いつもの場所で、彼と彼女らは仲睦まじく遊んでいる。   作:サンダーソード

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お好きな飲み物ないし勝馬投票券でも片手にまったりとどうぞ。


1.「あなたは早口言葉苦手そうよね。普段人と話さないから」

「ねえゆきのん、『かえるぴょこぽこみぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこむぴょこぽこ』って言ってみて?」

 それは、由比ヶ浜の唐突なお願いから始まった。のはいいんだが、お前それ自分で言えてねえぞ。

「あなたが言えてないのだけれど……」

「え!? 言えてない!? うーん……『かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ』。ど、どう? 言えてる?」

「ええ、今度は言えてたわ」

「やったー!」

 由比ヶ浜は諸手を挙げて喜び、それで満足したのか雪ノ下に抱きついて頭を擦り付ける。

 雪ノ下はその頭を少しだけ撫で、紅茶にそっと手を伸ばした。

 ……いや、雪ノ下に言わせたかったんじゃないの? 早口言葉。今日も奉仕部は平和です。

 しかしひとしきりゆるゆりすると目的を思い出したのか、ガハマさんがガバッと起き上がってゆきのんに詰め寄る。

「じゃ、ないよ! ゆきのん、言える?」

「ええ、言えるわよ」

「そっかー。だから違くて! 言えるんなら言ってみよー」

「嫌よ。なんで私が」

「んー……難しすぎた?」

「……あなた、挑発が上手くなったわね」

 雪ノ下の背後にメラっと陽炎が立ち上る。

 いや、多分由比ヶ浜は挑発のつもりすらないぞ。お前が破滅的に乗りやすいだけだ。

 ……マジでこの性格直さないと、本当にいつか破滅しそうで怖いんだよなあ。

「いいわ、聞いてなさい。『かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ』」

「おー、やっぱゆきのんやるなあ」

「当然ね」

 と言いつつ髪をかきあげる得意顔に隠しきれない喜色が滲んでるんですが。

 そんな雪ノ下に再度抱きついた由比ヶ浜がくるっとこっちに顔を向けて、話の矛先を向けてくる。

「ヒッキーは言える?」

「俺は……」

「あなたは早口言葉苦手そうよね。普段人と話さないから」

「お前は早口言葉得意そうだよな。普段人と話さないのに」

「いくらなんでもあなたよりは人と接するわよ。……私には、由比ヶ浜さんがいる、のだし」

「ゆきのん……!」

 頬を赤くして明後日の方を見ながら零れる途切れ途切れの台詞に、由比ヶ浜が感極まって更に強く抱き寄せる。

「だが俺には小町がいるしな。それに家ではパソコンやら本やらで面白いフレーズがあったら呟いてはフヒヒと笑う習性があるから別に早口言葉も苦手じゃねえし」

「ヒッキー……それはちょっとさすがに……」

「その、あえてオブラートに包んで忠告するけど、あなたのそれ笑い話では済まないレベルで気持ち悪いわよ……?」

「おいオブラート破れてんぞ。剥き身もいいとこじゃねえか」

 雪ノ下にそこまで沈痛な顔で言われると深刻さが倍増しちゃうんだけど。

 あまつさえ由比ヶ浜にまで言葉を濁されるとかマジでヤバイんじゃないかと思っちゃうよ? え、みんなやるよね?

「だからまあ、普通に言えるぞ。『かえるぴょこぴょこみぴょこぴょこ、あわせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ』」

「むう……ちゃんと言えなかったのあたしだけ……」

「むしろ間違いなくお前が一番人と話してるのになんでだよ」

「人と話せば早口言葉が得意になるというわけでもないのかしらね」

 そう言って、雪ノ下は由比ヶ浜に抱きつかれたまま読書に戻る。

 反例としての雪ノ下を見る限り、因果関係はないかもしれんな。俺もそうか。

 俺も手元の文庫本を開いて、読書態勢に戻ろうとするのだが。

「あ、じゃあさ、早口言葉でゲームしない?」

 由比ヶ浜が明るい声で、またぞろなんぞ言い出した。

「ゲーム?」

 ああ、雪ノ下が食いついた。負けず嫌いの血が騒いじゃいましたか。

「そ。ゲーム。お互いにお題を出し合って、それを言うの。言えなかったら負けで」

「……そうね。いいわ。勝負しましょう」

 ゲームだっつってんのに勝負に変換される雪ノ下印の辞書機能、早いとこアップデートかけたほうがいいんじゃないですかね。え、仕様?

