いつもの場所で、彼と彼女らは仲睦まじく遊んでいる。 作:サンダーソード
五分ほどかけて用のないトイレに寄り、特に何も買わないのに自販機を巡って、部室まで戻る。
扉を引く前に軽く深呼吸して視線に耐える気構えを持つ。しかし入ってみれば由比ヶ浜は俯いて両手を行儀よく揃えた腿においてるし、雪ノ下は文庫本に視線を落としている。
由比ヶ浜が耳まで真っ赤にしていることや、雪ノ下の目線が文庫本の一点から全く動いていないことは気付かなかったことにした。
席に着くと、湯呑みから湯気が立ち上っていることに気がついた。ああ、そっか。出る前に飲み干していったっけか。
目が勝手に雪ノ下を窺うと、ふいと視線をそらされる。……まあ、逸らすってことはその前はこっちを見てたってことだけど。
その湯気が少し勢いを落ち着かせたものだと気付くと、沸いて来た罪悪感が胸を擽った。何で俺は用のない回り道なんぞしてきたのかと、後悔が過去の自分を査問する。ぼーっと展示商品を眺めたあげくスポルトップでも買ってたら擽る程度じゃ済まなかったなこれ。
……いや、うん。善意で淹れてくれたのにお礼をいうのも人としての礼儀というか。由比ヶ浜のマグカップと雪ノ下のティーカップからは蒸気が立っておらず、つまり俺だけのために淹れてくれたということで。
湯呑みを引き寄せ、まだ熱い紅茶を飲んでいることが伝わる程度に音を立てて啜る。
湯呑みで中央が隠された視界の隅、雪ノ下がこちらを気にする気配を発する。
湯呑みから口を離し静かに長机に置く。喉を潤したはずなのに、吐き出そうとする言葉のせいで粘つくような感覚。
「ん……あー……うまい」
ピクリ、と雪ノ下が肩を揺らす。
「あー……、ありがとな、紅茶」
雪ノ下は何も言わないが、文庫本に向けている表情が和らいだ気がした。
「その、いつも……淹れてくれて」
だからか、余計な一言を加えてしまう。
無茶苦茶な賞罰賭けてゲームしてるからか、距離感が狂ってしまっているかもしれない。パースちゃんと取ったの?
慌てて口を噤んで顔を背けるも、時既に遅し。がっつり聞こえただろう雪ノ下……と、由比ヶ浜もなんか再起動してるんですが。
雪ノ下は由比ヶ浜の熱が移ったかのように真っ赤になり、由比ヶ浜は紅潮を落ち着かせつつも嬉しそうに穏やかな笑みを浮かべていた。
「その……いいのよ」
雪ノ下はページを捲らないままの文庫本から頑として視線を動かさず、口を開く。
「気に、しなくても」
辿々しく重ねる慣れない言葉には、だからこそ彼女の本意が読み取れた。
俺は答える言葉も持たず、ただ黙ってもう一度湯呑みを手に取り、緩やかに傾けた。
× × ×
「さて、じゃあ一周して次また俺だな。……待たせて悪い」
「んーん。トイレならしょうがないよ」
「そうね。トイレなら、ね」
ごめんなさいね用もないトイレに寄ってきて。用は足してないんです。つーか雪ノ下分かってて突っついてんだろそれ。分かった上で流してくれるガハマさんの優しさをもっと見習おう? でも完全に無駄に待たせた俺が悪いから何も言えないのん。
「じゃあお題だが……そうだな、『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』」
「むむ……長い」
「あら、詠み人知らず?」
「なにそれ?」
「まあそうだが……よく知ってんな毎度」
雪ノ下がふふんと濡羽の髪を手櫛で梳き、ふわっと広げる。そういうのほんと様になるよなこいつ。
「和歌集で作者不明の作品であることを指す言葉よ。誰が詠んだ詩か分からない、という意味ね」
機嫌よく由比ヶ浜に説明する。
「ふーん……せっかくずっと残るようなものが作れたのに、作った人の名前が分かんなくなるってなんかかわいそうだね」
由比ヶ浜は何の気なしに、自分の感ずるままを言ったのだろう、が。
面食らった。
視界の隅に映る雪ノ下も由比ヶ浜を見て目を見開いている。
俺や雪ノ下じゃ十年掛けても出てこない感想だろう。
ほんと、こいつは……。優しさが体の芯に根付いてる、とでも言うべきか。見てて危なっかしく感じるほどに。
「え、なに? どしたの?」
由比ヶ浜は固まった俺と雪ノ下にキョロキョロと視線を行き来させる。
「いや、なんでもねえよ。……お前、すげえな」
