Guilty Crown Bonding the Voids 作:倉部改作
### 1
彼女のいない日常へ向かう道すがら。
久しぶりな気がした。学校に向かうモノレール。
六本木にいた時間が長く感じられて。学校に行くのが、正直怖い。
学校にたどり着き、上履きに履き替えているとき。
「おいみろよ、あいつセフィラゲノミクスやめた奴じゃね……」
僕は驚く。どうしてそんなことが学校で広まっているんだ。僕の後ろで何人かが固まって僕に聞こえるように喋ってくる。
「知ってる、ヒロミが確かな情報だって言ってた」
「じゃああいつもキャリア終わりか……」
「調子乗ってた罰でしょ……」
僕は足早に学校に向かう。あ、逃げた、と周囲の連中が笑う。
「おい走るなよエリート様、そっちにキャリアはないぞ」
これが本当の僕の日常なんだ。誰かに後ろ指をさされながら、ひとりぼっちでわけのわからないものをつくるのが、僕の本当の日常なんだ。
そのとき、何を引っ叩く音が聞こえた。
振り返ると、さきほどの固まりのうちの一人が頬を抑えていて、引っ叩いていた本人がいたのが見えた。金髪の長い髪。背の高いその女性は引っ叩いたそいつにこう言った。
「何もしないあなたに、彼を評価する資格はなくてよ。天王洲第一高校の生徒なら……恥を知りなさい」
僕を含め全員が茫然としていると彼女はやってくる。
「ごめんなさい、桜満君。生徒会にあなたのことの情報が入ってきて……噂が広まってしまったみたいで……」
「なぜ僕の名前を……生徒会長……」
「供奉院亞里沙《くほういんありさ》よ、私の名前は……」
失礼しました、と僕は背筋を伸ばす。なぜだろう。彼女の言葉はどこか品位を感じる。彼女は笑う。いいのよ、と言って、
「正直、私は少し安心したのよ、あなたの件……」
僕は意外な言葉に固まる。供奉院さんは続けた。
「生徒会の中でも問題視してきたのよ。あなたみたいにインターンに参加し続ける生徒。そのなかでもあなたは飛び抜けた会社、セフィラゲノミクスにいて、実際に行っていると公式に発表された内容はどこでも心理計測技術《ヴォイドテクノロジー》の申し子と呼ばれてきた。あなたすごいのよ」
自分のに関心のない評価を聞かされると、首を傾げるしかなかった。そんな僕をみた供奉院さんは微笑む。
「そんなの興味なかった……みたいな顔してるわね」
かもしれません、とだけ僕はいう。彼女はこう言った。
「あなたはがんばりすぎたのよ。少し休んだって、いいんじゃないの……」
そう言って、彼女は僕の先を歩いていく。僕が茫然と固まっていると、彼女は振り返ってくる。
「お節介ついでに、あなたのクラスにも行きます。みんな心配してたわよ……」
僕はあわててついていく。
そして、がらりと自分のクラスの教室を開ける。祭は僕に気づいてくれて呼びかけてくれる。けれど全員の視線が痛々しかった。ぼくが教室に入ったところで、彼らの関心は後ろにいた供奉院さんに移る。
どうすればいいのかと僕が思案していると、供奉院さんがこう言ってきた。
「セフィラゲノミクスのみなさんは優しかった?」
全員の視線が僕に向く。
「インターンの仕事も大事でしょうけど、セフィラゲノミクスの方々の、身の安全も確保してほしいという思いもありますからね……」
僕は驚いた。彼女も笑っている。合わせろということか。
「は、はい。事件の現場が近かったのもあったので緊急処置だって……」
周囲はひそひそと話し始める。けれど敵意は感じない。それをみた供奉院さんは微笑む。
「そう……無責任な噂を流す生徒も多いだろうけど……困った時がこの私が力に……」
「集!そこにおわすのは集じゃないか!」
僕は驚いて振り向く。教室にはいってくる颯太だ。
「もうやめたんなら聞いていいだろ、どうだった、セフィラゲノミクスって!」
矢継ぎ早に颯太は訊ねてくる。
「最新の設備ばっかりだったんだろ!エンドレイヴもみた?あ、セフィラゲノミクスだからワクチンとか?」
え、それが相手だったし……と言っていると、別の学生……女子もやってきて、
「桜満君。私もいい……」
僕が促すと、彼女はとんでもないことを言ってきた。
「軍隊って……やっぱりホモばっかりなの?」
わけがわからなかった。僕がいたのはセフィラゲノミクスで、GHQとは微妙に違うよ、と言うが、そのときには周囲の質問は止まらなくなっていた。
「おっかない兵隊とかいた……」「大人の階段登りやがって!」「会長、握手してくれ!」
周囲には人だかりができた。クラス委員長の花音さんが「みんな静かにして、落ちついてよ!」とあたふたしている。そんななかで供奉院さんは笑う。
「取り越し苦労だったみたいね……」
みたいです、と僕は教室から出ようとする彼女に笑う。でも、と僕は会長を止めて、
「その……ありがとうございます。気、使ってくれて……」
彼女は微笑む。「気にしないで。生徒会長として当然のことをしたまでよ……」
そう言って教室から出ていく会長の背中をみて、ふと僕は思った。
「GHQの関係者……なんてこと、あるかな……」
それでも僕は微笑んだ。穏やかな、昔より少し優しくて平穏な、日常に帰ってこれたんだから。
### 2
朝の学校。ついに手にした得難い平穏なる日常。
そこに現れる、もう会うことのないはずの、日常へ死を告げる天使。
その天使こそが、いま転校生と呼ばれて名乗る、チェリーブロッサム・ピンクの髪の少女。
「楪、いのりです」
僕は即座に立ち上がる。そうすると、彼女は僕を向き、じっと見つめてきた。
「うそ、でしょ……」僕はそう言っていた。
彼女は首を傾げて、答えた。
「ほんとだよ」
