Guilty Crown Bonding the Voids   作:倉部改作

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third

### 11

 

 次の日。僕は朝に登校したと同時にクラス委員長の花音さんを呼び出し、ふたりになったところで平謝りを展開した。周囲には取り巻きが見つめてくる。結局祭も颯太も見ている。どうして。

 口をへの字で結び、腕を組み、顔を背ける彼女は訊ねてくる。

「なんで昨日は逃げたの……」

 仕事だったはもう使えない。「怖かったからです……ごめんなさい……」

「なんであんなことしたの……」

 彼女は供奉院さんと違って取引が存在しない。それと涯からは記憶は失われないことを聞いてしまった。「勢いよく飛び出したときにぶつかった拍子で……本当に偶然だったんです……ごめんなさい……」

 答えるたびにごめんなさいと深々と頭を下げる挙動を添える僕に、ついに彼女は笑う。「もういいよ、ごめんね、私もこんなきつく言って……つらかったの、あなたもだもんね……」

 ありがとうございます、と僕は答えながら、委員長の顔色を伺いながら、顔をゆっくりと上げる。そんな様子に彼女はまた笑いながら、「変わったね、桜満君……」

 僕は首を傾げる。委員長は答える。

「前まで谷尋みたいに口開けたら仕事ってしか言ってなかったじゃない。インターン突然やめたりさ、普通に授業にも参加してさ。いのりちゃんが来てからじゃない……」

「そうかも……」

「今日は仲悪そうだけど……大丈夫……」

 僕はふと委員長から言われて答えに窮する。「君にあんなことしちゃったから……」

 でしょうね、と彼女は笑い、

「ちゃんと話し合わなきゃ伝わらないでしょ、私に謝れたんだから同じことちゃんとしなきゃ……」

 仰る通り。そう言いながら糸口が見つからない。作り置きしておいたご飯はちゃんと食べてくれていたし、今日のぶんのお弁当もちゃんと持っていってくれてはいたけれど、彼女は口も聞かずに家を出てしまっていた。委員長は俯く僕の顔を覗き込む。

「帰り道同じなら、ちゃんとそこで話したら……」

 それもそうだ、僕はそこでようやく肯くことができた。

「そういえば委員長、いのり、傘持ってきてないよね……今日の午後、雨降るのに……」

 委員長は興奮気味に笑う。

「仰る通りよ……彼女は持ってきてなかった……それにしても大胆だね桜満君……」

 そう言われて僕も恥ずかしくなった。傘を二本、ちゃんと持ってきとけばよかった。 

 

### insert inori 1

 

 相変わらず、私は集を置いて帰ってしまう。なんだか彼とは話したくないままだ。

 あの子が他の人にしてほしくないことを、してしまったから。

 でもいつも私の体は、葬儀社ではなく集の家へと自然と向いてしまっていた。

 どうしてなんだろう。答えは見つからない。

 そんな道半ばで、ぽつりと冷たい粒が鼻先に落ちてきた。空を見上げれば、その粒はたくさん落ちてきている。雨だ。どんどん粒は大きく、早く、たくさん増えていく。

 困ってしまう。傘なんか持ってなかった。走って帰るしかないんだろうか。

 その時、急いでこっちにやってくる足音が聞こえた。そしていのり、と呼ばれる。振り返ればそこには、自分を濡らしながらビニール傘の中に入れてくれる、あの男の子がいた。

「今日は雨の予報だったんだ。一緒に帰ろう……」

 私は頷き、そして一緒の傘の中で歩いて行く。

 彼はいつも、私の背中を追いかけてくる。少し犬っぽい彼はどんなことがあっても追いつくたびに、私に何かをしてくれた。

 傘を差し出してくれる。ごはんをつくってくれる。そして、エンドレイヴから私を守ってくれる。

 私はまだよくわからずにいる。どうして彼はそうまでして私に優しくしてくれるんだろう。

『それが、好きって意味だよ』

 そんなことを言いながら、置いていったくせに。

 そんな集は話しかけてくる。

「涯からの命令で、颯太を連れてお盆に大島に行くことになった。映研の合宿ってことにして行くことにしようと思う」

 誘われたことはわかった。涯を楯に取って。彼は続ける。

「いのり、どうする……」

「涯の命令なら……」

 気づけば私はそうやって素っ気なく返してしまっていた。

 気持ちが曇らせながら思う。なんで私はこんなふうに言ってしまうんだろう。今までみんなと話す時、こんなことなかったのに。集と話していると、なんだか自分の気持ちがぐちゃぐちゃになっていく気がした。

 空から轟音が聞こえた。ビニール傘越しに見上げると、真っ暗になっていた。

 私の気持ちみたいに膨らんでぐちゃぐちゃになった雲から、大量の粒が吹き出した。そのときになってようやく、体に冷たさを感じた。

 寒さは土煙を上げてこの街に落ちてきた。ごうごうと音を立て。

 気づけば、私の手に傘を持たされていて、もう片方の手は引かれて走り出していた。集だ。彼が傘を私にくれて、手を握って、橋の下のトンネルへと連れていってくれる。

 繋いだその手を見つめ、そして彼の背中を見つめる。

 いつもと逆だ。そんな気がした。

 そうしてトンネルの中にたどり着いて、私はまた空を見上げた。空からため込んでいたものが、溢れている。

 それは私の気持ちもいっしょだった。彼はずっと、手を繋いでくれていたから。はじめてだった。少し大きな手。コンピュータばかり触ってるからか、冷たくて、けれど気持ちいい温度。集は話しかけてくれる。

