予想外のところから、異変の言葉を聞いた。
「……おかしいわ」
口にしたのは、他ならぬヨシノだった。エレベーターに駆け込んだヨシノは慣れた動作で転送装置を起動し、任務世界へと転移する――はずだった。
「どうしたんだ?」
まだ二回目の任務だが、彰も心構えは出来ている。それなのにいつも凜としているヨシノが異変に眉をひそめていることは、少なからず彰を動揺させてしまう。
「この転送装置が任務世界の『扉』に繋がることは理解しているわよね?」
「ああ」
「繋がらないのよ」
「え?」
「任務世界……バグの発生する地域に、転送装置が繋がらないの」
「……なんでだ? 装置の故障とかか?」
「常日頃開発局がメンテナンスをしているわ。故障なんて万が一もあり得ないわ。だとすれば――」
ヨシノは続けてタッチパネルを操作していく。浮かび上がった数字は座標であり、ヨシノはミラーズを操作しながら別の数字を入力していく。
「……目的地から十数キロ先になら転移出来るわ。それで行きましょう」
「あ、ああ。……なんか、前回と違って嫌な予感がするな」
「大丈夫よ。何が起こってもあなたは私が守るもの」
「…………いつかは俺がヨシノを守りたいんだけどなぁ」
「期待しているわ」
ヨシノは弱さを自覚している彰を拒絶することは決していない。自分のするべきことを理解し、共に歩もうとする彰を好ましく思っているほどだ。
転送装置の起動が完了し、エレベーターが動き出す。視界に広がる暗転世界を前にしながら、ヨシノがぽつりと呟いた。
「確かに嫌な予感がするわね。……大抵、こういう時の嫌な予感は当たるのが最悪だわ」
「それは……バグに負けるとか、そういうのか?」
彰としては、ヨシノが負ける姿などイメージ出来ない。だがヨシノは彰の言葉にふるふると首を横に降った。それは決して彰の不安を肯定するための否定ではない。
「守護者が負けて、死ぬだけならマシだわ。そのくらいなら日常茶飯事だもの」
「え……」
「人は死ぬわ。尊厳を保って死ねるなら、守護者は本望よ」
その意味が彰には理解できないまま、転移は完了する。
音を立てて扉が開く。広がった光景は、誰もいない無人の町。
かろうじて人の気配はするものの、寂れた土煙に包まれた石造りの町だ。
「ミラーズに申請。移動手段の転送を」
扉から出たヨシノは睨むように一つの方角を向き、ミラーズを操作する。これもミラーズの機能の一つなのだろう。ヨシノの言葉に連動してミラーズが応対するように明滅し、何もない空間からバイクが浮かび上がってきた。
「ここから目的地まで十数キロはあるわ。これで移動しましょう」
「俺、バイクの運転は出来ないが」
「私が出来るもの。後ろに乗って捕まってなさい」
「え? …………えぇ!?」
一瞬の間を開けて、彰は突如として起きた奇跡に目を見開いた。何事もないようにヨシノはバイクに跨がりエンジンを吹かす。鋼鉄の馬はうなり声を上げ力強い鼓動を響かせ、今か今かと走り出すのを待ち続ける。
早く、とヨシノは目で訴えてくる。葛藤する彰だが、今は何より任務を優先すべきだ。だからヨシノの身体に触れてしまっても仕方ないんだ――と自らに言い聞かせ、ヨシノの後ろへと移動した。
「飛ばすわ。しっかり掴んでなさい」
「あ、ああ……っ」
手渡されたヘルメットを被り、彰はそっとヨシノの腰に手を回す。細く柔らかいヨシノの腰は、強く抱きしめれば折れてしまいそうだと思わせるほどだ。
ぎゅぅ、と彰は細心の注意を払ってヨシノを抱きしめる。「……んっ」といつもとは違うヨシノの息づかいにドギマギしながらも、バイクはヨシノに応えて走り出す。
