Guilty Crown Bonding the Voids   作:倉部改作

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 丸い機械、小型陸上ドローンともいえるオートインセクトの足を応急処置し、僕らは地下通路の移動をはじめる。昨日も調査のために使用したこの巨大な地下通路は、この国の官僚と国家のために使われていたという。しかしパンデミックによる権力の空白が、この国に、官僚に、国家に、この地下通路の存在を忘れさせた。そこを僕が知っているのは、怪我の功名とも呼べるものだった。

 丸い機械は僕の横に並んで、僕の代わりに地下をライトを照らしてくれて、いのりはおんぶされたまま、ぐったりと僕に身体を預けられていた。彼女の身体はこの寒く、息の白くなる空間の中では暖かく、束の間の幸せを味わっているようだった。

「ねえ、聞いてもいい……」

 いのりは突然、背中から声をかけてくる。僕はその耳をくすぐる声にびっくりする。叫んでいたものだから、いのりも「ん?」と言ってくる始末だ。これは顔が見られていないだけマシと思うほかない。

「な、なんでしょうか」

「……このヴォイドゲノム、安全なの?」

 僕はそこでさっきの恥ずかしさも吹っ飛ぶほど驚いていた。

「裏が取れてたわけじゃ、なかったの……」

 いのりは黙る。僕はとっさに弁解する。「すまない。君たちに重荷を背負わせないためだったんだろうから」

 でもね、と僕は続ける。

「いまも原理上不可能だ。人は、現人神の体(インスタンスボディ)にはなれないだろう」

 背中から、いのりが顔を近づけてきたのか、吐息が一層聞こえてくる。

「どういうこと」

 僕は平静を保とうと、それを見つめる。今もまだ背負った彼女の手に握られているものを。朱の結晶に白い二重螺旋の巻かれたものの入ったシリンダーを。

「かつて人は、タイムマシンをつくろうとした。でも、タイムマシンに体が耐えられなかった。それが、身体中に結晶ができていくキャンサー化。だから耐えられる体をみんなが探し求めた。その夢の果てが、今はエンドレイヴで、前がこのヴォイドゲノム。そんな研究過程で、人の心を力に、たとえば武器に変える事例が報告された」

「心を……武器に変える……」

 僕は頷く。「そう、人には気持ちがあるでしょ。あれは、今じゃゲノムレゾナンス、というものを計測できれば、つかめないものではなくなった。さっきの急造のアプリも、ほとんどの端末も、センサーを搭載して気持ちを読み取るようにできているんだ。それをね、そのまま力に変えた王様みたいな人が、十年前にいたらしいんだ。エンドレイヴの技術も、その時の報告をベースにしてつくりあげられている。そのすべての心理計測応用技術《ヴォイドアプリケーションテクノロジー》の頂点が、別名で()()()()()()()と呼ばれる、人の心からエネルギーを取り出す力だ」

 僕はいつか見た写真を思い出す。王の能力を持っていたとされる大柄な赤コートの人、そして、武器を取り出される、小柄な人。そこにはもうひとりいる。猫背で朗らかそうな表情。とっても頭の良かった、けれど憎むべきこの技術の最先端を行った最高の研究者。

「できるの……そんなこと……」

「できてしまうんだ。それはヒトゲノムのイントロンコードからもたらされるゲノムレゾナンス、本来現実世界に影響を与えないはずの虚無《void》の扉を、()()()()というワームホール、いまは橋《ブリッジ》と呼ばれるもので未来へと繋ぐ。現実世界にある電気通信くらいなら橋を渡れる。でもタイムマシンとしてひと一人乗れるくらいの質量やエネルギーをただ取り出そうとしたら、王の能力を持った人を除いて、エンドレイヴであってもまだ成功報告がない」

 いのりは焦るように語りかけてくる。「じゃあ涯は、どうしてそんなものを……」

 僕は首をふる。「それはわからない。けど、王の能力は十年前、存在していた。セフィラゲノミクスで成功事例ができたんだろう。だからセフィラゲノミクスにいる二十四区に襲撃をして、君にとってきてもらおうと思ったのかも」

 いのりが沈黙した時、僕は歯噛みする。「なんで気づけなかったんだ、僕は……」

 そう、なぜ。なぜ急にそんなものが製造できたんだ。調査は、何度もしていたはずだったのに。

「どうしてあなたは、そんなに詳しいの……」

 いのりの問いに僕は我に返る。まずい。すぐに弁明する。

「その、趣味で、心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》を触っているんだ」

「それは趣味、なの……」

「し、仕事みたいだね、確かに」

 背中に大きな衝撃を受ける。前のめりに倒れ込んだ僕はすぐさま振り返ると、丸い機械の横でいのりがなんとか立ち上がっている。その手にヴォイドゲノムは握られているままだ。そして、警戒の眼差しで僕を見つめる。

「あなたは、セフィラゲノミクスのひと……」

 怖かった。気高く、美しく、力強い獣に睨まれたようだ。けれど、言葉が出てこない。どうすればいいんだ。そうだと言えば良いのか。違うと嘘をつけばいいのか。けれどあの丸い機械の先にも人がいるはずだから……

「ふゅーねる」

 彼女はそう丸い機械を呼んで、どこかに向かおうとする。だめだ。

「待ってくれっ」

 僕は即座にそう言っていた。彼女は振り返ってくる。彼女の心は決まったようで、とても嘘をつけそうにない。「僕は……僕は、罪を償わなきゃいけないんだ」

 彼女は沈黙を続ける。だから全ての間違いを認めるしかなかった。

「僕は、王の能力の研究を、心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の軍事転用を知らなかった、止められなかった、セフィラゲノミクスのインターンなんだ」

「どういうこと」

「僕が……道化師《clown》だ」

 いのりは目を見開く。その様子に僕は自虐的に笑う。「その様子なら、僕の趣味で作ったものがエンドレイヴになったことも、知っているね……」

 いのりはエンドレイヴのフレーズを聞くと、やがて僕の元へとゆっくりと歩いてくる。そしてかがみ込んで、僕の顔を覗き込んでくる。そんな優しくしないでくれ。堪え切れないじゃないか。気づけば、僕は声明にも書いたことがなく、誰にも話してこなかった言葉を、罪を、涙や白い息といっしょに告白していた。

