Guilty Crown Bonding the Voids 作:倉部改作
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臨時大統領として発表をした数日後。私は二十四区のフロアを歩きながら、遠くの結晶の丘を見つめる。
ごめんね。いのりちゃん。
そう思いながら、巨大な運命を前に何もできない。そう、それはずっと昔から。玄周さんと会う前から、ずっと。
この大きな流れに取り込まれる前。私がゲノムレゾナンスの研究を志したのは、人類にとっての未知のウイルスと、とても歳の離れた兄さん。修一郎の存在が大きかった。
未知のウイルスとは、アポカリプスウイルスと名付けられたものだった。遺伝情報だけを内蔵していたから便宜上ウイルスと呼ばれたけど、それは奇妙なものだった。アポカリプスウイルスは人間の体の中に混ざっていたけれど、発見は非常に遅れた。なぜなら、人体に悪影響という形で表出することはないどころか、増殖することもなかったからだった。なんのために機能しているものかわからないこのウイルスは、黙示録《アポカリプス》の時に起動するんじゃないか、という冗談からアポカリプスウイルスと呼ばれることとなった。
さらにこのウイルスは、人類が誕生したどこかのタイミングから存在していたことがわかってきた。だからたくさんの科学者たちが、人類誕生の起源に、このウイルスが関わっているという可能性に心を踊らせた。兄さんも、そんな一人だった。兄さんは言っていた。
「宇宙には始まりも終わりもないかもしれない。だが人間には、間違いなくはじまりはあるはずなんだ。あれは、黙示録《アポカリプス》のウイルスではなく、創世記《ジェネシス》のウイルスなんじゃないのか」
そんな不思議でわくわくする話を、辛抱強く教えてくれた兄さんのおかげで理解しつつあった小さな私も、大興奮だった。
「そしたらみんなすごくなれるね!」
兄さんは驚いていたけれど、頷いていた。
「そうだな。人間がどう形作られたかわかれば、病気だって克服できるかもしれない」
「ねえお兄ちゃん、私も一緒に研究してもいい……」
「好きにすればいいさ」
兄さんはそう言って微笑んだのだった。
やがて兄さんは大学院生の時、アポカリプスウイルスの人体、特にヒトゲノムにどのような影響が発生しているのか調査を行いはじめた。そして、人類にとって大きな研究結果と、仮説をもたらした。
研究結果として、アポカリプスウイルスが干渉している箇所は、なぜかいつだって遺伝子のメイン情報が書かれているエクソンではなかった。言語を操作のために利用されていると実証されつつあったイントロンだけが、何かしらの干渉を行っていたようだった。
それに気がついた兄さんは、そのイントロンコードの部分だけを書き換えてみることにした。その結果、その遺伝子はなぜか結晶化した。その結晶は解析結果として謎だった。この世界には存在しない組成の、有機物か無機物かもわからないそれは、キャンサー結晶と呼ばれることになる。兄さんはこの奇妙な現象には、何かしらの法則性があるのではないか、と考え始めた。それは、書き換えた情報によって、結晶の精製のされ方が微妙に変異していたからだった。
そしてある日、兄さんはある直感に基づいて遺伝子を書き換えた。そして、結晶化されることなく遺伝子を書き換えることに成功した。そして確信した。アポカリプスウイルスが、人類の最初の段階を作っていたことを。それは、仮説として提示されることとなる。
それは、イントロンRandom Access Memory仮説。遺伝子という言語を操作のために利用されていると実証されつつあったイントロン情報に、さらに別機能、まるでコンピュータの参照するメモリーのようなものが内蔵されていて、そこをアポカリプスウイルスが遺伝子操作により書き換える操作を行ったことで、人類は、正確には中央処理装置《CPU》とも呼べる人類の脳とそれに付随する系は、異常なまでの力、コミュニケーション能力を獲得した可能性がある、と。
その研究成果は、多くの人を驚かせた。それは、人間という種族が自然選択によって生まれたのではなく、何かの見えざる手によって生まれたことの可能性のひとつだったから。
その話を兄さんから聞いた私は、その道に突き進むことにした。人類最大の謎、神の領域の探求。その響きは、素敵なものだったから。そんなフォロワーは、私だけじゃなく、たくさんの人がいた。そのなかでとびきり喜んでいた人がいた。それが、桜満玄周だった。