僕の過剰は反応に、全員が振り向いてきていた。「どしたの桜満君」
しかし、おもむろに彼らは首をかしげる。
「ん?楪いのり……」「どこかできいたことがあるような……」
その声の中に、確信を持って彼女へと振り向き、語るものが現れる。「いのり?」「マジかよ」「本物じゃん……」「あのEGOISTの……」
それらの言葉に、彼女は肯く。
その反応に、クラスメイトの全員が最高の転校生に勝鬨を上げた。得難い平穏なる天国の片隅は、クラスメイトの有頂天さと共に、再びどこか、どこか遠くへと飛び立っていった。
授業が始まるまでの時間に、さっきの僕のようにいのりの周囲にはたくさんのクラスメイトが集まっていた。
「私は草間花音《くさまかのん》。クラス委員よ。わからないことがあったらなんでも聞いてね」
僕は彼女の前に行くのが怖くて、自分の席に座り続けた。僕の席は窓側。いのりは廊下側。遠い場所にいてくれることだけが、今はわずかな救いだった。
葬儀社には入らなかった。道化師《clown》の役目は終わったから。涯も止めることはなかった。わからない。いのりが、なんで学校になんか来るんだ。
ふと夢で見たことがちらつく。
『待っててね、集。今度こそ、あなたの元にたどり着くから……』
その時、短髪のクラスメイト……颯太がいのりのいるところへ向かう。
「いのりさん」
全員が振り返る中で、颯太は訊ねる。
「あの、葬儀社とかってどう思います?」
僕は驚く。そして周囲の女子たちの顔も歪められている。あれは怖い顔だ。
「いきなりなによ颯太君」
「だって……EGOISTの歌ってなんか葬儀社っぽいじゃん……」
僕はその発言に颯太の背中を見つめる。彼もEGOISTと葬儀社の繋がりに気づいているのか。しかし表向きには繋がっていない。葬儀社とEGOISTのWebサイトのフロントエンドの実装に類似点が多いことから推測を立てた僕のように、彼もまたそれにいち早く気づいたというのか。しかし颯太はまごつき、
「その、だから好きかなって……」
「なわけないでしょ」と委員長が返すと颯太の姿勢が整う。そこに女子が訊ねる。
「あ、じゃあEGOISTの他のメンバーの人たちってどんな感じ?」
これも葬儀社の背後を追うための質問か。そうして真面目に考えていると、彼らはさらに言葉を浴びせる。
「あー、ねえサインしてくんない?」「お、おれもおれも」
いのりも困惑している。僕は立ち上がる。その彼らの表情は疑惑の眼差しではない。好奇心。ならさっきまでの颯太の質問も。なら僕はどうすれば……
そこでクラスメイトが優しく割って入る。
「いいかげんにしろよ。楪さん困ってんじゃん」
そして颯太へと歩みを進め、颯太の肩に手を置く。
「ごめんな、こいつ、魂館颯太《たまだてそうた》っていうんだけど、すげー君のファンでさ。無礼は、許してやってよ」
ああそれと、とその長身の優男は名乗る。
「俺は寒川谷尋《さむかわやひろ》」
それを好機とみた颯太が続き、「俺と谷尋とあそこの集ってやつで、現代映像研究会って同好会作ってて……それで……」
そこで谷尋がジャケットの襟を引っ張って止める。
「だーから焦るなって。みんなもだ」
谷尋は周囲を見渡す。
「俺たちずっと、これから一緒のクラスなんだからさ。慌てないでいこうぜ、な」
おずおずと女子がごめんね、いのりさん、と言って他も続く。その様子を見て僕は椅子に座る。
谷尋のおかげでとりあえず葬儀社に関する質問は一度終わった。油断はできないが、今はもう安心していいだろう。とりあえずあの場に谷尋がいて助かった。
体育の授業ということで、僕らは移動し、そして授業を受けるが、いのりへの注目は男女問わない。彼女はごく当然のように女子とともに準備体操に入っている。そんな彼女を僕もまた見つめる。
いのりがきた理由……どう考えても僕とは無関係じゃないよね。
そこで一緒にランニングしていたクラスメイトが告げる。
「でもいのりってさ、なんか人形ぽくね……」
僕はその言葉におもむろに肯いていた。人に愛されるために作られた人形。それこそ技術《テクノロジー》、例えば計算機画像処理《コンピューターグラフィクス》で無限に近しい試行錯誤の果てに生まれた、被造物ゆえのこの世ならざる美しさ。
「そうだね、なんだかリアルのほうがCGっぽいというか……」
彼女と共にいた日々を思い出す。廃校舎、六本木、そして白い世界の中で胸を差し出すいのりの、目を奪われる美貌を。
「なーにいってんだよ集!」
そんな声に僕は振り返る。颯太だ。
「いのりはCGなんかじゃねーよ!目を覚ませよバカ!」
僕は驚いたまま硬直する。
「おまえそういうこと絶対本人の前で言うなよ、傷つきやすいんだからな、そういうの!」
そう言い残して彼は走っていく。僕はため息をついた。そうだ、本人の前ではとても言えなかった。
### 3
夕日の差し込むモノレールに乗った帰り道。僕は項垂れて座っていた。
颯太の言うことはわかる。けれど……バカって言われた。僕の傷つきやすさのほうは見過ごされていいのか。前からそうだ。インターンの時も、涯や葬儀社……いのりにも。だいたいひどいめにいつも僕が遭遇する。
って、また自分のことばっかりか。僕は。六本木で、そういうの全部やめたつもりだったのに。
自宅のマンションにたどり着き、エレベーターで上がりながら僕は考える。
彼女が戦う理由ももうない。葬儀社も特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》が解体され、これからさきは大きな物事も、酷い争いも起きないはず。だからこそ、葬儀社とこれ以上関わる理由はない。道化師としての果たすべきこと。自らの右手を封印することこそが、僕のなすべきことだ。彼らになし崩し的に王の能力を使って協力しだせば、いつ捕まってもおかしくない。そう思っていると、自分の家の玄関の前にたどり着いていた。