「少しここで待とう。予報じゃこういうのはすぐ落ち着くって……」

 トンネルの中で傘を指したまま、私は肯く。こういう気持ちは落ち着くんだろうか。

 気持ちが堂々巡りしているとき、彼は言った。

「その……昨日はごめん。いのりに言われたのに、結局飛び出して、あんなことになって……」

 私の気持ちは止まる。彼は言葉を重ねた。

「結局作戦で他の人のヴォイドは使わなきゃいけない。君のお願いには答えられない……ごめん……」

 また、さっきのぐちゃぐちゃな気持ちが戻ってくる。どうして。どうしてこんな気持ちになってしまうんだろう。

 そんなとき、彼からおもむろにあくびが漏れた。

 気づけば私は嫌な気持ちで彼の手を握り締めていた。

 集はごめん、という。でもそんな謝罪に私は心が落ち着きそうもなかった。黙りっぱなしな私に、集はおもむろに言った。

「その……作戦のためって言ってるけどさ。本当はこの力を使うのは、とても怖いんだ。誰かを傷つけそうで、不安になるんだ」

 私は彼を見上げていた。

 ふと思い出す。行かなきゃ。どこか。王の能力を、封印するために。自分が否定してきた力を使ってしまったことを、償うために。そんなことをいう、寂しそうな彼を。

「僕が臆病だからなんだろうけどさ。結局君と会った時から、その辺何も変わってないね……いつになったら僕は君からの臆病って評価を覆せるんだろう……」

 違う。私が言った臆病って、そんなことじゃない。

 私はそう心の中で言っていた。

 誇っていいはずなのに。いろんなものを作れて、エンドレイヴを倒せるくらいの力があって、それで自分のいいように人を操れたとしても、絶対そんなことしない、傷つけたくない。そんな優しさがあることを、誇っていいはずなのに。

 何もいうことのできない私をみて、そんな優しい彼は空を見つめて呆れ気味にこう言った。

「まるでこれじゃ道化師だ、君の専属でございます……」

 いまのが冗談なのが、許せなかった。

 当たり前の言葉が欲しかった。集が自分を認めてあげる、誰にだってあるべき、当たり前の言葉が。

 私は顔をあげた。そのとき雷が落ちた。

 記憶が去来する。

 金髪の男の子から、致命的な言葉をかけられたことを。

「そんなことしても、集もうれしくないと思う……」

 私は俯く。寒さがたくさんやってきたみたいだった。

 私は人が結晶になって壊れていく様子を思い出す。

 それは確か、聖夜喪失《ロストクリスマス》と呼ばれていた。

 思い出せないけど、わかる。あの時、私は知った。私が長い時間かけてやってきたことが全部無意味なことだったんだと。やってはいけなかったことだったんだと。

 みんなに取り返しのつかないことをしてしまった。人間の一生の何十回分。ひとりだけで、手を繋ぐ相手もいなくて寒いからって、みんなを巻き込んでしまって。私は……

 そのとき、集は手を握ってくれた。我に返る。私は顔を上げた。

「大丈夫だよ……」

 そんなことを言いながら、彼は優しく笑いかけてくれる。

 でも、そんな集でもいつか言っていた。

『そんなことしたら、これからおねえちゃんにも、僕にも、誰かのせいで怖いことが起きる、だから止めなきゃダメなんだって……トリトンもこんな……なんで……』

 嫌だった。私は、どうすればよかったんだろう。

 しばらくそうして互いに手を繋ぎ続ける。そして遠くの空を見つめる。多くの人の日常を、時を奪い続ける雨を。

 まるで、人から無駄な時間を奪い続けた、私の罪のような雨を。

 やがて、雨の勢いは弱まっていく。

「落ち着いたみたいだね……」

 そう言いながら集は私の手を離してしまう。私は手を伸ばしていた。彼はトンネルの外に出て、どれだけ濡れるかみせてくれている。そして振り返ってくる。

「もう大丈夫だよ、いのり。帰ろう……」

 そう集が言った時、私は飛び出していた。

 ありがとう。さよなら。

 彼がそう言いながら、どこかにいってしまうのを、再現するみたいに。

 なんであのとき、君は手を離したんだろう。なんで、あのとき、君は悲しそうだったんだろう。

 涯の言葉を思い出す。

『償うために、お前は歌うんだ。自分が壊した世界へと』

 そう、私はいま、そのために生きている。

 でも、あの時なにがあったんだろう。なんで、私は君を困らせたんだろう。

 空が落ち着いても、私の気持ちは止められないままだった。

 

### 12

 

 いのりがいて、彼女がとても不機嫌なこと以外は特にこれといった変化もなく。夏休みは去年のように訪れた。去年とのもうひとつの違いは、セフィラゲノミクスで缶詰になるような日々ではなく、なんと大島で羽を伸ばすことになったことだった。