「はじめは……からっぽの自分には、本当に心理計測応用技術《ヴォイドアプリケーションテクノロジー》しかできそうなことがなかった。でもヴォイドゲノムみたいな、災害を起こしたものが怖かった。嫌いだった。だからからっぽを埋めるみたいに、開発していった。みんなが通信できるようにと願ってつくったそれらが、知らないうちに、エンドレイヴに、悪用されていた。多額の報酬をセフィラゲノミクスからclownの口座に振り込まれた。でもそんなのが嫌だった。変えたかった。だから、僕はインターンになったんだ。けれど僕はインターンになった今、エンドレイヴの開発に協力している……」

「あなたは科学者だったの」

 僕は首を振り、「そんなんじゃない。インターンの前からずっと、ただの開発者だ。でも、父さんと母さんは……本物の、科学者だった。桜満玄周。桜満冴子。心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の基礎研究と、ヴォイドゲノムの理論の論文だけが、残された形見だったんだ」

 僕はいのりを見上げる。いのりは悲しげに、静かに僕を見つめている。

「……僕に、償うチャンスを与えてほしい」

 いのりはおもむろに呟く。

「わかった」

 僕はよろよろと立ち上がる。そして、自分のジャケットのホコリを払い、いのりへと脱いで手渡す。目を覚ますような風が、ようやく自分の正しい感覚を取り戻してくれたように思う。

「ごめん……君のこと、ちゃんと考え切れてなかった」

 彼女は少し驚いたように受け取り、そしてそのジャケットを羽織ってくれる。

「……私にはわかる。あなたが一番気遣ってくれていること」

 そして、再び手に持っていたシリンダーを両手で差し出してくる。

「私も、これも」

 それは彼女が最も必死になって手に入れてきたもののはずだった。そして、僕の願いを否定し、軍事転用の極地として生み出されたもの。なによりも、言葉にできない恐怖の象徴だった。炎のイメージが頭から離れない。けれど、僕はそうして託してくれたことに感謝するように肯きながら、なんとか受け取る。

「そんなこと、ないよ」

 全てを受け止めきれなかった僕には、それ以上の言葉が出なかった。

 まだ紡いだことの実感はなかった。だから、まだこの降臨者《Foreigner》の暴力装置を、終わらせられるかもしれない。

 いのりはつぶやく。

「あなたは、不思議なひと」

 僕はシリンダーを胸ポケットにしまう。そして答える。「こんな僕じゃ、良くないから」

 そして、僕が再び背をみせるようにかがむと、彼女は再び僕へと抱きつく。そして立ち上がる。先ほどと変わらない背負い心地。彼女が許してくれていることを感じ、また涙が溢れそうになる。けれど、再び進んでいく。償いのために。

 

 

 

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 僕は二十四区のエンドレイヴオペレーションルームで嘘界に聞かされた作戦に腹を立てていた。

「僕はすることがないってどういうことだよ!」

 遠くでエンドレイヴ・オペレーターに指示を出していたローワンが僕に振り向いてくるのがわかった。嘘界は笑う。「完璧に進めば、ですよ」

 僕は舌打ちする。「戦果を上げなきゃいけないんだ。こんなところで消耗している暇はないんだよ……」

「安心してください。それは私もです」

 僕は顔を上げる。嘘界はニヤリと笑う。

「あのグエン少佐に務まる程度であるなら、私もここにいないんですよ」

 グエンと言われて僕は思い出す。スキンヘッドのグラサン野郎。堅物。おまけに肝っ玉も小さい。確かにあいつの加わっている作戦では、この嘘界という男は見たことがなかった。僕は鼻で笑う。

「あんたと同意見なのはいい。けど、どうして僕は待機しなきゃいけないんだ」

 嘘界は少し思案する。

「あなたになら……半分だけ、教えてあげましょう」

 そうして、彼は奇妙なことを言った。「作戦はすでに終わっています」

 僕は首を傾げていた。「消化試合ってことか」

「もっと言えば、私が発案して、茎道局長が手を加えて連絡を入れた時点で、完了しました。まさか、そんなルートがあるとは私も思ってませんでしたが……」

 僕は茫然としていた。「それって、局長がテロリストにヴォイドゲノムを盗ませたってことか」

 嘘界は笑う。「おや、なかなか筋がいいですね」

「あんたら本気か、ヴォイドゲノムはエンドレイヴの始祖みたいな兵器だ。そんな安全保障を狂わせるものを手渡すってどういうことだ……」

 嘘界は答える。「なら全部教えてしまいましょう。手渡したものが、大変つまらないものだからですよ」

 僕はそこから見える答えを思い描き、舌打ちをする。そういうことかよ。しかし嘘界はどこか期待を持った声で続けた。

「でも、もしもこの状況で道化師がそこに現れたとしたら。もしも、予想外のことが起きたとしたら」

 僕は首を振る。「期待しすぎだろ。そいつは尻尾を掴ませない奴なんだろ」

 そこで嘘界は笑う。

「だから、あなたと私がここにいるんですよ」

 そう言って、さらに続ける。「こうしましょう。私はちょっと策を打っておきます。あなたも面白いことを期待したいなら、あの最新のエンドレイヴのセットアップに取り掛かって、六本木に向かってください」

 僕はその一言に驚いていた。けれど、とても嬉しかった。「期待しなくても、あのエンドレイヴは使いたくてしょうがなかったんだ」

 そう言って、僕は再びセフィラゲノミクスの研究所に向かった。

 

 

 

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 つい一昨日もやってきたこの場所は、すでに日が暮れていて、夕日が眩しい。伸び放題の雑草とバリケードの張られた場所。近くの建物にはツタが這いまわり、その放置の具合を示してくれている。ここはかつて、黄金の都市の一角だった場所、六本木。第一級汚染地区とされる、かつての大災害の爆心地《グラウンド・ゼロ》。

 僕は、いのりを背負って、丸い機械の先導する道筋をひたすらに進んでいく。一等星が見え始めた頃に、僕は目的地に近づいていた。

 

 目的地の近くで、いのりは僕から降りて少し遠くまで歩くとその場にしゃがみ込んで、床の取っ手を引っ張り上げる。  

「……ここから地下駐車場を経由する」

「さすが、葬儀社……」

 僕は頷き、いのりが入っていったそのあとを、ふゅーねるを抱えて追う。だがその場所に入ってからすぐに、今度はふゅーねるをいのりが抱え、ダクトの中へと入り込んでいく。僕はあっけに取られていた。

