎道だった壊れた結晶の塊を見やる。僕は奥歯を噛み締める。

「どうして僕は、君を……」

 そのとき、僕の体は結晶でさらに拘束される。目の前には結晶でできあがった目が並ぶ。そのうちのひとつが僕に近づき、その黒目からキャンサーの結晶を伸ばしていく。さっき茎道を串刺しにしたものだ。

「ほんとに何も覚えてないの?忘れちゃった?じゃあ、あなたのアポカリプスウイルスを、少しいじり直さなきゃ……」

 左目が刺される。だめだ。僕は叫んでいた。その時、爆発が起きる。そして目の前の結晶たちが銃弾で弾き飛ぶ。

 僕は見上げる。そこにはシュタイナーと涯がいた。

「無事、集!」

 僕は呟く。「綾瀬……」

 シュタイナーの肩に乗る涯は叫んだ。

「だからお前はほっとけないんだ!」

「涯、キャンサーは!」

「いのりの歌のおかげだ。まだ動ける!」

 僕はほっと息をついた。

 真名は呟く。

「トリトン……」

 涯は真名に向けて宣言する。

「俺はこの時を待っていたんだ!真名、君と対峙できる、この瞬間を!」

 シュタイナーの瞳が赤く輝く。

「けどもう遅い。運命は変わらないわ……」

 涯は躊躇なく真名へと銃弾を放つ。真名は結晶の目で守られる。そのとき僕の体からは結晶が引いている。制御できる量には限度があるのか。

 シュタイナーと共に飛び降りながら涯は叫ぶ。

「集!走れ!」

 僕は言われた通り走り始める。けれど目の前にふたたび結晶の目たちが現れ、それらが結晶を伸ばしてくる。一つは回避できた。けれど体勢が崩れていて、次の手が打てない。だめだ。逃げられない。

 けれど何かが結晶たちの根元へと突き刺さり、爆発する。すると僕の目の前に来ていた結晶たちも根元を断たれたかのように枯れて落ちていく。

 僕は攻撃のありかを見上げる。そこには、ゴーチェが一体だけ降下しながら疾走してくる。

「生きているか、顔なし!」

 僕はやってきたエンドレイヴを見上げる。奇妙な装備を取り付けている。さらにエンドレイヴは真っ白なエンドレイヴも見ていた。

「シュタイナー、僕の……」

 この声は。

「ダリル!どうやってこの場所に!」

「嘘界からだ!おい、茎道はどうした、あいつを殺さなきゃいけないんだ!」

 祭壇の奥に結晶を使ってたどり着いた真名は笑った。

「あら、集のお友達……あのけちんぼは、もう殺したわ……」

「なん、だって……」

「あなたもあの人に恨みがあったのなら、ごめんなさいね……」

 ダリルは沈黙していた。

 けどやがて真名に銃を向ける。

「あら、私も恨まれる対象だったかしら……」

 ダリルは絶叫する。

「何が王だ!何が救いだ!わけのわからないカルトで僕を、パパを、みんなを狂わせやがって!お前だけわかった顔して、そんなん許してたまるか!」

 真名の表情は変わる。ダリルは叫ぶ。

「殺してやる!いや、終わらせてやる!あんたも、何もかも!」

 結晶が急速に隆起して、ダリルに襲いかかる。

「あなたには関係ないわ」

 そのときダリルのエンドレイヴの腕からは銃ではなく、別の何かが放たれる。それで気づいた。僕と潤君を襲ったあの対アポカリプスウイルス用の兵器だ。結晶に突き刺さると、それは爆発する。その効果は連続して続いていた結晶もすべて破壊していた。