 出発前、寂しい、私もついていくと抱きしめられた春夏からはこう言われた。

「じゃあ、お父さんに、会ってらっしゃい……」

 フェリーから出ると、久々のほとんど変わらない風景に驚いた。海、観光地の町、そして緑。盆になるとたまに来ていたとはいえ、久々だった。

 颯太はいつになく機嫌がよかった。

「ついたついた!」

 祭も嬉しそうに空を見上げる。

「いいお天気、晴れてよかったね」

 颯太が僕に訊ねてくる。

「これから行くところ、集の親戚の別荘なんだって?」

「あ、ああ。子供の頃、こっちに住んでいたから……」

 もう覚えてもないことを僕は答える。

「いやーたすかったぜー」

 そう言いながら颯太は僕の背中をばんと叩く。よろけた僕はとりあえず愛想笑いを浮かべる。

 涯から夜食を食べながら言われていたことを思い出す。

「集、夏休み、盆の頃だ。魂館颯太を大島まで連れてこい。そこにあるGHQの施設に潜入する。王の継承に関わるものを奪取しにいく」

 僕がカップラーメンをすすっていると涯は続けた。

「セキュリティを突破するのに、そいつの力がいる」

 涯はゼリー系食料を嗜んでいる。

 よりによって……そうぼやいていると涯は、

「旅行に誘うだけのことだ。難しくはあるまい……」

 僕はむすっとしながら答えた。「できるよ」

 結構。そう涯は言って笑う。「友達は大切にしろ……」

 涯のやつ。人の気も知らずに。

 たどり着いた屋敷は正直信じられない場所だった。旅館と言われてもおかしくないくらい整っている。

 颯太は感動している。「うわーすげー、立派だなあ」

 花音は訊ねてくる。「桜満君の親戚、何をしてる人なの……」

 僕は愛想笑いしながらいのりに訊ねる。「どうしたの、このお屋敷……」

「供奉院グループが手配したって、涯が……」

 颯太は持ってきた荷物の中身を漁っている。

「また二人仲良くして……家だけにしてよ……」

 図星を刺されて僕は困惑する。

「なにいってんの、いきなり……」

「だって、ふたり一緒に住んでるんでしょ……」

 祭は驚き、なに、どういうこと、と花音も訊ねてくる。颯太はおどけていう。

「俺見ちゃったんだよねー、ふたりの弁当が似た感じなの……それもほぼ毎日……ちょっと聞いてみましょう……」

 そう言ってまさぐっていた機材をマイクみたいに僕に向けてくる。

「二人の馴れ初めは?」

「やめてよ、いのりとはなんもないよ。乱暴なお兄さんがいて、その人が僕の知り合いで……」

 颯太は肩をすくめる。

「はいはい、言い訳はいいでーす。幸せな人は放っておいて、もう今から海行こうぜ、海ー!」

 花音は止めてくれる。「ちょっと、片付けとかは……」

「そんなのあとあと、せっかくのリゾートだぜ、今をめいいっぱい遊ばなきゃ!」

 そう言って彼は駆け出して行く。

 花音が呼んでも、もう彼は止まることはなかった。

 

 やむなしで僕らも着替えて海に向かうことになった。そして颯太は「海だー!」と叫びながら一目散に海へ飛び込む。

「みんなー、早くこいよー!」

 委員長はため息をつく。

「谷尋がいないからって、全く……強引なんだから……」

 祭も苦笑いしている。

「颯太君らしいよ……」

 僕は急遽用意したビーチパラソルを広げて浜辺に刺し、レジャーシートを広げる。やれやれ。

 僕は颯太が苦手だ。強引でデリカシーがなくて空気読まなくて。仕事人間の谷尋がいないからさらにやりたい放題だ。ミッションがなければ、一緒に旅行なんて……そう、そもそも仕事まみれで旅行なんて……

 そう思いながら遠くの景色を見ようとした時、遠くでいのりが歩いているのが目に映った。

 あのときからずっと彼女との関係は凍えているというか、同居して料理して一緒に食べてというだけの関係だ。そして何に興味を持ってるのかあまりわからない。

 そんな浜辺《ビーチ》の彼女のよく似合う水着姿に、僕は目を奪われていた。自らの髪の毛と合わせるような上下桜色の水着。スタイルもすごい。あの金魚のような服も強烈だったけど。こちらはまた別の……そう、こんな彼女をみることのできる、旅行なんて……

「ねえ、集!」

 そう呼びかけられて祭だ、と声で気付き振り向く。

「私たちも泳ごうよ……」

 なんて水着着ているの祭……全力投球のスタイルのいいビキニ姿の祭にどぎまぎしていると、彼女は僕の手をとって海へと向かって行く。そのとき僕の腕は暖かさを感じる。そして大きく、柔らかい。

「祭、ちょっと、待ってって……」

 

 ビーチで泳ぎ、ビーチバレーをしながら、僕らはミッションの時を待つ。

 そして夕方、疲れ果てて座り込む。その時、祭もとなり、いい、と訊ねてきて、僕の横に座る。そしてこう言ってきた。

「なんだか久しぶりだね、いっしょに遊ぶの……」

 僕は笑う。

「そうだね。僕、気付いたら家と研究室に引きこもっていたし……」

 祭はふとこう言った。

「集は、強いから……」

 僕は首を横に振った。「強くないよ。結局、僕はいまどこにもいるし、そしてどこにも、いない……」

「そうね。集、変わったよね……」

 僕は驚いて祭を見つめる。彼女は体育座りして、海をじっとみている。

「覚えてる……わたしとはじめて病院で会った時、あなたがずっと何かに怯えていたの……」

「恥ずかしいな……君に何度も手を握ってもらったっけ……」

 彼女は笑う。「そう。この手は悪いことをした手。悪い人の手。あなたは傷ついた手を見て、何度もそう言っていた。だから、あの人のためにいいことをしなきゃ。そう言って、あなたはヴォイドのことをはじめた」

「あの人……」

 彼女は笑う。「覚えてない?集、はじめはずっとそういうこと言ってたんだよ。だからワクチン、つくったんでしょ……」

 僕は首を横に振る。でも少し納得がいった。自分の右手を見つめながら呟く。

「そういう意味じゃ、今はよっぽど悪い人の手だ……」

「違うよ、集。あなたは変わろうとしている。あなたは誰かのために何かをつくるその手に、怯えなくなったでしょ……」

 僕はその手をみつめる。ワクチンの原型を生み出し、エンドレイヴの原型を生み出し、王の能力の宿るこの手。そしていのりを、葬儀社を、春夏を、供奉院の客船の人たちを守り抜いたこの手。