「早口言葉は三回繰り返し、極端に長い文章…………そうね、五十文字を超えるものはなしとしましょう」

「なんで五十なの?」

「蛙が三十三文字だったから、まともな早口言葉なら五十文字を超えることはないでしょう?」

「数えたんだ……じゃあじゃあ、お手つきは一回までね? 一回も失敗できないのはさすがに辛いし……」

「それ、早口言葉苦手な人が余計に不利になるルールだと思うのだけど……まあいいわ。比企谷くんもこれでいいわね?」

「…………俺もやるのか」

「え、ヒッキーやんないの?」

「どうしてやらないと思ったの?」

 いや、由比ヶ浜が誘って雪ノ下が乗った時点で薄々やらされることになるだろうとは思ってたけどね。

 だが無駄とわかっていても抗うのが少年漫画主人公の生き様。平塚先生も諦めたらそこで試合終了だよって言ってるじゃないか。違うか。違うね。何重にも違うね。

「……ルール確認させてくれ」

 まあ俺少年漫画の主人公じゃないしな。無駄だとわかってることに抗ってどうなるというのだ。

「出題者が早口言葉を提示。回答者はそれを三回繰り返す。早口言葉は五十文字以内で、お手つきは一回まで。以上ね」

「了解だ」

 まあ開始早々サクッと負ければいいだろう。負けたところで特に失うものもない。無駄に抗うよりも最小限流されて可及的速やかに脱出するのが労力を最低限に抑える最善の方法よ……!

 などと考えてたら、二人の眉がピクリと動いて、そのままじとっとした視線を向けられる。え、何? 俺なんかした?

 無言で見つめられ続けてると居たたまれなさがどんどこ湧いてきて、自分でも分かるほど挙動不審になっていく。

「……ヒッキー、わざと負けようとか考えてない?」

「へっ!? なんでだ?」

 あかん。なんか知らんが完全に見透かされてる。つーかこの返答じゃ自白も同然だろ俺。

 それを聞くと由比ヶ浜は長机に突っ伏してむくれ、雪ノ下は額に人差し指を当てて溜息をつく。

「この男に全力で事に当たるという人間らしさはないのかしら……」

「ねえヒッキー、あたしたちと遊ぶのイヤなの……?」

「ぐっ……いや、それは……」

「え、あ……イヤ、なんだ……」

 むくれてた由比ヶ浜が目に見えて沈む。ブワッと背中から頭皮までの汗腺が広がる感覚。それと同時に襲ってくる尋常じゃない罪悪感。

「いや違うから! そのいやは否定の嫌じゃなくてただの感動詞だから! 全然嫌じゃない! 嫌じゃないから!」

 慌てて否定を入れるも、沈んだ由比ヶ浜を引き上げるには足りない。雪ノ下がもう一つ溜息をついて、由比ヶ浜の手を握り口を開く。

「では、飴と鞭があれば死ぬ気で勝負に挑むのね?」

「……お前が言うと、比喩でなく死ぬ気で挑まされそうで怖いんだよ」

 雪ノ下はにっこり笑った。いや、笑うタイミングおかしいでしょ何そのすげえいい笑顔。ちょっと状況忘れて見惚れそうになるからやめてくんない?

