貞操観念が逆転した女が強い世界で最強の弓使いが無双する話 作:キサラギ職員
「潮時か」
死期を悟った。
数百もの敵が、山中にある屋敷へと押し寄せてきていた。上がる旗印は官軍のそれ。
老人は、体中に傷を受けていた。右目は裂傷のため二つに割れ、額からは血が滴る。胸に、肩に、足に、矢が突き刺さり、弓を握る手は震えていた。
「死ぬには良き日じゃわい。散々暴れたのだ、こうもなろうよなぁ」
思えば生まれてから戦い続けてきた。父から弓を渡され狩りに同行し、武道会で戦い、家を出て戦った。時に軍についた。山賊狩りもした。傭兵にもなった。とにかく戦ってきた。そうして、強すぎたせいか、恨みを買った。後悔などしていない。満足していた。いつか、人は死ぬものなのだ。それが今日だっただけなのだろう。
老人は呟くと、体中に突き刺さった矢を事も無げに引き抜き、矢筒へとしまい始めた。そのうちの一本を簡素な構造に
生まれてから老齢に至るまで延々と続けてきた単純な動きはしかし、その一発だけで三名の兵士を鎧ごと貫通し、吹き飛ばしていた。
その異常な光景を見せ付けられた兵士が動揺隠せぬうちに、老人は三発矢を放った。目にも留まらぬ速射。兵士たちが設営していた衝立が弾け飛び、屋敷の石壁が粉々に吹き飛ぶ。まるで兵士が木の葉のように空に舞い上がっていく。
「押せ! 押せ! 止まるんじゃない!」
「し、しかし! 既に七百の兵が………!」
「ここでやらねば、上様になんと申し開きをすればよいというのだ!」
指揮官らしき男が見えた。その距離にして、屋敷の敷地のさらに外の小高い丘の上である。副官らしき男と何やら大声で揉めているようであった。当然であろう、投入した戦力の半数が既に殺されてしまっているのだから。
常人であれば見通すことなどできぬその距離を、老人はかすかに目を細めただけで確実に視認していた。
「たわけ、戦場で相談事など」
「むぅぅぅぅん!」
指先に風が纏わりつく。矢に膨大な威力を秘めた風が巻き付き、今にも爆発せんと震えている。
「はあっ!」
開放。空気を引き裂く炸裂音と共に、同心円状に衝撃が伝播し、地を揺らす。
着弾。指揮官とその副官は何が起こったのかを認識することもできず、矢の衝撃で鎧ごと粉々に粉砕された。
老人はよろめき、膝をついた。受けた傷の数は十は下らぬ。体力も、既に底を尽きかけている。若き頃ならいざ知らず、歳を取り、老いたせいか、体力は限界に近づいていた。弓を握る手は震え、視界が白くなり始めていた。血液を失いすぎていたのだ。
老人は、矢筒に手を伸ばし一本も無いことを知った。よろめきながらも地面から数本を抜き、三本同時に番えて構える。
槍を持った兵士たちがどっと殺到し、壁を背中にしている老人を囲む。いずれも若い兵士で、怯えた表情をしていた。“童貞”を捨てていないのであろう、槍を握る手は震えていた。
老人はにやりと笑うと、血を口から流しながら笑った。
「くく、ふはははは! どうした、若いの。儂の首をとるのか? 心臓か? 心臓なら胸を狙えよ、他は痛くてかなわぬからなぁ!」
老人は躊躇している兵士らに向かい、矢を三本同時に放った。空気が弾ける炸裂音。肉が砕け、鎧が消し飛ぶ。少なくとも六人が矢の威力に屋敷の壁まで飛び叩きつけられていた。
老人は矢を探したが、もうどこにも見つからなかった。どっと殺到する兵士らの槍を前に、堂々たる態度でその場に腰を下ろす。
「やれ、小僧」
一人の若い兵士が、怯えきった表情で槍を構えていた。
老人は腰に手をやると、紐にかかった酒瓶の口を開け、一口飲んだ。喉を焼くほどに強烈な味がしたが、傷ついた体に染み入るようであった。口を拭うと、瓶を地面に置き、指先を手前に引いてみせる。
「あの弓翁の首を上げたと故郷の母に伝えよ。喜ばれる」
そして、老人は一斉に突き出される槍の餌食になった。
ここはどこだ。
男は暗闇を彷徨っていた。何も見えず、何も聞こえない。何も匂わない。自分自身も、どうやら宙を飛んでいるようだ。