「そう、かもしれない……」

 祭はおもむろに訊ねてくる。

「集、やさしいおうさまって本、読んだことある……」

 いや、と答えると、彼女は教えてくれる。

「その王様は、とても優しくてね、みんなにお金をあげたり、土地を譲ったりしていたら……とうとう、国がなくなってしまったの。王様は、みんなに怒られちゃうの……」

「……国家が消えてしまったんだ。王様は、武器を失う。誰かを守れる力も、なくなる。みんなが怒るのも、わかるよ」

 そうね、彼女はそう言いながら、こう言った。

「でも私は、そんな王様のことがずっと忘れられない……」

 僕は彼女に振り向く。彼女は僕を見つめ、微笑んでいる。

「集はその王様に似ているの。優しくて、損しちゃうところが……」

 僕は茫然としていた。「僕は、損なんかしちゃいない。誰かに、君に、もらいっぱなしじゃないのかな……」

「そう思えるから、あなたは優しいの……」

 その時祭はこう言った。

「私ね、集はきっと、いい王様になると思うな……」

 僕は驚く。どういうことだ。彼女は僕のことを、知っていると言うのか。彼女は微笑む。

「だから、あなたが、虚無を繋いで世界を繋ぐ橋をつくるの……全ての人に、武力という希望を与える……」

 僕は混乱する。何度も首を振る。

「わからないよ……全ての人に力を与えることが、希望になるだなんて。世界の全てが銃を突きつけあう地獄なんかいやだ。僕は、そんなことできない」

 彼女は決定的な言葉を突きつけてくる。とても優しく。

「王の能力に似せて造られたあのワクチンの技術も、エンドレイヴの技術も……世界に渡したのは、あなた自身よ……」

 僕は立ち上がる。

「……父さんのところに、行ってくる」

 僕はそう言って、その場を後にした。

 

### insert ayase 2

 

 ここでは別段シュタイナーを使うこともない。けれどもしものために、ツグミのオートインセクトをばらまくために私は大島に来ていた。そこで想定外が起きていた。ツグミの趣味で、私は信じられない格好をさせられていた。真っ白な、お嬢様のようなワンピース。自分では絶対にしない選択《チョイス》の。しかも好意で車椅子を押されている以上、逃げ場はない。その時、被っていた帽子が飛んでいってしまう。

 その時、何かの撮影をしていた男の子が、その帽子をキャッチしてくれた。

「あのー、これ」

 そうして差し出され、私は口数少なく、ありがとうと伝える。そして顔を帽子で隠す。

 ごきげんよう、と言って、ツグミが車椅子を押して行くのに任せる。

 まずかった。完全にセリフ選びもお嬢様にされてしまっている。この服装のせいだ。ツグミのせいだ。

「ツグミ、なにそのふざけた格好は……」

 古風なメイドの格好をしているツグミはおどけていう。

「綾瀬お嬢様も、とってもお似合いですわよ……」

 おほほほほほ、と笑うツグミに私は為すすべなく恥ずかしがり続ける他なかった。

 

### 13

 

 祭から逃げるように、僕はその場所に向かう。

 彼女は僕が王になることを知っていたのか。そんなわけがない。あれは僕が夢の中でみた光景だ。誰にもまだ話してはいない。

 僕は彼女の言葉を反芻する。

『王の能力に似せて造られたあの薬剤の技術も、エンドレイヴの技術も……世界に渡したのは、あなた自身よ……』

 僕は怖くなってきた。彼女は僕が道化師だったことを、見抜いていたというのか。けれど、敵意も、悪意も感じない。ずっと優しい祭のままだ。

 気づけば、目的地にたどり着いていた。そこは墓場だった。日本では珍しい十字架の墓場には、桜満玄周と掘られるかわりに、こう掘られていた。「Naked Shepherd」。これがお墓だと、春夏からも言われていた。