「じゃあ、比企谷くんが勝ったら私が一週間昼食にお弁当を作ってきてあげるわ。負けたら……そうね、由比ヶ浜さん、比企谷くんに一週間お弁当を作ってきてくれないかしら」

「あたしのお弁当罰ゲーム扱い!?」

 沈んでいた由比ヶ浜が跳ね起きて、提案の内容に食って掛かる。その顔にもう憂いの色は見えなかった。少しだけわだかまっていた感情が綺麗に押し流されていく。

 心中から湧いてきた笑みを引きつった苦笑に変えて、ペナルティの内容に苦言を呈する。

「待て……それは人が死ぬぞ……!」

「罰ゲーム扱いだ! うわああああん!」

 由比ヶ浜が泣いて雪ノ下に縋り付く。いやその罰ゲーム提案したの君が泣きついてる雪ノ下なんですけどね。

「これなら、本気で戦う気になるでしょう?」

「おお、強制的に死ぬ気にさせられたわ」

 一度ならまだしも、由比ヶ浜の弁当が一週間続くとなるとさすがに健康被害も出そうで怖いよね。しかし流れでこうなったけど、由比ヶ浜はこれいいのか? あいつに何一つメリットないんだが。

「っつーか由比ヶ浜、雪ノ下はああ言ったけどお前いいのか? 一週間毎日弁当作ってくるとかちょっとゲームに負けて支払う労力としては大きすぎるんだが」

 まして由比ヶ浜自身の勝敗でなく、俺が勝ったか負けたかで決まる罰ゲーム。改めて考えてみるとわけわからん理不尽さだよなこれ。

 だがそう言われて、由比ヶ浜はお団子をくしくしやりながら俺を見る。少しの間ぼーっとした由比ヶ浜の視線を受け止めていると、すっと姿勢を正して静かに告げる。

「あたしは……いいよ。ヒッキーが負けたら、お弁当作ってくる」

「お……おう……」

 その由比ヶ浜の透明な表情がどうしてか焦りを助長させて、へどもどした返事しかできなくなる。

 雪ノ下はそんな俺たちを見てくすりと笑った。

「では、それでいいかしら」

「待て、俺だけに罰ゲームがあるのは不公平だろ。お前らはどうなんだ」

「私も由比ヶ浜さんも、そんなものがなくても全力で闘うもの。それに、あなたにはその分の報酬もあるでしょう。それとも、得られるものが私のお弁当では不足?」

「ぐっ……そりゃ、不足は、ねえが……」

 雪ノ下の弁当とか金銭換算不能なレベルでのレアアイテムだし。多分これ由比ヶ浜しか食ったことないんじゃないの?