とにかく、彼女とは関わらないようにしよう。
その時、ドアの生体認証が通った時の音が響いた。そのドアの指紋認証を行っていたのは、僕のキータイプしかできないコンピューターボーイの手ではなかった。それよりずっと細くて白い、爪まで整えられた手。その手の主を追う。僕より背の低い人。女性。桜色の髪の。
僕は叫んでいた。彼女は迷うことなく扉を開いて中へと進んでいく。僕は追いかける。
「いのり!なんで……なにこの荷物!ま、待ってよいのり!」
その時先ほどあった荷物のダンボール詰めとは異なるであろう何かが足に引っかかって倒れる。倒れるとその引っかかった主が現れる。ふゅーねる。
「ちょっとなにするの。あ、待って!」
ふゅーねるも追って匍匐前進でリビングにたどり着くと、僕の目はわけのわからない状況を捉えていた。
いのりがワイシャツのボタンを外していく。そしてワイシャツを脱ぐと、ピンク色のブラジャーと、綺麗な背中が見える。
自制心で顔を手で覆う。その時奇妙な駆動音が響き、目を開けるとそこにはマニピュレーターをスパークさせるふゅーねるがいる。身の危険を感じた。急いでふゅーねると戦闘を開始する。これにやられたら終わりだ。住居侵入した非行少女を家に泊めることになってしまう。その時僕の生死は問わないだろう。テロリストなのだし。
僕は格闘しながら着替え終わるいのりに叫ぶ。
「どうしてうちにくるの、てかなんで鍵開けられるの!」
「ふゅーねるがやってくれた」
冷静に告げる彼女に、僕はふゅーねるを天に抱えたまま脱力する。そのとき彼女が僕たちの前に近づき……しゃがみこんでくる。
「ねえ、集」
僕はいのりの内ふとともに視線が吸い込まれていくのを自覚する。だめだ。僕は理性を保つために答える。
「な、なんでしょうか、いのりさん」
「いのり」
「いや、この状況で呼び捨てとかできないから……」
「……おなかへった」
僕はついに考えるのを諦め、天井を見つめる。
もうだめだ。すべての主導権が僕にない。従う他ないのだ。死にたくなければ。
「じゃあ……なにがいい……」
彼女は即答する。
「おにぎり」
### 4
とりあえず十年前の炊飯器にお米を入れてスイッチを押した時、ソファで衣服を整理するいのりを見て、ため息をつく。
「それにしても困ったな。春夏が帰ってきたらなんて言えばいいんだ……」
いのりは即答する。
「桜満春夏。セフィラゲノミクス主任研究員。集とは養子の関係。帰宅は週に一度程度。あと数日は戻る見込みはない」
僕はため息をつく。「全部調査済みってわけか……」
「迷惑?」
僕はいのりへと振り向く。彼女は服を整理し続けている。
「桜満集は、いのりが迷惑?」
僕は俯く。「迷惑、じゃないけど……なんで君が学校にきたのか、わからなくて……」
衣服を整理する彼女は、特に僕を見るわけでもなく、
「特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》と戦ったあなたを守るため」
僕はさらに訊ねた。「日中僕が外にいる時ならまだわかる。けどどうしてここにも……」
すると、彼女の手が止まった。そして、俯いたまま、こう言った。
「好きの意味を……ちゃんと教えてほしくて」
その時、ふと思い出す。六本木で最後に「行かないで」と止める彼女へ送った言葉。
『それが、好きって意味だよ』
あれか、と僕は頭を抱える。相変わらずだ。詩的すぎる。僕は工学系だし人間より機械を相手にするのが主で、観察周りはぜんぶいろんな記事を参考にしているだけにすぎないフリーライダー、もしくはモグリの研究者みたいなものだ。またあの難題をどうにかしろというのか。
その時、鍵が開き、ドアが開く音がした。
「集、帰ってるのー?」
短絡《ショート》しかけていた僕の脳が蘇る。困っていた原因がやってきた。あの声はいま最悪、いや災厄の声だ。
「春夏……」
僕は急いでリビングへ向かう。そしてソファにいて驚いているいのりを体も使って隠そうとしたが、ただいま、と言いながらやってくる彼女に見つかったようだ。
もうだめだ。おしまいなんだ。そうやって目をそらしていたが、おずおずと保護者へと振り返る。さらに僕は驚くことしかできなかった。
「春夏!またそんな格好で!」
下着姿でビールを開けようとしている彼女が、僕たちを見下ろしている。世間体からの開放という気分の上昇負荷によって完成された、成れの果て。おそらく着ていたほとんどが玄関に散らかったことだろう。どうして僕の周囲の女性たちは羞恥心を僕には発揮してくれないのか。そんな気持ちを知るわけもなく、彼女はビールの缶を開けながら、
「ここは職場じゃないわよ、急にインターンやめて心配になった母親が帰ってきて、うれしくないの」
インターンのことを触れられると、そういうわけじゃ……としか返せない。
おもむろに立ち上がる僕の頭を、春夏は撫でる。「ならばよし」
そして僕の頭を引いて、僕の後ろにいるいのりへと彼女は向かい、
「こんにちわ、わたし桜満春夏……」
そう言いながら、彼女は驚いていた。僕が振り向くと、彼女はいつの間にかソファに正座で座り、深々とお辞儀をしていた。綺麗な所作だ。
「楪いのりです。ここで暮らさせてもらいます」
