金と銀の二つの炎は、シェーンの身体を確かに灼いた。けれどその身にダメージは一切与えずに、二つの炎はゆらゆら揺らめいて陽炎のように消えていく。
バグの命を奪った感覚は、彰にもヨシノにもなかった。
手応えの無さに驚いているのは他ならぬバグだった。何事もなかったかのように首を傾げ、大弓ロードバロンを構え光の矢を番える。
「……なにかわからなかったわ。でも、私には何の影響もなかったようね。無駄にダメージを負って距離を無理に詰めて、あなたたちはもうロードバロンから逃げられない距離にいる。さようならヨシノ・四宮。彰・一ノ瀬。あなたたちは殺してから食べてあげるわ」
爪弾くように、ロードバロンの弦が弾かれる。光の矢が一斉に掃射され、彰とヨシノを瞬く間に飲み込んだ。
しかし、だ。
無数の光の矢は、彰にもヨシノにも一切の傷を負わせることはなかった。
明らかに、二人を避けるように光の矢は放たれていた。少しでも逃げようとしていれば、貫かれていただろう。
「……あら? え、え、え、え、え、え、え。ナンデ。ドウシ、テ――!?」
どろり、とシェーンの瞳から赤い涙が流れ出す。途端に苦しみだし頭を抱え、地獄を体現するかのような金切り声を上げる。
「イダ、イ。なん、で。わたし、の、イノチ、ドウジデ!? グェ……ッ」
血の涙と共におびただしい量の血を吐き出す。小柄な身体では収まりきらないほどの血がシェーンの身体から漏れ出ていく。
ぼとりぼとりと白い異物が混ざっている。それが何なのかは明白だったが、彰もヨシノもそれについての言及は避けた。
「何ガ、起きてるの! ワタジニ、ナニガ!」
叫び、戸惑い、狂乱に身を悶えるシェーンはロードバロンを投げ捨てた。もはや彼女に戦う意思はない。戦うことすら意識できない。
「ワダジバ、イギダガッダダケナノニ――――生きたいから、人を喰らっていいわけじゃないでしょ?!」
シェーンの汚濁の混じった声の中から、もう一つの声が聞こえてきた。錆びた機械のような鈍い動きは、明らかにシェーンに異常が起きていることを伝えてくる。
「ワダジバ、ワダジバ!」「黙りなさい」「イギダイノニ!」「黙れと言っているでしょう!」「黙ルノハお前ダ!」「違う」「私たち」「でしょ」「ねえ」「ナンデ!?」
声がいくつも重なる目の前の現象に、彰もヨシノも手を出せないでいた。
何をすればいいか、さすがのヨシノも理解が追いついていないようだ。
自分がしたことで起きたこの事態。それはヨシノの中で、一つの結論を導き出す。
しかしそれを言葉にするよりも早く、ヨシノは彰に駆け寄った。貫かれた胸から今もなお溢れ続ける大量の血液をなんとかするためだ。
「彰、早く止血をしましょう。動かないで、シオンほどじゃないけど、私も治癒魔法が使えるから」
「ヨシ、ノ……でも、今はシェーンを……」
「……もう、終わるわ」
ヨシノの言葉の意味が、彰にはわからなかった。世界を呪うバグの言葉をかき消すように、バグの中から声が溢れてくる。
それは、命の声だった。バグに喰われた人たちの、バグへの怨嗟の言葉だった。
その中には、彰の聞いた声も含まれている。――シェーンの声が。
「オワラ゛ナイ! ワダジ、ハ、ワダジバホロビナイ!」
バグの身体が崩れていく。シェーンの身体がどろりと崩れ、その中から彰たちと同い年くらいの少女が姿を現す。顔だけはシェーンのまま、血だまりを踏みにじり憎悪の叫びを世界に響かせる。
血だまりの全てを取り込もうとしている。踏みにじった血だまりが少しずつ少女の身体を這い上がる。聞こえていた命の声が小さくなっていく。それほどまでに、バグは力を増していたということか。
「ア゛ア゛、モウスグ、オナカ、ヘッダ! ナンデモイ゛イ゛ガラ、次ヲ「ヒュウガァッ!」
バグの声を、一際強い声がかき消した。消えてしまった命の声の中で、唯一その声だけは輝きを失わなかった。
左の瞳が、光と取り戻す。血の涙を振り切って、一人の少年の名を叫ぶ。
「誓いを、果たしなさい! あなたがかつて、妹に誓ったことを!」
「――ああ、そうだな。わかっているよ、シェーン」
剣を杖代わりに立ち上がったヒュウガが、幽鬼のように重い足取りでバグの元へ近づいていく。肉体はもう限界なのに、その目だけは全てを射貫くかのように鋭い目付きでバグを睨み付けていた。