「ねえ、じゃああたしとゆきのんにもちゃんと罰ゲームがあれば、なんかごほうび貰っていいってこと?」

「……理屈の上ではそうなるけれど、私はいいわ。そんな行為でささやかな征服欲を満たしても仕方ないのだし。ただ勝利したという事実があれば」

「自信ないんだ?」

 雪ノ下の発言を由比ヶ浜がぶった切る。あ、今度は乗せにいってるわこれ。

「……本当に挑発が上手くなったわね。いいわ、私と由比ヶ浜さんにも賞罰を決定しましょう。……後悔させてあげる」

「ふふ、ゆきのん怖い」

 完全に由比ヶ浜の掌なんですが、大丈夫か雪ノ下。基本スペック無茶苦茶高いのになんでこういうときに猪突猛進になるんだお前。

 雪ノ下は目を閉じて、何事か考え込む。由比ヶ浜はそんな雪ノ下から少し離れて、長机に頬杖突いて穏やかな目で待っていた。

 時計の秒針が一周する頃、雪ノ下が目を開いて口火を切る。

「決めたわ。私が由比ヶ浜さんに勝ったら、勉強会をしましょう」

「え? するっ! それは罰ゲームじゃなくてもするよ!」

 由比ヶ浜はガタッと席を蹴立てて、勢い良く宣言する。そこにはもう雪ノ下を見守るような気配はなくなっていた。

 雪ノ下はそれを勝ち誇ったような笑みで迎える。

「勉強会よ。いつもみたいな、勉強会と銘打った雑談じゃなくて、勉強しかしない勉強会。あなたの成績を数倍に引き上げてあげるわ」

「うっ……。えっとでも、ちょっとくらいなら……」

「そう言ってちょっとで済んだ例がないでしょうあなた」

「ううっ……。お菓子とかも、なし?」

「勉強の妨げになるのならダメね。罰ゲームでしょう?」

「うううっ……う~~~」

 万策尽きた由比ヶ浜は、長机にへばりついてじっと雪ノ下を見つめる。つっても対ゆきのんならこれが最強武器なんだよなあ。

 由比ヶ浜の視線に居心地悪そうに身動ぎする。ってはええよまだ20秒も経ってねえよ。

 もうすぐ陥落かなーと思ってたら、由比ヶ浜がはあっと溜息を吐いて上体を起こす。

 そしてお団子を弄びながら、由比ヶ浜は口を開いた。

「うー、しょうがないか。罰ゲームだし。がんばって勉強するよ。……ゆきのんと一緒なら、ちゃんとできそうだし」

「由比ヶ浜……」

 その発言に多少の驚きを感じていると、雪ノ下はくすっと笑った。

「それなら、普段の勉強会でもちゃんとやってもらいたいのだけれどね」

「ひどいよっ!?」

 ひとしきりクスクス笑うと、ふいっと顔を背けて小さい声で付け足した。

「…………休憩時間は、ちゃんと取るわ。人間の集中力は限られているのだし。……雑談や間食は、したければその時にしなさい」

「……いいの?」

「……その方が効率がいいもの」

「……うんっ!」

 由比ヶ浜は雪ノ下に抱きついて、雪ノ下は表面上鬱陶しそうにしながらも由比ヶ浜を払いのけようとはしない。

 ほんとこいつら仲いいよなあ……。

 ほっこりしながら二人のゆるゆりをゆるりと眺めてると、由比ヶ浜が夢心地な声でそれを言った。

「あたしはね、もう決めてるの」

 その宣言に雪ノ下がピクリと動き、由比ヶ浜の肩を支えてちゃんと椅子に座らせる。

「あたしが勝ったら、デートしよ」

 それ、は。

「その、由比ヶ浜……」

 俺の一方的な都合で延期し続け、形を変えて由比ヶ浜が果たさせてくれたデート。

 あれを思うと、うまく言葉が出てこない。出てきてくれない。

「んーん。約束とかじゃ、なくってさ」

 んっ、と背筋を伸ばして胸を張り、夢現から帰ってくる。

「あたしと、デートするの。罰ゲーム」

