いつもの場所で、彼と彼女らは仲睦まじく遊んでいる。 作:サンダーソード
さて、巡り巡って俺の番。んー……どうするかな。そろそろ搦手も出尽くしたが。別視点から考えてみるか。
まず、メモと時間無制限のせいで真っ当な早口言葉や難解な暗号では落とせない。それがあってなお早口……早口じゃねえよなあやっぱ。復唱要求を失敗させるには。
つまり、バスガス爆発三回みたいに早口言葉の内容を誤解させるか、途中で呼びかけるなりして意識の外から邪魔を入れるか、それとも……。
「……よし」
お題は決まった。……気は進まないが。
「比企谷くん、決まったようね」
雪ノ下が俺に向き直って、不敵な笑みを見せつける。
その目をじっと見つめ返して、口を開いた。
「『猫猫子猫舐めて鞣して三味線三昧』」
雪ノ下の顔が驚愕に歪む。
「あなたという人はどこまで……!」
「え? またなんかやったのヒッキー?」
「いいや? 特に何も?」
「いやいや、それが嘘だってのくらいわかるから。ゆきのん超悔しがってんじゃん」
さて何のことやら。雪ノ下から睨めつけるような抗議の視線がびしばし飛んできてるけど気にしないこととする。
「いや、実際何か引っ掛けとかがあるわけじゃない。なんならメモ不要なレベルで簡単だろ? 『猫猫子猫舐めて鞣して三味線三昧』。ほれ、言ってみ?」
「う、うん……。『猫猫子猫、舐めてなめして三味線ざんまい、猫猫子猫、舐めてなめして三味線ざんまい、猫猫子猫、舐めてなめして三味線ざんまい』……。言えた、よね?」
「ああ、由比ヶ浜クリアだ」
「あれ……? えっと……ゆきのん、難しくなかったよ?」
由比ヶ浜は雪ノ下の方を向いて、首を傾げる。
だが雪ノ下は口惜しそうに顔を俯け、長々と葛藤してからようやっと声を押し出す。
「……………………パス」
「えっ! ええっ!? なんでっ!?」
やったッ! 勝ったッ! 仕留めたッ! 長机越しに見えないように配慮しつつ、ぐっと小さくガッツポーズ。
どんなお題出してもすぐさま今ので覚えたしてくるからなこいつ。絶対に勝てんのだッと思ってたから嬉しさも一入。
「雪ノ下、アウトだな」
雪ノ下が臍の代わりに親指の爪を浅く噛んで、睨んでくる。
「えっ、ちょっ、ゆきのん、ヒッキー、なんで?」
「……別に、なんでも、ないわ」
「だ、そうだ」
「え、えー……。全然なんでもなくない……」
ガハマさんが声を小さくしながらも弱々しく抗議する。
「なんでも、ないわ。……次に行きましょう。比企谷くんを仕留めてあげるから」
怖えよ。あと怖い。由比ヶ浜も怯えてんぞ。
× × ×
雪ノ下が凄絶な笑みを浮かべて口を開く。
「『小町に恋人ができた、祝福しよう』」
「ぐっ……! 雪ノ下、お前……!」
「うわあ……ゆきのん本気だ……」
こいつ、的確に俺の急所を抉ってきやがった……!
「別に引っ掛けがあるわけでもないし、元よりメモも不要な程度には簡単でしょう? 『小町に恋人ができた、祝福しよう』。どうしたの? 比企谷くん」
完全に当て擦られるぞ俺。なんて陰湿な……そういうのは俺の領分だろうが……。
猫が獲物を嬲るような微笑みで追い詰めてくる。
「…………猫縛りしてたわけじゃなかったんだな」
「そうね。それが?」
くっ……! ダメだ揺さぶりにもなってねえ……!
「くそっ……! パスだ……!」
「ヒッキーもヒッキーだった……」
「ふふ……比企谷くん、アウト」
雪ノ下がそれはもう嬉しそうに宣言する。くそっ! くそっ! 俺の妹愛を利用してお手つきを奪っていくなんてなんと卑怯な!
