Guilty Crown Bonding the Voids   作:倉部改作

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epilogue
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 僕たちはあの日に至るまでの話をしてきた。

 だから、あの日の話をしよう。

 僕が、僕たちが全ての罪を繋いだ日のことを。

 そして、いま君の見ている世界が、できあがった日のことを。

 

「あなたは、優しい王様になれる」

 今際の際に、彼女はそう言った。

 僕たちは考えていた。

 いかなる権力とも、いかなる世界とも、共に生きる力を人々に与えようと。彼らを武装させ、彼らに生きるためのすべてを与え、いかなる種類の支配からも、守ってみせると。

 人類全てへの結末の開示。人類全てへの終末における知識の開示。この人類の罪と呼べる最後を認識する器官こそ、永遠の罪の王冠(The Everlasting Guilty Crown)。いま君の認識を補助する、脳の中に新しく構築された、アポカリプスウイルスの極地。僕たちの、夜明けの贈り物(クリスマス・ギフト)だ。

 いのりが世界をひとつにするとき、僕は幾度となく阻止してきた全てを使い、世界をもう一度繋ぎ直した。

 そうしていま君の見ている世界は、生まれ変わった。

 世界はゲノムレゾナンスと罪の王冠(Guilty Crown)によってもう一度、黙示録の未来へと繋がった。世界中の通信は新たな意味を手にした。

 互いを知ることができないまま争うしかなかった全ての人々は、もう涯と僕のように戦うことはなかった。互いを知り、もう一度手を繋ぎ直し、世界の物語は、道筋は、続いた。全ての終わりを、回避するために。そうして人は過程を何度でも書き換えようと抗う。そんな素晴らしき新世界の終着点が、たとえ虚無《Void》なのだとしても。

 それは十年前のような、偽物の復興ではなくなった。世界中を巻き込んだ。真の復活。道半ばにあり続ける、天国に最も近い新世界。

 ここに、いのりの目指した天国の片隅(アウターヘヴン)は完成した。

 

 僕らをこうして幸せな場所に導いてくれた死者を、弔った時の話をしよう。

 僕らは、あの時戦ったみんなは、大島の無縁墓地で、オオアマナの咲く場所で、祈りを捧げた。

 どうか今際の際に託された願いが、みんなのためになりますように、と。

 涯や祭、父さんや母さんをはじめとした全ての人へ。

 僕らによって殺されてしまった、全ての人に。

 祈りが世界の向こう側に届くかどうか、いまだに僕たちにはわからない。だけど、僕らは覚えておくことはできる。だから、全ての死者の思いを胸に、僕たちは生き続けている。それが墓守、終わりを継ぐ者たちの、葬儀社としての役目なのだから。

 そして僕たちは東京で突然結晶から生まれた勿忘草を、僕の家の庭に植えた。それはいまも、庭で咲き乱れている。朽ちながら、新しい生命をたくしながら。

 

 そうして弔ったあと、僕はいのりからある提案をされた。

 私たちの子供たちに、私たちの次の世代に、私たちの物語を話そうと。

 僕はすべてを覚えていた。けれどそれがたくさんありすぎて、皆に一連の物語として教えたことは、まだなかった。

 不安だった。涯が言うように、これは壮大な過去と未来の物語だったから。あれほどたくさんの人たちによって織りなした巨大な物語を、全て、上手く伝えることができる自信がなかった。

 いのりはいつになく珍しく、食い下がった。やがて、ひとつの曲を、僕のもとにふゅーねるが届けてくれた。彼女は、彼女にしかできない、彼女らしいやりかたで物語を紡いだんだ。

 それが、君のこれまで聴いたことのあるだろう、数々のいのりの歌だ。

 彼女は、歌という方法によって、物語を紡ぎだすことを目指した。

 僕は幾度となくいのりに訊ねられ、これまで何があったのか、いろんなことを改めて伝えると、彼女はやがて曲を新しく作っていった。僕たちの出来事を紡ぐような曲を、歌を。それもたくさん。