ふらふらと、どこからどう見ても限界だ。どうして立てるのかも歩けるのかもわからないほどの極限状態で、なおもヒュウガは歩みを続ける。
ヒュウガ自身も今の自分を把握し切れていない。どうして動けるのかもわからないほど、全身が痛みを訴えてくる。いや、もう痛みを通り越して感覚が失せているくらいだ。
これ以上何か負担を掛けてしまえば、死んでしまうかもしれない――それだけは、おぼろげな意識の中で理解していた。
「俺は……俺、は」
「クルナ……ク「来なさいヒュウガ、あなたじゃなきゃ駄目なのよ!」
「シェーン。そうだな。ああ、そうだよ」
あと一歩進めば抱きしめ合える距離までヒュウガとバグは接近した。完全に動きを止めたバグへ、ヒュウガは剣を突き刺した。不意を突いたわけでもなんでもない。バグは当たり前のようにヒュウガの剣を受け入れた。
バグは言葉で拒絶を繰り返している。けれど肉体はもう、バグの制御下にない。
「俺は、あの日誓ったんだ。お前に、妹に。バグになった妹に、誰がバグになったとしても、バグを討ち、世界を守るんだって、誓ったんだッ!」
「――――そうよ、ヒュウガ。それでいいの」
「だから、俺、はァァァァァァァッ!」
ヒュウガの剣――カムイ・ブラストゲインがバグの左胸に沈んでいく。
ズブリと肉の感触が手に残る。その嫌な感触を閉じ込めるようにヒュウガは拳を握りしめ――沈んだブラストゲインの柄頭へ、拳を全力で打ち込んだ。
「ごふっ……!」
打ち込んだ反動で血を吐いたヒュウガは膝から崩れ落ちる。けれど最後の最後まで、バグを、シェーンを睨み付けていた。
「ブラストゲイン・
――カムイ・ブラストゲイン。刀身の触れた箇所を爆発させる、ヒュウガ・ココノエのカムイ。
魔法のセンスは平の凡。戦闘センスは中の上といったところのヒュウガのために、最初から殺傷力の高い一撃を与えることをコンセプトとして開発されたカムイである。
これまでに何体ものバグを殺してきた、ヒュウガ・ココノエの愛機だ。
そしてセレスティアの
爆発を引き起こす機構を暴走させ、自爆させる。その威力は、通常のブラストゲインが引き起こす爆発の、数十倍。
バグの命を悉く奪い尽くす、滅びの光。
破片すら残さずにブラストゲインが爆発する。火薬の爆発ではない光の爆発は、バグの身体を飲み込んだ。
「イ、ヤダ! ワダジ、ジニダクナイッ! なんで、わだじ、拒絶サレテ、ヤッド、ヤッド世界に戻れダノニ! ワダジガナニヲシタノ、ワダジ、何も悪いことしてないのニ!」
「……そうだな。恨んでいい。お前は世界の被害者だ。世界を恨み、今、お前を殺した俺を、ヒュウガ・ココノエを恨んで、死んでいけ」
「あ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
光が全てを飲み込んでいく。バグの身体を飲み込み、シェーンの顔を飲み込んでいく。光が全てを滅ぼし尽くす中で、最後にシェーンの顔が微笑んだ。
「ヒュウガ、ありがとうね。私の落ち度で、迷惑を掛けたわ」
「さようならシェーン。君のこと、好きだった」
「――ええ、知ってるわ」
そして、バグは消失する。
ヒュウガは地面に崩れ落ち、力を振り絞って仰向けになって空を見上げる。
応急処置を終えた彰は、ヨシノの肩を借りながら倒れ込んだヒュウガの隣に座り込む。
三人で、空を見上げた。町は滅び、誰もいない静寂の世界で三人は流れる雲を眺めていた。
「救援を呼んだわ。もうじき、駆けつけてくるわ」
「そうか。……はぁ、しんどかった」
「……なあ、ヒュウガ」
もう誰の声にも力が入っていない。肉体的にも精神的にも疲弊しきった中で、彰は苦しそうに声を振り絞る。
彰が何を言おうとしたのかを、ヒュウガは理解していたのだろう。だから、彰が次の言葉を吐き出す前に、自分から口を開いた。
「俺の妹が、バグになったんだ。駆けつけたシェーンは妹を殺して俺を助けてくれた。その時からずっと、彼女の力になると決めていた。妹のために泣いてくれたシェーンのことが、とても、とても愛おしかったから」
空を見上げて語るのは、亡き相棒との追慕の物語。