いつもの場所で、彼と彼女らは仲睦まじく遊んでいる。 作:サンダーソード
結局、三十分ほどインターバルを置いてから部室に戻ることにした。
俺は一人で何も考えないようにしながらマッ缶飲んでたからその間どうなってたかは知らん。
正直味なんて分かったもんじゃないっつーか、今思えば最後の方は機械的に空き缶傾けながら呆けてるだけだった気がする。
乾ききった空き缶をゴミ箱に放り込み、足を引きずるようにして部室まで戻る。
手をかけた扉がからからと音を立てて開く。雪ノ下も由比ヶ浜もなんかこっちをガン見してて、少しだけ視線に気圧された。
視線に晒されながらも自分の席に着くと、それを合図に雪ノ下が立ち上がった。
「ではまずはルールと賞罰の確認をしましょう。一、出題者が早口言葉を提示。二、回答者はそれを三回繰り返す。三、早口言葉は五十文字以内で、四、お手つきは一回まで。以上ね」
チョークを手に取り、黒板に四つのルールを書きつける。カッカッと小気味よい音が鳴るごとに、綺麗な文字が並んでいく。
「私が比企谷くんに勝ったら比企谷くんは一週間由比ヶ浜さんのお弁当を食べること。由比ヶ浜さんに勝ったら三人で勉強会を開かせてもらうわ。覚悟はしておきなさい」
「あたしがヒッキーに勝ったら、ヒッキーが考えたデートするの。ゆきのんに勝ったら、ゆきのんが考えたデート。えへへ、楽しみだなー」
「んで、俺が雪ノ下に勝ったら雪ノ下が一週間昼食の弁当を作ってきてくれる。由比ヶ浜に勝ったら……その、二人に、触る」
最後の条件が異質すぎてヤバイ。なんなら口に出すだけで喉が渇くレベル。あ、二人も顔赤い。
雪ノ下が咳払いの声で熱っぽく淀んだ空気を禊ぎ、話を続ける。
「……そう、ね。それと、賞罰の履行期も決めましょう。お弁当はどちらが勝っても来週一週間。勉強会は……基本、月水金の放課後でいいかしら。由比ヶ浜さんには何かしら用事が入ることもあるでしょうし、あくまで目安だけれど」
「由比ヶ浜を強調して言外に俺は違うって言ってません? それ。俺だってなんかしら予定入るかもしんねえだろ」
「あら、入るの?」
「……いや、入んねえだろうけどよ。お前はどうなんだよ」
「……由比ヶ浜さんには、と言ったでしょう」
雪ノ下の視線が流れるように逸れる。あ、はい。理解しました。
「あたしもちゃんと来るよ! 罰ゲームだし!」
由比ヶ浜が元気よく答える。なんか雪ノ下がちょっと嬉しそうだ。さすがゆりのん。
「少しくらい土日もやんない? 合宿とかみたいで楽しそう!」
「あなた罰ゲームだということを忘れていないかしら……まあ、勉強会の期間は次のテストまでとして、どこかで土日もやりましょうか」
「うん!」
なんだろう、なし崩しに勉強会の形がお茶会に変えられていきそうな予感がしないでもない。ちょろあまのんさん大丈夫ですか。
「デートは……由比ヶ浜さんが決めるべきね。いつがいいかしら?」
「え、あたしが決めていいの?」
「由比ヶ浜さんの報酬だもの。……それに、私と比企谷くんの予定を考慮に入れる必要はないのだし」
「雪ノ下、お前ちょっと大丈夫か」
「あら、何が?」
なんかさっきから自虐風味を感じるんだが、どっか不安定になってないかお前。
「えっとじゃあ、来週! 土曜日にゆきのん、日曜日にヒッキー! デートの後ゆきのんちにお泊りして、次の日ヒッキーとデートするの!」
「おお……何と潔い二股宣言」
「私とお泊りしたその足で、他の男のところに行くのね……」
雪ノ下がわざとらしくよよよと目を伏せ口元を手で覆う。
「えっちょっ、えー!?」
「冗談だ」
「冗談よ」
「え……もー!」
ぷんすかと擬音立てそうな緩さで由比ヶ浜が怒……むくれる。いや怒ってるんだろうけど怒ってるように見えないんだって。
「…………残りの賞罰は、まあ、由比ヶ浜のデートまでってことで、いいんじゃないか」
「…………ええ、わかったわ」
最後に残った罰ゲームの履行期を、なるべく意識しないようにささっと決める。
むくれて頬を赤くしてた由比ヶ浜も、今は別の理由で紅潮させているように見えるから困る。