「覚えがあると思った。ここだ……父さんも、シェパード……そして、僕も……いや、違う。僕は、王じゃない……」

 そして周囲を見渡す。「相変わらずだ。なんで夏なのに、オオアマナが咲いているんだ……ここは、無縁墓地《ポッターズフィールド》だったとでもいうのか……」

 白い星の絨毯。それがあるために、墓には花は持ってくることはなかった。

「僕は一体、何者なんだ……」

 その時、墓には更なる来訪者がいた。

「シェパードの一族だよ、集」

 涯はそう言いながら、墓とオオアマナを見遣る。

「それが、桜満玄周博士の墓か……」

 頷きながらも、僕は訊ねていた。

「なんなんだ、シェパードって……」

「人間の意志という虚無を繋ぐ、血の繋がりを超えた存在。お前の父親はな、その後継にあたる」

「……そういえば、知り合い、って言ってたね」

「ああ、天王洲大がまだあった頃にな。アポカリプスウイルス研究の第一人者でもある。正真正銘の、お前の始祖《グル》だ……」

「そして春夏の先生でもあった……らしいけど……」

「春夏……」

「セフィラゲノミクス勤めの、戸籍上の母親。そして、僕の心理計測技術《ヴォイド・テクノロジー》の教師でもある……」

 そう言って僕は続ける。

「確かに春夏からはいろんなことを教わった。けど、父さんから教わったことは、いや、父さんのことは、何にも覚えてないんだ。十年前に、死んじゃったから……」

「聖夜喪失《ロストクリスマス》か……」

「僕は……怖いよ。もしも自分がシェパードの一族だったんだとしたら。あの災害に、僕が関わっているんじゃないかって。そうだとしたら、僕は……」

 思い出す。炎の中で、いのりに似た人が手を差し出してくるあの光景を。

 涯は何も答えることはなかった。そして、僕も何も思い出すことはできなかった。だから訊ねる。

「どうしてきたの。お墓参り……じゃないよね……」

 ああ、涯は頷き、僕を案内する。あれだ、と指差す。いくつもの鳥居が階段に沿って並んでいる。比較的古い。

「神社……」

「こいつでみてみろ」

 手渡された双眼鏡で僕は見つめる。そこには数本の赤い線が張られている。

「あれは……」

「表向きは、GHQ……の特別な施設だ。あそこに、求めるものがある」

「はじまりの石……」

「そうだ、今俺たちが、最も手に入れなくてはならないものだ。その作戦の鍵が、お前と、お前の出すヴォイド。わかっているな……」

 颯太がそれで選ばれた、と。わかっているよ、と僕は答える。

「ミッションの開始は22:00。それまでにあいつを指定のポイントまで連れてこい」

「簡単に言うよなあ……」

「実際簡単だろ。エサを使えばいい」

 心当たりが全くなく、エサ、と訊ねている。涯は見下ろしてくる。

「EGOISTのファンだと聞いているが?」

 考えが至った。

「いのりを使うの……そんなん嫌だよ……」

「なぜ嫌がる……お前の報告からの提案だ。奴はいのりを詮索してきている。相手の興味のあるものを使って引っ張る。初歩の初歩だ」

「そうだけどさ……颯太のは、ちょっと危ない感じなんだよ。いのりの裏を知ろうとしているような……」

 涯はため息をつく。「だからこそだ。騙そうとしているやつのほうが、よっぽど騙しやすい。亞里沙で助けを求めてくるお前でもできるだろ……」

 そう言いながら涯は立ち去って行く。

 ちょっと、待ってよ。そう言いながら僕は涯を追いかける。

 

### 14

 

 久々に来た大島で、前の実家ではなく供奉院グループの別荘でぼんやりする時間は、なんだか不思議な感覚だった。別の場所、別の国に来たような感覚。みんなに振る舞う料理もその片付けも済んでしまっているから、今はやることがない。そして、怖い考えが頭をめぐる。いのりに似た顔が浮かぶ。そうして結局自分のMacbookで自分の書いていたコードを睨んでいる。

 綾瀬のためのシュタイナーチューニング。その数回目のために、個別にプライベート環境で建てて自由に書いていいと言ったGitリポジトリサーバー。そのissueには綾瀬からの大量の注文がすでについていた。それぞれがかつてダリルに言われていたことばかりだ。技術的には確かに可能だが、面倒な調整が多すぎた。楽をしようとしてツールもつくっていたはずなのに、いったいどうしてこんなことになるんだろう。結局仕事量は変わっちゃいない。僕がため息をついていると、颯太がふと声をかけてくる。

「なあ、集」

 なに、と答えると、

「いのりちゃんとは、本当になにもないわけ……」

 彼女との出来事を思い出す。僕は奥歯を噛み締める。

 本当は何もあるに決まってるじゃないか。でもここは堪えて、あえて嘘をつくしかない。

「さっきもいったじゃない。本当になんでもない……」

「なんでもないなら……俺、行くから……」

 は?と僕が言っていると、

「いのりちゃん、俺、行くから……」

 えらく静かに、颯太はそう言った。風鈴が涼しげに鳴る。僕はその果ての結果が怖いままだった。だけどミッションだ。僕は体を起こして、彼の肩に手を当てる。

「今晩……行く……」

 あとはお風呂上がりのいのりにも声をかけ、作戦の準備を開始した。

 これで颯太の真実を暴くことができるだろう。

 だが、なんのために颯太はいのりを追いかけ続けていたんだろう。

 そして、なんでこんなに気持ちが焦るんだろう。

 

### insert daryl 5

 

 僕はレストランで二時間待ち続けていた。閉店の時間も近い。それでも、パパはくる気配がない。

 目の前の誕生日ケーキを睨みつけながら、待ち続ける。

 きっと忙しいんだ。あと少しすれば、パパは目の前に現れてくれる。

 そう思いながら、僕はスマートフォンのチャットアプリを見つめている。しかし、返事は返ってこない。

 何度も伺いを立てながら水をくみに現れた給仕が、再び僕に声をかけてくる。

「お客様」

 なんだよ、相応に言うと、失礼しますと、耳打ちする。

 それは、来ることはないと告げる、パパの伝言だった。

 僕はケーキに飾られたチョコのHappy Birthdayをみつめる。そして、火もついていないロウソクを眺める。それらの光が歪んでいった。

 その時、別の人間から連絡が入ってきた。茎道からだった。

 はい、と素っ気なく答えると、

「すぐに24区からオートインセクトで大島につなぎたまえ。仕事だ」

 そしてすぐ切れた。僕は、椅子を蹴り倒しながら再び二十四区に戻っていった。

 

### 15

 

 指定ポイントを颯太にも伝えた。地元だった人間である僕が人と話すスポットとして良いとされるのはここだと伝えれば、颯太はすぐ了承してくれた。颯太はいのりを連れて歩いている。