「そうね。なんでもないわ。……時々、簡単に飛び越えてくるのよね」
「ん、んー? なんかわかんないけど二人だけで通じ合ってる感じのがなんかずるい……」
俺と雪ノ下はそこで小さく吹き出してしまう。
「あ、ほらまたー! もー、仲間外れしないでよー!」
「むしろお前が中心だよ。ほれ、はよ言え」
「全然そんな感じしない……。えと、もっかい言って? 月々に、月見る月はなんだっけ?」
「『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』」
「ちょっと待って……………………これでいい?」
由比ヶ浜はてこてこ歩いてきて、少し屈んでガラケーの画面を見せてくる。近い。あとポーズ。
「あ、ああ……あってる」
「よっし、じゃあ……。『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月、月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月、月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』。ふぅ」
両手に持ったガラケーを凝視して、途中に息継ぎを挟みつつも危なげなく突破する。
「由比ヶ浜、クリアだな」
「長いけど、長いだけで難しくなかったね」
照れ笑いしながら由比ヶ浜はそう評した。まあ、そうだな。長いだけだ。
由比ヶ浜が席に戻った辺りで、雪ノ下も口を開く。
「では、次は私ね」
「おう、いつでもどうぞ」
特に気負いもせず、十分に肺を膨らませてから詠み人知らずを諳んずる。
俺はおくびにも出さないように注意しつつ、タイミングを計る。
「『月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月月々に』」
ここだ。
「あ、雪ノ下ちょっといいか」
「『月見る月は多けれど月見る月はこの月の月月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月』。……何かしら」
安定の失敗。雪ノ下の眼光が鋭くなる。これ妨害狙いなのバレてますわ。まあ雪ノ下相手に成功するとは思ってなかったけど。
ガハマさん相手なら? 多分罪悪感で死ぬほど簡単に引っかかるんじゃないですかね。
「……いや、なんでもない。雪ノ下クリアだ」
「……そう」
雪ノ下はティーカップに手を伸ばし、しかしそれには口をつけず、続ける。
「長いお題を出して、回答中に呼びかけて、何もないと。そう、言うのね」
「お、おお……」
その発言で由比ヶ浜も俺の意図に気付いたのか、くるりと首をこちらに回して呆れたような目を向ける。
「ヒッキー……また?」
「おいやめろその溜息混じりの苦笑い」
雪ノ下は弄んでいた紅茶を上品に飲み、体温より高めの吐息を一つ。
目を開いて勝ち気な視線を遠慮なしにぶつけてくる。
……とりあえず、俺が雪ノ下を狙ってることはバレただろうか。
まず、俺は雪ノ下に負けたら由比ヶ浜の弁当を一週間。由比ヶ浜に負けたら由比ヶ浜とデート。
改めて何だこの条件。いやまあそれはともかく、つまり俺としては雪ノ下に負けるわけにはいかないということで。
そして、俺が雪ノ下に勝ったら雪ノ下の弁当を一週間。由比ヶ浜に勝ったら、二人に……うん。
この『俺が由比ヶ浜に勝ったら』、というのがポイントで、つまり雪ノ下としては俺を由比ヶ浜に勝たせるわけにはいかないはずなのだ。
いやまあ俺としては先に由比ヶ浜が負けてもそれほど問題ないんだけど、ほら、その、なに? 由比ヶ浜なら雪ノ下とやりあう流れ弾で勝手に落ちるんじゃない?
……それに、その、勝ったら……って条件の由比ヶ浜を全力で負かしにいくのって、なんつーか……ねえ?
『そんなに私たちに触れたいの? ……さすがに気持ち悪いわよ』、とか。
『ヒッキーちょっと必死すぎるかなー……あはは……』、とか。
そんなん言われたら死ぬぞ俺。いや言わないと思うけど。思うけど。
事が事だけに『うわぁ……』って感じの反応されるだけでも紐無しバンジーに挑戦したくなってしまうだろう。
そうなったら小町が泣いてしまう。……泣くよね? さすがに泣いてくれるよね?