「……お前とのデートが、罰ゲームにゃ、なんねーだろ」

 そう言うと彼女はふにゃっと笑う。

「へへ……嬉しいな……。でも、罰ゲームは罰ゲームだよ。ヒッキーが全部考えて、あたしとデートするの。ヒッキー、そういうの超苦手でしょ?」

 ……なる、ほど。そりゃあ確かに苦手だわ。

「……納得したわ」

「うん。頑張ってね」

 でも、な。それはやっぱ罰ゲームにはなんねえよ。どれだけ大変でも、絶対に。

 注がれる穏やかな眼差しを見ていられなくて、ふいっと僅かに目を逸らす。と、逃した先でも暖かな眼差しとぶつかった。

 おっつけ、由比ヶ浜も雪ノ下に目を向ける。

「ゆきのんもだよ」

「……私、も?」

「そ。ゆきのんも、あたしが勝ったらデートするの。罰ゲーム。ゆきのんが全部考えるんだ」

「それは……大変ね」

「うん、大変だ」

「……罰ゲーム、ね」

「頑張ってね」

「いいえ。……そもそも、負ける気はないもの」

「あたしも負けないよー」

 雪ノ下は勝ち気な表情で由比ヶ浜に笑いかける。由比ヶ浜もニコニコと笑ってそれを見ている。

 しかし思ってたよりずっと大事になってきたなこれ。賞罰が大掛かりになりすぎだ。

「後は比企谷くんが由比ヶ浜さんに勝ったときの罰ゲームが決まれば全ての賞罰が確定するわね」

「ん、まだ残ってたか? いや、それはなくていいよ別に」

 由比ヶ浜の罰ゲームが罰ゲームって感じじゃないしな。ここに景品付けたら収支が合わなくなっちまう。

「それは駄目よ。不公平、なのでしょう? 報酬があるのなら相応の罰則もあるべきだわ」

 雪ノ下は俺の台詞を引き合いに出してくる。確かにそれが元で始まった話だから、そう言われると何も言い返せないんだが。

「そーだよヒッキー。なんかないの? あたしにやってほしいことならなんでもするよ?」

「なんでも、って……」

 お前そういう発言を思春期真っ盛りの男子高校生にするんじゃありませんマジで。マジで。ほんとマジで。

 その言動に万乳引力が働いて、つい一瞬その豊かな膨らみに目をやってしまった。もうね、びっくりするほど反射。人間の本能ってここまで色濃く残ってたのってレベル。

 などと脳内で自己弁護やってみたところで、そんな不躾な視線を雪ノ下が見逃してくれるはずもなく。

「待て、仕舞え」

 凍えるような眼光で何も言わずスマホを取り出す雪ノ下を宥める。

「比企谷くん、その目は通報するに足る要件は満たしていると思うのだけれど、どう思うかしら」

「分かるが、待て。待つんだ。その気軽ないちいちぜろは俺が死ぬ。社会的に」

 おい今親指動かなかったか。馬鹿なことはやめるんだッ!

 しかし俺たちがこんなバカをやっている横、由比ヶ浜はと言うと頬を赤くはしたものの、目を伏せ胸元に右の指先を当て、何事か考えているのか表面上は平静を保っているようにみえる。

 普段なら『変態!』の一言でもぶつけられそうなもんなんだが、それもない。

 雪ノ下も会話の流れに違和を覚えたのか、スマホをしまって由比ヶ浜をちらりと見やる。

「由比ヶ浜さん?」

 その呼びかけにピクリと反応し、由比ヶ浜は再起動する。

「ヒッキー」

 ゆるりと体ごと俺の方に向けて、その紅をさした顔に浮かぶのは透き通るような無表情。落ち着いた声音のせいか、童顔の彼女が不思議なくらい大人びて見えた。

「は、はい」

「身体、触りたいの?」

「は……はあっ!?」

「由比ヶ浜さん!?」

 ちょ、はっ!? 突然何言い出してんのこの子!?