「ごめんね、いのりちゃん、急にさ……」

 星が綺麗だよね、東京じゃ滅多に……ってここも東京か、はは……そんなことを言っている颯太を確認した。

 問題ない。二人きりにしても、何も問題ない。僕はそう言い聞かせた。

 そして、颯太はみせたいものがあるんだ、とiPadを開きながら、ベンチに座る。いのりも座る。

「俺、EGOISTのPVに感動して、いてもたってもいられなくて……だから自分でもつくってみたんだ……」

 そう言いながら、彼はいのりへiPadの動画を見せる。

 なるほど、そのために素材を集めていたわけか。そうは思いながらも、僕はゆっくりと颯太の背後へ近づいて行く。僕みたいなことして、気をひこうってわけか。

「きれい……」

 いのりはそう呟く。そう、颯太の動画はよくできている。あれは才能なんだろうか。それとも努力なんだろうか。けど僕は焦り始める。

「い、いのりちゃん!」

 颯太は突然立ち上がる。

「俺、いのりちゃんのことまだよく知らないんだけどさ!歌う君に感動した気持ちは本当なんだ!」

 なんてこった、本当に告白じゃないか。だから、す、とまで言い出した颯太をみてヴォイドを取り出そうと立ち上がりかけたその時、いのりが突然こう言った。

「ごめんなさい。私が歌うのは、人に共感してもらいたいからじゃない。償うためなの」

 一瞬で雰囲気をぶっ壊す強力さに僕が固まる。償う。どういうことだ。いのりは颯太に訊ねていた。

「ねえ、教えて。どうして私と集のこと、調べていたの……」

 僕はすぐさま隠れる。どういうことだ。颯太は沈黙し、やがてこう言った。

「仕事っていいまくってた集が、突然インターンやめたから……そして君がやってきた。だからどういうことかなって……」

「どこまで知っているの……」

「君が葬儀社なことは。それと君が集に入れ込んでいるのは、君の様子と集の態度の軟化から少しずつ」

 僕は驚いた。颯太がノーマジーンをばらまくシュガーなのか。そして颯太はいのりに訊ねた。

「ねえ、いのりちゃん。集を、どうするつもりなんだ……」

 そのとき、いのりが立ち上がる。そして、綺麗な姿勢で、彼の鳩尾を殴る。手練だ。僕は確信した。彼女は、間違いなく強い。驚く颯太は、膝から崩れ落ちていく。呼吸を乱している颯太に、いのりが更なる追い討ちをかけようとする。 

「集は……私の……」

「ちょっとまって!」

 僕は叫びながら、二人の前に現れる。颯太は息も絶え絶えで訊ねてくる。

「しゅ、集……どうして、ここに……」

 僕は走って行く。そして、右手を構える。

「まだ意識を失っちゃ、だめだ!」

 颯太を掴み上げるように、僕は颯太からヴォイドを抜き出す。ごふ、という声と共に、ついに意識が途絶える。僕の手からどさりと落ちた颯太は痙攣している。急ぎすぎた。こんなひどい引き抜き方初めてだ。

「ごめん、颯太……」

 罪悪感を感じながら、そのヴォイドを見つめた。

 シュガーなら、これは鋏のはず。

 しかしそれは違うものだった。カメラだ。とても、何か物を切ることができそうな感じじゃない。僕はほっと息をつく。

 しかし、もう一つの問題があった。僕は当事者であるいのりに訊ねる。

「いのり。僕は……君の……なんだ……」

 彼女はどうにか首を横に振っている。

「なんでもない……私は集のこと、どうにもしたくは……」

 おい、何やってんだ。そう言いながら誰か出てくる。アルゴ。そして大雲。

「こんなところでヴォイド引き抜いてんじゃねえよ……」

 大雲はアルゴを落ち着かせようとする。

「仕方ありません。気を失えば、いつ彼からヴォイドを引き出せるかわかりませんし……」

 僕は驚く。「いつからそこに……」

 更に後ろから虚空に突進される。するとするりと虚空の覆いから綾瀬が現れる。光学迷彩だ。

「いのり、あなたどうして……」

 そして木の上からツグミがぶらりと逆さに現れる。そしてシャドーボクシング。

「いのりん、さっきの正拳突き、最高……」

 奥からは四分儀とふゅーねるがやってくる。「想定外の事態です。どうしますか、涯……」

 するとどこからか涯も現れる。僕といのりの驚きも無視して続けられる。

「プランの変更は無しだ。このままでいく」

 アイアイ、とツグミは応じ、他のメンバーも応じる。

 僕は颯太を背負い、息も絶え絶えに目的地にたどり着く。本当に境内の向こうには、僕の背を遥かに超える巨大な建造物があった。

「全員揃ったか。警備の目は、ツグミが潰している。問題なのは内部だ」

 涯の指示で、大雲さんが颯太を代わりに背負ってくれる。

「ご苦労様です」

 そして涯が告げる。

「集、そのカメラでゲートを撮れ」

 言われた通り、僕はカメラで撮った。するとゲートは開かれていた。僕は呟く。

「もしかしてこれって、開くヴォイド……」

 行くぞ、と涯は言って、僕らは中へと入り込んでいく。

 しばらく進んだ後。館内でアラームが鳴り響く。

「もしかしてばれたの」

 涯は首を横に振る。

「いや、俺たちじゃない……これは……」

 そのとき、内部の扉も降りてきて締まりかかる。すかさずヴォイドを使用して扉をこじ開ける。その時、背後から足音が聞こえる。GHQの兵士か。

「集!」いのりが叫びながら、銃を構え、撃つ。一発で敵の銃を弾き飛ばし、走って行って跳び膝蹴りを放っている。兵士は倒れる。彼女が本気で戦っている姿を初めてみた僕は、信じられなかった。

「強すぎる……」

 呟く僕にいくぞ、涯にそう言われ、僕はなんとか切り替えてついて行く。

「けど颯太から、どうしてこんなヴォイドが……」

 涯は答える。

「俺は、理由などどうでもいい」

 たどり着いた先は、直方体の突き刺さる奇妙な空間。何一つ説明はなく、いかなる暗号手法を使っているのかもわからない。おまけにソフトウェアによる暗号化も複数駆使されれば、仮にアルゴリズムのひとつが理解できたとしても解く術はない。涯は続ける。

