貞操観念が逆転した女が強い世界で最強の弓使いが無双する話 作:キサラギ職員
「我はマリアンヌ=ベルカ! ベルカ傭兵団副長! 偉大なベルカの家系の後継者ァァァァァ!!」
馬鹿みたいに声がでかい赤い髪を後頭部で結んだ大柄な女がフェンとアリシアが泊まっている宿の玄関前にいた。
強気な青い瞳。たわわに実った胸元。鍛えられた体躯を、赤や黄色などでド派手に飾られた鎧で守っており、傍らにはハルバードが構えられていた。
「う、うわっ……フェン、帰ろう!」
「いやこれから帰るんじゃろ」
早速とんずらを試みようとするアリシアの襟首をフェンが掴んだ。そして、耳元でこそこそと囁く。
「よく気配を読め。周囲に敵意を抱いているのはあやつだけじゃ。大軍引き連れてきているわけではなかろう。怯えるには早いぞアリシアよぉ」
「敵意ィ? どうやってそんな……」
「感じろ。さすればわかる」
わかるわけないだろ! とアリシアはぐっと突っ込みを堪え、この男がどうして平然としていられるのかがわからなかった。
「いざ、敵中へ参ろう」
言うなりフェンは自然体でゆるりとマリアンヌを名乗った女の元へと歩みを進めた。
「ほぉ~う、貴様がフェンとかいう男か………」
フェンの接近を感じたのか、マリアンヌが振り返った。既に手にはハルバードが握られており、いつでも攻撃を仕掛けられるようになっている。
マリアンヌとフェン。並ぶと、マリアンヌのほうが大きく見えるが背丈はさほど変わらないむしろフェンのほうが高いようだった。肉の塊のようなマリアンヌと、豹のようにしなやかなフェン。性別も違えば正反対であるが、共通項がある。戦士であるということだ。
マリアンヌはフェンの上から下までをじっくりねっとりと観察すると、にっかり笑った。
「いい男ではないか!! 我が拠点、ベルカ城まで荷物を纏めてくるがよい。我が寵愛をくれてやろう。貴様と我の子であれば跡継ぎに相応しいであろうな!! それから……」
「断る」
「なにぃー?」
フェンは腕を組んだまま首を振った。
「儂は儂のもんじゃ、誰のものでもない」
「こっ……この………男の癖に我に逆らうか!」
マリアンヌが拳を振りかぶった。あっとアリシアが悲鳴をあげたのも、遅い。拳はフェンの鳩尾目掛け捻りこまれ――。
「おう、握手か? 随分と乱暴なやり口じゃな」
「なに……!? き、貴様ァっ………!」
あっさりと、フェンの手に掴まれた。マリアンヌがどれだけ力を込めても万力に挟まれているかのように微動だにしない。右腕だけではなく、左腕を使って引き剥がそうとしても、全く動く気配すらない。
「ほいっと」
「ぐぅぅぅっ!?」
フェンがマリアンヌの手首を極めると、掛け声と共に跪かせてしまった。ギチギチと関節から嫌な音が鳴っている。
「離せ! このぉぉぉっ!!」
「離したぞ」
マリアンヌがどれだけ力を込めようとも、動かない。
フェンは、離せと言われたのであっさりと離していた。へらへらと笑いながら一歩下がることで、マリアンヌが繰り出した拳を当然の如く回避する。
「………けっ、決闘だ! 昨日、我の部下を痛い目に遭わせてくれたようだしな……!」
マリアンヌは自分が力負けしていることが信じられない様子だった。そして怒りの余り顔面を真っ赤にして、肩で息をしていた。
早朝のことだ。自分が指揮している部隊の三名が酷い有様が戻ってきたのだ。腕は折れているわ、関節は外れているわ、顔面はボコボコだわ、鎧は全て脱がされているわの酷い状態であった。
曰く、酒を飲んでいた。
曰く、いい男をたまたま見つけた。
曰く、特に何もしていないのに暴力を振るわれた。
曰く、相手は素手だった。
どこからどこまでが本当で、どこからどこまでが嘘なのかを調べるべく、その酒場へと直行し調査をしたところ、マスターが言ったのだ。あの男がやった。下町の宿に泊まっている。名前は弓使いのフェンであると。