 雪ノ下も驚愕で言葉が続かない。腰掛けたまま崩したバランスを、椅子の脚を鳴らして取り戻していた。

「おま、この……!」

 ビッチ、と口をついて出る前に、その言葉は口腔内で溶けて消えた。

 耳まで真っ赤にしながらも何も言わずただじっと見つめてくる由比ヶ浜に、跡形もなく溶かされてしまった。

「…………」

 待っている。由比ヶ浜は俺の言葉を待っている。

 由比ヶ浜の熱に当てられたように、俺の頭にも熱が灯る。

 その熱のせいか、再度視線が下がってしまう。やはり暴力的なまでにでかい。

 はっと自分がやってることに気付いて目を逸らすが、完全に手遅れ。気持ち悪いほどにまじまじ見てたのがバレバレである。

 ガリガリと頭を掻いて、歯の奥をギリっと鳴らす。

 由比ヶ浜はじっと、見ている。

「…………ん」

 そっぽを向いての消え入るような肯定。届いているかすらも分からない。

 由比ヶ浜は頭は悪いし八方美人だが、決して軽い女の子じゃない。知っているのだ。一年間、ずっと一緒にいたから。

「そっか」

 真剣な表情で、真摯な態度で、こんな馬鹿げたことを由比ヶ浜は俺に問うた。

 そして、あんな無様な返答に、満足気に微笑んでくれた。

「じゃあ、いいよ」

「…………」

 その顔を見ていると、本当にいいのか、と問い返すことはできなかった。

 雪ノ下も、驚愕と不安、羞恥にそれ以外の何かが綯い交ぜになったような表情でそれを見ていた。

 由比ヶ浜が目を閉じて、すぅっと軽く息を吸う。

 はっと息を吐いてぱちっと目を開くと、元気な笑顔とともにいつもの由比ヶ浜がそこにいた。

「じゃ、あたしが負けたら、ヒッキーはあたしとゆきのんを触っていいってことで!」

 そんで、なんかまたとんでもない爆弾をぶん投げてきた。

 雪ノ下は今度こそ椅子を蹴立てて立ち上がり、由比ヶ浜に食って掛かる。

「ちょ、待ちなさい! 由比ヶ浜さん、どうして私も!?」

 もう何なの? さっきから驚愕とそれ以外で心臓跳ね回りすぎててもたないよ。

 雪ノ下の疑問に、由比ヶ浜がにこにこ顔で手を握る。出鼻を挫かれたみたいに、目に見えて雪ノ下の勢いが減退した。

「ダメなの?」

「……ダメ、というか、私が罰ゲームの対象になる謂れはないでしょう」

「んー……。ゆきのんがヒッキーに勝ったら、あたしがヒッキーのお弁当作るんだよね。なら、ヒッキーがあたしに勝ったら、ゆきのんも一緒に罰ゲーム受けてもいいんじゃないかな」

「それは……」

 由比ヶ浜が雪ノ下の手を撫で、じっと目を見る。

 どうにも追い詰められてるっぽい雪ノ下が、見返り美人図でこちらをちらりちらりと窺ってくる。やめろよそのポーズお前がやると破壊力が凄いんだよ。つーかこの状況、俺に何が出来るというのか。

「あ、でもどうしても嫌なら、やめる……けど……」

 由比ヶ浜はやりすぎたと思ったのか、さすっていた手を止め雪ノ下の反応を待つ。

 麗しい黒髪の隙間から見える耳が真っ赤に染まっている。時折振り向くその顔も動揺に。違った同様に。俺のほうが動揺してないかこれ。いや雪ノ下も動揺してるようだけど。

「ひ、きがやくんは……その、わた、しも……」

 雪ノ下がとぎれとぎれに吐く言葉が、耳の中で反響する。囁き声もかくやな小声のはずなのに、聞き逃す気が全くしない。

「触れたい……の?」

 単純に本能か、それとも由比ヶ浜に問われたときの熱がまだ残っていたのか、もしかすると自分の意志か。

 それすらもわからないけど、雪ノ下がそれを言い切ったとき、雪ノ下の後ろ姿を舐めるように見てしまっていた。

 艶やかな濡れ羽色は背に広がり、本当に中身が入っているのか不安になるほど細い腰、真っ白で滑らかな脚。

 背中を見せているとはいえこちらを窺っている雪ノ下にそれがバレないはずもなく、元より向かい合う由比ヶ浜には隠しようもない。

 雪ノ下の紅潮が最高潮になり、由比ヶ浜は何故か知らんが喜色を滲ませて成り行きを見守っている。

 視線を彷徨わせ、頬は引きつり、落ち着かなさに頭を掻き毟って細く長い息を吐く。

「お前ら、自分の容姿を自覚しろよ……」

 吐息に混じらせた呟きは、似非難聴系主人公でもガチで聞こえないレベルの声量になってるんじゃなかろうか。

「お前らより可愛い女の子なんて、どこ探したっているわけねえだろ……」

 顔が赤熱する。二人の反応を見るどころじゃない。自分の心音が耳に煩すぎて、つい今しがた喋ったはずのことを本当に喋ったのかも分からなくなる。

 頭抱えて蹲りたい。なんなら今すぐ帰宅して布団に入って叫んで忘れて全部なかったことにしたい。

 ……そんなことできたらトラウマ抱えてねーやな。むしろ連鎖的に過去のトラウマが爆発しそうだ。フフ怖い。

 脳内で現実逃避を嗜んでいると、ううううう、と羞恥に悶えるような声が聞こえてきた。自分でも気付かないうちに呻いていたかとも思ったが、どうやら発生源は俺ではなく。

 その声の元に目を向けると、雪ノ下が由比ヶ浜の手を両手で握り、しゃがみこんで膝頭に顔を埋めている。垣間見える頬や耳は、これ以上ないと思っていた紅潮に更に上があったことを教えてくれた。