「重要なのは、このような仕掛けでも、そのヴォイドなら開く、ということだ」

「なんなの、この部屋……」

「この先に、目的のものがある。撮れ」

 僕は指示通りに、その部屋を撮る。すると全体が真っ赤に光り、直方体はどんどんしまわれていき……最後に立方体でしかない空間と、その先には別の部屋が存在していることがわかった。僕たちはその別の部屋へと向かう。

 その中心には仰々しく何か入っていたシリンダーが鎮座している。しかし、何も入っていない。

「これって……」

 そう僕が呟いていると、涯は顔を歪める。そのさきのモニターには、こう書かれていた。

「汝等ここに入るもの、一切の望みを棄てよ《Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate》。」

 涯はそのモニターを銃で撃ち抜く。

「やはり貴様か……茎道……」

 彼はどこか遠くを睨んでいた。

 その時通信が入ってくる。ツグミからだ。

「みんなごめん、敵に通信を傍受されてた。ふゅーねるから……」

 涯が応答する。「対処は」

「閉鎖モードにして電源を落とした……あいつが、城戸研二が、復活している」

 綾瀬が続ける。

「ツグミがふゅーねるを子供のようにかわいがっているのは、葬儀社にいた城戸研二もよく理解していたんじゃないかしら……仕方ないわ」

 涯は宣言する。「よく気付いた……」

 その時、涯の足元が突然ふらつき、そして倒れる。

 僕は彼を起こす。呼吸が浅く、血の気が引いている。僕は涯に言った。

「撤退しよう……」

 

### insert daryl 6

 

 失意のままに突如として茎道から片田舎のオートインセクトに繋ぎ、結局何をするわけでもなく全てが終わっていた。敵のオートインセクトからの盗聴により、敵の動きを先回りできていたからだ。その侵入を横の端末から行っていた研二は笑う。

「もう傍受は切られちゃったけど……楽勝だったね……」

 そう言っていた時、現地にいた茎道が現れる。その手には、巨大なシリンダーが握られている。

「我々も撤収する。本来必要だった全ての材料が、我々の手に揃った」

 僕はふと、茎道に通信で訊ねていた。

「なんでそれが必要なわけ……」

 茎道はおもむろに答えた。

「これを持ったものが、橋の生贄ではなく、真の橋の領主となるからだ。そうダァトの墓守は言っていた」

 あの太眉のことか。そのとき研二が笑う。

「誰が王様だってどうでもいい。これで、あの破壊を本当に見られる……」

 僕は研二にいう。

「まさかそれがスカイツリーを壊した理由……」

「わるい?」

 心底そう思いながら、僕は吐いた。「キモ……」

 多少顔色が変わるかと思ったが、そんなことはなかった。研二は笑う。

「あんたもよっぽどさ、人体実験されて、出世の出汁に使われて、なんであんな奴を親だと思い続けられる……」

 それにも僕は答えられないままだった。

 その時、茎道のいる大島の上空からヘリが現れる。それらは大量の兵隊を下ろして行く。しかし、彼らは全員重装備で、しかも銃口を茎道に向けていた。その中の一人が告げる。

「茎道元局長。連合国からの命令です。重要機密を持ち出したあなたを、拘束します」

 そうして僕たちのいる部屋にも樹装備した兵士たちが現れた。そして研二とともに拘束されかかる。

「ちょっと待てよ、なんだその話、僕は知らないぞ!」

 部屋に来ていた兵士は言う。

「ダリル少尉殿。無礼をお許しください。事情聴取は後ほど……」

 そうして僕らは大急ぎで再び連行された。

 

### 16

 

 僕は涯を大島の葬儀社の駐留所に運び込んで、その体の状態を確認し終わっていた。意識ははっきりしていた。ただし、涯の腕には点滴と血液人工透析用のチューブを突き刺し、バイタルを確認するためのセンサーを張り巡らせていた。僕は心配そうに見守る葬儀社の全員に告げる。

「容態は安定した。けどふたりで話がある。みんな、外してくれないかな……」

 全員がわかってくれて、涯をみつめながら部屋を出て行く。僕と涯はふたりきりになったのを確認して、涯に告げる。

「君のさっきの症状は、慢性腎不全からの複合的な連鎖による貧血だったみたいだ。血液に関わる他の部分にまでアポカリプスウイルス症候群が進行して、前まで気づけなかった症状が出てきている。おそらく危険状態《ステージ3》だ」

「ヴォイドゲノムの影響だろうな……」

「断言はできない。むしろ君はそれ以前から重い症状を患ったりしていたんじゃないのかな……」

「なぜそう思う……」

 僕は人工透析の機器に触れる。「君を復活させたこれ……簡単には手に入れられないものだよ。扱いもとても厄介で、使うには君自身に外科的な手術が必要だ。これが大島に運び込まれてすぐ使える時点で、君はヴォイドゲノムを使う前から追い込まれていたんじゃないのかな……」

 涯は沈黙する。僕はため息をついた。

「君がごく普通に生活していると見せかけられていただけでも奇跡だとしか思えない。本来君の体は寝たきりでなければ命の保証が効かない状態だ」

 構わんさ、そう言いながら、涯は訊ねてくる。

「集、お前の見立てではこの体はいつまで保つ……」

 僕は本当は伝えるべきことを訊ねられている。でも整理がつかない。

「体の細胞のほとんどがキャンサーに置き換えられ、活動が停止しつつある……」

「いつまでなんだ」

 僕はようやく答えた。「もって……半年」

 沈黙が続いた。

 涯はやがてこう言った。「まだ終わっていない」

 僕は首を振る。

「終わりだ。もう君は戦うべきじゃない。ヴォイドゲノムを投与された時の君と、今はもうそう変わりはないんだよ……」

 涯は黙って、自らのロザリオを手に握り締めている。そして立ち上がり、人工透析を途中で終了させ、シャットダウンシーケンスが終了したのをみてからチューブを引き抜き、点滴も引き抜いていく。怖くて僕はそれに手を出せずにいた。けど立ち上がろうとする涯の肩に手をかける。