「っつーか……なんかかなりの大事になってないか。ただ軽くゲームをするだけのはずだったんじゃないのか……」
「……あなた、誰のせいだと……!」
雪ノ下が首筋まで赤くして涙目で睨んでくる。ああうん、負け抜けしようとした俺が悪かったですねごめんなさい。でもやっすい喧嘩を高く買う君も悪いと思うのん。
とりあえず雪ノ下が紅茶を淹れなおし由比ヶ浜がお菓子を並べ、全員が落ち着くのを待って、さてもゲームは始まった。
× × ×
始まったはいいが、俺も雪ノ下も由比ヶ浜も、なんとなくお互いの顔を見合わせている。落ち着きすぎて先に動いたら負け的な空気になってねえ? 気の所為?
……ふむ、それじゃあお題も思いついたし先手はいただこうか。
「じゃあまずは小手調べ。『バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発』」
俺のお題を聞くと、由比ヶ浜はにっと笑って胸を張る。まあ、簡単だもんなあ。バスガス爆発。
ところでそのポーズ、ちょっと刺激が強いので控えてもらってもよかですか。
「そんなの簡単じゃん! じゃあ……」
「待って由比ヶ浜さん。私から行くわ」
だが、由比ヶ浜が回答しようというところで雪ノ下のインターセプトが入る。
止められた由比ヶ浜はキョトンとして、目をしばたたかせる。
「え? いいけど……」
その返答を聞き、雪ノ下はすっと息を吸い込んだ。
「では……『バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発……』」
「うん、やっぱり簡単だよね」
「『バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発』。どう?」
「え? そんないっぱい?」
「……雪ノ下、クリアだな」
バレてたかー。まあ由比ヶ浜を止めた時点でわかってたけど。
「由比ヶ浜さん、ルール二。早口言葉は三回繰り返すのよ。だからこの男のお題は『バスガス爆発』九回唱えないとクリアにならないの」
「え? あっ! うわっ、ヒッキーずるっ!」
雪ノ下の眼光が鋭い。俺の小細工を理解した由比ヶ浜が、一歩遅れて糾弾する、ってほどでもねえなこれ。文句を言う。
「ははは何のことロボ?」
「小手調べだと宣言して容易であると意識を誘導している辺り質が悪いわね」
雪ノ下の方は眼光の鋭さがマシマシになった件。防御力が下がるな。
「えっとじゃあ、あたしも。『バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発バスガス爆発』」
「由比ヶ浜クリアだな。簡単だったろ?」
「言うのは簡単だけど……」
「追求しても詮無いことよ。次は私が出題するわ」
× × ×
「では私も小手調べを。『この子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ね』」
なんだかんだで動き出したからか、雪ノ下は悩む様子もなくお題を出す。思いつかずにまごついてたわけじゃないんですね。
「小手調べとか言いつつ普通のやつより難易度増してね?」
「え、えーと……ゆきのん、もう一回言って?」
この子猫云々の早口言葉ってその半分くらいじゃなかった? 由比ヶ浜聞き取れてないよ。口には出してないけど実は俺も。
「『この子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ね』」
よし、今度は覚えた。この子猫どこの猫の子? ここの猫の子猫、この子猫ね。流れるように言われると文節が分かりにくくてしょうがない。
「俺先やるわ。『この子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ねこの子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ねこの子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ね』。どうだ?」