 そんな彼女をみて、僕もようやく物語を語ろうとした。

 けど、そんなにすぐうまくいくわけじゃない。

 実は、僕は物語を書くのははじめてだった。かつて僕は、幾度となく結末を変えようと抗っていたのだと、結晶世界の記録は語る。けれど、そんなことを僕は覚えちゃいない。きっと、別の僕ががんばっていたんだ。そんなことを言いながら……つまり、もうだめだ、おしまいなんだ、と僕は弱音を言いながら、頭を抱えていたんだ。

 そんな僕を見かねたのか、いのりは、僕の書いた物語では見えなかった視点を、少しずつ書き加えたものをくれた。僕よりも、ずっと上手に。 

 そして、いのりの歌を聞いたたくさんの人たちが、僕たちのやろうとしてることを知って、自分の起きたことを、書き加えてくれたんだ。自分の辛かったこと。自分がみた世界のこと。自分が、やがてここにたどり着いたときまでのことを。

 それはまるで、僕がいつか見たあの結晶の世界のようだった。でもそこにあったのは絶望だけじゃなかった。その物語は光を返す結晶のように、輝いていた。だから僕は、もう一度書こうとやり直すことができた。

 あのときの感覚をもとに、自分の見てきた世界を語り続けてきた。出来る限り、その時の気持ちを書こうと思った。

 そうして生まれたのが、この小説という形式の物語だ。

 この物語は、どこかのサーバーに内蔵されている。クライアント端末の中にある文字データ群となっているかもしれない。あるいは、この世界ではないどこか。たとえば結晶世界の先から、君は見ているのだろうか。

 君がこの物語を見て、何かを感じてくれているといいと思う。それは喜びでも、悲しみでもいい。恐れでも、怒りでもいい。それを次に繋げて、その結末に抗おうと書き換え続けていくことが、きっと、僕と、そして君のやるべき仕事なんだと思う。

 なんて大役を。君は僕のように、そう思うかもしれない。けれど僕を知る君は、僕なんかよりずっと力があるのを、よく知っているんだ。だってその力を、僕は自分の体を通して、そしていのりたちのヴォイドを通して、知ったんだから。君がどんな世界の人であっても、いのりの歌を聞き、いま何処かでこの物語を読んで、世界のどこかを良くしようとしているところなんだから。

 だからいかなる場所でも、いかなる時でも、君は僕たちを繋ぐ、橋《BRIDGE》なんだ。

 君は知っている。僕たちの結末《convergence》を。

 君は知っている。僕たちの通ってきた道(shepherd)を。

 だからいくらだって、やりなおすこと(reloaded)ができるはずなんだ。

 

 僕は、君の答えを待ち続けている。

 この外なる世界と繋がってしまった世界で。

 彼女の歌が流れ続ける、この天国の片隅で。

 

 大島にいる皆とともに。

 いのりとともに。

 

 




 ここまでの全てを見届けた人。このあとがきをまず読もうと訪れた人。どんな人にも、私はこの言葉を捧げます。

 メリークリスマス。

 なぜこんなことを言うのか。それはこの物語が、失われた聖夜(ロストクリスマス)を乗り越え、美しいクリスマスの夜明け(sunrise)へたどり着くまでの物語だったからです。
 故にいついかなる時にこの物語を読んだ方にも。
 そう、メリークリスマスなのです。

 現実の世界ではどうでしょう?あなたはこの作品の投稿日を見て笑っていることでしょう。
 そうです。12月112日なのです。おそらく。
 私の体内時計では、ようやくクリスマスを迎えて、毎日がクリスマスのような感覚です。あと少しすれば、2021年を迎えられそうです。
 しかし現実はこうです。毎日の執筆の進捗管理代わりだったクリスマスのアドベントカレンダーはすべて制覇してしまいました。私の通うカルディーの店頭に並んでいた大好きなジュースのシャンメリーは、和風の素敵なお菓子に、やがてたくさんのチョコレート菓子へと遷移していきました。わたしがみたときはホワイトデーのおかえしシリーズでしたが、つぎは桜にまつわるもので、そして私の暮らす東京の街頭でも、本物の桜が咲き始めています。