「まるでゲームみたいだ」

 そう言って、僕はいのりのあとを追うように入り込み、前に進みながら前を見つめる。そこで僕は最大の誤算に気づいた。

「……いのり、ここはどれくらい移動することに?」

 いのりが先頭を征く。

「たぶん二分くらい」

 完璧なバランスでつけられたふとももが、おしりが、目の前で左右に揺れる。

「……僕、もうダメそうだ」

「どういうこと?」

 なんでもない。そう僕はどうにか言って、色香に導かれるようにいのりの後を追い始める。

 そう、いのりの服装は、ちょっと不思議すぎる。ほとんどおしりを見せて、それでもなお、彼女は恥ずかしくないと考えているんだろうか。

 どちらにせよ、いま、僕はとても幸福なのかもしれない。

 理性が焼け切れれば、もっと幸福なのかもしれない。

 さすがにそれはまずい、そう思った。

 僕は内なる無神経を啓発することにした。

 さよなら、わたし。

 さよなら、たましい。

 今だけは、どうかお帰りください。

 

 そうして進んでいく中で、僕は奇妙な音を聞いた。ダクトの穴の向こう側では、百人近い人々が、地下駐車場で座らせられ、拘束されていた。そこで起きていたのは、地獄の底そのもの。いつか聞いた、グアンタナモ強制収容所の再現だった。

 白服の軍人はアサルトライフルの銃床で、手足を拘束された男の鳩尾を全身の力を使って突く。膝立ちだった男は絶叫し、その痛みに前屈みに縮こまる。たがそれを白服は許さず、髪を引っ張って起こし、

「吐け、葬儀社のリーダーはどこだ」

 白服のスキンヘッドの男は訊ねる。

「し……しら、ない。ほんとだ……」

 そう男が返答すると、白服はまた、さっきと同じように銃床で男の鳩尾を全力で突く。尋問される男はむせる。しかし、答えない。

「ふん、役立たずが!」

 今度は全体重をかけた拳で一撃を当て、男はその衝撃で膝立ちからも倒れてしまう。

 僕はインターン中に見たあの男の名前を告げていた。

「特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》の、グエン少佐……」

 一部始終を見ていたいのりに、呟く。

「君たちは、これを相手にしていたのか……」

「……うん」

 僕は奥歯を噛む。話で聞いてわかってたつもりだった。六本木は何度か足を運んだことだってあった。けれど、こんなことになっていた。それでエンドレイヴの開発を、彼らの協力を、僕はしてきていたというのか。

 その時、一人の少年がやってくる。スキンヘッドの男は振り向く。

「これはこれはようこそ、ダリル少尉。ヤン少将の御子息自ら、エンドレイヴ移動コクピットトラックで来ていただけるとは。さすが、勇名に恥じぬ働きぶりだ」

 僕はその少年の顔を見て驚いていた。

「ダリル……どうして……」

 グエンは訊ねる。

「ここには、お父上の命令で?」

 ダリルと呼ばれた金髪の少年は答える。

「いえ、自分の独断です。新型エンドレイヴを搬入中に作戦が始まったと聞いちゃったので……思わず」

 僕も、グエン少佐も困惑していた。

 独断、ということをダリルは行うタイプとは、インターンで会った時から、とても考えられなかった。

「なるほど、ではありがたく力を貸してもらおうか……少尉」

 そう言って、グエンは手を差し出している。すると、ダリルはその整った顔を歪め、怒りの表情をつくる。

「冗談はやめてよ、僕にその脂身に触れっていうの?」

 グエンはとんだ間違いをした。僕はため息をつく。

「いい、僕は自分の好きにやる。もし邪魔をしたら……パパに、言いつけるからね」

 そう言って、ダリルは去っていった。そして、グエンはわなわなと震えている。

「クソガキめが……」

 そう言いながら、グエンは先ほどまで尋問していた男を蹴り飛ばす。

「ここには爆弾をしかけて全員人質にしろ!そして、捜索範囲を広げろ!女子供だろうが、端から捕らえて尋問しろ!」

 そう言って、グエンは去っていく。涯に伝えなきゃ。いのりはそう言っていた。

 そうだ。今はやらなきゃいけないことがある。僕は先に進むいのりについて、その場所を後にした。

 

 

 

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 そこには現代風のバラックであふれている。

 

 世界の紛争地帯では、バラックなんて別に奇妙なものでも何でもないらしい。世界では、このような建造物のほうが多いというのが実態なんだそうだ。

 けれどここのバラックがどことなく奇妙な風に、現代風に見えたのは、六本木のビルの中に住人たちが住まいをつくっていたからだ。どちらかといえばそれは、バラックのマンションのようでもあって、より歪な雰囲気を漂わせている。

 そこを歩いて行くと、多くの浮浪者たちが、行き場もなく座っていた。僕はそれに目を合わせることなく進んでいこうとするけれど、あいにく背負っている人物が目立つものだから、浮浪者たちは目でぼくらを追ってきていた。でも、別に攻撃してくるつもりもなかったのはわかったので、気にしないことに徹する。

 そうして目的地にたどり着く。そこは広場のようにもみえるエリア。けれど、待ち合わせをしてくれてそうな人はどこにもいなかった。

「ここ……」

 いのりは僕に訊ねてくる。僕はそれにうなずいた時、

「おいおまえ」

 そう声をかけられていた。僕がその方向へと目を向けると、そこには巨体の浅黒いスキンヘッドが立っていた。腕は、僕の二回りぐらい太いだろうか。僕は黙ってみつめていると、それはどんどん近づいてくる。そして、そばにいたふゅーねるを見て、僕に向かって、