「やめろよ涯、なんでそうまでして戦おうとするんだっ」

 涯は僕の手を払い、立ち上がり、そして殴りつけられる。僕はよろける。顔を上げると、涯は激昂した。

「お前が彼女を生かしてくれたからだ!」

 その時ロザリオから、いのりに似たあの桜髪の女性が頭をよぎった。僕も怒鳴っていた。

「生かしただって!違う、僕は殺した!殺してしまった!」

 涯は驚いていた。そして、僕自身もぶるぶると震える右手をみて、思い出す。そして、涯に告げた。

「手に感触が残っているんだ。あの人の首を閉めた時の、あの感触が……」

 僕は嫌になって、外に走り出して行く。葬儀社のみんなに驚かれ、呼び止められても、それでもなお走り続ける。大島の、誰もいない、どこか遠く、遠くへ。

 そうして辿り着いたのは、夜明け前の崖だった。

 ここから彼女と海を眺めていた。僕は覚えている。けれど夕焼けの綺麗だった景色は、夜明け前のために光の最も遠い場所となっている。

 僕は海岸を歩いていく。

 あのワンピースを着た海岸《ビーチ》の姫は、僕にたくさんのことを教えてくれていたことを僕は思い出していく。夕焼けの中で彼女は言っていた。

「ねえ、集。この海岸《ビーチ》は、生と死の狭間なの。トリトンがやってきた海はね、私たちにとって、死の世界……」

 僕は訊ねる。

「じゃああの海には、母さんも待っているの」

 そう聞くと海岸《ビーチ》の姫は微笑んでこう言った。

「いるかもしれないわね……」

 そして、こう告げた。 

「あなたの体《Gene》、記憶《Scene》、形見《Meme》。その繋がりを辿って、人は海の向こうの海岸《ビーチ》と、時を超えて繋がる……」

「でも……会えないよ……」

 彼女は微笑んだ。

「会えるわ。会い方がわかればね……」

 僕は立ち止まった。夕焼けだった世界は暗闇に戻っている。

「じゃあ、どうやったら会えるんだ。殺してしまった、君に……」

「おい、集!」

 声が聞こえて振り返る。そこにいたのは颯太だった。

「やっと見つけた、突然走り出しやがって……」

 そして彼はやってきて、僕に告げた。

「ちょっと、話しようぜ……」

 

### 17

 

 海の見える高台のベンチ。そこに颯太はどかっと座る。そしてお腹を抱える。

「大丈夫……」

「ああ、いのりちゃん、まさかあんないい動きをするなんて、思わなくて……」

 僕は訊ねた。

「君は、GHQの人間か……」

 颯太は皮肉げに笑い、「そんなわけないだろ。なんでそう思った……」

「いのりに探りを入れてきていた」

「なんだよ、普通だろ」

「目に余るほどだったじゃないか……」

 颯太は僕を睨んできているようだ。

「お前……やっぱりいのりちゃんのこと……」

 颯太は立ち上がる。

「そういう風に思っているなら、最初から正直に言ってくれよ……何考えてんのか、さっぱりわかんねーよ!」

 任務のためでもあった僕は黙り込んでいた。すると、颯太はこう言ってきた。

「好きになった相手のことを知るのは、そんなにおかしなことかよ!」

 僕はついに颯太に叫ぶ。

「おかしいだろ!いつも強引でデリカシーなくて空気読まなくて、そういうところが嫌なんだよ!」

 驚いている颯太に、僕はこう言った。

「僕は……颯太のことが苦手だ……」

 颯太は立ち尽くしている。

 嫌われたな。

 でもこれでいい。本気でぶつからなくちゃいけなかったんだ。かりそめでも、友達……なんだとしたら。

 しかし颯太からの感想は意外なものだった。

「そうじゃないかと思った……」

 僕は顔を上げる。颯太は満足げに笑っている。

「はっきり言ってもらってよかった。いのりちゃんも、集もさ、なんか距離ある感じするじゃん……だから、本当は俺もちょっと、お前らのことが苦手だったんだよ。いのりちゃんへの気持ちは、本気だったけどさ」

 颯太は手すりにもたれかかり、「だからよかった。ふたりに正直に言ってもらえて……それって失礼だけど、心を開いてくれたってことだろ……」

 僕は驚いていた。彼は笑う。

「親父といっしょに、聖夜喪失《ロストクリスマス》で孤児になった姉妹を、助けたことがある。その時に親父がやっていたことが、あれだよ。相手が嫌がろうとも関わり続ける。デリカシーないだろうけど、これが一番効いた。結局、お互い言い合わなきゃいけないんだ」

「そのふたりは……」

「今じゃ二人とも普通に暮らしてる。妹の方は天王洲第一高校にも通っているらしい……」

 そして颯太は振り向く。

「お前らもよく似てるんだ。あの、お姉ちゃんたちに。聖夜喪失《ロストクリスマス》で、なんかあったんじゃないのか……」

 僕は首を振った。

「よくわからないよ。ふたりとも、覚えてないから……」

 僕はそう言いながら、海を見つめる。そっか、と颯太は言って、

「ちゃんとわかるといいな、いつか……」

 僕は肯定も否定もできないまま、彼女がいるはずの海岸を思いながら、波の音を聞き続ける。

 

 

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