その時、タイミング悪くふゅーねるが彼女の衣服を……ブラジャーを片付けようとしていた。僕は叫びながらそのブラジャーをふゅーねるに覆いかぶさってとって隠そうとして……なぜか握っている。どうして。ふゅーねるがマニピュレーターを上げてばたつかせている。もうだめだと思いながらもその場で思いついたことを出まかせで言う。
「彼女には……乱暴なお兄さんがいるんだ……あんまりひどいからセフィラゲノミクスやめて匿うことにして……でもそいつ、外面がいいから誰も疑ってなくて……しかも強くて、ちょっとかっこよくて……なに言ってんだ僕……」
そうじゃなくてつまり……と言っている僕を尻目に春夏はビールを嚥下し、ぷはあと息をつきながら、「あーお腹すいた!いのりちゃん、お腹すいてない?」
彼女は頷き、「おにぎりを集におねがいしていたところです」
「あら、集のおにぎり食べてお米のファンになっちゃった?ならせっかくだし失われた道楽、手巻き寿司パーティにでもしましょ、海苔はおにぎり用でお米と頼んでるやつを使えばいいから、あとは寿司ネタは集が買ってきてさばいてくれれば完璧ね」
突然決まってしまったことに僕は驚く中で、春夏は冷蔵庫に向かい、「あー私ケーキも食べたいわ、集、行ってきてくれる?」
「今から?」
彼女は楽しそうに笑う。
「おいしいもの食べながら、じっくり聞かせてもらうから」
洗いざらいというわけにもいかないが、ある程度しゃべらなきゃいけないだろう。僕は覚悟を決めるしかなかった。
### insert ayase 1
あのときの光景はいまも忘れられない。
私がダリルと呼ばれたエンドレイヴ使いと戦って、ヘマをして集にチューニングしてもらったエンドレイヴからベイルアウトされたあと。低くて重たい雲が空を覆っているなかで、みんなで集といのりのところに助けに向かったときにみた、あの光景。
集は瓦礫の上で、いのりから巨大な塊を取り出して、そしてそれを空に突き刺していた。貫かれたあの低くて重たい雲は、全部押しのけられ、打ち破られてしまっていた。
それは地上に咲いた、大きくて真っ白な花だった。
似たものは、涯がヴォイドゲノムを投与したあのときにみたはずだった。けれど、桁違いだった。その光も、大きさも、力すらも。
集はいのりを守るために、その花を振り回した。大きな花だと私が思っていたそれは、大きな剣だったから。それに切り裂かれたエンドレイヴは、一瞬で息の根を止められていった。武器の凄さもそうだったけれど、集も私からすれば桁違いの存在だった。エンドレイヴでも取り回すことが難しいほどの大きな剣を、なんの補助もなく振り回せるだけの膂力。それを握っていてなお、銃弾のように速くなり続ける、集の機動力。ダリルのエンドレイヴだって、その作り手でしかなかったはずの集には届くことはない。
そうして私もみんなも立ち止まって、帰りを待つだけだったはずの男の子が、救いたいと願った女の子を本当に救う光景をみていることしかできなかった。
集は、王の能力を持っていたということになる。でも彼が嘘をついているとは誰も思えなかった。涯を助けてくれた時から、彼が最善を尽くしていたことを全員が理解していたから。そして本人もまた、自分の王の能力を終わらせる、と新たな目標をいのりと涯に告げ、私たちのもとから消えてしまった。それはまるで、すべての策が尽きれば死んで終わらせようという誓いのようでもあった。
もう昔の自分にも、日常にも戻れないことを悟ったような男の子。そんな彼はいま、本気で願って救った女の子との再会と、義理の母の質問の嵐に困惑しながらも、楽しそうに手巻き寿司を食べていた。
ツグミによって繋げられたふゅーねるの映像。彼らを眺めながら、私は涯に訊ねていた。
「その、大丈夫なんですか涯、あの集を、日常に向かわせて……」
「問題ない。あいつには今までインターンで疎かにしていた日常生活をしてもらう。それが今後に繋がるからな」
私もツグミも、顔を見合わせた。そして私は涯にこう言っていた。
「でも、自分が戦うことから遠ざかるって、結構、怖い……と思います……」
それを聞いて涯は笑った。まるで、自分に語り聞かせるように。「仕事熱心なのはいいことだ。だが、それが全てじゃないんじゃないか……」
私とツグミは首を傾げる。その様子をみて、涯は訊ねてくる。
「なら、君たちも行くか、天王洲第一高校に……」
私は揺れた。両親を失い、エンドレイヴで戦い始めて、もう取り戻せなくなった日常。走高跳を続けていたあの場所に、もう足を動かせない私はどこへ……
ツグミの「結構でーす」と言う声に、我に返る。ツグミは続ける。
「よっぽどのことがない限り、あんなところでぬくぬくしていたくないっ」
私もなんとか笑う。「そうね、私も……いまは大丈夫です」
アルゴがからかう。「いつでも言えよ、いのりの友達ってことならきっとすぐ受け入れてもらえるさ」
ツグミは顔をしかめ、「大人ぶってるけど、アルゴもまだ高校生でしょ……」
アルゴは静かに笑う。「竜泉高校。もう存在しない学校のな……」
暗くなりかけたところで四分儀が言葉を挟んでくる。
「涯、これまでの戦闘で軍事物資が不足してきています」
アルゴが訊ねる。「……金は相当集まってきたんだろ、特に今夜のパーティで倍になる」
四分儀は肯くが、「資金があってもルートがないのです。購入するにも、運び入れるにも」
涯は呟く。「協力者が必要だな」
そして、アラーム音が鳴る。涯は周囲に告げる。
「そろそろパーティの時間だ、支度していくぞ」
### insert arisa 1
私は……供奉院亞里沙は、あえてもう一人の牧羊犬《シェパード》の話をしていこうと思う。
自らを液体《Liquid》のように何度も変えていきながら、シェパードの系統を目指し、やがて辿りつき、私を導いてくれた、凝集体《Solid》の対となる牧羊犬《シェパード》の話を。