 僕は訊ねていた。「その兵器は!」

「再起動注入剤《reboot bin》だ!アポカリプスウイルスに効く!もともとアンタ用だよ!」

 僕が驚いていると、真名は叫んだ。

「その注射器で……私を汚さないで!」

 更なる結晶がダリルにだけ襲ってくる。彼は焦る。

「多すぎる!」

 ダリルはエンドレイヴ通常兵装の銃弾をばらまく。けど勢いは止まらない。別方向からの銃撃が結晶たちの攻撃を阻んだ。シュタイナーに乗る綾瀬が叫ぶ。

「あんたにかっこいいとこ、取られるわけにはいかない!」

 僕も再び走り出す。それを見た真名は告げる。

「世界をひとつにする。その命なる火に、私たちはなるの。あなたは、王になるしかない!」

 僕は否定する。

「自分勝手な僕を、王にしちゃいけないんだ!」

「それが、分たれた私自身の意志だとしても?」

 僕は驚く。いのりが。彼女自身が、王になることを望んでいると言うのか。真名はため息をついた。

「もういい。あなたを殺す」

 僕にも、結晶が向かい始める。

「私を構築したインスタンスボディで、あなたを何度だって作り直す。そして何度でも、殺し続けるわ。王になりたいと思えるその時まで、ずっと!」

 ダリルが庇うように出てくる。そして大量の対アポカリプスウイルス兵器を発射した。結晶は壊れ続ける。

「ダリル、どうして!」

「……本当はもうどうだっていいんだよ。パパを殺した僕は、帰る家のない僕は、もう空っぽなんだ」

 けどさ、ダリルはそう言って、

「この惨めな人生で、多少の哀れみをくれた奴らがいた。そいつらに僕の空っぽをくれてやったって、困りやしないだろ……」

 なあ顔なし、ダリルはそう言って、

「お前が死んだら空のあれをどうする。コンピュータしかできないちんちくりんだけじゃ頼りないだろ……」

 真名お姉ちゃんは不敵に笑う。

「ルーカサイトのことかしら。あれは、いまの私なら一人でも止められるわ。あなたたちが死んでくれれば、私が世界を救ってあげる」

 そしてダリルは吐き捨てる。

「くそっ、こんなわがままな奴が世界の女王なんて!」

「そう、なら集と死んで。あなたはいらないけど」

 さらに遠隔から結晶が伸びてくる。僕も含まれている。逃げられない。けれどダリルが僕の前に出てくる。そしてダリルのエンドレイヴを穿たれ、動けなくなり、叫ぶ。

 僕は怯えながら呼んだ。

「ダリル!」

 ダリルは叫んだ。

「やめろローワン、ベイルアウトさせるな!僕はここで終わらせるんだ!僕はダリル!皆殺しのダリルだ!」

 そしてダリルは大量の再起動注入剤《reboot bin》を放ちながら僕に向いた。

「逃げろ、顔なし!」

 僕は全てを察して、走り始める。そして涯にたどり着き、綾瀬にかばってもらう。

「おい、突撃女!」

 綾瀬が驚く。「え、私!」

 ダリルは鼻で笑った。

「シュタイナー、もらったんならちゃんと使い切ってくれよ……」

 その時、ダリルのエンドレイヴの中心部は輝く。そして大爆発が起きた。彼を襲っていた結晶を伝って、崩壊が進んでいく。そして真名に到達すると、彼女は苦しみ始めた。すると彼女の制御していた全ての結晶が崩れて消えた。

「ああ!私の力が!」

 涯がその様子を確認したのち、僕に告げてくる。

「集、思い出せ、あの日の出来事を。お前は覚えているはずだ……」

「あの日……」

「聖夜喪失《ロストクリスマス》だ……」

 

### 30

 

 涯は続けた。2029年12月。俺たちはお前の新しい母、桜満春夏に連れられ、東京に来ていた。そして12月24日。俺は六本木の教会にお前を呼び出した。お前の知らない真名について話すためだ。

 しかしそこに来たのは、お前ではなかった。

「メリークリスマス……」

 真名はトリトンに銃を差し出した。

「ありがとう……」

 トリトンが受け取ると、開けて、と真名は促した。

「トリトンは私の騎士《ナイト》なんでしょ。だからこれからも私を守って……」

 そして出てきたのは、拳銃だった。

 彼女は教会のクリスマスツリーを指差す。

「あの星を狙って撃って……」

 振り返ってきた彼女は笑っていたけど、その目には、トリトンは映っていないような気がした。

 トリトンは真名に教えられた通りに銃に弾を装填し、安全装置を外し、クリスマスツリーを狙う。そして、撃った。銃は暴発し、自分の体を傷つけた。そうしてトリトンは動けなくなった。

 彼女は歩み寄ってくる。

「トリトン、私はあなたが好きだったのよ……」

 そしてかがんで彼の血をとる。神妙な表情の彼女をトリトンは見上げた。けれど、彼女は笑った。

「嘘よ……」

 そう言いながら、彼女は手にとったトリトンの血で唇を赤く染めた。式を挙げる女性としての化粧なのだろうか。

 その時、僕はたどりついた。

「トリトン……」

 彼は祭壇で倒れていた。僕は彼の元へと駆けつける。

「トリトン、どうしたの、トリトン!」

「さあ、とって、集……」

 背後からの声に僕は振り向く。そこには真名お姉ちゃんがいた。彼女はあやとりのはしごを僕に見せている。とることのできないはしごを。

「結婚式よ。私たちの遺伝子で、歌で、新しい世界をつくりましょう……」

 僕が怯えていると、彼女はあやとりを置いて、近づいてくる。

「怖がらなくていいわ……」

 僕は訊ねていた。

「どうしてトリトンが、こんなことに……」

「トリトンは儀式を穢そうとした。だから報いを受けたのよ……これが、世界にとって正しいこと。あなたも私も、この救済者誕生の日のためにつくられた……」

「つくられた……どういうこと……」

「私たちはね、集。この争いばかりの世界をリセットするための装置なのよ。人はアポカリプスウイルス、あなたのお父さんの研究しているそれと、共存関係。私たちが高度に言葉を交わしたりできるようにアポカリプスウイルスは心という力を与えている。虚無の橋を繋ぐ。それは、人の心を強化して、コミュニケーションを繋いでいくということ。アポカリプスウイルスを通して、心をもう一度リセットするの。あなたと、一緒に……」

 僕は首を振った。

「父さんは言ってた……真名お姉ちゃんがやろうとしてることは、意味ないって……そんなことしたら、これからおねえちゃんにも、僕にも、誰かのせいで怖いことが起きる、だから止めなきゃダメなんだって……トリトンもこんな……なんで……」

 真名お姉ちゃんはさらに近づいた。

「これ以上この争いの絶えない世界を、私はみていられない……お願い、集!私はもう何千年も、石の時から世界を見てきた!橋をかけなおすしか、方法はないの。私を、ひとりにしないで!」