「比企谷くん、クリアね」
猫猫子猫がゲシュタルト崩壊する勢い。ねこねこソフト? 知らないメーカーですね。
「えーと、えーと……できた。ゆきのん、これでいい?」
そう言って由比ヶ浜がデッコデコしたガラケーの画面を雪ノ下に見せる。
「あら……ふふ、ええ、それで合っているわ」
ほー、ガラケーにお題を写したのか。よく思いついたなこいつ。
「由比ヶ浜とは思えない見事な発想だな」
「あたしと思えないってなんなのさ!?」
いやいや、褒めてるのよ? マジで感心したわ。頭の中のを諳んじるのと目の前の文を読むのとじゃ難易度も変わる。
よし、難しそうなお題が来たらこのやり方パクろう。
「由比ヶ浜さん、放っておきなさいそんな男。実際、いいアイデアだと思うわ」
「ゆきのん……。よし、いくよ。『この子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ねこの子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ねこの子猫どこの猫の子ここの猫の子猫この子猫ね』。ど、どう!?」
その甲斐あってか、危なげなく言い終える。雪ノ下も満足そうに頷いた。
「由比ヶ浜さん、クリアね」
× × ×
「次あたしかー。んー……」
あ、ガハマさんの方は普通に思いつかずまごついてたんですね。そんな気はしてた。
しかし唸っていた時間はさほど長くなく、秒針が四分の一も回る頃には嬉しそうな顔をぱっと上げる。
「よし、じゃ、あたしもこてしらべ。『赤巻紙青巻紙黄巻紙』っ! ……ねえゆきのん、巻紙ってなんだろ?」
由比ヶ浜がなんかもうさすがすぎた。なんなら小手調べの発音も怪しかったけど大丈夫なのこいつ?
「あなたは……」
雪ノ下が額を指で抑えてふーっと息を吐く。奇遇ですね僕もちょうどそんな気分です。
「半切紙……紙を継ぎ合わせて巻物のように巻いた紙のことよ。単純に物を巻く紙のことも指すけれど……」
「平塚先生が吸ってるだろ。あの結婚できない原因の一つ。あれ、紙巻煙草とか、巻紙煙草っつったりする」
ははは、これ聞かれてたらノータイムで一発入れられてもおかしくねえな。
「ほえー……」
由比ヶ浜は感心してるのかなんなのか、ぽけっと口を開けて聞いていた。分かってんのかこいつ。なんかそれ見てるとふと心配になった。
「おい由比ヶ浜、お前煙草とか絶対手を出すなよ? あれ、服毒してるのと変わんねえからな。まして将来のこと考えたら、子供とかにも絶対良くない影響出るし、碌なこと……」
雪ノ下は勧めてくる阿呆とかを完膚なきまでに返り討ちにすること請け合いだが、由比ヶ浜の場合は強く押されると流されそうな不安がある。
そんな憂慮を胸に滔々と語ってると、どうにも由比ヶ浜の様子がおかしいことに気付く。開いていた口がきゅっと閉じられ、なんでか知らんが瞳が潤み顔が真っ赤になっている。
由比ヶ浜の艶のある表情に気を取られて忠告の言葉が途切れると、彼女が口の中で小さく何か呟いていることに気が付いた。
「将来…………子供…………」
それが聞こえた瞬間、こっちの顔が火に包まれた。反射的にばっと由比ヶ浜から顔を背ける。
おい、ちょ、待て。さっきの台詞、忠告じゃなくて命令と取られてないか。あれ、そういう目で見るとかなりの……。
お前の、じゃなくて……俺、たち、の、って……おおおおおおおおっ……!
馬鹿じゃねーの! 馬鹿じゃねーの! 何クソ気持ち悪い妄想押し付けてんだよ俺! バーカ! 俺のバーカ! おい考えんなこの先顔合わせらんなくなるぞ忘れろ!
やべぇ、変な笑いが喉の奥から迫り上がってくる。そのせいでまともに喋れる気がしない。脂汗が止まらん。全身が熱をもって脳味噌を焦がす。
落ち着け……! 落ち着け……! 深呼吸だひっひっふー、いやそれちげえよってうおええええええええ!?
なんだって現実逃避に選んだものが子供ネタにクリティカルヒットしてんですかね!? 自分の迂闊さが怖い!