私はシャワーを浴びながら今日この屋敷で聞かされた話を思い出していく。
供奉院グループの社員が、パイプで煙草を吸う長老に報告していた。
「締め付けは厳しくなる一方です。我がクホウイングループの流通は、前月比25ポイント減。これは、先日実行された、連合国の持つ衛星群体兵器機構《サテライト・ウェポン・コンステレーション》、ルーカサイトによる輸出元の攻撃の影響で……」
そこで長老の……供奉院グループ当主は自らのパイプを机に静かに叩く。
「できない言い訳は必要ない。次は結果をもってこい」
そしてその長老は私に振り向く。
「亞里沙、仕事だ。明日のパーティには同行してもらうぞ」
私は笑って応じる。「はい、おじいさま」
そういえば。と私は思い出す。あなたはすごいのよ、と言われても首を傾げる、時々気になっていた男の子を。仕事だ、といつも言って学校に顔を出しているときはいつも物憂げだった男の子。自分の評価より、自分の求める何か奥深くのものを追い続けているような、孤独な深淵へと踏み込み続ける男の子を。
長老。おじいさまの表情は暗い。
「亞里沙。ルーカサイトも稼働した以上、もはや我々に残された時間は少ない。いずれ、裏の仕事もお前に任せる。そのつもりでな」
「わかっています」
私はシャワーを浴びながら、壁に手をつける。
あの男の子も、きっと周囲からの期待を一身に背負っていたに違いない。けれど、周囲の評価を気にしない姿が、とっても羨ましかった。でも、とてもじゃないけど、彼のようになれる気がしなかった。だから、私は強がるしか、自分の殻に閉じこもることしかできない。わかっています。わかっています。それしか、言えることがなかった。
「わかっています。私は、供奉院亞里沙ですから……」
### 5
ホームパーティの果て。普段ほとんどつけない春夏のテレビゲームをして楽しんだあと。散らかり放題の家をいのりとふゅーねるは片付けてくれている。そのなかで僕は春夏の部屋で、山盛りの服の整理を手伝っていた。春夏は楽しげに言う。
「かわいいじゃない、いのりちゃん。ちょっと変わっているみたいだけど」
うん、と僕がいうと彼女は続ける。「あなたがセフィラゲノミクスのインターンやめるっていうからなにがあったんだって思ったけど……いまならわかるわ。ほっとけない感じ……」
そうだね、と言いながら思い出す。ヴォイドゲノムとされたものを盗み出して、怪我を負いながらも何度も立ち上がろうとしていた姿を。そしてあのとき、無謀にもエンドレイヴの前に立ったことを。
「……あの子、僕よりずっと強いんだ」
けど、と僕は言った。思い出す。エンドレイヴの前に立っていて、僕が呼んだ時の表情。僕の顔を見て、今にも崩れ落ちそうないのりを。
「すっごく……弱く見える時もあって……」
何にも返答がないことに、僕は違和感を感じて春夏へ向く。彼女は顔を輝かせている。そして、僕の背中へと抱きついてくる。果実とアルコールと、優しいアロマの匂いがする。
「ちょっと。やめてよ酔っ払いは……」
僕と十と少しくらいしか離れていなくて、二十代だったのもほんの少し前な彼女からのいつも甘やかしの攻撃は、どこか知り合いのお姉さんからのもののようでもある。
「スキンシップ。いけない……」
優しく抱きしめてくれる春夏に、僕は、「いけなくは……ないけど……」
なにを思ったのかはわからない。なにがそんなに嬉しかったんだろう。
もう十年もこんな関係だ。親のいない僕。再婚相手の僕の父さんに先立たれた春夏。親子の関係とは少し言えない、ちぐはぐな。
そんなとき、春夏がクローゼットの中を見つめ、「あ、あった!」
そして彼女はそのドレスを取り出す。
「よかった、明後日のパーティなんとか格好がつく!」
「春夏、服買いすぎなんだよ……」
そのときチャイムが鳴り、僕は春夏の部屋を出て、慌てて玄関に向かう。
扉を開ける。すると、谷尋だった。
「よ、遅くに悪いな……」
どうしたの、と僕が言うと「ちょっと思い出してさ、この前言っていた映画。見るか?」
そうして谷尋から映画の媒体パッケージを差し出される。
それはミッドサマー。谷尋によれば、真っ白な服装のコミューンによる、花と血と炎の壊れた夏至祭《ミッド・サマー》の物語。僕は平静を装って受け取る。
「あ、ありがとう……でも、このためにわざわざ?」
谷尋はおもむろに告げる。「今日のお前。様子が違っていた……ような気がした。この前なんかあった?」
僕は考える。この前のことは絶対に話せない。
「なんかあったかな……わかんない」
それだけ僕が答えると、そっか、とだけ谷尋も返す。そのとき、谷尋が驚く。
「あれ、君、どうして……」
いのりがふゅーねるを抱えて出てくる。
「連絡がきた、いっしょにきて、集」
そう言って彼女は歩いていく。訊ねようとする谷尋に僕は弁解する。
「い、いろいろ事情があるんだよ」
谷尋は笑い、「どういう事情……」
「わかんない……とりあえず、明日……」
僕はパッケージを玄関に置いて春夏に声をかけつつドアを締め、ついていく。
「何かあったら言えよ」
ありがとう、そうする、と僕はとりあえず返すことにした。
「寒川谷尋は、集の友達?」
天王洲アイル駅の近くの橋。その歩道で前を歩くいのりが訊ねてくる。
「なんじゃないかな、たぶん……」
僕はふと、彼の行動を思い出す。続けざまに葬儀社に関して聞いてくるクラスメイトからいのりを守った谷尋の行動を。
「あいつえらいんだ。自分以外の人をちゃんとみて、思いやれて。僕とは大違いだ……」