あ、ここ大ブーメラン会場です。しかしこれで俺1雪ノ下1由比ヶ浜0か。まさかの由比ヶ浜優位という予想だにしなかった事態。俺どんだけ由比ヶ浜を舐めてるんだろう。
「でもヒッキー、小町ちゃんが本当に好きな人できたら、ちゃんとお祝いしてあげなきゃダメだよ?」
「いらん。小町が好きなのは俺だ」
「……でも、ヒッキーは小町ちゃんと付き合うわけじゃないでしょ?」
覗き込むような上目遣いで、由比ヶ浜が問うてくる。少し頬は赤く、ひたと見つめる目には力があり。……ちょっと、そんな顔でそういうこと聞いてくるのは……その、ズルくない?
「小町ちゃん、ヒッキーのこと絶対好きだから、ヒッキーが嫌がったら好きな人のこと表に出せなくなっちゃうかもしんないし……」
由比ヶ浜は小さく息を吐き、正面から目を合わせてくる。
「それに、ヒッキーだって……」
しかし、続く言葉は窄んでいって、そのまま消えてしまう。一度は合わせた視線も、お互いに顔を背けることで完全に外れる。
全くもって、部室が暑くてたまらない。顔も頭も茹だってしまいそうだ。
「は、早口言うね! 『小町に恋人ができた、祝福しよう、小町に恋人ができた、祝福しよう、小町に恋人ができた、祝福しよう』!」
「はい、由比ヶ浜さんクリアね」
「ふぅ……」
由比ヶ浜は火照った顔を冷ますように、息を吐く。
そして、改めて俺に向き直り。
「ヒッキー、ちゃんと祝福してあげなきゃダメだよ?」
そう、繰り返した。おう、だの。ああ、だの。そんな答えになってないような答えを返すのが精一杯だった。
× × ×
俺と雪ノ下が終わって、由比ヶ浜の番なのだが。
「んー……言いにくいもの、言いたくないもの……」
どうもさっきの雪ノ下のお題から、着想を得てしまったらしい。傍迷惑な。
お菓子をぱくつく手も止めて、何かないか何かないかと頑張って考え込んでいる。普段の勉強もこれくらい頑張りゃなあ……。
「あ!」
そして何事か思いついたようで、嬉しそうに声を上げて手をぽむと打ち合わせる。
さて、俺向きか雪ノ下向きか。この手の嫌がらせが苦手そうな由比ヶ浜が何を出してくるのか、余裕半分期待半分で待ってみる。
ちらりと雪ノ下を見ると目が合った。その表情からおんなじようなことを考えているのだろうと伺えた。
由比ヶ浜が、口を開く。
「『ずっと前から好きでした。俺と……付き……』……ごめん、これ変えていい?」
「…………おう」
「…………ええ」
最初思いついた喜びでのはしゃぎっぷりから地の底までテンションが落ちていく様がいっそ笑えるほどだった。
ああうん、いっそ笑い話にでもしなきゃ耐えられないくらいにみんなのトラウマざっくり抉ってるんです。はい。
凄えよ。一瞬で空気がお通夜になったもん。今全員が全員目ぇ逸らしてるし。元凶としては蝦蟇より濃い脂汗を垂らす他ない。
なんだろう、自分一人で済まないトラウマがここまで凶悪なもんだとは思ってなかった。死にたい。
無邪気で考えなしだからこそストッパーもなく、くびをはねられた! 一撃を繰り出せるのか。怖え。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も何も言わない。どうしよう、空気が重くて息ができない。
ちろりちろりとお互いを探るように盗み見るが、三人共そんなことしているせいで視線がかち合ってはバッと背けることを数度繰り返す。
「あー……あはは、ごめんね? 変な空気にしちゃって」
飽和した気まずさを最初に破ったのは、やはりというか由比ヶ浜だった。
こいつのこういうところは、本当に凄いと思う。
「……いや、そもそもの原因俺だしな」
見せつけられて思い知った辛さ。主観的な完全性のみに固執して、そんなものを二人に背負わせてしまった後悔が胸を苛む。
もう一歩足を進めて考えてみる。由比ヶ浜が、あるいは雪ノ下が、好きでもなんでもないやつに告白するのを目の前で見せつけられる。
……ね、死にたくなるでしょう?