 由比ヶ浜も由比ヶ浜で、魂でも抜かれたかのようにぼうっとした顔で俺の顔を見つめていた。こちらも全身の血流が顔に集まったんじゃないかと思うような紅色で、潤み濡れた瞳に縫い止められていると俺の方が吸い込まれそうになってくる。

 なん、で。

 二人がこんな反応、してるのか。

 その意味を頭が勝手に、俺に都合よく考えそうになってしまうのを、無理やり止める。

 身体の中がぎゅうっと絞られるような焦燥感。それに押されて、はぁっ、と灼けるような吐息が零れ出る。

 思わず身震いしそうになるのを身を固くし腕をかき抱くことで抑え留め、昂りに熱を持つ目頭を誤魔化すために眼を閉じる。

 我が事ながら、気持ち悪いこと甚だしい。

 一体、二人に何を押し付けようというのか。何様のつもりで。

 ふと気づけば、雪ノ下の声が止んでいた。

 目を開いて雪ノ下を見ると、腕の隙間からこちらを覗く濡れた瞳と視線が合った。心臓が跳ねる。

 雪ノ下は一瞬震え、膝頭に顔を押し付けるとすっと立ち上がった。その顔は由比ヶ浜の方を、つまり向こうを向いている。

 一つ深呼吸をして、雪ノ下は口を開いた。

「……わかったわ」

 動揺も狼狽も努めて押し殺した、平坦な声音。

「不公平は認められないものね……」

 本当にいいのか、という問い返しは、その音吐に均されて消えた。

 由比ヶ浜は目を細めて雪ノ下の顔を見上げている。

「……不公平は、認められないもの」

 自分に言い聞かせるように、繰り返す。

 ゆきのん、と小さな呟きが聞こえてきた。

「……ただし、私が由比ヶ浜さんに勝ったら、あなたも勉強会に参加しなさい。泣き言も恨み節も一切を認めないわ」

 呼吸を整え、振り向き、耳まで真っ赤な無表情で告げてくる。

「比企谷くんを学年二位にしてあげる」

「……了解だ」

 どうにかこうにか、そっぽを向いたままそれだけ口に出して白旗を揚げる。不公平は、認められないしな。

 天使が通り、聞こえる音は身じろぎに附随する衣擦れとお互いの押し殺した息遣いだけ。と言うかなんで俺は呼吸音を立てることすら厭っているんだ。

 頼むから誰かなんか喋れとぼっちの俺が初めて祈るしながらも、息苦しさに耐えかねてもうなんでもいいやと口を開きそうになったとき。

「きゅ、うけいを、一旦、ゲームの前に、挟みましょう。また、後で……!」

 雪ノ下が一息に喋りだした。最初声がひっくり返ったのは聞き逃す。触れるとバックダメージでこっちが死ぬ。

 無表情を維持しきれず、泣き笑いのように崩してしまったことを彼女が顔を背ける一瞬だけ見てしまう。見てしまった。

 台詞の後半にはもう、扉の方に足を進めている。俺も由比ヶ浜も反応する機を逸して、雪ノ下が扉を潜るまでそれをただ見送ってしまう。

 扉を閉まる音で由比ヶ浜は再起動し、慌てて立ち上がる。

「ヒッキー! ゆきのん連れ戻してくるから、ここ出てて!」

 それだけ言い残して、雪ノ下の後を追っていった。

 ……いや、まあ。今顔を合わせるのは、俺もしんどいし。

 お言葉に甘えて、のっそり部室を出ていくことにする。

 …………マッ缶、買いに行こ。

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