下町に行き、聞き込みをしてすぐにわかった。恐ろしく美しい男が外からやってきて、泊まっているらしいと。調べはあっという間についたのだが、肝心の宿から出てこない。周辺をうろついているのか、隠れているのか。ということで大声を上げて呼び出していたのだ。
出てきた男を見て、これは是非我が物にしようと思った。とにかく、美しい男だった。
ところがどうだ、あろうことか片腕一本だけでかるく捻られている。あのベルカ傭兵団副長ともあろうものが。
フェンは顎を撫でながら楽しそうに口角を持ち上げて言った。
「ああ、あやつらか。ちょっとばかし絡んできたのでな、捻ってやったわ。べるか傭兵団? とやら、見掛け倒しなようだのぉ……派手な鎧に武器、使いこなせなくては意味がないわ。お前さん戟使いか? 使えるのか? ん?」
煽る煽る。ニヤニヤしながら、マリアンヌのことを見ている。
「来い! その首叩き切ってやる! が、ここでは、戦うわけにはいかん! ………近くに川があったな! そこで生まれてきたことを後悔させてやる!」
マリアンヌは取り落としてしまっていたハルバードを取ると、歩き始めた。
「“猪”武者に見えて、なかなか冷静よなぁ……」
戦士同士が本気でぶつかるとなると、市街地はあまりに狭すぎる。マリアンヌが問答無用で切りかかってきたならば宿屋は半壊し、死傷者が出ていたかもしれない。
フェンは朗らかに言うと、口を半開きにして怯えてしまっているアリシアの手を掴んだ。
「行くぞ」
「ええっ、私もいかないといけないのか!?」
急に手を繋がれたアリシアは素っ頓狂な声を上げた。てっきり、二人が戦うものだと思っていたからだ。
フェンは首を振ると、アリシアの手を握ったまま歩き始めた。
「阿呆、そうじゃないわい。加勢しろと言っているのではないぞ。いい経験になろう。儂は決めたぞ。お前さんを一人前の戦士にしてやろう。まずは見て何かを掴んでみせよ」
「い、いやぁ~私はいいかなぁ~ってアハハ……戦士になるよりも、そのぉ………あわわ手が……手が……」
「行くぞ?」
「ハイ」
フェンはにっこりと笑っていたが、なぜだろう、アリシアはその背後に牙を剥いた巨大な竜を見た。
そしてアリシアは歩く機械と化した。
「ここなら誰もおるまい!」
「そうだといいんだがのぉ……」
フェン、マリアンヌ、アリシアは川岸に来ていた。そう、フェンが水浴びをしていた地点から程近いところである。
誰もいないとマリアンヌは言ったが、フェンの鋭い感覚は草むらの中に大勢の野次馬が潜んでいることを見抜いていた。
「ざっと二十人か………やりにくいのぉ………」
「何を言ってるんだ……?」
もそもそと文句を言うフェンと、野次馬の存在に全く気がついていないアリシア。
二人から離れた地点には、ハルバードを握ったマリアンヌが仁王立ちしていた。
フェンはしゅるりと弓を抜くと、矢筒から一本取り、しかし構えることなく自然体で相対した。
「射て」
マリアンヌが言った。表情は自信に満ち溢れており、わざわざ距離を取ったのも、自分の力に自信がある証拠に他ならなかった。
フェンは首をかしげた。
「弓使い相手に先手を打たせるとは、相当自信があるようだの」
「お前の全力を叩き潰して、それから後悔させてやる」
「そうか」
沈黙。固唾を呑んで見守るアリシアは、どこかで鳥が羽ばたく音を聞いた。
――――ドォォォンッ!
爆発音。大地の表層を抉り取りながら矢が大気を攪拌しつつ放たれるや、ハルバードの刃で可憐な火花を散らしながらあらぬ方角に飛んでいく。空気を引き裂く高音が遠ざかっていった。
「ぐぅぅぅぅぅ~~~~ッ!!??」
マリアンヌが反応できたのは奇跡だった。男の手がかすかにぶれたので、ハルバードを頭に被せるように移動した、次の瞬間、暴風に見舞われ、愛用の武器が跳ね上がった。その威力を押さえ込むため足を踏ん張ったが、馬車二台分は滑らざるを得なかった。
「おかわりはいかがかな?」
フェンがのんびりと言った。
その指は既に一本の矢を番え終わっていた。