ましてそんな告白が成立してしまって、告白した義務感から付き合うとか……おお……もう……。
無論俺と二人の告白の価値には天地ほどの差があるが、それを差し置いてもそんな思いをもうしてほしくないと思う。
「ほんともう……なんというか……浅薄でごめんなさいとしか……」
あ、これ駄目なやつだ。由比ヶ浜を泣かせてしまったことをまざまざと思い出して底抜けて気分が落ち込む。
背もたれに荷重を掛け、死んだ目で見るともなしに二人を見ていると、由比ヶ浜が俺のゾンビっぷりを見て慌てている。
あかん、ただでさえ色々と背負わせてんのにこれ以上心労かけてどうする。
「え、えと、えと……。あ、そういえば。もしかしてさっきのヒッキーのやつも、ゆきのんが言いたくないことをお題にしたの? あの三味線のやつ」
なんとか言葉の接穂を探したのか、由比ヶ浜が俺と雪ノ下の刺し合いからそんなことを聞いてきた。
せっかく投じてくれた助け舟、縁に縋ってでも乗り込みにかかる。
「あ、あー……そう、だな。由比ヶ浜、お前三味線の材料って知ってるか?」
「材料? どういうこと?」
一度会話の流れが成立したら、その後の言葉は割とすんなり続いてくれた。
「……何から作られるか、って意味だが」
「材料の意味くらいわかるよ! え、なんか木とか糸とかじゃないの?」
「いやまあ、それも使われてるんだろうが。他にも一色が被ってるものが使われててな」
「へ? んー……ごめん意味わかんない。いろはちゃん帽子とか被らないよね?」
「猫だ」
「猫?」
「その……なんつーか、例えばワニ革の鞄みたいに、猫の皮を材料にしてるんだよ」
「えっ……それって……」
「だから雪ノ下は嫌がったんだな」
「うわあ……ヒッキー……うわあ……」
ガハマさんの笑みが引きつる。……うん、まあ。我ながら酷いかなーとは思わなくもなかったけど。そこまでかー。
だが、呆れと苦味が混じるその笑みには暗く沈むような色はもうなかった。
俺たちのやり取りを横目に見ていた雪ノ下も失笑を漏らしている。
先程の空気が払拭されたことで、安堵の感情が胸を満たす。
あ、そうだ。話題にも出たしちょうどいいだろ。
「雪ノ下。紳士協定の提案があるんだが」
「……いいわ。猫よ」
当意即妙。この辺の回転はさすがの雪ノ下だ。
「小町、戸塚。……パンさんはいいのか?」
「何かを貶める方向の内容には触れない、ということにしましょう」
「了解だ」
というわけで、懲りずに別の搦手を考えることとしよう。
× × ×
「んー……うーん……」
そして改めて由比ヶ浜。お題の変更先に腕を組んで頭を悩ませている。
「あ!」
と、いいアイデアが閃いたのか笑顔がぱっと花開く。さっき見た流れですねこれ。
大丈夫だと分かっているのにそれでも自分に言い聞かせてる部分があるのは、さっきのトラウマ想起が尾を引いてますね。少し身体が固くなってるのが自分で分かった。
「ね、お題はなんでもいいんだよね!? じゃ、じゃあ『二人はあたしのことどう思っていますか?』」
……おお、すげえな由比ヶ浜。脱力で緊張が完全に吹っ飛んだわ。
雪ノ下も指先で額を押さえ、溜息を吐いている。
「ど、どうかな?」
「『二人はあたしのことどう思っていますか二人はあたしのことどう思っていますか二人はあたしのことどう思っていますか』」
「あ、あれー?」
思いついたことを口から出す前に、一度推敲するのを習慣づけたほうがいいんじゃないかなって八幡思います。
「で、どうなの?」
「え、あ、うん……。ヒッキークリア……。お、おかしいな……こんなはずじゃなかったのに……」
「ふぅ……『二人はあたしのことどう思っていますか二人はあたしのことどう思っていますか二人はあたしのことどう思っていますか』。これでいいわね?」
雪ノ下がまた軽く溜息を吐いて、さらりとお題をクリアする。
「う、うん。いいんだけど……。あれー?」
由比ヶ浜は何が悪かったのかと腕を組んで考える。
その、大変言いにくいんですが多分お前の頭じゃないかなって。
× × ×