 そうして唇をまた奪われていた。そして彼女は立ち上がる。そして、ゆっくりと歌い始めた。ロンドン橋を。

 その時、世界が揺れた。空が急に真っ暗になる。その時、驚いていたのは真名お姉ちゃんの方だった。

「どうして……どうして、違う。こんなはずないのに……」

 そうして、この教会を中心に爆発が起きた。

 

 

 僕は頭痛の中で目覚める。

 そこには地獄が広がっていた。周りがすべて燃えさかっているのだ。トリトンが起き上がる。僕は呼びかけた。

「大丈夫、トリトン……」

「うん、それより……」

 トリトンが見た先では、彼女が胸を抑えて苦しんでいた。

「いやだ!入ってこないで!私を、私を汚さないで!助けて、集!」

 僕とトリトンはすかさずお姉ちゃんの元に向かう。その時、僕は父さんから言われたことを思い出していた。

「彼女を止められなかったら。そしてもし苦しみ出したら、君の手で胸からそれを取り出してあげて欲しい。そしてそれを壊すんだ。君自身の手で……すまない、集」

「お姉ちゃん!今助けるから!」

 そうして彼女の胸に右手を当てた時、急に光が輝き始めた。トリトンが驚いている時、僕は真名お姉ちゃんに訊ねる。

「お姉ちゃん、痛いのはこれなの?」

 お姉ちゃんは肯いた。彼女は喘いだ。僕はゆっくりとそれを取り出していく。そうして彼女は眠った。そしてトリトンは驚いていた。

「石……どうして……」

 それは、茎道が持っていたはじまりの石と呼ばれていたものより、少し大きかった。

 けれどそれは急に暗い幻影を持ち始め、僕に襲いかかってくる。そして僕に馬乗りにされる。影は結晶をつくりはじめて、トリトンにも襲いかかろうとした。僕は叫ぶ。

「トリトンを、いじめるな!」

 僕はどうにか地面にそれを押しつけていた。

「これを壊せば、お姉ちゃんが助かる!」

 けど僕はそこで違和感を感じた。何かを察知したトリトンは聞いてくる。

「どうしたの、集!」

「石なのに、どく、どくって……」

 手で何かが脈打っている。それは人の首をしめているみたいだった。僕は眠った真名お姉ちゃんを見つめる。こうしなければおねえちゃんを助けることができない。

 僕は握り締めた。その時、石から声が聞こえた。

 ヴォイドから声が聞こえてくる。

「集、やめて!お願い!私を殺さないで!なんでこんなことをするの!なんで!」

 僕とトリトンは茫然とした。石が、真名お姉ちゃんのようにしゃべってくる。僕は眠っている彼女を見る。トリトンが叫ぶ。

「いま、真名の声が」

 そんな、違う。違う。

「違う!トリトンをいじめる人は、おねえちゃんじゃない!」

 ぼくは嗚咽を止められず、ぼたぼたと涙を落としながらそう言っていた。トリトンは眠るお姉ちゃんを、そして僕の手にある石を見比べている。

 いつまでそんなことをやっていただろうか。その力は気づけば暴れまわるのをやめていて、やがて壊れた。そうして小さな石の残骸になると、空は急激に晴れていった。僕の手は、石を握ってできた切り傷から出た血で真っ赤になっていた。

 息も絶え絶えなまま、眠っているお姉ちゃんをみつめる。

 彼女はおもむろに起き上がる。

 僕は、トリトンは安堵した。お姉ちゃんを助けたんだ。

 けれどその表情は、もうおねえちゃんではなかった。すごく表情が静かだった。何が起きたのかと、あたりを見廻している。

「おねえちゃん……」

 そう呼びかけても、彼女は振り返るけれど、笑いかけてはくれなかった。そして、怯えるようにこう言った。

「私は、だれ……」

 それで僕は、トリトンはようやく気づいた。僕は、なにかとんでもないことをしてしまったんじゃないのか。

 その時、トリトンが僕の襟首を掴む。

「どういうことだ、集!」

 ぼたぼたと涙がこぼれた。

「そんな、そんな……僕は、僕は……お姉ちゃんは君のこといじめたりなんか……」

 僕はそこで頭が痛くなり始めて、地面に突っ伏してしまう。トリトンは叫ぶ。

「集、どうしたの、集!」

 お姉ちゃんの姿をした人がやってきていたけど、どうすればいいのかとおどおどしているようだった。

 そんなとき、頭が痛いというのに、頭の中で色んな人の言葉がこだまし始める。悲しみ、怒り。そればかりが僕の頭の中で響き続けて、僕にその感情を模倣させ続ける。

 入ってくるな。入ってくるな。僕を汚さないで。

 頭が割れそうだった。とにかく体が寒かったり、暑かったりを繰り返す。そんなとき、お姉ちゃんの姿をした人は、ぼくを抱きかかえて抱きしめてくれた。そのいいにおいにすごく安心したような気もしたけれど、痛みは全く止まることを知らない。

 僕は彼女に何度も言った。

「ごめんなさい、おねえちゃん、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 教会に、誰かたくさんの人たちが入ってきていた。みんな黒ずくめの服で、兵隊さんのような格好をしていた。彼らが駆け寄ってきて、トリトンも、そして僕も見つめる。