また自分の話をしてる。僕は話題を変えようとした。
「いのりは、友達はいないの」
「友達は……この子……」
そう言って、抱えているふゅーねるを見つめる。ふゅーねるは楽しそうにしていた。
ホテルの近くのウッドデッキで、涯は待っていた。彼は四分儀に電話をかけていた。
「ああ、今終わった。OAUも乗り気だ。後で詳しく報告する」
通話を完了させると、ウッドデッキの階段からやってきた僕らを見下ろしていた。
「ご苦労だったな」
僕はいや、とだけ言って、「それより、すごい格好だね……とても指名手配犯には見えないよ」
そんな彼の姿は燕尾服。そのスタイルの良さも相まって、モデルや俳優でも通せそうな勢いだ。
「銃を持って走り回るだけでは世の中は変わらないからな」
ツグミ、集とツグミの尾行は、と近くにいたツグミに訊ねる。オールクリアでーす、と彼女は答える。なるほど、僕らが監視されているか確認したのか。そして、ふゅーねるはツグミのところへ向かっていく。はいおつかれさん、と彼女は語りかけていた。
僕は涯に訊ねる。
「それよりなんのつもり……いのりを学校や僕のうちに……」
涯は微笑む。「お前はほっとけないからな」
僕は首を傾げるが、涯は続ける。
「お前のおかげで、俺たちは特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》を殲滅することに成功した。GHQもやがてこの国から手を引くことになる。だから忠告だ。捜査の手がお前に近づきつつある。捕まりたくなければ、王の能力を使ってでも内通者を探し出せ。重大な協力者を、俺たちもみすみす失いたくないんでな……」
僕は外なる王の能力が宿ったままの右手を握りしめる。
「それが本当だとしても、僕には逃げる資格はない……」
涯は鼻で笑い、「そう言うと思ったさ」
僕が驚いているとこちらが本題だ、と涯は告げる。
「……当初王の能力が反体制側に回れば放棄されることを想定していたGHQ側の計画に、繰り上がりが行われたことが確認された。俺たちが抑止力になったからこそ、敵は脅威に対抗することを選んだようだ」
「その計画って……」
「世界をひとつにする、という計画だ」
夢の記憶が訪れる。
『ね、だから今度こそ、あなたが世界を繋ぐ王になるの』
僕は平静を装おうと伝説的なゲームのあらすじから返す。
「愛国者達《Patriots》が完成する前に阻止しろ……とでも言いたいの……」
「あながち間違いでもないさ。だがそれは、完全な単一の存在、王が世界を統べると言う点だけは異なるがな」
王が世界を統べる……と僕はおうむがえししている。
夢が現実に追い付きつつある。どういうことだ。
できるの、そんなこと。僕はどうにか訊ねていた。
「可能だ。実際に以前その儀式は一度行われかけ、失敗した。十年前に」
僕は目を見開いていた。「……聖夜喪失《ロスト・クリスマス》」
そうだ、と涯は首肯し、「それを再びGHQは実行しようとしている」
涯は続ける。そもそもあれはアポカリプスウイルスのパンデミックなんかじゃなかったんだよ、集。と。
「あのとき、儀式は変質した。日本全土を巻き込んだ生贄によって完全無欠なる王《Lord_of_Perfection》を鋳造し、その原本《マスタ》となる王を生贄に人間の脳を書き換える。そういう儀式になっていたんだ」
青髪の少女は夢の中でこう言った。
『あなたの橋は、白金なんかじゃない。血と肉で編まれた、生贄の橋よ』
そして、ふとあの谷尋が手渡してきたパッケージが脳裏に移る。ミッドサマー。
涯は皮肉げに笑い、「再びあの悲劇を生み出すわけにもいかないし、あげく優生学に溺れた独裁者をつくるわけにもいかない」
僕は俯く。「そんな与太話のために……君は戦ってきたの……」
「与太話だったら、お前の王の能力は、お前の作ってきたコードやエンドレイヴはなんだ」
僕は顔を上げる。涯は余裕の表情で笑う。
「この事実は、お前の父親、桜満玄周から与えられたものだ」
僕は訊ねていた。「どうやって……」
「玄周に近いところにいたからだ」
ますますわからないことが増えた。そこで、涯は決定的な一言をかけてくる。
「わからないのは、お前が十年前の記憶を失っているからだ。いのりと同様に」
僕はいのりに振り向く。そして、いのりも驚いて僕を見ている。
君もなのか。
そして、僕は気付き、呟いていた。
「夢にいた彼女が、もしもいのりと同じ人なら……いやまて、だとしたらいのりは僕と同い年なわけがない……」
「気づいたか……だが、それじゃ甘いな……」
そういう涯は、どうする集、とのせるように訊ねてくる。
「要求はこうだ。一緒に来い……現在資金調達が進み、GHQと戦える葬儀社の一員となり、捜査の手から逃れながら、そして王の能力を使ってでも、GHQの聖夜喪失《ロストクリスマス》……第二次聖夜喪失《セカンドロスト》を、共に阻止しろ」
僕が戸惑っていると、さらに涯は言葉を投げかけてくる。
「両親の理論を体現し、平和を求める道化師のお前は、俺を断れないはずだ」
僕は今度は拳を握りしめながら、答える。
「そう、断れない」
けれど、と僕はおもむろに言って、
「それは王の能力を封印するのを後回しにして、場合によっては武器にしろという要求だ……」
僕は、と言ってから何も言えない僕に、涯は訊ねてくる。
「力があるのに何もしない、そんな昔のお前に戻るのか……」
それは、と僕は言うが続かない。涯は静かにこう言った。
「いま決められないなら、俺を信じろ」
僕は顔を上げ、涯を見つめる。涯は続ける。「力を使い始めた今のお前にはまだ見えないものを……お前といのりの失った記憶を、見せてやる」