「じゃ俺か。んー……『ピザって十三枚、じゃなくて十三回言って? 早口で』」
ちょっと簡単すぎたか? 雪ノ下なんかキョトンとしてるんだが。
由比ヶ浜が下手の考えを止めてこっちを向く。おや、満面の得意顔。
「ふふっ、そんなんじゃ引っかかんないよー。あたし先やるね? 『ピザって十三枚、じゃなくて十三回言って? 早口で、ピザって十三枚、じゃなくて十三回言って? 早口で、ピザって十三枚、じゃなくて十三回言って? 早口で』。どう?」
「……由比ヶ浜、クリアだ」
やっぱり簡単すぎたようだ。ネタが枯渇してるな。どうしよう、これ以上どうやったらお手つき奪えるのか。
「っていうかヒッキーがお題で引っかけようとするの二回目じゃん。いくらあたしでも引っかかるわけないし」
「そうだな。いくら由比ヶ浜でも引っ掛かるわけないよな」
「そうよ。いくら由比ヶ浜さんでも引っ掛かるわけないわ」
「どーいう意味だ!?」
由比ヶ浜が両手を突き上げて心外だとばかりに抗議する。おいおい自分で言ったことじゃねえか。
クスッと笑った後、雪ノ下が軽く咳払いして注意を集める。
「『ピザって十三枚じゃなくて十三回言って早口でピザって十三枚じゃなくて十三回言って早口でピザって十三枚じゃなくて十三回言って早口で』」
淀みなくすっと言い切り、判定を乞う視線を向ける。
「雪ノ下、クリア」
黙って目を閉じ、満足そうな笑みを浮かべた。
このお題、完全に不発だったなー。色々迷彩も施したつもりだったが何の意味もなかった。
これこのまま誰もお手つきせずに下校時刻迎えたらどうなるんだろう。ノーゲーム? コールドゲーム? それともまさか場所変えて続行とかないだろうな。
目の前でむくれながらマグカップを傾ける女の子と、微笑みながらお菓子に手を伸ばす女の子を見て、そんな疑問が頭を過ぎった。
× × ×
雪ノ下の番だ。雪ノ下は拗ねる由比ヶ浜を見て、また一つ笑みをこぼす。
「じゃあ、次は私のお題ね。……『ずっと一緒にいて欲しい』」
照れくさそうに頬を染めながらも、凛として言い切った。
それは、由比ヶ浜のお題に対する雪ノ下の回答。
「ゆきのんっ……!」
「あ……、もう」
由比ヶ浜は一瞬で不機嫌を吹き飛ばし、雪ノ下に強く強く抱きつく。
迷惑がるようにそっぽを向きながらも、その手はばっちり由比ヶ浜の背に回っていた。
きっとこの二人はこの先も、お互いの意志でもってずっと一緒にいるんだろう、と。
その抱き合う姿を見ていると、自然にそう思えた。
「…………『ずっと一緒にいて欲しい。ずっと一緒にいて欲しい。ずっと一緒にいて欲しい』。……雪ノ下?」
絵画じみた光景を壊さぬように邪魔せぬように、そっと三回繰り返す。……こっそりと、自分の胸の内も仮託して。
雪ノ下に判定を求める視線を投げると、なぜだか抱き合う由比ヶ浜とともに呆然とした表情を向けてきていた。
「……え、なに。どしたの」
それに気圧されつつも呼びかけると、雪ノ下はハッとして再起動する。
「あ……いえ。比企谷くん、クリア……」
「……ね、ヒッキー。今のって……」
「な、なんだよ」
「……ううん。やっぱりなんでもない」
由比ヶ浜はゆるゆると首を振って、何事かを得心する。……もう、なんなんだよ。
「……お題だろ。ただの」
「そうだね。お題だ」
その同意がどうにも幸せそうで、見透かされてる気分になってふいっと目線を逃してしまった。
由比ヶ浜は追撃まではしてこず、至近から雪ノ下に向き直る。
「じゃ、あたしも言うね。『ずっと一緒にいて欲しい。ずっと一緒にいて欲しい。ずっと一緒にいて欲しい』。ずっと、一緒にいようね」
最後の不意打ちで、雪ノ下の白い頬が赤くなる。俺の方に向けていた視線を引き戻され、真正面から由比ヶ浜と見つめ合っていた。
「……由比ヶ浜さん、クリアね。それと……」
由比ヶ浜を抱く腕に力がこもったのがここからでも見て取れた。雪ノ下は浅く息を吸って。
「……これか、らも、よろしく……」
「うんっ!」
つっかえながらも言い切った雪ノ下のその吐露に、由比ヶ浜は満面の笑みと抱擁でもって答えた。