「はい、ソリッド・シェパードがこの災害を止めた模様。しかし、様子が変です……うなされています……すぐに運びます」

 僕はそこで、意識が途切れる。

 

### 31

 

 涯は告げる。

「お前は儀式の邪魔によって暴走してしまった真名からヴォイドとしてはじまりの石を取り出し、そして壊した。そうして聖夜喪失《ロストクリスマス》は終わった」

 そんなことが……綾瀬が呟いているとき、僕は肯く。

「そうだ。あの時、お姉ちゃんは記憶を失って……そして、いのりとして生き続けている……僕は、お姉ちゃんを殺してしまった。だから、誰かに助け出されていた時、涯はこう言ったよね」

 集は間違ってた。だから僕は、強くなる。さよなら……

 彼はそう言って、どこかへ消えてしまった。

「忘れていた。僕は忘れることで、自分を守っていたんだ……」

 そして思い出す。自分にできることをと、殺してしまった誰か、そして生き残った誰かのために、祭に、春夏に手をとってもらいながら道化師《clown》としてのすべてを始めたことを。

 涯は僕の様子を見て言った。

「集、今だから言う。あのとき、俺はお前を責めてしまった。本当にすまなかった。あの時お前がああしなければ、真名は、いのりはあの場で射殺されていたと調べていくうちにわかった。お前は選択を、ずっと、間違ってなかったんだ……」

 僕は首を振っていた。

「僕も、ごめん。君がその体で戦う理由を思い出せた」

 そして祭壇で苦しむ彼女を見つめた。

「けどさ、僕は間違っていた。そして今も。僕は何も理解しないでやってきていた。王になりたくないって逃げて、王の能力からも逃げて、そして今も、お姉ちゃんを苦しめている。そう、やっぱり僕が、王になるしか……」

 その時、涯は言った。

「この世界に、真名の言う王は必要ない、俺はそう思ってる……」

 僕は涯に振り向く。彼は続けた。

「無理やり世界を繋いでも、綻びが生まれる。茎道が二度も儀式を邪魔したように。俺は、多くの人間は、真名やお前のように、できた人間なんかじゃない……まだ時間がかかるんだ。ゆっくりと時間をかけて、互いの心に向かって橋をかけていかなきゃいけない。真名にそれをわかってもらうには、残念ながらいまは眠ってもらうしかない」

 綾瀬は訊ねてくる。

「涯、どうすれば、彼女を止めらますか……」

「……あの真名は、インスタンスボディと呼ばれる仮の体だと嘘界から聞いた。あのベールと、わざわざその先の祭壇に彼女が立っているのを推測すると、真の体を取り戻さなければ本来の歌を使うことができない。いのりと真名の繋がりであるあのベールを断ち切れば、あの真名は何もできなくなる」