「それ炊けんの……」

 僕はよくわからず、「へ?」

「それメシ炊けんの……」

 そうして、ふゅーねるをじっと見つめている。そのとき、独特の症状に気づく。わずかにずれ、揺れる瞳孔。息切れ。葬儀社によって供給源が断たれてしまった、中毒者。

 僕は相手と対等に立つために語りかける。

「ノーマジーンでお困りでは……」

「……あんた最近の学生売人か」

 いのりは体を緊張させている。わかっている。彼女は戦える。だからこそ、手負いの彼女にまた負担をかけさせるわけにはいかない。今は僕が機転を効かせるしかないんだ。

「いのり、降りて、でも離れないで……」

 いのりは素早くおりて、僕へと隠れる。その体のこなしからもわかる。彼女は戦うつもりだ。僕は男に振り返り、会話を続ける。

「ここにはもう売人はいないはずですが……」

「だからこそだろ」

 今度は後ろから二人、遠くからみつめている男が一人、囲うように集まり始める。

「それで、ブツは……その炊飯器の中か……」

 遠くに案内して逃げるのも手だ。だが集合場所がここである以上、ここでケリをつけなければならない。僕は決心した。先手を打つ。

「そこにはない」

 その一言に男は僕に振り向く。僕はおもむろに、開始の合図を答える。

「僕は売人じゃない」

 男の顔が歪む。そして、右の拳が飛んでくる。いまだ。僕はその腕を掴み、即座に背負い投げを行う。相手が中毒者だからこそ不意打ちは決まり、巨体は唸るように転がる。僕は驚いたように呟いている。「き、決まった……」

 しかし、おもむろに額に青筋を立てながら、男は痛みを堪えつつ立ち上がろうする。

 周囲の数人も集まりつつある。次は考えていない。どうすればいい。倒れていた男はついに立ち上がる。そして、何かに気づいた。

「楪いのり?」

 いのりは答える。

「だれ……」

 彼は笑い始める。

「やっぱりだ。ノーマジーンをキメた時に聞こえる、あのロンドン橋の歌声だ……」

 男は言った。

「ノーマジーンはもういい、楪いのりをよこせ」

 僕は髪の毛が逆立つような気がした。そして、記憶のどこかが少しずつ満たされていくのを感じる。炎の中で手を伸ばす彼女を。涙を流す彼女を。そうして気づけば答えていた。

「嫌だ。彼女をもう……泣かせたくない」

 

 その時、五つのスポットライトが突如としてこちらへ照らされる。

 そうして、甲高い靴音が聞こえてきて、誰かが広場の中心で傾ぐ円の台に立つ。長身。ロングコート。長髪。それ以外の特徴が見えないのは、彼の真後ろから手持ちのスポットライトが光っているからだ。

「やあ、亡霊の諸君」

 後光を背負った男は、そう語りかけてくる。

「……ああ、亡霊だと」

 目の前にいた男が、後光を背負った男へと睨みつけている。

「そうだ、生きる者たちに取り憑くばかりの、地獄にも行けない弱者だ」

 男は飛び降りてきて、スキンヘッドの男の前に着地して睨みつける。その髪は、豊穣の大地を髣髴とさせる黄金(こがね)色。けれどその目は、完全なまでの灰の色だ。何もかもが燃え尽きた、そんな凄惨さだけがそこにある。

「ここは君のいるべき地獄じゃない。故に、この送り出す世界は君たちの存在を許さない」

 そのとき、周囲のふたりの男たちは自分たちの状況に気づいたのか、一歩下がっている。

「あいつまさか……」

 もうひとりの男が忌々しくしゃべる。

「涯……」

 僕もその言葉で驚く。オートインセクトの先にいた人物。けれど、目の前にいた男は止まれない。

「勇気あるなオメエ……ああ!?」

 怒号に近しい訊ね口調のさなか、男はナイフを引き出し、涯と呼ばれた金髪を穿とうとした。

 けれど悲しいかな。そのナイフを持った手首はすかさず取られ、気づけば二段で関節を極められている。そうして藻のまみれた噴水へと飛ばされ、あえなく水しぶきを上げて沈む。そこにやけになってしまった男が殴りかかろうとして、顔面に一発お見舞いされる。鼻梁を一撃だ。そうしてボロボロに泣いてる男へと、金髪はすかさずふくらはぎへと足蹴り一撃を食らわせてとどめを刺し、男は鼻血と鼻水と涙のペイントをつけてとぼとぼと逃げる。そこにまたやけくその男が半端な拳でやってくるけれど、金髪は常人離れした二段の飛び回し蹴りを決めて数メートル先へとかっ飛ばしてしまう。

「くそっなんだこいつ……」

 そういって戸惑っていた男にも、金髪はすかさず接近して、数発に及ぶ連続の拳の後に、ケリを顔面に入れる。血しぶきを飛ばしながら、男は吹っ飛んでしまう。

 遠くをみつめると、その涯の攻撃のあとに数名が駆け足で現れ、銃を構える。

 さらに、エンドレイヴまで稼働してきた。敵達に向けて銃を向け、エンドレイヴは宣言する。

「消えなさい、中毒者」

 この状況では過剰なまでの武力。いや違う。普段向けられている対象が異なっているものだと僕は気づく。僕はいのりにしゃがませ、事態を見守る。

 亡霊たちは自分の振るわれた力の怖さに、その武力の怖さに、一目散に退散していく。こうしてノーマジーンの売人達を締め上げてきたのだろうか。

 その光景を見つめていると、金髪の男……ではなく、黒髪の少女が目の前で見下ろしてくている。

「この子はふゅーねる、炊飯器じゃないっ」

 そう言って僕の脇にいたオートインセクトを抱えて、拗ねた表情で向こうへと移動していく。金髪の男は僕らをみつめていた。なにか感慨深い目で見つめる彼は、静かに告げてくる。

「桜満集……」

 そしてゆっくりと近づいてくる。

「いや、道化師《clown》」

 そして自己紹介をしてくる。「俺は恙神涯」

 僕が茫然としている様子から、ため息をつく。「俺を見ても思い出せないか……」

 何を、と言おうとしたとき、涯と名乗った男はいのりを見つめ、厳しい口調で訊ねる。

「独断行動だ、いのり。弁明は」

 いのりへと振り返ると、彼女は顔を背けている。「それは……その……」

「待ってくれ」

 そう僕は言って、涯を振り向かせる。「ヴォイドゲノムの話は、まずはこの子を休ませてあげてからだ」

 涯は僕の様子をじっと見つめる。「一人前に交渉か。人からもらったもので……」

 僕は怯みながらも答える。「君はまだ、この子の容態をわかっていないのか」

 涯はやがて、救護班を呼び寄せる。そうして医療用のベッドと思しきものが運ばれてきたので、僕はいのりを立ち上がらせる。

「涯、ここにくるまでの地下駐車場に……たくさんの人質が……特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》が、爆弾を仕掛けるって……」