いのりを見つめる。彼女は僕をじっと見つめてきている。
そして、夢の出来事を反芻する。僕は彼を見上げた。
「わかった。僕も……いっしょにいくよ」
涯は頷いた。
「集、二時間だけ時間をくれ、六本木に戻るぞ」
僕は首を傾げる。「何をしに……」
涯は笑みを浮かべ、「お前の元職場のクライアントに会いにいくぞ」
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僕が動かした大きな人形で、研究者達が子供のようにはしゃいでいる。
「ついにやったぞ!ここまで動けば絶対に勝てる!」
「道化師《clown》の技術からここまで発展させたのは我々だけです!」
「新世紀の兵器の誕生だ!」
僕は息を切らしていた。ようやくだ。ようやく終わった。
自分の細くて短い腕に、未発達の鎖骨周辺に繋がっているケーブル達を見つめる。研究者が下手くそでうまく観測ができないために、大量に取り付けられた侵襲型センサー群。あの人形を動かすのとは無関係な、けれど仮説と検証の名の下に取り付けられた道具達。そして、背中にはさらに重たい繋がり、あるいは束縛がある。延髄に大量に差し込まれたセンサー達。自分で見ることができないからこそ、そこが熱くなるたびに血が、肉が吹き出しているんじゃないかと疑い続けていた。
そして、研究者達が僕の元に向かってくる。
「やりましたね、ダリル君!君の成果で、お父上はGHQのトップになります!あなたも認めてくれますよ!」
僕はその言葉に、ようやく笑うことができた気がした。これでパパが助けに来てくれる。これでパパの家で生きることができる。
そのとき、ふと遠くに立つローワンが目に映る。
彼は誰もが笑顔のその中で俯き、拳を握りしめていた。
どうしてそんな顔をするんだ。
目を開いた時は、既に夜だった。見知らぬ天井。僕はふとケーブルがついていないか鎖骨あたりを触る。何もついていない。わずかな傷痕の盛り上がりだけが残っている。僕はそれでほっとした。夢だったんだ。しかし、寒さを感じて鎖骨のあたりをもう一度触る。そして違和感に気づいて起き上がる。そしてベッドの下も含めて探す。部屋には本当に何もない。自分の服も含めて。体に申し訳程度にかけられていたタオルケットを腰に巻いて、僕は周囲を見渡す。そして思い出していく。
最後に突然全ての通信が途絶えたことを。そして敵のエンドレイヴに自分のいるトラックを横転させられ、意識が消えていく瞬間を。
さらに周囲を見渡した。古い。どう考えてもGHQの設備ではなかった。ということは……
そのとき、急にドアが開かれる。僕は身構えようとするが、運悪くタオルケットが僕の体からずり落ちていく。僕は慌てて手で抑えようとしたが……間に合わなかった。
目の前にいたのは、車椅子に乗った長髪の女子高生《ハイスクールガール》だった。しかしその上着の赤いラインには特徴があった。葬儀社の一員。彼女はまじまじと見つめたかと思えば驚き、叫ぶ。そして車椅子で突っ込んできて、僕が慌てているときに頬を引っ叩かれ、さらになぎ倒されていた。デジャヴだ。何故かそう感じながら、意識が再び遠のいていった。
再び目が覚めると、僕は別の部屋で最低限の服装……病人が着せられるような患者衣をつけられ、さらに手足を椅子に縛られていた。そして再び周囲を見渡す。バーカウンターだけが残された空間。そこでラップトップコンピュータをいじっている猫耳《キャットイヤー》を模した何かをつけた少女がいた。さきほどの女子高生《ハイスクールガール》に似た服装をしている。
「おっ、綾ねえの二度のノックアウトからやっと目覚めたねー」
自分の頬と背中が痛んだ。僕は彼女に訊ねた。
「ここは……」
「葬儀社」
僕は少女を睨み付ける。「なんでこんなところにちんちくりんが……」
それだけじゃない。さっきの女子高生《ハイスクールガール》もだ。テロリストを名乗るには年齢があまりに若すぎやしないか。おほほ、と少女は笑い、
「あんたに銀の弾丸《Silver Bullet》を撃ち込んだのは私なのよ、そんな口、聞いていいの……」
僕は絶句した。「あの通信途絶を、おまえが……」
少女はにやりと笑い、「もやし子なあんたが、あんなエンドレイヴ操ってるのに今更どしたの……」
頭に血が上っていく。
「モヤシ……僕はスプラウトと言われたのか、今。僕はダリル、皆殺しのダリルだぞ……」
「そーよ、傷まみれのもやし子」
血の気が一瞬で引いた。僕は答えられなかった。その様子を見て、ああ、と少女は言って、
「その話は今から来るオタクからしようかね……」
その時、一人の男が現れ、そしてラップトップを持って少女は出ていく。葬儀社の赤色のモチーフの入った上着を着たその男は……
「桜満、集……」
職場に来ていたはずのインターンだった。彼は苦笑いした。
「やあ、ダリル……名前、覚えてくれてたんだ……」
僕は即座に訊ねていた。「お前、葬儀社だったのか」
集は首を振る。彼の表情は硬い。「……事情が変わってね、成り行きだよ」
その時、嘘界の言っていた言葉を思い出す。
『でも、もしもこの状況で道化師《clown》がそこに現れたとしたら。もしも、予想外のことが起きたとしたら』
作戦の中で起きた様々な不可思議な事象を思い出す。偽物のヴォイドゲノムだったことに気づいたかのように、ヴォイドゲノムが使用されたような反応が三つ出現したこと。敵のエンドレイヴが僕の居場所を正確に掴んだこと。
そして、ひとつの結論に達した。
「まさか、お前が……道化師《clown》だったのか」
集は、沈黙のあとに答えた。「そうだよ」