 僕は涯に訊ねる。

「じゃあ、もしもおねえちゃんの記憶が帰ってきたいのりになってしまったら……」

「殺すしかない……」

 そんな。綾瀬が言っている時、僕は首を何度も振った。いやだ。そんなのは絶対にいやだ。

「彼女をもう、殺したくない……」

 そう、また彼女から石を取り出して、首を締めるなんて……あの頭痛がまた……

 ふと嘘界から言われた言葉が去来する。

『真の王としての本質が、あなたの時すら超越してヴォイドゲノムすら凝集し、そして呼び出す、その力なのですよ』

 僕は最後の確信にたどり着く。

「もしかして……」

 涯は顔を上げた。僕は告げた。

「涯、僕の体に、すでにはじまりの石の一部があるんじゃないのか……」

 涯は何かを思慮する。

「お前があの時苦しんでいたのは、真名から一部を取り出していたから、と……筋は通る」

 だが、と涯は訊ねてくる。

「お前……はじまりの石になるつもりか……」

 僕は首を振った。

「まだ決まった話じゃない。でも、いのりも、この世界も、間違いなく生き残る……」

 綾瀬は嬉しそうに言った。

「それなら……」

 涯も肯いた。

「わかった、ならば取り出せ、集、俺の心《ヴォイド》を……そして、取り出したヴォイドを、俺に渡せ。今のお前なら、できるはずだ!」

 僕は肯く。そして涯の手をとって僕は彼からヴォイドを引き出していく。それは大きな銃、アサルトライフルのようだった。これが、涯のヴォイド。

 真名お姉ちゃんが、ゆっくりと目覚めていく。

「もう怒ったわ、集、トリトン。全部終わらせてあげる……」

 結晶が大量生成され、それらから目が飛び出てくる。

「……集、俺のヴォイドの能力は今言った通りだ。いのりのもとへ走れ!そして真名のもとへ向かう俺を援護するんだ!綾瀬もだ!」

 僕は肯いた。「わかった」

 綾瀬も続く。「りょ、了解です!」

 いくぞ、涯がそう言って、僕らは走り始める。

 シュタイナーが高速に真名に銃撃を行い、そこに彼女の結晶が集中する。

「いい加減倒れなさい!わがままな女王様!」

「あなたみたいな人には言われたくないわ!」

 僕は拘束され続けている彼女に叫ぶ。

「いのり!」

 真名が反応した。「集、誰を呼んでいるの!」

 結晶の目たちが僕を見つめる。そして結晶を飛び出させる。なんとか回避した僕は叫ぶ。「涯!」

 涯が遠方からいのりに向かって照準を定める。そして彼女を撃ち抜く。

 彼女はのけ反り、ベールが脱げる。すると彼女の胸からあの大剣のヴォイドが引き出される。ヴォイドを強制的に出現させるヴォイド。涯の本質。人の心を引き出す武器。

 僕は綾瀬の援護を受けながら祭壇を駆け抜ける。そして飛び出し、いのりからヴォイドを抜き、ベールを切り裂いた。繋がりは断たれ、消え去っていく。彼女を抱きとめる。

「いのり、大丈夫……」

 彼女がゆっくりと肯いたのを見て、僕は大剣で結晶の目たちを蹴散らす。

「もう、ふたりとも速すぎる!」

 綾瀬がそう言いながら結晶の目を破壊しながら追随する。道は開かれた。僕は叫ぶ。

「涯、行って!」

 ああ、涯はそう言いながら祭壇を走っていく。真名は叫んだ。

「世界に真の王が必要なのはもとの私もわかっている、それをどうして否定するの!」

 結晶がさらに涯に接近していく。僕はひとつを切り裂く。涯は叫んだ。

「導かれる必要はある。だが今じゃないんだ!君の橋は、一度落とす!」

 けれどもう一つの結晶が、さらに涯に接近する。間に合わない。そう思った時、銃撃で弾き飛ばされる。

「この子となら、どこまでだって……」

 綾瀬だ。その時、僕の目の前に結晶が伸びてきていた。ヴォイドで切り裂く暇も与えない、強烈な大きさの。だめだ。

 そう気づいた時、目の前に真っ白な巨人が現れる。シュタイナー。その背中まで結晶が貫かれていた。彼女は悶絶している。

「集、あの時私は守れなかった。でも今は……」

 やめてくれ、僕が叫んだ時、気づいた涯は通信先に叫ぶ。

「ツグミ、ベイルアウトだ!」

「涯!私はまだ!」

 そう言ってシュタイナーからパイロットは切り離された。 

 涯は銃撃しながら駆け抜ける。真名は焦る。

「力が、力が出ない……」

 そうしてついに涯は真名のもとにたどり着く。けど彼女の顔は涯に向いていた。彼女は涯に撃たれ、そして涯は結晶に貫かれた。真名お姉ちゃんはヴォイドを引きずり出される。こちらも、いのりと全く同じ大剣だった。

 僕はいのりを抱き抱え、涯に駆け寄る。

「涯!」

「葬儀社の全てを、お前に託す……」

「何言ってるんだ、涯!」

 涯はおもむろに答える。

「どのみち俺は助からん、そうだったな……」

 涯の体からは血が流れ続けている。僕はいのりのヴォイドを握りしめる。

「それは、危険状態《ステージ3》だからって話だよ……」

 教会が崩壊を始める。そして、瓦礫が落ちていき、やがて天井は開かれるけれど、空はずっとずっと、遠くにあった。

「ここは、奈落の底だっていうのか……」

 通信が入る。ツグミからだ。

「みんな、大変!ルーカサイトの攻撃予定が繰り上げられて発射準備が開始される!あいつらルーカサイトぶっ壊してでも撃とうとしてる!どれだけいま計算リソース足しても間に合わない!」