そして玄周は人類の新たな創世記において、どうやってアポカリプスウイルスを操縦したのかを調べていった。文明のない時代において、ミクロな操作は機械がないぶん限定的になる。ならば、何かしらの通信を行っているのではないか、と玄周は想像した。それはゲノムレゾナンス仮説につながり、実際にゲノムレゾナンスは送信元と送信先でのみ観測された。そしてそれが導き出す結論は世界を驚かせた。アポカリプスウイルスの操縦者は、なんとアポカリプスウイルスを持つ存在でしか考えられないという奇妙な結論に達したからだ。
観測した状況下においては、アポカリプスウイルスは人間にしか存在しない。つまり存在を確認できない神を除けば、人間が、人間を作り上げたという循環定義のような構造となる。多くの人たちは混乱し、あるいは新たなフロンティアに心を踊らせた。
けれど兄さんはその答えを知ったころ、こういった。
「この宇宙のように、人間にもはじまりも終わりも存在していなかった。あれは紛れもなく、黙示録《アポカリプス》のウイルスだった」
「すごいじゃない、そんなことがわかったなんて」
私はそう言ったけれど、兄さんの表情は硬かった。そして、こういった。
「この研究はもうするな」
私はわけがわからなくて、反発した。
「好きにすればいいって言ってたじゃない」
「俺が、間違っていたんだ。神は、サイコロを振っていなかった」
「サイコロを、振ってない……」
疑問を持つ私に、彼は続けた。
「この研究は、するべきではなかった。俺を憎んでもいい。お前はこの研究はするな」
そして彼はセフィラゲノミクスを、連合国と共に立ち上げて、玄周の研究室からほぼ全員を引き連れ、大学から去っていった。
ゲノムレゾナンスの研究がさらに進むと、その通信はどうやら空間に依存しないという新たな仮説がわかってきた。そもそも、ゲノムレゾナンス自体が終端同士でしか反応がないままだったからだ。中間というものが、存在しないのだ。それに気がついたのは、兄さんのいうことに逆らい、飛び級して大学生になって玄周の研究室に辿り着いた、私だった。
はじめてちゃんと玄周と話せた時を思い出す。彼は、ひとりぼっちの研究室にいた。
「お久しぶりですね」
そう声をかけると、彼は驚いて顔をあげる。
「ああ、ごめんなさい、気づかなくて。研究生の方かな。はじめまして」
「はじめてじゃないですよ」
彼は驚いていた。
「わたしそこのソファで寝ている先生に、毛布をかけてあげたことあります。いつも同じ時間に寝てますから」
ええ?そういう玄周に、私は紹介する。
「茎道修一郎の妹、春夏です」
そして彼は驚いて言った。
「じゃああのゲノムレゾナンスの……」
「ええ。理論だけなら家でも書けますから」
「ああ、とんだ失礼を……」
そう言って彼は何かをポストイットに書き殴り、棚に貼り付けた。「春夏さんがやってきた」と書いてある。私は笑う。
「覚えるの、苦手なんですか」
「その、時系列があいまいで。だからどこまで来たか、わかるようにね……」
私は首を傾げていた。そんな様子に彼はあたふたして、そして彼は腕を差し出す。そこにはApple Watchが巻き付けられている。
「でも心配ない。これが僕の生活リズムを刻んでくれる」
くすり、と私は笑い、
「奥さんに、タイマーまでセットしてプレゼントしてもらったんですか?」
かわいいな。年上なはずの男の人にそう思いながら、言った。けれど彼はこう言って、笑った。
「そうそう。だから、ずっと守ってるんだ。そしたら娘も、息子も、きっと救えるって。そう彼女が、残してくれたんだ」
私は驚いて、「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて……」
そんな私に、彼は優しく言った。
「いいんだ。これが、僕たちの進む道だから」
私は驚いていた。大学に飛び級したばかりの、生意気で頭でっかちな私にとって、玄周は好奇心を掻き立てる存在だった。ふたりの子供を大島に置いて、死別した奥さんのくれた腕時計のアラームに基づいて寝食だけはきっちりして研究に没頭する。どこかの、結末に向かうように。私には彼が、孤独に世界の真理と戦う殉教者に見えた。それはまるで、兄さんのように。
二人だけの研究室は、ずっと続いた。私はゲノムレゾナンスについて論文を作り上げていき、最終的に博士になった。
私は研究室で、玄周にひとつの実験結果の情報の共有ファイルのリンクを送った。そして彼にこう言った。
「ゲノムレゾナンスは工学的に応用できる。これを使えば、通信が途絶したどんな地域でも、通信を届けることができる。世界を本当の意味で繋ぐことだって」
彼がそのリンクを開き、私の研究結果を確認した時、彼は静かにこう言った。
「ついに、この時がきたか」
私は首を傾げていた。けれど、彼は訊ねてきた。