だから小町を泣かせないためにも先に雪ノ下を倒しにいかねばならんのだ。ちなみにここまでの流れは童貞乙で大体略せる。
俺は湯呑みで口を湿らせて、雪ノ下のお題を待つことにした。
× × ×
「次は私の番ね。『にゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ、曾孫に玄孫に来孫にゃんこ、昆孫仍孫雲孫にゃんこ』」
「は?」
「ゆ、ゆきのん?」
にゃんこ子にゃんこ言った辺りでああこれか、と思ったが、後半になんか聞いたことのない呪文が追加されてた。
雪ノ下は陶然とした表情でにやけている。そんな表情でも様になるってずるいよね。
「ねこだらけ……」
「なあ、玄孫の後なんつった? 文脈考えれば子々孫々なんだろうが……玄孫の先とかあったのかよ」
「あたしやしゃごってのも初めて聞いた……」
「あら、由比ヶ浜さんはともかく比企谷くんも知らないのね。普段の文系自慢は鍍金なの? ふふ……『にゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ、曾孫に玄孫に来孫にゃんこ、昆孫仍孫雲孫にゃんこ』よ。」
髪をかきあげながら嬉しそうに詰ってくる。だが実際知らなかった以上言い返すことなどできやしない。マジで下手な類語辞典より語彙あるんじゃねえのか雪ノ下。
「らいそん……こんそん……ダメだ俺もメモるわ」
「あ、あたしも」
由比ヶ浜もガラケーをカタカタ打ち鳴らす。いや鳴らすってほど鳴ってはないか。なお俺より入力速度はずっと早い。
「こんそんの次は?」
「仍孫、雲孫よ。曾孫の次から玄孫、来孫、昆孫、仍孫、雲孫、ね。……何処を一代目とするかでズレるけど、子を一代目とすると玄孫が四代目、来孫が五代目、昆孫が六代目、仍孫が七代目、雲孫が八代目になるわ」
雪ノ下は淀みなく解説していく。日常的には全く使わないことだろうによくまあこんがらがりもせず説明できるもんだ。
「八代目って……猫又かよ」
「猫又には二十年必要でしょう。人間ではないのだから、生後一年かからず繁殖可能になる猫なら同時期に八世代は十分有り得るわ。……見たことはないけれど」
「そんなもん見たことあるやついるのか……? つーかやっぱ人間じゃ無理なんだな」
例えて考えてみるに、徳川将軍家十五代の過半を生き延びる妖怪ってことだろ……? そりゃ無理だわ。
「……世界記録では、自分の昆孫を生きて確認した人はいるらしい、けれど」
先程までの立て板に水が急に滞り、口ごもる。違和感を覚えてスマホから顔を上げると、頬を赤くした雪ノ下がそっぽを向いていた。
その隣では既に入力を終わらせただろう由比ヶ浜も不思議そうに雪ノ下を見て、首を傾げている。
「その、理論上は、現代なら人間でも不可能ではないはずなのよ。人間の寿命は本来百二十を超えているというし。雲孫は八代先、そのサイクルを八回繰り返せば到達するの。無論記録に残すためだけにそんな馬鹿げたことを一族総出で、まして子々孫々に強制していくなんて狂気の沙汰もいいところだけど、単純化された思考実験としてなら有り得ることは分かるでしょう? つまり、その…………」
かと思えばそれを誤魔化すように急に視線を戻して捲し立ててきたりと、どうにも安定しない。火照りは首筋まで広がっている。
「…………もう、私たちの年齢なら、子供は、つくれる、もの」
胸を貫かれたのかと、錯覚した。
瞳を潤ませながら恥じらって、耐えきれなくなったかのように戻した視線を再度背ける雪ノ下。
右手は口元でゆるく握られ、震える吐息と戦慄く唇を中途半端に隠している。
左腕は下腹部を抱きしめていて、中々に強い力が加わっているのがここからでも見て取れた。
真っ赤になって呆然と見つめる由比ヶ浜に比べてなお、恥じらう雪ノ下の白い肌に映える紅潮は鮮烈だった。
「う……わ……」
由比ヶ浜の呟きが耳を撫ぜる。つい先刻の、緊急避難の原因になった巻紙の話が生々しく蘇る。
由比ヶ浜も同じことを思い出したのだろうか、ちらりと俺を窺って、バッと顔を背けてしまった。一瞬だけ見えたその面頬の紅は、雪ノ下に負けないほど鮮やかに彩られていた。
顔が燃えるように熱い。なに、なんだこれ。
反則だろこんなもの。雪ノ下が、あんな、あんな顔をするなんて……。
体温だけじゃなく、部屋の室温まで上がっているような錯覚。頭が茹だっているからか、湿度まで上がっているように感じる。
「こっ、」
この場の誰をも焦らすような沈黙に耐えかねたのか、雪ノ下が少しだけ声を裏返して口を開いた。
それを誤魔化そうとしたのか咳払いをして、立ち上がる。
「紅茶のお湯がなくなりそうだから、変えてくるわ」
と言って、電気ケトルを手にとって足早に部屋を出て行く。そして扉が閉まると、足音は駆け出していた。
その両手で抱えたケトルは、そこまで軽そうには見えなかった。
そして部室には俺と由比ヶ浜が残される。
…………どうしろと?