 そんな。誰もが茫然としていた。

 そのとき、いのりはふらふらと僕のヴォイドを奪い取り、自分の胸へと近づけ、しまっていく。僕は訊ねていた。

「いのり……何を……」

「あれの罰を受けるべきなのは、私だけだから……」

 教会に空いた横穴。そこから大量のエンドレイヴたちが降りてくる。GHQ側のエンドレイヴたち。それらは僕らへと銃を向けてきている。

 僕は叫んだ。

「待ってください!あなたたちと争う理由はない!いまルーカサイトが撃たれようとしているんですよ!」

「俺たちは連合国から、ルーカサイトを発射されたくなければ、お前たちを殺せと言われてきたんだ!」

 ツグミが応じる。

「ネイ、もうこの準備状態だとルーカサイトは止められない!それは嘘よ!」

「知るか!元凶は、お前たちだ!お前たちを倒して俺たちは帰るんだ、家に!」

 エンドレイヴたちは襲いかかろうと降りてくる。僕は叫んだ。

「だめだ。こんなことしている場合じゃないんだ。みんな、みんな助からない!」

 その時ふと、僕の左手に、いのりは触れた。そして、握った。僕は驚いて振り向く。彼女は今にも泣き出しそうだった。

「集。ようやく、あなたの元にたどり着いたのに……でも、私の罪は、私が償うしかないから……」

 エンドレイヴの駆動音を聞く中で、僕は茫然と彼女を見つめる。

「全部思い出したの。私なら、アポカリプスウイルスの力を全部使えば止められる。となりに、王が、あなたがいなかったとしても」

 気づいた。遅かった。真名の意志が、彼女の中にすでに入り込んでいる。

 僕は首を振った。

「いやだよ、そんなの、なんで……」

 死にかけの涯に、いのりに、僕は叫んだ。

「なんでそうやってわかった顔で背負って、僕だけ置いていくんだ!」

 僕は驚くいのりの手を両手で握った。

「行かないでよ!」

 そして力なく、膝をつく。

「だって、なにもいいことなかったじゃないか。トリトン……涯も。お姉ちゃん……いのりも。ずっと辛い思いして……怖いの我慢して……」

 僕は涙と共に激昂した。

「どうして!どうして君たちが苦しまなきゃいけないんだよ!桜満《シェパード》だなんて苦しむための運命で、結局たどり着くのがここで!なら、君たちはなんのために……」

 涯は顔を俯け、いのりは今にも崩れ落ちそうだった。けど、彼女は微笑んで、手をゆっくり離す。

「さよなら、集」

 それだけをなんとか言った彼女の顔には、涙が伝っていた。彼女は結晶を使って、飛び出していった。

 いのりの華奢な背中が、どんどん、遠くなっていく。

 そうしてようやく気づいた。六本木のあの時、いのりを置いて行った僕の背中を、こうやって彼女はみていたんだ。

 こんなの嫌だった。いのりはあんなの、嫌だったんだ。だからいのりは、僕を追いかけてきたんだ。

 膝をついて涙をこぼしながら、僕は呟く。

「いのり、ごめん。あのときのこと、謝るから……だから、置いていかないでよ……」

 涯はおもむろに訊ねてくる。

「集、今の俺たちは、どう見える……」

 戸惑う僕に、涯は続けた。

「十年前のお前は、決断力があって、勇敢で、強くて。だがな集。お前に変わらないところがある。俺は、真名は、いのりは、いつだってお前のその優しさに、憧れていたんだ。だからその優しさに近づくために、俺はお前のようになりたいと思っていたんだ。そこにあるのが、苦しむだけの運命だとしても」

 涯は、真名お姉ちゃんのヴォイドに手を触れる。

「もう運命なんか終わったんだ。だから行くぞ、真名……全てを解放するために……」

 そして大剣のヴォイドを引き抜く。先ほど貫かれた結晶を折っていく。痛みに呻き声を上げながら。

「涯、何を……」

 息を切らしながら、涯は呟く。

「お前はいつだって、決心できる俺たちになれる」

 僕は首を振った。なのに、涯は、こう告げた。

「次は、お前の番だ」

 僕は目を見開いていた。涯は膝をつく僕を見下ろし、訊ねた。

「答えろ、集。救いたいか。みんなを。いのりを……」

 僕は肯いた。

 涯は僕に、あのヴォイドを向けてくる。

「お前のヴォイドは、残念ながら不完全だ。だが、俺のヴォイドで、わずかだけだが解放する。それで、いのりに届くはずだ……」

 驚いていた。そんな様子に、涯は笑っている。

「この奈落の底でも誰かを思い続けられる優しさ。それこそが、お前の武器《Void》だ」

 そして僕を撃ち抜いた。僕の体から、ヴォイドエフェクトが溢れる。立ち上がると、それらが僕を包んでいることに気づく。右手には、凄まじいヴォイドエフェクトが溢れている。そこから突如としてヴォイドが出現する。重力を操るヴォイド。

「さっきの彼の。そんな、どこから……」

 城戸研二のヴォイドか、と涯は言いながら笑った。

「お前のヴォイドは、時空を超えて、集めて繋ぐ。お前が今まで、道化師《clown》としてそうしてきたように……」

 思い出す。あのワンピースを着た海岸《ビーチ》の姫は微笑んで告げていたことを。 

『あなたの体《Gene》、記憶《Scene》、形見《Meme》。その繋がりを辿って、人は海の向こうの海岸《ビーチ》と、時を超えて繋がる……』

 涯は自分のヴォイドを格納しながら、ふらふらと立ち上がる。

「涯、体が!」

「いいんだ。行くぞ集。これが最後だ……」

 僕はどうしようもない気持ちで、ヴォイドを握りしめる。

 けれど、僕はいのりの向かった空に向かって飛び出す。そして、少年の重力操作のヴォイドを起動した。

「間に合え!」

 

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 嘆きの川《コキュートス》の底から、私は空へと向かう。

 今はもう、思い描くだけでアポカリプスウイルスは答えてくれて、結晶を作り出してくれる。それを足場に私は空へと跳び続ける。

 そこに、穴の横穴からエンドレイヴたちが現れる。

「いたぞ、撃て!」

 エンドレイヴたちからの射撃を、ミサイルを、軽々と飛び越えながら空へと向かう。今ならわかる。私のこの体が、こんなに強い理由だって。

 エンドレイヴのうちの一体が舌打ちした。

「化け物め……」

 そう、私は化け物。

 私はあなたたちに力を与えた。人と人を繋ぐための言葉を与え、私と会話できるようにした。

 でも、悪意を向けるためにつくったものじゃなかったはずだった。

 さらに空に跳び続けても、エンドレイヴたちはいた。兵士たちがいた。私は彼らに撃たれ続ける。兵士が叫ぶ。

「ここであのウイルスを、ぜんぶ浄化するんだ!それで全部片付く!」

 それが、みんなの答えだったんだろう。

 何年も前から、ずっとそう。どうしていつも、悪い方に傾いてしまうんだろう。でも今ならわかる。みんなは繋がることなんか、望んでなかったから。

 余計なもの。アポカリプスウイルスを与えられて、繋がりを与えられ、それの力の大きさを示されて。でもこんなもの、誰もほしくなかった。だから争いは余計に複雑になった。過激になって、後戻りできない力を持ってしまった。