「春夏。もしも神がサイコロを振っていないように見えるとしたら、どうする……」
「アインシュタインの言葉なのはわかるけれど、どういうこと。兄さんも同じようなことを……」
玄周は、どこか遠くを見つめるようだった。
「そうか、君はもう、決断してきたんだね……」
やがて、私に言った。
「全てを知ることは、死を意味する。君にあげられるのはふたつ。このゲノムレゾナンスが指し示す、この黙示録の客体《オブジェクト》の名前」
そして、彼は未知のオブジェクトを、こう言った。
「ヴォイド」
「虚無《void》……」
彼は頷く。
「人の心を意味する客体《オブジェクト》だ。そしてそれを基盤にし、君がこれから生み出すもの。ヴォイドテクノロジー。それは心という虚無を通して、人々を繋ぐ。正しき扉も、悪しき扉も開く、白金《しろかね》の鍵だ」
私は呆然としていた。玄周は続ける。
「論文の発表をしたその瞬間から、君の第二の人生が始まる。扱いは慎重に」
彼の言葉は、そのまま未来へと直結していた。
私の発表したヴォイドテクノロジーという概念は、共同研究者でもあった玄周の名前もあって世界的に注目された。そして、ヴォイドテクノロジーは、数多くの検証の結果、実用化が進み始めた。それは特に、兄さんが始めた企業、セフィラゲノミクスを中心に起きていた。数ヶ月単位での目覚ましい発見があった。人々は空間の限界を超えた通信に、喜んだ。正しき扉が、開いたのだった。
そして、悪しき扉も開いた。独裁政権の倒れた国で、ヴォイドテクノロジー、ゲノムレゾナンスを使った小型操縦核兵器が発見されたからだった。
私と玄周は、国連の緊急会合に招集された。そして私は訊ねられた。
「あなたはこれを、予見できなかったのですか」
そう訊ねた相手は国際的に非難されることになった。でも、私にとってはひとつの正しい指摘だった。
私は予見できていた。兄さんも、玄周も、警告してくれていたはずだったのに。
国連の緊急会合から飛行機で帰っているとき、玄周はこういった。
「言い忘れていたけど、僕の家族が増えた。集と同い年の男の子でね。トリトンと呼んでいるそうだ」
そして、彼はさらに言った。
「久々に長い休暇をとろう。大島で集とトリトン、真名が、待っているよ」
そうして大島で、トリトン、集と真名、そして玄周とともに最後の一年を過ごした。
やがて私と玄周は、結婚した。
彼らとの静かで、暖かい生活が、私の至福のひとときだった。
やさしいけどどこか向こう見ずに冒険に向かう集。
いつも集に連れ回されているけど、楽しそうなトリトン。
彼らを甘やかし、時にしかる真名ちゃん。
そして彼らを優しく見守る、玄周。
母とはいえ、みんな、血が繋がっていたわけではなかった。
集は玄周と冴子さんの子供で、トリトンと真名ちゃんは孤児で、玄周が引き取ったそうだった。けれど、誰もが母親らしくない私に優しくしてくれた。
集とトリトン、真名ちゃんが遊んでいる時、私はふと玄周に言った。
「ずっと、この時が永遠に続けばいいのに」
「ああ。僕も、本当にそう思う」
そして彼は、また遠くを見つめていた。そして、彼の腕時計のアラームが鳴る。
「いかんいかん、時間だ……」
そう言って、彼はいつだって自室に向かう。私は訊ねていた。
「玄周、なんの研究を……」
彼は、おどけて答えた。
「僕たちから永遠を奪う、神への抵抗さ」
そうして家族で東京に向かったその日に、ひとつの論文を発表した。
それは、神の領域を暴くヴォイドテクノロジーの頂点。ヴォイドゲノム、王の能力という仮説だった。
その日、私は永遠を、家族を失った。12月24日。ロストクリスマスが起きた。
トリトンと真名ちゃんはどこかに消えた。玄周も大量の血だけを残し、どこかへ消え去った。そして最後に残ったのは、集だけだった。
病院で出会った集は、私に怯えるようにこう言っていた。
「おねえさん、だれ……」
私は立ち尽くしていた。近くにいた看護師さんが、教えてくれる。
「春夏さん。あなたのお母さんだよ」
呆然と、集は私をみつめる。
「おもいだせない。ごめんね、おかあさん。ぼくが、わるいんだ」
彼は、泣きじゃくり始める。
「ぼくが、ぼくがわるいんだ。ぜんぶ……」
私は彼を抱きしめていた。私も、泣いていた。
「ちがうの。悪いのは私なのよ。ごめんね集、何も、できなくて……」
あの時から時間は経った。けれど、何も変えられてはいない。
そして私は、二十四区の特別な研究棟へと進んでいく。巨大な管がうねるその中心。そこにいる人たちを見つめ、私は呟く。
「ごめんね。結局、なにもできなくて。集……」
私の前には、仮面を抱える集がいる。
「いいんだ。これが、彼と僕の背負う罪なんだ」