なんとなくお互い赤くなった顔を見合わせる。
目が合って数秒、由比ヶ浜は苦笑いめいた曖昧な微笑を浮かべた。ごめんなさいこういう時どんな顔をすればいいのかわからないの。
由比ヶ浜から勝手に目が逸れる。それを察してか、由比ヶ浜も明後日の方向に視線を向けてくれる。
無論それが分かるのは視界の端に捕らえてるからであって、双方実は見てるけど表面上見てませんよというという暗黙の了解でこのむず痒い沈黙は成り立っている。
また部屋の湿度が上がった気がした。雪ノ下、頼むから可及的速やかに帰ってきてくれ。
× × ×
雪ノ下はたっぷり三分程掛けて帰ってきた。
いや分かる。行って帰って三分程度なら十分早いのは分かるんだ。
でもこう表現する他ないくらいに長い三分だったんだよ。時計見るたび、『え、まだこんな?』と思ったからな。
目線動かすたびに由比ヶ浜のそれとぶつかったり離れたりしていやもう終わった話はいいんだ。
雪ノ下は入り口の扉を音も立てずに閉めた後、殊更静やかに歩いてくる。
そうして両手で抱いたケトルを台座に戻し、自分の席に着いた。
俺はそっと席を立ち、雪ノ下に近づく。
「にゃっ!? んっ……な、にかしら、比企谷くん」
近寄ってくる俺を見て、雪ノ下の取り澄ました態度が一瞬だけ剥がれ落ちる。雪ノ下が落ち着けていなかったのを知って、なんだかこっちまで落ち着かなくなった。
「あ……いや、その……お題、これでいいのか?」
スマホに打ち込んだ文字を見せて、確認を取る。
「お題……え、ええ。それでいいわ。付け加えるなら来孫は来るに孫、昆孫は昆虫に孫ね。昆の文字には子孫を表す意味があるのよ。仍孫と雲孫はそれであっているわ」
雪ノ下はそっと差し出されたスマホを見て一瞬呆けた顔をしたが、すぐに調子を取り戻してユキペディアさんを披露する。
しかし日本語入力先生は偉大だ。なんで仍孫とか雲孫とかが変換できるんだよ。
「ん……由比ヶ浜も」
「あ、うん。ゆきのん、これでいい?」
「ほぼ平仮名なのね……ええ、それでいいわ。読みは」
「読みがあってるならいいだろ。ただでさえ容量少ないんだからこんな一生使わんような知識詰め込んでやるなよ」
「す、少なくないよ!」
「つーかこれ五十文字超えてんじゃねえの? …………うわ、ギリ超えてねえ」
「そんなミスしないわ。ふふ……ねこだらけ……」
雪ノ下はふにゃんと頬を緩ませる。よし、今度こそいつものペース。
「じゃ、いくぞ。『にゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ曾孫に玄孫に来孫にゃんこ昆孫仍孫雲孫にゃんこにゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ曾孫に玄孫に来孫にゃんこ昆孫仍孫雲孫にゃんこにゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ曾孫に玄孫に来孫にゃんこ昆孫仍孫雲孫にゃんこ』……。どうだ?」
「比企谷くん、クリアね」
「おう」
長いは長いが早口言葉としての難易度が高いわけじゃなかったしな。使い慣れない単語がいくらか混じってたが、それもメモ見ればただの音読になる。改めてすげえな由比ヶ浜。よく気付いたわ。