 涯はツグミ、と黒髪の少女に告げると、「わかった、調べる」

 いのりは安堵したように、ふらふらとしながら羽織っていた僕の制服のジャケットを脱ぎ、僕に返してくれる。そうして、僕を見つめてなにかを言おうとしたけれど、倒れそうになったものだから支えて、すぐにベッドに乗せてあげる。そして毛布もなさそうだからと、あえてさっき返してくれた僕のジャケットをかぶせてあげる。すると、いのりは僕をじっとみつめて囁いた。

「集……ごめんなさい……」

 目は、なんでか潤んでいる。僕は笑う。

「君が謝ることなんかない。全部、僕のせいだ」

 医療用ベッドは運ばれていく。その間も、ずっとずっと、いのりは僕を見つめていた。その潤んだ紅玉の目で。

「さて……」

 放心していた僕は、涯の声で我に返る。

「道化師《clown》、ヴォイドゲノムを引き渡せ」

 僕はその前に、と訊ねる。

「答えてくれ。君が何をしようとしているのか。この、自殺しかもたらせないヴォイドゲノムで」

 周囲は急にざわつく。そのとき、車椅子に乗ったポニーテールの少女が、口を手で抑えているのが目に入る。そのなかで涯は答える。

「それは違う。セフィラゲノミクスで蚊帳の外だったお前は知る由もないが」

 僕は歯噛みする。涯は続ける。

「お前は逃げていただけだ。心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》を軍事転用をさせないと言いながら、セフィラゲノミクスに尻尾を振っていた、負け犬だ」

 涯は徐々に語気を強めていく。

「お前が自称した通り、道化師《clown》にセフィラゲノミクスから与えられた仕事は、何かを守ることじゃない。俺たちを殺す兵器を、つくりだすこと。つまりは欺瞞だ」

 欺瞞。その通りだ。僕は他人も、自分も、欺いていただけだ。

「いのりを見て、何を持っているかもわからないままに罪を償うためだと言ってここにまで連れて来た。エンドレイヴに、自分の無力さにただ憤るだけのお前が、唯一できることとただ罪を償うと飛びついて、ここにいるだけだ」

 涯は激昂する。

「ヴォイドゲノムを渡せ、道化師!」

 葬儀社のメンバー達に、髪を逆立てた男に羽交い締めにされ、膝立ちにさせられ、大きな男をはじめとした複数の人間に、銃も向けられる。髪を逆立てた男は敵意を、銃を向けている大きな男は困惑の眼差しを僕に向けている。そして、涯が近づいてくる。僕の胸ポケットから、ヴォイドゲノムが、いのりの託してくれたものが、奪われる。涯が背を向け、歩いていくのを目で追いかけることしかできない。歯を食いしばることしかできない。だが、まだ口は効ける。だから僕は叫ぶ。

「それが本当にヴォイドゲノムとして機能すると、どう保証するんだ!」

 涯は、そして周囲のメンバーは固まる。大男をはじめとして、銃口は下ろされ、涯へと視線が向かっていく。僕は続ける。

「それの中身を正しく解析しても意味がない、投与された本人の体にどう影響するかは本当に予測でしかないんだ、そんな危険なものを、使うべきじゃない!失敗すれば、君は死ぬか、死ぬより恐ろしい深刻な障害を背負うことになる!」

 周囲のメンバーは困惑したかのように涯に視線を集める。涯は振り返る。「お前が臆病なだけだ」

 そうしてまた歩いていく。僕は、そういう話じゃない、危ないんだ、そう叫び、訊ねていた。

「なんのために、そんなものを使うんだ!」

 全員が、涯へと視線を向ける。だが彼は振り向くことはなかった。しかし、一言告げてくる。

「エンドレイヴへの、抑止力になるためだ」

 僕は目を見開く。

「君はまさか……王の能力で、GHQと戦うつもりか」

 僕は何度も首を振る。

「GHQとエンドレイヴはいまや日本を、世界を支える基盤だぞ、君は世界を壊すつもりか!」

 涯は背を向けたまま咆える。

「俺たちは、既得権益に尻尾を振るお前とは違う!」

 僕は答えに窮する。

「偽りの現人神の体(インスタンスボディ)で無意味な殺戮を助長するセフィラゲノミクス!浄化と言う名でのさばるGHQ、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》!そのすべてに、葬送の歌を送る。そして日本を、世界を解き放つ!軍事転用を止められず、逃げ続けてきた負け犬のお前の代わりに、俺たち葬儀社は、抑止力になる!」

 僕は葬儀社のメンバーたちを見渡す。誰もが戸惑っている。平静を保っているのはほんの数人しかいない。僕は叫んだ。

「そんな抑止力に、誰もついてきてないじゃないか!」

 僕の声に、ついに涯は振り向く。そして僕の元へ来て、そして顔面を蹴り飛ばされる。意識が遠のくような痛み。しかし、なんとか顔を上げる。そこには怒りの眼差しを向ける彼の顔があった。

 彼は、そいつを組み伏せろ、と僕を拘束している男に命令する。僕は髪を逆立てた男に地面に組み伏せられる。その男の表情を見つめるが、しきりに涯の顔へと、不安そうに向かっている。そして涯は、全員動くな、と叫び、誰にも邪魔をされないよう、遠い場所に立つ。そして、胸にかけられた、十字架のロザリオを出して、握り締めているのが見える。そのロザリオは、どこかで見覚えがあった。

「いいか、集。ここは適者生存、そして弱肉強食の世界だ。誰かを救うためには、光も闇も、全てを取り込んで、強くならなければならないんだ!」

 涯は、ついにヴォイドゲノムを投与しようと涯は首に注射器を当て、そのボタンを押す。

 やめろ、組み伏せられる中で、そう叫んでいた。

 涯が呻いたかと思えば、彼の胸から白銀の流線のエフェクトがいくつも放出される。僕はそれを茫然と眺めているしかなかった。ヴォイドエフェクト。あれこそが王の能力の発動時に見られる、力の残滓。けれど、奇妙だった。エフェクトの放出の時間が、あまりに長すぎる。すると、涯自身の体から結晶が生え始め、エフェクトは涯を襲い始める。涯は叫び始める。黒髪の少女が、さきほどのオートインセクトを取り落とし、大きな音が響き渡る。