『死後の世界は地獄かと思ったが、こうも“ぬるい”ものか』
大勢を殺してきたのだ、その末路は地獄であることなど覚悟をしていた。
だが、それにしては随分と平和な地獄である。あるいは、この暗闇が幾億年も続くのか。なるほど、静謐過ぎる時間もまた地獄であろう。誰とも話さず、誰にも合わず、食わず、飲まず、しゃべらず、見ず、この世の終わりまで意識を保ち続ける―――まさに、地獄であろう。
青年は、空間を彷徨っていた。
『おお、お主も来たのか。地獄まで付き合わせてしまって、申し訳がないのぉ』
ふと、手に触れたものがあった。
『
竜骨と、竜の髭を使って作られた、黄色塗りの簡素な作りをした『黄竜』が手に触れたのだ。それは、弓翁と言われた彼の超人的な引きに耐えるように設計された、彼の為にだけ作られた武器であった。
この弓さえあれば、たとえ地獄であろうがやっていける。そう確信させるだけの見事な一品であったが、見た目は凡庸な弓のそれである。
光が見えた。光は瞬く間に広がっていき――――。
「おお」
青空に変わっていた。
「ここが地獄か? ………………ふむぅ」
森にいた。背の高い木々が生い茂るのどかな場所で、空に雲ひとつない快晴であった。地獄というにはあまりに平和だった。本当に、地獄なのだろうか。あるいは天国なのだろうか。どちらでもよかった。
青年は、手に握っていた弓を背負うと、同じように転がっていた矢筒を装着した。中には、三本の矢が入っている。
「ゆるりと参ろうか」
面白い。目が覚めたら、地獄ではなく知らぬ土地。あるいは地獄なのかもしれぬ。天がそう言うのであれば、それに流されてみるのもきっと天命であろう。
まるで死に装束のような白い服を纏った“青年”は、己がまったく違う世界にやってきていることなど知るはずもなく、第一歩を踏み出した。
「そろそろ降参したらどう?」
「………」
十人の“女”の山賊に、一人の少女が取り囲まれていた。
山賊は粗末な布服を纏っていた。胸元を大きく出したものもいれば、下に何も履いていないものもいる。棍棒を持っているものもいれば、剣を持っているものもいる。
一方は、簡素な皮の鎧を身に纏った少女だった。ブロンドを肩で切りそろえたくりくりと可愛らしい青の瞳をした幼い顔立ちをしており、特徴的なのは鼻のそばかすであろう。小柄と相成って、幼さを助長している。
彼女が手に握った武器は、どこにでもありそうなロングソードだった。持つ手が震えてしまっており、腰が完全に引けている。
「まあ、降参したところで身包み剥いで殺すんだけどね」
「丁度飼い犬の餌が足りなかったから、あんたを餌にしてやるよ!」
最悪だった。故郷を出て、神都を目指している最中のことだ。山賊に遭遇してしまったのだ。戦って撃退を夢見たが、夢叶わずだった。剣に関して素人である彼女にとって、たとえたかが山賊と言えど、城壁のように険しい障害となりうる。
「どうしてこんなことに………!」
ギリギリと歯を食いしばりながら、どうにかして逃げられないかを考える。取り囲まれてしまっている以上、強行突破は難しい。全員の攻撃を凌げる腕前があるでもない。降参したところで、殺すと言われている以上降参もできない。
誰か、助けて……!
そう祈りを捧げていた。
「お前さんら、何をしておるのだ?」
そこに、天使がやってきた。
「は?」
その場の全員が凍りつく。
見たことも無い白い優美な装束を身に纏った美形が佇んでいた。
その“青年”は、黒髪をうなじで結い上げ腰まで一本垂らしていた。茶色い目は水流で整えたかのように澄んでおり、しかし、見るものを射止める強烈な光を放っている。顔立ちは、女性のそれと見間違える作りをしており、わずかに浮かんだ人懐っこい笑みの中に男性みを強調している。鍛え抜かれていながら、無駄のないすらりとした肢体は美しく、頭の先からつま先まで、白い装束によく調和していた。
その場の全員が絶句するほどの“美人”が、その場に無造作に足を踏み入れた。