 かくして季節はめぐり、時は流れ、この物語は、ギルティクラウンの最終話、22話がはじめて放送された日に、桜《Cherry Blossom》の咲くこの頃に投稿されます。この日、ギルティクラウンは完結9周年を迎えることになります。そして半年後、放送開始から10周年という大きな節目を迎えることになります。私もまた、この物語を大きな節目としてこの物語を投稿できることを、幸福に思います。
 本当は、ホワイト・クリスマスの真夜中にサンタとしてプレゼントしたかったのですが、それは仕方ありません。桜が雪のように舞う、チェリーブロッサム・クリスマスと言ったら、なんだか文学的で素敵な気もしてきます。

 九年前のあのとき。集やいのりとほぼ同い年で、コンピュータが嫌いなのに計算機工学を選んだ学生だった私。そして絵も少ししか描けず、ひとつとして物語も完結させられなかった私は、この作品と出会い、紆余曲折の果て、いまや会社員として、集やツグミほどではなくともITシステムをいくつも組み上げてきました。つまり、このソフトウェア職人の世界で道半ばではあれどエンジニア、あるいはプログラマーと呼ばれる人間のひとりです。その傍ら、表紙絵程度はどうにか描けるようになりました。9年とは、それだけ成長するには十分な程度に長い時間でした。
 そして、この物語を完結させリリースさせることができました。
 それが、このギルティクラウン改変・再構成作品、Guilty Crown Bonding the Voidsです。