 十年前に残されたヴォイドゲノムに関する実験結果は、おおよそすべて、この結果に至る。つまり、失敗したのだ。僕は周囲に叫ぶ。

「あのヴォイドゲノムは失敗作だ!」

 僕はその時の対処を思い出しながら、周囲に語りかける。

「エンドレイヴを呼んで、あれは人間じゃ抑えられない、急いで!」

 周囲の人間は、髪を逆立てた男も、大男も、黒髪の少女も、ポニーテールの少女も、僕の指示を判断しかねている。

 その時、一人の眼鏡の男が周囲に命令する。

「エンドレイヴをこちらに!涯を死なせるわけにはいきません!」

 そうして、ついに葬儀社のメンバー達は動き始める。そして男は組み伏せられている僕へと向き、「彼を離してあげなさい、いまは道化師《clown》の力だけが頼りです!」

 組み伏せられていた僕の体はついに解放される。そして立ち上がると、男は周囲に伝える。

「以後、治療の指示は道化師《clown》、桜満集へ仰ぎなさい!」

 そして、男は僕を見つめてくる。僕は拳を握りしめる。彼は僕を試している。だが。僕は向こうで苦しむ涯を見つめる。どこかで見覚えがある。いや、知っている。彼は助けなければならない。

 気づけば僕は周囲に命令を始めていた。

「まずはアポカリプスウイルス症候群治療薬を用意して、エンドレイヴで抑えて投与するんだ!」

 

 

 

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 幸いにも涯に重篤な後遺症はなかった。けれど、彼の身体はいたるところに結晶をつくり、彼を抑えこんだ影響でこのずんぐりしたエンドレイヴ……遠隔操作型の大型ドローンは二機中破する結果になった。

 

 僕の指示で追加の治療薬が、葬儀社のメンバーの手によって投与される。結晶はみるみる崩れていく。それを、僕は遠くから眼鏡の男と眺めていた。男が言った。

「アポカリプスウイルス症候群治療薬、凄まじい効果ですね」

「結局は、よくできた抗ガン剤に過ぎません。アポカリプスウイルスに対するAEDのようなものです」

 涯が呻き、目をゆっくりと開いていくのを僕は見ていた。

「アポカリプスウイルスに反応し過ぎた細胞を死滅させる過程で凄まじい副作用も出ます。当面歩くのもままならないほどでしょうが、うまくいけば、時間の経過で本来の身体機能を取り戻せるはずです」

 よかった。そう眼鏡の男は呟く。そして、僕へと振り向く。

「申し遅れました。葬儀社の参謀役の、四分儀と申します。この度はご助力、感謝します」

 僕は遠くで体の大きな痛みに苦しんでいる彼を見つめる。車椅子に乗ったポニーテールの少女がやってきて、その様子に涙を流して喜んでいた。

「よかった」

 声質から、エンドレイヴのパイロットだろう。

 僕はほっと胸を撫で下ろすが、この四分儀という人物が僕を試していたことを思い出す。気づけば、僕は酷い言葉を放っていた。

「参謀だったなら、なぜ彼を止めなかったんです」

 沈黙が訪れる。僕の不躾な言葉に、彼は怒り出したんだと思っていた。しかし彼を見ると、静かに、そしてため息をついていた。

「彼は多くを背負っていた。多くの困難に立ち向かってきた。しかし、彼は間違うことはなかった」

 僕は奥歯を噛んでいた。

「なら、何も考えていないあなた達はここで終わるべきだった。彼の死とともに」

 しかし、四分儀はおもむろに切り返す。

「彼と私たちを生かしたのは、あなたでしょう」

 僕は四分儀へと振り返る。四分儀は、僕をじっと見つめている。何かを探り出したあとの観察眼だ。似たようなことをする人物をふと思い出し、目を見張る。GHQの嘘界と同じ。彼は続ける。

「私が指示を出すその前に、あなたは周囲に指示を出していた。あなたは私たちがいなくとも、同じことをしたんじゃないですか」

 それは……僕が言葉に詰まっていると、彼は続ける。

「抑止力の構想も、ごく一部の人間にしか知られていないことでした。初対面のはずのあなたは涯からそれを引き出し、向き合い、生かそうとするだけの意志と力を持っていた。だから、彼と私たちを生かしたのは、あなたです」

 僕は顔を俯けるしかなかった。そして、なんとか呟く。

「なんで、僕は助けてしまったんだろう……」

「似ているんですよ、あなたと彼は」

 そう言った四分儀の声に顔を上げようとしたそのとき、僕はうしろから襟首を捕まれ、引っ張りあげられ、近くの柱に叩きつけられる。そうして、髪を逆立てた男が迫ってくる。

「おまえ、どういうことだ」

 僕は咳き込みながら答える。

「……見てわかるとおりだ。ヴォイドゲノムは偽物、あるいは投与失敗だ」

「そうじゃねえ、お前、偽物にすり替えたんじゃないのか……」

「そう思うなら、あの丸い機械の監視データを全部洗いなおしてみなよ」

 ツグミ!そう叫ばれた黒髪の少女はwindowsマシンのキーボードとマウスを操作していたが手を止め、頷いている。

「ふざけている、どういうことだ」

 そのとき、黒髪の少女が叫ぶ。

「大変だよみんな!医療部隊が襲撃された!いのりんが連れ去られたって!」

 僕はそれに驚いていた。そして、周囲も。髪を逆立てた男は困惑している。

「見せしめに殺される」

 僕は首を振る。そんなのは嫌だ。

 そんな時、ふと思い出す。

『私にはわかる。あなたが一番気遣ってくれていること』

 そんなことはないんだ、と僕は返してしまった。

 けれど、彼女の言っていた言葉の意味は、もっと大きな意味合いだったんじゃないのか。彼女は、この中でもっと孤独を抱いていたんじゃないのか。

 僕は、何一つ気づけないまま、自分のことばかり考えていたことに、いまさら気づいた。

 彼女がヴォイドゲノムを手渡してくれたこと。手渡そうとしてくれたこと。信じてくれると言ってくれたこと。僕の話を怯えながらも聞いてくれたこと。おにぎりをおいしそうに食べてくれたこと。僕の作り出してくれたものを、きれいだと言ってくれたこと。