 私ひとりが望んだことを、繋がりを、みんなに押し付けてしまったから。

 アポカリプスウイルスの力の頂点、王の能力。そんな力を手にした集だってそうだった。夢で会った時、彼は言っていた。

『これは……僕の罪なんだ。だから、僕がなってしまうくらいなら、世界に……王なんて、いらないんだ』

 そう思うと、ふゅーねると一緒にいた、あの映研の部室の時と、同じ気持ちになってしまう。

 ぜんぶ、自分の寒さをなくすためのことだったのに。どうして今も寒いままなんだろう。

 集なら、知っているんだろう。

 でも、彼から答えを教えてもらう資格は、私にはない。

 もう私は、楪いのりではいられなかったから。

 二度と、あの男の子と会うことはない。集が空港までやってきてくれた時のあの気持ちとも、もう会うこともない。

 私は空を、月を見上げる。

 だからせめて、彼らの世界に償おう。私だけのいない世界を作ろう。あの、空から落ちてくるという光と共に行くことで。

 

 その時、世界が急に暖かい何かに包まれたようだった。そして、体が浮き上がる。私はやってきた穴の底へと振り返る。

 そして、何かを感じ取った。誰かが、追いかけてくるような。

 でも、そんなはずなかった。彼にはそんな力はないはずだった。

 目の前にエンドレイヴたちが浮き上がってくる。それを足場にして私はさらに飛び出す。

 世界が私の償いを助けてくれるというならば、受け入れよう。

 ここは私とその罪の幽閉される場所、悲嘆の川《コキュートス》なのだから。

 

## 32

 

 無重力世界で、僕は少年のヴォイドを置いて飛び出していく。浮いた瓦礫を伝い、上り詰めていく。涯が僕に先行して、動転するエンドレイヴたちを切り裂いていく。けれどその最中に変化に適応した二体のエンドレイヴが僕に向かって銃を向けた。

 だめだ。死ぬ。

 その瞬間、涯が飛び出し、二体のエンドレイヴの体を切り裂いていく。僕は不甲斐なさを感じながら、涯とさらに上へと駆け上がっていく。

 思い出す。十年前。彼と共に探検したすべてを。彼とともに越えた橋を。僕が前に居続けていたのに、今はトリトンが前にいる。

 涯はエンドレイヴをいなしていた。

 不安を抱えながら、ついに僕は彼に背中を預けて月の輝く空を目指す。

 遠くで何かが撃ち抜かれる音が聞こえた。

 それは涯。銃弾で撃ち抜かれ、倒れていく。涯はそれでも飛び上がる。

「まだだ!終わっていない!」

 そうして肉薄し、ヴォイドで再びエンドレイヴを切り裂いたその時、彼の元へミサイルが当たる。涯はぼろぼろになって、すれ違うように落ちていった。大きくぽっかりと空いた、底の見えない深淵へと。僕は涯に手を伸ばした。けど彼は笑ってこう言った。

「もう友達は、俺だけじゃないはずだ。行け、集。繋がりを辿って、いのりのもとへ……」

 そうして彼は、闇の穴へと消え去っていった。

 僕は奥歯を噛み締める。

 やがて僕は呟いた。

「みんな、ごめん……」

 僕は空へと走りはじめる。敵のエンドレイヴからのミサイルが来る。

 僕は彼の名前を呼んだ。「谷尋!」

 僕は右手から呼び出された谷尋のヴォイドを手に取り、ミサイルを切り裂いていく。

 瓦礫の中で輝く月を見つめながら、僕は名前を呼ぶ。

「花音さん!」

 そうして目にはあの委員長のヴォイドが出現し、拡大を繰り返し、地上へと向かういのりを見つける。

 目の前にエンドレイヴが飛び出してきた。僕はさらに名前を呼ぶ。

「颯太!」

 手には颯太のヴォイドがある。僕はヴォイドでエンドレイヴたちを撮る。するとエンドレイヴの体は部品レベルにまで分解されていく。それらを踏み越して空へと登り詰める。下にいるエンドレイヴが銃撃を浴びせてきた。僕は彼女の名前を呼ぶ。

「祭!」

 彼女のヴォイドが目の前に現れ、先ほど分解したエンドレイヴたちの武器をつつみ、それらを修復したことにしてエンドレイヴたちに放つ。エンドレイヴたちは撃ち抜かれ、爆発する。