身を切るような風を浴びながら、二人を乗せたバイクは目的地を目指し鋼鉄の身体を疾駆させる。風とエンジン音は声をかき消し、だんだんと変わっていく景色は彰の心を不安で一杯にさせる。
町が無くなっていくという言葉がこれほど似合う状況など、彰にとっては初めてだ。
ネールと出会った世界とは違う、石造りの町はどこからどう見ても異世界の町並みなのに――どうしてこんなにも不安になるのだろうか。
それはきっと、行けば行くほど家が壊れ地面は抉れ町が姿を失っていってるからだろう。
明らかな異常事態を前に、彰は息を飲むことしか出来ない。抱きしめる手に力を込めると、ヨシノは危険を承知で片手で彰の手に触れた。
言葉は聞こえない。でも、それだけで彰の不安はゆっくりと消えていく。
「――――飛び降りて!」
「っ!?」
風にかき消される声は彰の耳には届かない。けれどヨシノが強引に彰の手を引き剥がした時点で、彰は異常を察してバイクから飛び降りた。
瞬間、バイクが閃光に包まれる。次いで耳をつんざく爆音と煙が彰の五感を奪う。
けれど右手はしっかりとヨシノが握っていた。目も見えない音もわからない状況で、彰はその手を握り返して連れられるままに地面を蹴る。
「奇襲を受けたわ。……明らかに、ただのバグの動きじゃ無いわ」
「ただのじゃ無いって、じゃあ何が――」
「……今の攻撃を、私は知ってるわ。あの子のカムイ、ロードバロン……」
『あの子』とヨシノは言った。それは意図して名前を伏せたわけではなく、ヨシノもきっと、その現実を認めたくなかったのだろう。
爆音と土煙が次第に風に流され、彰は感覚を取り戻していく。砂を踏む音のする方向へ視線を向けると、彼女は確かにそこにいた。
「……あら、アキラとヨシノじゃない。どうかしたの?」
シェーン・アルジリオ。
ヒュウガ・ココノエと共に任務に赴いた少女が、身の丈ほどある弓を携えながらそこにいた。
訓練室でつかの間の時を過ごした時とは違う、物憂げな表情をシェーンは見せている。
何があったのか。今のは何が起きたのか。知りたいことばかりの彰は、立ち上がってシェーンに近づいて。
「やめなさい彰、そいつはシェーンじゃないわ!」
え、と彰が戸惑いの言葉を口にするよりも早くヨシノが彰を引き寄せる。彰は後ろに倒れ込み、ヨシノはそんな彰を抱き留めた。
傾く視界の中で、シェーンが弓を番えていた。そして、ためらう素振りも一切見せずにその手を離す。
鋭い光が彰の視界を覆い尽くす。それが殺意と悪意に満たされていることを、彰はようやく理解した。
「あら、駄目じゃ無い。あら、駄目だったかしら? あら、あら、あらあらあらあら? シェーン・アルジリオはこういう言葉遣いよね? おかしいわおかしいわおかしいわおかしいわ。出会ったばかりでも知ってるわよシェーン・アルジリオは一ノ瀬彰を快く思ってないのだかラ!」
違和感。違う。拒絶反応に近い嫌悪感。何がとまでは言葉に出来なかった。それを認めたくなかったのかも知れない。聞こえてきた声は間違いなくシェーンのもののはずなのに、どうしてもそれがシェーンの言葉とは思えなかった。
「――覚えておきなさい、彰。これが私たち守護者にとって、一番避けなければならない事態よ」
ヨシノは引き抜いた剣で光を裂き、忌々しい目付きでシェーンを睨み付けた。
相対するシェーンは、愛らしい顔つきに似合わない笑顔を見せている。
それはもう人のする表情では無い。どこまでも露骨な、邪悪な笑み。
彰はその笑顔を知っていた。どういう存在が、そんな顔をするのか知っていた。
脳裏を過ぎるのは最初のバグ。
娘を喰らい、そしてもう一人の娘すら喰らおうとした――『バグ』。
「シェーン・アルジリオはバグに喰われた。そして、バグにその存在を奪われたのよ」