 そうして、彼女が孤独を越えようとしていたすべてを僕は思い出す。あの行動を、もっとちゃんと受け止められていたならば。

そうしていままで、いのりといっしょにいることができていたことを思い出す。

「そうか……だからあのとき特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》がやってこなかったんだ……」

 男が青筋を立てて迫ってくる。

「おまえ、なにが言いたい」

 髪を逆立てた男が首元をより強く握ってくる。恐怖は、なくなりつつある。

「病院は、簡単には動かせない。葬儀社のものも、どこかのタイミングで捕捉されてたんだろう。そこでいのりは狙われた。怪我をしていることが漏れてたのならね」

 男が訊ねてくる。

「なら、ヴォイドゲノムはどういうことだ」

「たぶん、あれは十年前の災害、ロストクリスマスが起きた時みたいな爆弾だったんだ」

「ロスト、クリスマス……」

 僕は続ける。

「一介のテロリストが、内部者《インサイダー》ですら掴めなかった最高機密、副作用のないヴォイドゲノムを手にできる。そこから疑うべきだったんだ」

「てめえ!」

「話は簡単だ。爆弾たるヴォイドゲノムを持っていかせれば、拠点近くでいずれ幹部が使う。そうすれば、周辺一帯に、爆発のような被害が発生する。あのエンドレイヴたちですら、ほぼそうなったように」

 僕はエンドレイヴを指差す。

「そうして、ついでにヴォイドゲノムから解き放たれる、ゲノムレゾナンスを観測するなりして、敵が釣れたかどうか、戦場がどこになるのかを確認する。そうして火蓋が切られ、戦場が混乱したそのときに広範囲で襲撃をかける。朝から特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》やっていたのは、盗まれたヴォイドゲノムの捜索じゃない。葬儀社残党狩りを行うための、都内での戦力の分散だった」

 ひとり、またひとりと、周囲の人たちが僕の言おうとしていることを理解する。そして、僕の襟首を掴んでいた男もついに気づき、掴んでいた力が緩む。

「つまり、もとから葬儀社を殲滅する計画だった……」

 僕は頷いた。

「そう、僕らはみんなして……はめられたんだ」

 男はついに襟首を手放す。

「……俺たちは……終わりなのか」

 そうして彼は地面を見下ろすが、その目は数十万km先の地獄を見つめているかのようだった。

 僕は眼鏡の男へと振り向く。

「四分儀さん……涯の元へ……」

 そして、僕と四分儀、そしておもむろに、髪を逆立てた男も、黒髪の少女も、涯の元へと向かっていく。そして、ポニーテールの少女と話していた涯は、僕を見上げる。そして皮肉げに笑う。「撤退戦の話に来たのか……」

 僕は、そんな彼に宣言する。

「……いや、まだだ、終わってない」

 涯は目を見開く。僕は説明する。

「君は敵の思惑通りにヴォイドゲノムを投与した。いのりも奪われた。他の人質の人たちもいる。けれど、司令塔であるここでは、まだ誰も死んではいない。君さえも」

 涯は会ったときのような表情に戻っていく。僕は続ける。

「取り戻さなければならない人たちはいる。けれど、対応できる武力が、指揮能力が、想定よりずっと大きい。そして、君に大掛かりな罠を用意したことを考えれば、都内にはおそらく特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》のほとんどの勢力が揃っていて、防疫活動を広範囲で実行するだろう……それが、突破口だ」

 涯は呟く。「敵は残党狩りという軸で対応する。敵はいま、戦力を集中されたら勝てない……」

 僕は頷き、「戦力をうまく使えば、希望は残されている。王の能力はここには存在しない。けれど、君たちは日本政府すら持っていないエンドレイヴを持っている。そして、きっといのりはまだ生きている。彼女が葬儀社の楪いのりじゃなくて、EGOISTの楪いのりでいられることが、敵にとって最も恐ろしいことだ。世界中のみんなは……葬儀社のことはわからないけど、彼女のことはとても肯定的で、きっといい情報発信源になる。うまく戦い抜けば、君たちはEGOISTから建て直すことができる」