の~みそこねこねコンパイルが頂点に達したとき、凝固点を下回る冷水が如き凍てついた声音が鼓膜に突き刺さった。
「そろそろいいかしら」
「…………ふぇっ?」
由比ヶ浜がワンテンポ遅れて再起動する。その可愛……間の抜けた声に釣られて、つい背けた顔を戻してしまう。
結果、真っ赤になった由比ヶ浜の恍惚とした表情を真正面から見てしまった。
うわ……これ、ヤバイ。
何がヤバイって……ヤバイ。ダメだ、脳が茹だってる。言葉が出てこない。
俺の反応で自身の状態を自覚したのか、由比ヶ浜は慌ててパタパタと取り繕う。
「あっ、ごめんゆきのん。えっと、なんだっけ」
「……『赤巻紙青巻紙黄巻紙赤巻紙青巻紙黄巻紙赤巻紙青巻紙黄巻紙』」
「え? あー……えっと、ゆきのん、クリア……」
「……そう」
なんか知らんが雪ノ下の機嫌がすこぶる悪化してないか。なんでか知らんが。
「あー……雪ノ下?」
「何かしら関白谷くん。楽しい妄想が終わったのなら早く回答したらどうかしら」
ふいと顔を背けて、そっけなく言の葉を投げてくる。
これ、まさか、だけど。……拗ねてる、のか?
いや、まさか、だよな? そうなる要素なかったよな?
だが由比ヶ浜がバッシバシアイコンタクトを飛ばしてきてる。巻紙はよ言えやって意味じゃねえよなこれ?
えー、と。もし違ったら速攻で家帰って布団頭から被って力尽きるまで叫ぶレベルの自意識過剰なんだけど。
「雪ノ下」
取り澄ました声を突貫で作り上げ、雪ノ下に呼びかける。
「…………何?」
「あー、その……。お前は強く勧められても由比ヶ浜みたいに流されたりしないだろうけど、お前も煙草とか絶対手を出すなよ? その、子供とか、良くないし……」
でっち上げた鍍金は一瞬で剥がれ落ち、純粋に忠告してたつもりだった先刻とは比にならないほど無様な台詞が途切れながら零れ落ちた。
雪ノ下は何も言わずじっと俺を見つめる。
俺の方も途轍もないしくじった感で何も言えない。
真綿越しに針の筵に包まれて徐々に絞られていくような、身を削る沈黙。
そろそろ土下座が視野に入ろうかというとき、雪ノ下が表情を解かしクスッと笑った。
「吸う気はないわよ。あんなもの、デメリットしかないじゃない。比企谷くんに言われるまでもないわ」
「お、おう……そうじゃないかとは思ってたが……」
え、これどうなの? 正解なの? それともお布団直行コースなの?
判じかねて由比ヶ浜を窺うと、満面の笑みを返してきた。
その笑顔に彼女との一連のやり取りを思い出してしまい、また安定が遠くなる。そうだ、早口言葉を答えねば。
「あー、俺も答えるぞ。『赤巻紙青巻紙黄巻紙赤ま、きっ、紙青巻紙黄巻紙、赤巻紙青巻紙黄巻紙』」
「うん……ヒッキー、クリアだね。ギリギリ」
あっぶねえトチりかけた。この比企谷八幡に精神的動揺による操作ミスが起こるとは……。
震える手を雪ノ下の淹れてくれた紅茶に伸ばし、湯呑みを一気にクッと傾ける。
程よく冷めた紅茶が喉の奥を滑り、思わず大きなため息が零れ落ちる。少しだけ落ち着けた。
「あ、あのね」
だというのに、直後に由比ヶ浜が首筋まで真っ赤になりながら席を立ち、寄ってくる。
嫌な、というには浮ついた予感が襲ってくる。
至近まで近づいた由比ヶ浜は、内緒話をするように耳に口を近づけてぽしょりと言った。
「あたし、絶対タバコ吸わないから。絶対」
ボッ、と。一瞬で顔が燃え上がった。
何の、とは言わないけど。俺に耐えられる限界を超えた。
真っ赤に燃えた顔を隠すように背け、トイレ行ってくるとだけ言い残して戦略的撤退を決め込むことにした。