「……何が起きたの? ターゲットを私に切り替えた、というより正気を取り戻した様にも見えるけど」
黄金の炎が彰の右腕に収束していく。やがて炎の全ては右腕の中に収まり、何事もなかったかのように公園は静寂を取り戻す。鳥の鳴き声や虫のさざめきが聞こえてくる中で、彰の耳には少女の言葉しか届いていなかった。
冷ややかな目で睨み付けてくる少女に対して、彰は朗らかな表情を少女に向けている。それは先ほど発した愛の告白から来る高揚であり、少女の言葉はどんなものでも今の彰にとって心地いいものでしかないようだ。
「……バグの症状が治まっている。あなた、何をしたの?」
「治まって? あーいや、確かに変な空腹感はなくなったけど」
言われてみて彰も今の自分の状態に気付いた。先ほどまで彰を襲っていた猛烈な飢餓感は影を潜めており、すっかりいつもの調子に戻っていた。
さっきとは一変した彰のテンションを前にして、感情の薄い少女も首を傾げている。恐らくは、目の前の光景が少女の中で初めての出来事だったのだろう。
だがそんな少女の疑問など知ってか知らずか、彰は真っ直ぐな瞳で少女と向き合う。
もちろん、先ほどの返事を貰うためだ。
「それで、さ!」
「……なに? 今はこの異常事態をどうするか考えているんだけど」
「一目見て好きになりました。俺と付き合ってください!」
「……は?」
脳天気とも言える彰の言葉に周囲の温度が急速に低下した気がした。
少女の冷ややかな目は鋭さを増したが、その視線が向けられた彰はあっけらかんとしている。
「あなた、バカなの?」
「強いていうなら、君に夢中になりすぎて馬鹿になってるかな!」
「……はぁ。こんな症例は見たことがないし、副作用かしら」
少女は思わずこめかみに手を当てて顔をしかめてしまっている。一方彰のテンションは留まることを知らず、このままの勢いなら少女を押し倒してしまいそうなほどだ。
とはいえ彰もそこまではしない。さすがにそこまで理性を失ってはいないようだが、自分の事などお構いなしに少女へのアピールは続けそうだが。
「それで、君の名前は?」
「名乗る必要があるの? あなたはバグで、私は守護者なのに」
「俺が知りたい!」
少女が口にする聞き慣れない単語すらも今の彰には届かない。彰に届く言葉は、少女の名前だけだ。自分に起きた出来事よりも、少女のことが大切だと言わんばかりの状態だ。
少女はもう一度ため息を吐く。そんな動作も可愛いと思う彰であった。
「ヨシノ・四宮よ」
「ヨシノ・四宮。外国の人なのか? それでも綺麗な名前だと思うな!」
「……そう。ありがとうね」
何度目かわからないため息を吐いたヨシノは、ポケットからスマートホンを取り出し操作すると、何処かへ電話を掛ける。何処へ掛けたかは彰にはわからないが、とにかくヨシノの行動を待っている。
「……ええ、はい。異常事態です。対象が捕食行動をする前に理性を取り戻しました。会話も……はい、支障はありません。え? ですが……はい。わかりました」
通話を切ったヨシノは鋭い視線を彰に向けた。ヨシノの通話は終わるまで犬のように大人しくしていた彰も、ヨシノから向けられた視線の意味がわからずに首を傾げる。
そんな彰にヨシノは背を向けて歩き出した。握っていた剣を地面に向けて突き落とすと、剣は虚空に沈んでいく。
何が起こったかもわからない彰だが、それよりもヨシノの佇まいに見惚れていた。頭の天辺から足先までじっくりとヨシノを見て、うんうんと何度も頷いている。
「着いてきて。会って欲しい人がいるわ」
「いきなりご両親の紹介か!? よっしゃテンションあがってきた!」
「あなた、バカって言われない?」
「難しいことは考えない主義なんだよ!」
「……はぁ。バグに告白されるとか、さすがに意味がわからないわ。頭が痛い……」
「大丈夫か? 頭痛薬なら家にあるはずだけど」
「あなたは家もなにもかも失ったでしょう」
「そうだったな。すっかり忘れてた!」
あはは、と豪快に笑う彰にヨシノは再びため息を吐く。打ち解けたような雰囲気ではあるが、ヨシノの背中を追おうとしたところで――彰は不意に足を止めた。