 空を走り続けている時、頭上のエンドレイヴがミサイルを放ってくる。僕は跳躍しながら名前を呼んだ。

「供奉院さん!」

 目の前に彼女の盾が現れ、それがミサイルを花火に変えていく。その影で、僕は思い出す。

 僕は華奢な背中の彼女に、語りかけていた。

『でも、会えないよ……』

 海岸《ビーチ》の姫はあのとき微笑んだ。

『会えるわ。会い方がわかればね……』

 夕焼けだった世界は暗闇に戻っている。けれど、そこには月が輝いていた。

 僕は深淵を駆け上がりながら、月を背に結晶で昇り続ける彼女を見つけた。彼女は自らの結晶を操る力で、エンドレイヴから逃げ続けていた。

 ようやくたどり着いた。ようやく会えた。殺してしまった、君に。 

「いのり!」

 空へと上がり続けているいのりは僕へと振り返る。寂しさで固まっていた顔は、驚きに変わった。

「嘘、でしょ……」

 エンドレイヴたちの攻撃を躱しながら、僕は答える。

「本当だよ!」

 彼女は思い出したかのように叫ぶ。

「止めないで集!あれが、私の背負う罪なの!私だけが罰を受けて、あの光と消えるの!」

 僕は飛び出しながら叫んだ。

「そうやって、ひとりで背負わないでよ!」

 彼女はその言葉に僕を見つめていた。

「いのり、君は償うために歌い続けてきた!なのに僕だけがずっと逃げてきたんだ!」

 いのりを守るため、僕はさらに飛び上がる。

「世界に王なんかいらない!けれど、君が世界を守るなんて言いながら、僕を置いていくなら!」

 僕は手を伸ばしながら宣言した。

「僕は、王になる!」

 いのりは彼女は目を潤ませ、僕を見つめていた。そして微笑みながら、大粒の涙と共にゆっくりと落ちてきた。彼女は訊ねる。

「ねえ、集。あなたを、信じていい……」

 僕は肯く。そうして抱きとめ、僕たちは手を繋ぎあう。彼女の胸から、光が爆発し、エンドレイヴたちを押し除けていく。僕は右手をゆっくりと入れていく。彼女は喘く。そして、白金の輝きを引きずり出していく。そして、無重力となった世界で僕はいのりを抱き抱え、星の光たるいのりの大剣を掲げた。それらはエフェクトのようでもある僕のヴォイドも纏っている。

 いのりは星の輝きを見つめて感嘆の呟きをもらした。

「ああ、きれい……」

 接近してきたエンドレイヴを突き抜く。エンドレイヴは遅れて爆発する。僕は足元の紋章を足掛かりに、さらにエンドレイヴを両断する。そして、地上を目指していく。

 僕は飛び続けながら、通信を入れる。相手が応じる。

「ツグミ!ルーカサイトの発射までの時間は!」

「あと三十秒だよ!けどどうやってあれを!」

 僕が答えに窮している時、エンドレイヴが僕らを阻むようにミサイルを放ってくる。僕は全てを切り落とし続ける。そして、月に向かって渾身の一振りを放った。

 その一閃は僕のヴォイドを纏っていた。すべてのエンドレイヴたちを追随して切り裂いていく。

 この奈落の底から、全てのエンドレイヴは消え去った。

 真に戦う相手を、僕は地上を目指し無重力の中で走り続けながら睨み付ける。月は真っ赤に染まっていた。委員長のヴォイドをつけると、それの正体がわかった。ルーカサイトの光。星を焼き払う光。光を屈折し、固め上げるもの。

「どうすれば……」

 その時、抱き抱えられたいのりが右腕に触れる。僕は彼女へ向く。そして彼女は告げた。

「集、お願い。私を、私たちを、使って……」

 すると僕のヴォイドはさらにいのりのヴォイドに収束していく。いのりの大剣がさらに大きく、そして形状が変化していく。

 涯の言葉を思い出す。

『お前のヴォイドは、時空を超えて、集めて繋ぐ。お前が今まで、そうしてきたように……』

 何人もの人が、ためらう僕にこの力《void》を託してくれたんだ。

「みんな、もう一度だけ、僕に力を……」

 ヴォイドフェクトは僕たち二人のヴォイドで爆発するように広がっていく。

 いのりのヴォイドがついに変貌を遂げた時、地上へと飛び出し、僕は奈落の底で鋳造された至宝を見つめていた。

 それはいのりの大剣を中心に融け合う、あまりにも巨大な閃光の銃。それはいのりの瞳のような紅い閃光を纏い、力を放ち続けている。星の光を放つオオアマナの大剣からは俄かに信じがたい、全てを終わらせる破滅の光。

 これならば。

 ルーカサイトに、燃える月に向かって、僕らはヴォイドを突き立てた。ヴォイドエフェクトが高らかに歌うように輝き始める。そして赤い閃光の連なりがヴォイドを纏っていく。それにいのりは手を添えてくれる。すると閃光は、ヴォイドエフェクトは増大していく。

 そう、このヴォイドは僕だけの力じゃない。ここに至るすべても。

 僕だけの願いじゃない。僕だけの力じゃない。

 これが、みんなで繋いできた願い《void》なんだ。

 僕は雄叫びを上げながら、充填したその光を解き放った。地上から解き放たれた雷は、雲をも突き破っていく。ルーカサイトを突き破り、そして、残存しているもう二機へも、紅玉の閃光はねじ曲がりながら撃ち抜かれていくのを、委員長のヴォイドから見つめていた。

 そして、裸眼でもそれら三つの衛星は爆発し、輝いているのが見えた。

 空に広がったのは、打って変わって金春色《ターコイズ》の輝きを放つ極光《オーロラ》だった。気象現象すら捻じ曲げてしまったそのヴォイドは、緩やかにヴォイドエフェクトと共に去っていく。

 そして地上で宙に漂うまま、いのりが呟いた。

「集の色相と、同じ色……」

 僕は微笑んだ。夢の中で彼女へと伸ばしていた左手で、彼女の手と繋ぎ合う。

 

 

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