 涯は僕を睨み付ける。

「一人前に作戦を話しているが、あえて聞く。お前は戦えるのか」

 僕は首を振った。「……さっきの背負い投げは、恥ずかしいけどまぐれだ」

 だろうな、と涯は呟き、睨む。「そんな人間に、誰もついてこない」

 そうだね、僕はそう言って、おもむろに、「でも君なら、どうかな」

 涯は僕から視線を空に向ける。そして、胸にかけられた、十字架のロザリオを手に取る。

「こんな抑止力に、誰もついてきていない。王の能力さえも。俺には……資格は……」

「あるでしょ。自分の無力さにただ憤るだけで、何一つ成し遂げていない僕の代わりに、君が、君たちが、エンドレイヴを使ってGHQの間違いに抵抗してきた」

 涯は僕へと振り向く。僕は笑う。

「僕は……六本木の人たちと、いのりを助けるまでは、君と、君たちについていく」

 四分儀に振り向く。これでいいですか、と言うように。彼は微笑んで、肯いていた。「涯。あなたにはこれまでの行動の問題点をいくつも挙げなければなりません」

 涯は四分儀の思わぬ答えに驚いている。そんな様子に四分儀は微笑み、

「しかし、それはあなただからこそなんですよ。それを伝える前に、やるべきことがあります」

 涯は、ようやく生気を取り戻したように笑う。「そうだったな……」

 彼は起き上がっていく。そのときポニーテールの少女が叫ぶ。

「涯、まだ起きちゃダメ!」

 どうってことないさ、彼はそう言いながら周囲を見渡す。

「俺は君たちにひどいことをした。そして俺の行動で、使用可能なエンドレイヴは、戦えるパイロットは、一対しか残されていない」

 涯は沈黙し、「すまなかった」

 周囲は静寂に包まれる。僕もまた、先ほどのような彼の振る舞いからは想像もつかない言葉だった。涯は続ける。

「だから俺は問わなければならない。偽の現人神の体(インスタンスボディ)、エンドレイヴの抑止力。それを目指す俺に……集のように、君たちはついてきてくれるか……」

 静寂は、やがて破られる。

「今なら言い切れる。俺はついていくぜ、涯」

 髪を逆立てた男は、そう言った。ありがとう、アルゴ。涯はそう言った。声は続く。

「当たり前でしょ。そのオタクよりずっと前から、あたしたちは一緒だっだじゃない」

 そうだったな、ツグミ。涯はそう返す。大男が出てくる。

「自分も協力します。抑止力として戦ってきたあなたと、真の平和を手に入れるために」

 ああ、大雲。涯は答える。そのなかで、あの、と答えた声があった。涯の近くにいたポニーテールの少女。

「私はいやです。これ以上……あなたに前に立って、苦しんで欲しくない」

 そう静かに語る彼女の目からは涙が伝っている。涯は肯く。

「そうだな。俺はもう戦力外だ」

 しかし、涯は空を見上げてこう言った。「だから誰かに、俺の代わりに、前に立ってもらわなければならない。俺以上の、現人神の体(インスタンスボディ)に最も近い体で戦える戦士に……」

 少女は驚く。「それって……」

 涯は少女に振り向く。

「綾瀬、君が最後の機械天使《エンドレイヴ・パイロット》だ」

 綾瀬と呼ばれた少女は、俯く。涯は、静かに訊ねる。

「やってくれるか……」

 綾瀬は顔を上げる。「ええ。それが、あなたの目指す世界に、たどり着くためならば」

 涯はありがとう、と答え、そして四分儀に振り向く。「……これで、やるべきことはできたか」

 四分儀は微笑む。「流石です。涯」

 涯は笑い、ゆっくりと、よろけながらも立ち上がっていく。そして、周囲がしんと彼のもとに注目するのを見てから、彼は静かに語り始める。

「俺たちは王の能力を手に入れることには失敗した。地下駐車場には人質がいる。いのりも連れ去られた。いのりを見せしめに殺されれば、俺たちは終わりだ。そして、今も世界は何も変わってはいない。特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》が、今もこの東京を、日本を、虐殺し、人質にし、食い物にし続けている。本当は正しく使うべき、現人神の体(インスタンスボディ)に近しい体で。それを……終わらせるんだ」

 彼の体は満身創痍だった。しかし、かつての気迫をすでに取り戻していた。

「これより、いのりの救出作戦、及び、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》殲滅作戦を実行する。これまでのような隠密の作戦ではない。現時刻をもって、我々葬儀社は世界にその存在を公表する」

 そして、涯は咆える。

「この作戦をもって、俺たちは、抑止力となる!」

 ツグミと呼ばれた黒髪の少女が、アイアーイ!と元気よく手を掲げる。それに全員が追随するように腕を、拳を掲げ、歓声を上げる。

 その煽動を目の当たりにした僕は驚いていた。そして、涯を見つめる。普通じゃない。あれが多くの人を導き、多くの人を巻き込み、そして、多くの人を破滅に追いやりかけた力そのものだった。

 しかしその力を使ってでも、僕はたどり着かなければならない。

 いのりのもとへ。

 

 

 

### insert daryl 3

 

 エンドレイヴの移動コクピット内で、シュタイナーの最後の準備していたとき、あの嘘界から通信が入った。僕は応答するものの、最終セットアップを終わらせるためにキーボードを叩いていた。

「ダリル少尉」

「準備はまだ終わってないんだけど」

「いえ、敵の位置がわかったようで、わからなかったんですよ」

 僕のコマンド入力する手が止まる。「どういうこと」

「ヴォイドゲノムは確かに使われたような反応を、ゲノムレゾナンスセンサーは観測しました。しかし反応が発生した後で、止まりました。それが、なんと三つの場所で観測されました。想定されている反応とは、すべて異なっています」

 そんなので観測しようとしたの、と僕はため息をつき、

「インターンで来ていた奴も言ってたぞ。ゲノムレゾナンスはエンドレイヴを操るものだってね。その理屈なら、エンドレイヴを破壊するほどの短絡《ショート》みたいなことをさせれば一応そう言う感じのは作れるってことになる。敵に事情がばれちゃって、囮を用意されちゃったんじゃないの……」

「あなたもそう思いますか。実は私も同意見です。おそらくそこに行っても何もない。あるいは待ち伏せされているでしょう」

「それであの脂身は」

「グエン少佐のことでしょうか。であるなら、いままさにその囮に向かって分散させていた戦力を集中させようとしています。六本木を感染レベル4+、完全浄化対象と設定してね。しかし戦場に関しては六本木を中心にする葬儀社には情報量で勝てません。十年間も、彼ら以外はあの場所を放置していたのですから。指揮官たちが死んでなかったら、残党狩りにも対応できなくなるでしょう。あなたの言っていた六本木フォートの人質を使うのは、時間の問題です」

 僕はため息をつく。

「あんたが少佐で脂身と同格なのは知ってる、けど局長使ってでも止めるべきでしょ、どうして」

「実はこっそり局長に頼んで、葬儀社のイデオローグの拉致を行ったのがグエン少佐にばれまして。局長もだんまりを決め込んだようです」

 鼻で笑う。いい気味だ。「あんたの打っていた策ってやつか。それを知らなかった脂身は暴走しちゃった。そういうわけか」

「想定内です。なので敵の真の目標は、おそらくその葬儀社のイデオローグとなるでしょう。彼らはテロリスト、レジスタンスにしては珍しい兵士のような気質を持っています。だからこそ、再起を図るならEGOISTシンボルが葬儀社だと大々的に明かされることは一番恐れているはずです。なので、イデオローグを囮にします」

 そこで僕は、ふと訊ねていた。

「エンドレイヴの技術を使って囮がつくられているかもしれないなら……そこに、道化師《clown》はいるのかな……」

 嘘界は答える。「まだわかりません。ただ、この大騒動の中心を、我々だけで楽しめますよ」

 僕は彼が何を言いたいかよく理解した。

「いますぐ準備を終わらせる。囮の場所を伝えておいてくれ。ただし、僕にだけだ」

「ええ。では、狩りの時間です」

 今回の指揮者は気味が悪い。だが、非常に良い趣味をしているのは間違いなかった。

 

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