 この物語を作るにあたって、感謝を申し上げなければならない人たちがたくさんいます。
 まず友人の碧人さん(Twitter: @11_quasar)の助力なくしてこの物語は存在しませんでした。何も案もないのにLOPを書き直したいという私のどうしようもないぼやきに真摯に向き合ってくれました。「友達を武器に戦う」への原点回帰、という原初的で重大なアイデアは、そのとき碧人さんから得たものでした。それが、この作品の中枢のテーマとなっていきました。さらに共にそれぞれの作品として、ギルティクラウンの改変を志してくれました。碧人さんの未公開作品「ReGenesis」という改変作品についての議論では、いくつもの演出や展開にまつわる、強烈な学びがありました。私はその際に生まれたアイデア採用の許可をもらい、このBonding the Voidsに当てはめたらどうなるんだろう、と考えながら、組み上げていきました。つまりこの作品の演出的な裏側には、このReGenesisが根付いているのです。この裏側にある物語と、「友達を武器に戦う」というテーマが、私の限界の向こうへと辿り着けた大きな要因でした。ありがとうございました。この恩は、完成したこの物語と、そして今後の作品制作への助力によってお返しできればと思っています。
 そして、クリストファー・ノーラン監督の数々の作品が、特にTENET、インセプション、ダークナイトトリロジーが、このPhase03 祈り:convergenceの複雑な構造を完全にしてくれました。物語の可能性を映画という媒体として追い続けるノーラン監督の作品は、同じように映像作品をベースとした私の中で強く突き刺さり、いくつものシーンが、セリフが、物語が、そこから派生して生まれることとなりました。ありがとうございます。あの数々の文学と職人芸の両立のような素晴らしい映画の一端が、この作品のなかでもなお輝いていると幸いです。それと、TENETは6回観にいくことができました。わたしの人生で最高の映画体験でした。
 伊藤計劃さん、そして小島秀夫監督の作品、メタルギアソリッド、デスストランディングもまた、この作品にはなくてはならない系統と絆というモチーフの中枢です。集のシェパードとしての宿命と対立、ベツレヘムの星というモチーフはMGS4ノベライズやMGSVが起点となり、彼らシェパードの決断の重みと、ヴォイドの輝きを与えてくれました。いのりのあやとりも、彼女の旅も、集の橋《BRIDGE》としての物語も、デスストランディングを起点にして描かれていきました。何よりもこれらのゲームをした時のあの感覚を、この作品に入れられるようにと意識しました。小島監督の作品はフィクションのなかでありながら、わたしにとっては間違いなくリアルだったからです。私にとって、小島秀夫監督のゲームは、それを教えてくれた伊藤計劃さんの作品は、いかなる媒体においても物語とは何かを突き詰めるということの素晴らしさを教えてくれた、かけがえのない物語です。ありがとうございます。
 梶裕貴さんのβiosを、ギルティクラウンの十周年記念で聞くことになる日が来ると、私は思ってもみませんでした。きっと当時の私に言っても、信じてもらえないことでしょう。だからこそ、この曲を聞きながら、集がもう一度戦い始めるシーンを構成していくことができたことは、とても幸福でした。私にとって集は、十年前から変わることなく、理想の主人公で在り続けています。だからこそ梶さんの集とギルティクラウンへの思いは、私にギルティクラウンと向き合う勇気をくれました。ありがとうございます。
 澤野弘之さんの曲は、私の九年間に音楽という彩と、想像力を与えてくれました。特にβiosが、再構成というオリジナルの良さを破綻させることなく限界までエンジニアリングする困難な道を突き進むとき、いつも共に在り続けました。だからこそ、梶裕貴さんのβios、そしてβios LaZaRuSを聞いた時、とてもうれしかったのを覚えています。βiosを聞きながら、最後の戦闘シーンはいつも描かれています。努力・友情・勝利というジャンプ王道をいくbondの繋がりの物語を、βiosは更に力強くしてくれました。
 EGOISTの曲を、エウテルペをはじめて聞いた原作一話の時のことを、今でも覚えています。その儚く美しい歌を歌ういのりをオープニングで見た時、私にとってかけがえのない物語になると確信したからです。いまもなおリリースされていくいくつもの曲、それがいつだって私がいのりを思い出す起点となっていきました。ありがとうございます。EGOISTの曲が、彼女を旅に向かわせてくれました。
 BOOM BOOM SATELLITESのみなさま。作品を描いていて何度もくじけかけたとき、
The Everlasting Guilty Crown (BOOM BOOM SATELLITES remix -The Last Moment Of The Dawn-)
をこの作品のエピローグに絶対に入れるためにこの物語を書き終わらせるんだ、と何度も立ち上がることができ、そうしてこの作品を完成させることができました。ありがとうございます。映画の幕引きのスタッフクレジットが流れる中で、この曲が流れていくという鮮烈なイメージを、私はいつも映画館にいるときに想像しています。
 僕のヒーローアカデミア。ヴァイオレット・エヴァーガーデン。ガンダムNT。天気の子。その他にも数々の物語が、この作品を形作っています。素晴らしい作品たちは、私に多くの学びをくれました。ありがとうございます。

 何よりもギルティクラウンが、この物語と私の原点です。それは9年前、荒木監督やredjuiceさんをはじめとした多くの人たちが、決して妥協することなくギルティクラウンという物語に向き合ってくれていたからこそなんだと、私は思います。あれだけの熱量があったからこそ、私はギルティクラウンをずっと覚えていることができました。作品を二度作り直していく中で学生の時から成長していくことができました。かけがえのない思い出を、そして経験を、ありがとうございます。この経験を活かして、これからも自分なりに、いかなる媒体でも、システムでも、素晴らしい物語を目指してつくっていこうと思っています。

 そしてここまで読んでくださった読者の皆様に、感謝を申し上げます。
 この作品にお気づきいただき、ありがとうございました。この物語を読んでいただけたなら、嬉しいです。まだ読んでいなかったとしても、いつか私のように改変・再構成作品を必要とした時、読んでいただければ幸いです。

 この作品が、ギルティクラウンというこの素晴らしい原作との思い出をもう一度繋いでくれることを、私は願っています。


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