彰に向かってヨシノが振り返った。勘がいいのね、と言ったばかりの出来事だった。
ヨシノの手には銃が握られており、その銃口は当然のことながら彰へと向けられている。今すぐにでもヨシノが引き金を引けば、凶弾は彰を穿つだろう。
「不用意に私に近づかないで。あなたはバグで、いつ正気を失うかわからない。また正気を失って人を喰らおうとしたら、今度こそあなたを殺すわ」
「お、おう」
さすがの彰もヨシノの冷ややかな視線と殺気を同時に浴びせられては正常に戻るしかなかった。
つかず離れずの距離を維持しながらヨシノの後を追い掛ける。
ヨシノに連れられてやってきたのは、大通りを抜けた先にあるこじんまりとした古本屋だった。店番は店主の老人くらいなもので、置いてある本も古書ばかりであって客が入っていることなどまったく見たことがない古本屋である。
ヨシノはずかずかと我が物顔で店に入り、本棚の一番奥に向かう。古ぼけた扉の前に立つと、ヨシノはおもむろにその扉に手を掛けた。
ギィ、とさび付いた音が店内に響く。「いってらっしゃい」と老人の声が聞こえてきた。
「……今からあなたは、信じられない光景に出会うことになるわ」
「お、おう?」
「そして、あなたのこれからの生き方も様変わりする。――もう、今までの生活には戻れない。いえ……バグになりかけたあなたには、戻るべき日常もなかったわね」
「…………」
落ち着いたヨシノの言葉で、彰は自分が置かれている状況を客観的に理解出来た。ヨシノに一目惚れした事実を優先していたすっかり忘れていたが、彰は自分自身が置かれている状況は最悪なままだった。
クラスメイトたちからは忘れられ、女の子を襲い、喰らおうとした衝動。そして、銀の炎と金の炎というこれまでに見たことがない、まるで漫画やゲームのような異能の力。
なにもかもがこれまでの日常からかけ離れており、すっかり麻痺していた。
ごくり、と彰は唾を飲み込む。ヨシノに向けた眼差しには、戻れる日常がないことを理解した感情が込められていた。
ヨシノが扉を開き、その向こう側へ消えていった。後を追うように扉を超えた彰もまた、古本屋から姿を消すこととなる。
「なん、だこれ。なんだこれ!?」
急に開けた視界に彰は驚きを隠せなかった。確かに古本屋にいたはずで、古本屋の扉を開けたのだから、その先には古本屋か、老人の邸宅が広がるはずであった。
だが彰の視界いっぱいに広がったのは、古本屋でも老人の邸宅でもない。
白いベッドと、汚れ一つ見当たらない壁と天井。真っ白なカーテンと薬品が置かれた棚。
一目見て、病院――ないし、医務室という言葉が彰の頭を過ぎった。
「四宮さん、その子ですかー?」
白衣を纏った少女が微笑みを浮かべていた。青色の髪を一房に纏めた少女は、ヨシノよりも一回り小さく見える。小柄な体躯の少女は椅子から降りると、興味津々に彰の前に躍り出た。ふむふむ、と彰の全身を観察すると、ぽん、と手を叩いた。
「シオン・時守と申します。よろしくお願いしますね」
差し出された手は友好を示す握手を意味している。彰は握手に応じると、小さく柔らかい手に思わず心臓が早鐘を打った。ドギマギとしつつも、すぐに平静を取り戻す。
「一ノ瀬彰です。えーっと……よろしくお願いします?」
「あ、今ボクの見た目で判断しようとしましたね? でも人を見掛けで判断してはいけませんよー」
そう言ってシオンは小さな胸を反らして自信満々にふんぞり返った。
とは言ってもシオンはどこからどう見ても彰やヨシノより年下の少女にしか見えない。
確かに落ち着いた佇まいではあるが、年相応と言ってしまえば納得出来てしまうほどだ。
「これでもボクは、あなたたちの何倍も生きているお姉さんなんですから」
えっへん、と笑顔を見せるシオンだが、当然そんな言葉だけで信用できるわけがない。
ぐい、と背中を軽く押される。そこには珍しく冷や汗をかいたヨシノが、「いいから従え」と言わんばかりの瞳で彰を睨め付けていた。
ヨシノの雰囲気に気圧された彰は、信じようが信じまいがシオンの説明に納得するしかなかったのだ。
「よ、よろしくお願いします!」
「はいはーい。それじゃあ早速検査を始めましょうか!」