僕は舌打ちしていた。「今までの隠れっぷりはどうした、どうして僕の前に立っている……このことを僕が話したらお前は……」
「君が話すことはない……と、思う……」
僕はおもむろに訊く。「僕はここで死ぬからか……」
同い年のそいつは黙っている。だから僕は鼻で笑う。「葬儀社が生き残ってるってことは、特殊毒液災害対策局《アンチボディズ》は全滅したんだろ。じゃあもうどうしようもない。殺せよ、いますぐ……こんな不潔なところじゃ、僕はもう価値がない……」
その時、道化師はこう言った。
「そんなかんたんに、殺せなんて言わないでよ……」
僕は顔を上げた。集は僕のことをじっと見つめていた。
「君の命があるのは、奇跡なんだ」
僕は顔を背ける。その話は聞きたくなかった。しかし道化師《clown》……集は続ける。
「セフィラゲノミクスにいた時から疑問だった。君のエンドレイヴのチューニングがあまりにもうまくいかない。それはエンドレイヴの操作技術、他のパイロットと比較しても練度が高すぎたからだ。君の年齢、エンドレイヴが正式に配備されてからの年数で考えて、どう考えても君はエンドレイヴに関わり過ぎていた……前聞いた時、君には突っぱねられたけど」
そうだ、こいつの探りの入れ方は、徹底的な探究心そのものだった。それこそが僕を追い込んでいく。
「さっきここの医療スタッフの人からカルテをもらって読んだんだ。大量の体の傷跡。血液検査の結果もおかしい。アポカリプスウイルス症候群、要治療《ステージ2》、しかも通常ではあり得ない症状の現れ方……人工的な手法によって発生している。治療の方法はない。君が潔癖症な理由も、自己防衛のため。その体が後天的に病弱になってしまっているからだ。そこからさらに傷跡の位置をもう一度見て、それで納得した。君が潔癖を目指すのは病気のためだけじゃない。君の体自体が信じられないほど高い価値を持っている……君は最初期の心理計測応用技術《ヴォイドアプリケーションテクノロジー》、エンドレイヴの人体実験、その被験者だったんだね」
集は続けた。その研究結果は、遺伝子工学企業でしかなかったセフィラゲノミクスを巨大軍事企業へと進化させた。そしてそれを実戦投入して世界の軍事の常識を覆したヤン少将は、その功績でGHQのトップへとたどり着いた、と。
もう何も隠せないことを、僕は理解した。そして顔をあげる。「同情してくれるの、今更……」
集は顔を俯ける。「そんな資格、僕にはないよ」
「じゃあどうするってんだ。このことを世間に知らしめるのか。僕はあんたらのために同情を買われるために、病院の檻のなかで生きろっていうのか!」
そこで、突如としてもう一人の男がやってくる。金髪の男。そして言葉を挟んでくる。「同情なんて生温い。お前に人体実験してきた相手に復讐をする。それだけの資格が、お前にはあるんだ」
出し抜けに現れた男に僕は首を傾げる。
「……今更誰に復讐するっていうのさ。GHQに?それとも道化師《clown》に?」
「それはお前が選べ。だが俺たちの交渉の相手はGHQの母体、連合国だ」
突如として自らの出自に至り、僕は困惑した。金髪の同族のような男は続ける。
「当初GHQは連合国の下位の組織だった。そのときのセフィラゲノミクスの管轄は、GHQというよりは連合国。連合国こそが、最初期の人体実験を主導していた。だがGHQはヤン少将の主導とバブルの中で拡大していき、やがて巨大になりすぎた。そして今、暴走しかかっている」
金髪の男はやがてこういった。「お前に力を与える」
驚いている僕に間髪入れることなく続ける。
「お前はまずGHQに送り返す。そこでは連合国の上官がお前につく。そこで自由に生きていい。俺たちはお前の秘密を使う。さらにGHQのこれからの暴走を止めることを条件に、連合国の持つ衛星群体兵器機構《サテライト・ウェポン・コンステレーション》、ルーカサイトの一部権限をこちらが持つ」
「ルーカサイトを……葬儀社が……」
混乱する中で金髪の男は続けた。
「連合国はもはやGHQを三つの衛星兵器で構成されたそれを使っても止めることはできない。その炎を真に放たなければならない場所は、世界の経済の要、この東京だからだ」
僕はなんとか歯向かう。
「テロリストにそんな兵器持たせるわけないだろ……」
「いいや、そうでもない。そもそも俺たちが動けていたのは、連合国のおかげさ」
僕は驚いていた。連合国が葬儀社を使っている?
「あくまで俺たちが成し遂げたことは、GHQの暴走を止めたことだけであって、他の組織から見てもそれらは利益のあることだった。だから俺たちのところには、すでにOAUもなびいていて資金を横流ししてきている……わかるか。みんなGHQを潰したいんだ」
「そんな……」
「だからお前が選べ。GHQに入り、その目で真実を見届け、どうするか決めろ。俺たちにとってもエンドレイヴの脅威は排除したいが、それはお前が選ぶべきだ。皆殺しのダリル……」
僕は舌打ちした。金髪の男は立ち去っていった。そこで残ったままの集に、僕は訊ねた。
「お前……セフィラゲノミクスでのキャリアを蹴っ飛ばして、なんでこんなテロリストとつるんでるんだよ」
「そうだよね……でも、僕はキャリアなんて興味はなかったんだ……」
そう言われた時、とても驚いた。あんなにセフィラゲノミクスで自分にしかできない仕事をこなしていて。さらに、僕には信じられない一言を放ちながら、集は去っていった。
「約束を果たすためなんだ。好きの意味をちゃんと教えるっていう……」
茫然としたまま、僕は一人取り残された。
そして、選ぶことのできないまま、僕はGHQに引き渡されたのだった。