「あたしもやるね。『にゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ、ひ孫にやしゃごにらいそんにゃんこ、こんそんじょうそんうんそんにゃんこ、にゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ、ひ孫にやしゃごにらいそんにゃんこ、こんそんじょうそんうんそんにゃんこ、にゃんこ子にゃんこ孫にゃんこ、ひ孫にやしゃごにらいそんにゃんこ、こんそんじょうそんうんそんにゃんこ』! どうかな?」
「由比ヶ浜さん、クリアね」
ふふんと由比ヶ浜は胸を張って得意顔。俺はそっと目を逸らす。
…………だから、無防備すぎるんだっての。お前は。
× × ×
「あ、次あたしか」
上機嫌でさくさくお菓子をつまんでた由比ヶ浜が順番を思い出したのか、手を止めて少しだけ考える。
「ん、んー……『集中、中級、手術、注意報』?」
なんか照れながら、なのか? これ。うっすらと頬を赤くしながらガハマさんが一語一語区切りながらお題を言い切る。
……その頬の紅とお題の発音、何より少し前に真正面から見てしまった表情のせいで、一瞬キスを待っているのかと錯誤してしまった。
俺の脳味噌はもしかしたら腐ってるんじゃないだろうか。まさか目から伝染ったのか? むしろピンク色に侵されてないか。大丈夫か俺の脳。
「みじ、かいし、難しくもないな」
「う、うん……。そうかも……」
由比ヶ浜も何故か受け答えがぎこちない。手指の先端を合わせて、覗き込むような上目遣いで注視してくる。これは……口元?
確認するように身じろぎするも、やはり視線はそこから離れない気がする。
なんとなしに雪ノ下を確認すると、どうにも彼女も同じところを見つめているように思えた。
「……なに、なんなの」
「えっ? いや、なんもないよ?」
「……そうね、特に、何も」
パタパタと突き出した両手を振って否定する由比ヶ浜に、一時的に目を逸らして追従する雪ノ下。
だが由比ヶ浜の目線は動かないし、戻ってきた雪ノ下の視線もやはり変わらぬ位置に注がれている。
言葉にし難いやりにくさを感じつつも、お題の消化に挑む。……もしかしてこれ、俺がさっきやった妨害工作の亜種なの? くっ、やるじゃねえか。
「……あー、やるぞ。『集中中級手術注意報集中中級手術注意報集中中級手術注意報』」
判定を求めて由比ヶ浜をちろりと見る。由比ヶ浜は少しの間潤んだ目でぼーっとしていたが、見られていることに気付くと慌てて答える。
「あ、えと、ヒッキークリア!」
なんかほんとに聞いてたのかお前って感じの反応だけど大丈夫だよね?
ともあれ、クリアしたことに変わりはない。後は雪ノ下だ。まあこんな簡単なお題で雪ノ下がミスるとは思わないが。
そう思って雪ノ下を見ると、僅かに動揺したように目を泳がせて黒板の方を見た。
由比ヶ浜も俺に釣られてか、雪ノ下を見やる。
「……私も、始めるわね」
そう言って、軽く息を吸う。どうにも気負っているように見えるが気のせいだろうか。
「……『集中中級手術注意報集中中級手術注意報集中中級手術注意報』」
ぎこちなさはあるものの、躓く事なく言い切った。
……こいつ唇つややかで綺麗だなとか思いながら見てた俺の脳味噌は大丈夫じゃないようで。
お題を決めた由比ヶ浜よりも三倍長かっただけに、三倍脳裏に焼き付いている。ごめん嘘。区切りながらゆっくり言ってたガハマさんの方もおんなじくらい焼き付いてる。
「うん、ゆきのんクリア」
「…………」
赤い顔を背けた雪ノ下にこの煩悩が筒抜けなんじゃないかと思うと、自然俺の方も顔を背けてしまっていた。